コメディ・ライト小説(新)

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マーメイドウィッチ
日時: 2016/07/30 19:31
名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)

世界が止まった。



手が震える。



数拍のちに気付く。









私は大切な人に裏切られたのだと。

Re: マーメイドウィッチ ( No.60 )
日時: 2017/05/23 21:14
名前: いろはうた (ID: Sm0HUDdw)

「なっ……!!」


初めてステファンが微笑みを顔から消した。

チノも珍しく驚きの表情でステファンの背後を見ていた。

ステファンはわずかに驚きの色をにじませながら、急いで振り返ると

そこには数えきれないほどの異民族の軍が、

騎士たちに襲い掛かっていた。

あの民族衣装は、シウたちの服装と似ていた。

シウの援軍だった。

怒号が響き渡り、地下牢が揺れているかのような錯覚に襲われる。


「我が、何の策もなしに敵地に乗り込むわけがなかろう」


ステファンと対照的に、シウがゆったりとした余裕のある笑みを浮かべた。

三日月の形に薄い唇が弧を描く。


「愚かなる人間の王よ。

 汝は、敵に回す相手を間違えたな。

 ……おい、行くぞ」


シウが一瞬こちらを見た後、悠然と歩きだす。

騎士たちも、シウが歩き出したことに気付いたが、

兵たちの猛攻に苦戦しており、そこまで手が回らない。

一瞬、フレヤのほうを振り返った後。

チノがゆっくりとナイフをステファンの首から降ろす。

フレヤは、カルトに支えられて立ち上がった。

足がふらつきよろめく。

だが、進まなければならない。

アルハフ族たちのほうを見ると、みんな小さくうなずき返してくれた。

足を一歩踏み出す。

すると、シウの足が止まった。



「ああ、そうだ。

 ついでに汝も捕らえてやるか?

 捕らえるにはまたとない好奇ゆえ」


シウの瞳がステファンをとらえる。

彼はギリリと奥歯を噛みしめているようだった。

視線を伏せたままステファンが一歩後ろに下がる。


「囚われの身となるのは遠慮する。

 フレヤ様をお迎えするのは別に今でなくともいい。

 ……ここは私が退こう」


青ざめた顔で、吐き捨てるようにしてステファンは言った。

端正な顔をゆがめてフレヤを見つめた後、

ステファンは身をひるがえして地下牢の廊下の角を曲がってしまった。

カルトが忌々しそうに舌打ちをした。


「追うか?」

「……いいえ。

 みんなを逃がすのが先よ」

「口ほどにもない骨のない男よ。

 ……だが、退くべき時をわきまえている。

 あれはまた汝を狙うぞ人魚姫」

「わかって、いるわ……」


かすれた声で返事をする。

声が出る。

小さいが声が聞こえさえすればいい。

歌う。

ところどころかすれてしまう。

だけどやめない。

歌っているのは眠りの歌。

声は徐々に大きくなり、怒号の声はやがて小さくなっていく。

一人また一人と強烈な眠気に襲われた騎士たちが床に崩れ落ちる。


「行くぞ」


チノが戻ってきて、フレヤの手を取った。

いつもとは違い、今日はチノが手を引いてくれる。

この大きな手にまた触れられたのが泣きそうなくらい嬉しくて、

ひどく苦しかった。
















けぶるように降ってきた雨の中、

フレヤたち一行は、無事に王宮を抜け出した。

その後、王都のはずれにある森に身をひそめていた

アルハフ族の女性や子供たちと合流することに成功した。

夫や息子たちとの再会を泣いて喜ぶ人たちを遠くからそっと見守る。

少し離れたところでは、ルザがチノに縋りついて泣いていた。

綺麗な顔をぐしゃぐしゃにゆがめて、大粒の涙をこぼしていた。

その光景からそっと目をそらす。

代わりに向かったのはシウのほうだ。


「助けてくれて、ありがとう」


髪を拭いていたシウがこちらを見る。

濡れた黒髪が白い肌に張り付いて、色香のようなものが漂っている。

愁いを帯びた紅玉のような瞳と相まって

ぞっとするような魔性の美貌だった。


「別に礼などいらぬ。

 こうでもせねば、汝はこの国から離れぬ」


真紅の瞳がすっとそらされた。

はらりと黒髪が一筋垂れるのを煩わしそうにかき上げる姿でさえ

絵になる美しさだった。

その姿が父と重なる。

この美しさだったら、美しい娘たちが次から次へと

際限なく寄ってくるだろう。

人望もある。

だけど、愛を知らぬ寂しい人なのだ。


「……なんだその目は」

「いいえ、別に」


少しぶしつけな視線すぎたようだ。

こちらに近づく気配をふと感じた。

はっとしてみると、チノがこちらに向かって歩いてくるところだった。


「我が一族を救ってくれたこと、礼を言う」


しかし、その緑の目は、シウを信用しきっていなかった。

自然体でいるように見えて、一切隙を見せない立ち振る舞い。

シウと対峙しても全く引けを足らないほどの気迫に満ちている長身は

緊張に満ちていた。


「そう牙をむくな。

 犬の血がやたら濃いとは思ってはいたが、

 まさかこの一族の族長だったとはな」

「御託はいい。

 目的はなんだ」


警戒心もあらわに、緑の目をチノが細めて言った。


「異形の民のための小さな国を作る。

 我はそこの王となる。

 汝らに、ともに来ぬかと誘うためだ。

 他の者は族長の判断を仰がねばならぬ故、返事を待てと焦らされてな」

「……何?」


聞きなれぬ単語を耳にしたかのようにチノが眉をひそめた。

今まで、シウは敵か味方はっきりしなかった存在。

当然と言えば当然の反応だ。


「王となって何を望む」

「愚かな人間どもから、我ら異形の民を守るための国だ。

 それ以上は何も望まぬ」


チノは真偽を見定めるかのように、黙ってシウを見つめている。

フレヤは黙って見ているしかない。

これは、一族の問題で部外者の自分が口を出していい問題ではない。

数秒の沈黙の後、ゆっくりとチノが口を開いた。


「嘘、ではなさそうだな」

「我は嘘など、こんな下らぬことでは言わぬ」

「ならばこちらも嘘偽りなく答えよう。

 丁重に断らせていただく」

「……ほう?」


その答えが予想通りだったのか、シウはあまり表情を変えなかった。

しかし、その傍に控えていたリンが一瞬で顔色を変えた。


「アンタ、族長だか何だか知らないけど、

 シウ様のご好意を無駄にするなんて何様のつもり!?」

「別に、国に入れてくれと頼んだ覚えはない」

「この……ッ!!」

「よい、リン。

 理由をきかせてもらおうか」


鼻息荒くチノに掴みかかろうとするリンを、

シウがさっと手で制した。

チノはちらりとリンを一瞥してから、口を開いた。


「我らはさすらいの民アルハフ族。

 この国に来たのは一時の休息のためだったが、

 それを激しく拒まれただけだ。

 我らは一定の場所にとどまるのを好まない。

 めぐる季節とともに寄り添い暮らす」

「さようか」


それだけ言うと、シウは口を閉じた。

面食らってしまう。

シウのことだから、くどくどと偉そうに不満を漏らすのかと思った。


「……なんだその目は」

「別に何でもないわ」


少し熱心に見つめすぎたようだ。

視線をそらすと、シウの背後から、龍族の長であるロンが

こちらに向かって歩いてくるのが見えた。

濡れた長髪からはまだぽたりぽたりと雫が垂れている。


「シウ。

 長居は無用だ。

 出るならさっさと出ねぇと」

「ああ」


この青年だけは、他の者とは違い、

シウに砕けた態度をとっている。

それをシウが咎める様子も見せない。

信頼関係のような、二人の間に見えない絆を感じた。

旧知の間柄なのかもしれない。


「で、そのちっこいのが、おまえの嫁になるのか?」


ぐっと顔をのぞきこまれ、たじろぐ。

ロンの身長はすごく高い。

フレヤの身長は、彼の胸あたりにも届かない。

琥珀色の透き通った瞳が、じっと目をのぞき込んでくる。


「誰が誰の嫁だと?」


ものすごく低いチノの声が背後から聞こえたかと思うと

おなかのあたりに太い腕が回って、ぐいっと後ろに引き寄せられた。

背中にぬくもりが当たる。

意味もなく心臓が飛び跳ねた。


「その娘だよ。

 シウが嫁にするためにケツ追っかけまわしていたんだろ?」

「ふざけたことをぬかすなロン。

 この娘の力がわが国にとって有益であり、

 妃の器としてふさわしい者だと判断しただけだ。

 尻など追いかけておらぬ」

「……どういうことだフレヤ」


耳元に、地を這うような低いチノの声が吹き込まれ

背がぞわぞわする。

ひどく落ち着かなくて視線を左右にさまよわせた。


「どうもこうもない。

 我が妻にその娘を望み、かの者は汝ら一族の救出と

 妹の安否確認と引き換えに条件を呑んだ」

「本当なのか、フレヤ」


チノの声が怒りのような強い感情のためにかすれた。

なぜ彼が怒っているのかわからない。

動こうとしたが、おなかの上にある腕はびくともしなかった。

混乱のまま、小さくうなずくと、

背後のチノの気配が、氷河の様に冷たく重くなった。


「認めない。

 おまえの国には行かせない。

 どうしても行くというのなら、おれも行こう」

「汝は族長であろう?」

「族長ならやめると何度も一族の者に伝えてある」


ぐっと、おなかに回る腕の力が強くなった。

シウはそれを見て不機嫌そうに眉をひそめた。

フレヤは、必死に今の状況が何なのかを考え、

そして答えを見出した。

そうだ。

チノは、フレヤがアルハフ族のために身を売るような真似をしたことを

怒っているのだ。

それしか、思いつかない。

そう悟った瞬間、理由もなく泣きそうになった。

何故一瞬でも、フレヤをシウに渡したくないと

チノが考えてくれているのではないかと、

ありえないことを望んでしまったんだろう。

うなだれるフレヤを見てシウはふんと鼻を鳴らした。


「もうよい。

 ともかく、この国にもう用はない。

 滅びるなら勝手にすればいい。

 さっさとこの国を出るぞ」


その真紅の瞳にはひとかけらの憐憫も残っていなくて、

彼が異形のものなのだと、強く認識させられた。

Re: マーメイドウィッチ ( No.61 )
日時: 2017/05/29 00:42
名前: いろはうた (ID: Sm0HUDdw)

不意に、アルハフ族の者たちが、体をこわばらせた。

あたりに緊張が走る。


「……誰か来る」


チノが油断なく、一つの方角を見つめていた。

聞こえるのは、馬のひづめの音だ。

この感じだと、かなりの速さで駆けている。

王宮の兵の可能性が高い。

戦えるものは、さっと腰の剣を抜き放ち、構える。

アルハフ族の女性たちは、自分の子供を引き連れて、

木の陰に隠れて息をひそめた。

フレヤもいつでも歌えるように大きく息を吸い込んだ。


「フレヤ様!!

 どこにおられますかー!?」


しかし、その声をきいて、フレヤははっと目を見開いた。

この声は。


「カイン!?

 カインなの!?」


思わずチノの腕から抜け出して、駆けだしてしまう。

馬に乗る人物が見えた。

やはり間違いない。

さらに大きく一歩踏み出す。

しかし、気持ちがはやるあまり、足がもつれて転びそうになる。


「きゃっ」

「フレヤ……!!」

「フレヤ様……!!」


身体が傾く。

チノが焦った顔でこちらに駆け寄ってくるのが視界の端で見えた。

衝撃を覚悟してぎゅっと目を閉じた。

だが、思っていたよりも衝撃が強くない。

なにか硬いものに抱き留められたような。


「お怪我はございませんか?」


柔らかい声が気づかいの響きを帯びて耳に届く。

硬い感触の騎士服。

なつかしさが胸にこみあげる。


「ありがとう、カイン。

 大丈夫よ」

「はい、フレヤ様」


柔らかく細められたグレーの瞳をこんなに近くで見るのは

いつぶりだろうか。

はっとして周りを見渡すと、

みんなは一様に硬い表情を保っていた。


「フレヤ、その男から離れろ」


チノでさえ、ひどく硬い声で慎重に呼びかけてくる。

フレヤから動く前に、チノが抱き上げてこようとしたが

むっとした表情でカインがフレヤを硬く抱き寄せた。


「おれは、フレヤ様の敵ではない」

「そういう問題ではない。

 おまえは、メノウに操られているかのせいがある」


チノがひどく低い声でそう言った。

はっとする。

たしかにそうだ。

カインが操られていないという保証がどこにある。

カインを突飛ばすようにして、その身から離れると

彼の顔を両手で包み込んで引き寄せた。


「ふ、フレヤ様っ」

「静かに、私の目を見て」


グレーの瞳は落ち着きなくあたりをさまよっているが

妙な淀みなどはなく、澄んでいた。

意識もはっきりしている。

操られているわけではなさそうだ。

しかし、カインの整った唇が意味もなく震え

包み込んでいる頬が熱を帯び赤くなっていくのが気になる。

薄い唇を親指でさすると、カインが息をのむ気配がした。


「大丈夫。

 彼は、私付きの騎士だった人よ。

 信頼できるわ。

 操られている痕跡もない」


フレヤの言葉にその場の空気がわずかに緩んだ。

しかし、なぜかチノの荒々しい気配は消えない。

今度は、無言でひったくるようにフレヤの体を抱き上げた。

一瞬で、カインのまなざしが険しいものに代わる。

彼も即座に立ち上がった。

はっとして見ると、カインの隣には馬がいた。

フレヤが転ぶ瞬間に馬を下りたのか。

相変わらず、恐ろしいまでの身体能力だった。


「っ、おまえは……」


憎々しげな声だった。

カインはチノが来るまでは、フレヤ専属の騎士だった。

幼いころから、ずっと守ってくれていた。

それをチノを王から守るためとはいえ、地位を奪われた存在なのだから

憎い存在となってしまうのは仕方のないことかもしれない。


「なぜ、追ってきたのカイン。

 危険なのはわかっているはずよ」

「フレヤ様。

 私の主はフレヤ様ただおひとり。

 たとえ、あなたが私という剣を握ることがなくとも、

 あなたの剣であることは未来永劫変わりません」


さっと騎士の礼の形をとり、地面に片膝をついて

カインはこちらを見上げてくる。

端正な顔に乱れた前髪がはらりとかかる。

真剣なまなざし。

嘘偽りのない言葉なのだと悟る。


「私は、国を捨てようとしているのよ」

「私は国ではなく、貴女様ご自身にお仕えしております。

 今までご同行できなかったわたくしめをお許しください。

 今度こそ地の果てまでもお供いたします」
「だめよ。

 連れて行かない」


フレヤはきっぱりと言った。

カインの瞳に傷ついた色が走る。

それを見て良心が痛んだが、厳しい表情は保った。

フレヤは、チノの腕を軽くたたいて、おろしてもらった。

こうでもしないとカインはついてくる。

チノを護衛役にし、彼は解任するのだって

剣術で負けるその瞬間まで頑として認めようとしなかった。


「その命令だけは聞けません」

「カイン」

「あなたさまが、崖からご乱心なさり転落なさったとの噂を聞いた時

 あれほど己を呪ったことはございませんでした。

 もうあの時のような思いをしたくありません」


言うなり、カインは腰の剣を抜き放った。

くるりと刃のほうを自分に向け、柄をフレヤに差し出してくる。


「どうしても捨てるというのであれば、

 わが身をこの剣でお切捨てください」

「カイン!!」


手がわなわなと震えた。

彼の目は澄み切っていて、どれだけ本気で言っているのか

痛いくらいに伝わってきた。


「あなたさまに殺されるのであれば、本望」

「おまえ、主を人殺しにする気か」


チノが押し殺した声でつぶやく。

まだ頭が混乱していて、今の状況についていけない。

今何が起こっている。


「貴様は黙っていろ」


痛々しいまなざしとはうってかわって、

チノを睨みつける目はギラギラしていた。

手にじわりと汗がにじんだ。

カインは何か変わってしまった。

それは、自分がおこしてしまった変化なのだろうか。


「カイン」

「はい、フレヤ様」


グレーの目がこちらを見つめた。

水晶の様に澄み切った瞳だった。


「私は国王殺しの罪を追った女よ」

「はい」

「国を敵に回して追われているわ。

 危険な旅になる」

「はい」

「そして、貧困にあえぐこの国を捨てるつもりよ」

「はい」

「それでも私とともに来るというの」

「はい、フレヤ様」


フレヤは瞬きもしないで、じっとカインの目を見つめ続けた。

数秒の沈黙ののち、フレヤは息を吐いた。


「私が今から行くのは隣国です」


カインの目が輝いた。

フレヤが折れたのを悟ったのだろう。

カインはすっと剣を引くと鞘に納めた。

おい、とシウが咎めるように声を上げたが、仕方がない。

フレヤにはカインを殺せない。

しかし、カインの表情はすぐに曇った。


「隣国と言いますと」

「ステファン王の懐よ」


カインはしばらく何も言わなかった。

何かを思案するように考えこんでいる。


「フレヤ様。

 そのあとは、この者たちについていくおつもりですか」

「……ええ」

「かしこまりました。

 我が力を剣として盾として、存分にお使いください」


白髪に近いプラチナブロンドの頭を低く低く垂れる

カインの姿は、姫に忠誠を誓う騎士そのものだった。

まだ、アルハフ族の者や、シウの配下の者たちは

様子をうかがうように、遠巻きにカインを見ている。


「ではさっそくだけど、ここを発つわ」

「かしこまりました」


そっそうと髪をひるがえらせて歩くと、

カインがそのうしろをついてくる。

違和感を覚えた。

ここ数か月、後ろをついてきてくれるのはチノだったから。

なつかしさよりも違和感を覚えている自分がいることに

気づきたくなどなかった。


「アルハフ族のみんなとはここでお別れね」

「あ、おれはついていくけどね」


場違いなほど軽い口調でカルトが言った。

驚いて足を止めると、まるで体重を感じさせない

軽い足取りでカルトがこちらに近づいてくる。


「チョルノ、お前は来るな」

「ふざけるな、おれは」

「……ふざけてんのはどっちだよ」


すさまじい勢いで、カルトがチノの胸倉を掴んだ。

フレヤとチノにしか聞き取れないような小さな声でつぶやく。


「おまえ、自分の気持ちだけで動いていい立場じゃないだろ」

「知っている」

「一族はどうする気だよ」

「おれがいなくとも」

「そういう問題じゃない」


二人の会話は平行線上に続いていてどこまでも交わろうとしなかった。

だけど、二人とも、決して自分の意見を曲げようとしない。

カルトは、チノには族長をしてほしいからフレヤについていきたい。

チノは、こちらに義理のようなものを感じているから

ついてきて来ようとしているのだろうか。


「もういい、煩わしいな。

 来るのならまとめて来い。

 一刻も早くここを抜け出したい」


不機嫌なシウの一言で、あたりが静まり返る。

アルハフ族の者たちがひそひそと話している。

フレヤは目を伏せた。

フレヤのせいで、城に捕らえらるような目に遭ったのだ。

陰口をたたきたくなるのも無理はない。

しかし、やがてアルハフ族の呪術師トンガが前に進み出てきた。


「行きな、チョルノ。

 私らのことは私らが何とかするよ。

 我ら一族を二度も救った恩人だ。

 恩は返さなければケダモノにも劣る」

「ババ様!!」


カルトが顔色を変えたが、トンガの表情は変わらなかった。

まるで最初からすべてを知っていたかのように。


「あんたもわかってんだろ、カルト」

「……」


何のことだろう。

フレヤにはわからなかったが、どうやらアルハフ族は

族長であるチョルノをフレヤとともに一時的に送り出すことに

同意したようだった。

それは、チノの存在が半分、フレヤへの恩返しが半分といったところか。

ルザは肩を震わせて、ミクリの肩をぎゅっと抱きしめているようだった。

彼女は、いったい自分のせいでどれだけ傷ついただろうか。

胸がズシリと重くなった。

Re: マーメイドウィッチ ( No.62 )
日時: 2017/06/02 14:30
名前: いろはうた (ID: Sm0HUDdw)

フレヤはシウの軍とともに、東へと進んだ。

アルハフ族のみんなには、心からの謝罪をささげたが、

別におまえのせいではない、と首を横に振られた。

別れ際にルザの弟ミクリに野花を髪にさしてもらい、

またいつか会おうと手を振って別れた。

ルザは最後までチノだけを見つめていた。

一方のチノとカルトの中は険悪になっていた。

二人とも、お互いのことをまるでいない者のように扱い、

話しかけもしないし、見向きもしない。

その二人をまるごと無視して、

フレヤの傍に寄り添っているのがカインだった。

カインはもともとアルハフ族に対して差別的な様子は見せてこなかった。

だが、チノには思うところがあるらしく毛嫌いしている。


「なぜ、私がいる場所が分かったの?」


隣を歩くカインに尋ねる。

カインが小首をかしげてこちらを見つめる。

さらりとした前髪がグレーの瞳を覆った。


「なぜ、とは」

「私は、異形の者たちと行動を共にしていたわ。

 彼らは痕跡を一切残さずここまで来たはずよ」

「それは簡単なことです。

 あなたさまはアルハフ族とともに行動なさっているという情報は

 手に入れておりました。

 アルハフ族の救出ののち、どこで誰と合流するのか

 想像するのはたやすい」


淡々とした口調だった。

それが不安をあおる。

ステファンだってとらえたのはアルハフ族の男性のみだということに

気づいていたはず。

フレヤが万が一、アルハフ族救出に成功し、王宮を抜け出した際に

残りのアルハフ族と合流することはわかっていたはずだ。

だというのに、待ち伏せも追手もなかった。


「私は、あなたさまを信じておりました。

 王殺しをするはずなどない、そう簡単に亡くなるはずがない、と。

 そして、必ずお優しいあなたさまはアルハフ族を救い、

 この王宮を抜け出すと」

「ずいぶんと私を信頼しているのね。

 私が捕らえられたらどうするつもりだったの」

「命を懸けてお守りするまでのことです」


一切の迷いがなかった。

まるで当然のことのように自分の命を懸けるカインが悲しい。

本気で、自分の命を何とも思っていないのがわかる。


「あなたがその考えを改めるまで、

 私はあなたを傍に置くつもりはないわ、カイン。

 ついてきたければ勝手にしなさい」


悲しみが荒い口調となって口からほとばしる。

だけど、カインは何事もなかったかのように、はい、とうなずいた。
















いっそ罠なのかと思うほど、道中は何も起こらなかった。

追手の気配もないし、問題ごともない。

ただ、ぎくしゃくとした空気のまま一行は進んでいく。

フレヤは、カインから離れるようにして歩みを速めた。

空を飛ぶ能力を持つ、鴉天狗の一族の者と、龍族の者は

先に隣国へと渡り、情報収集を行う予定だ。

ちらりと背後にいるチノを見た。

チノと話をしておきたかった。

ちゃんと会話をしなくて、もう十日ほど経っている。

最後に、きちんと会話をできなかったのが胸の中で

とげの様に引っかかっていたのだ。

今度はゆっくりと歩みを緩めて、チノのほうに向かう。


「どうした」


すぐにチノがこちらに気付いた。

緑の瞳にまっすぐに見つめられ、心臓が変に跳ね上がる。

頬に熱が集まるのを感じながらなんでもない振りをする。


「話を、したくて」


いつも通りふるまえているだろうか。

汗ばんだ手でぎこちなく髪をかき上げる。


「前は感情的になってしまったから」


自分らしく振舞えない。

足にうまく力が入らなくなって、よろけたところを支えられた。

真っ赤になりながら、もごもごと小さく礼を言う。

だが、大きな手はなかなか離れなかった。


「話すことなら、前、おれは話したつもりだ」


そう言われて、最後に話した会話の内容を思い出す。

まだ鮮明に覚えている。

チノが見たことのないほどに強い感情に全身を支配されていて、

マグマのようなどろどろとした熱いものがにじむ言葉を

何度もぶつけてきた。

どうしたらいいのかわからなくて、

フレヤはただ茫然としているだけだった。


「私は、チノを捨てたかったわけではない。

 チノはもともと私の騎士でも何でもないわ。

 元いた場所に帰そうと思って」

「だから、それが気に入らないと言っている」


のどの奥でうなるようにチノが言った。

足が止まる。

チノも足を止めてこちらを見つめた。


「どうして?」

「おれがおまえの傍にいたいと言っているのに、

 おまえはおれを無理やり引き離そうとする」


どんどんみんなの列から離れていってしまう。

だけど、今はチノに集中すべきだと分かった。

今、聞かなければならない話なのだ。

「どうして?

 あなたは……」


あなたには、一族も婚約者もいるというのに。

そう言おうとして、言葉に詰まった。

違う。

なんだか、こういうことを言いたいのではない気がしてきた。

では、いったい何が言いたいのだろう。


「……おまえはどこまでも王女なのだな」


フレヤが何を言おうとしたのか悟ったらしく

チノが唇の端を歪めるようにして笑った。

胸が軋む。

違う。

そんな顔をさせたかったわけではない・


「おれは、王女としての、

 上に立つものとしての言葉が聞きたいわけではない」


じりっとチノが一歩近づいてきた。

それに気おされて、一歩後ろに下がる。

チノがこちらに向かって手を伸ばしてきた。

ちらりとその目がシウたちのほうにむけられたあと、

彼はさらにこちらへの距離を詰めてきた。

あわててフレヤも後ろに下がったが、

足の長さが全然違うのですぐに追い詰められてしまった。

とん、と背中に木の幹が当たった。

はっと気づけば、頭のすぐ上に、チノが両手を置いていた。

腕に囲われるようにして、顔をのぞき込まれる。

一切のごまかしや言い逃れは許されない空気だった。


「おれは、おまえにだけは己の醜い部分を見せたくはなかったが

 そうもいかないらしい」


チノが暗く笑った。

いつもの穏やかな表情と全然違った。

端正な顔を感情のままに惜しげもなくゆがめている。

こんな顔をさせているのは、自分なのだろうか。

仄昏い喜びが胸に沸き起こった。

今、この瞬間のチノの表情は私のものなのだ。

他の誰でもなく、ただ一人私だけのもの。


「チノは、自分のことを醜いとか言うけど、

 私のほうがよほど醜いわ。

 ……目をそむけたくなるほどに」


彼はわずかに虚を突かれたような表情を見せたが、

すぐにそれは掻き消えてしまった。

どうしてだろう。

いくら言葉を重ねても、チノの心には届かないような

もどかしい気持ちが消えない。


「……いっそ、おまえの体を縛り付けてしまいたい。

 そうすればおまえは、どこにも行かなくなるのに」


憎々し気にチノが耳にささやいた。

突然の言葉にフレヤは瞬きを繰り返した。

耳がとけおちてしまいそうな感覚だった。


「……もう我慢の限界だ。

 我慢をしすぎて気が狂いそうだ」


細められた瞳がわずかに金色を帯びていて、はっとする。

そういえば、もうすぐ満月だ。

チノは今正常な状態ではない。

狼の血が騒いでいるからこんな風になっているのだ。

今の彼の言葉は、本能からの、本心の言葉だ。

一瞬チノが目を伏せた後、またこちらを見た。

不自然なまでに凪いだ目だった。

嵐の前の静けさのような。


「次におまえが、おれをおまえから引き離そうとしたら」


すっとチノの手が伸びてきて頬に触れた。

こんな風に触れられることは初めてだったので、

驚いて動けなくなってしまう。

指先は顎のラインをなぞった後、するりと首におりた。


「おれは、この短剣で、自分の心の臓を貫く」


わずかにチノの指が首の皮膚に食い込んだ。

呼吸が一瞬止まった。

頭が真っ白になる。

言葉が咄嗟にうまく出なかった。


「言っておくがこれ以上ないくらいに、正気で本気だ。

 おれはやると言ったら、やる」

「ばっ、馬鹿なことを言わないで!!」

「おまえは優しいからな。

 見知った者の命を見捨てることなどできない」

「やめて」


いやいやをするように首を強く横に振ったが、

チノは仄暗い笑みを浮かべるだけだった。

その手はフレヤの首からゆっくりと離れると、

チノの腰へと向かった。

そこにあるのは、チノの短剣。


「なんなら、今、実演してもかまわないが」

「やめて!!」


思わず感情的に叫んだ。

手が震える。

チノを失う?

目の前で?

できない。

許せるわけがない。


「おまえのために、やめてほしいか?

 おまえのためなら、やめてやってもいい」

「チノ!!

 お願いだから!!」

「おまえのために?」


チノは怖いくらいに落ち着いていて、

同じ言葉を繰り返す。

チノの手が腰の短剣をするりと抜いたのが見えた。


「……私の、ために」


ふうっと、チノの緑の瞳に昏い色が溶けて混ざった。

短剣が腰の鞘に戻された。

すっとチノの体がフレヤから一歩離れる。

途端に、その場に崩れ落ちてしまいそうな脱力感が

フレヤを襲った。

どっと冷汗が体中に吹き出る。


「……今は、これでいい」


チノの目は伏せられていた。

その瞳には仄暗い喜びと、薄く広がる悲しみのようなものが見て取れて

フレヤは目を細めた。

感情的な会話がしたかったわけではない。

彼の心に少しだけ触れたかっただけなのに、

触れたかったものは指の隙間をすり抜けていったような感覚だった。

Re: マーメイドウィッチ ( No.63 )
日時: 2017/06/04 00:48
名前: いろはうた (ID: Sm0HUDdw)

国境までの道は、なるべく人通りを避けて、

村はずれの道を歩いたり、道なき道を歩くこともあった。

しかし、道中は不気味なほど何事もなかった。

それが、幸運だからだと考えるには

あまりにも過酷な経験をしすぎていた。

これも罠の一つかもしれないと考えるほどには

用心深くならざるを得なくなっていた。


「今夜はここで野宿だ」


そうカルトが言ったのは、日が傾き始めたころだった。

山の中をくたくたになるまで歩いていたフレヤは、

心の中で安堵のため息をついた。

もう動きたくないくらいに疲れていた。

てきぱきと野宿の準備をすすめる異形の者たちに

手伝いをしようと声をかけようとした。

しかし、あんた邪魔、とカルトに隅に追いやられ

ぐったりと地面に座り込むという情けないありさまだった。


「姫、あまり無理はなさらぬよう」


カインが心配そうにフレヤの顔をのぞき込む。

昔と同じ呼び方に、わずかななつかしさが胸に灯った。

その思い出は、今ではあまりにも遠い日々だった。


「平気よ。

 それに私はもう姫じゃないからその呼び方はやめて」

「明日からは、私がお運びいたしましょうか、姫」


カインはその言葉が聞こえなかったかのように、呼び名を変えなかった。

フレヤはむっとしてわずかに眉をひそめた。


「カイン、私はもう」

「あなたさまがたとえ王都を追われる身となったとしても、

 私にとって姫であることには、変わりありません」

「いいえ。

 もう姫と呼ばれる身分でいていいほど、愚かではないつもりよ」

「あなたさまは……」


カインがわずかに瞳を陰らせた。

その手がぎゅっと握りしめられる。

幼いころからフレヤだけを守ってきた手だ。

その手がフレヤに触れたことは一度だってない。

騎士としての一線を越えることは決してない、まじめな人だ。


「あなたさまは、変わられてしまった」


ひそやかな声だった。

ゆっくりと瞬きをする。

変わった?


「そんなことない。

 何一つ変わっていないわ」

「いいえ。

 今のあなたさまは、もう昔の姫とは違う」

「もし私が変わってしまったと感じるなら、

 それはいいことかもしれない。

 私は無知で愚かだった。

 今は少しだけましになったと思うわ」


民のことを知ったふりをして、何一つ救えていなかった。

国の一部だけを見て、全てを見ようとはしなかった。

王族の無知は罪なのだ。


「そういえば、何故隣国に行くのか話していなかったわね」

「危険をおかしてまでなさりたいことがあるのですか?」

「ヘレナを、さらう」


その言葉は、今まで誰にも言っていなかったことだったので

驚いたシウがこちらを振り返った。

異形の者たちも作業の手を止めてこちらを見る。


「汝、己の妹とはいえ、一国の王妃をさらうのが

 どれだけのことかわかっているのか」

「わかっているわ」


フレヤは深く頷いてみせた。

シウが真紅の瞳を細めてこちらを見つめる。

何かを見定めているような目。


「約束を反故にする気か。

 汝は、己の妹の安否確認だけをしに行くのではなかったか」

「ここに来るまでの道でずっと考えていたの。

 ……でも、やっぱりステファン様のもとには置いておけない」


強くこぶしを握り締めた。

冷たいアイスブルーの瞳を思い出しても、

もう心が躍るようなことはなくなってしまった。

心に灯るのは、憎悪なのか、悲哀なのかわからない。


「だから協力してほしい」

「我が、否と言うとは露とも考えていなさそうな顔だな」

「あなたのこと、信用しているから」


そう言うと、シウはわずかに虚を突かれたような顔見せた。

そしてすぐにその表情を見せたのを恥じるかのように、

片手で口元を覆ってしまった。

シウは、その整いすぎた容姿のせいで冷酷な印象を受けるが

こうして一緒に過ごしていると、ずいぶんと人間臭い表情も

するのかと驚いてしまう。


「……我を愚弄するか」

「信用しているという言葉のどこが愚弄することになるの」


シウがこちらを睨みつけてくるが、まったく怖くなかった。

反論の言葉はない。

交渉成立だった。

王妃を、妹をさらいに行くのだ。















夜のとばりがおちた。

あたりは闇に包まれ、フレヤの目では何も見ない。

だが、夜目のきくチノとカルトがてきぱきと食事の配膳をしていた。

驚いたのは、シウの食事だった。

吸血鬼の一族だと聞いていたから、

どこかから人間を攫ってきて生き血をすするのかと

はらはらしていたが、ごく普通に、炙ったウサギの肉を口にしていた。

どうやら、毎度の食事が血、と言うわけではないらしい。


「王妃を攫うと言ったな。

 良き策でもあるというのか」


視線に気づいたのか、シウがそう問いかけてきた。

フレヤは食事の手を止めて、シウを見つめた。


「ステファン様の城は、何度も訪れているから

 簡単な構造くらいはわかるわ」

「王妃の部屋もか?」

「……ヘレナの部屋はおそらく、城の最上階。

 ステファン王の自室の隣よ」


話を聞いていた異形の兵たちがわずかにざわつく。

これ以上ないほどにリスクの高いことに手を出そうとしていることを

悟ったのだろう。

もとより危険は承知している。


「どう攫うつもりだ。

 あの王のことだ。

 厳重な警備で城を囲っているのは間違いない」

「そうね。

 だから、窓から突入する」


さらりと放たれた言葉に、カインが驚いて目を見開いたのが見えた。

それもそうだろう。

空を飛んで攫うだなんて、普通なら正気を疑うような作戦だ。


「だから、またあなたの軍に頼ることになる」

「それは別に構わぬ。

 だが、王妃が拒んだ場合はどうする」

「……どういうこと?」


言われていることがわからなくて眉を顰める。

シウは淡々と言葉をつづけた。


「王妃が、ともには行かぬと救いの手を拒んだら

 どうするのかと聞いている」

「……」


それは、心の中で消しきれなかった可能性の一つだった。

ヘレナはステファンを慕っていた。

少なくとも、姉を裏切ってまで手に入れるほど

愛しているのだろう。

利用されているとも知らずに。

ステファンがヘレナを利用していると感じたのは

あの本当の性格を見てからだった。

ヘレナは、絶対に気付けない。


「……それでも、奪うの」


しばらくの間その場が沈黙に満ちた。

やがて、シウはため息をついた。


「まぁよい。

 今回のことは全て汝の言い出したことゆえ、

 汝にすべて任せる。

 我は手は貸すが、作戦などには口を出さぬ」


つややかな黒髪がシウの額にはらりとかかり、瞳を見えなくした。

煩わし気にそれをかき上げる姿は、まるで

作戦のことに興味がないようにも見えた。

フレヤは唇をかみしめた。

シウは言葉通り本当に異形の者にしか心を開かない。

たとえ、異形の者の親族がどうなろうと

異形の力がなければまるで興味を示さない。

自分の言い方が悪かったのだろうかと考え込むが、

シウは立ち上がってしまった。


「明日、また作戦とやらは聞こう。

 今宵は早めに寝る」


そう言うと、彼はさっさと歩きだしてしまった。














「あなたは……何をやっていたのですか……!!」


暗がりの中、珍しいほどに感情をあらわにした

メノウの声が響き渡った。

いつもは人形のように表情を変えない彼女が、

まなざしもきつく、瞳を細めていた。

その視線の先にいるのはステファン王だった。


「逃がすも何も、あれほどの大軍に一度の攻め込まれては

 あなたのために戦力を割いている城の警備では太刀打ちできなかった」

「白々しいことを。

 あなたほどの人がそう簡単に獲物を逃がすわけなどないのに」


そう言うと、形の良い唇をかみしめて

メノウは夜のとばりのおちた窓の外を見つめた。

次にどう動くかの策を脳裏で巡らせているようだった。


「そうね……関所を完全に封鎖しましょう。

 私がまずあの娘の立場に立ったなら、

 まずはこの国を出ようとするわ。

 協力者がいるのですもの。

 そんなに難しいことではないわ」

「それは許可できない」


なんでもないことのようにさらりとステファンが言った。

メノウは信じられない言葉を聞いたかのように眉をひそめた。


「なぜです?

 関所さえ封鎖すれば……」

「それは不要だし許可できないと言っている。

 フレヤ様がどこに向かわれるのかくらい、見当がつく」

「それは?」

「我が国だ」


ステファンは当たり前のことの様に言った。

メノウはまだ怪訝そうな表情を崩さない。

この男の自信はどこからきているのか。


「どうしてそれがわかるのですか?」

「伊達に何年も婚約者だったわけではない。

 フレヤ様の行動パターンくらいは読める。

 彼女は優しいから、我が妻を救い出しにでも行くのだろう」

「王妃のことですか?

 ……ああ。

 彼女が、貴方の妻でなければ、あの娘と同じ目に遭わせたものを」

「別にしてくれてもかまわないよ」


あまりにも淡々とした口調だったので、

メノウは一瞬、何を言われたのかがわからなかった。

ステファンはひどく落ち着いていた。

その瞳は不気味なほど凪いでいる。

メノウは理解できないという風に、語気を強めた。


「あなたの妻でしょう?」

「彼女に愛などない。

 利用価値があったから利用しただけにすぎない」


不意に窓の外を見ていたステファンがメノウに向き直った。

突然のことに反応が遅れる。

その不気味なほど凪いだアイスブルーの目がメノウをとらえた。


「あなたもだ、メノウ」

「王、何を……?」

「あなたは、もう用済みだと言っているのだ」


ステファンはふわりと笑みを浮かべた。

ぞくり、とメノウの背筋に悪寒が走った。

喰われる。

獣としての本能がそう告げた。

アルハフ族特有の俊敏な動きで、メノウは素早く距離をとった。

ステファンは変わらず笑みを浮かべて立っている。

彼は指一本動かしていない。

だというのに、この威圧感はなんだ。


「メノウ。

 もう十分に踊ってくれた。

 あとは、穏やかに休むといい」


背後から殺気を感じ、はっとして飛びのくと、

見たことのない黒装束の男たちが

一斉にこちらにとびかかってきたところだった。

Re: マーメイドウィッチ ( No.64 )
日時: 2017/06/10 15:50
名前: いろはうた (ID: /Yf/uhIx)

関所では、シウの目の力と、フレヤの幻惑の歌の力で

何事もなく通過することができた。

本来なら喜ぶべきなのかもしれないが、フレヤの表情は晴れない。

どう考えても、あまりにもうまくことが運びすぎている。

ステファンのことだ。

こちらの考えていることなどお見通しに違いない。

関所を見たらわかった。

まるでいつもと変わらない警備の兵の数。

フレヤが、ステファンの国、オスロ国に向かうと

彼ならば気づけたはずだが、それでも兵の数は変わらなかった。

つまり、それは、ステファンがオスロ国で待っているということだろう。

ステファンは馬車を使って一日もかからずにオスロ国に着けるだろうが

こちらはそうはいかない。

数日かけて国境を越えるのだ。

ステファンのことだから、なにか策を練っているに違いない。

そこまで考えて、彼の婚約者だった時よりもよほど

彼が何を考えているのか思考を巡らせている自分に気付いて

苦笑を浮かべてしまう。

無事に関所を通り抜けた後は、平坦な道が続くので

山道とは違い、自分の足ではなく馬に乗って移動することとなった。

王宮に置いてきた愛馬のシルバノが恋しい。

背後は振り返らず、前だけを見据えて馬を進める。

列は、目の良い異形の一族が先頭となって進み、

その次に人間に対する幻惑の力を使え、地理に詳しいフレヤとシウが続く。

その後ろには、フレヤを守り従うように付き添うカインと

戦闘力の高いアルハフ族の二人が馬を並べている。

しかし、ここの雰囲気がとんでもなく悪いままだった。

カインはともかく、あの二人はいまだに和解していないらしい。

彼らの仲たがいの原因の大元は自分にあるのだと思うと

ずしりと胸が重たくなった。

何とかして和解させたいが、根本的な原因が口出しをしても

現状はなにもよい方向に向かわないだろう。


「それで?

 空を飛んで王妃の部屋へと一直線か」


突然シウに話しかけられ、フレヤは驚いてそちらを見た。

シウは立派な漆黒のたてがみを持つ馬を堂々と乗りこなしている。

そのまなざしは、まっすぐ前だけを見据えていた。


「しかし、あの城は門の警備が厳重なうえに、

 門から王宮まで距離がある。

 汝の城とは勝手が違うぞ」

「わかっているわ。

 でも、あなたもわかっていると思うけど、

 ステファン様は、明らかに私を城に誘い込もうとしている。

 関所のあたりではっきりわかったわ」


シウは答えない。

無言は肯定と言うことだ。

シウも、これが罠であることに気付いている。


「彼の狙いがわからない以上、

 下手に手を打つべきではないのではわかっているわ。

 あなたも時期尚早だと言いたいのでしょう。

 でも、ことは一刻を争う」

「……では、どのように王妃を攫うつもりだ」


あきらめたようにシウは言った。

どうしても意思を変えるつもりがないフレヤに折れてくれたのだろう。

シウにはほとんど利益のないことに突き合わせている。

それでも見捨てないところは面倒見がいいということか。

だから、彼は配下の者に慕われているのかもしれない。


「前と同じようにはいかぬぞ」

「そうね。

 陽動作戦は不意を突いたからできたもの。

 それもほとんどの兵力が城に残っていなかった状態だったからこそ

 成功できたわ。

 ステファン様はこのことを踏まえたうえで、

 警備をさらに強固なものにしてくるはず。

 今回は、別の方法を使わなくてはならない。

 ……私に考えがあるの」















オスロ国王都についたのは、その日の夕方だった。

フレヤたち一行は、怪しまれないようにするために、

二手に分かれることにした。

幻惑の力が使えるシウとフレヤは違うグループにいる。

フレヤから頑として離れようとしない、カインとチノは

フレヤと同じグループに、逆にシウの傍を

頑として離れようとしないリン達は、シウたちと同じグループにいる。

大人数だと親締まれる可能性があるので、互いに違う宿をとって、

次の日の早朝に合流することとなっている。

宿の主を歌で惑わせ、部屋をとったところまではいいが、

今度は部屋割りでチノとカインがもめだした。

同じ部屋で寝泊まりしなければフレヤを守れない、と

表情乏しく言い募るチノと、

淑女、ましてや王女殿下と同室だなんて言語道断だと

決して折れないカインの言い争いが始まった。


「カイン。

 私はもう野宿とかで、何度も殿方とともに寝ているわ。

 別に今まで何もなかったのだし」


カインの顔色が憤怒の赤から、絶望の白に変わった。

ひめ、と力なく言葉がカインの唇から洩れた後、

彼は呻きを漏らしてその場に膝をついた。

なにやら、御身をお守りできなかった私に罰を

などとぶつぶつ言っているが、いつものことなので気にしてはいられない。


「カイン。

 私はチノと同室で寝るから、あなたは隣の部屋で寝て頂戴」

「っ、姫を男と二人きりにさせるなど私にはできません!!

 私も、同じ部屋に!!」

「そう?

 別に構わないけ……」

「ふざけるな。

 フレヤを守るのはおれ一人で十分だ」


また二人のにらみ合いが始まった。

フレヤは、疲れた目でそれを見ていたが、

他の兵をそれぞれの部屋に行かせると、彼らに向き直った。

別に一人でも大丈夫だと言おうと口を開いた。


「……」


しかし、勝手に口がとじてしまった。

これは、もしかしたら、チノと話し合いの機会を設ける

絶好の機会なのではないのかと考えてしまったのだ。


「カイン」

「はい、姫」


フレヤの呼びかけにカインはすぐ答えた。

チノの傍を離れ、フレヤの前にひざまずく。

彼は、忠義心にあつい騎士だ。

フレヤはすっと、仮面をまとうように顔から一切の感情を消した。


「私の剣だと言いましたね」

「はい、姫」

「兵たちは、私の矛となり盾となる者たち。

 私だけでなく、私を守りしもの全てを守る力があなたにはある。

 騎士としての務め、果たせますね?」


カインの表情が硬くなったが、その硬さは瞬時に霧散した。

彼は低く頭を垂れた。


「仰せのままに、姫」


カインはこちらをふと見上げた。

昏いものが宿るまなざしだった。

先ほどのチノの昏い微笑とはまた違う種類のものだった。


「姫。

 あなたは私という剣を錆びさせず、また握ってくださりますか」

「……ええ」


どう答えたらいいのかわからず、小さくうなずくと

カインはわずかに息を吐いて立ち上がった。

グレーの瞳から陰りは消えていなかった。


「……失礼いたします」


カインは一礼すると、その場を足早に去ってしまった。

彼の忠義心を利用するようなことになり、心が痛んだ。

たとえ、もう王女でなくなっても

カインにとってフレヤは主であり、姫君であるのだと、

彼は彼のすべてをもって言ってくれているというのに。

彼の忠義にこたえたい。

だがそのためには、何をすればいいのだろう。

結局答えは出ないまま、チノに無言で促されて

部屋へと足を踏み入れる。

チノがぱたんと木の扉を閉じると、途端にその場が静寂に満ちた。

部屋はそんなに広くはないが、木造の落ち着いた雰囲気の部屋だった。

しかし、何気なくベッドのほうを見て固まってしまう。

ベッドが一つしかない。

大きなベッドだった。

夫婦や恋人たちが一緒に寄り添って寝るようなものだった。

どうしよう。

部屋を替えてもらうべきか。

動揺を隠しきれずに、思わずチノのほうを伺ってしまう。


「どうした」


チノは憎らしいほどに落ち着いていた。

彼が一歩こちらに近づく。

ギシっと床が軋んだ。


「べ、べべべベッドが、一つしかないようなのだけど」


しまった。

あきらかに動揺しているのがバレバレだ。

目をうろうろと泳がせて、必死に取り繕う言葉を探していると

ふっとチノから息が漏れた。

フレヤは目を見開いた。

チノが笑っている。

見たことのない種類の笑みだった。

とろとろにとけたキャラメリゼのような甘さを含んだまなざし。

普段、あまり表情を変えない人だから、

その破壊力は半端なものではなかった。

しかも、何故だかわからないが嬉しそうに見える。

そんなに、こちらが慌てているのを見るのが楽しいのだろうか。


「あ、ああああの私、店の人に部屋を替えて……」

「その必要はないだろう?」


ばくばくと心臓が痛いくらいに早く脈打つ。

なんだこの空気は。

砂糖をそのまま気化させたように、むせかえるほどに甘い。

ひどく落ち着かなくて、何かを話そうと言葉を探すが、何も言えない。

頬と耳の先に熱が集まるのが自分でもわかった。


「で、でも」

「おれには、何も支障はないが」


フレヤははっとした。

横目で外を確認すると、窓から差し込む夕日の光は既になかった。

黄昏の空に浮かぶのは、満月。

そして、目の前のチノの瞳も、黄金にらんらんと輝いている。

彼の中で、狼としての意識が強くなっているのだ。

数歩距離を詰められる。

わずか数歩なのに、一瞬で距離が縮まった。

あわてて目の前にある硬い胸板を押したがびくともしない。

指先に、甘い体温が伝わってびりびりと痺れるような感覚が走った。


「かわいい」


ひそやかな吐息とともに、溶けてしまいそうなほど甘い声を

耳に直接落とされて、フレヤは腰が砕けてしまった。

その場にへたり込みそうになったが、すばやく腰に回った

たくましい腕がそれを許さない。

ふわりと抱き上げられて、口から小さく悲鳴が漏れた。


「おれを男だと意識して慌てふためくおまえを見ることになるとは」


チノがのどの奥でくつくつと笑う。

彼は、狼としての人格が表に出ているというのに

ひどく機嫌がいいようだった。

そう考えていると、とさり、と背中に柔らかい感触が当たった。

ベッドの上におろされたのだと知る。

チノが両腕でフレヤを囲うように、手をベッドについた。

視界にはチノと宿の天井しか映らない。


「……おまえは、綺麗な目をしているな」


さらりとチノの前髪が額に触れた。

信じられないくらい近くにチノの瞳がある。

フレヤは瞬きも忘れて、ただ固まっていた。

ぞっとするほど、野性的で魅力的なまなざしだった。


「紅玉のようだ。

 くりぬいて、飾って、ずっと眺めていたい」


物騒な言葉とは裏腹に、まなざしは熱くて甘く

自分の体ですら溶けてしまいそうな錯覚に陥る。

息がうまくできない。


「そうすれば、この綺麗な瞳はおれのことしか映さないだろう?」


まるで、こいねがわれているようだった。

おれのことを見てほしいと。

おれのことだけを見てほしいと。

そんなはずないのに。

これは己の願望が生み出した幻なのだろうか。


「あの騎士は、お前の騎士だったらしいな?」


突然変わった話題に、フレヤはわずかに眉を寄せた。

話の意図がわからないままに、混乱しながら小さく頷くと

チノは凄みのある笑みを浮かべた。


「この道中、あの男がおまえに話しかけるたびに、

 何度斬り殺しそうになるのを我慢したことか」

「な、なに言っているの」

「人間のおれは、いつも『おれ』を必死に抑えている。

 おまえを傷つけないように。

 おまえに醜い部分を見せないように。

 無駄な努力だっていうのにな」


チノがさらに覆いかぶさるようにして、のしかかってきた。

逃げられない。

身体が動かない。

声が震えるのが情けなかった。

怖いわけではない。

なんだか、もっと別の感情が胸に生まれている。

これは、この感情は。

ああ、認めたくない。

これは認めたら、いけない感情だ。

認めたら最後、苦しみもがくのは自分だ。

溺れるように、求めて、でも足りなくて、もっと求めて。

息ができなくて、苦しくて、だからもっともっと求め続ける。

暗い海の底に堕ちるように、底がなく、止まることがない。

知っている。

二度目のこの感情。

でも、一度目の時とは比べ物にならない焼けつくようなこの感情。


「いっそ殺してしまえば楽になるのか?」


すっとチノの指先がのど元を撫でた。

チノが笑みを浮かべたまま、目を細めた。

獲物の喉笛に食らいつく前の、獣のような表情だった。

優美で強靭なケモノに体を組み敷かれているような錯覚すら起きる。


「……私を殺すの?」

「いいや、殺さない。

 ……もう、殺せない」


のどにチノの顔がおりてきた。

噛みつかれるのかと体をこわばらせたが、

代わりに降ってきたのは、花弁のような優しい口づけだった。

フレヤは、心の中でうめいた。

認めたくないのに。

こんなことをされたら、認めざるを得ない。

泣きたくなる。

できることなら、彼と離れる最後まで気づきたくなんてなかったのに。

もう、堕ちてしまった。

どうしようもないところまで。

絶望的なまでに思い知る。

嗚呼。

この人が。

このケダモノが。

チノが好きだ。


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