コメディ・ライト小説(新)

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マーメイドウィッチ
日時: 2016/07/30 19:31
名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)

世界が止まった。



手が震える。



数拍のちに気付く。









私は大切な人に裏切られたのだと。

Re: マーメイドウィッチ ( No.90 )
日時: 2017/10/13 22:37
名前: いろはうた (ID: osGavr9A)

その夜、フレヤは目がさえわたりすぎて、全く眠れなかった。

ステファンの言葉が何度も頭の中を反芻している。

テントの天井を見つめ続ける。

遠くから火の粉の爆ぜる乾いた音が小さく聞こえた。

静かだった。

だからこそ、頭の中のステファンの言葉が

より大きく聞こえてしまう。


『貴女の騎士団ごときでは

 敗北することは貴女もよくご存じかと思っていたのだが』


あの時、反論の言葉が咄嗟に出なかった。

そのことを、誰よりも理解しているのはフレヤだからだ。

フレヤの歌とメノウの声は万能ではない。

その効能は、魔法というよりも洗脳という言葉が近い。

二人の力は、騎士たちの身体能力を飛躍的に上げたのではない。

騎士たちに、思っているよりも自分の身体能力は高い、と

思い込ませた暗示のようなものだ。

騎士たちは一時的にアルハフ族と同じだけの身体能力を得られるが

それはあくまで一時的なものだ。

通常よりも体に負荷をかける運動を無理に行うので、

騎士たちには通常の倍近くの疲労が体にたまる。

最初の一日はステファンの軍をしのげるかもしれないが、

次の日、騎士団は動けないほどの疲労に襲われるだろう。

そうなったら、この国は終わりだ。

騎士とアルハフ族は皆殺しになるだろう。

かろうじて国民を北に避難させているのがせめてもの救いだ。

フレヤは、罪の重さに震えが止まらなかった。

騎士たちは、ダークエルフを実際に目にしていないから

その実力をよくわかっていない。

アルハフ族もそうだ。

そこでフレヤははっとした。

違う。

メノウ、チノ、カルト。

この三人はダークエルフたちを実際に見た。

かなわないとわかっているはずだ。

騎士たちが戦力としては不十分なのは

特に武人であるチノとカルトは気づいたはずだ。

それでも、フレヤに何も言わないということは、

勝てるという自信があるというのか。

フレヤは唇を強くかみしめた。

いや、違う。

恩人であるフレヤに義理を通すつもりなのだ。

文字通り、命をかけて。


(……いやだ)


誰も死なせたくない。

誰も奴隷にさせないたくない。

どちらもかなえるには、自分の力はあまりに足りなさ過ぎた。

悔しかった。

情けなかった。

もっと、もっと強い力があったら、

全てを守りきれたかもしれない。

目じりからスッと熱い雫が零れ落ちた。

こらえきれず、嗚咽が噛みしめた唇の隙間から洩れた。

また、悔しさに泣くことしかできないのか。

惨めさに嗚咽を漏らすしかないのか。


「フレヤ、入るぞ」


唐突にテントの外から声をかけられて、

フレヤは目を見開いた。

声を上げるよりも早く

チノがしなやかな動きですばやくテントの中に入ってきた。

夜遅くに女王のテントに勝手に入ったとなれば、

他の騎士たちにお咎めを受けるから、ひそかに入ってきたのだろう。

フレヤは泣き顔を見られないように

あわてて毛布を頭までかぶった。

チノがこちらに近づいてくる気配がする。


「フレヤ」


溶ける前の雪のような柔らかい声だった。

目頭がまたじわりと熱くなる。

フレヤはきつく毛布を握り締めた。

こんな顔を見せたはいけない。

女王は毅然としているべきだ。

いつでも凛としていて、前を向いて、進み続ける、

民の道しるべとなる者だ。

それが涙していれば、みんなが不安になる。

不安にさせたくない。

未来は明るく照らしていてあげたい。


「おまえ、馬鹿だろう」


笑われながら言われフレヤは目が点になった。

徐々に心を満たす感情。

唇が震える。

これは、これは怒りだった。

これだけ自分が悶々と考えているところを

突然現れて馬鹿とはどういうことなのか。

怒りで涙も引っ込んでしまった。

勢いよく毛布から顔を出すと

ふわりと抱き寄せられた。


「やはり馬鹿だ。

 あれだけ言ったのに、また一人ですべてを背負い込み

 涙をこぼしている」


まばたきをした拍子に、目の端に残った涙が零れ落ちた。


「おれの前では気を張らなくていいと言ったのを

 綺麗に忘れてくれたらしいな」


わずかに声音にいらだちを混ぜながらも

彼は荒っぽくフレヤをかき抱いた。

人を抱き寄せるのに慣れていない手つきだった。

戸惑うような気配と一緒に、こちらを気遣う心を感じた。

オーブンから取り出したケーキの様に

突発的な怒りがしぼんでいくのを感じた。

フレヤが思い詰めているのを感じて

何かうまく声をかけたいのに何も言えない不器用さに

優しさがにじみ出ていた。


「私は……あなたたちの忠義心を利用して

 あなたたちを死に追いやるような真似をする」


気づけば、震える声が唇から漏れ出ていた。

こんなことチノには言いたくないのに、

言ってはいけないのに、ぽろぽろと言葉が零れ落ちていく。


「私は、誰も死なせたくない。

 でも、そうしないと、誰も守れない」

「落ち着け。

 落ち着いて、ゆっくり話してくれ」


震えの止まらぬフレヤに、

チノがなだめるようにその小さな背中を何度もさする。

大きな手だった。

この手をもうすぐ失ってしまうのかと思うと

目の前が真っ暗になるような心地だった。

指の関節が白くなるほど、チノの袖を強く握り締める。


「……私たちの戦力では、負けてしまう」


喉の奥から絞り出すようにして言葉を紡いだ。

チノは何も言わない。

フレヤは、たどたどしく言葉を紡いだ。


「みんな、殺されてしまう。

 負けると分かっている戦いに兵を送るのは

 死に追いやるのと何も変わらない」

「それは違う」


温かい指が髪をすく。

その少しくすぐったいような感触が

切なくなるほど愛おしくて止まったはずの涙が

じわりと目の端に滲んだ。


「おまえが不安に思うのもわかる。

 心配するなと言うほうが無理だろう。

 失う痛みを知る者ならば、

 誰も失いたくないと思うのは当然のことだ。

 だが、その前に、おまえは一つ、忘れている」


大切なこと?

そんなことはない。

騎士たちの、アルハフ族の命を失ってしまうことよりも

重大な事実はない。

そう言おうとするよりも早くチノが言葉をつづけた。


「おれたちを、信じてほしい」


低い声は弦楽器の様に耳に豊かに響いた。

胸を突かれる思いだった。

彼らを失うことばかり考えて、

自分の心が傷つくことばかり考えていて

彼ら自身のことを信じようとしなかった。

命を懸けて国を、大切なものを守ろうとする彼らを

女王が信じなくて誰が信じるというのか。

ステファンは間違っている。

全然、女王になどなれていない。

その存在に近づけすらしていない。


「戦いはおそらく夜となる。

 おれたちのような異形の者たちが

 最も力を強くする時間帯だ。

 お前も早く寝ろ」


こめかみに素早く口づけをおとすと、

チノは足早にテントを出ていこうとする。

おそらく他のものに不審に思われないようにするためだろうが

フレヤは思わず彼の服の袖をつかんでしまった。

驚いたようにチノが振り返る。

掴まれている袖を見た後、緑の瞳がフレヤの顔を見つめる。


「い、いかないで」


消え入るような声でそう言うと、

緑の目は真ん丸に見開かれた。

フレヤはめったに人の前で弱い姿をさらさない。

そうすることが苦手なのだ。

だから、チノも驚いているのだろう。

袖をつかむ手に、大きくて熱い手が触れた。

触れられているところから溶けてしまいそうだ。

フレヤはチノの顔を見上げた。

その目の奥に、とろりとした鋭い獣の色を見て

びくりと体が震える。

それを見て、チノははっとしたように、フレヤの手を離した。

その仕草がひどく寂しくて、フレヤは行き場のない手を

そっと握りしめた。


「フレヤ、その」


チノは珍しく歯切れの悪い言い方で、言葉を紡いでいる。

口元のあたりを手で覆って、フレヤを視界に入れないように

そっぽを向いている。

その仕草に胸が鈍く痛んだ。


「その、だな。

 明日は満月だから、今は、あまり触れ」

「私は、チノと一緒にいたい。

 離れたくないの」


ゴンッ

チノがテントの支柱に頭をぶつける音が響いた。

わずかにテントが揺れたが崩れるようなことはなかった。


「チノ?」


呼びかけるとチノがゆらりとこちらを見た。

その目に見たことのない光を見たと思った瞬間、

彼は一瞬でフレヤの前にいた。

肩を押され、突然のことに抵抗もできずに

とさっと自分の体が軽い音を立てて寝具に倒れた。

視界いっぱいにチノの顔が映る。

彼は怖いくらいに無表情なのに

目だけは宝石のようなキラキラした金色に輝いていた。

綺麗な獣の瞳だった。

ゆっくりとチノの顔が近づいてくる。

フレヤはゆっくりと瞬きをして彼を見つめ続けた。

突如、チノがうめき声をあげて

フレヤの首元に顔をうずめた。

口づけをされるのかと思ってどきどきしてしまったが

これはこれでどきどきしてしまう。

首筋にチノの熱い吐息がかかって、

ひどく落ち着かない。


「ち、チノ?

 大丈夫?」


チノは聞いたことのない言語を

猛烈な勢いでぶつぶつと呟き続けている。

おそらくアルハフ族の言葉なのだろう。

時折、どうしてこういう時に限って死ぬほど可愛いことを、

などとフレヤを恨むような言葉もちらほらと聞こえた。

かと思ったら、首をがぶりと噛まれた。

いつものようなはむような噛み方ではなくて

犬歯が肌に食い込むような、苛立ちまぎれの

何かをこらえるような噛み方だった。

小さく悲鳴を上げると、半眼になったチノが顔を上げた。

何やら恨みのこもった湿度の高いまなざしを向けられる。


「な、なに?」

「…………なんでもない」


チノは素早く状態を起こすと、すぐさま足早に

テントを出て行ってしまった。

こちらを振り返るようなことは一切なかった。

結局傍にはいてくれなかったが、

触れられた部分が熱を帯びているようだった。


「……なにかを我慢していたのかしら?」


静かなテントの中で、フレヤの問いに答える者はいなかった。















「フレヤ様、朝にございます」


控えめなカインの声ではっと飛び起きた。

気づいたら寝入ってしまったのだ。

ここにはメイドは連れていないので、

カインがおこしに来てくれたのだ。

かといって、寝起きの主を異性のカインが目にしようと

するはずもなく、こうしてテントの外から声をかけてくれたのだ。


「おはよう、カイン」


目覚めたことを伝えるために、

少し大きな声で言うと、一瞬の沈黙の後、

おはようございます、と慇懃な挨拶が返ってきた。

フレヤを起こす、という任務を完了したら

カインは去ってしまうのかと思ったが、

テントの前の気配は動かなかった。


「恐れながら、陛下。

 昨夜、ここに誰か訪れたりなどいたしましたか?」


瞬時にチノの顔が脳裏をよぎった。

ここでチノの名前を出したら、

彼の立場が悪くなってしまうだろう。


「誰も来ていないわ。

 どうして?」


カインに嘘をつくのは心苦しかった。

声が震えないように、つとめて平坦な調子になるようにした。


「……いえ、少し気になったもので」


同じく平坦な調子のカインの声にほっとした。

疑われてはいないようだ。


「では、では軍備の調整にいってまいります。

 失礼いたします」


きびきびとした口調でそう言うと、

カインがその場を去っていく音が小さく聞こえた。

ほう、と小さく息を吐く。

今夜、開戦となる。

第一部隊隊長のカインには、余計な心労をかけさせたくない。

既に、アルハフ族のことであれだけピリピリしていたのだ。

彼は今、これ以上ないほどの重圧にさらされているだろう。

なにかカインを励ます言葉をかけてやればよかったと

後悔がじわりと胸に広がる。

フレヤは、重い手つきで着替えを済ませると、

テントから足を踏み出した。

するとちょうどこちらに来ようとしたらしい

カルトと鉢合わせをする格好になった。

相変わらず色鮮やかなアクセサリーをじゃらじゃらとつけていて

戦争の前でも彼は変わらない。


「おはようカルト」

「おはよ。

 朝飯できたから呼びに行こうと思って」

「そう。

 ありがとう」


そっけないともとれるフレヤの態度にも慣れたようで

カルトは特に何も言わなかった。

その長い毛先をいじっている横顔を見ていると、

ふと聞きたいことが浮かんできた。


「ヘレナを連れてこなかったこと、怒ってる?」


カルトは驚いたように少し緑の目を見開いた。

ヘレナは、避難民たちと一緒に北の領地にいる。

彼女には、民のまとめ役として表向きは役職を与えているが

戦争の最前線から逃したことは誰から見ても明白だった。

ヘレナの意思を尊重しなかった。

自分自身の願いを優先した。

ヘレナには、もし自分に万が一のことがあっても

生きていてほしいと。


「別に?」


カルトはいつものような軽い笑みを浮かべた。

強がっているのかと彼の顔を注意深く観察したが

心の底から言っているようだった。


「ヘレナはその程度でへこたれる女じゃないし?

 仮にも、あんたの妹だしね」


カルトの言い方は、ヘレナはおれのものだと

言わんばかりのものだった。

あれだけ何事にも執着しなさそうな飄々とした男が

こうも変わってしまうのかと思うと不思議な心地になる。


「あんた、妹のこと、もうちょっと信じてみたら?」


人を食ったような笑みとともにひらりと手を振ると

カルトは元来た道を歩き去ってしまった。

フレヤもあわててカルトの背を追って、

朝食を食べるために歩き出した。

Re: マーメイドウィッチ ( No.91 )
日時: 2017/10/16 09:45
名前: いろはうた (ID: osGavr9A)

最後の軍議を滞りなく終えたころには、

空は黄昏色に染まっていた。

そのまぶしい美しさに目を細めながらフレヤは立ち上がった。

もう開戦まで数刻となかった。

ルザに手を引かれて、女性用の胸当てを着せてもらう。

これはアルハフ族の戦士達が愛用している

皮をなめして作ったものだった。

軽くて丈夫なので、ひ弱なフレヤでも身に着けることができた。

つけてもらっている間、

ステファンたちが現れるであろう国境近くを黙って見つめる。

心は震えるほどに澄み切っていた。

やがてそこから視線を移し、

騎士たちとアルハフ族の戦士たちを見やった。

彼らは各々の鎧を身に着け、いつでも戦闘態勢に入れる状態だった。

同じくアルハフ族の胸当てを着込んだメノウが

フレヤの隣に並ぶ。

徐々に薄い藍色に染まって行く空の中、

満月がぽっかりと浮かんでいるのが見えた。

満月は異形の者のための夜。

どの異形の者たちも自身の力を最も強く発揮できる。

それはアルハフ族の戦士たちや、フレヤにとっては

絶好のタイミングではあるが、

それはダークエルフの血族であるステファンや

彼の配下であるダークエルフたちも同じことだ。

長期戦で圧倒的に不利なのはこちら。

短期戦で全戦力をぶつける。

もはやそれしか道はない。

フレヤは悲壮なまでに毅然として

騎士たちとアルハフ族の戦士たちを見つめた。

女王の凛とした姿に、騎士たちは思わず居住まいを正した。


「今宵の戦いは苛烈になるわ。

 深く傷つく者も出るはず。

 それでも私は命じる。

 私のために血を流せ、と」


決して大きな声ではない。

だというのに、その凛とした声は

その場にいるすべての者の鼓膜を震わせた。

傲慢なまでの物言いだというのに、

その言葉は火酒のように甘く激しく騎士たちの

そしてアルハフ族の戦士たちの体を焼く。

女王たる娘の瞳が、夕日の光を受けて

炎の様に強く赤に輝いた。

風に舞う青い髪は大海原のようだった。


「私の剣。

 その刃がこぼれようとも、

 私はあなた達という剣を手放さない」

「我ら一同、この身、この魂、

 持つもの全てを捧げます」


騎士団長のハイヴが深く頭を垂れた。

彼に倣って、騎士たちだけでなく、

アルハフ族の戦士たちも頭を垂れた。

彼らを睥睨した後、フレヤはすっと遠くを見つめた。

ぽつぽつと国境近くに黒い影が見える。

黒い影は徐々に大きくなり、

人の形をした何かがいくつも空を飛んでいるのが見えるようになった。

きゅっと手を握り締めた。

開戦だ。

おもむろに、護身用の短剣を取り出す。

銀に輝く刀身。

これは、王家に伝わる宝剣だ。

それを鞘から抜き放ち、掲げる。

銀の刀身が夕日を浴びて、赤い輝きを放った。

これは遠い昔、人魚姫が王子を殺すために

姉姫から授けられた短剣と言われている。

だけど、彼女は初めて恋した人を

自分の手で殺すことができなかった。

たとえ泡となって消えてしまうことになっても、

どうしても、殺せなかった。

海に落ちたその短剣を、人魚の魔女の孫娘が海の底で拾い、

人間の王子に恋をし、結婚しても、

大切にしていたと逸話として残っている。


(だけど、私は、違う……)


嘆き、悲しみ、奪われるだけだった人魚姫ではない。

人魚の魔女の末裔だ。

清廉潔白などではいられない、闇の眷属の者だ。

かつて人魚姫が使えなかったこのナイフを

恋したあの人の心の臓に深く突き立てよう。

たとえ、差し違えることとなってもだ。

フレヤは歌いだした。

炎のほとばしりそうな、吹雪のような戦いの歌だった。

叫びのような歌詞のない歌は、

騎士たちの体を業火でなぶるように熱くした。

かがり火の様に騎士たちの体が青い光で包まれる。

彼らを決して死なせない。

死なせてたまるものか。

悲鳴のような旋律は騎士たちの体に灯った

青い輝きをさらに強くした。


『私たちは死に行くのではない。

 勝ちに行く。

 この国の最後の砦となる』


緑の瞳を赤く輝かせたメノウが微笑みながら言った。

いつもの夢見るような微笑ではない。

牙をむき出しにした獣のような笑みだった。

びりびりと空気が震える。

風になびき広がる金髪はたてがみのようだった。

騎士たちの体は赤い靄にも包まれた。

赤と青が交じり合い、

紫の炎のようなものが彼らの体から立ち上っている。

フレヤは、ふと不穏な空気の鳴動を感じて、

空を見上げた。

漆黒の魔法陣のようなものがはるか上空に浮かんでいた。


「散れ!!」


ハイヴの怒号のような声が響いた瞬間、

ひときわ強く魔法陣が光った。

数泊後に轟音と共に目の前が土埃で見えなくなった。

魔法陣からの攻撃が、騎士たちとアルハフ族の戦士たちが

いた場所をえぐったのだと遅れて気づく。

初めて見る高度な魔法攻撃に思考が追い付かない。

あれが、ダークエルフたちによる攻撃だというのか。

腹に強い腕が回っていることに気付き、

その腕の主をはっとして見上げる。

ぞわりと肌が粟立つのが分かった。

昨夜ぶりに会うステファンが背後にいた。

藍に染まりつつある空に、金髪がよく映える。

宝石のようなアイスブルーの瞳は

燃えんばかりに輝いていた。


「っく!!」


手に持っていた短剣で切り付けようとしたら、

素早く手首をつかまれ動きを封じられた。

フレヤを抱えたまま、ステファンは

戦場から静かに離れていく。


「はな、して!!」

「どうかそう暴れずに。

 遠くから観戦というのも悪くはないものだから」


騎士たちやアルハフ族は上空からの猛攻に

フレヤがその場からいなくなっていることに気付けていない。

ステファンを強く睨みつける。

ならば、女王として決着をつけるしかない。

しかし、ふと疑問に思った。

ダークエルフたちは、みんな上空にて魔法攻撃を行っている。

地上に降り立たない相手に、騎士もアルハフ族も

ひどく苦戦している。

だというのに、なぜステファンはフレヤを攫ったあと、

すぐに安全な上空へと移動しなかったのか。

いや、移動しなかったのではなく、

できなかったと考えたらどうだろう。

ステファンはダークエルフの末裔ではあるが、

人間の血が多く入り、ダークエルフとしての血は

薄くなっているらしい。

もし、フレヤやメノウの様に特殊な力を使えないとしたら。


「そう睨まずとも、別に貴女を害するわけではない」


春の陽だまりのような笑みの仮面をかぶっている

ステファンは、甘く残酷にささやいてくる。

この余裕だ。

仮に、特別な力を使えないとしても

フレヤごときではかなう相手ではない。

しかし、フレヤはその程度では諦めず

黙ってステファンの隙を伺っていた。


「どうだろうか?

 少しは差というものを感じてくださっただろうか。

 貴女の軍は、まるで追い詰められたウサギのようだ。

 上空からの攻撃には逃げることしかできない」


彼らの視線の先には、いくつもの魔法陣から放たれる

魔法攻撃をすばやい動きで交わし続けている

騎士団とアルハフ族の戦士たちの姿があった。

もしフレヤの歌とメノウの声の力で

力を増していなかったら、壊滅状態になっていただろう。

土煙がもうもうと上がる中、黒い人影がいくつも舞っている。


「それが、なに」


かすれた声でフレヤは返答する。

かすれてはいるが、震えてはいない。


「私の剣は、曇り一つなく、折れもしない」


フレヤの言葉にステファンはすっと目をすがめた。

それをまっすぐに見つめ返す。


「少しは絶望してくださると思ったのだが」

「彼らという剣が折れぬ限り、私も絶望など、しない」


強く言い切ると、ステファンの顔から

ほほえみの仮面が剥がれ落ちた。

冷たく硬く鋭利な残忍さがアイスブルーの瞳をよぎる。


「とても残念だ。

 やはり殺さねばならないか」


フレヤは顔色を変えないようにするので必死だった。

少しでも隙を見せたら頭から喰われてしまいそうだった。

気おされてはならない。

奥歯を噛みしめて恐怖に耐える。


「私は、貴女が絶望するのが見たいというのに

 貴女は決して絶望しないという」


ステファンの白手袋に包まれた指がすっとフレヤの顎を取った。

力をこめられ、丁寧にだがしっかりと上を向かせられた。

皮肉なものだ。

婚約者であったころよりも、

はるかにステファンとの距離が近い。

口づけさえできそうなほどステファンは顔を近づけてくる。

その目には恋情とも憎悪とも呼べるような

強い感情が宿っていた。


「……どこまでも」


かすれた声には仄暗い熱情がこもっている。


「どこまでも思い通りにならないお人だ」


苛立ち、羨望、賞賛、執着、嫌悪、憎悪、恋情。

ありとあらゆる感情がまざったささやきが

直に耳に落とされる。


「貴女の妹君とわざと恋仲になったのは、

 貴女が嫉妬に狂う姿が見たかったがためだった。

 だというのに、貴女という人は、

 己の感情を押し殺し、あまつさえ祝福すらしてみせた。

 彼女と夫婦となってから、貴女に会いに行っても

 貴女は私に欠片の執着も見せなかった」


そんなことはない。

心はずたずたに切り裂かれて、

血まみれになっていた。

これ以上ないほど悲しく惨めな思いをした。

何より恋しくて、仕方がなかった。

溺れるように恋をしていたからだ。

この手に触れたかった。

この指に触れてほしかった。

何度だって名前を呼んでほしかった。

抱きしめてほしかった。

泣いて、叫んで、みっともなく縋りつきたかった。

全ては悪い夢なのだと思いたかった。

またあの日々に戻れたら、と

何度あさましく願ったことか。


「……貴方は、私のことを何も知らない」


低く押し殺した声で答えると、そうかもしれない、と

平坦な返答が返ってきた。


「貴女を裏切った時も、貴女を追い詰めたときも、

 どんな時だって、あなたは絶望しなかった。

 闇に堕ちるどころか、燦然と輝いていく。

 そこがひどく憎らしくて、愛おしい。

 手を伸ばさずにはいられない。

 貴女の高貴なる魂を闇に染めることを考えただけで

 とろけてしまいそうになる。

 我らは闇の眷属にまつわる者。

 どれほど輝こうとも、我らの本性は闇とともにある。

 われらこそ、つがいとなり、夫婦となり、

 子を成していくべきだとは考えてはくださらないのか」

「そんなことするくらいなら、

 最後まで抵抗してから、潔く自害するわ」


迷いのない言葉にステファンは笑った。

これはずいぶんと嫌われたものだ、と

ひとしきり笑った後、吐息を漏らした。


「……やはり、私は貴女が、欲しい」


噛みしめるような言葉と共に、

手首をつかむ手がわずかに緩んだ。

フレヤは、瞬間的に力をこめ、手首をひるがえらせて

ステファンに突き立てようとした。

しかし、ステファンは迫りくる刃に怯むどころか、

自ら刃を手で掴みにかかった。


「おとぎ話の人魚姫とはずいぶんと筋書きが違うようだ。

 王子に恋した人魚姫は、王子を殺せず

 自らの命を犠牲にしてまで愛を守ったはずなのだが」

「……私は人魚姫ではないわ」


平静を装っても内心は動揺していた。

ステファンの白手袋を鋭い刃はたやすく切り裂いた。

みるみるうちに白手袋が赤に染まっていく。

わずかに怯んだすきに、ステファンはフレヤから距離を取った。

はっとした時には、すでに追いすがるには

遠すぎる距離が開いていた。


「宣言させていただこう。

 今夜はさすがに小回りが利いていて、

 わが軍でもあなたの軍はつぶせない。

 だが、明日は容赦しない。

 貴女以外のすべて、皆殺しだ」


微笑みながら告げられた言葉に、

己ののどが小さく音を立てた。

見ないようにしていた事実。

全員を失うかもしれないという恐怖が

フレヤの足を動けなくした。

押し殺していた恐怖は爆発的に心を支配し、

判断力を奪っていく。


「今日は退いてさしあげよう、フレヤ様」

「ま、って……!!」


差し違えてでも、彼を止めなければならない。

頭ではそうわかっているのに、体が言うことを聞かなかった。

恐怖で足がすくんで動けないのだ。

その間に、ステファンの姿はあっという間に見えなくなった。

やがて、鳴り響く轟音が止まった。

あたりに静寂が満ちて、砂塵が舞う。

オスロ国ダークエルフ軍の唐突な撤退だった。

Re: マーメイドウィッチ ( No.92 )
日時: 2017/10/16 17:05
名前: てるてる522 ◆9dE6w2yW3o (ID: VNP3BWQA)
参照: http://From iPad@

こんにちは~(* ॑꒳ ॑* )

久しぶりにお邪魔してます(*´▽`*)←
参照1300突破おめでとうございます(*・ω・)*_ _)

倉庫ログの方では、9000突破されてますね(๑°ㅁ°๑)
羨ましい限りです(`•ω•´)

私は1つを覗いては、そういう大きい数になるまで執筆が続いたことはないので……( ̄▽ ̄;)
尊敬してます*. ゚(*´ω`*)゚ .*


久々に来たら、ものすごく話が進んでて((^ω^≡^ω<ギャアアアアアアアでした←←
最新の更新を読ませて頂いたのですが、やはりストーリーの展開に付いていけず……。

自分の更新も進めつつ、少しずつでもいろはさんの更新についていけるように読み進めていきたいと思ってます( ᐛ )و


更新楽しみにしてます♪( ̄^ ̄ゞ
無理ない程度に頑張ってください!!!!!

byてるてる522

Re: マーメイドウィッチ ( No.93 )
日時: 2017/10/17 23:38
名前: いろはうた (ID: osGavr9A)

こんにちはー!!


来てくれてありがとうございます!!
お久しぶりです!!


今は、主人公のフレヤさんが女王となって
隣国の元婚約者と戦争をやってるシーンですね!!
クライマックス目前でございます(`・ω・´)
がんばって完結まで一気に書き進めていきたいと思っています。

というか、これを終わらせたら
次の小説も書いていきたいので、
ちょっと急ぎ足で、って感じですねー
次の小説は、和風のどろっどろラブにしようか
今はやりのゲーム転生ものにしようか
色々試行錯誤中です……
なにか、ご意見あれば教えていただきたいですー(^▽^)/


コメントありがとうございますー!!

Re: マーメイドウィッチ ( No.94 )
日時: 2017/10/18 21:13
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 07aYTU12)

こんばんは。唐突にお邪魔してすみません、四季です。

途中まで読ませていただきました!ファンタジーな世界観がとても好きです!
今、少し興奮気味です……。
文章も落ち着いた雰囲気でありながら読みやすく、読書力がかなり低い私でも比較的素早く読めています。
さすがに凄いなぁ、と思います♪ 勉強になりそうです!

元気を貰えました!ありがとうございます。
これからも活躍を願っています(*´∀`)♪


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