コメディ・ライト小説(新)

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マーメイドウィッチ
日時: 2016/07/30 19:31
名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)

世界が止まった。



手が震える。



数拍のちに気付く。









私は大切な人に裏切られたのだと。

Re: マーメイドウィッチ ( No.85 )
日時: 2017/10/01 13:00
名前: いろはうた (ID: osGavr9A)

ヘレナが部屋を去ってからしばらくしても、

フレヤは椅子に座って、考え込んでいた。

今までのこと、これからのこと。

人に頼る、ということには慣れない。

己の心を預けるという行為に慣れていないからだ。

だが、まっすぐに向けられたヘレナの気持ちが嬉しかった。

いつもはあまり緩むことのない口元が

自分でも穏やかに弧を描いているのがわかる。

フレヤは小さくくしゃみをした。

なんだか肌寒い。

ああ、メイドが窓を閉め忘れたのかと

闇が広がる窓の外を眺める。

椅子から立ち上がり、窓を閉めようと歩き出す。

ふわりと旋風が巻き起こった。

次の瞬間には、黒くて、力強くて、温かいものに包まれていた。


「……会いたかった」


耳朶を打つ低い声。

身体から力が抜けていく。

抱きしめ返したいのに、指にすらうまく力が入らない。

わけもなく涙が出そうになる。

チノだ。

そうしてここにいるのか。

どうやって窓から入ってきたのか。

なんで来てくれたのか。

聞きたいことがたくさんあるのに

全部頭から抜け出てしまう。

こめかみに柔らかくて温かいものが

押し当てられて、はっとした。

違う。

この人は、他の女性のだ。

こんな軽々しく触れていい存在じゃない。

震える手で、なんとか彼の胸板を押して

距離をとろうとする。


「は、離れてチノ。

 窓を閉めないと」


途端にチノは不服そうに、眉根を寄せた。

こちらの腰を抱く手にぐっと力がこもった。

無言の抵抗に戸惑う。

咄嗟にどう反応したらいいのかわからず

眉根を寄せると、何故かチノが顔を近づけてきた。

あまりの距離の近さに

思わず手のひらでチノの顔を押しとどめると

チノが不満気に喉の奥でうなった。

指に柔らかな感触が走りぎょっとする。

見ればチノに柔らかく指を食まれているところだった。

それだけでなく、ぺろりと軽く指をなめた後に

何故か目を細めてこちらを見てくる。

捕食される動物ような心地だ。

しとどに流れる色気に膝から崩れ落ちそうになると

ぐっと抱えなおされた。

筋肉質なしなやかな腕はフレヤの体を支えていても

少しも揺るがない。


「おまえは、会いたくなかったのか?」


指先にチノの吐息が当たって温かい。

緑の瞳を見つめてると

深い森に迷い込んだような心地になる。

その目に囚われてしまう前に、

フレヤはぎゅっと目を瞑った。


「そ、んなこと、考えてないわ。

 それより、どうしてここに」

「おまえに会いたかったからに決まっているだろう」


自分の心を泥を覆いつくしていくような気持ちで嘘をついたのに

チノはしれっとそう言ってのけた。

いや、憮然とした表情だ。

こちらの反応が気に入らないのか、

中々腰に回った腕を外してくれない。


「フレヤ、おれの目を見ろ」

「いやよ」


目を見たら、なんだかおかしな気持ちになる。

チノの目は嘘を許さない。

全て見通してしまう。

そんな気がするから。


「おまえのきれいな目が見たい。

 炎のような美しい目だ」


囁くような声に誘われてフレヤは目を開けた。

驚くほど間近に緑の目があった。

理知的で野性的。

どこまでも美しいケダモノの瞳。

フレヤは顔をゆがめた。

決して誰のものにもならないケダモノ。

手に入らないと分かっているからこそ

欲しいと望んでしまうのだろうか。

苦しい。

息が上手くできない。

理性がきかない。

荒れ狂う感情を制御できない。

こんなどろどろした醜い感情を抱いてしまうのは

チノに対してだけだ。

チノにだけは、綺麗なままでいたいのに

誰よりも醜くなってしまう。

この人が、欲しい。

ぽたりと涙が目の端から零れ落ちた。

チノが目を見開く。

ああ。

自分は今きっと顔をくしゃくしゃにして泣いている。

どんなに情けない顔なのだろうか。


「何故泣く」


少しうろたえたような上ずった声すらも愛おしくて

フレヤは奥歯を噛みしめた。

言ってはいけない。

これは言ってはいけない感情だ。

決して伝えてはいけない。

伝えたらすべてが壊れてしまう。


「フレヤ」


だけど、その声で名前を呼ばれてしまった。

奥歯を噛みしめて、嗚咽が漏れないようにした。


「……あなたが、私のだったらいいのにって、

 思ってしまっただけよ」


小さな小さな声でつぶやいた後、

フレヤはそっとチノの腕から抜け出した。

しかし、突如腕を強く引かれて

またチノの腕の中に引きも戻されてしまった。

温かい。

安心する。

ずっとここにいたい。

だけど、同時に胸を引き裂かれてしまいそうなほど苦しい。

フレヤはチノの腕から逃れようともがいた。

しかし、ますますチノの腕がかたく抱きしめてくる。


「離して!!」

「かわいい」


耳に落とされた囁きに目を見開く。

チノはどこかで悪いものでも食べてきたのだろうか。

ぐしゃぐしゃの泣き顔で喚き散らす女のどこが可愛いというのだ。


「ずいぶんと馬鹿なことを言う」


その次には馬鹿ときた。

フレヤはだんだん腹が立ってきた。

何も自分の思い通りにはならないし、

何故か罵られた。

何か言い返そうと顔を上げてはっとする。

チノが笑みを浮かべていたのだ。

目に宿る熱がとろけてしまいそうな熱を含んでいる。

フレヤはそのまなざしに見覚えがあった。

カルトがヘレナを見つめるときのによく似ているものだった。


「おれはもうずっと前からお前のものだというのに」


チノの砂糖と蜂蜜を混ぜてさらに濃縮させたような

どろどろに甘い視線を真正面から受けてめてしまった。

強い酒を飲んだ時の様にカッと体が熱くなる。


「るるるルザさんがいる人が

 ななな何を言っているの!!」

「ルザ……?

 ああ……。

 だいぶ前に婚約なら解消したが」

「かっ……」


先ほどから目まぐるしく色々なことが起こりすぎて

上手く話すことができない。

何故かまたチノがふわりと笑みを深めた。


「なんだ。

 悋気でも起こしくれたのか?」

「そそそ、そんな嫉妬だとか、

 ばばば馬鹿なこと言わないで!!」


図星を突かれて、どんどんうまく話せなくなっていく。

こちらはこんなにもみっともない姿をさらしているというのに

何故かチノは嬉しくて仕方がないとでもいうように

笑い声すら上げた。


「本当にお前は可愛い」

「っ!!」


またやわらかくこめかみに口づけられて

固まってしまう。

おかしい。

チノの様子がおかしすぎる。

あわてて窓の外を確認したが月は見えない。

今日が新月だからだ。

月の影響を受けていないのならこれは一体どういうことなのだろう。

こんな顔、見たことがない。

いつもは無表情だから、こんな顔されたら

破壊力がありすぎて、どうしたらいいのかわからない。

これではまるで。

まるでチノに愛されているようではないか。

そんな馬鹿な錯覚すら覚えてしまうほどに

チノのまなざしはとろりと甘く熱をはらんでいる。


「……やめて」


かすれた声でつぶやく。

勘違いなどしたくない。

惨めな思いをするのは自分だからだ。


「もう、やめて。

 もう、私に優しくしなくていい」

「おれはおれのしたいようにしているだけだ」


チノの手が、フレヤの手首から離れ

髪をすっとすく。

ごつごつした、男の人の手。


「したいようにするって」

「今は、好いた娘を愛でたい。

 それだけだ」


今度こそフレヤは言葉を失った。

今、チノは何と言った。

固まってしまったフレヤを見て、

チノは片眉を上げた。


「なんだその顔は」

「だ、だって!!」

「まさか、これだけわかりやすく示してきたというのに

 おれの気持ちに気付いていなかったとでも

 言うんじゃないだろうな」


沈黙が落ちた。

がっと両肩を掴まれる。


「嘘だろう!?」


鬼気迫る表情に思わずのけぞってしまいながらも

首を横に振る。


「し、知らない。

 いつも何を考えているんだろうって思っていたわ」

「首を噛んだだろう!!」

「なに、それ?」

「アルハフ族で異性の体を噛むのは、所有の証。

 首を噛むのは求愛の行動だ」

「きゅっ!?」


そういえば何度か首を甘噛みされたことがあるような気がする。

しかし、そんなことを言われても

フレヤの知っている常識とは違うのでわかるわけがない。


「でも、言葉にしないとわからないわ。

 ……私、人より人の感情の機微には疎いの」

「自分でもかなりわかりやすい態度だったと思うが」

「何も言わないから、

 チノはルザさんのことが好きなのだと思っていたわ」

「……ない」

「え……?」


チノの声が小さすぎてうまく聞き取れず、問い返す。

スッと緑の目が細められた。


「好き、だなどという簡単な言葉程度では

 この感情は表しきれない。

 だから、言う必要などないと思っていた」


あまりにも直球すぎる言葉に顔から火を噴きそうになった。

身体の震えが止まらない。

胸からあふれ出る感情は何と名付ければいいのか。


「……傍に、いてくれるの?」

「次におれを引き離そうとしたら自害すると言ったはずだが」

「もう!!」


思わず振り上げた手は柔らかく受け止められ、

そのまま強く引き寄せられる。

ふわりと唇に温かく柔らかいものが重なった。

驚いて固まったら、小さく笑われて

角度を変えて再び唇を重ねあわされた。

悔しい。

悔しいくらいにこの人が愛おしい。

もうどうしようもないところまでこの人に囚われ

堕ちてしまっている。


「おまえが愛おしい。

 ……殺してしまいたいほどに」


どこまでもケダモノの様に物騒な愛の告白に

最後の涙が零れ落ちた。

Re: マーメイドウィッチ ( No.86 )
日時: 2017/10/03 00:08
名前: いろはうた (ID: osGavr9A)

「メノウたちは……和解とまではいかないが、

 呪術師のトンガの孫だからな。

 それほど険悪な雰囲気ではない。

 少しずつだが一族になじんでいる」


気持ちが通じ合った後、

チノは静かに二手に分かれてからのことを話してくれた。

チノの表情も柔らかく、

危惧していたほど事態は深刻になっていないようだ。


「明日、一族を連れてくる」


静かに告げられた言葉に、

フレヤは深く頷き返した。

つまり、アルハフ族は、コペンハヴン国に手を貸し、

ステファンたちを迎え撃つことに同意したということだ。

どれだけ重い意味を持つことか痛いほどに理解している。

チノの顔は先ほどとは打って変わって、

厳格なものに代わっていた。

今まで虐げられてきた者に、救いの手を差し伸べる。

それは、たくさんのことを切り捨て耐えなければ

できないことだ。


「全国民を代表し、礼を言わせてもらうわ。

 本当に、ありがとう」


アルハフ族の痛みを想い、目を伏せながら告げる。

しかし、アルハフ族だけではない。

この国の民だって、今まで虐げてきた者に

救いの手を差し伸べてもらうなどと屈辱でしかない

と考える者が少なからずいる。

特に、騎士団の中では、異民族の手など借りずとも

自分の国は自分たちで守れると考える者が少なくない。

明日は、騎士団と大臣たちを招集し、軍議を開くつもりだ。

そこに、アルハフ族も招くつもりだが、

いさかいが起こるのは目に見えている。

フレヤはひそやかに息を吐いた。

道はまだ険しい。

まだ気を抜くわけにはいかない。
















フレヤは、氷河よりも冷たいまなざしで軍議の間を睥睨した。

自分の視線に人を委縮させる力があると気づいてからは

意図的に自分の視線から感情を消すように心がけている。

そうすることで、ただの小娘だとなめられぬようにするためだ。

自分の考え方がどこか打算的で冷徹になっているのを感じながら

フレヤはゆっくりとその場に座っている人物に視線を向けた。

右大臣のエンヤ、左大臣のダルク、王国騎士団団長のハイヴ、

副団長のミネルバ、第一部隊隊長カインなど、

その他騎士団の各部隊長が顔を揃えている。

隣国との戦争に備えての軍議だから

当然と言えば当然の顔ぶれだ。

初めて入る軍議の間は重々しい空気に満ちていた。

長いテーブルの一番中央の席に着くと、

全員の視線がフレヤに集中した。

正確にはその背後に全員が視線を向けていた。

影の様にフレヤに寄り添うアルハフ族の長、チノにだ。


「陛下、恐れながら申し上げます」


フレヤの氷の視線を真正面から受け止めた右大臣、エンヤは

何事もなかったかのように言葉をつづけた。

一番に話し出したのはさすが大臣というところか。

もうフレヤは、陛下と呼ばれることに抵抗を示さなくなった。

今の民には王という民衆をまとめ上げる役割が必要だ。

自分が女王と一時的に呼ばれることで

民に安心感を与えられるのなら、と自分の心は殺した。

なにより、この身分は、

私利私欲のためにしか動かない大臣たちの上に立つことができる。

この戦争は大臣たちのせいで不利な立場に陥り

民を危険にさらすわけにはいかないからだ。


「何かしら」

「隣国との戦争にいたしましては、

 ヘレナ様のお言葉もあり理解いたしました」


やたらと丁寧な言い方と内容が鼻につく。

フレヤは表情を動かさないように努めたが、

その嫌な言い方に顔をしかめそうになった。

まるでフレヤの言葉は信じられなかったが、

ヘレナの言葉があったから信じてやった、とでも

言いたげな言い回しだ。

昨日はあれほどフレヤの言葉を信じなかったというのに

手のひらを返したような態度だ。

それは、戦後働きに応じての大きな恩賞を得られると

見越した利己的な動機からのものだと分からないほど

フレヤも馬鹿ではない。

油断なくエンヤを見つめ、その言葉を待つ。


「しかしながら、誇り高き祖国を守るのは

 我が国の民のみでは足らぬとの考えでいらっしゃいますか」


遠回しにアルハフ賊からの援軍のことを言っているのだと

フレヤは瞬時に理解した。

これはある程度予想通りの言葉だ。

実際、騎士団の部隊長の一部は言葉には出さないものの

エンヤの言葉に同意する者がいると顔を見ればわかる。

どれだけ性根の曲がっている人間であろうと

エンヤは右大臣だ。

この国の要たる人間達のうちの一人だ。

その言動の影響力は大きい。

エンヤはお互いの利益のためだけに

手を結ぶことになったとしても、味方にして損はない人間だ。


「なるほど。

 昨日、私が言ったことを信じてくれたようで何よりだわ」

「陛下のお言葉を信じぬ者がどこにおりましょうか」


よく言う。

フレヤは眉を一瞬ひそめたが、瞬時に無表情に戻った。


「では、相手がダークエルフの末裔だといたのは

 覚えているかしら」

「はい。

 にわかには信じがたいお話ですが」

「私も彼らと同じ人間以外の血を引く者。

 では聞くけれど、私の歌に抗えるものはここにいるかしら」


軍議の間が水を打ったかのように静まり返った。

コペンハヴン国の民ならば誰もが知っている王族の特別な力、歌。

この国の象徴であり、宝であり、畏怖と尊敬の対象でもある。

ありとあらゆる人間に絶対的支配力を及ぼす特異な力。

それにかなう者など、この国の民にはいないのは周知の事実だった。


「しかし……異民族を我らが騎士団と同等に扱うということには

 承服しかねますな」


左大臣のダルクが脂ぎった顔をハンカチで拭きながら言った。

不敬とも取れるその態度に、

カインが顔をしかめたのが見えた。

しかし、ここで怒りを見せなどしたら

何もかもが上手くいかなることはよくわかっている。


「異民族を拒むこの悪習を私の代で断ち切りたいの」

「先代の王を侮辱なさりますか」

「いいえ。

 ただ、この国を守り、良いものにしたいだけよ」


怒るでも悲しむでもなく、ただ淡々と言うと

ダルクは黙ってしまった。

フレヤの視線に恐れを抱いたのか

ただ単に言葉が見つからないのかはわからない。

フレヤはダルクから視線を外し、広間全体を見渡した。


「アルハフ族は、ルー・ガ・ルー、人狼の末裔よ。

 その身体能力は、人間よりもはるかに高い。

 その彼らが、今までのことは一度脇に置いて、

 私たちに協力すると言ってくれている。

 その彼らの厚意を蹴るというのなら、

 それこそ私たちは獣にも劣る存在になるわ」


フレヤの歯に衣着せぬ物言いに、

一同はわずかにざわついた。

それもそうだろう。

数か月前まで大人しく王女としての務めを果たすだけだった小娘が

今ではこれほど偉そうなことをずけずけと言ってのけるのだ。


「アルハフ族を我が騎士団の戦力の一部として加えること、

 承知いたしました」


これまで目を細めて成り行きを見守るだけだったハイヴが

初めて言葉を発した。

しかも、アルハフ族の加入を認める発言だった。


「ハイヴ殿!!」

「我ら騎士団が束になってかかっても、

 フレヤ陛下お一人にすらかなわないのは事実。

 魔法のような特殊な力の前では

 いかなる剣士も赤子よりも無力。

 ならば、我らよりも強い力を守るために求めるのは

 なにもおかしいことではない。

 フレヤ陛下のご意見は、道理にかなっていると考えますが。

 それとも、隣国に対抗しうる、

 より有力な戦略でもお持ちでいらっしゃいますかな」

「我が国の剣であり盾である騎士団を

 自ら辱めるとは……!!」


ダルクの顔が熟れたトマトの様に赤黒く染まった。

おそらく、今のハイヴの言葉でアルハフ族の援助に

反対する者がほとんどいなくなったと感じたのだろう。

ダルクは向けるだけで人を殺せてしまいそうな視線を

ハイヴに向けている。

しかし、ハイヴはそれを歯牙にもかけないで

その場から立ち上がると承服の証として

フレヤに向かって一礼すらして見せた。


「では、今一度言うわ。

 アルハフ族が我が国に援助の申し出をしてくれている。

 これを受けるべきでないと思う者はここにいるかしら」


騎士団の頭が承認したのを見たため、

他の騎士団の部隊長も反論の言葉を唱えることはない。

部隊長の中には、いまだに不服そうに

チノの顔を睨みつけている者もいるが

今はとりあえずは良しとしておくことにした。

静まり返る軍議の間。

ちらりと大臣たちのほうを見たが、

悔しさと怒りの入り混じった表情で机を見つめている。

おそらく、今まで自分たちが好き勝手にできた領分に

アルハフ族のような異分子が入ることで、

平穏が乱されるのを良しとしていないのだろう。

しかし、その口は震えるだけで、開かれることはない。

この状況で異を唱える者は誰もいなかった。

その後は、物資の供給や国民の避難について話し合った。

それに関しては、議論は滞りなく進んだ。

今まで虐げてきた者達に窮地を救われるのは

プライドに傷をつけることになっていただけで

国を守りたいのは誰もが同じ。

その内に秘めたる思惑は今は見えないふりをする。

全ての議論を終えて、軍議の間を出ると

フレヤ付きのメイドが扉から少し離れたところで控えていた。

フレヤが軍議の部屋から出てくるのを見ると、

すぐに近づいてきた。


「フレヤ陛下、アルハフ族ご一行が到着いたしました。

 いかがいたしますか?」

「もちろん通してちょうだい。

 そうね、南の広間がいいと思う」

「南の広間にございますか?

 か、かしこまりました」


南の広間は、この城で最も広く、

よく日が当たる特別な広間だ。

そこに通すのは一等大切な客人のみ。

メイドが驚いた表情を見せたのもわかる。

フレヤはメイドが一礼し早足で去っていくのを見送ると

自室に向かって歩き出した。


「……私が言ったのではないけれど、ごめんなさい。

 大臣たちの態度は助けてもらう側の者として

 ふさわしいものではなかったわ」

「おまえが気にすることはない」


背後のチノの声は静かで優しく心を包み込んでくれるようだった。

張り詰めていた心が柔らかくほぐれていくのを感じる。

自室に入り、扉を閉めた途端、ふわりと

チノが背後から抱きしめてくれた。

鼓動が早くなり、頬が熱を帯びて熱くなる。

その腕にそっと触れて瞳を伏せる。

チノの存在が自分の中で大きくなっていて

もはやかけがのないものとなっている。

ずるずると落ちていく感覚。

どろりとした甘美なぬくもりと、ひやりとした焦燥が

胸を満たしていく。

チノという存在に向かって落ちるのは、

身体が破裂してしまいそうなほどうれしくてどきどきすると同時に

ひどくおそろしく、恐怖を感じざるを得ない。

この感情は、強さになると同時に弱さともなる。

自分が自分でなくなっていくようなそんな気持ちになる。

それが、きっとたまらなく恐ろしいのだ。

不意に小さく扉が叩かれた。


「フレヤ陛下、昼食をお持ちいたしました」


フレヤははじかれたように、チノの腕から抜け出して

部屋の扉を開けに行った。

外には数名のメイドが昼食を載せたワゴンとともに控えていた。

主であるフレヤが自ら扉を開けたことに驚き、

慌てて部屋の中のソファに座っているように促される。

そうだった。

城で暮らしていた頃は、身の回りのことは

メイド達がやってくれていたのだ。

この数か月は身の回りのことは自分でやらなければならなかった。

だから、今までは当たり前だった日常が

妙に新鮮味を帯びているように感じられる。

昼食は白パンにかぼちゃのスープだった。


「女王の食事にしてはずいぶんと質素だな?」


メイド達が下がった後に、チノがボソリと口を開いた。

どうやら、フレヤがすぐに腕の中から抜け出たことに

少し拗ねているらしい。


「私が、頼んだの。

 できるだけ質素な生活ができるようにって」

「また、民のため、か?」

「ええ、そうよ。

 ささやかだけど、できることは何でもやりたいの」

「おまえを裏切ったやつらだ」


静かだけど暗いものが混じる声にフレヤははっとした。


「おれは国のために奔走するおまえを隣で見てきた。

 だが、やつらはそれを当たり前のものと受け止め

 あまつさえ刃を向けた」

「あなたと同じことよ、チノ」


フレヤはチノに向き直った。

まっすぐに緑の瞳を見つめる。


「あなたは、あなたたちはこの国の民に虐げられてきた。

 それでも手を貸してくれるのは、

 変わろうとしているこの国の人々を信じたいと

 思っているからではないの?

 もう一度だけ信じてみようって。

 私も同じこと。

 もう一度だけ信じてみたい」

「本当にどこまでも女王向きの娘だな」


チノがため息とともに呟いた。

チノは優しいから、どんな時でも

不器用に心配してくれる。

望めばきっと、攫って王宮から連れ出してすらくれるだろう。

それがひどく嬉しくて、心苦しい。

決してかなわないことだと分かっているから。


「さっさと食べたらどうだ。

 スープが冷めてしまう」

「そうね。

 食べたらすぐにアルハフ族のみんなに会いに行くわ」















南の応接間の扉をメイドに開けてもらうと

まぶしいほどの日光に目を射られ、目を細める。

部屋の中にいた者達は、既にこちらを見つめていた。

久方ぶりに見るアルハフ族の者達だった。

そういえば、王宮の地下牢から救出した時以来

顔を合わせていないのだった。

特に別れの挨拶もしないまま出て行ってしまったのだ。

若干気まずい思いをしながら、一人一人の顔を確認する。

見たところ、老人や子供たちは来ていないようだ。

きっと安全なところで待機させているに違いない。

アルハフ族の屈強な戦士の中には、

女性の戦士もいて、ルザの姿も見えた。


「どれだけ人を待たせたら気が済む女王陛下なのでしょうか」


刺々しいけれど、凛とした美しい声に

フレヤは視線を向けた。

アルハフ族の民族衣装を身に着けたメノウだった。

いつもの神官のような真っ白な衣を着ていないので新鮮に映る。

幾何学模様が入った緑色の民族衣装のほうが

メノウにはよく似合っているように思えた。

あの民族衣装を着ているこということは

チノが言っていた通り少しは

一族と歩み寄れたのだろう。


「ごめんなさい。

 軍議が少し長引いてしまったの」

「……私の首でも差し出せば、

 さっさと終わらせられるものでしょうに」


そっぽを向いて言うメノウに目を見張る。

メノウは、アルハフ族関係で軍議が長引いたことに気付いている。

おそらく、メノウだけではなくて、

ここにいるアルハフ族全てが気づいているのだろう。


「違う。

 私は誰かの犠牲など望んでいない」

「またお得意の綺麗ごと。

 だから、貴女は面倒ごとに巻き込まれる」

「面倒ごとじゃないわ。

 この国が変わるために、必要な時間だった」

「その辺にしてやりな」


フレヤとメノウの間に入ってきたのはルザだった。

その意外な行動にフレヤは目を見張る。

ルザが止めに入ってくるとは思わなかったのだ。


「悪いね。

 メノウは私の従姉妹なんだ。

 こんなこと言ってるけど、

 さっきまであんたのこと心配してたんだ」

「ルザ!!」


言われてみれば、このつんけんした強気な物言いや

凛とした声が似ている。

そうなの、と一言返すと、

顔をうっすら赤くしたメノウがこちらを勢いよく見た。

口を開きかけたメノウを遮るようにして

今度はカルトが割って入ってきた。


「あーはいはい。

 落ち着けよメノウ」

「邪魔をしないでくださいカルト!!

 私は落ち着いて、もがっ」

「あんたはちょっと後ろに下がってな」


ルザの手に口を覆われたメノウは、

引きずられるようにして連れていかれた。

それを横目で見ながらカルトに向き直る。

彼には言っておきたいことがある。


「カルト、あなた、ヘレナを連れてきたのよね?」

「え?

 ああー。

 ごめんな?

 ヘレナの頼みだったから断れなくて」


全く悪びれない態度のカルトにもはや怒りすら覚えない。

フレヤは一つ息を吐いた。


「感謝するわ」

「はい?」

「あなたがヘレナを連れてきてくれなかったら

 私はあのこと向き合おうとしなかった。

 あなこを守るべき存在だと決めつけて

 突き放すことになっていたと思う」

「ふうん?」


カルトは相変わらず飄々とした笑みを浮かべて

こちらを見つめているだけだ。

フレヤはカルトから、アルハフ族の戦士たち全員に向き直った。


「今日は、来てくれて本当にありがとう。

 この国全ての国民を代表して礼を言います」

「我々は、長の決定に従い、

 一族の恩人への借りを返すだけだ」


アルハフ族の中でも年長の者が静かにそう言い

他の者達も同意して頷いている。

静かな物言いはどこかチノに似ている。

けれどその端的な言葉にはどれだけ譲歩してくれたのか

言わずとも感じられた。

アルハフ族という戦闘向きの一族とは言えど、

ダークエルフという未知の種族との戦いに

身を投じることになるのだ。

それ相応の覚悟を持って、

彼らはこの場所に来ているはずだ。

それを、忘れてはならない。


「あなたたちには、今日から城に滞在してもらって

 騎士団とともに行動を共にしてもらう。

 ……きっと、反発する人もいるから

 嫌な思いを沢山させてしまうと思う」

「そんなやつら、一発殴ればいいだけの話じゃん。

 あんたがそんな辛気臭い顔する必要はないよ」


あっけらかんと言うカルトにぽかんとした

間抜けな顔をさらしてしまった。

変な顔ー、不細工ーなどと、言って笑っているカルトに

声を上げる気にすらならない。

そんなに、楽観的でいいのかと

掴みかかりたくなったくらいだ。


「武を志す者には、なにより力がものをいう。

 おまえがそう案ずることはない」


背後からチノが重ねるようにして静かに言った。

そう言われてみれば、チノがフレヤ付きの護衛になった時も

騎士団の者達は、チノの実力を見て何も言わなくなったのだった。

一抹の不安を消しきれないまま、

フレヤは頷くしかなかった。

Re: マーメイドウィッチ ( No.87 )
日時: 2017/10/06 20:58
名前: いろはうた (ID: osGavr9A)

翌日の朝、コペンハヴン国の国民すべてに避難勧告が出された。

オスロ国から最も遠い北西の地域に、

避難民を迎え入れるための簡易滞在所として

王宮の別荘を開くことになった。

あそこは夏になると涼しく穏やかな気候で

フレヤが幼いころはよく訪れたものだった。

まさか、思い出の別荘がこんな形で役に立つとは思わなかったが

非常に大きな別荘地帯なので、

ある程度の国民は迎え入れられるはずだ。

幸い、今は秋なのでそこまで気候も厳しくない。

もしもの際には、北国に逃げ延びることもできる。

騎士団の一小隊を避難誘導と護衛を兼ねて

既に派遣している。

食料や物資は、王宮の貯蓄庫にあるものの半分以上を持たせた。

これも昨日の軍議で決めたことだった。

これで、少なくとも一月は持たせられるはずだ。


「陛下」


騎士団の軍事演習をバルコニーから眺めていると

背後から突然声をかけられた。

カインだった。

騎士服に身を包んでいる彼は、

きびきびとした動作でこちらに近づいてくる。


「こちらにおられたのですね」

「軍事演習を見ていたの」


そう言うと、フレヤは再び視線を前に戻した。

カインの顔を見られない。

どうしても二日前の夜を思い出してしまう。

あんなに感情を必死に押し殺しているカインを見たのが初めてで

どう対応したらいいのかわからないまま今日になってしまった。

カインは第一部隊隊長だ。

それほど重要な役職を持っている彼が

軍事演習を抜け出すほどの用事があるのだろう。


「部隊長が軍事演習を抜け出すなんていいのかしら」

「あの男が四六時中陛下に張り付いているので、

 軍事演習中の今しかないと思い、馳せ参じました」


あの男とはチノのことのようだ。

カインはチノのことを嫌っている。

こちらとしては仲良くしてほしいのだが、

そうもいかないらしい。


「それで?」

「今からでも遅くありません。

 アルハフ族を兵力として加入することをおやめくださいませ」

「でも、もう軍議では通ったわ」


二度目の申し出。

それだけ、カインが必死であるということだ。

昨日の軍議で何も言えなかったのは

上司であるハイヴが隣にいたからだ。


「それは表向きのことにすぎません。

 騎士団のほとんどの者は、アルハフ族のことを

 よく思ってはおりません。

 あの類まれなる身体能力は得難いものです。

 ですが、同時に騎士たちの誇りを傷つけております。

 我々のことは、役立たずだと陛下がお考えなのかと

 不満を募らせている者も少なくありません」

「そんな」

「事実、騎士団の風紀は乱れつつあります」


フレヤの視線の先にある軍事演習。

滞りなく進んでいるように見えるが

よく見れば、騎士団もアルハフ族も表情は

荒々しいものだ。

それは、軍事演習で気が高ぶっているからではないのは

ここからでもわかった。

昨日ぬぐい切れなかった不安が

今こうして形を成している。


「カインの言いたいことと気持ちはわかったわ。

 でも、もう少し様子を見ましょう」

「フレヤ様。

 これは時間が解決してくれる問題などではありません」


ひと際風が強く吹いた。

風の中に冷たさを感じた。

秋が深まっている証拠だ。


「違うわ、カイン。

 時間は解決してくれない。

 だけど、これは彼らが自分自身で解決する問題なのよ」















数日かけて、少しずつではあるが、春の氷がとけるように

騎士団のアルハフ族に対する態度が

柔らかくなっていくのがわかった。

騎士団では、新入りの者は雑務をするのが基本だ。

それをなかば嫌がらせのごとく大量に押し付けても

文句ひとつ言わずに寡黙に働き続ける姿に

少し心を動かしたらしい。

やがてアルハフ族も雑務だけでなく

軍事演習にも参加できるようになった。

彼らの実力は折り紙付きだ。

力を重んじる風潮の騎士団で

アルハフ族は少しずつその存在を認められるようになった。


「ねぇ、カイン?

 大丈夫。

 あなたが心配することは何もないわ」


数日後の軍事演習をバルコニーから眺めながら

背後にいるカインに声をかける。


「……さようですね。

 私の考えすぎだったようです。

 お許しください、陛下」


振り返ればカインは穏やかな笑みを浮かべている。

春の日差しのような穏やかな笑み。

きっと気のせいだ。

カインの声が、激情を平たく抑えた

無機質な調子に聞こえただなんて。


「カイン?」


顔を覗き込むようにして一歩近づくと、

彼ははっとしたように一歩下がった。

取り繕ったように優しい笑みをまた唇に浮かべている。


「失礼いたしました陛下。

 少し……今後の戦略や陣形について考えておりました」


その言葉に少しほっとする。

カインもアルハフ族を受け入れて、

彼らも入れた騎士団の陣形まで考えるようになったのだ。

もう、きっと大丈夫だ。


「カイン、陛下って呼ぶのをやめてはくれないの?」


また一歩近づくと、さりげなく一歩後退される。

まるで一定の距離を置かれているような、いや

距離を置かれている。

必要以上に近づかないように一定の距離を保たれている。


「陛下は、この戦争が終われば、すぐに即位式を行います。

 現在、女王となりうる方は、あなた様以外におりません」

「そう言う意味じゃない。

 カインだから言っておくけど、

 やっぱり私は女王になる気はないわ。

 あと、カインにはいつもみたいに名前で呼んでほしい」


カインのグレーの瞳にぞっとするほど昏い色がよぎった。

驚いてまばたきを繰り返したら、

それは瞬く間に消えてしまった。

こちらを見下ろすように立つ長身のカインは

その場でスッと膝をついた。


「……陛下は、陛下にございます。

 それ以外の呼称でお呼びするなど、不敬に値します」


プラチナブロンドの頭を垂れて彼はそういった。

今のは、気のせいだったのだろうか。

気のせいだ。

カインが、あんな憎悪のような焦げ付くような感情を

こちらに向けるはずがない。


「私、騎士団の軍事演習を近くで見学しようと思うの」


フレヤはわざと話題を変えた。

その場の妙な雰囲気になんだかいたたまれなくなったからだ。

何事もなかったかのようにカインが立ち上がり、微笑む。


「それは、騎士団の者には、大きな励みとなります。

 私がご案内いたしましょう」


騎士らしいきびきびとした、だけど恭しい仕草で

浅く礼をすると、カインはゆっくりと歩き出した。

フレヤは、胸に生まれた違和感には

今は気づかなかった振りをすることにした。
















しかし、何もかもが上手くいくわけではなかった。

メノウの存在だった。

メノウは革命軍のもと長だ。

騎士団は一時的にとはいえ、彼女の支配下におかれた。

彼ら全員がフレヤのことを信じていたわけではない。

それゆえ仕方のないことだったといえばそうなのだが、

騎士団の者達は忠義に篤い。

それゆえ、一度でも守るべき存在にたてついたことを

深く悔いている者も少ないようだった。

それと比例するように、メノウに向けられる感情は

決して温かいものではなかった。

メノウは呪術師の孫娘として

アルハフ族の戦士には加わっていないが

この王宮に滞在している。

フレヤの見えないところで嫌なことを

騎士に言われている可能性高かった。

それを少しも表に出さないメノウは

ただひたすら凛としていた。

フレヤはそれを見て良心がちくちくと痛むのを感じた。

自分が受けた痛みを、民が受けた痛みを

同じだけ感じてほしいと思った。

どれほど苦しかったのか、どれだけ惨めだったのか

知ってほしかった。

だけど、何も変わらない気がしている。

自分はただの報復をしている。

コンコンと部屋の扉が叩かれた。


「陛下、メノウ様がお見えになられました」


はっとした。

まさかメノウのことを考えているときに

本人が訪ねてくるとは思わなかったのだ。


「入れてちょうだい」


すぐに扉が開かれ、メノウの姿が見えた。

色鮮やかなアルハフ族の民族衣装が目にもまぶしい。

彼女はさっそうと部屋に入ってきた。

実に堂々とした対振る舞いはカリスマ性を感じさせた。

だから、革命軍も彼女についていきたくなったのかもしれない。


「人払いをしていただけますか」


部屋にたくさんいるメイドを横目で見ながら

メノウはそう言った。

チノは軍事演習に参加しているため、ここにはいない。

代わりに背後にいるのはカインだ。


「下がってくれるかしら」


そう言うとメイド達はさっと部屋から出ていく。

しかし、カインは動こうとはしなかった。


「フレヤ様」


久しぶりのその呼び方に少しだけ肩の力が抜けた。

たとえその声音が硬く、たしなめるような響きを帯びていてもだ。

メノウのことを警戒しろ、と言いたいのだろう。


「あなたは、もしかして自分の主のことを守ろうとして

 残っているのですか?

 だとすればとんでもなく愚かで無意味です。

 私はあなたの主と同じ、声に力をもつ者です。

 あなた程度など、まるで相手にならない」


目を細めてメノウがカインに向かって言う。

そのあまりにも歯に衣着せぬ言い方に

カインの剣が小さく音を立てた。


「カイン」


静かに名を呼んで、抑えろ、と言外に命じる。

逡巡するような気配があったが、殺気は消えた。


「彼女が私の命を狙っているのなら、

 部屋の扉が開いた時点で、声を使って

 あなたの意識を操っているわ。

 何もしないで部屋に入ってきたのよ。

 彼女にそんな気はない」


しかし、カインにも聞かせたくないほどの話なのだろうか。


「メノウも、カインにも聞かせられないような話なの?

 彼は騎士団第一部隊隊長よ。

 信頼に値する人間だと思うわ」


メノウは何も言わないで、じっとカインのことを見ている。

やがてその緑の目はそらされた。


「そのうち騎士団にも伝わることでしょうから構いません」

「それで?

 話したいこととは?」

「騎士団なんて、ダークエルフ相手に

 無駄死にするだけだと伝えに来ました」


正面からの騎士団への侮辱にカインの気配が

また荒々しいものに変わった。

フレヤの前だからかろうじて剣を抜かずに済んでいるのだろう。

だが、メノウは腹いせにこのようなことを

言う娘ではない。


「だから、そこの騎士にも外してほしかったのです」


顔をしかめて言うメノウに、ますますカインの気配が

刺々しいものに代わっていく。

それをなだめてから、フレヤはメノウのほうを見た。

彼女の緑の目は凪いでいた。

深い森の色。

その瞳の奥は獣のどう猛さと深い知性が見え隠れしている。


「なにか策があるの?」

「私の声と貴女の歌を使えば、兵を強化できる」

「馬鹿なことを!!

 陛下に戦場の最前線まで来ていただくというのか!?」

「でなければ、我が一族もろとも全滅すると言っているのです」


フレヤははっとした。

メノウはコペンハヴン国のことを案じているというより

一族のためにここに来たのだ。

このままだとステファンに負け、

アルハフ族もただではすまないと気づき、

いち早く行動に移したのだ。

彼女は、自分のプライドと一族を秤にかけ

一族の安全を取ったということだ。


「……正直、この国の者達への憎しみは消えておりません。

 非常に不本意ですが、

 こうするほか我が一族の全滅を防ぐ手立てがないのが現状です。

 いくら我が一族が戦闘に秀でた一族で、その中でも

 選りすぐりの戦士を参戦させているとはいえ、

 ダークエルフ相手に我らだけで勝てるとは思いません。

 四人がかりで不意打ちだったとはいえ、

 私が手も足も出なかった存在です」

「……っ、ダークエルフと交戦したの?」


ダークエルフは空想上の存在だと考えていた。

あの夜初めて見たから、少しでも情報は知っておきたい。

しかし、メノウは目を伏せた。


「反撃する間もなく、一瞬で昏倒させられたので

 ほとんどなにもわかりません。

 それだけ体術にも秀でた一族であるということです」


悔し気に言うメノウに、唇をかみしめて考える。

アルハフ族の血族の者でも苦戦する相手なら

たしかに、騎士団では歯が立たないだろう。

同じことをカインも考えたのか、とくに反論の言葉はない。


「今もまだ軍事演習を行っている時間。

 今なら、私の声とあなたの声の効果を試せます」


強い決意を秘めた瞳に、フレヤは頷いた。

自分の歌が力となるのなら、

声が嗄れ果てるまで歌うつもりだ。

Re: マーメイドウィッチ ( No.88 )
日時: 2017/10/07 22:01
名前: いろはうた (ID: osGavr9A)

フレヤが軍事演習場にメノウを連れて現れると、

騎士とアルハフ族の戦士たちは驚いたようだった。

剣を振っていた手を止めて、目を丸くしている。

しかし、騎士たちはさっと騎士の礼の形を取った。


「皆、楽にしてほしい。

 ここに来たのは提案があってのことなの」

「提案でございますか」


団長のハイヴが低くそう尋ねた。

それに軽く頷いて見せる。


「メノウもいるじゃん?」

「そう、これはメノウからの提案。

 戦局をよりよくするためのものよ」


提案がメノウからのものだと知ると、

騎士団の者たちは若干表情をこわばらせた。

声に出して何かを言うことはないが

やはりその視線は柔らかいものではない。


「提案とはどのようなものですかな?」

「私とメノウの力で、騎士団の力を強化するの」


「へー?

 いいんじゃない?

 こいつら二人がかりでも、おれにはかなわなかったし?」


カルトの言葉に騎士団の者たちは

一様に悔しそうな表情を浮かべているが

反論の言葉はない。

やはり、人間よりも身体能力の高いアルハフ族の戦士には

少し鍛錬を積んだ程度で人間がかなう相手ではないのだ。


「試すだけ、試させてほしい。

 どうかしら」

「陛下の国と民を思うご献身ぶり、

 一国民として、ありがたく、誇りに思います」


ハイヴが膝をついた。

それを見習い、騎士たちも一斉に地面に膝をつく。

ハイヴは騎士団長。

彼が言うことは騎士団の中で絶対。

しかし、カインはそれでも声を上げた。


「お言葉ですが、団長。

 陛下を戦場の最前線にお連れするなど、危険すぎます。

 陛下に何かあれば、それこそわが軍は総崩れとなります」


カインはやはり納得していなかった。

フレヤは振り返ってカインのほうを見た。

しかし、フレヤが口を開くよりも早く、

ハイヴが話し出した。


「王とは、その身をもって国を守り支える者。

 お飾りだけの王など我々には必要ない」

「ハイヴ団長!!」

「目を覚ませカイン。

 おまえの目の前にいる方は、守られるだけの姫ではない。

 この国の女王たる方だ」


カインの顔は見たことがないほど険しい。

ギリっ、と奥歯を噛みしめる音が聞こえた。


「我々には、時間がない。

 わかるな」

「……御意」


押し殺された声は震えていた。

部下の前で団長に意見するなど、

きっと部隊長としてのプライドに傷がついたはずだ。

それでも、意見したのはきっとフレヤのことを想ってのことだ。


「カインありがとう。

 私は、大丈夫よ。

 だから、私を信じて?」


カインの傍に行き、その手を手を取り、

顔をのぞき込む。

カインは唇をかみしめていた。

そのグレーの目はこちらを見ない。

そのかたくななまでの態度は、

ただただ主を失うことを恐れてのものにしか見えなかった。

しかし、違和感が何故か胸の中に生まれた。

違う。

主を失うことが恐ろしいのではない。

カインはもっと別のことを恐れている気がする。

それが何なのか、フレヤにはわからない。

ハイヴは厳しい表情を保ったままだ。

立場上、厳しい言葉をかけるしかないのだろう。


「しかし陛下、その娘は陛下を陥れた娘です。

 我々騎士団の力になると我々を油断させ、

 今度こそ陛下のお命を狙うつもりかもしれません」


やはり部下と上司は似ているものなのかもしれない。

さっきカインが言ったことと似たことをハイヴも口にした。

メノウのことを表向きに言っているが、

その言葉はアルハフ族の裏切りも暗喩している。

ハイヴの言葉に、アルハフ族の面々は

嫌悪感を顔に浮かべ殺気立った。

それをチノがさっと手で制するのが視界の端で見えた。


「ハイヴ、その可能性はないわ。

 さっきカインにも言ったのだけど、

 メノウが私たちを裏切るためにそう言ったのなら

 この場に現れた時点で、声を使って

 あなた達全員を操っているわ。

 それに……」


フレヤはここで言葉を切った。

騎士達の顔を見渡す。

彼らは真剣な表情でフレヤの言葉に聞き入っていた。


「アルハフ族たちは、私たちに傷つけられたにもかかわらず

 私たちに手を貸そうとしてくれている。

 それは、自分たちを守るためだけではない。

 私たちを信じようとしてくれているからよ。

 信じようとしてくれる彼らを、

 信じることから私たちは始めないといけない」


つたない言葉ながら、フレヤ必死に言い募った。

アルハフ族とコペンハヴン国。

敵対していた者たちが、手を組もうとしている。

そのきっかけとなるかもしれないからだ。


「だから、私の歌とメノウの声、

 これらを使うことを試させてほしい」


騎士団の面々は顔をぐっと引き締めた。

ハイヴが静かに頭を垂れた。


「御意に」


フレヤははっとした。

ハイヴは命令としてのフレヤの言葉ではなく、

フレヤ自身の思いを

自ら騎士たちに話してほしかったのかもしれない。

騎士たちの瞳には熱いものが宿っているのが見えた。

フレヤの言葉を、陛下からの命令、としてしか

受け取れなかった彼らは不安だったのだ。

だから、ハイヴはわざと、アルハフ族を貶めるような

ことを言って、フレヤの言葉を引き出した。

心の中でハイヴに礼を言うと、

フレヤは騎士団にもう一度視線を戻した。


「では、さっそく始めましょう。

 まずは私の歌から試してみましょう」


フレヤの歌には歌詞がない。

その時に願うこと、そしてフレヤ自身の感情によって

歌の効果が変わるのだ。

だから、フレヤの歌は歌というよりも大きなハミングに近かった。

アルハフ族の戦士たちは一度演習場の脇に下がり

その場に騎士たちが神妙な面持ちで整列した。

カインもその中に混ざっている。

フレヤは歌う前に少し迷った。

歌の効果はフレヤの望みによって変わる。

何を望めばいいのだろう。

騎士たちに何を望むのか。

フレヤは歌いだした。

ダークエルフをも蹴散らす圧倒的な力。

この国への侵略を阻む堅固な盾。

必要なことなのに、なぜかどれもしっくりこない。

一方の騎士たちは、己の体に不思議な力がみなぎるのを感じて

顔に驚きを浮かべている。

フレヤの力は知ってはいたが、

実際こうして体感するのは初めてだからだろう。

彼らの体は薄い青色の光を帯びていた。

これはフレヤの歌の力が

その対象に大きく作用した時に起きる現象だ。

だが、フレヤは満足していなかった。

どこか消化不良のような、

もやもやした感情が胸を埋め尽くしている。


「ありがとうございます、陛下」


ハイヴが騎士団を代表してフレヤに一礼する。


「やめて、ハイヴ。

 まだ、これでは不完全だわ」


フレヤはうなだれながら言った。

何かが足りないのはわかるが

どこをどういう風に変えて歌えばいいのかわからない。


「そこをどいていただけますか」


フレヤを押しのけるようにして、

メノウが騎士団の前に立つ。

途端に隣に立っているフレヤでも感じられるほど

騎士団からの空気が刺々しいものに変わった。

助けてもらう立場なのに、さすがに無礼すぎると

フレヤが口を開きかけた瞬間、メノウがさっと手で彼女を制した。


「私のことが嫌いなのは知っております。

 私もあなた方、コペンハヴン国の民など

 この手で八つ裂きにしてしまいたいほど憎いことに

 今も変わりありませんわ」


騎士団の非友好的な視線をはるかに凌駕する勢いで

辛辣な言葉が次々とメノウの口から飛び出した。

一瞬唖然としてしまったが、我に買えり

あわてて両者の間に入って止めようとしたが

メノウの顔を見てはっとした。

彼女の目は薄赤く輝いていた。

声に力が宿っている証拠だ。


「だけど、気持ちは同じだと思っております。

 何かを守りたいという、強い気持ちは」


凛とした声に、その言葉に、騎士団の面々は

一様にはっとした表情を見せた。

それはフレヤも同じことだった。


「この女王陛下は非常に甘くていらっしゃるから

 綺麗ごとばかりおっしゃっているようですが

 私は違います。

 私がたとあなた方が完全に相容れることは

 決してないでしょう。

 だけど、似ている。

 何も大切なものを失いたくないと、

 大切なものを、かけがえのないものを

 守り抜きたいという気持ちは、同じです」


決して大きな声ではなかった。

だけど乾いた大地に水がしみいるように

静かに、だが確実にメノウの言葉は騎士たちに届いている。


「私たちは、互いの利益のためだけに協力し合うだけの関係。

 ならば、私は、私の大切なものを守るために

 あなたがたを利用するまでです。

 だから、あなたがたも、私を大切なものを守るための

 道具として利用してください。

 ……私も、その間は憎しみのことは一度忘れます」


騎士たちは、どこか唖然としていた。

ヘレナとそっくりの顔から出る、

強烈な言葉の数々に驚いたのかもしれない。

メノウが今できる精いっぱいの譲渡だった。

そして、まぎれもなくメノウのむきだしの本心を

騎士たちにさらすものだった。

フレヤははっとして騎士たちを見つめた。

彼らの瞳にはともしびのような赤い光が

しっかりと宿っていた。

メノウの声の力が宿っている。

フレヤは唇をかみしめた。

メノウの背中がどこかまぶしくさえ思えた。

メノウ自身もよくわかっているだろうが、

彼女には人を従わせる圧倒的なカリスマ性がある。


「貴女も」


突然メノウがぐるんとこちらを振り返った。

その目は声の力によって、キラキラと赤く輝いている。

緑と赤のまぶしいコントラストはまるで宝石のようで

フレヤは一瞬その強い光に見とれた。


「なんですかそのひょろい歌は」


王家の誇る人魚の歌を真正面から貶したメノウに

一同は唖然とした。

フレヤも一瞬何を言われているのかわからなくて

ぽかんとしてしまった。


「その程度の歌では、私の声の足元にも及びません」


ふんっと鼻息荒く言う姿は、威風堂々としていて

これではどちらが王族なのかわからない。

いや、メノウも一応王族の血を引いているのだった。


「貴女の気持ちは、その程度なのですか」


嘲りを含んだ言葉に、わずかに頭に血がのぼる。


「……違う」

「ならば、何を迷っているのですか?

 私に血を這いずり回る苦しみを与えるのではなかったのですか?

 私ごときに力ですら負けるだなんて

 悔しいとは思わないのですか?」


明らかに挑発だった。

メノウはフレヤをわざと怒らせようとしている。

歌により強い力を籠めるには

より強い感情が必要なのだとメノウも知っている。

フレヤは力なく唇を緩ませた。

なんて、情けない。

フレヤは目を閉じ、すぐに開いた。

その目には凍えるほど強い光が宿っている。


「騎士団よ。

 女王として命じる」


空気がびりりと震えるほどの圧倒的な存在感。

騎士団の者たちは、気づけばその場で膝をついていた。


「我が国のために、いいえ、私のために、

 血を流し、命を捧げなさい」


傲岸不遜な言葉。

ぞっとするほど甘美なまでの響きを帯びている命令は

騎士たちの血肉に毒の様にしみ込んだ。

まるで人魚の誘惑の歌の様に。

かつてのイルグ王を彷彿とさせる立ち振る舞いに

騎士たちはいっせいに頭を垂れた。

だがハイヴは気づいていた。

私のために、などと言っているが、

全ての責任は自分自身が負う、ということだ。

彼女は、恐れていた。

女王という見えぬ鎖に縛られることに。

だけど、今フレヤは自ら進んで鎖に囚われることを望んだ。

彼女は、真の意味で女王となったのだ。

歴戦の騎士であるハイヴでも

気おされるほどの覇気をフレヤは身にまとっている。

フレヤは唐突に歌いだした。

それは先ほどまでの美しい旋律ではなかった。

荒々しく、凍えそうなほどに熱い、

人魚の女王による戦いの歌だった。

Re: マーメイドウィッチ ( No.89 )
日時: 2017/10/11 09:19
名前: いろはうた (ID: osGavr9A)

ステファンが言っていた一月後の開戦まで数日となった。

フレヤと歌とメノウの声の力、この二つを掛け合わせることによって

騎士たちはアルハフ族と同じくらいの一時的な身体能力を手に入れた。

しかし、日々鍛錬を怠らないところが騎士らしい。

フレヤたち一行は、隣国オスロ国との国境まで来ていた。

先に偵察隊が状況の確認のために国境近くに行き、

安全を確認してからフレヤたちは出立した。

誰もが決意に満ちた凛々しい表情で道を進んでいる。

国境から少し離れたところに本陣を置き、

その夜はそこで過ごすことになった。

野営に慣れているアルハフ族の戦士たちが

てきぱきとテントを張っていく。

それを手伝う騎士たちの姿を見てフレヤは目を細めた。

少しずつ、彼らの間にあった溝が薄く浅くなっていくのを

この目で見ることができるのは、なんだか不思議な気分だ。


「あんたのテント張っておいたよ、フレヤ」


はっとして振り返るとルザが立っていた。

彼女とはチノのこともあって少し気まずい。

小さく礼を言って顔を上げる。

しかし、ルザはその場を動こうとしなかった。

まっすぐにこちらを見つめてくる緑の瞳は

どこかチノと似ている。


「あんたに、ちゃんと謝れなかった。

 今まで、きついこと言って悪かったね。

 あんたがのことが羨ましかった」


ルザを目をそらさずにそう言った。

フレヤはルザがまぶしく見えた。

そうしてアルハフ族の女性たちはこうも凛として

とても素直なのだろうか。


「私は、チョルノの番じゃない。

 チョルノの番が見つからなかったから、

 前族長の娘の私がチョルノの許嫁になったんだ」

「そう、なの」

「でも、チョルノのことは本当に好きだった。

 ぽっと出のあんたなんかにとられたくなかった。

 ……でもあんたはチョルノの番なんだ」

「チノがそう言ったの?」


ルザを首を横に振った。

丁寧に編み上げた髪も一緒に揺れる。


「見てたらわかる。

 チョルノがあんたを見ているときの顔。

 私にはあんな顔見せてくれたことはない」


そう言ってルザは寂しそうに笑った。

ここでルザに謝罪をするのは違う。

それは彼女の誇りを傷つけるだけだ。


「私が、彼の傍にいる。

 一人には、させない」

「うん。

 ……ありがとう」


ルザは笑った。

彼女の目の端に光るものがあるのは見ないふりをした。















フレヤは、用を足してくる、と嘘をついて

川辺に一人で来ていた。

そうでもしなければ、カインやチノがどこまでもついてくるからだ。

誰もいない場所に行きたかった。

一人になりたかった。

静かなせせらぎの音が響く中、

フレヤが嘔吐する音が混じった。

荒い息を吐いて、フレヤは静かな川面を見つめた。

騎士たちの、アルハフ族の、国民の命を背負う重圧が

重くのしかかってきていて、息が詰まるかと思った。

道中、吐き気をずっとこらえていたのだ。

嘔吐したにもかかわらず、首を絞めつけるような

吐き気は消えない。

生理的ににじむ涙を荒くこぶしでぬぐうと、

吐しゃ物に土をかけて見えなくした。

立ち上がって浅瀬に近づき、冷たい川の水で顔を洗う。

ふとフレヤは川の向こう岸に

誰かが立っていることに気付いた。

ひゅっと自分ののどが空気を吸って鋭く鳴った。

ステファンだった。

黒い外套に身を包んでいる、ステファンの姿が

月明かりに照らされていた。

胸のむかつきがすっと冷え込んだ。

二人はしばらく何も話さずにお互いの姿を見つめていた。

ステファンの周りには人の気配はない。

どうやらフレヤと同じく一人のようだ。

まずい。

ステファンにフレヤの歌の力は効かない。

ましてや、ステファン自身の力は未知数。

それ以前に男性であるステファンに力でかなうわけがない。

ステファンしかいないのが不幸中の幸いだ。


「貴女は女王となったのですね」


警戒心をあらわにステファンを見つめていると

唐突に静かな声がかかった。

ステファンとの間に距離があるため、

彼がどんな表情をしているのかは見えない。


「王とは、孤独だとは思いませんか」


唐突な言葉にフレヤは眉をひそめた。

昔のような優しい声でも、

あの夜の時の様に毒を含んだ甘い声でもなかった。

感情の抜け落ちたような無機質な声音だった。

その違和感に目を細める。


「民は王に完璧を求める。

 己が保身のために」

「いいえ、違うわ。

 私が彼らを守りたいから完璧でありたいの」


戸惑いながらもフレヤはそう答えた。

ステファンが何を求めているのかはわからないが

彼に屈するわけにはいかない。

強く、凛としていなければならない。

そうしなければ、頭から喰われてしまうような恐ろしさがあった。


「惨めな姿を他にさらすまいとしている貴女の姿は

 誰よりも気高く、そして、醜く愚かだ」

「かまわない。

 私がすべて背負うから」


ステファンのから殺気は感じられない。

彼は何がしたいのだろう。

フレヤを攫いに来たのなら、とっくに行動に移しているはず。

夜風が二人の間を強く吹き抜ける。

フレヤは髪をかき上げながら、目を細めて風をやり過ごした。


「貴女は変わった。

 変わったしまった」

「私は、変わっていないわ」

「私たちは似ている。

 貴女が変わったことで

 貴女の魂は私により近くなった」


ステファンの言っている意味が分からない。

彼の目的もわからない。

フレヤはステファンの隙を伺った。

しかし、自然体で立っているように見えて、やはり隙がない。


「やはり、私のものにはならない?」

「ええ、決して」

「今なら、貴女の国の民を殺さないで

 奴隷にするだけで済ませてあげるというのに。

 貴女の騎士団ごときでは

 敗北することは貴女もよくご存じかと思っていたのだが」

「……」


わかっていた。

そんなことは誰よりもわかっていた。

血がにじむほど強く唇をかみしめる。

口の中に鉄の味が広がった。

だけど、これしか方法がなかった。

他に、なにも方法がなかった。

何もせずに散っていくよりも、

戦って、立ち向かって、砕け散るほうがいい。

だけど、それは騎士たちを、アルハフ族たちを

この手で殺すようなものだ。

その罪の重さに耐えかねて嘔吐したことを、

ステファンは見抜いている。

ばしゃりと水音がしてはっとした。

ステファンが少しずつこちらに近づいてくる。

恐怖心が一気に膨れ上がった。


「こ、ないで」


護身用のナイフは置いてきてしまった。

フレヤは後ずさって逃げようとしたが、

それよりもステファンがこちらにたどり着くのが早かった。

頬に手を当てられる。

ひやりとした冷たい手。

まるで首にナイフを突きつけられているような感覚だ。


「はやく貴女が絶望し、その魂を闇に堕とす姿が見たい」


睦言の様に甘くささやかれる冷たい言葉。

恐怖に目を見開いた自分の姿が、

ステファンの目に反射して映っているのが見えた。

美しいアイスブルーの瞳はダークエルフの血族の証。

太陽神の姿をした悪魔のような男。

すっと手が離れて髪をすいていくのを震えながら見つめた。


「貴女がその気高い魂を闇に堕とした姿は

 地獄の女神のごとき美しさだろう。

 その時はこの髪に、血のように赤い薔薇と、

 闇よりも暗い黒の薔薇を飾りたい」


さらり、とかすかな音を立てて

髪が肩を滑り落ちていくのを感じた。

ゆっくりとステファンの手が離れていく。


「私は、どんな目に遭おうとも

 あなたにだけは屈しない」


はおw食いしばるようにして、地を這うような低い声で言うと、

ステファンは虚を突かれたようにわずかに目を見開いた。

次の瞬間にはくすくすと笑いだした。

フレヤが大好きだった笑顔で。

まるでたちの悪い悪夢のようだ。

いっそ今までのことがすべて夢だったらと

何度願ったことだろう。

だけど、これは冷たく、硬い現実。

まぎれもない、運命だ。


「それでこそ貴女だ、フレヤ様。

 とげのある薔薇ほど手折り甲斐があるというもの。

 その気高い魂を黒く染めて、私だけのものにしたい」


ごくごく自然な仕草でフレヤの手を取ると、

ステファンはそこに氷のような口づけを落とした。

その姿は、舞踏会でフレヤにダンスを申し込んだ時のものと

何一つ変わらなかった。

アイスブルーの目は凍えんばかりの熱が踊っていて

見るだけで動けなくなってしまう。

彼はふわりと立ち上がると、何事もなかったかのように

向こう岸に歩き出した。

一度も振り返らない背中は、

夜の闇に紛れてすぐに見えなくなってしまう。

その場には川岸にへたり込むフレヤだけが取り残された。


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