コメディ・ライト小説(新)

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マーメイドウィッチ
日時: 2016/07/30 19:31
名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)

世界が止まった。



手が震える。



数拍のちに気付く。









私は大切な人に裏切られたのだと。

Re: マーメイドウィッチ ( No.5 )
日時: 2016/08/06 00:55
名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)

*風が気持ちいい。

耳元でうなり、髪をとかして、後ろに流れていく。

景色もどんどん後ろに流れていく。

フレヤは現在、村娘の格好をして、森の中を馬に乗って疾走していた。

その後ろには、同じく馬に乗ったチノが追っている。

数時間前に二人は城を出た。

フレヤ付きの侍女や、従者たちは何も言わない。

見て見ぬふりをして送り出してくれる。

普通の王女であれば、従者を一人ぐらいしか連れず出歩くのはありえないことだ。

しかし、この「外出」は特別なもので、フレヤが十四になった時から

続けられているものだから、彼らは何も言わない。


「……ついたわ」


森が開けてきて、目の前に広がったのは、荒廃した村だった。

馬の速度を緩めると、チノが隣に並んだ。

その緑の瞳は細められていた。

そまつなレンガ造りの家が立ち並ぶ小さな村。

その煙突からは細く煙が上がっていた。

畑に植えてある作物は、数年前の大津波の影響で、

土の中の塩分が抜けきっていないため、枯れかけている。

どこか砂漠を思わせる光景。

一目で貧困にあえいでいる村だとわかる。

道端を歩いていた、みすぼらしい身なりの少女が、たたずむこちらに気付いた。

その顔に一気に喜色が広がる。


「おねえさんだ!!」


そして、笑顔のまま、こちらに駆け寄ってきた。

その声を聞きつけた村人が家の中から次々と姿を現した。


「まぁまぁ、お嬢さんじゃないか!!」

「お嬢さんだぞー!!

 お嬢さんが来たぞー!!」


子供たちが次々と駆け寄ってきた。

フレヤは馬から降り、城から持ってきた籠を取り出し、

中から白パンや焼き菓子を取り出してみんなに配って回った。

フレヤはこの慈善活動のようなものを、ずっと続けてきた。

最初は、なんと、城の執事に連れられてお忍びで城の外に出た。

そこで初めて、フレヤは、己の生活が、

たくさんの民に支えられて初めて成り立っていることを知った。

そして、民の中には貧困にあえいでいて、

食べ物すら手に入らない生活や、学校に行ったこともない者がいることも知った。

ただの自己満足であることも十分わかっているし、

自分自身ができることは非常に限られていることも知っている。

それでも、小さなことでもいいから、民の支えになりたかった。

食べ物を村人たちに、全て手渡した後、

フレヤは、子供たちに集まるように言った。

子供たちに文字を教えるためだ。

ここの子供たちは、みんな貧しくて、学校に行く余裕がない。

このままでは悪循環の繰り返しだ。

貧しい親の元に生まれ、教養がないため、ろくな仕事にもつけず、

また生まれた子供も貧しく、教養がないまま育つ。

そうさせないためには、簡単な読み書き、計算ができればいいだけの話だ。

だからフレヤは、たまに食べ物と共に色んな貧しい村を訪れて、

子供たちに読み書きと計算の仕方を教えて回っている。

そんなフレヤの様子をチノは後ろで静かに見守っていた。

自分の名前が書けるようになった子供たちが大喜びでチノに見せに行ったとき

優しくその頭をなでていた。

その瞳には穏やかな光が宿っている。

















また来てねー!!という名残惜しげな声に押されるようにして、

フレヤとチノは村を出た。


「……王族の、それも第一王女が、護衛を一人しかつけずに出回りたいと

 いう理由が、これか」

「ただの息抜きよ」


宮廷は、ひどく疲れる。

遊びばかりに呆けている父王がいるのをいいことに、

その配下たる大臣たちは、私腹を肥やすことに大忙しだ。

国は何も良くなっていない。

息が詰まりそうな場所だ。

こうやって外に出ると、貧しいながらも、懸命に生きようとする人たちがいる。

その人たちと触れ合うことで、フレヤも活力をもらえるのだ。


「不思議な王女だな。

 王宮で贅沢に暮らし、人々にかしずいてもらって生きることもできるだろう」

「私自身がそういう生活が大嫌いなのよ」


行きとは違い、のんびりと馬を歩かせる。

まだ昼過ぎだ。

ゆっくりでも夕方には王宮につくだろう。


「……今の私の生活があるのは、この国の民のおかげであることは

 わかっているつもりよ

 私は、王族であるからといって無知ではいたくない。

 知りたいし、わかりたいと思う」

「そうか」


はらり、と濃い青色の髪が頭巾から零れ落ちた。

民は、みんな、会いに行ったらよくしてくれる。

それは、フレヤがこの国の第一王女だというのを知らないからだ。

おおかた、どこかの貴族の娘だと思われているのだろう。

この髪は、王族である者の証。

亡き母と同じ髪の色だ。

もし、民が、フレヤが今の愚王の娘だと、

今の苦しい生活を何も変えようとしない王の娘であると知ったらどうなってしまうのだろう。















男は笑った。


「今の言葉、まことか?」

「ははっ。

 左様にございまするっ」


配下の男は伏して、地に額をこすりつけて叫ぶように言った。

男の持つ扇が音を立てて閉じた。

そして、満足そうにくつくつと笑った。


「そうか。

 あの人魚姫が、人間の王子との恋をあきらめたか」


さらりと男の美しい黒髪が揺れる。

夜の闇よりも深くて美しい。

その絹糸のようなつややかさは見る者の目を奪った。


「賢き選択だ。

 所詮、異形は異形。

 人間などとは結ばれぬ定めよ」


男がさがれ、と手を振ると、配下の男は慌てて立ち上がると、

急いで部屋を後にした。

男は手の中で扇を弄びながら考える。


「物語通りだな。

 筋書き通り過ぎて、つまらない」


やがて、男の口角が上がった。

笑ったのだ。

その目が細められる。

その色は、人外の色、血のような紅だった。


「やはり、異形は、異形といるのが一番良い。

 そうであろう?

 ……人魚の末裔、フレヤ姫よ」

Re: マーメイドウィッチ ( No.6 )
日時: 2016/08/06 00:56
名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)

*村を訪れた日から、チノの態度が少し変わった。

柔らかくなったというべきか。

穏やかな雰囲気をまとうようになった。

日々は穏やかに過ぎていった。

穏やかだから、フレヤはチノが剣を抜いたところを見たことがない。

チノが腰にさしている県は普通の騎士の剣のように長くない。

鋭い牙のような短剣だ。

たしか、フレヤ付きの護衛をするとなった時、騎士団の者たちと

ひと悶着あったようなのだが、フレヤの知らないところで

決闘と称して、チノの実力を測ったらしい。

しかし、その後から一切の文句が来ない。

おそらく、チノの実力は、騎士団の者たちと同等か、それ以上なのだろう。

さすがは、さすらいの一族の族長といったところか。

チノが剣を振るう日なんてずっと来なければいいと思う反面、

見てみたいような気もする。

きっとチノが剣を振るう姿は美しいだろう。

芸術的な美しさというよりも、野性的な意味での美しさだ。

見たこともないのに、きっと美しい、と言ってしまえる自分がいる。

それだけ、チノは均整の取れた引き締まった体つきをしており、

かつ、その動作の一つ一つは無駄がなくて、洗練されているわけでもないのに

どこか人を惹きつけた。


「着いたわ」


そうこうしているうちに村についた。

今日は違う村を訪れている。

この村は隣国との国境近くにある少し大きな村だ。

ここは、海からは離れているので、津波による被害は受けていない。

隣国との貿易によって栄えている村、のはずだった。

近頃では、ごろつきや盗賊などが増えてきているらしく、

治安も悪くなってきているらしい。

しかし、いくら治安が悪くとも、貧しき民もそこに住んでいる。

だからいくら治安が悪くても、行かないわけにはいかなかった。

わざわざ国境近くの遠い村を選んだのは、

妹の結婚式が明後日に迫っているからかもしれない。

現実から目を背けたくて、逃げてきたのだ。

民を救う、という大義名分を抱えて。

それを知ってか知らずしてか、チノはどこまでも静かに後ろをついてきてくれた。

治安が悪いとはいえ、この村も一応は栄えている。

それゆえ子供たちも学校に行くことができている。

だから、フレヤはこの村に来ると子供たちに勉強を教えたりはしない。

かわりに、訪れるのは、病人がいる貧しい家庭だ。

そこに、薬や、心を和ませるための小さな花束を持って行ったりする。

貧しいものには、医者にかかるどころか薬を買うのですらできない家も多い。

気休め程度にしかならないだろうが、簡単な風邪薬や痛み止めなどを置いていく。

何軒かの家を回り終わった後のことだった。

静かに後ろをついてきていたチノがふと足を止めた。

不思議に思って振り返ってみると、その表情はやや険しくなっていた。


「どうしたの?」

「……あとをつけられている気配がする」


油断なくあたりを見渡した後、チノはつかつかとこちらによって来た。


「次はそこの家だろう?

 先に入っていてくれ」

「一人は、危険だから、それは……」

「足手まといになるだけだ。

 一人のほうが気楽でいい」


そう言い残すと、足早にチノはその場を離れていった。

すぐにその姿は見えなくなってしまう。

追いかけるべきか迷ったのち、フレヤは追いかけることにした。

足手まといになるとはいえ、やはり心配だ。

そう思った瞬間、自分の考えに驚く。

一月にも満たない間でしか知り合っていなかったのに、

いつまにかその身を案じる程度には情がわいていたらしい。

気付けばフレヤは駆け出していた。

たしか、先ほどの路地を右に曲がっていたはずだ。

フレヤも同じように右に曲がった。

そこは細い路地だった。

薄暗くて少し気味が悪い。

前方に誰かいる。

チノに追いつこうと、走りかけてフレヤの足が止まった。

チノじゃない。

深くフードをかぶった男。その手には大きな袋が握られている。

頭の奥で警鐘が鳴った。

急いでもと来た道を行こうとしたら、人にぶつかりそうになった。

淡い期待をもって、その人の顔を見上げて、期待が失望に変わった。

見知らぬ髭面の男がにやりと笑う。

ずるりと手の中から籠が滑り落ちて、乾いた音を立てた。

フレヤは男のわきをかいくぐって逃げようとしたが、

髪の毛ごと思いっきり頭巾をつかまれて引き戻された。

ぶちぶちぶち、と髪の毛が何本も抜ける音がして、頭皮にちりちりとした痛みが走る。


「いっ……!」


痛みのあまり思わず足を止めると、乱暴に頭巾をはぎ取られ、

腕をねじりあげられた。

あまりの痛みに視界が涙でぼやける。

今まで、何度も盗賊などに襲われたりさらわれそうになったりしたが、

こんなに乱暴な扱いを受けたのは初めてだ。

視界の端に自分の青い髪が映ってはっとする。

これでは、王女だとばれてしまう。

案の定、男は目を丸くして、フレヤの髪を凝視していた。

続いてその顔いっぱいににやにやとした笑みを浮かべた。


「これは、驚いたなぁ。

 なんで王女殿下様がこんなところにいらっしゃるんでぇ?」


フレヤは唇を噛みしめた。

頭が真っ白になってしまって何も考えられない。

どうしたらいいのかすらわからない。

次の瞬間、思いっきり顔を殴られた。


「っぐ、ぅ……!!」

「てめえら王族様のせいでおれらみたいな庶民は、ろくに飯も食えてねえんだよ!!」


乱暴に地面に投げ出され、フレヤはなすすべもなく地面に倒れた。

口の中いっぱいに血の味が広がる。

涙が止まらない。

痛い。

痛くてたまらない。

殴られたことよりも、向けられた憎悪が何よりも痛い。

こんなにもはっきりとした憎悪を向けられたのも生まれて初めてのことだった。

地面に投げ出されたフレヤの手を、別の男が近づいてきて踏みつけた。


「ひぅ……!!」


骨がきしむのがわかる。

でも、フレヤはやめてと言えなかった。

民を苦しめているのは自分たち王族の存在だというのはよくわかっていたつもりだった。

でも違った。

少しもわかっていなかった。

わかっていたつもりになっていただけだった。

男たちの目は淀んでいた。

貧しさがこんなにも人を違う生き物に変えてしまうなんて知らなかった。

フレヤの顔が土と涙にまみれたひどい顔をしているのを見て、

男はあざわらった。

それはもう楽しそうに、憎しみを込めて。

恐ろしい。

ここには助けてくれる人などいない。

おなかをしたたかに蹴られて、フレヤは体を丸めた。

反射的に吐きそうになって、すんでのところでおさえて、せきこんだ。

息ができない。

でも、これは罰なのだ。

心から民を理解しようとしなかった自分への罰なのだ。

フレヤはなかばあきらめかけて、瞳を伏せた。

次の瞬間、声も上げずにひげ面の男が吹っ飛んだ。

文字通り、本当に吹っ飛んだのだ。

相方の男も何が起こったのかわからずうろたえている間に、同じように吹っ飛ばされた。


「おまえは、馬鹿なのか」


氷のごとく冷たい声が上から降ってきて、フレヤは涙にまみれた顔で弱弱しく上を見上げた。

見慣れた褐色の肌を持つ異国人の男。

チノだ。

きてくれたのか。

チノは、フレヤの顔を見てはっきりと顔を強張らせた。

一瞬でチノの姿がその場から消え、吹っ飛んだ男とたちのもとに移動していた。


ドスッ


鈍い音がした。

チノが男たちを本気の蹴りをみぞおちに見舞っていた。

問答無用の一切手加減なしの蹴りを無言で続けるチノにあわてて声をかける。


「ち、の……!

 や、めて……!」


喋ると切れた口の端がひどく傷んでフレヤは顔をゆがめた。

びくっとチノは動きを止めると、ぎこちない動きでこちらに近寄ってきた。

おそるおそるという感じでフレヤの切れた口の端に親指で触れようとしてくる。

鋭い痛みが走り、フレヤは呻いた。

すぐに指をひっこめると、チノは膝をついてフレヤを抱え上げようとした。

今度は腹部に鈍い痛みが走り、フレヤはまた呻いた。


「ごめ、なさ、おなか、けられ、て」

「……やっぱり殺す」


フレヤを降ろすと、すぐさま男たちのもとに行こうとするチノのマントの裾をあわててつかむ。

踏まれた手の甲が悲鳴を上げたが、そんなの気にしてはいられない。


「……今日は、帰り、ましょ、う……?」


チノはしばらく迷うようにその場に立ち尽くしていたが、

やがて静かにその場に膝をついた。

先ほどよりも、丁寧なしぐさで抱えあげられる。


「……あの家にいろといっただろう。

 おれを追ったのか

 なぜ、抵抗しなかった。

 護身用のナイフくらいは持っているだろう」

「ごめ、なさ、い……」


ばさりと頭巾を頭にかけられる。

フレヤはきゅっと頭巾をかぶりなおした。


「チノが、しんぱい、だった。

 馬鹿なのはわかっているの…

 ごめん、なさい」


チノはフレヤの顔を一瞥した後、人目を避けるようにして歩きだした。


「……一人にして、すまなかった」


そのかすれた小さな声には、深い悔恨の色が滲んでいて、

フレヤは何も言えなくなってしまった。

Re: マーメイドウィッチ ( No.7 )
日時: 2016/08/09 23:41
名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)

「失敗したと?」

「もっ申し訳ございませぬ!!」


男は、冷ややかに配下の男を玉座から見下ろした。

不機嫌な様子を隠そうともしない。

絶えず手の中の扇を弄び続けている。


「面白くないな。

 実に退屈だ」

「申し訳ありませぬ!!」


もはや、配下の男を見ようともしないで、

彼は視線を宙にさまよわせて考え込んでいる。

彼はちらりと傍に立っている


「これからの予定は何だったか」

「明日は、文書のほうにシウ様の判を押していただき、

 その後、何人か謁見を願い出ている者たちと面会の予定でございます。」


予定の羅列に、彼は表情を変えない。


「その後は?」

「明後日には、遠国の姫君の婚礼式への招待が届いておりましたが……

 いかがいたしましょうか?」


シウと呼ばれた男は、わずかにその単語に反応した。


「あの姫の妹のか」

「さようでございます」


初めてシウが表情を変えた。

唇に笑みが宿る。


「まことか」

「はい」

「哀れな姫よな」


何に対して哀れと言ったのかはシウにしかわからない。

それ以降、彼はひどく上機嫌で、政務をこなし続けた。














あっという間に、ヘレナとステファンの結婚式に参列するために旅立つ日になった。

ゴトゴトと馬車に揺られて田舎町の舗装の進んでいない道を行く。

ぼんやりと景色を眺めていると、

内陸に進むについて、少しずつ緑が豊かになり、

ぽつりぽつりと見える人々の姿に活気が増していくのがわかる。

フレヤたちの王国より、内陸にあるステファンの国は

津波による被害がなかったため、土砂災害程度で済んだ。

新王であるステファンによる復興への手腕は素晴らしいもので

瞬く間に、今まで以上に豊かな国になった。

それに比べると、どれだけ自分の国が遅れているのかがよくわかる。


「……民を」


同じ馬車に同乗しているチノが視線をこちらに向けた。

先ほど、人さらいに襲われそうになったことから、

特別に乳母と共に同乗を許されたのだ。


「……民を苦しませているのは、私という存在なのかしら」


答えはわかりきっているのに、明確な答えがほしかった。

こう言っている時点で、心が弱いということがよくわかる。


「何をおっしゃいますか!!

 姫様が悪いことなどなにもございざせん!!」


乳母が慌ててそう言ったが、チノは何も言わない。

不思議な目の色でこちらを横眼で眺めている。

沈黙が何よりの答えだった。

ふと気になった。

チノは、自分のことをどう思っているのだろう、と。

人さらいに襲われた時、一瞬で屈強な男たちを吹っ飛ばすほどの

力を持つ男だ。

どうして父王にとらわれるようなことになったのか。

考えれば考えるほどチノへの質問が湧き出るように出てくる。

しかし、今は隣に乳母がいる。

聞くのは二人きりの時にしようと心に決めたとき、

ついに、ステファンの城が遠くに見え始めた。
















城に着くと、城の執事に迎え入れられた。

客間に通された後、すぐにフレヤ専用の個室に移された。

その手際はきびきびとしていて見ていて気持ちの良いものだった。

ステファンはきっと式の準備で忙しいのだろう。

一度も姿を現さなかった。

見苦しくも自然と視線がステファンを探してしまう。

あまりに自分があさましくて、思わず笑ってしまいそうになる。

チノは家臣用の別の部屋を用意されたようだ。

城に入ってからは、姿を見せていない。

ヘレナも先にこの城に到着しているはずなのに、姿を現さない。

彼女も準備に忙しいのか。

はたまた、姉には顔を見せずらいのか。

ずきりと昨日蹴られた脇腹が傷んだ。

昨日の出来事を思い出す。

あの痛みと恐怖を一生忘れてはならない、そう思った。

少しずつではあるが、民の怒りと不満が大きくなっているのを

フレヤもあの一件で分かった。

なんとかしなくてはならない、そう思った時、

心の中でもう一人の自分がささやいた。

それはただの自己防衛だと。

民に嫌われて悪意を向けられるのが怖いだけだと。

これは自分の甘えなのだろうか。

第一王女である自分はそう簡単に行動は起こせない。

女であるから、余計に政治には口を出すことが許されていない。

女である自分の身が疎ましかった。

男に生まれていたら、きっともっと民のために動くことができただろうに。


コンコン


控えめなノックの音が響いた。

もの思いから我に返った。


「入っていいわ」


静かに扉が開いて、見知らぬ侍女たちが入ってくる。

きっとこの城につとめる侍女たちだろう。


「お召替えの時間でございます」

「ええ。

 ありがとう」


城から持ってきたのは、薄い紫を帯びた露出度の少ないドレスだ。

これなら傷も隠せるだろう。

ドレスを着せられ、髪を結いあげられ、化粧を施され、

少しずつきらびやかになっていく自分をぼんやりと見つめる中

結婚式に向かう時間がこくこくと近づいて来るのだった。

Re: マーメイドウィッチ ( No.8 )
日時: 2016/08/30 21:56
名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)

*リンゴーンと荘厳な鐘の音が響き渡る中、

うららかな午後の光に照らされながら、結婚式は執り行われた。

花嫁はまぶしいくらいに美しかった。

青みがかかった美しい金髪を花嫁のヴェールに包んで、

それはもう、息をのむほどに妹は美しかった。

そこに立っているのは本来自分だったはずなのに、

言葉を失ってしまうほどに彼女は美しかった。

その隣に立つステファンも、絵画のごとく美しく、

フレヤはひどく惨めな思いでその場に立ち続けなければならなかった。

なすすべもなく、神の前で永遠の愛を誓う二人を

見続けなければならなかった。

もはや、涙すら出なかった。

悲しむという感情を、どこかに落としてきてしまったに違いない。























壮大な結婚式が行われた後は、夜に舞踏会が行われる。

おそろしく重い体を引きずるようにして、

フレヤは舞踏会に出なければ、ならなかった。

無言で壁の花となっていると、気を利かせた優し気な青年達が

次々とダンスに誘ってくれたが、フレヤはそれをすべて丁重に断った。

踊るだなんてとてもじゃないがそんな気分になれない。

そうすると、ひそひそと貴婦人たちが話し出す。

おそらく自分のことを話しているのだろう、とフレヤは他人事のように思った。

もはや、すべてがどうでもよくなってきたとき、突然曲調が変わった。

優雅なワルツが流れ出す。

さっと人波がわきによって行ったかと思うと、

二人の人物が中央へと現れた。

ヘレナとステファンだ。

唇がわななき震えるのを止められない。

二人は優雅に一礼して、ゆったりと踊り始めた。

初めての舞踏会でステファンと踊ったことがいやでも思い出されて

フレヤは動けなくなる。

あの時、たしかに恋に落ちた。

どうしようもないほど彼は素敵だったのだ。

だというのに今はどうだろう。

彼は妹のものとなり、あの時と思い出は甘くて儚い幻へと変わってしまった。

二人が躍る。

優雅に回る。

誰よりも美しい、誰よりも魅力的な二人。

己が敗者なのだといやでも現実を突きつけられる。

ふらりと上半身が揺らいだとき、思いっきり右手首をつかまれ、

カーテンの裏に引きずり込まれた。

そこには黒衣のチノがいて思わず驚きの声をあげてしまいそうになる。


「チ……」

「見なくていい……!!」


激しい何かを秘めた声で囁かれる。

フレヤは戸惑いを隠せずにチノの緑の瞳を見つめ返した。


「お前はもう十分耐えただろう。

 なぜ、いまだに耐え続けようとする」


カーテンの外では優雅なワルツと感嘆の声が絶えず聞こえてくる。

きっとため息が出るほど美しい二人のワルツが披露されているのだろう。


「離して、チノ。

 私は姉として見届ける義務があるわ」

「おれはおまえの護衛を言いつかった身だ。

 お前の身も心も、どちらもおれが守らねばならない」


言葉とは裏腹に、握る手は徐々に力が緩められる。

やがて、ぽつりと言葉が漏れた。


「おまえを、守らせてくれないか。

 せめて、この一曲が終わる間まで」


かすれたささやきだった。

元の場所に戻らなけらばならない。

わかっている。

わかっているはずなのに、フレヤは戻れなくなった。

幸せな二人を見なくて済む甘い誘いに惹かれてしまった。

結局、フレヤはその場から一歩も動くことはできなくなってしまっていたのだった。

何故かはわからないが、不思議とチノの濡れたように光る唇だとか、

男らしいのどぼとけだとかそういうところに目が行ってしまう。

自分がたまらなくはしたない女になってしまったように思えて

フレヤは顔を赤くした。

違う。

これは、舞踏会の空気にあてられてしまっただけで

ただの気の迷いだ。

別に何もおかしくなどなっていない。

一際音楽が優雅に響き渡る。

ワルツが終わりに近づいているのだ。

チノがこちらを見ている。

不思議なほど深い緑の瞳はフレヤのことしか映していない。

なんだろうこの胸に生まれた気持ちは。

動機がやけに早い。

先ほど飲んだ飲み物はお酒だっただろうか。


「……ヤ」


音楽が響き渡っていて、チノの声がよく聞こえない。

顔をチノのほうに近づける。

ふわりと何かが香った。

チノの匂いだと気付いた瞬間、かっと顔が熱くなった。


「――――――フレヤ」


こんなところで名前など呼ばれでもしたら、

平静さを保っていられなくなる。

言葉がでない。

初めて名前を呼ばれた。

ただそれだけのことなのに、どうしてこんなにも自分は混乱しているのだろう。

美しい余韻を残して音楽が消えた。

はっとフレヤは我に返った。

ふりほどくようにしてチノの手から自分の手を取り戻す。

思っていたよりもするりと手は抜けた。

何故かチノを直視することができない。

フレヤは、できるだけ急いでその場を後にした。

広間の中央では、

ステファンとヘレナが躍り終わってお辞儀をしているところだった。

それを視界の端に入れながらも、フレヤは早足で部屋の隅を横切っていく。

バルコニーへの窓が開いているのが見えた。

フレヤは何も考えず、肌寒い風の吹く、

バルコニーへと向かっていった。

Re: マーメイドウィッチ ( No.9 )
日時: 2016/08/31 12:46
名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)

しかし、バルコニーには先客がいた。

背格好から男性のようだ。

月を背にして立っているため、その姿はよく見えない。

長い黒髪のせいで一瞬女性かと思ったが、

体格やその背の高さから男性だとわかった。

ふと気づいた。

その男性が身に付けているのは、この国のタキシードなどのような服ではない。

異国の民族衣装だということに気付く。

ドレスのように裾が長く、袖も長い。

男性がこちらの気配に気づいてゆったりと振り返った。

フレヤは男性の目を見て息をのんだ。


「ほう、やっといらしたのか」


闇の中で真っ赤に光る目だった。

フレヤと同じ赤い目。

フレヤは混乱して、口を意味もなく開閉したが声は出なかった。

異民族の衣を着ているのに、フレヤたちの言語を滑らかに話している。


「お初にお目にかかる。

 我は、ミン国の皇子、シウだ」


聞き覚えのある名前だ。

たしか、遠い遠い東の異国の地にある巨大な国の名前。

その皇子がはるばる西の国まで来たというのか。

何かひっかるが、フレヤはあくまで表情を崩さないようにした。

静かに顔に上がっていた熱が引いていく。


「私は、コペンハヴン国の第一王女、フレヤにございます」


形式的にドレスの裾をつまんで軽いおじぎをする。

顔を上げると、シウと名乗る男性は、こちらを見つめていた。

フレヤと全く同じ色の瞳。

まさか。

いやそんなはずは。

そんな気持ちが入り乱れ、何も言えなくなる。


「お察しのとおり」


まるでフレヤの心を読んだかのようにシウが言葉を発した。

身体が一瞬固まる。


「我は、貴女と同じ異形の血を宿すものだ」


ああまさか。

心の中で懸念していたことが、実際に口に出されて確信する。

一目見た時からどこか目が離せないこの独特の魅力。

やはりそうなのだ。


「やはり……貴方も」


フレヤは少し顎をひくようにして、シウを見つめた。

真っ赤な瞳。

フレヤの紅い瞳は水の中で美しく輝くが、

彼の瞳は闇の中で妖しく輝いている。

ひどく美しくて見入ってしまう。

魔性、というものだろう。


「失礼ですが、貴方がどの一族の末裔かお聞きしても……?」

「人の生き血をすすって生きる闇の一族の血を引いている」


聞いたことがある。

闇の一族、ヴァンピールだったか。

闇に溶けるような気品のある姿も、夜に映えるその血のような赤い瞳も納得がいく。

遠い東の地にはまだその血を引くものがいたのかと少し驚きを覚える。

西には人魚と交わった一族は、フレヤたちしかいないので、

こうして異形の血を引くものと会うのは家族以外では初めてとなる。

不思議な心地でフレヤはシウを見つめた。

最初に抱いていた強い警戒心は徐々に薄れていく。

悪い人間ではないのかもしれない。


「妹の結婚式に遠き東の大国からいらしてくださって

 光栄の極みでございます」

「いや、貴女の心の痛みに比べたら我の苦労など、とるに足らないものだ」


フレヤの顔が一瞬で凍った。

前言撤回だ。

この男、最悪だ。

フレヤの元婚約者と妹の結婚式であるとわかっていて

わざとこのような物言いをしているのだ。

薄れかけていた警戒心が一瞬で元に戻った。

一方のシウは愉快そうにフレヤを眺めている。

自分の言葉の一つ一つにフレヤが翻弄されているのを見るのが

とても楽しいようだ。

ふと気づいた。

シウほど遠国からきている客はいない。

なぜ彼は、遠い西の国までただの結婚式に参列しに来たのだろうか。

「しかしながら、これほどまでに遠くまでいらしてくださるなんて

 ……何が目的ですか」


フレヤはそれまでの丁寧さを捨てた。

この食えない男から情報を引き出すには、

なりふりかまってなどいられない。


「目的、とは」

「結婚式に招いたとはいえ、あれは形式上のもの。

 ただの社交辞令だと貴方もお分りでしょう。

 ただの結婚式に参列するには、この国はあなたの国から遠すぎる」

「――――――聡い女は嫌いではない」


がらりと音を立ててシウの仮面が取れた気がした。

冴え冴えとした光を放つその瞳に射すくめられる。


「目的なら我の目の前に」


シウがこちらに一歩近づいてきた。

気おされぬように、フレヤは足に力を入れた。

気おされたら負けだと必死に自分に言い聞かせて、

フレヤはぐっと睨むようにして正面からシウを見つめた。

もし、悪意を持ってこの国に来たのなら

ただではおかないつもりだ。


「我は汝を一目見に来たのだ、人魚の末裔、フレヤ王女」

「……!?」


驚きが表情に現れないようにして、フレヤは必死に平静を取り繕った。

どういうことだろう。

会いに来た?

何がどういうことなのだろうか。


「私に会ってどうなさるおつもりで」

「確認をしに来たまでだ。

 どのような者なのかを」


シウがまた一歩近づいてきた。

次の瞬間、腰に手が回ってぐいっとシウに引き寄せられた。

彼の思いもよらぬ行動に、フレヤはよろけて、

自ら彼の腕の中に飛び込む形となった。

炊きしめた香が鼻をかすめる。

背後で高らかにワルツが奏でられているのが遠くで聞こえた。


「離して」


平静をよそって距離をとろうとするが、

シウの腕はびくともしなかった。

自分のものではない体温に体がこわばる。

さらりと彼の長い黒髪が、露わになっている首筋をかすめた。

耳がかっと熱くなる。

自分が自分でなくなるような感覚。


「我は、汝に興味があってここまで来た」


なるべく表情を変えないようにして、

至近距離からシウの目を見る。

宝石のような瞳は、ぞっとするほど美しかった。


「我は、異形の血を持つ者を探し求めている。

 ゆえに汝がどのような者であるか、興味があったのだ」


シウの指が、すっとこちらに伸びてくる。

その指が頬に触れそうになった時、

腹部に力強い腕が回って、景色が流れた。

髪がなびいて、ふわりと宙を舞う。

癖のある濃い青の髪。

視界の端に黒衣が見えた。


「逢瀬の邪魔をするとはずいぶんと無粋な輩だな」

「主によからぬことをしようとする者から遠ざけただけだ」


チノだ。

さきほどまで彼の存在に心乱されていたはずなのに

今は驚くほど安堵していた。


「なるほど。

 人魚の姫には番犬がついているということか」


シウがこちらに向かって歩いてくる。

チノが全身に緊張を走らせているのが密着した身体から伝わってくる。

しかし予想とは裏腹に、シウは、横を通り過ぎていく。


「また会おうぞ、人魚の姫よ。

 我はますます汝に興味がわいてきた」


ふわりとその場に残り香が漂う。

シウは、華やかな広間に紛れていってしまった。

黒髪が完全に見えなくなってしまってから、

ようやくチノが緊張を解いた。


「あの男」

「なに?」

「知り合いなのか」


振り返るようにしてチノの顔を見ようとすると、

驚くほど近くに緑の瞳があってわずかに動揺する。

その緑の瞳には一瞬驚きの色がにじんだが、

瞬きの間に消えてしまった。


「遠き東の大国、ミン国の皇子らしいわ。

 お目にかかったのは初めて」


あれほど腹の立つ、食えない男性は初めてだ。

するりと腰に回った腕が解ける。

残ったぬくもりが妙に寂しさを感じさせた。


「戻りましょう、中に」


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