コメディ・ライト小説(新)
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- マーメイドウィッチ
- 日時: 2016/07/30 19:31
- 名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)
世界が止まった。
手が震える。
数拍のちに気付く。
私は大切な人に裏切られたのだと。
- Re: マーメイドウィッチ ( No.25 )
- 日時: 2016/12/27 15:36
- 名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)
チノはその時からさらにフレヤの前に姿を現さなくなった。
フレヤは図書室の本をぱたりと閉じた。
恐ろしいほど静かだった。
あたりには人は誰もいない。
フレヤ自身、人にかしずかれるのが苦手で、
人払いをするのが常だ。
そんな中でも、唯一そばに置くことを許したのがチノだった。
最初は、チノを守るために置いていたが、
今は違うような気がする。
父から守るためにそばに置いた。
だが、その父は今臥せっていて、別にチノを手放してもいい。
それをしなかったのは、チノが帰りたいとは洩らさなかったのもある。
それ以上に、なにか自分自身の感情が影響している気がする。
それに気づきそうになるたびに、意図的に心にふたをする。
気づけば何か引き返せなくなってしまいそうだ。
無意識のうちに、いつでもそばにあった姿を探し求めてしまい
はっとして、瞳を伏せた。
「チノ……」
小さな声で呼んでみるも、返事はない。
返事はないし、気配も感じられない。
「フレヤ様!!」
静寂が突如破られた。
血相を変えた様子の、メイドのハンナが図書室に走りこんできた。
いつもはきっちり整えてあるひっつめ髪が乱れていた。
よほど急いできたのだろう。
「なに?
なにかあったの?」
胸騒ぎがした。
冷たいものが背筋を駆け巡った。
席をたって、ハンナのほうに近づく。
彼女はおびえたような縋るような目でフレヤを見つめた。
「恐れながら申し上げます……!!
フレヤ様、少し来ていただけますか?」
フレヤは、走った。
ぱたぱたと駆けていくハンナの背を追って必死に走った。
足に絡みつくドレスの裾がもどかしい。
いっそのこと破いてしまいたいほどだ。
城のあちこちでそわそわする気配が見なくても伝わってくる。
フレヤは、やっと目当ての扉の前にたどり着き、
衛兵に扉を開けてもらうのですら待てずに体当たりするようにして扉を開けた。
父がいた。
土気色の顔は変わらない。
でも、本当に久しぶりにその海のような青い瞳が開いていた。
ヘレナと同じ青い色。
その瞳が涙が出そうになるほど懐かしかった。
そう。
ヘレナの至急の知らせというのは、イルグ王が意識を取り戻した、
というものだった。
父をここまで追い詰め、命を削ったのはまぎれもなく自分だ。
でも、その知らせを聞いた途端、体が勝手に動き出したのだ。
滑稽だ。
笑みがこぼれそうになるほど自分が滑稽だった。
足は勝手に父の所に向かい、手は勝手に父の手をそっと握りしめていた。
そんな自分に自分でも驚く。
「フレヤ……か……?」
かすれた声に、フレヤはうなづいて見せた。
これでは、まるで父思いの姫のようだ。
「はい、お父様。
フレヤです」
父の乾いてひび割れた唇から細い息が漏れた。
父は哀れな程に衰弱していた。
ツキリと胸が痛んだ。
ここまでやったのは自分だ。
国を守るために、民を守るために仕方のないことだったのだ。
そう必死に自分に言い聞かせる。
その様子をイルグ王は静かに見つめていた。
「なにか変わったことでもあったか……?」
一瞬フレヤは動きを止めた。
ゆっくりとまばたきを繰り返す。
「いえ、なにも」
いつも通りの平坦な声を、父のひび割れた唇を見ながら言った。
もはや、いつも通りにふるまえているかもわからなかった。
必死に感情を表に出すまいと努力していて、ふと気が付いた。
いつからこんな風に感情を我慢するようになったのだろう。
今までは、感情が欠落しているような、
空虚さが自分にはあったのに、それが今はひどく薄らいでいる。
フレヤは内心動揺した。
こんな自分は知らない。
「……私は……もう長くないな」
ぽつりと漏らされたつぶやきに目を見開いた。
たしかに、フレヤの歌は、
父の体をもはやどうしようもならないところまでおいつめていた。
ただ、それを改めて本人から言われると
頭を殴られたような衝撃が走っていた。
父は死んでしまうのだ。
もう、あえなくなってしまう。
こんな風に話を交わすことも
あたたかな手を握ることも
なにも、なにもできなくなってしまう。
その現実をまざまざと突き付けられたような気がした。
「その前に……おまえの新しい婚約者を決めてやらないとな……」
父の声には、狩猟に明け暮れていた頃の荒々しさはなかった。
この数十日で、一回りも二回りも父が年を取ってしまったように見えた。
「私のことはいいのです」
「いいや、よくはない。
おまえは女だ。
女のお前には、何よりも大切なことだ」
力ない声だったが妙に気迫がこもっていた。
それに気おされて、一瞬口をつぐむ。
「私は、お前に愛を知ってほしい」
予想外の言葉に、フレヤは、はっと父を見た。
父は弱弱しいまなざしで、こちらを見ていた。
落ちくぼんだ目にはかすかだが、まだ光があった。
「それが、父としてお前にできる最後のことだろうからな」
しんと、沈黙が部屋を満たした。
ここで、そんなことを言わないで、とでもいえば
父親思いの娘を演じられるのだろうが
あいにくそこまで心に余裕はなかった。
しばらく、黙ったまま天井を見つめていた父は、ふと尋ねた。
「今日は歌わないのか?」
今度こそフレヤはびくりと体を震わせた。
冷たいものが体中を駆け巡る。
フレヤは乾くほど目を見開いたまま微動だにできなかった。
「……ああ、おまえは自分の歌が嫌いだったな」
ささやくような声に、父を殺すために歌い続けていたことが
ばれたわけではないと悟る。
じわりとてのひらが嫌な汗をにじませた。
いっそのことばれてしまったら、楽になれるのに。
そうすればここから逃げ出せて、責任も義務も、なにもかもを
かなぐり捨ててしまえるのに。
わずかに唇をかみしめる。
「ソフィナが、ずっと隣で歌ってくれている夢を見た。
お前の声はソフィナと似ているから、
お前がずっと歌ってくれていたのだと思っていた」
久しく聞いていなかった亡き母の名前を出されて、フレヤは驚いた。
母が亡くなって誰よりも悲しんだのは父だ。
悲しみを忘れるために賢王は、
娯楽にふけって無理やり悲しみを忘れようとしたのだ。
父が意図的に母の名前を出さないのは、城の誰もが知っていることだったから
誰も母の名を口にしてこなかったし、ましてや再婚ですら誰も勧めなかったのだ。
ちらりと父の枕もとの棚にある、金色の貝殻を模したネックレスを見やる。
そして、再び父の顔に視線を戻した。
「お父様。
私は、愛を知らないのでしょうか」
「ああ、お前はまだ知らない」
静かに返された言葉に、フレヤは反論しなかった。
確かにあの日気づいてしまったのだ。
自分はステファンを愛しているわけではないのだと。
おそらく、あの気持ちは、未成熟な幼い恋だったのだろう。
「お父様……愛とは、何なのでしょうか」
父はすぐには答えなかった。
美しい青い瞳。
ヘレナと同じ瞳。
そういえば、母はどんな色の瞳だっただろうか?
思い出はもやがかかっていてすぐには思い出せない。
「おまえは、成長すればするほど、ソフィナそっくりになっていくな。
その紅の瞳など、そっくりだ」
唐突な言葉にフレヤはどきりとした。
まるで心の中を読まれているようだ。
父はまっすぐにこちらを見つめていた。
「愛は……私にとっては、ただの狂気のようなものだ」
フレヤは、何も返答できなかった。
ここにたしかに、強すぎる想いに、その身と心をとらわれている人がいたからだ。
- Re: マーメイドウィッチ ( No.26 )
- 日時: 2017/01/24 23:51
- 名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)
フレヤは、何の感情もこもっていない目で、
宝石商が持ってきた、きらびやかなネックレスを見つめていた。
王宮に持ちこむだけあって、どの宝石も大粒で
最高級品ばかりが並んでいた。
「ハンナが好きに決めていいわ」
「フレヤ様!」
「興味がないもの」
昔は、ステファンに少しでも素敵に思ってもらえるように
メイドと一緒に一生懸命考えて選んだものだ。
だが、それは今は意味を持たない。
どうせもうすぐ、ここを追われる身になるのに
こんな装飾品を買ってもどうしようもない。
ただの浪費にしか思えなくて、フレヤは投げやりになっていた。
「ドレスですら、なんでもいい、で済ませてしまうのですから、
せめて、アクセサリーは……!!」
「お父様が勝手に決めた舞踏会よ。
本当ならば私は参加する必要は」
「ございます!!」
フレヤはため息をついた。
父は、なんとしてでも自分が死ぬまでに
フレヤの婚約を強引に進めてしまう気だ。
死の淵にいる父の最後の願いを無下に断れず、
結局舞踏会という名の、フレヤの婚約者さがしが明日急きょ開かれるのだ。
次期国王になれるのだ。
目の色を変えて、この国すべての身分の高い独身男性が
大勢押し寄せてくるのだろう。
考えただけでもぞっとする。
だから、余計に新しいドレスやアクセサリー選びにせいが出ないのだ。
「これでいいわ」
フレヤがなんとなしに拾い上げたのは豪奢なエメラルドのネックレスだった。
このままでは買ってもらえないかもしれないと思っていたらしい
宝石商があからさまにほっとした表情を見せた。
対するハンナの顔はかんばしくない。
「フレヤ様……
そのペンダントは、あまりフレヤ様のおぐしの色とは
合わないかと……」
「ハンナは、今日アイボリーのドレスを選んだじゃない。
大丈夫よ」
たしかに、フレヤの真っ青な髪の色と、
深紅の瞳には、エメラルドはあまり似合わなかった。
だというのに、どうして選んだんだろうと不思議な気持ちで
エメラルドを見つめていると、ふとこれと同じ色をしたものを思い出した。
チノの瞳と同じ色だ。
そのことに気付いて、フレヤはエメラルドをしばらく凝視したあと
すっと視線を逸らした。
「髪飾りも、イヤリングも、全部エメラルドで統一して」
まぶしく輝くシャンデリア。
目障りなほどにまぶしく輝いている。
まぶしくて、フレヤは目を伏せた。
穏やかなセレナーデが豪華な造りの大広間に流れている。
そこに潜むようにして囁く声が聞こえる。
まぁ王女殿下がいらしたわ。
お可哀そうに、婚約者に捨てられて
あさましくも次の男をあらさがししているのかしら
まぁそうでもしなければいき遅れてしまうでしょう
くすくすくす
くすくすくす
風のざわめきとともに聞きたくもない言葉が運ばれてくる。
だから、こんなものに出席などしたくなかったのだ。
フレヤは表情を変えないようにつとめた。
ぐっと奥歯をかみしめて耐える。
その時、視界の端に黒衣が映ってはっとした。
チノがいつも着ている黒衣と色がそっくりだった。
急いで視線で黒衣の人物の顔を確認する。
体がこわばった。
シウだ。
ミン国の皇子、ヴァンピールの末裔がいる。
闇夜に溶け込むようにしてたたずむさまは
闇の眷属という言葉がふさわしかった。
どうして。
声にならない声が唇から吐息となって漏れた。
あたりに視線を配るがチノの姿は見当たらない。
「フレヤ王女殿下がいらっしゃいました」
執事が喧噪の中でもよく通る声でそう言うと
あたりはしんと静まり返った。
フレヤはかすかにこわばった顔のまま、優雅に一礼をして見せる。
コルセットが脇腹に食い込んでかすかに顔をしかめる。
今日はハンナが念入りにきつく締めたのだ。
感じる。
きつい視線を。
どの若い男たちも次期国王の座を狙ってフレヤに近づける機会を
今か今かと待っている。
その中でもひときわ強い視線はシウのものだった。
なにが彼の目的なのかさっぱりわからない。
この国が目的なのだろうか。
だから、この国の次期国王の座がほしいのだろうか?
メノウの館の前で偶然鉢合わせした時の光景がフラッシュバックする。
なんのためにこの男は動いているのだろう。
「王女殿下」
空気を鋭く打つような低い声が静寂を切り裂いた。
長靴のかかとを鳴らしながらゆっくりとこちらに近づいてくるのはシウだった。
とっさに彼を拒もうとチノの姿を視線だけで探している自分に愕然とする。
いつのまにこんなに自分はよわくなっていたのだろうか。
いつからこれほどまでにチノに頼ってしまうようになったのだろうか。
「麗しき姫君と一曲踊る栄誉を許してはくださらぬだろうか」
フレヤの前まで来ると、シウはひざまずいて彼女に手を差し出した。
あれほどまでにフレヤと踊るために我先に駆けだそうとしていた
貴公子達はぐっと踏みとどまっている。
シウから発せられる気迫と雰囲気に圧倒されてしまっているのだ。
フレヤは指先が震えないように気を付けながら
そっとその手のひらに指先を載せた。
シウがすっと瞳を細めた。
唇が三日月を描いた。
「……ありがたき幸せ」
シウに手を引かれて大広間の中央まで導かれるようにして足を運ぶ。
緊張しすぎて、ドレスの裾を何度となく踏んでしまいそうになりながら
毅然として見えるように精一杯ふるまった。
シウの視線は強い。
本人にはきっと自覚はないのだろうが、その瞳で見つめられると
身を焦がされてしまうような錯覚すら起きる。
ゆるやかに音楽が流れだした。
フレヤはステップを踏み出した。
ふわりとドレスの裾が揺れる。
「うまいではないか。
おとぎばなしの人魚姫も踊りの名手だと聞いていたが」
シウはフレヤが警戒しすぎて緊張していることも
すべて見抜いたうえで軽口をたたいてくる。
周りからは話しているように見えないようにしているため
ただフレヤを優雅にエスコートしているようにしか見えないのだろう。
じわりと掌に汗がにじんだ。
「どうしてあの時メノウのところにいたの」
駆け引きなどしていられなかった。
あまりに直球すぎる質問にシウは唇の端をゆがめるようにして笑った。
「そうせくな。
今はゆるりと舞を楽しむときであろう」
のらりくらりとかわされて苛立ちが増す。
この男はわからないことだらけだ。
聞きたいことがたくさんある。
しかし、聞いたところで今のように軽く流されてかわされてしまうだろう。
音楽がひときわ大きくなり、フレヤはくるりと回った。
髪に飾られた絹のリボンがふわりと宙に舞う。
この男、やたらとリードがうまい。
ステファンと同じかそれ以上かもしれない。
「どこで踊りを習ったのかしら?」
「これでも皇族だ。
人並みには踊れる」
そういうとシウはぐっとフレヤを引き寄せた。
腰に回る強い腕が、拒むことを許してくれない。
フレヤは至近距離からシウの瞳を見つめた。
魔性の瞳。
見ているだけでくらくらする。
なんて美しい男だろう。
だが美しいだけで、心の琴線には触れなかった。
「やはりか」
流れる優美な音楽に紛れて、シウがぼそりとつぶやいた。
やはりその魔性の瞳からは何を考えているのか全く読み取れなかった。
「今なんて言ったのかしら」
「別に大したことではない」
すげなくそう言われてしまったが、引き下がれない。
無意識のうちにステップを踏みつつ、なんとかシウから距離を取ろうと試みる。
しかし、背に回った大きな手のひらはびくともしない。
「何も言ってくれないのね」
「そのいらだった顔を見るのがこのうえなく楽しいからな」
笑みとともにそう返され、ますますいらだちが増す。
この男、顔だけはいいが性格は最悪だ。
氷姫、とあだ名がつくほどの鉄面皮で有名なフレヤの感情を
読み取れるのも腹が立つ。
やたらとダンスがうまいのもしゃくに触った。
「いい顔を見せてくれた礼にいいことを教えておいてやろう」
ふいにシウがその顔から笑みを消した。
そうなると凄みのある美貌が一層際立つ。
フレヤはくるりと一回転しながら、シウから目を離さないでいた。
「なにかしら」
「まずひとつ、我には汝と同じくたぐいまれなる力を有する」
フレヤの歌の力は各国まで広く知られている。
おそらく、歌の力のことをさしているのだろう。
「あなたも私と同じく人間以外の血を持つものなら、まぁそうでしょうね」
「我の力は目だ。
目を見ただけで、相手は我に従う。
我は我以外の異形の者にも幾度か試してみたが我の力は人間にしか効かなかった。
事実、我は汝にも霊力を込めて目を見たが何も起きなかった」
フレヤは足を止めてしまいそうになるのを必死でこらえた。
フレヤは自分以外の異形の末裔にこれまでほとんどあってこなかった。
ゆえに、その事実を知らなかったのだ。
歌の力は人間にしか効かない。
フレヤはその言葉を胸にとどめておくことにした。
シウの言葉は信用しきれないが、いまの感じだと事実なのだろう。
「もうひとつ、メノウの言葉には従うな」
さすがのフレヤもこれには顔をこわばらせた。
冷たいものが背筋を流れる。
どういうことだろう。
シウは、メノウの屋敷に入っていったから、
メノウの仲間かもしれないと思っていたのに。
その表情を見て、シウは眉をひそめた。
「汝、まさか……」
割れんばかりの拍手があたりを包む。
フレヤははっとしてあたりを見渡した。
いつの間にか音楽は止まっていて、大広間にいる人々は王女と遠国の皇子に拍手を送っている。
フレヤはあわてて一礼をした。
しぶしぶといったようにシウも一礼する。
フレヤは自分の手をシウの手からもぎ取るようにして抜くと、
急いでその場を立ち去った。
- Re: マーメイドウィッチ ( No.27 )
- 日時: 2017/01/25 11:13
- 名前: いろはうた (ID: dFWeZkVZ)
急いでその場を去りながら、ちらりと後ろを見てみる。
シウが笑みを浮かべながらゆったりとフレヤを追ってきていた。
それはもう楽しそうな笑顔だった。
(あの男、本当に性格が悪い……!!)
フレヤが困っているのを見て、心の底から楽しんでいる顔だあれは。
フレヤはむきになってさらに足をはやめた。
あちらのほうが足が長いからどうがんばってもいつかは追いつかれてしまう。
周囲に視線をさまよわせると、一斉に手が差し伸べられた。
「王女殿下、次は私と踊っていただけませんか?」
「いえ、次は私と」
「どうか、王女殿下」
見目麗しい貴公子達が次々と手を差し伸べてくる。
しなやかな手は上等な白手袋に包まれていた。
フレヤは彼らの顔を見上げた。
目を見ればわかる。
彼らはフレヤを通して己の栄光だけを見つめていた。
フレヤは足を止めて彼らに向き直った。
彼らの顔に、一斉に喜色が広がる。
フレヤはにこりともしないで言い放った。
「わたくし、一曲踊ったら少し疲れてしまったの。
もう、さがらせていただきます」
貴公子達が笑顔を浮かべたまま固まっているのに見向きもしないで
フレヤはくるりと背を向けて歩き出した。
吐息が漏れた。
自室まで走ってきたのだ。
自室の扉に手をかける。
コルセットをきつく締めすぎたせいで息がうまくできない。
フレヤは酸欠でくらくらする頭を扉に押し付けた。
なにを、やっているんだろう。
最後に親孝行をするつもりが、逃げ出してきてしまった。
「こんな、はずじゃなかったのに……」
驚くほど弱々しい声が漏れた。
自分はこんな人間だっただろうか。
こんな感情のままに動く人間だっただろうか。
いや、違う。
もっと自制が聞いていたはずだ。
計算高く、理性に従って動けていたはず。
なんて情けない。
「もっと……賢く動かないと」
フレヤはゆっくりと頭を上げた。
フレヤは深くフードをかぶりなおした。
あたりは静けさに包まれていた。
舞踏会の喧噪は遠く過去に消えていた。
あのあと、生暖かい目でメイドたちに見られた。
おそらく、シウに恋をしてそのほかの貴公子達のダンスの誘いを断ったのだと
勘違いされているのだろう。
ものすごく訂正したいがこうなったら、その勘違いも利用するしかない。
だから、シウのもとに数日いく、という置手紙を残してきた。
メイドたちの阿鼻叫喚が目に浮かぶようだが、考えないようにする。
フレヤは夜の闇に紛れて、城をそっと抜け出した。
衛兵たちが門を守っているのを横目で確認してから、馬屋のほうに急いだ。
その身を包むのは乗馬服だった。
手に持っているのは数日分の食料と水だけだった。
王宮の台所からくすねてきたものだった。
なるべく物音を立てないように気をつけながら、馬屋にやっとたどり着いた。
ほっとして愛馬の鼻面を撫でようとした。
「どこに行くおつもりですか、王女殿下」
びくっとフレヤは指先を震わせた。
丁寧な口調なのに、ひどく投げやりな響きがこもっていた。
ゆっくりと振り返ると闇に紛れるようにして、チノが立っていた。
全く気配に気づけなかった。
皮肉げな口調にははっきりとしたいらだちが混じっていた。
その表情は機嫌が悪いのを隠そうともしていない。
「チノ……」
「どこに行くつもりか、ときいているんだ」
鋭く問われて、とっさに上手な嘘がつけなかった。
かすかにうろたえたフレヤを見てチノは目を細めた。
「おおかた、男のもとか」
嘲るような声にフレヤははっとした。
チノが別人のように冷たい目でこちらを見ていた。
「なにを、言って……!!」
「先ほども、男どもに囲まれてまんざらでもなさそうだったしな」
チノが、フレヤを傷つけるような言葉をわざと選んでいるのを感じた。
空には少しだけ欠けた満月が浮かんでいる。
おそらく先祖のオオカミの血が騒いでいるのだろう。
フレヤは押し黙った。
今のチノに何を言っても無駄に違いない。
「だんまりか。
沈黙は肯定ってことだな」
「……チノには、関係ないわ」
「そうかよ」
フレヤはチノから目をそらした。
暗かった視界がさらに暗くなった。
驚いて正面を見るとチノの瞳が驚くほど近くにあった。
はっとして横を見ると、すぐ近くにチノの腕があった。
とっさに後ずさろうとするが、背には馬小屋の壁がある。
チノの腕が檻のように囲って動けない。
フレヤはひどく動揺した。
やめて、と拒否の言葉がのどもとで引っかかって出てこない。
「おれは今、ひどく気が立っているんだ。
下手に抗わないほうが身のためだぞ」
ぐいっと顎をつかまれて、無理に視線を合わされる。
酷薄なまなざし。
獲物を見つめる獣だ。
「それで、どこへいくんだ?」
- Re: マーメイドウィッチ ( No.28 )
- 日時: 2017/01/26 00:15
- 名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)
チノは指一本しか触れていない。
だというのにフレヤはそこから動けなくなってしまった。
チノの体がフレヤの華奢な体に覆いかぶさって動けないのだ。
「どいて」
「どかねぇよ。
おまえがどこに行くのか言うまではな」
にべもなくそう言われてもフレヤは唇をかんだ。
チノの隠されている、獣の荒々しい部分が満月の力であらわになっている。
見下ろす瞳には冷たささえ宿っているように見える。
冷酷なケモノの瞳。
いっそのこと歌ってしまおうかと思った時、
ふっとシウの言葉が脳裏をよぎった。
”異形に異形の力は通じない。”
つまりフレヤの歌の力も彼に通用しないということだ。
その言葉が、事実が身に染みわたると同時に、体中から力が抜けた。
まずは小さな恐怖。
チノは自分が支配することのできない数少ない人間の一人だということ。
そして、次に来たのは大きな安堵感だった。
チノは、フレヤの歌なんかに支配されていなかったのだ。
最後の確認としてフレヤは小さく歌いだした。
子守歌。
聴いた人間は、すぐに立っていられなく程の
強烈な眠気に襲われるはずだがチノは怪訝そうな表情を浮かべているだけだった。
(本当に、効いていない)
すると何を思ったのか、チノが親指でやや強めにフレヤの唇をおさえた。
驚いてフレヤは歌うのをやめた。
あたりに落ちる静寂。
虫の声しか聞こえない。
愛馬のシルバノがぶるると首を振る。
全身の感覚が嫌でも唇に集中してしまう。
「変な歌でも歌って、おれをどうこうしてしまおうと思ってんじゃねぇだろうな」
あらっぽい口調とは裏腹に指は驚くほどやさしかった。
あたたかくて、かさついた感触が唇をわずかに撫でて、かっと首筋が熱くなった。
何だろう。
むずむずする。
この場から逃げ出してしまいそうなのに、ずっとこうしていたい気もする。
さら、とチノの長い前髪が額に触れた。
「で、どこに行く」
チノはしつこかった。
チノの顔を睨もうとしたら、驚くほど近くに緑の瞳があって
あわてて視線をチノのブーツの先に戻した。
そろりと手を伸ばしてシルビノの手綱を握ろうとしたら、
めざとく見つけられて、がっと手をつかまれた。
強く手を引かれて、つんのめりそうになると、
チノの固いからだが受け止めてくれた。
したたかに額をチノの胸に打ち付け、わずかに顔をしかめながらも顔を上げる。
握られたままの手は、なぜかチノの顔の近くに引き寄せられた。
「まだ、言わねぇのかよ」
かぷっと。
ひとさしゆびを甘噛みされた。
「……っ!?」
全身の毛が逆立った気がした。
あわてて指を引き抜こうとしたが、強い力で握られてびくともしない。
やわらかくて湿ったものが指先に触れた。
人差し指の先を、チノの桃色の舌が優しくなめたところだった。
「っち……!?」
「さっさと言えよ。
それなら、これくらいで勘弁してやる」
この腰を打ち抜くような色気の声はなんなのだ。
聴いたことがない。
やたらと色気をたっぷり含んだ流し目をよこされ
フレヤはぽたぽたぽたぽたぽたぽたと背中から汗が流れ落ちていくのを感じた。
フレヤが動揺しているのを見て、チノはかすかに笑った。
「ち、チノには関係ない……!!」
チノが歌に支配されていないのだとしたら、
余計今からどこに行くのか伝えるわけにはいかなかった。
優しい彼はきっとついてきてしまうだろうから。
「……強情な奴だな」
一気に温度をなくした声に、フレヤは体を震わせた。
それでも言うわけにはいかなかった。
手首にやわくチノの唇と吐息が触れる。
ふっとあたりが暗くなった。
チノの表情が見えなくなる。
空を見上げると、月が陰ったところだった。
ぱっと手首をつかんでいた手が離れてフレヤはその場にへたり込んだ。
助かった。
チノを見ると愕然とした表情で自分の掌を見つめているところだった。
「……チノ」
チノは声もなくこちらを見つめた。
すっと彼の手が下ろされた。
「……行くのだろう、ステファン王のもとへ」
力ない声だったが、フレヤを打ち抜くには十分だった。
なぜそれを、彼は知っているのだろう。
「少し考えたらわかる。
……おまえが考えなしに父王を殺し、
メノウに王座を渡すはずがない。
ステファン王に助けを求めるのだろう」
チノの言っていることはおおかた合っていた。
なんて鋭い人だろう。
ここまでばれてしまっているのでは、いまここで突き放しても
きっと馬で追ってくるのだろう。
長い沈黙が落ちた。
「……ついてきてくれるの……?」
かすかなつぶやきが漏れた。
風に掻き消えてしまいそうな小さな声だった。
「今までも、これからも」
夜風が髪を揺らす。
迷いのない返事に、フレヤは目を閉じて、すぐに開いた。
「行きましょう」
「ああ」
雨が降っていた。
灰色に塗りつぶされたような夜空から、しとしとと
空の涙が降り注ぐ。
柔らかくけぶるような水煙が土のにおいをより濃くしている。
フレヤはフードの下から赤い瞳で空を見上げた。
どんよりとした空の下には、ステファンの城が見える。
馬を急いで走らせれば数刻で着く近さにあるステファンの国。
ちらりと空に視線をやると、わずかに白んできたところだった。
もう朝が近づいてきている。
空が暁色に染まる前に、フレヤはさっと馬から降りた。
続けてチノも馬から降りる。
「この時間なら、ステファン様は、朝の湯あみをされるはず」
フレヤは雨に濡れた額を手の甲でぬぐった。
愛馬のシルビノがぶるると首を振って水滴をとばしたからだ。
「まさか、浴場に行くつもりか」
「……ことを穏便に済ませたいの。
兵に見つからないようにするには、もうこうするしかない」
フレヤたちが向かっていたのは、ステファンの国だった。
ステファンに「お願い」をしに行くためだ。
フレヤは強い決意のこもった瞳で城の城壁を見上げた。
この城には何度か訪れた。
浴場の位置も大体は把握している。
あとは、行動を起こすだけだった。
フレヤはぎゅっとフードをかぶりなおすと、
シルビノの手綱を木につないでおいでから、さっと鼻の頭を撫でた。
次の瞬間には、彼女は大きく一歩前に踏み出していた。
- Re: マーメイドウィッチ ( No.29 )
- 日時: 2017/01/28 00:05
- 名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)
ステファンは上り始めた朝日に目を細めながら浴場の中へと入っていった。
ここの浴場は内風呂と露天風呂式の外風呂になっている。
まずは朝日を浴びながら露天風呂につかるのがステファンの日課の一つとなっていた。
露天風呂のほうに出ると、水面にキラキラと朝日が反射し、
見上げれば雄大な山々が目に入った。
いつみてもここの景色は美しい。
すがすがしい気持ちで湯につかろうと視線を下に向けたとき、
水面に見慣れぬ黒い影があることに気付いた。
はっとして前を見ると、フードをかぶった小さな人影がひっそりとたたずんでいた。
大きな声を上げて兵を呼ぼうとしたとき、さっとフードの人物が人差し指を唇に当てた。
「私です、ステファン様」
ステファンは口を閉じた。
女性にしてはやや低い声。
ステファンは聞き覚えのあるその声に目を細めた。
「フレヤ……様?」
ばさりとフードをとったその人は紅い目をしていた。
ゆたかな波打つ青い髪がふわりと広がる。
朝日を背景に立つのは、隣国の第一王女、フレヤだった。
長旅のせいか、かなりやつれて見えた。
ステファンは混乱した。
混乱しながらも冷静に状況を読み取った。
正式に謁見をしないということは、なにか秘密裏に行わなければならない用事で
彼女は今ここにいるということだ。
「……あなたの国に勝手に立ち入り、こうしてここにいることをお許しください」
フレヤは瞳を伏せながらそう言った。
人形のような美しさは変わらない。
だが、昔と比べて、人形のような無機質さは減ったように思える。
「あなたに、どうしてもしたい、お願いがあってここに参りました」
フレヤの紅い目は痛々しいまでの切実さをたたえていた。
一歩、二歩とわずかに距離を詰めてくる娘は、
もはや王女などではない。
どれほどやつれていても、その目に宿る痛烈な輝きは
女王のそれだった。
一方のフレヤはなつかしさに胸が張り裂けそうだった。
いつもの豪奢な服をまとっていないステファンは、
ひどく若く見えた。
舞踏会のあの夜、出会った時のようなその姿に心が揺れるのが分かった。
あの時恋に落ちた。
どうしようもないほどにこの人に恋い焦がれた。
恋に恋をするようなありさまだったけど、溺れるように恋をした。
毎日思いは降り積もって、少しずつ息ができなくなるような心地がした。
目が合うだけで微笑んでくれるだけで、体がしびれたように動かなくなった。
あんな甘美な感情をフレヤはほかに知らない。
アイスブルーの瞳を見つめた。
この瞳に私が、私だけが映っているのを見るのが好きだった。
微笑んだ時に、柔らかく細められるのを見るのが好きだった。
ちゃんとした恋ではなかったのはわかっている。
ひな鳥が親鳥を慕うかのような情であったことにもどこかで気づいていた。
でも、恋していた。
今ならわかる。
ちゃんと、彼のことが好きだった。
「お願い、とは……?
貴女が私になにかをこいねがうなど珍しい」
そうだった。
ステファンといたときは、いつもいつも、そばにいるだけで精一杯で
それ以上のことはなにもできなかったのだ。
息が詰まるような空間だった。
話すだけで空気が薄くなっていくような心地がするほど
ステファンの傍にいることは緊張を伴った。
「単刀直入に言います。
我が国をあなたに明け渡したい」
「なっ……!!」
ステファンが大きく目を見開いた。
その瞳には驚きが色濃く表れている。
フレヤは目をそらさなかった。
「あなたが何度か示唆してくださったように、我が国には革命軍がいます。
父上の統治を快く思わぬ民がたくさんいるのです。
彼らは、父上を退位させねば国を襲うと言いました」
脅されて、父王を殺せ、と言われたことは伏せておく。
ステファンが余計なことを知る必要はない。
「私は、すべての民を守るために、父王を退位させます。
ですが、革命軍はもとは普通の民です。
まつりごとなどには向いていない。
また統治者がなにか道を誤れば、再び戦争が起こる。
ですから、統治者として有能なあなたに、我が国を託したい」
これがフレヤが考えに考え抜いた答えだった。
メノウに脅されているとはいえ、すべてに従うつもりはない。
彼女の手に落ちるくらいならば、国と民はステファンの国の属国となった
ほうが幸せになるはずだ。
この方法しか、誰もが幸せにならなかった。
「ですが」
まだ動揺が色濃く残るステファンが言った。
フレヤはフードを強く握りしめて彼の言葉を待つ。
「貴女と貴女の父上はどうなるのですか?
貴女の父上を退位させるとしても、貴女が女王として国に残ればいいのでは?」
「それはできません。
私は第一王女であるにもかかわらず、この国のためにほとんど何もできなかった。
民の苦しみを取り除いてはやれなかった。
私はお父様とともに、表舞台からは姿を消すつもりです」
それは死を意味していた。
それを悟って、ステファンは顔色を変えた。
「フレヤ様!!」
「もう、これ以外、方法はないのです」
フレヤの瞳にわずかに激情がにじんだが、
すっととけるようにして消えた。
「最後に、私を抱きしめてはくれませんか……?」
フレヤは微笑んだ。
顔を青ざめさせている妹の夫に。
「あなたに捨てられた哀れな女を、最後に一度だけ」
こういえば優しいステファンは断らない。
ステファンの腕がふわりと体に回り軽く抱き寄せられた。
フレヤは目を閉じた。
なんて残酷なかた。
最後の最後まで友と同じような抱き方を。
「フレヤ様、あなたはばかだ」
フレヤは目が潤むのを感じた。
彼女は見なかった。
ステファンが微笑んでいることに。
「あなたは、本当に馬鹿だ、フレヤ様」
ステファンの唇が三日月の形に、にぃっとゆがんだ。
雨の中、フレヤは泣きながらチノのもとへと帰った。
頬を伝うのが雨なのか涙なのかがわからなくなるほどの雨だった。
たたきつけてくる上に、体のぬくもりを根こそぎなくしていく
すべてを奪っていくような雨だった。
チノが木の陰に見えた。
暁の中、くっきりと鮮烈に目に焼き付く黒衣の姿。
フレヤの気配をとらえて、彼が振り返る。
フレヤの表情を見て、チノは唇を引き結んだ。
その表情に険しいものが宿るのを見て、フレヤは足を止めた。
交渉は、うまくいったわ、と何もなかったかのように
言うつもりだったのに、言葉がのどに引っかかって何も言えない。
そのわずかな間にチノが距離を詰めて、目の前に立っていた。
驚いてチノの顔を見上げようとしたが、その前に、たくましい腕が
背を回り強い力で抱き寄せられた。
骨がきしむほどの強い力だった。
さっきのステファンからの抱擁とはまるで違う荒々しいものだった。
荒々しいのに、胸が苦しくなるような抱きしめ方だった。
「……待っていてくれて、ありがとう」
ステファンに会いに行く前、チノはおれもついていくと言ってきかなかった。
何度も何度も頼み込んで、ようやく折れてくれたのだ。
「……気が気でなかった」
「……心配かけてごめんなさい」
「おまえが、泣いているのではないかと思ったが、やはりそうだったな」
まばたきをすれば、またぽたりとしずくが落ちた。
ささやくような穏やかな声に涙が止まらなかった。
この冷たい世界でチノだけが温かかった。
きちんと失恋できた。
このくすぶり続ける想いにけじめをつけることができた。
もう、思い残すことは何もない。
「交渉は、うまくいったわ」
やっと予定通りの言葉を伝えられた。
みっともないほどい震えていたが。
チノが抱きしめる力を弱めた。
「……おまえが、なにを話していたのかきいてもいいのか」
「……私の最後のお願いを聞いていてもらったのよ」
フレヤはするりとチノの腕から抜けると、
ふらふらと愛馬のほうへと歩き出した。
まだ、終わっていない。
王女としてのつとめは、これからだった。
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