コメディ・ライト小説(新)

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マーメイドウィッチ
日時: 2016/07/30 19:31
名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)

世界が止まった。



手が震える。



数拍のちに気付く。









私は大切な人に裏切られたのだと。

Re: マーメイドウィッチ ( No.35 )
日時: 2017/03/07 13:10
名前: いろはうた (ID: VujPqVFA)

そのただならぬ気配に、フレヤは少なからず動揺したが

それをおくびにも出さずにチノを見つめ返した。


「どういうことって……あなたは、一族のもとへ帰るのですもの。

 私は」

「だから、どういうことだと聞いている」


今は何時ごろだろう。

西日が差しこんできて、フレヤの目を射貫く。

オレンジ色の光を背負ってるチノの表情が見えない。


「だって、あなたはもう自由よ」


目を細めながらわずかに焦れたような声でフレヤは言った。

どうしてチノがこんなにつっかってくるのかがわからない。

理解ができない。

だって自由になれたのだもの。

一族の、家族のもとへ帰りたいに決まっている。


「あなたは族長なのでしょう?

 みんなあなたに会いたいに決まっているわ」

「族長ならやめる」

「……はい?」


言われたことが即座には頭に入らなくて、

そして信じられなくてフレヤは聞き返した。

パチっと焚火がはぜた。

チノの態度は変わらなかった。


「な、なに言って……、そんな、族長って簡単にやめていいものじゃ……」

「おまえ、おれを捨てる気か」

「は、はい!?」


チノがおかしい。

彼の目はすわっていた。

捨てるって、なんて過激な言葉を、そんなさらりと言えるのだ。


「チノは、一族の所に帰りたいんでしょう?」


チノが何かを言おうと口を開いた。

フレヤは、それを見つめて、ぎゅっと手首を握りしめる。

冷たい金属の感触。

ぐらりとチノの体が傾いた。

とさり、と軽い音を立ててチノの体が砂の上に横たわった。

フレヤは瞬きを数度繰り返した。


「チノ……?」


頼りない声が口から洩れた。

チノが低くうめいてからはっと我に返った。


「チノ!!」


転がるようにして彼のもとに駆け寄ると、

その額からは海水以外のしずくが、流れ降りていた。

おびただしい量の汗。

顔は赤く、呼吸が荒い。

恐る恐る額に触れると、火で熱した鉄のように熱かった。

血の気が顔から引くのが分かった。

見れば、チノの肩にある矢傷が紫色に変色していた。

毒、が含まれていたのかもしれない。

ずっと無理をさせてしまっていたのだ。

後悔が胸を焼く。

混乱する頭の中で、とりあえず、チノの体を引きずって

焚火の近くに横たえた。

男性の体はひどく重くて、それだけでフレヤは疲れてしまった。

チノの端正な顔がゆがんでいた。

その苦しそうな表情に胸が引きつるように痛む。

上半身はすでに裸なので脱がせる必要はない。

下半身のことは考えないようにした。

ブーツだけなんとか脱がせる。

どうしよう。

何をすればいいのかが本当にわからない。

自分が熱を出した時には、何をしてもらっていただろうか。

汗をぬぐってもらって、水を飲ませてもらった。

さらに、よく冷えた果実も食べさせてもらっていたっけ。

温かいオートミールを食べててもいた。

それらすべてが、ひどく恵まれたことなのだと、痛いほどに知る。

フレヤは手に持っていたチノのシャツを手にもつと、

チノの汗をぬぐった。

脱ぎ終わると、チノの表情が少しだけ和らいだような気がした。

次は、水だ。

汗をかいたから水分が必要なはず。

フレヤは、外を見た。

美しい夕焼けが空に広がっていた。

海の水は、塩辛い。

飲むには適していない。

そうなると、川か、湖を探さなけらばならない。

フレヤは女王としての教育を受けている。

自国の地理学もしっかり幼少時より叩き込まれた。

ここは、浜辺の地形からして、西南にある海辺の村クランが近いはずだ。

クランから少し離れたところに小さな川がある。

そこに行けば水を汲めるかもしれない。

フレヤは少し迷ったが、水を汲みに行くことにした。

暗くなる前に行けば何とかなるはずだし、

チノを一晩中水もなく苦しめるわけにはいかない。

チノのシャツを萌えない程度の距離に焚火から離して地面に置く。

フレヤは、ろくに服を乾かさないまま、チノを置いてそこを去った。















フレヤは、藪の中をかき分けながら進んでいた。

すでに掌はかき分けた草で無数の傷がつき、あちこちから血がにじんでいた。

乗馬ズボンは木の枝でひっかけてあちこちが破れてしまった。

生乾きのままの髪の毛と衣服が、体をどんどん冷やしていくのが分かった。

だが、足を止めるわけにはいかない。

これよりももっとチノは苦しんでいるのだ。

奥歯をかみしめて、さらに進む。

川がある、ということしかわかっていなくて、

それが今いる位置からどのくらいの距離にあるのかまではわからない。

足元にある枯葉を踏みしめ足を踏み出した時、

何かに躓いて、転びそうになった。

小さく悲鳴を上げて、なんとかその場に踏みとどまる。

足元を見ると、掌よりも大きな丸いものが地面に転がっていた。

おそるおそる拾い上げてみると、それは半分に割れたヤシの実のようだった。

中身が空洞で、ここに水を汲んでお椀のように使えるかもしれない。

水で少し洗えばきっと使えるだろう。

フレヤはヤシの実を握りしめると、さらに足を進めた。

歩き出してどれくらい時間がたっただろう。

フレヤの耳はかすかに聞こえる水音をとらえた。

はっとして立ち止まる。

目を閉じて耳を澄ませてもう一度注意深く聞いてみる。

右斜め前の方角から聞こえる。

フレヤは目を開けた。

あたりは燃えるようなオレンジ色に染まっている。

夕日が沈みだしているのだ。

暗くなるまでに急がないと。

川が見えてくるまではそんなに時間はかからなかった。

フレヤは、涼やかな小さなせせらぎに唇をほころばせた。

近くにまで歩を進め、せせらぎの近くで膝をつく。

湿った土のにおいが鼻をかすめた。

そっと手を入れてみると、水はひんやりと心地よく指を濡らした。

これほど澄んでいる水なら大丈夫だろう。

フレヤはヤシの実をそっと水の中に入れて、くみ取った。

たぷんとした液体が夕日を反射して光る。

ふっと手元が陰った。

怪訝に思って上を見上げると、見知らぬ男が

いつの間にか隣に立っていた。

背の高い肌の浅黒い男だった。

フレヤは声も出せずに男を見つめた。

ゆっくりとオレンジ色は薄くなり、

あたりは薄暗くなっていく。

男はしばらくじっとフレヤを見つめていた。


「あんた、王女か」


とげのある言い方だった。

独特の模様の刺繍が鮮やかな民族衣装のような衣に彼は身を包んでいた。

涼やかな緑の瞳がついっと細められる。

その仕草にひどく既視感を覚えて、フレヤは眉をひそめた。


「あなた……アルハフ族の人?」

「聞いているのはこっちだよ王女サマ」


明らかに馬鹿にしている呼称に、思わずむっとしてしまうが

それをぐっと抑える。

ざっと全身を見渡しても、やはりチノに似ている。

服装、身のこなし、雰囲気、目の色、すべてが似通っている。


「そうだとしたらなにか問題でも?」

「こんなにチョルノの匂いをぷんぷんさせているのに

 問題ないわけないよなぁ」


チョルノ。

おそらくチノのことを言っている。

そう考えている間に、一瞬で距離を詰められ、ぐっと顔を近づけられる。

まったく行動が読めなかった。

音のないしなやかな動き。

フレヤはまばたきもせずに男の目を見つめ返した。


「おれ、もっと反抗的な女のほうが好みなんだけど?」


まったく気配を感じさせないごく自然な動作でこちらに手を伸ばすと

彼はフレヤの顎をくいっと持ち上げた。

自然と真正面から視線がかち合う。

フレヤは睨み返しながら、逃げるスキがないかを必死にうかがったその時、

突然男が勢いよくフレヤから手を放した。

瞬きをする間に男は素早く後方に跳んだ。

数拍のちに黒い影が二人の間に割って入るように地面に降り立った。

フレヤは目を見開いた。

その人影が着地した衝撃で風が起こり、

ふわりと前髪がなびく。

漆黒の衣に身を包んだチノだった。

強く地を蹴ると、彼は男に向かってとびかかった。

チノが、びゅっと右手を一閃させる。

風がうなる。

その手には鈍い銀光を放つ短剣。


「っと、危ないな」


軽いステップで、素早い一振り二振りを後退して男はよける。

チノの攻撃はそれでは終わらなかった。

男の頭に向かってナイフを横に振ると、

男は素早くかがんでそれをかわした。

しかし、チノの足払いには気づかなかった。


「うわっ」


男の体勢が崩れた。

その隙を見逃さず、チノは一気に男に襲い掛かると、

馬乗りになってその首にぴたりと短剣の切っ先を突き付けた。

一瞬の出来事だった。

フレヤはただ、ぺたんとその場に力なく座り込んだ。


「チノ、やめて」


チノの息は荒く、短剣の切っ先はぶるぶる震えていた。

もともと戦える状態ではないのに、

フレヤが傍にいないのに気付いて急いで追ってきたのだろう。


「チョルノ、いい加減気づけよ。

 おれだよ」

「……カルト?」


かすれた声でチノがつぶやいた。

ゆっくりと短剣の切っ先が、男、カルトののどから離れていく。

やはり、この男はチノの仲間なのだ。

信じられない、という風にチノが瞬きを繰り返すのが見えた。

しかし、チノが立てるのはそこまでだった。

揺らぐことのなかった長身が傾き、膝を地につけて肩で息をする。


「ヘマしたな、チョルノ」

「……うる……さい」


カルトはざっと見ただけでチノが普通の状態でないと気づいたらしく、

起き上がると、チノの体を軽々と持ち上げ背負った。

つづいてフレヤに向き直ると、彼は顎でフレヤを促した。

ついてこい、と。

Re: マーメイドウィッチ ( No.36 )
日時: 2017/03/09 08:04
名前: いろはうた (ID: VujPqVFA)

ついていっていいのか少し迷った後に、

フレヤはカルトについていくことにした。

チノの体はカルトのもとにあるので、フレヤにはどうしようもなかった。

フレヤは立ち上がると、さっさと歩き出すカルトの背を追った。

足の長さの差を全く考えないで歩かれるので、

フレヤは小走りでないとカルトの背を見失ってしまいそうだった。

彼の足は、まるでこの森を熟知しているかのようによどみなく動いた。

森を歩くことに慣れているのだろう。

どんどん薄暗くなり足元もよく見えない中、

カルトの背を追って走ること数分。

闇の中、ぽつりとオレンジの光が小さく見えた。

それは小さな集落のようだった。

簡素なテントがいくつも張られており、

それらの中央には大きな火が焚かれていた。

集落にいる人が、まるでこちらの気配に気づいたかのように

一斉にこちらを見た。


「よっ、帰った。

 土産付きだ」


カルトがひどく軽い調子で何でもないことの様に言った。

歩を進めるほどに徐々に人々の顔がよく見えてくる。

どの人たちもチノと同じように紅茶色の肌に緑の瞳を持っていた。

カルトの服と同じような刺繍が入った民族衣装に包まれた体は

どれも細身でしなやかな獣を想起させた。

緑の瞳が一斉にカルトの背にいる人物に向けられる。


「おさ!?」

「まさか、チョルノなのか!?」


どの人たちの顔も純粋な驚きに染まっていた。

その中から、一人の少女が駆けだしてチノのもとに行く。

フレヤはそれを少し後ろからぼんやりと眺めていた。

ここは、おそらくアルハフ族の集落で間違いないだろう。

あの少女はチノの許嫁だろうか。

そんな気がする。

美しい少女だ。

まさに花開いたばかりの初々しさを残した顔は

目鼻立ちがはっきりしているし、

ほっそりとしていながら女性的な丸みを帯びた体つきは

女のフレヤから見ても魅力的だった。

緑の瞳には、純粋にチノのことを心配している色しか見えなかった。

ふとその視線がカルトの背後にいるフレヤに向けられた。

一瞬でその顔が歪み、まなざしが険しいものに変わる。

むき出しの敵意を向けられ、フレヤはたじろいで一歩後退した。

ほかの人々のまなざしも友好的なものとは言えなかった。

ここにフレヤの居場所はなかった。


「チョルノは傷ついている。

 手当を頼むな。

 この王女サマは、このチョルノがこんなになってまで守った奴だ。

 一応寝床ぐらいは与えてやってくれ」


カルトの言葉にはじかれたように人々が動き出す。

チノの姿は人ごみにのまれてすぐに見えなくなってしまった。

年配の女性が無言で近づいてきて、衣を突き出してきた。

初めて自分の衣が濡れてまだ肌に張り付いたままだと気づいた。


「あり、がとう」


つっかえながらもお礼を言うと、一瞬驚いたように女性は目を丸くしたが

すぐに無表情に戻ってしまった。

手でついてこいと促されて、フレヤはおとなしく女性の後をついていった。

連れてこられたのは、簡素な造りの小さなテントの前だった。

中で着替えろということらしい。


「ありがとう」


今度こそ女性は驚いた表情を隠さなかったが、何も言わなかった。

フレヤは恐る恐るテントの中へ体をかがめて入った。

干し草のにおいが鼻を突いた。

薄暗いテントの中は、ランプの光が頼りなく照らしていた。

濡れた乗馬服を脱ぎすて、渡された衣に袖を通す。

襟の部分に細かな刺繍が施されたそれは、

今まで着た服のなかでも一番ごわついた感触がしたが、

厚手で丈夫なものだとわかった。

着替え終わりそっとテントから顔を出すと、女性が無言で手を突き出してきた。

乗馬服を渡せということらしい。

フレヤはまたもおとなしく従った。

フレヤは目を細めた。

焚火の近くに人が集まってきている。

女性にまたもついてこいと手で促され、彼女の背中についていく。

すぐに人々はフレヤの気配に気づき一斉に振り向いた。

好奇の視線にさらされ、フレヤはわずかに身をすくませた。

この一族はどうも気配に聡いようだ。

ひときわきつい視線を感じた。

先ほどチノに駆け寄っていた少女だった。

涼やかな目元は歪められ、憎しみが全身から立ち上るようだった。

フレヤはすっと視線をそらした。


「フレヤ・アクア・コペンハヴン第一王女」


久しく呼ばれていなかったフルネームを呼ばれて、フレヤは顔を素早く上げた。

いつ間にやら、目の前に老人が立っていた。

つややかな紅茶色の肌は年季を帯びて、しわがあるもののハリがあり

年齢を感じさせない。

深い緑の瞳は、知性を感じさせた。

フレヤよりも背の低い彼に、あらゆる面でフレヤは勝てる気がしなかった。


「私は、アルハフ族のもと族長」

「お初にお目にかかります。

 フレヤと申します」


フレヤはすっと腰を曲げると淑女の礼をした。

しかし、頭は冷静に状況を分析していた。

この人は、チノがいない間アルハフ族をまとめていた人だろう。

人々からこの老人を敬う気配がする。

彼が自分の今後を大きく左右するのだろう。


「先ほど、我々でおまえさんをどうするのか話し合っていた」


フレヤは表情を変えずにうなずいてみせた。

淡々とした話し方はどこかチノに似ている気がした。


「我らは、おまえさんの父親に迫害されていた。

 奴は、我らを野蛮人だと蔑み、移民として入国することを拒み、

 我らを追い出すのみならず、殺そうとまでした」


重い言葉だった。

人々がまったく歓迎するそぶりを見せない理由が分かった。

憎い相手の娘だ。

しかも、王宮でぜいたくな暮らしをしていた王女だ。

もしフレヤが彼らの立場に立ったら、歓迎などできない。


「皆の中でもいろいろな意見があったが、

 チョルノが目覚めるまではここに置こうということになった」


フレヤは瞬きを繰り返した。

今すぐ追い出されても仕方がないと考えていたフレヤは意外だった。

チノが命懸けで守ってくれた、というのが大きいのだろう。


「よかったね王女サマ」


カルトが馬鹿にしたように笑う。

彼の服装はほかのアルハフ族の男性に比べると派手で

じゃらじゃらとたくさんのアクセサリーつけていた。

それが余計にカルトを軽薄そうに見せている。

しかし、フレヤはカルトの全く笑っていない目に気付いていた。

その気になればいつでもフレヤを追いだせる、

みんなに何かをすれば殺す、と視線が脅してきていた。

Re: マーメイドウィッチ ( No.37 )
日時: 2017/03/11 15:02
名前: いろはうた (ID: VujPqVFA)

朝になってしまった。

昨日倒れるようにして乾草の山の上で眠ってしまったのだ。

メノウによる革命とステファンによる裏切りが昨日起きたことなのだと

まるで人ごとのように考えた。

いまだに実感がわかない。

そういえば昨日一睡もしなかったのだと妙にすっきりした頭で思い出した後、

フレヤは瞬きをくりかえしてから目を開けた。

ぼやけた視界の中に、緑の瞳が飛び込んできた。

一気に意識が鮮明になる。


「っ、チノ!?」


フレヤはがばりと身起こした。

とたんに上半身が傾いてぐらつく。

しかし、いつものように支える腕はなかった。


「あー、チョルノじゃなくてごめんね王女サマ?」


心のこもっていない謝罪。

フレヤは顔をあげて自分の枕もとにしゃがみこんでいる人物を見た。

チノじゃなかった

カルトだった。


「おはよ」

「……おはよう、ございます。

 チノ……は?」

「まだ寝てる。

 だいぶ良くなってるから安心しな」

「よかった……」


声がかすれて、フレヤは顔をしかめた。

手を持ち上げてのどをさする。


「はい、水。

 あ、毒は入ってないから」


この男はいちいち一言多い気がする。

フレヤはわずかに眉をひそめながら礼を言うと、

木をくりぬいてつくったボウルに口を付けた。

冷たい。

体に染み渡るようだ。

生きているのだと、今更ながらに思った。

ステファンは、メノウは、

自分がまだこうしてのうのうと生きていることを知らない。

……いや、メノウと……ステファンのことだ。

彼の美しいアイスブルーの瞳を思い出す。

何もない無機質な冷徹な瞳。

彼が、獲物をそのまま逃すわけがない。

獲物をしとめ息の根を止めるその瞬間まで

決して気を抜かないだろう。


「飲み終わった?」


ん、と手が差し出され、木の器をカルトに返す。

フレヤはカルトの瞳を見つめた。

ステファンのことだ。

追手をかけているに違いない。

だとすると、ここにあまり長く滞在するのはよくない。

これ以上自分のせいで人が傷つくのは見たくなかった。


「カルト」

「なに?」

「私、追われているの。

 今日、ここを出ていくわ」


フレヤは瞳を伏せた。

死んでしまえたらいいのかもしれない。

けれど、一度死の淵を覗いたせいで、死がどうしようもなく怖い。

生きたい。

死にたくなどなかった。

ならば、逃げるしかないのだ。


「追われてるってどういうこと?

 あんた、王女サマだよね?」

「詳しく話すことはできない」


深く関われば関わるほど命に危機が迫るだろう。

余計な犠牲は増やしたくない。

フレヤのかたくなな態度にカルトはあっさり、あっそと呟いた。


「好きにすれば?

 もともとあんたのこと大歓迎ってやつ、ウチにはいないし。

 特にルザがうるさい」

「ルザ?」

「ああ、チョルノの番、許嫁」


つがい、と言葉を口の中で転がす。

やはり、彼女はチノの恋人だったのだ。

頭は冷静に事実を受け止めている。

もともと、チノに大切な人がいることくらいわかっていた。

だというのに、なんだろうこの感情は。

ざりっとした砂で直接心を擦り付けたような痛み。

フレヤはかすかに唇をゆがめた。

チノのことになると、うまく感情をコントロールできない。


「そういや、あんた、チョルノのなんなの?

 チョルノを囲ってたわけ?」

「か、かこっ……!?」

「あいつ、見た目はいいから、恋人の真似事でもさせてた?


かっと頬に血が上った。

爆発するすんでのところで感情を殺す。

ぎりりとこぶしを握り締める。


「チノは、そんなのじゃない」


思っていたよりも低く押し殺された声が出た。

カルトは意外そうに肩眉をあげた。


「へぇ?

 貴族サマっていうのは

 綺麗な人間侍らせるものだと思ってたんだけどなぁ」

「私は、そんな目的でチノの隣にいたわけではないわ」


感情を殺しきれず、視線が険しくなってしまう。

睨みつけられたというのに、カルトは楽しそうだ。

この男、嗜虐趣味でもあるのだろうか。


「いいねぇその顔。

 プライドをバキバキに折って、服従させたくなる」


……逆だ。

加虐趣味のようだ。


「まぁ、あんた、たしかにお高くとまっている貴族サマのお仲間にしては

 なんか変わってるっつーか……。

 髪もぼさぼさで服も汚かったし、干し草の上でも寝られるし、

 その髪と目の色がなかったら、王女サマってわかんなかっただろうなぁ」


なかなか失礼なことを言われてむっとしてしまうが、

さりげなく髪に手をやってしまう。

そんなにひどいのだろうか。

テントの外に出て、改めて周りを見渡してみる。

昨夜は夜の闇に包まれてまた違う印象を受けたが、

集落は、思っていたよりも静かだった。

子供たちはせっせと川から汲んできた水を、家の中に運び込み、

女性たちは洗濯をしたり、昼ご飯の準備を行っていた。

フレヤはカルトの顔を見上げた。

太陽がまぶしい。


「男の方たちは?」

「みんな狩りに出てるよ」


なるほど。

遊牧民族というより狩猟民族に近いようだ。

見渡しても、牛やヤギなどはあまり見当たらず、

代わりに馬が数頭残っていた。


「あなたは狩りに行かなくてもいいの?」

「おれは、今日は留守番だねぇ」


彼の温度のないまなざしにはっとする。

そうか。

カルトは監視のためにここに残っているのだ。

フレヤが一族の人たちに危害を加えたりしないかを見張っているのだ。


「……私になにかできることはないかしら?」


気持ちが沈んだせいで声が自然と低くなった。

カルトはフレヤが何を言ったのかわからないというように

目を丸くした。


「は?

 なに、あんた、媚でも売ろうっていうの?」

「違うわ。

 そんなつもりはない」

「なら、おとなしくしとけばいいじゃん。

 王女サマでしょ?

 世話なら俺らがするよ?

 あんたはただ座っていればいい」

「……私、そういう家畜のような生活が嫌いなのよ」


フレヤは吐き捨てるように言った。

感情を吐露してしまったことに気付き、あわてて無表情を取り繕う。

しまったと思いつつ、カルトのほうを見ると、

感情の読めない目でフレヤを見つめていた。


「なにも裏がないと言ったらうそになるわ。

 私はもうすぐここを出ていく。

 そうしたら、一人で生きていかないといけない。

 身の回りのことくらい、自分でやりたいの。

 だから、教えてほしい」


カルトはしばらく黙っていた。

フレヤは唇をかみしめて返事を待った。

握りしめた掌に、じわりと汗がにじむ。


「いいよ」


あっさりした答えだった。

拍子抜けしてしまう。

驚いてカルトの目を真正面から見てしまう。


「まぁ、変なことしたら殺すけど?」


カルトは楽しそうににっこりと笑った。

フレヤはわずかに口元をひきつらせた。

Re: マーメイドウィッチ ( No.38 )
日時: 2017/03/13 20:55
名前: いろはうた (ID: VujPqVFA)

カルトにまず案内されたのは、女性たちが洗濯をしている川だった。

色とりどりの布が清流に広がり、美しい光景だった。

川の水に手を浸し、震える。

氷のように冷たかった。

女性たちはひざ下まで水につかって、

平気な顔で洗濯をしているのが信じがたかった。


「じゃ、まずは洗濯ね。

 なぁ、誰か王女サマに洗濯の仕方、教えてやってくれないー?」


大きな声で言われ、羞恥のあまり頬に血が上る。

自分は無知だ。

幼子に戻ってしまったような感覚に陥る。

しかし、女性たちはまるでカルトの声が聞こえなかったかのように

洗濯を続けていた。

あれだけ大きな声で言ったのだから、全員聞こえたはずなのに。

あからさまな拒絶に、フレヤは瞳を伏せた。

もとより受け入れられるとは思っていない。

だが、胸に泥を詰め込まれたような気分になる。


「……教えてもいいよ」


ぽつりと一人の女性がつぶやいた。

はっとして声のしたほうを向く。

フレヤに衣服を渡してくれた女性だ。

彼女は洗濯物のたくさん詰まったかごを河原に置くと

ちらりとこちらを向いた。


「あり、がとう……!!」


思わず大きな声で礼を言うと、

女性はパッと視線をそらした。

なんだか小動物みたいでかわいいとすら思える。

彼女は、静かな声でぽつぽつと丁寧に教えてくれた。

フレヤが不器用で、なかなかうまく布を絞れなくても

上手に洗えなくても、根気よく教えてくれた。

彼女のおかげで、すべての洗濯物を洗い終えるころには

なんとか様になるようになった。


「じゃあ、次は、水汲みね」


カルトに引きずられるようにして、

川から連れていかれる。

何度もお礼を言いながら振り返ると、

女性は困ったような顔をしながらも、

小さく手を振ってくれた。

胸に温かな灯が灯ったような気がした。















腰の骨が軋む。

掌はじんじんと熱をもち、真っ赤になっていた。


「水、汲み終えたわ」


わずかにふらつきながら、カルトに向かって言う。

意外そうに彼は片眉を上げた。


「へぇ。

 さっさと音をあげるかと思ったんだけど、以外と根性あるねぇ」

「……」


フレヤは言葉をとっさに返せなくなるほどに疲弊していた。

もともと肉体労働などほとんどしてこなかったのだから

当然と言えば当然である。

しかし、このぐらいをこなさなければ、

王宮の外では暮らせないだろう。

もはや王女としての自分は死んだ。

これからは、ただの人間として生きていかなければならないのだ。


「次は、なに?」

「まだやる気?

 もう休んだほうがいいんじゃないの?」

「洗濯や水くみができた程度じゃ、外の世界では生き残れないわ」


そう言い返すと、まぁそうだねぇと気の抜けたような返事が返ってきた。

後頭部に手を当てると、カルトは考え込むようなそぶりを見せた。

均整の取れた体つき。

引き締まった体は色とりどりの布と

たくさんのアクセサリーで飾られている。

おそらく、カルトはこの集落の中では洒落者なのだろう。


「じゃぁ、次は、木の実の皮むき」


なんて地味な作業なんだ、と言いそうになったが考え直す。

木の実だって立派な食糧。

食料の調理法を知るのは大事なことだ。

内心そう自分に言い聞かせる。

しかし、木の実の皮むきは、フレヤが想像していたよりも

ずっとずっと難しかった。

木の実は硬い殻に覆われていて、小刀で中身を取り出さないといけない。

今まで小刀など触ったこともないフレヤは、

何度も自分の指を切り付けそうになった。

指は、すでに木の実のとげであちこちから血が噴き出していた。

そのたびに作業を中断して、指に布を巻き付けて血止めを

しなければならない。

他の娘たちに交じって木の実の殻剥きをしていたフレヤは

人一倍遅れていた。

ようやく20個を向き終えるころには、ほかの娘たちの前には

木の実の山と殻の山ができていた。

震える指を叱咤して、作業を続ける。


「っ……!!」


木の実が一瞬で赤くなった。

慌てて手を止めて、布を巻こうとする。


「もういいわ。

 迷惑なのよアンタ」


きつい言葉にフレヤは顔を上げた。

カルトがルザと呼んでいた少女が、こちらを睨んでくる。

たしか、チノの許嫁。

チノをしばらくの間返してやれなかったことに

余計にフレヤに対していい感情を抱いていないのかもしれない。


「だいたいなんなの?

 出ていくまで大人しくしていたらいいものを……」


ルザの言葉が尻すぼみに消えていった。

その瞳はフレヤの背後に向けられている。

驚愕のまなざしだった。


「チョルノ……」


思わず漏れたという風なつぶやきに、

フレヤは急いで振り返った。

彼の衣は既にいつもの騎士服ではない。

アルハフ族の民族衣装に身を包むその人。


「チノ……?」


久方ぶりに見る彼は、少しやせたような気がした。

チノは皆の視線を体に浴びながら無言で近づいてくると、

突然ガッとフレヤの手をつかんだ。

包帯まみれの汚い指。

それを突然掲げられて、羞恥のあまりカッとほほが熱くなる。


「……誰が、こんなことをさせた」


地を這うような低い声だった。

チノが怒っている。

それだけはわかった。


「チョルノ、まだ体が……」


ルザがまなざしから険しいものを一瞬で隠して

心配そうな光を瞳に浮かべた。

本気の目だった。


「別に、平気だ」


ルザからチノが視線を逸らす。

ふと掴まれている手がひどく熱いことに気付いた。

違う。

チノの手が熱いのだ。


「チノ!!

 まだ熱が……!!」

「お前は黙っていろ」


うなるように言われて言葉を失う。

まだ熱があるのにどうして出てきたのだとなじりたい。

よく見れば、彼の顔色もあまりよくなかった。


「これはおれらが強制してやらせているわけでじゃない。

 そこの王女サマがすすんでやってんの」

「おまえが……?」


カルトのどうでもよさそうな声に促されるようにして

いぶかしげにチノがこちらを見る。

久しぶりに正面から視線が合った。

徐々にその瞳が何かを悟ったような色を宿すとともに

怒りが緑の瞳を染め上げた。


「やはり、おまえ、一人で……」

「はいはい、病人は本調子じゃないんだから帰った帰った」


軽く腕をつかむと、

カルトはチノを引きずるようにしてその場から連れ出す。

フレヤは、どうしてチノがあそこまで怒っているのか

さっぱり理解できないままで、その場で呆然としていた。


「……はなせ、カルト。

 おれはまだ言いたいことを何も……」

「はいはい、もうすぐまた会えるからなー」


適当に流すカルトの声を最後に、何も聞こえなくなり

二人の姿はテントの向こうに消えた。

その場には少女たちとフレヤが残される。

みんなから奇異の目で見られ、フレヤは体を縮こまらせた。

Re: マーメイドウィッチ ( No.39 )
日時: 2017/03/15 14:44
名前: シニガミ支局 営業第3課 (ID: e5znF6u2)

びっくりする程卓越した情景描写、参考にさせて頂きます。これからも頑張って下さい!


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