コメディ・ライト小説(新)

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マーメイドウィッチ
日時: 2016/07/30 19:31
名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)

世界が止まった。



手が震える。



数拍のちに気付く。









私は大切な人に裏切られたのだと。

Re: マーメイドウィッチ ( No.20 )
日時: 2016/12/07 12:34
名前: いろはうた (ID: dFWeZkVZ)

目を見張った。

奥のほうには、しっかりした造りの椅子に座る美しい娘がいた。

その美しさに驚いたのではない。

恐ろしいほどに似ているのだ。

妹のヘレナに。


「――――――お待ちしていましたわ、王女殿下」


夢見るようなその笑みは、華のように笑うヘレナのものとは違った。

きれいで、整っていて、美しい。

美しいのに、無機質だ。

作り物のような。

大きな音をたてて背後の扉が閉まった。

その音に少し驚いて、フレヤは振り返った。

視界にチノの姿が映る。

彼は、その表情を驚愕で染めていた。

その唇がかすかに震えていた。


「おまえは……!?」


そうかすれた声でつぶやいたあと、チノは

我に返ったらしく唇をきつくかみしめた。

その目はひどく険しい。


「あら」


目の前の少女もやや不思議そうに首を傾ける。

柔らかく緑の瞳が細められた。

その瞳にろうそくの火が赤く映る。

妖しく光るその瞳。

少しの間、チノを見つめるとふっと笑った。


「私、王女殿下だけをここに招いたつもりなのだけど……」


気おされぬようにフレヤは強く足の裏を地につけた。

顎をひいて、強く前を見つめる。

この人形のように美しい娘を。


「メノウ、ですね」

「ええ。

 お初にお目にかかりますわ、王女殿下」


メノウは笑みを深くしてうなづいた。

フレヤはフードをとった。

フードの陰から波打つ青い髪がこぼれ出る。

メノウは、フレヤの髪に視線を一瞬向けてすぐに戻した。


「私が、なぜここに来たのかは、わかっていると思う」

「ええ。

 招待の使者を送っておいて正解でした。

 そうでもしなければ、あなたからいらしてはくれなかったでしょうから」


フレヤは目を細めた。

使者というのはおそらく、結婚式の帰りに襲ってきた賊のことだろう。


「命まで狙ってきてよくも」

「この程度で消える存在であれば、そこで散っていただきたいと思いまして」


さらりとそう言うと、ふふっとメノウは笑った。

フレヤは眉間にしわを寄せた。

話せば話すほどいらだちが増した。

遠回しな駆け引きはやめだ。


「目的を、言いなさい」


低く押し殺された声に、力が宿る。

びりびりと窓ガラスが揺れた。

わずかに笑みをこわばらせたメノウだったが、

一瞬でそれは掻き消えた。


「そう怒らないでくださいな、王女殿下。

 私は王女殿下にお願い事があってここに来ていただいたのですから」


メノウは何事もなかったかのように、

綺麗な笑みを浮かべた。


「おねがい?」

「そう、お願いです」


メノウは変わらず笑みを浮かべている。

ふとフレヤは気づいた。

メノウの緑の瞳が少しも笑っていないことに。

ぞくりと背筋に悪寒が走る。

緑の瞳にろうそくの赤がちらついていた。

形のいい唇が言葉を紡いだ。


「あなたの手で父王を玉座から

引きずり落としてくださいませ」

「なっ……!?」


さすがのフレヤもその言葉に顔色を変えた。

その様子を見て楽しそうにメノウは笑う。

鈴を転がしたような可憐な声なのに

背筋には冷たいものが走る。


「私が革命軍の長というのはご存知かと。

私たちの目的は王のすげ替え。

そのために私たちは、

あなたのお父上を倒さねばならないのです」


放たれる言葉の1つ1つは王宮で一言でも放てば、

不敬罪で一瞬で捕らえられてしまうものばかりだ。


「でも、私たちが反乱を起こせば

王宮の兵との戦いで

たくさんの民が傷つくでしょう。

私は、その事態だけは避けたいのです」


ですから、とメノウは言葉を続けた。


「あなた様の手で、あなた様の父上を

影より葬ってくださいませ」


言葉が出なかった。

その言葉に対して、微動だにできなかった。

しかし、それは隣のチノも同じのようだった。

動かない。

いや、動けない。


「あなたさまはお優しい方だわ。

民が傷つくのは見たくないでしょう?

私たちが望むのは王のすげ替え。

それがなされれば、余計な争いは起こらない」


簡単なことでしょう?とことも投げに言われた言葉が

なかなか頭に入らなかった。

この手で、父を殺す…?

私に、民を守るために父を殺せと。

己の手を血で染めろというのか。

メノウの言葉が頭に毒のように染み込む。


「私…私は…」


様々な出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。

貧しいながらも懸命に働く人々。

子供達の笑顔。

人さらいに暴力を振るわれたこと。

民が政治に不満がたまっているのを痛いほど知ったこと。

眠る父の顔。

今も大切にされている母の形見のネックレス。

動けない。

よりによって最後に浮かんだのが、

今もなお丁寧に手入れされている母の形見のネックレスだったからだ。


「何も迷う必要はない」


押し殺した声でチノが言った。

火の粉が散るような眼差しで

彼はメノウだけを見つめている。


「一言、こいつを殺せ、とお前が言えば

おれはお前に従おう」


それを聞いてメノウは一際おかしそうに笑った。

命を狙われている発言をされたのに

その余裕な様子は変わらない。

チノの眼差しは変わらない。

抜き身の刃のようにその視線は鋭い。


「それをあなたが言うのかしらチョルノ。

一時は志を共にした人が

王家の犬に成り下がっていて、笑ってしまうわ」

「……黙れ」


あからさまな嘲りにフレヤは眉をしかめた。

チョルノというのはチノのことだろう。

チノの本名なのかもしれない。

しかし気になったのはそのことではない。

志を共にした、というところだ。

チノは昔、メノウの仲間だったということだろうか。


「さぁ王女殿下。

お決めになってくださいませ。

あなた様自らが国王陛下に手を下されますか?」

「なぜ、私なの」


メノウはゆっくりと瞬きをした。

理解ができないというように。


「あなたなら、いくらでも暗殺者でもなんでも

王宮に送り込んでこれるでしょう」

「ええそうですね」


メノウはあっさりとうなづいた。

あまりに素直だったから、少し拍子抜けしてしまう。

そのあとに、メノウは、ですが……と付け加えた。


「王宮の守りは堅固。

一筋縄ではいきません。

国王陛下に最も疑われずに近づけるのは

王女殿下なのです。ですから……」

「いいえ、それはただの建前ね。

あなたの本音は何?」

初めてメノウの顔から笑みが剥がれ落ちた。

ただ無言でフレヤを見つめてる。

今にも短刀を抜き放ちそうなチノには目もくれない。


「あなたは思っていたよりも

面白い方なのね王女殿下」

「好きに言えばいいわ」


メノウがどのような意図でそういったのかわからなかった。

だが、メノウは驚いているように見えた。

メノウが本音を隠していることに気づいたことではなく

フレヤが強気で言い返したことにだ。

フレヤは目を細めた。

まさか、この娘にも特殊な力でもあるのだろうか。

妹姫そっくりなメノウの顔立ちを見ると

普通の人間であるヘレナに見えて、そうは思えなかった。

しかし、それならなぜシウはメノウの元を訪れたのだろう。

あの皇子は意図なく行動を起こさない。

ヘレナとステファンの結婚式に参列したのも

フレヤとの接触が目的だった。

フレヤが特殊能力をもつ異形の末裔だから。

じゃあ、メノウは…?

まさか、メノウも…?


「私の真意は、あなたが父上を

手にかけてからお話しいたしましょう」

「そう言われて私が素直に従うとでも?」


相手の気迫に飲まれぬよう顎を引いて答える。

メノウの顔に再び笑みが宿った。


「あなたは置かれている立場をお忘れのようですね。

私たちほどの勢力が革命を起こせば

それなりに国民は傷つきもしくは死ぬでしょう」

それでもいいのか、と無言で問われる。

そう言われて、フレヤは即座に返答できなかった。

国民の不満は限界まで溜まってきている。

確かに統治者が変われば、多少は不満も治るだろう。


「統治者を変えたところで、

政治の本質が根本的に変わらなければ意味がないわ」

「どう変えるのです?」


即座に聞き返されて言葉に詰まる。

とっさには思いつかなかった。


「……答えられぬくせによく言う」


聞き取りづらいほどの小さな声でメノウが呟いた。

目はこれっぽっちも笑っていなかった。

緑の目に赤い色がチラチラと激しく踊る。


「……私は違う。

女だからといって無知でいたり、

行動を起こさないでいたりなどしない」

暗い輝きが一瞬メノウの瞳に宿ってすぐに消えた。

それが見逃してはいけない何かに思えて、フレヤはじっとメノウの目を見つめた。

長いまつげに縁どられたそれは、ひどく凪いでいた。

瞬きの間に暗い光は消えてしまった。


「もとより、私に選択権など与えるつもりはなかったのね」

「いいえ、選択肢なら差し上げました。

 我々の条件を呑むか、呑まないかという」

「呑むわけ……ないじゃない」

「なら、我々は革命を起こすだけです」


フレヤは奥歯をかみしめた。

選択肢を与えているというのは言葉だけだ。

これは明確な脅しだった。

選択肢などあってないようなものだった。

今思えばここまでの行程はすべてメノウの掌の上でのものだったのだ。

あまりにも緻密すぎる計画。

どちらに転んでも、メノウには利益しかない。


「条件を、呑んでいただけますね、王女殿下?」


メノウはゆったりと話しているのに、圧倒される。

絶対的王者の風格。

すべての者をひれ伏させて従えてしまうような。

冷たいものが背中を流れる。

どうすればいい。

何を選択すれば正しいのだろうか。

頭は冷え切っているのに、冷静な判断ができない。

自分がひどく混乱しているのだと悟る。

何もわからない。


「フレヤ」


強く名を呼ばれ、顔を上げるとチノと目が合った。

その目は、殺せ、チノという武器を使ってメノウを殺めよ、と

戦列に雄弁に伝えてきた。

彼はただ一言命じられるのを待っている。

その目を見て、すべての覚悟が決まった。


「メノウ」

「はい、王女殿下」


メノウは微笑んでフレヤの言葉を待った。

フレヤはかすかに唇を震わせた。






「……あなたの条件を、呑みましょう」








王族であるフレヤが初めて膝を屈した瞬間だった。

メノウは微笑んだ。

Re: マーメイドウィッチ ( No.21 )
日時: 2016/12/10 13:50
名前: いろはうた (ID: dFWeZkVZ)

メノウの館からどのようにして出たのか全く覚えていない。

それほど呆然としていた。

永遠にも思えるほどの時間だったのに、一瞬ですべてが過ぎ去ってしまった。

何が起こったのかいまだに頭が受け付けてくれない。

気づけば、馬を預けていた馬屋のところまで来ていた。

チノが二言三言店主と言葉を交わし、馬を二頭引いてくる。

こちらに向かって歩いてくる彼は、

いつもにもまして無表情だった。

感情の欠片もその顔に浮かべてなかった。

黙って馬にまたがり、ゆっくりと歩かせる。

やがて、門を出て、森に入って野原まで抜けたところで、

フレヤの横で馬を歩かせるチノが初めて口を開いた。


「なぜ、おれを使わなかった」


声は堅かった。

突然の言葉にフレヤは肩を震わせた。

風が急に冷たくなった気がした。

ぎゅっと馬の手綱をもつ手を握りしめた。


「あの娘を殺せば、おまえが苦しむことなど何もなかったというのに」

「チノは」


チノの言葉を遮るように、フレヤは強く言った。

その気迫に押されて、チノが口をつぐむ。


「もっと、自分のことを大事にしたほうがいいわ」


フレヤがなぜあそこで膝を屈したのか彼はわかっていない。

チノがあそこでメノウを亡き者にしたら、

彼は一生人殺しの咎を負うこととなる。

そんなことは絶対にさせたくなかった。


「それを、お前が言うのか!!」


すごい剣幕でチノに怒鳴られたがひるんでなどいられない。

ひるんだらだめだ。


「ここまで反乱因子を育ててしまったのは、王族の責任。

 王族の一員である私が……」

「そんなことは関係ない」

「メノウの仲間だったあなたがそれを言えるの?」


今度こそチノは黙ってしまった。

否定しないというのは肯定のあかし。


「あなたは、メノウに命じられて王宮に潜り込んだの?」

「……違う」


途端にチノの口数は減ってしまった。

あなたは、私の味方なの?

とっさに出てきそうになった言葉を飲み込む。


「私、あなたのことを信用したいわ、チノ」


チノは何も答えなかった。
















その日から、悪夢のような日々が始まった。

いまだ意識の戻らない父の見舞いと称して部屋に入り歌を歌う。

死をいざなう禁忌の歌。

これは、幼い時に偶然見つけてしまった歌だった。

幼いある日、庭で羽を怪我して弱っていた小鳥を拾い、

優しい眠りにつけるように、祈りながら歌った。

歌って歌って、ある日のこと小鳥は冷たくなっていた。

ゆるやかにゆるやかに衰弱していたのだ。

フレヤの歌の力によって。

それ以来、フレヤが笑顔を見せることは、めっきり減った。

そして、歌うこともだ。

毎日、気持ちを声に込めて歌を歌うことはやめてしまった。

自分の特殊な歌の力を恐れてのことだった。

余程のことがないかぎり、歌わなくなってしまった。

それを今、破る。

歌う。

土気色の顔色の父を見ながら。

一日一回。

毎日、安楽死の歌を。

聴くものを少しずつ壊して、ゆるやかに衰弱させ、やがて死に至らせる。

チノとはあの日から一定の距離をおいていた。

それが自分が一人なのだと、より強く感じてしまう。

歌い終わったフレヤは父の顔を見た。

歌う前よりも顔色がよくなった気がする。

でもそれはまやかしだ。

少しずつ少しずつ父の体を蝕む歌の力。

しかしそれはフレヤも同じことだった。

異形の血を持つ者には歌の力は通用しない。

ただ、フレヤの心が、歌えば歌うほどに壊れていく。

フレヤはガラス玉のような瞳で、父を見つめた。

Re: マーメイドウィッチ ( No.22 )
日時: 2016/12/14 22:37
名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)

「ヘレナ妃殿下ご夫妻がご到着なさったそうです」

「……は?」


フレヤはまぬけな声を出した。

あるうららかな日のことだった。

執事が言ったことを瞬時には理解できなかった。


「どういうこと……?

 何故予告もなく……」

「イルグ国王陛下にお見舞い申し上げるとのこと。

 形式的なものは避けたいとのことで」


お忍びでやってきたということか。

フレヤは座っていた椅子から立ち上がって、部屋を出る。

そのうしろをチノが影のように付き従う。


「出迎えましょう」

「かしこまりました」


ふわりと青い髪が揺れた。
























「突然の訪問した非礼をわびます、フレヤ様」


静かに頭を下げ寄り添う二人を眺めた。

フレヤは顔に表情が出るのを必死に抑えなければならなかった。


「父上の見舞いにいらしたのですか?」

「無駄を省きたかったので、お知らせは遅れてしまいました。

 非礼を詫びます」

「……いえ」


ステファンは、綺麗に一礼して見せた。

フレヤはそれを表情を崩さないようにしながら見るので精いっぱいだった。

ステファンはこんな人だっただろうか。

こんな効率を優先するような理知的な人だっただろうか。

ステファンのことを何も知らなかったことを、思い知らされる。

私は、彼の何だったのだろうか。

ただの形だけの婚約者。

それの事実がじわじわと心を蝕む。


「まずは旅の疲れを癒してから、父上と面会なさいませ」


フレヤは、くるりと背を向けて、歩き出した。

その隣で同じようにきれいに一礼する妹を直視できなかった。















フレヤはステファンとヘレナの三人で父王の病室を訪れていた。

父の顔は一見顔色がよくなっているように見えるが実際は違う。

フレヤの歌の力で確実に体を蝕まれているはずだ。


「お父様……」


ヘレナが力なく父の手を握りしめているのを見て、

フレヤはそっと視線をそらした。

鈍く胸が痛む。

必死に自分に言い聞かせる。

こうしなければいけない。

民を守るためには犠牲が必要なのだ。

父が一向に目を覚まさないのを確認すると

ヘレナがゆっくりと立ち上がった。

三人で連れ立って、部屋を出ていく。

衛兵が敬礼をするのを横目で見ながら父の部屋を離れる。


「お姉さま」


廊下の角を曲がったところで、ヘレナが口を開いた。

ひどく緊迫した表情だった。


「お話があります。

 人払いをした部屋を用意していただけますか」


その表情が、一瞬メノウと重なって見えて消えた。

フレヤはヘレナから視線を外した。

そして執事に向かって口を開いた。






















ヘレナはオレンジとピンクのまじりあった花のようなドレスを身にまとっていた。

それが、ちょうど花開く乙女であるヘレナの魅力を最大限に引き立てていた。

首元で輝くトパーズのネックレスはステファンから贈られたものだろうか。

ヘレナの大きな青い目がゆっくりとまたたく。

その仕草が、メノウとひどく似ていて、フレヤは目を細めた。

ヘレナを見ているとひどく心を乱される。

誰もいない部屋に、ヘレナと二人きり。

姉妹はなかなか口を開かなかった。


「お姉さま」


先に口を開いたのは、ヘレナだった。

その表情は決意に満ちたものだった。

ぎゅっと手を膝の上で握りしめているのが見える。

「私を、恨んでおいでですか」


しぼりだされた言葉に、表情を変えないことで必死だった。

今更どの口がそんなことを言うのだ。

恨まないはずがない。

そして、羨まないはずがない。

ステファンに選ばれた彼女にとって代われたらどれほどいいだろうと

何度思ったことか。

どれほど惨めな思いをしたことか。

ステファンとヘレナの婚礼式で、

見なさい、あれが婚約者に捨てられた姫君よ、お可哀そうに、と

哀れみの視線を向けられても耐え続けなければならなかったのだ。

フレヤは、感情を抑え込むためにひどく平坦な声を出した。


「それで」


びくり、とヘレナの肩が揺れた。

華奢な肩だ。

だが、丸みを帯びた女の肩になってきている。

ソファに向かい合って座っているヘレナは、

妹である前に、女なのだとふと思った。


「あなたは、何が言いたいのかしら。

 回りくどいのは嫌いなの。

 私に懺悔でもしに来たの?

 謝罪なんかしても、ステファン様は私のもとには戻らないわ」


ヘレナの顔がゆがんだ。

胸が痛んだ。

陰口をたたかれたのはフレヤだけでない。

結婚式の日に、ほらみろ、あれが姉の婚約者を奪った

あさましい姫君だと、ヘレナも陰口をたたかれていた。

彼女はこれから一生姉の婚約者を奪った姫君として

後ろ指をさされることになるだろう。


「……冗談よ。

 そんな顔しないで」

「私は何でもいい……なんでもいいからお姉さまと話をしなければと思ったのです」


馬鹿な妹だ。

話をしても何の解決にもならない。

それはただ、お互いの傷をえぐるだけだというのに。

昔からどこか抜けている娘だった。

それでいて愛らしいから、無駄に知恵のあるフレヤよりも

ヘレナのほうが殿方に人気があった。


「……認めましょう」


この言葉を発するだけで、まだ癒えていない心の傷から

血が滴るのを感じた。

ざりっとした嫌な感情が胸をめぐるのを無視する。


「え……?」

「あなたとステファン様の関係を認めましょう」


ヘレナが不思議そうな顔で瞬きをした。

彼女のせっかくのドレスは、握りしめすぎてしわになっていた。

それだけ、彼女が緊張していたのだと悟る。


「何故、そんなに驚いているの」

「死んでも許さないと言われてもおかしくないと覚悟していましたから……」


ゆっくりとヘレナの顔が驚きから沈んだ表情に変わる。

せっかく、関係を認めるといったのに、嬉しくなさそうな表情だ。


「不満げね。

 私に罵詈雑言でも吐いてほしかったのかしら」

「はい」


今度はフレヤが驚く番だった。

ヘレナは恨めし気に、悲しげにこちらを見ている。


「おねえさまはいつも私に心を開いてはくださらない」

「そんなことはないわ」


すぐに否定したが、ヘレナはその言葉を否定するように

強く首を振った。

ふわふわとした金髪が華奢な肩から零れ落ちる。


「もし私がおねえさまだったら、私という存在を絶対に許せない。

 お姉さまも本当はそうなのでしょう……!!」


心の柔らかいところにヘレナの言葉が擦り傷を残した。

決して深くない傷なのに、痛い。

すごく痛い。

血がにじみ出ている。

私が。

私が何のために自分を押し殺しているのだと思っているのだ。


「そんなあさましい真似、するわけないでしょう」

「ですが、お姉さまはもっと……!!」

「ヘレナ」


フレヤの声が一段と低くなった。

はっと気づいたようにヘレナが姉を見やる。


「そろそろ……口を慎みなさい」

「……はい。

 申し訳ございませんでした……お姉さま」


部屋に沈黙が満ちた。

Re: マーメイドウィッチ ( No.23 )
日時: 2016/12/22 00:35
名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)

(こんなつもりでは、なかったのに……)


隣を歩く沈鬱な表情の妹を見て、フレヤはわずかに唇をかんだ。

傷つけるつもりはなかった。

ただ、我慢ができなかった。

妹に申し訳ない思われと、憐れまれて、

傷をえぐる言葉の数々に、耐えられなかったのだ。

謝罪の言葉もとってつけたような感じがするので口には出せなかった。


「フレヤ」


聞きなれた声にはっと顔を上げる。

廊下の壁にもたれて、腕を組むチノがこちらを見ていた。

なぜかその姿に張り詰めていた心がふっとほぐれるのを感じた。

彼の姿にひどく安堵している自分がいる。


「チノ」


対するヘレナは、眉をかすかにひそめてチノを見ていた。

続いてフレヤのほうを見やる。


「お姉さま、こちらは……?」

「チノよ。

 私の護衛をしてもらっているの」

「彼は、以前、見かけなかった気がしますが……」

「数か月前に私の護衛となったのよ」


初めてヘレナと会った時に比べて、

ひどく身ぎれいだから気づかなかったのだろう。

不思議そうにチノのことをヘレナは見つめている。


「話は終わったのか」

「ええ」


ヘレナが目を見開いた。

王族に対する口の利き方がなっていないのに驚きを隠せないのだろう。

チノは別に臣下でも何でもないので、そこはフレヤは気にしていない。


「ああ、ここにいたのか二人とも」


どきりと心臓が脈打った。

柔らかな声とともに、ステファンが廊下の向こうから姿を現した。

平静を装って、ステファンに向き直る。


「話はすんだのだろうか」

「ええ、妹との久しぶりの時間、ありがとうございます」


軽く一礼するとステファンは静かにほほ笑んだ。

フレヤは目を細める。


「フレヤ様、私もあなたに少しお話があるのだが、いいだろうか」


チノが目を細めて動こうとした。

それを視線でけん制する。

動くな、何も言うな、と。

チノはもの言いたげにこちらを見つめていたが、

ふっと視線をそらした。

どうやらフレヤの意思を尊重してくれるらしい。


「できれば、私も人払いをして、話をさせてほしい」


ステファンの言葉に、フレヤはぐっと手を握りしめた。

人払いをして、ヘレナも付けないということは

ヘレナにも聞かせられない話だというのか。

また、懺悔か。

また、憐れみのまなざしを向けられるのか。

そう思うと、体がこわばってしまう。

必死にカラカラに乾燥した唇を動かした。


「私は、かまいません」


心とは逆の言葉がこぼれ出た。















ヘレナはついてこなかった。

元婚約者が自分の夫と二人きりになるなんて、

妻としては複雑な心境であろうに、何も言わなかった。

そう思いながら、人払いをした部屋までステファンを案内する。


「貴女の護衛も、外においてはくれないか」


足を止めたステファンが不意にやんわりと言った。

影のように付き従うチノにその視線は向けられている。

チノはちらりとフレヤを見た。

フレヤは彼に小さくうなづいて見せる。


「わかりました」


そう答えると、フレヤは真鍮の扉の取っ手を握った。
























「ずいぶんと信用なさっているようだ」


少しだけからかうような調子のステファンの言葉に目を細める。

信用。

私はチノを信用しているのだろうか。

自分でも彼に対する感情がよくわからない。

これは信頼の感情なのだろうか。


「そうでしょうか」

「ああ。

 昔はそのような表情は私には見せてくださらなかった」


苦笑するステファンにズキリと胸が痛んだ。

貴方だからみせなかったのだと言えたらどんなにいいだろう。

笑顔を直視できず、フレヤはそっと視線をそらした。


「それで、話とはなんでしょうか?」


声がわずかに低くなった。

それに気付かない様子で、ステファンは言葉をつづけた。


「話というのは、革命軍、についてだ」


体がこわばるのが分かった。

今、最も聞きたくない名前だった。

ぎゅっと手を握りしめる。


「革命軍が……何か?」

「近頃、ずいぶんと動きが目立たないらしい。

 なにか変わったことなどないだろうか?」


変わったことならある。

変わりすぎてしまったほどだ。

ステファンに夢見るように恋していた日々があまりにも遠かった。

もうすぐ、殺人を犯そうとしているのだから。

実の父をこの声を使って、死においやろうとしているのだから。


「……特には、ございませんが」

「そう、か」


声はかすれなかっただろうか。

いつも通りふるまえているだろうか。

フレヤは唇をかんだ。

そうでないと、唇が震えているのを悟られてしまう。


「私は、心配だ。

 貴女は肝心なことをいつも話さない」


フレヤは目を見開いた。

まるでフレヤのことを深く知っているかの口調。

フレヤは彼のことを何も知らないというのに。

ただ、恋に恋をしているようなありさまだったのに。

……恋に、恋を?


「どうか、少しでも困ったことがあったら私を頼ってほしい」


うそだ。

そう思いたい。

だけど、嘘だと思い込もうとすればするほど浮き彫りになる。

そう。

ステファンに恋をしているのではなかったと。

ただ、はじめての淡い思いに有頂天になっていただけだったのだと。

愕然とするフレヤに、何を思ったのかステファンがかすかに笑った。


「フレヤ様」


柔らかな声にはっと我に返る。

口の中がカラカラだ。

手先が冷える感覚がする。


「私はこれで」


綺麗に一礼するステファンを呆然と見る。

去っていく背中を呼び止めることすらできなかった。

彼のことは好きだ。

好きだった。

この気持ちは執着心からくるもの……?

私のものだった人が突然いなくなったから、

恋しくて、追い求めているだけ……?


「おい」


突如かけられた声にびくっと肩がはねた。

あわてて振り返るとチノがそこに立っていた。

いつから立っていたのか。

気配にまったく気づけなかった。


「ち、の」


声がかすれる。

胸がぎゅっとなった。

チノはその緑の瞳に、かすかに心配そうな色をのぞかせていた。

何を言われた。

まなざしでそう告げられた。


「……革命軍のことよ」

「……」


自分の個人的な感情は、無理やり心の隅に押し込んだ。

フレヤは少し考えた後、チノのほうへ少し歩み寄った。

手を伸ばしその手に触れる。

握りしめた彼の指はあたたかくて、乾燥したさらさらした感触だった。

彼がどこへもいかないようにぎゅっと握りしめる。


「メノウと面識があるの?」

「……」


チノは黙ったままだった。

その目からは一切の感情の色が消えた。

読み取れない。

彼が何を考えているのか。


「同じ志をともにするものって、メノウは言っていたけど本当なの?

 チノは、メノウの味方だったの?」


ゆっくりとまたたく緑の瞳。

それがメノウの緑の瞳が重なった。

まさか。

いや、そんなはずは。


「……メノウは、あなたの、同族?」


この国の民は青い瞳を持つ。

海の一族だからだ。

海の民である王族が国を統治している。

緑の瞳は、この国の民以外の者が持つ。

例えば、チノの一族、放浪の民アルハフ族だ。

フレヤは、アルハフ族以外の緑の瞳を見たことがない。

チノは、黙ったままだった。

Re: マーメイドウィッチ ( No.24 )
日時: 2016/12/25 16:14
名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)

チノはフレヤをまた避けだした。

満月を見ながら、フレヤははっきりとそう思った。

前から避けてはいたが、いまはもっとひどい。

いつもは後ろに影のようについて回っていた姿が見当たらない。

さすがに、不安になる。

心配もする。


「……」


徐々に腹が立ってきた。

自分から、チノの姿を探して回るのは初めてのことだった。

慣れないことをして、しかもそれがうまくいかないと

どんな人間でもイライラするものだ。

しかし、探せど探せど、チノは見つからない。

中庭の横にある廊下を速足で歩いていた時、ガサリ、と音が聞こえた。

はっとして、音が聞こえた大木のほうを見る。

風がほほを撫でた。

人影が、大木の大きな木の枝に腰かけてこちらを見ていた。


「チノ……?」


ささやくような声で名を呼ぶ。

聞こえたはずなのに返事はなかった。

ふと気づく。

暗闇の中光る瞳が金色に輝いていることに。


「せっかくこちらから隠れてやったのに、おまえはまた余計なことをする」


チノの声だ。

同じ声なのに、まるで違う。

フレヤは一歩あとずさった。

だれだこの男は。

これは、フレヤの知らない人間だ。


「あなたは……誰?」

「おれは、チノだ」


するりと人影が、木から降りた。

フレヤとの距離をつめるのは一瞬のことだった。


「おいおい、しけたツラしてんじゃねぇよ」


指がのびてきて、フレヤの顎をくいっと持ち上げた。

正面からその男と目が合う。

チノだった。

だけどチノじゃなかった。

荒々しい気配。

ふてぶてしい笑みを浮かべる唇。


「う、そ」

「うそじゃねぇよ」


こんな人は知らない。

チノはこんな人ではない。


「わけがわからねぇって顔だな。

 教えてやるよ。

 アルハフ族の中でも、おれは先祖がえりをしている、と

 言われるほど、おれは血が濃い。

 ……オオカミの血が」


ドクンっと心臓が強く脈打った。

今、今彼は何と言った。


「まぁ俗にいう、狼男ってやつだな。

 こんな満月の夜は、オオカミの血が滾りやがる」


この男も、チノも異形の血を引いているというのか。

ほとんどの異形の血を持つものは赤い目をしている。

だから、まさか、チノが異形の血を引いているなんて

夢にも思っていなかったのだ。

現実をなかなか受け入れられない。


「それを人間としてのおれが拒絶しやがった。

 こんなあさましいケダモノの姿はおまえにだけは見せたくないと

 わざわざ隠れてやがったのを、てめえが見つけたんだよ」


忌々しそうにチノが舌打ちする。

それはフレヤに対してなのか、人間のチノに対してなのか

フレヤにはわからなかった。


「なぁ」


ぐっとチノが指に込める力を強くした。

金色の瞳が細められる。

その仕草がひどく獣じみていてどきりとする。

まるで獲物を見定めるようなまなざし。


「おまえは、おれのことをお前を守る騎士のように

 思っているかもしれねぇがそれは違う。」


今まで、何度もチノのことを

美しく誰にも屈しない獣のように感じたことがあった。

それが胸の中にすとんと落ちてきて、

チノが嘘を言っているわけではないとわかる。

すっと自然な動きで首に手を添えられた。

そっと首の頸動脈をおさえられる。


「おれは、おまえを認めたわけじゃねぇ。

 ……一度でもおまえが進むことを辞めたなら、おまえを殺す」


ざくりと胸にその言葉が突き刺さった。

きぃんと耳鳴りがした。

フレヤは限界まで目を見開いて、

驚くほどすぐそばにある金色を帯びた瞳を見つめるしかなかった。

突然チノがうめいた。


「チノ……っ……!?」


苦し気に細められた瞳は金色の光が明滅している。

それは徐々に弱弱しくなっていて、やがて消えた。


「っ……!!」


焦点を結んだチノの目がはっと見開かれた。

その目に宿るのは、焦燥とわずかな恐怖だった。

さっと首から手が離れた。

ひやりとした夜風が首の皮膚にふれる。

手が震えるのを止められなかった。

はっと空を見上げると、夜空にぽっかりと浮かんでいたはずの

満月は見当たらなかった。

遅れて月が分厚い雲に隠されたのだと気づく。

ふっとチノの気配が離れたのを感じて、

フレヤは視線をチノに戻した。

チノが一歩後退したのだ。

その瞳には、焦りとわずかな怯えが浮かんでいた。


「チノ」

「おれに近づくな」


すぐさま放たれた鋭い言葉にフレヤは一瞬足を止めた。

怯えの色がより一層強くなっていた。

手負いの獣のようなまなざしにフレヤの口から言葉が漏れた。


「あなたは、ひどく、美しいのね」


自分の口から漏れた言葉に自分で驚く。

だがそれは、まぎれもない自分の本音だった。

彼は、なにものにもとらわれない野生の獣のように美しいのだ。

チノは何を言われたのか理解できないようで、一瞬固まっていたが、

フレヤが一歩近づいてきたのを見て、はっとしたような表情になった。


「来るな」


何かをこらえるかのような表情だった。

いつものチノだった。

射貫くような金色の光はその瞳にはなかった。

本当に、満月の光を浴びると、野性的で獣の本能のようなものが

表面上に現れるのだろう。


「おれは、おまえをまた傷つけてしまうかもしれない」

「かまわないわ」


フレヤはまた一歩距離を詰めた。

チノは二歩後ずさった。


「この手でおまえを縊り殺してしまうかもしれない」

「チノはそんなことをしないわ」

「おまえになにがわかるというんだ……!!」


チノの押し殺された声と叫びが心を揺らした。

だが、フレヤはできるだけ冷静に見えるように

静かに言葉をつむいだ。


「なにも、わからない」


チノがぎりっと奥歯をかみしめる音が聞こえた。

ひるみそうになる心を抑えて、また一歩近づく。


「でも、あなたのことを知りたいと思っている。

 だから、教えてほしい」


チノの手に触れようと右手を伸ばしたら、振り払われた。

振り払ったチノが一番驚いたように目を見開いて、

そして目を細めて自分の手を見つめた。

振り払われたフレヤよりもチノのほうが傷ついているように見えた。

そのままチノは身をひるがえして、夜の闇の中に駆けていった。

止める間もない一瞬のことだった。


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