コメディ・ライト小説(新)
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- マーメイドウィッチ
- 日時: 2016/07/30 19:31
- 名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)
世界が止まった。
手が震える。
数拍のちに気付く。
私は大切な人に裏切られたのだと。
- Re: マーメイドウィッチ ( No.40 )
- 日時: 2017/03/22 21:23
- 名前: いろはうた (ID: VujPqVFA)
シニガミ支局 営業第3課様!!
初めましてですね!
目をとおしていただきありがとうございます。
おほめの言葉嬉しいです。
よければまた遊びに来てくださいねー(^^)
コメントありがとうございます!!
- Re: マーメイドウィッチ ( No.41 )
- 日時: 2017/03/23 09:40
- 名前: いろはうた (ID: VujPqVFA)
しばらくして、なんとかフレヤは木の実の殻剥きを終えていた。
既に周囲に娘たちの姿はない。
自分の仕事が終わるなり、さっさとどこかへ行ってしまったのだ。
「あれ、終わったの?」
「っ!!」
突然背後から声をかけられて、フレヤはびくりと体を震わせた。
カルトだった。
まるで気配を感じなかったし、足音も聞こえなかった。
「……カルト」
「そう睨まないでよ」
わざとだ。
絶対この男、フレヤが慌てふためくのを見たいがために
気配を殺したのだ。
腹が立つ。
むしゃくしゃする。
それが顔に出てしまったらしい。
だが、今、話したいのはそれではない。
「カルト。
時間だわ」
カルトは黙っている。
片眉を上げて、フレヤの言葉を待っている。
「チノの目が覚めた。
……私はここを出ていく」
フレヤの平坦な声に、カルトもまた、ふーん、と平坦な相槌をうった。
もともと引き留められるとは思っていないから予想通りの反応だ。
「行く当てはあるの?」
「……別に、ないわ」
嘘をつく必要はないので、正直に答えた。
とたんに鼻で笑われた。
「ほんとに王女サマだな。
素人が森を歩くんだろ。
二、三日であんたすぐ死ぬよ?」
「死なない。
私は生きたいから」
嘲るような笑みにも屈しなかった。
強い光を瞳に宿して、フレヤはカルトを見つめた。
「誰も私が生きることなど望まないかもしれない。
それでも、私自身が、生きたい。
それに……もう誰も巻き込みたくない」
チノが何度もフレヤを守るために傷つく姿や
やつれ果てた父王の姿が脳裏に浮かんだ。
ぎゅっとこぶしを握り締める。
最後の言葉は弱弱しかったがまぎれもなく本心だった。
「じゃ、おれもついてくわ」
「そう……えっ?」
あまりにも軽い言葉なので、フレヤは危うく聞き逃しかけた。
聞き間違えたかと思い、カルトの顔を見つめたが、
その顔には面白がっているような雰囲気が漂っている。
しかし、冗談ではないようだ。
「なに、言っているの?」
「あんた、面白いし、ついて行ってやろうかなぁって」
唇の端を持ち上げて笑うカルトの言っていることが
とっさには理解できなくて混乱する。
しかし、次の瞬間、メノウの顔とステファンの顔が脳裏をよぎった。
背筋が冷たくなる。
「だめよ。
ついてこないで」
思ったより冷たい声が出て自分でも驚いてしまう。
思わずカルトの表情を伺ってしまうが、
彼はまるで気にしたそぶりを見せなかった。
むしろ、ますます面白がっているようだ。
「そんなに拒否されると、余計についていきたくなるよなぁ。
で、出発はいつ?
夜はやめておいたほうがいいから明日の朝?」
にやりと笑われ、フレヤは口角をひきつらせた。
その夜は、一族のみんなでたき火を囲み、
集まって晩御飯を食べることとなった。
フレヤも末席での参加を許され、
端のほうで体を縮ませ、膝を抱えて座っていた。
突然、ぬっとスープの入ったお椀を突き出され、驚いて顔を上げる。
まだ十歳にも満たないようなアルハフ族の男の子が、
緊張した顔つきでお椀を突き出していたのだ。
幼さの残る顔立ちなのに、ちょっとおしゃれをしたい年頃なのか
耳に羽の耳飾りを付けているのがなんだか可愛らしくさえ思えた。
「これ、私に……?」
「……ん。
あ、熱いから……気を付けて」
たどたどしい気づかいの言葉に、心が温かくなる。
自然とほほが緩んだ。
「ありがとう」
男の子は驚いたように目を見開いた後、
ぱっと顔をそむけた。
顔が真っ赤になっている。
なんとも可愛らしい。
「お、おねえさんは、おさのつがい、なの……?」
「つがい……?」
ここにきてから何度か聞いた言葉だが
あまりにも予想外の言葉だったので聞き返してしまう。
つがい。
つがい。
この言葉の意味は。
「あ、うん。
おさのおよめさん?」
口に含んだスープを吹き出しそうになった。
手を滑らせてしまいそうになり、慌てて
お椀を持つ手に力を込めた。
男の子はフレヤの様子には気づかず、
真っ赤な顔でちらちらとこちらを伺ってくる。
「ち、ちちち違うわ」
「っ!!
そ、それなら、もう少ししたら、
僕のつがい、お嫁さんにしてあげてもいいよ」
ませた口調で照れながらモジモジと言われ、
フレヤは真っ赤な顔でふふっと笑い声を漏らしてしまった。
しかし、穏やかな時間は長くは続かなかった。
「ミクリ!!」
鋭く凛とした声に男の子が反応した。
彼の名はミクリのようだ。
声のしたほうを見ると、
顔を険しくしたルザがつかつかとこちらに来るところだった。
よく見れば、どことなく二人は似た顔立ちをしている。
姉弟なのだろう。
「はやくスープを取りに来なさい!!」
「あっおねえちゃん!!
僕まだ……!!」
「いいからはやく!!」
ミクリは姉に腕をとられると、なかば引きずられるように
連れていかれてしまった。
去り際にひと際きつくフレヤを睨むと、
ルザはミクリを連れて人の輪の中へと戻っていってしまった。
遠くから民族音楽が聞こえる。
人々の笑い声がさざ波のように広がっている。
スープはぬるくなってしまった。
「おーおー相変わらず無表情だねー王女サマ」
いつも通りのカルトの声が聞こえて、
なんだか無性にイライラしてしまう。
フレヤは意固地な気分になって、地面から視線を外さず
カルトのほうを見なかった。
そんなフレヤにもかまうことなくカルトは喋り続ける。
「ルザのやつ、いつも言い方きついし、気の強いやつだけど
普段はあそこまでつんけんしてないんだ」
なだめるような言い方がささくれだった心を逆なでした。
ぎゅうっとお椀を握る力を強くする。
怒るな。
心を荒げるな。
自分に何度もそう言い聞かせる。
「で、どう?
アルハフ族の暮らしは?」
唐突な質問にフレヤは眉を寄せる。
いつもと違って、カルトの声は平たかった。
軽くも重くもない。
ただの問いかけ。
フレヤは眉を寄せてしばらく考えた後、ポツリとつぶやいた。
「……これが、家族なのだと、そう思ったわ」
静かな言葉にカルトはしばらく黙っていた。
夜風が髪を揺らす。
この森の闇はインクを塗りたくったかのように深い。
だからあの焚火のような明るいぬくもりを少しうらやましく感じるのだろう。
フレヤはゆっくり立ち上がった。
「……後片付けを手伝いたいのだけど」
「あーもうおれらでやっておくからいいよ」
やんわりと突き放された気がした。
食い下がろうかと思ったが、カルトのことだ。
うやむやにして結局は何もさせてくれないだろう。
役立たずな上に足手まといだと思われたに違いない。
自嘲的な笑みを浮かべると、フレヤはうなずいて手のお椀を彼に渡し、
自分の小さなテントへと戻っていった。
足が鉛でも詰め込んだかのように重い。
両足を引きずるようにして一歩一歩踏みしめて進む。
心がじくじくと小さく痛み続けていた。
- Re: マーメイドウィッチ ( No.42 )
- 日時: 2017/03/24 10:50
- 名前: いろはうた (ID: VujPqVFA)
結局、なんだか目がさえてしまって
なかなか寝付くことができなかった。
闇の中、目を瞬かせる。
眠ることをあきらめて、体を起こす。
少し夜風に当たれば眠くなるかもしれない。
そう思い、一枚だけもらっていた毛布を体に巻き付け
テントから出て歩き出す。
さすがに夜は更けているから、人の気配はほとんどなかった。
焚火は消され、月光のもと見える人影はおそらく見張りの男性たちだろう。
彼らは気配に鋭いから、すぐにこちらに気付いてしまうに違いない。
ふと闇の中動く小さな人影を見つけて、目を細めた。
フレヤは、静かに後を追うように歩き出した。
その人影は、村の裏口から出て、森に向かって歩き出す。
夜目のきかないフレヤは、
何度か木の根に引っかかって躓きそうになったり
木の枝を思いっきり踏みつけて音を出してしまったりしたが
小さな人影は気づく様子もなくどんどん進んでいく。
チノの言動からして、アルハフ族はルーガルーの末裔。
あの人影は、夜目もきくのだろう。
内心びくつきながらも、その小さな姿を見失わないようにする。
「……っ!!」
月光に照らされた横顔は、ミクリだった。
どうして深夜に、森の中にいるのか理由がとっさには思いつかなかった。
しかし、理由はすぐにわかった。
森が一気に開けた。
一面に広がる真っ白な花畑。
月光の光が雪となって降り積もったかのような幻想的な光景だった。
フレヤは息をのんだ。
こんなに美しい光景は見たことがなかった。
ミクリはためらいなく花畑の中に入っていき、身をかがめた。
花を摘んでいるようだった。
ルザのためだろうか。
心がふわりと温かくなる。
優しい子なのだろう。
フレヤは踵を返して元の道をたどって帰るために、花畑に背を向けた。
しかし、その足はすぐに止まることになった。
叫び声が背後から聞こえたのだ。
ミクリの声だった。
急いで背後を振り返る。
ミクリは花畑の中に立っていた。
しかし、その顔は歪んでいた。
手を誰かにつかまれている。
大きな人影が二人。
はっと目を見開く。
王宮近衛兵の制服。
月光に照らされた横顔には見覚えがある。
追ってきたのか、としびれた心がぎこちなく呟いた。
見れば、彼らはミクリの手を掴んで、
激しい調子で何かを問いただしているようだった。
対するミクリは、激しく抵抗し暴れている。
いくらアルハフ族の者でも、人間の大人には勝てない。
ミクリが暴れて抵抗することに、兵はいらだったように手を振り上げた。
フレヤは駆けだした。
「やめなさい!!」
よく通る声が花畑に響き渡った。
命令することに慣れたその声に、兵の二人はびくりと動きを止めた。
ぎこちない動きで二人がこちらを見る。
驚きがその顔に広がっていくのを、フレヤは悲しい思いで見ていた。
「フレヤ王女殿下」
すぐに二人は顔を伏せ、体を折り曲げて一礼した。
久しぶりに見る近衛兵の制服になつかしさすら覚えた。
だが、今は感傷に浸っている場合ではない。
「彼から手を放しなさい」
氷のように冷たく言い放つと、わずかにためらった後
兵はミクリから手を放した。
視線でミクリに逃げるように促す。
自分の予想が間違っていなければ、兵の目的は元王女たる自分だ。
なにも関係のない人間を巻き込むのだけは避けたい。
ミクリはいやいやをするように首を振ったが
フレヤはなおも強く促すと、泣き出しそうな表情で
森のほうに駆けだしていった。
「恐れ多くも、王女殿下。
なにゆえ、このような場所に……」
顔を上げるように促すと、視線は伏せたままで彼らは顔を上げた。
硬くこわばった表情だった。
フレヤは、表情を変えないように努めた。
「私を探しに来たの?」
「は、はっ。
ステファン殿下のご命令でして……」
スッと背筋が冷たくなるのが分かった。
ああやはり、と、心のどこかで冷静な自分が言っていた。
頭の芯がキンと冷える。
ステファンは気づいている。
フレヤが死んでいないことに。
やはり、不安分子はひとつ残らず潰す気だ。
しかし、同時に違和感も感じた。
王宮の統治者は、革命軍の長たるメノウの手に渡ったのではなかったのか。
なぜ、ステファンが……?
「王女殿下」
兵の声で現実に引き戻される。
瞳からは感情の色も一切消した。
彼らは、もうあの時自分たち王族を守ってくれた存在ではない。
敵だ。
隙を見て歌わなければ。
しかし、ここで心に迷いが生じた。
ステファンがこうして追っ手をかけているということは、
フレヤは生きているだろう、という予測を持っているからに過ぎない。
ならば、このまま死んでしまったことにするのが得策だ。
しかし、ステファンの傍にはメノウがいる。
同族は術の痕跡を見て取れる。
ステファンはただの人間だから気づかないだろうが、
メノウなら、歌の力を使って記憶を改ざんされた兵に気付いてしまうだろう。
「イルグ王をご乱心なさり、
自らの手で殺めた、とのお話は本当なのですか……?」
驚いて素の表情で兵の顔を真正面から見てしまう。
人のよさそうな顔には苦し気なものが浮かんでいた。
信じられない、信じたくないという顔だった。
メノウがそのような噂を流したのだろうか。
だが、たしかに、メノウに言われたとはいえ、
父をあそこまで追い詰めたのは……
「……ええ、そうよ」
胸に小石をいっぱい詰め込んだようだ。
すうっと兵たちから表情がなくなった。
「フレヤ様。
王宮までともに来ていただきます」
はっとした。
もう王女として彼らはフレヤを扱わない。
彼らにとってただの罪人なのだ。
なぜか、動けなくなってしまって、
彼らが自分に向かって手を伸ばしてくるのを凍り付いたように見ていた。
「あ、どーも」
場違いなまでに軽い声が聞こえて、フレヤは目を見開いた。
はっとして振り向くより早く、兵士の腕をつかむ手があった。
じゃらっとしたバングルやブレスレットが月光を反射して光る。
「カルト……?」
「なんだ、貴様は……!!」
兵士が顔を真っ赤にして腕を振りほどこうとするが
まるでびくともしなかった。
一歩のカルトは暗くてよく見えないが、涼しい表情を浮かべているようだ。
その様子を見て、さっともうひとりの兵士が腰の剣に手をかけた。
「この見た目……おまえ、アルハフ族か!?」
「それがなに?」
「けだものの蛮族が触れるな!!」
はっきりとした拒絶の言葉にフレヤはびくりと震えた。
知らなかった。
自分は本当にあまりにも無知だった。
アルハフ族が自国の民として認めていなかったイルグ王の考えが
ここまで下の者にも浸透しているとは。
じわじわとマグマのような熱い感情がわいてくる。
「フレヤ様、まさかこの蛮族の者のもとに……」
「……口を慎みなさい。
私の恩人です」
低く押し殺した声が出た。
怒りが混じった声に、びり、と空気が震える。
兵士がわずかにたじろぐ。
その一瞬のスキを見逃さず、カルトは兵士たちの首に手刀を叩き込んだ。
地面に崩れ落ちる兵士たちをカルトがどんな顔で見ているのかは、
暗くてよく見えない。
そのカルトがくるりと振り返った。
「あんた、馬鹿なの?」
「は、はい?」
「なんで抵抗しなかった。
おれがいなかったら連れていかれていたと思うんだけど」
突然の言葉に、目を瞬かせる。
じわじわと言葉の意味が頭に浸透していった。
「ミクリを逃がすので、精いっぱいだったのよ」
「知ってる。
見てたから」
「はぁ!?」
口から素っ頓狂な声がでた。
頭がじわじわと状況を理解していく。
つまり、フレヤの監視役でもあるカルトは、
深夜に出歩くフレヤのあとをつけていたのだ。
ギリギリまで出てこなかったのは、状況を見ていたのもあるだろう。
しかし。
「……私を、試したのね」
「怒るなよ」
「……別に怒ってないわ」
「怒ってるじゃん」
否定しないということは、つまりそういうことだ。
そういうカルトもこれっぽちも悪気のない顔である。
そんな様子にもいらついてしまう。
「礼を言うよ、フレヤ」
「え?」
ふいに落ちた真剣な声に、真正面からカルトを見る。
初めて名を呼ばれたことにも驚く。
いつもの軽薄そうな表情はない。
月光をはじく緑の目が今は金色に見えた。
「あんたは、おれらの一族のやつを助けた」
「ミクリのこと?
あたりまえでしょう」
この兵たちは、フレヤを探していた。
ミクリを逃がし、自分が盾となるのは当然のことである。
不思議そうな表情の彼女にカルトは笑った。
「おれらは、ルーガルーの末裔、さすらいの民アルハフ族だ。
おれらを蔑み、蛮族だと揶揄し、あまつさえ皆殺しにしようとした
イルグ王が何より憎い。
そして、その娘であるあんたに何も思わないほどお人よしでもない」
重い言葉だった。
改めて告げられた本心に、ぎゅっとこぶしをにぎる。
フレヤは退かなかった。
まっすぐに事実を受け止める。
「だが、あんたは、おれらの一族の者を救った。
見捨てようと思えば見捨てられる状況だった。
でもあんたは、ミクリ身を挺してかばった」
カルトが笑った。
唇の端を曲げた仕方なさそうな力のない笑み。
いつもの軽薄そうな笑みではない。
複雑な感情が瞳の奥で渦巻いているのが分かった。
「おれは、あんたを認め、受け入れるよ、フレヤ」
ふはっと空気が抜けたようにカルトが笑った。
ぱちぱちと目を瞬かせる。
いまだに状況をよく呑み込めていないフレヤを見て、カルトはまた笑った。
「たとえ、憎い奴の娘でも、恩人に報いないやつは
ただの畜生以下だからな」
- Re: マーメイドウィッチ ( No.43 )
- 日時: 2017/03/28 14:13
- 名前: いろはうた (ID: VujPqVFA)
それで、というとカルトはちらりと足元に視線をやった。
つられてフレヤもそちらを見る。
そこにはうめき声も上げずに崩れ落ちた兵士二人の姿があった。
「こいつら殺す?」
「なっ、何を言っているの!?
そんなことするわけないでしょう!?」
思わず声を荒げてしまった。
しかし、カルトはいつまでたっても
いつもの軽薄そうな笑みを浮かべなかった。
むしろ、無表情に近かった。
「おれらの居場所を知られた。
生かして帰したら、おれらが死ぬかもしれない。
それに、あんたにとってもいいことはない。
王宮を追われてるんじゃないの?」
淡々とした口調だった。
唇をかみしめる。
確かに、彼らをそのまま帰すのは、得策ではない。
ステファンに居場所を知られる上に、
アルハフ族まで巻き込むことになる。
かといって、彼らを殺すことなどできない。
数日前までは、彼らは自分たち王族を命をかけて守ってくれる
兵士だったのだ。
殺すことなどできない。
それをするには、あまりにも情がありすぎた。
「連れて帰るわ」
「ふうん?」
とっさにそう言うと、カルトは片眉を上げた。
しかしそれ以上反論の言葉はない。
もっと猛烈に批判されるのを覚悟していたので拍子抜けしてしまう。
「変なことされたら、すぐ殺すけど」
「かまわない。
私自ら、見張る。
そして、説得してみせる」
「甘いねえ、王女サマ」
「甘くて結構よ」
やはり、カルトは必要以上のことは言ってこない。
はっとする。
信用、されているのだ。
出会ってわずか数日。
元王女。
しかも王宮を追われて、チノが傷ついた根本的な原因となった。
得体のしれない娘を信用する。
それにどれだけ心を傾け、預けなければならないだろうか。
「そういえば、助けてもらったお礼を言っていなかったわ。
ありがとうカルト」
「いや、別に礼はいらないんだけど
それよりどうやってこいつら連れ帰る気?」
フレヤは黙ってじっとカルトを見た。
彼は大きくため息をついた。
息が夜の闇に溶けていく。
月光に照らされる花が揺れた。
往復を繰り返し、二人目の気絶した近衛兵を村に連れて帰ると、
そこには、ルザが硬い表情で待っているのが見えた。
彼女も気配に鋭いらしく、すぐにこちらの存在に即座に気付いた。
彼女の背後には、真っ青な顔をしたミクリが立っていた。
おそらく、ルザにこってりと叱られた後なのだろう。
何といえばいいのかわからず、フレヤはルザの前に来ても黙っていた。
「礼を、言うわ」
渋々、嫌々、という空気でおずおずとルザが言った。
視線はこちらをとらえない。
ミクリのことを言っているのだと遅れて気づく。
少し気位の高い娘なのだろう。
それでもきちんと礼を言うくらいには折れてくれているということか。
「礼を言われることをしていないわ。
こちらこそ、巻き込んでしまってごめんなさい」
静かにそういうと、ルザは面食らったような表情を見せた。
すぐに彼女は無防備な表情を迂闊に見せてしまったことを恥じるように
ぱっと横を向いた。
獣っぽい仕草がどことなくチノを彷彿とさせる。
彼らがチノの一族であり、家族なのだと強く感じた。
いや、彼女はチノの妻となる娘だ。
婚約者として長くチノに連れ添った分、
より仕草が似るようになったのかもしれない。
ギッと胸が軋むような感覚にわずかに眉をひそめた。
心に砂を擦り付けたような痛みだった。
「でも、こいつらをなんで連れて帰ったの。
ミクリに手を出そうとした野郎だよ……!!」
夜なので一応声は抑えてはいるが、
ルザの声は抑えても上ずってしまうほどの激情を帯びていた。
それはそうだろう。
大切な家族に危害を加えられそうになった相手を、
穏やかな感情で見ることなどできない。
ふと、妹姫のヘレナのことを思い出した。
あのこは無事なのだろうか。
ステファンの妻、という役職を与えたからには
フレヤの妹だからと言ってそう簡単に殺しはしないだろう。
だが、ステファンとメノウの目的がはっきりとは読めない状態では
ヘレナの安全も保障されていない。
「あー、おれが許してやったから、大目に見てやって」
「はぁ!?」
「……そうね。
あなたからしたら、訳が分からないし、
彼らを傍に置くことも許しがたいと思う。
でも、彼らは私をもともとは守ってくれた存在。
殺すことはできない」
自分でも甘いことを言っている自覚はある。
みるみるうちに険しくなるルザの表情を見ても、
自分の意見は変わらなかった。
「あんた……何様のつもり?
あんたのわがままで皆を危険にさらすの?」
ルザの声は怒りのあまり、震え低くなっていた。
「私が……説得してみせる」
「説得?」
聞きなれない単語を来たかのようにルザが顔をしかめた。
この場にはあまりにも似つかわしくない単語だった。
だが、ここは退けない。
「彼らは先王の思想をそのまま受け継いでいる。
……無知なだけなの」
親の言うことをを丸呑みにする幼子と同じだ。
兵士たちが呻いた。
そろそろ目覚めるかもしれない。
「一日、いや、二日猶予をください。
それでも説得し切れなかったら、私自身が手を下す」
ルザは黙った。
眉間にしわが寄っている。
その胸のうちの葛藤が目に見えるようだった。
「フレヤは今や、ミクリを助けたやつだ。
少しくらい滞在を延長しても許されるだろう」
そういわれて初めて、今日の朝に出立する予定だったことを思い出した。
なんて図々しい。
頬がカッと熱くなる。
しかし、ルザは何も言い返さなかった。
「いくよ、ミクリ」
それだけ言うと、ルザはスタスタとその場を去っていく。
ミクリが慌ててその背中を追いかけていくのを、見送る。
どうやら、渋々ながらも了承してくれたらしい。
「う……」
兵士がまた呻いた。
フレヤは彼らのほうに向きなおった。
木の根のほうに座らされている二人の目がゆっくり開くのを
しゃがみこんで眺めていた。
徐々に焦点が合ってくると、彼らははっと目を見開いた。
「お、王女殿下……」
その表情に浮かんでいるのは、恐れと焦りだった。
視線がちらりとフレヤの背後にいるカルトをとらえる。
自然体でいるように見えて、全く隙を見せない彼にまた
恐れを抱いたようだった。
フレヤはゆっくりまばたきを繰り返した。
カルトとルザには、兵士の命を守るためにああ言ったが、
正直、説得なんていうものが上手くいくとは思っていない。
「手荒な真似をしてごめんなさい」
「い、いえ……」
落ち着きなく視線をさまよわせる兵士たちから視線を外さない。
よく見たら思っていたより、若い兵士たちだった。
「あなた達、私がアルハフ族に身を寄せていること、
上の者に報告しないで黙ってはくれないかしら。
そうすれば、解放してあげる」
まどろっこしいやり方は好きじゃない。
それに、下手にこちらの思惑を隠すことは
彼らの不信につながる。
それは避けたい。
「どういう、ことですか」
「あなたたちを殺すつもりはないわ。
あなたたち自身がそうだから知っていると思うけど、
私は王宮を追われている。
私は、まだ死にたくない」
「どういう、ことですか……?
ご自分の罪から逃れ……」
「フレヤは別に罪を犯したわけではない」
背後からの声にフレヤは目を見開いた。
じゃりっと砂を踏む音が聞こえた。
ああ、この闇に溶けるような気配。
カルトがあきれたようにぼやく。
「おまえ、寝てろってあれだけ言ってたのに……」
「そうよ、チノ。
まだ起きていい体調じゃないわ」
「熱ならもう下がった」
このそっけない返答にわずかに笑みがこぼれる。
チノだ。
彼が傍にいるだけで、知らない間にきつく結ばれていた緊張の糸が
ゆっくりほどけていくのを感じた。
「おまえは……」
兵たちもチノの顔に見覚えがあるらしい。
チノは、その驚きに染まったまなざしを浴びながらフレヤの隣に立った。
「フレヤは、陥れられた。
メノウとステファン王に。
実質的に手を下したのは奴らだ」
兵たちの顔が驚愕に染まる。
やはり、フレヤが王殺しの罪を追ったまま逃げたと
彼らがもっともらしく広めているに違いない。
きゅっと手を握った。
「馬鹿な!!
そこのけだものの蛮族にそそのかされたとメノウ様がたしかに!!」
「黙りなさい」
あまりに不快な言葉に思わずきつく冷たい口調で遮ってしまう。
とたんに兵たちは口をつぐんだ。
命じることに慣れた言葉に、命じられることになれた兵。
当然のようにあたりに沈黙が落ちる。
予想外だった。
フレヤ自身の気が触れて王を殺したという筋書きだけでなく
チノのせいでフレヤが王を殺した、という筋書きになっているらしい。
フレヤはきつく奥歯を嚙み締めた。
巧妙に考えられた策略だ。
これならだれも疑わない。
この国の民は、王の思想によって、異民族であるアルハフ族に
良い印象を持っていない。
その嫌悪感を上手に使った筋書だった。
メノウの、ステファンの冷酷なまでの意図を感じた。
「……メノウ様とステファン王は、あなた様を連れ戻すのは
罪を悔い改めてほしいからだとおしゃっています。
決して命を奪うような真似は」
「……いいえ、私、殺されかけたのよ」
平坦な声に兵たちはまたも言葉を失った。
フレヤの瞳は凪いでいた。
諦観ともまた違うその色に彼らは戸惑った。
決して、そそのかされ発狂したあげく父王を殺した王女とは思えなかった。
あまりにも自分たちが信じていた話とは、
今、聞いた話はかけ離れていた。
兵たちの目が迷うようにわずかに揺れた。
「貴女たち、近衛兵よね?
何小隊出しているの?」
「……4……小隊にございます」
迷いながら告げられた言葉に頭を殴られたような衝撃を感じた。
4小隊というと、王宮の8割がたの戦力に値する。
信じられない。
元王女一人をとらえるために、王宮の警備を手薄にしてまで
小隊を出しているということか。
それだけ、メノウとステファンは本気で、そして何が何でも
フレヤを捕えたいと考えているということだ。
「小隊を離れているということは、手分けして探しているのね。
いつまた集合するか、王宮に帰るのかしら」
「……本日を含め、三日の猶予を」
どこかあきらめたように兵は言った。
フレヤは、瞳を伏せた。
「あなたたちは、なぜ、アルハフ族を忌み嫌うの?」
「それは!!
あさましきケダモノの血が混じった異形の蛮族で……!!」
「私だって、人魚の血を引いているわ。
彼らと同じで、私もあなたたちとは見目も異なる。
それなら、私たち王族も蛮族となるのかしら?」
「そ、それは……」
兵たちが言葉を濁した。
この国の民として生まれたころから叩き込まれた
アルハフ族は蛮族という考えを遠回しにだが
否定されていることに戸惑いを覚えているようだった。
「なら、この二日間、アルハフ族のもとに身を置きなさい。
そのうえで、あなたたちを解放するわ。
そのかわり、ここの一族の人たちに危害を加えた場合は、
この私自らあなたたちに手を下すことを忘れないで」
フレヤはそれだけ言い残すと立ち上がった。
言うことは言った。
あとは彼ら次第だ。
- Re: マーメイドウィッチ ( No.44 )
- 日時: 2017/03/30 15:55
- 名前: いろはうた (ID: VujPqVFA)
フレヤはが目覚めたころには、日は既に高く上っていた。
あわてて跳び起きて、身支度を整える。
テントを転がるようにして飛び出すと、ぼすっと誰かにぶつかった。
倒れこみそうになるのをたくましい腕が素早く支えてくれた。
黒衣の民族衣装の端が目に映る。
「どうした」
落ち着いた声に心臓が強く脈打った。
チノだ。
声がひどく近い。
フレヤは彼の腕の中で固まった。
徐々に耳のあたりが熱くなってきたが、
何故だかピクリとも体を動かせない。
「……フレヤ?」
少しいぶかしげな調子の声にはっと我に返って、
慌てて彼の胸のあたりを押して距離を取ろうとする。
視線を上げたら、間近に緑の瞳があってまた固まってしまった。
意味もなく口を開閉するが、
ぁ、とか、ぅ、とか小さな意味もない声が出るだけで何も言えない。
チノは、いつもの漆黒の騎士服ではなく、
黒いアルハフ族の民族衣装を身に着けていた。
それがチノにとても似合っていて、
なんだか一気に彼との距離が開いてしまった気がした。
そうだった。
忘れかけていたが、もうすぐチノとはお別れだ。
フレヤは瞳を伏せて、チノから離れた。
「私、ここの長にもう二日間だけ滞在させてもらうことを
言いに行かないと」
「長ならおれだ」
言われたことが咄嗟にわからなくて、フレヤは瞬きを繰り返した。
陽光がまぶしいのかチノはわずかに目を細めた。
「二日で出ていくというのはどういうことだ」
「もともと、アルハフ族の所に身を寄せるつもりはなかったわ。
できるだけ早くここを出ていくつもりよ」
「おまえが一人で外の世界で生きていけるわけがない。
ここにいればいい。
一族すべてをもってお前を守る」
長の権利を濫用しているように思えるのは気のせいだろうか。
それよりも、一番最初に決めつけるように言われたことには
少し頭にきた。
まだやってもいないのに何がわかるというのだ。
「まぁ、確かにねー
ありえないほどの不器用だったし。
だって、木の実の殻と一緒に自分の指も切り落としそうになってたしな」
チノの背後から当たり前のように歩いてくるカルトの存在にも腹が立つ。
一応一晩中兵たちの傍にいて、彼らを見張っていたという点では
感謝しなければならないが。
切れ長の涼しげな眼の下には、うっすらとクマが見えた。
「兵を見張っていてくれたのね。
ごめんなさい迷惑かけて。
体は大丈夫?」
「あ?
あーうん。
今、別のやつに代わってもらったところ。
ちょっと寝てくる」
カルトは変なものを見たかのように、フレヤを一瞥した後
すたすたと歩き去ってしまった。
礼を言われたことに対して驚いたのだろう。
「見張りは俺たちにとってただの役職だ。
カルトは、礼を言われ慣れていないだけだから気にするな」
まるでフレヤの考えを読んだかのようにチノがそう言った。
そういうものなのだろうかとフレヤは首を傾げた。
その役職を休んでいるということは、
フレヤに対しての見張りはなくなったのか
はたまたチノが見張り役となったのかはわからない。
「それよりも先ほどの話の続きだ」
「えっと……そうね。
とにかく、私は兵たちにわかってもらえたらすぐにでも……」
「もともとメノウたちは、おれがお前をそそのかして
王を殺させたという筋書きにしている。
どちらにしろ、アルハフ族が狙われるのはわかっている。」
ぐっと言葉に詰まった。
正論だった。
もうすでに、彼らを巻き込んでいる。
「それなら私が囮となって、ひきつけて、
その間にアルハフ族のみんなには隣国へ移ってもらうのはどうかしら」
「関所ならメノウたちの命令ですでに閉ざされているはずだ。
特に異民族の出入りに厳しくなっているだろう」
唇をかみしめた。
まるで自分が追い立てられたウサギになってしまったような錯覚を覚える。
逃げ場がどこにもない。
狩られるのを待っているだけの弱い存在。
ぐいっと手を引かれてはっとする。
いらだったようなチノの表情が間近にあった。
「どうしてわからない」
「な、なにが?」
「傍にいろと言っている」
フレヤは思わず
拗ねているようなチノの顔を真正面から間近で見つめてしまった。
目はそらされていた。
嘘を、言われているのだろうか。
いつもはあんなにまっすぐに人の目を見つめる人なのに。
フレヤを慰めるために思ってもいないことを口にしている?
なんだか、目の前が真っ暗になっていくような気がした。
どうしてこんなに悲しいと思っているのだろう。
「私は……」
そんな言葉が欲しいんじゃない。
そう言いかけてはっとする。
じゃあ、何と言ってほしかったのか。
こんなうその言葉が欲しいわけではなかった。
「ずっとここにいればいい」
毒のような言葉だった。
甘い毒の様に体に、脳髄にじわじわとしみこんでいく。
その言葉にすがってしまいとさえ思った。
その甘えを意思の力でねじ伏せる。
「だめよ」
「フレヤ」
チノの声はいらだっていて、そして悲しそうだった。
思い通りにならないフレヤに戸惑っているようにも思える。
フレヤは目を伏せた。
チノの手から手を引き抜く。
こんな会話がしたかったのではなかった。
チノにこんな嘘をつかせて、こんな顔をさせたかったわけではなかった。
「ちゃんと、ここの前の長の方に話をさせて」
「既におれが話をつけている」
「私からしないと礼儀に反するでしょう」
「フレヤ。
おれには、気を張らなくていい」
突然話題が変わって、フレヤは眉をひそめた。
今は、そういうことを話しているのではない。
そういう些細なことすらチリっと気に障った。
また手を掴まれた。
フレヤは顔をゆがめて、手を振り払おうとした。
今、ここで折れたらだめだ。
ここはチノの場所。
最後の最後までお守りをしてもらうつもりはない。
そこまで落ちぶれたつもりはなかった。
だけど、突然あらがえないほど強い力で抱き寄せられた。
目を見開く。
「はなし……っ!!」
「おれは、おまえの敵じゃない」
スパイスの匂いが鼻をかすめた。
知らない匂い。
思わず、チノの体を突飛ばそうともがく。
しかし、その中に、いつものチノの乾草の乾いた匂いがした。
アルハフ族の集落という異空間にいて
知らないうちに張っていた気が一瞬緩むのが分かった。
熱いものがじわりと目じりに滲にじんだ。
わけがわからなかった。
自分でも自分のことがわからない。
「私が、何をしたというの!!」
熱いものがのどからほとばしった。
この数日、いや、メノウに脅されたあの日から
ずっと我慢していた怨嗟の声だった。
呪いの様にずっと胸に巣くっていた存在が、爆発した。
ただ、感情のままにめちゃくちゃに暴れた。
王女だとか、立場だとか、そんなものは全部意識の外に飛んで行った。
だが、どんなにもがいてもチノから離れられなかった。
しずくが目から零れ落ちた。
「どうして私ばかりがこんな目に合わなきゃいけないの!!
こんな力、こんな見た目、こんな身分、
欲しくて生まれてきたわけじゃない!!」
どうしても離れてくれない硬い胸に向かって
力任せにこぶしを振り下ろす。
何度も何度も、自分のこぶしが痛んでもたたきつけた。
チノは何も言わない。
離れてもくれない。
嫌がるそぶりすら見せない。
それが怒りをさらに助長する。
「放してよ!!
どうせあなたもどっかにいくわ!!
みんな私を嫌う!!
みんな私を捨てる!!
私が何をしたの!!
ただ、人間として生きていたそれの何が悪いのよ!!」
髪を振り乱して叫ぶ。
王女としての尊厳はもうどこにもなかった。
自分の中の固い何かが完全に折れたのがわかった。
涙がとめどなくあふれて前が見えなくなる。
全部失った。
日常も、恋人も、家族も、すべて奪われた。
理不尽な略奪だった。
何もかもを失って、それでもあさましく生きながらえている。
チリチリとした怒りと悲しみと悔しさで視界が真っ赤に染まった。
「私は……ただ!!
民を……みんなを守ろうと……!!」
それが、今では王殺しの濡れ衣を着せられ、王宮を追われる有様。
つかまれば間違えなく与えられるのは死。
この濡れ衣を、誰も疑わない。
民は皆おまえが殺したのだろうと決めつけ、
差し伸べた救いの手をはねのけてくる。
ずるりとこぶしから力が抜けた。
なら、この手をどこにやればいい。
この気持ちは。
民のために走り回った日々は何だったのか。
少しでも民の心を知ろうと国中を馬で駆けまわった日々は何だったのか。
何故、殺されるような目に遭わなければならない。
何故。
どうして。
悔しい。
苦しい。
嗚咽が漏れた。
「おれが知っている」
穏やかな声が不意に落ちた。
耳に心地よい低い声。
今はもう聞きなれてしまって、離れがたい声。
「おれが、おまえが民を思い、国を駆けずり回ったことを知っている。
他の誰がお前を何と言おうと、おまえは立派な王女だった。
この国の誰よりも民を思っていた。
王族であることの責任を最後まで果たそうと奔走していた。
一度だって民を救うことを諦めていなかった。
おれはおまえほど気高き娘を知らない」
お世辞でもなんでもなくて、本心からの飾り気のない言葉だった。
瞳から新しい涙がこぼれた。
苦しかった。
守りたかった。
悔しかった。
救いたかった。
でも、何もできなかった。
やれることは全てやりつくしたけれど、それでも足りなかった。
あまりにも自分はちっぽけで無力な存在だった。
闇に閉じ込められた矢先に差し込んだ一筋の光のような言葉。
まぶしくて、尊くて、目を細めて
それでも求めて、見つめずにはいられない。
見てくれる人がいる。
認めてくれる人がいる。
それで、十分だ。
「少し落ち着いたか」
いつもと変わらない静かな声に、フレヤは黙ってこくりとうなずいた。
まだ指先は興奮でぶるぶる震えているし、
足腰もがくがくする。
こんなに泣き叫んだことなんてなかったから
のどもひどく痛んだ。
だけど、ひどくすっきりしている自分がいた。
大きな手のひらがなだめるように頭を撫でてくれるのがわかる。
「傍にいなくてすまなかった」
瞬きをしたら、最後の涙がばしゃりと落ちた。
小さく首を振った。
ぎゅっと軽く頭を押さえつけられて、
チノの胸板に顔を押し付けることになる。
温かい。
どくどくと心臓の音が聞こえた。
命の音。
大丈夫だ。
まだやれる。
この人がいる限り、私はまだ進まなければならない。
まだ、折れたりなんかしない。
最後まで、あがいてみせる。
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