コメディ・ライト小説(新)

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マーメイドウィッチ
日時: 2016/07/30 19:31
名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)

世界が止まった。



手が震える。



数拍のちに気付く。









私は大切な人に裏切られたのだと。

Re: マーメイドウィッチ ( No.45 )
日時: 2017/04/01 14:59
名前: いろはうた (ID: F6jJRSXu)

結局、フレヤはアルハフ族の前の長に会うことを許され、

さらに滞在の延長も許された。

フレヤの横顔には、前のような淀みはもうなかった。

面会の帰りに、ふと、人影が目の端に映った。

昨日の兵たちだ。

フレヤはその方向に向かって、歩き出した。

その背後からチノが歩いてくる。

数か月間に、王国を歩き回ったことを思い出す。

あの時もこうして歩いていた。

民のために、自らの足で。

いつもは一人だったのに、その後ろを影のように静かに

だけどしっかりと支えついてきてくれる存在ができた。

足が止まった。

兵たちもこちらに気付いたのだ。


「王女殿下……」


彼らの視線がチノのほうへ向かった後、再び戻る。

やはり、彼らはアルハフ族に抵抗があるようだった。

フレヤはちらりとチノを振り返った。


「チノ、少し外してくれる?」


途端にチノからの無言の圧力。

おそらく、心配、してくれているのだと思う。

兵たちはフレヤを連れ去ろうとした者たちだ。


「彼らには、私の力が、効く」


短いけれど、有効な言葉だった。

さっと兵たちの顔色が変わった。

彼らは王宮の者たちだ。

フレヤの歌の力を、その威力をよく知っている。

チノはそれを見ると、何も言わずその場を離れていった。

その姿を横目で確認した後、フレヤは兵たちに向き直った。


「あなたたち、名は」


立っているままだと相手を威圧してしまう。

そう気づいて、衣の裾をさばいて地に膝をついた。

草の青々としたにおいが鼻をかすめた。


「い、いけません、王女殿下!!」

「名を聞いているのだけど」

「は、ひっ!!

 マシューです!!」

「エリッシュです!!」


フレヤは眉を寄せた。

表情が乏しい分、どうも昔から人を怖がらせてしまう。

しかし、それをフレヤが不機嫌であると捉えたらしい

マシューとエリッシュは真っ青になった。


「ああ、怒っているわけではないわ。

 あなた達と、話がしたくて」


二人は聞きなれないものを聞いたかのように怪訝そうな表情を浮かべた。

フレヤは言葉を探し選びながらぽつぽつと話した。


「マシューとエリッシュは、アルハフ族をどう思ったかしら」


唐突な問いかけだった。

急ぎすぎた質問だっただろうか。

だが、まどろっこしいやり方は好きではない。


「どう、といいますと……」

「彼らは、野蛮かしら?」


二人は黙り込んだ。

唇をかみしめ、言葉に迷っている。

フレヤは、静かにその様子を見つめた。


「あいつらは……普通の人間とは違う血が流れている」


押し殺された声だった。

フレヤは瞳を陰らせた。

アルハフ族は何も彼らに乱暴をしていない。

むしろ、寝るための場所であるテントや衣服を貸し出し、

食べ物さえ分け与えていた。

縄で奴隷のように兵たちを縛りもしない。

アルハフ族は、王国の人間に何も思わないわけではないはずだ。

理不尽な迫害を受けたのだから当然だろう。

それでも、彼らは施しを与えた。

フレヤとチノの存在もあるだろうが、それでも彼らは譲歩してくれている。

しかし、何十年にもわたる偏見からは逃れられないということか。


(もともと無理があった作戦だしある程度は仕方ないわ)


しかし、フレヤは彼らの瞳が揺れていることに気付いた。

自分が今まで言い聞かせられてきたことと事実の差に

心が追いついていないようにも見えた。

決して、兵たちも何も感じていないわけではない。

沈黙が落ちた。

風が木々を揺らす音のみが聞こえる。

目を伏せて考え込む。

どうすれば、彼らの意識を変えられるだろう。


「そうだわ」


ふとフレヤはあることを思いついて、その場を勢い良く立ち上がった。

Re: マーメイドウィッチ ( No.46 )
日時: 2017/04/03 13:56
名前: いろはうた (ID: VujPqVFA)

「王女殿下!!」


フレヤは強く名を呼ばれて、くるりと振り返った。

今は、アルハフ族のみんなにお願いして、

水汲みの手伝いをさせてもらっているところだ。

川の水に桶を浸した状態で、振り返る。

マシューとエリッシュもその手に桶を持ち、

嫌々ながらもアルハフ族の民族衣装を身に着けていた。


「なにゆえ、そのような真似を!!

 ここは俺たちがやりますのでどうか!!」

「我ら王族は、幾千幾万もの民によって生きながらえてきた。

 民と同じことができないで何が王族よ。

 黙ってあなた達も水汲みをしなさい」


そう言い終えてから、はっとする。

アルハフ族の視線がすべてこちらに向けられていた。

どの人も水汲みや洗濯の手を止めて、

じっとこちらを見ている。

しまった。

少し騒ぎすぎてしまった。


「さあ、水を汲んで。

 っと、ひゃっ」

「王女殿下!!」


立ち上がった拍子に足を滑らせバランスを崩してしまう。

間一髪というところで、力強く背中を支えられた。

見なくてもわかる。

こんな風に素早く迅速に助けてくれる人はチノしか知らない。


「……大丈夫か」

「……あ、ありがとう、チノ」


顔から火を噴きそうだった。

自分でも顔が真っ赤になっている自覚がある。

あんなに偉そうなことを言った次の瞬間にこけそうになるだんんて、

もう元王女の威厳も何もない。

ぷっと誰かが噴き出す声が聞こえた。

聞き間違えたのかと思い、ぱっと顔を上げ、瞬きを繰り返す。

見れば、こらえきれぬようにアルハフ族のみんなが笑っていた。


「なんだい、お高くとまったお貴族サマも

 こけりゃただの人間かい、くくっ」

「なんだよ、ただのかわいい娘っこかい」


馬鹿にしたような笑い方じゃなくて、

純粋におかしいから笑っているようだった。

力の抜けた、緊張がほぐれたような笑い方だった。

そうか。

異空間にいて緊張したのはフレヤだけではない。

彼らも、自分たちの空間に異分子がいることに

少なからず緊張していたのだ。

さざ波のように広がる笑い声に、フレヤも小さく笑った。

チノの顔を振り返ってみると、彼も穏やかな表情で微笑んでいた。

それが嬉しくてフレヤはさらに笑みを深めた。

マシューとエリッシュは、それを少し離れたところから

黙って見つめていた。















夜のとばりが落ちると、アルハフ族はそれまでの作業をやめ、

焚火に火をともす。

そして、みんなでたき火を囲みながら

夕食をゆっくり食べるのが習慣のようだった。

地面には獣の毛皮でできた敷物を敷いて、

静かに話をしたり、明日の狩りの予定を立てたりするのだ。

今日は、不思議な旋律の音楽に合わせて、アルハフ族の人々は

たき火を囲んで歌を歌っていた。

聞きなれない言葉ばかりの歌詞だから、

アルハフ族の伝統音楽なのかもしれない。

チノはフレヤから一番離れた場所に座っていた。

彼はアルハフ族の長だ。

人を惹きつけるカリスマ性があるし、

誰よりもみんなのことを気にかけている。

そんなチノのことを、みんなも頼っているし、慕っている。

今も、みんなが楽しそうに歌っているのを、目を細めて眺めている。

一応、客人という扱いにまで昇格はしたが、

部外者の自分が大事な長の隣に図々しくも座るのは皆が嫌だろう。

そう思って、自分の隣に座ればいいというチノの申し出を断って

一番遠い席に、マシューとエリッシュとともに座っていた。

彼らは、かいがいしく世話を焼いてくれるが、

アルハフ族の日常に戸惑いを隠せないようだった。

何気なくチノを見つめていて、はっとする。

チノの隣には、かいがいしく彼の世話を焼くルザの姿があった。

彼女の目は手元を見ているようで、ただチノの姿だけを追っていた。

視線が合いそうになると、ぱっとはじかれたようにそらす。

だけど、またすぐに、横目でそろりとチノの様子をうかがう。

きゅっと引き結ばれた唇。

彼のことだけを追うまなざし。

献身的に尽くす姿勢。

彼女は全身全霊でチノに恋をしていた。

誰もがその様子を温かいまなざしでそっと見守っているようだった。

彼女は、チノが王宮にいる間、ずっと彼のことを待っていたのだ。

あれだけ美しく凛々しい娘なのだから、

ほかの男性のアプローチも絶対にあったはずだ。

それもすべてはねのけて、チノのことだけを思っている。


(私は……あんな風に、誰かを愛したことがないわ)


ステファンの時は、恋に恋するありさまで、

周りがあまりにも見えてなかった。

自分の心さえも。

チノとルザの視線が交わった。

ぱっと手で持っていたお盆で顔を隠すルザに

チノは少しだけ笑った。

ぎゅうっと胸がしぼられるような痛みが走った。

この感情はなんだろうと、どこか他人事のように考えて気づく。

これは、羨望。

ルザを、うらやましいと思っているのだ。

初々しい二人を見つめる。

チノは笑っている。

その目はルザだけを見つめていた。


(やっぱり、返してあげなくちゃ)


いや、返すという表現もおかしい。

チノはものじゃない。

最初から誰のものでもない。

ただ、元いた場所に戻っていくだけだ。

感情にふたをしなければ。

手放したくないだなんて、そんなことは少しも思っていない。


「……王女殿下」


硬い声で呼ばれてはっと我に返る。

マシューとエリッシュがこちらを真剣な表情で見つめていた。

背筋を伸ばし、何かしら、と答えると

マシューが何かを決意したような表情で口を開いた。


「明日、おれたちは解放されることで間違いないのでしょうか」

「ええ、私からもお願いはしてあるわ」


うなずいて見せると、二人はお互いの顔を見合わせた。

そして、こくりと首を小さくふりあった後、

再びこちらに向き直った。


「我々は、明日、他の者たちとの合流を予定しております。

 その際に、アルハフ族と王女殿下のことは

 ……伏せておこうと、考えております」


一言一言、区切るように、重くマシューは話した。

その隣のエリッシュも何も言わない。

同意を示しているということだ。

ぶわっと汗が噴き出す。

実った。

世界からしたら本当にちっぽけなことだった。

だが、フレヤにとってはとてつもないほど大きな前進の一歩だった。


「……ありがとう。

 でも、どうしてそう思ったのか聞いてもいいかしら」


落ち着こうと必死に自分に言い聞かせる。

だが、声が弾んでしまうのは自分でも抑えられなかった。


「まず、王女殿下に関してのことですが……

 あなたさまは……その……ご乱心の末に王を殺めたとは思えぬほど

 いつもと変わらず理知的で、心優しいままでした」

「わ、私は、別に、そんな」

「いえ、思ったことを申し上げたまでです。

 それに……あいつらは……」


兵たちは言葉に詰まっている。

アルハフ族をを少しだけ苦しそうに見つめるその横顔は

今何を思っているのか。


「あいつらは……少なくとも、野蛮……などではないです」


彼らが今までで見せた最大限の歩み寄りだった。

ぎゅっとこぶしを握り締める。

嬉しくて、顔が緩んでしまう。

感情がぶわっと爆発してしまいそうな、そんな気持ちだ。


「なにより、王女殿下。

 あいつが……あなたさまを、救ったのかと」

「マシュー、おまえ……」

「仕方ないだろ!!

 認めたくはないが……あの男は、チノとかいうやつは

 あなたさまを……変えた」

「チノが……?」


フレヤは目を見開いた。

意外な名前だった。

彼らは、どうもチノのことを心から認めてはいないようだったから

余計に衝撃も大きかった。


「あいつが来る前のあなたさまは、

 王宮という鳥かごに閉じ込められた鳥のようだった。

 籠のカギの開け方を覚えて、何度か外に羽ばたいてみるけど

 一人では外で生きていけなくて、また籠に戻ってくる。

 おそれながら、そのような印象を受けておりました」


どきりとした。

そんなふうに思われていたとは知らなかった。

だが、間違っていない。

的を射た発言だった。


「だが、あの男が来てからあなたさまは変わられた。

 氷姫とまで呼ばれるほどのあなたさまが……笑うようになった。

 外の世界に行っても、あいつがいれば、あなたさまは……」


嫌々ながらもチノを認めてくれている言葉だった。

信じられないほど、嬉しかった。

何故だが、泣きそうだった。


「私が、こんなことを言うのは間違っているのかもしれない。

 だけど、ありがとう」


声が震える。

少し恥ずかしい。

二人は、仕方なさそうに、だけどどこか嬉しそうに微笑んだ。

Re: マーメイドウィッチ ( No.47 )
日時: 2017/04/07 16:00
名前: いろはうた (ID: VujPqVFA)

マシューとエリッシュの見送りは、フレヤとカルト、チノの三人だけだった。

静かにひっそりと二人はアルハフ族を離れた。

小さく手を振ると、彼らも少し照れくさそうに振りかえしてくれた。

彼らがごま粒よりも小さくなって、

その姿が見えなくなるまで、フレヤは彼らを見つめ続けた。


「すごいよね。

 あの頭硬そうな王宮兵どもを、コロッと意見変えさせるなんて」

「別に私がなにかしたわけではないわ」


もともと口下手なほうだし、説得とかそういうものには向いていない。

変えたのは、環境とアルハフ族の人たちだ。

見送りには来なかったが、ささやかながら食料と水を分け与えてから

自分たちの仕事に戻っていったのを知っている。


「で?」


カルトがこちらに向き直った。

フレヤも怪訝そうにそちらを見やる。

チノは黙っていた。

先を促しているらしい。


「あんたはどうするの?

 あんたも出てく?

 たしか兵たちが出ていくまでとか言っていたけど」

「カルト」


チノが不機嫌そうに遮った。

そうだった。

兵たちの心を少なからずとかせたことに浮かれて、

自分のことを忘れかけていた。


「そう、ね」


このまま、だらだらとアルハフ族にいるのはよくない。

足手まといであるフレヤを余裕で養っていけるほど

豊かな暮らしぶりではないのは、ここ数日でよく分かった。

彼らは、狩りと採集だけで、暮らしを成り立たせている。

季節ごとに暮らす土地を、渡り鳥の様に変える。

だけど、ここ数年は災害で土地の実りは豊かではなくなった。

狩りも採集もままならない生活。

ならばしばらくの間定住生活を、と望んだ所、

イルグ王に激しく拒まれた上に、退路をふさがれ

危うく皆殺しにされるところだったという。


「チノ、私は……!!」

「チョルノの言うとおりにしてやったら?」


カルトがこともなげにそう言った。

フレヤは目を見開いてぱっとそちらを見た。

カルトはいつもと変わらず飄々とした態度だ。

しかし、その目は笑っていなかった。

ぱちっとウインクされて目を白黒させてしまう。

なんだ、その、おれに話し合わせておけって、

とでもいうようなまなざしは。


「ほら、フレヤもわかったってさ」

(まだ何も言っていない!!)


チノはまだ何か言いたげだったが、

フレヤが何も言わないのを見てうなずいた。


「……わかったなら、いい。

 行くぞ」


そう言うと、チノはすたすた先を行ってしまう。

足が長い分あっという間に距離が開いた。


「……あとでまた会いにいくわ」


カルトがまた一つウインクをよこすと

先を行ってしまった。

目を細めて二つの背中を見つめる。

ため息を一つつくと、フレヤも歩き出した。

今夜中に荷造りをしたほうがよさそうだ。













「ミクリ……?」


木の陰から視線を感じた。

ぴょこんと顔をのぞかせているのはミクリだった。

ばつが悪そうな顔をしながら、彼は木の陰から出てきた。

フレヤも足を止めて彼を待つ。


「どうしたの?」

「これ……」


おずおずと差し出されたのは、どこにでも咲いているような野花だった。

フレヤは目を丸くして差し出された花を見つめた。

そっと花を受け取る。

ミクリに握りしめられていたせいか、

花の茎がどこかくたっとして見える。


「私に……?」


そっとたずねると、顔を真っ赤にしながらミクリはうなずいた。

紅茶色の鼻の頭が、土で汚れていた。

一生懸命探してきてくれたのだろう。

ふわりと心が温かくなった。


「ありがとう」

「あの……あと、タル・ゴナが呼んでる」


聞きなれない言葉にフレヤは眉をひそめた。

アルハフ族の言葉だろうか。


「タル・ゴナ?」

「アルハフ族の呪術師。

 話がしたいんだって」

























ミクリに連れられて、アルハフ族の集落にある奥まった場所に案内された。

ここには足を踏み入れたことがない。

他の場所と違って、何やら派手な羽飾りやら、不思議な形のお面だとかが

所狭しと並べてあるテントに入るように促された。

テントにフレヤが入るのを見届けると、

ミクリは小さく手を振って歩き去ってしまった。

本当にフレヤを呼びに来ただけらしい。


「娘さん」


しわがれた声が聞こえてフレヤは肩をはねさせた。

はっとしてテントの奥を見つめる。

紫がかった煙の向こうに一人の老婆が座っていた。

だが、フレヤが想像していた呪術師とは少し違った。

肌は磨かれた木のようにつややかで、その奥にある緑の瞳には

深い知性が宿っていた。

髪をきちんと背中で束ねていて、背筋はピンと伸びていた。

年を取っていても、見る人に美しいと感じさせる人だった。

誰かに似ている気がしたが、どうしても誰なのかがわからない。


「怖がらなくてもいい。

 あんたに何かするつもりはない。

 話をしようと思って、ミクリにおつかいを頼んだんだよ。

 私は、トンガというんだ。

 ああ、そこに座っておくれ」


静かな声だった。

フレヤは居住まいを正して、絨毯の上にそっとこしかけた。

鼻を衝くハーブの匂いはすっと心を落ち着けてくれた。


「私にどういうご用件で」

「まずは謝罪を。

 私の孫、メノウが、あんたにすまないことをした」


フレヤははっと顔をこわばらせた。

メノウの話を思い出す。

彼女の母もアルハフ族の呪術師で、

フレヤの父であるイルグ王に弄ばれた、と。

彼女は、メノウの祖母だというのか。

だとすれば、憎いはずだ。

イルグ王の娘であるフレヤが。

自分の娘を弄んだ男の娘なのだから。


「許してくれとは言わない。

 あのこは、道を外したのだから。

 悪霊に心をとらわれている」


謝罪されると思わなかったフレヤは戸惑った。

トンガの目にはどろりとした憎しみの色は見えなかった。

湖の水面の様に澄み切って静かだった。


「悪霊……?」

「復讐だよ。」


フレヤは目を伏せた。

メノウの表情を思い出す。

人形のような表情なのに、目だけはギラギラと憎しみで輝いていた。


「最初は、あのこも、ただ一族のことだけを考えて動こうとしていた。

 チョルノと同じように、アルハフ族をこの国の民の一部にしようと、

 王族と政権を変えようと奔走していた。

 だけど、あのこは、あんたたちと同じ人魚の声の力だけじゃなくて

 呪術師とアルハフ族としての力も持っている。

 人を惹きつける力を持っているんだ。

 それゆえ、力をあまりにも急速に強大につけすぎて

 道を外れた外道に成り下がってしまったんだよ」


トンガの握りしめたこぶしが震えているのが見えた。

彼女も大切なものを失ってしまったのだと悟った。

純粋で無邪気な孫娘を、失ってしまったのだ。


「チョルノは曲がらなかったね。

 あれだけ先祖に近い強い力を持っているのに

 メノウの様に力や復讐にとらわれることもなかった。

 チョルノが王につかまったのも捕らえられそうになった仲間を

 逃がす囮になったからさ」


羨望の気持ちを吐き出すように、トンガは息を吐いた。

そうか。

そうやってチノは父王に捕まり、自分と出会うことになったのだ。


「だけどね、全部が全部あのこが悪いわけじゃない。

 あのこをそそのかした悪霊がいる。

 かの国の王子だ。

 太陽の光のような容姿をして、闇に染まり切った心根。」


ステファンのことを言っているのがすぐにわかった。

じりりと焦りが胸を焦がす。

ヘレナはどうしているだろうか。

城のメイドや近衛兵たちはどうなったんだろう。

しかし、トンガの言葉にフレヤは言葉を失うことになった。


「あのこを許さなくていい。

 だけど、婆からの願いだ。

 あのこを救ってくれ。

 あんたにしかできないことなんだ」


この人は何を言っているのだろう。

もう今の自分は王女ではない。

力など何もない。

地位も栄誉も権力もない。

何もかも失った。

何かを変えるための力も気力も何もないのだ。


「あんたは、もうすぐここを出るつもりだろう。

 ああ、驚かなくていいよ。

 私の呪術にかかればそのくらい予知するのはたやすい。

 出るなら急ぎな。

 ……嵐が来そうだからね。

 つかまりたくなかったら、できるだけ早くここを出るんだね」

Re: マーメイドウィッチ ( No.48 )
日時: 2017/04/15 16:09
名前: いろはうた (ID: S20ikyRd)

外がオレンジ色に染まって行くのを感じながら、

フレヤは荷造りを終えた。

とはいっても、自分が寝ていた寝具の乱れをきちんと直し

水とわずかながらの食料と、衣類をまとめただけだった。

ばさりと断りもなく、テントが開かれた。

この気配の消し方とこのタイミングは彼だろう。


「カルト、入るときは一声かけてから……」


そちらを見ようと顔を上げる。

入ってきた人物を見て言葉を失った。


「なにを、している」


かすれた声でチノがそういった。

フレヤは驚きのあまり一声も発せなかった。

チノが気づかぬうちに、そっとここを離れるつもりだった。

それがいったいこれはどういうことだろう。

チノが陽光を背に背負っているために、表情がよく見えない。


「……いや、言わなくてもいい。

 何をしているのかはわかっている。」


押し殺された声だった。

マグマのようなどろどろとした熱いものを

氷で覆いつくしたような声音にフレヤはびくっと震えた。

日がわずかに陰って、一瞬チノの表情が見えた。

はっとする。

ひどく傷ついた表情だった。


「やはり、おれを捨てるのか」


言われている意味がよくわからなくて、眉を顰める。

次の瞬間、とても強い力で手首をつかまれた。

振りほどこうにも振りほどけない。

ぎりりと骨が軋むような感触がして、低くうめいた。

だけど、チノはフレヤが痛みを感じているのわかったうえで

力加減を一切していないようだった。

これが、嵐、なのだろうか。

混乱した頭がそれだけをぼんやりと考えた。

何が起こっているのか思考が追い付かない。


「……行かせない」


地を這うような声に、呼吸が止まりそうになる。

彼が何に怒っているのかがわからない。

思い当たるものがない。


「捨てるって、なに」


かすれて震えた声だった。

自分が情けなかった。

チノがぐっと顔を近づけてくる。

緑の瞳におびえた表情をした自分の顔が映っていた。

いつもの氷の無表情はどこかへいってしまった。

チノがすっと目を細めた。

獣じみた仕草。

だけど、今はまだ満月じゃないはずだ。

怖い。

よく知っている人のはずなのに、まるで別人のように見えた。

こんなに強い衝動に全身を支配されているチノを見るのは初めてだった。


「おまえは、おれを捨ててカルトとここを出ていくつもりなのだろう」

「捨てるだなんて……!!

 チノは族長で、私は……」

「族長ならやめる。

 カルトのやつにでもやらせたらいい。

 お前とともには行かせない。

 残念だったな」


押し殺された声でせわしなく言われ、混乱する。

チノは、アルハフ族の族長だ。

こんなに簡単にやめるだとか言って、辞められるようなものではない。

それに、誰よりも一族のことを大事に思ってきたのはチノだ。

そのチノが、族長の地位を捨てる……?


「馬鹿なこと言わないで」

「おれはこれ以上なく本気だ」

「どうかしてるわ」

「ああ、自分でもどうかしていると思う」


ぎりりと手首を握る力が強くなった。

かすれた悲鳴が唇から洩れる。

おびえるフレヤを見てチノは暗く笑った。


「泣けばいい。

 今泣けば、おれが傷つけたのだと強く思える」


目じりに滲みかけたしずくを意志の力で、こぼさないようにする。

目を見開いて、泣くものかとチノを睨みつけた。

さらりとチノの長い前髪が額に触れた。


「おれにすがって、泣いて、助けを乞えばいい。

 おれがいないと、おれでなくては駄目だと」


吐き捨てるように言われた言葉なのに、耳の中で甘く響いた。

緑の瞳がひどく近い。

気配が、体温が、とても近い。

胸いっぱいにチノの匂いを吸い込んでしまい、

頭がくらくらする。

だけど。


「ルザ、は」


名前を呼んだだけで、胸を焦がす痛みが強くなった。

視界が明滅する。

美しく、凛々しく、聡明な少女。

脳裏をよぎる二人の仲睦まじそうな姿。

どろりと胸の中でどす黒い感情が渦巻いた。


「あなたには、ルザがいるじゃない」


自分が吐き出した言葉でやけどをしそうだった。

頭の中がキンっと白くなる感覚。

ばくばくと心臓が異常な速さで脈打っている。

自分で自分の言っていることがわからなかった。

なんだこれは。

これではまるで。

まるで、ルザに嫉妬しているみたいな。

カッと耳が熱くなった。

あわてて気持ちにふたをしようとしたが遅かった。

今まで必死に抑えてきたものが、濁流のように押し寄せて

止まらなかった。


「私のことばかり好き放題言って!!

 あなたはどうなのよ!!

 あなただってルザと……!!」


ふっと、手首をつかむ力が緩んだ。

チノが戸惑っているような表情を浮かべていた。

その様子がさらにフレヤの衝動に油を注ぐことになった。

しかし、口を開こうとした瞬間、チノの顔が苦悶に歪んだ。


「チノ……!?」


どさりと、チノの体が前のめりに倒れてきて、

正面にいたフレヤは慌てて彼の体を支えた。

とんでもなく重い。

気絶しているようだ。

はっとしてテントの入り口を見ると、

カルトが手を手刀の形にしたままこちらを見ていた。

Re: マーメイドウィッチ ( No.49 )
日時: 2017/04/16 21:40
名前: いろはうた (ID: S20ikyRd)

フレヤは声もなくカルトを見た後、さっとチノに視線を向けた。

彼の目は閉ざされていた。

低くうめいていて顔をゆがめている。

カルトはチノに一歩近づきしゃがむと、

そのみぞおちに強くこぶしを叩き込んだ。

完全にチノの体から力が抜けている。


「カルト!!」


やりすぎだった。

非難の声を上げるが、カルトは肩眉を上げただけだった。


「こうでもしないとチョルノはすぐ起きるけど?」


フレヤは言葉を失った。

カルトの顔は冷酷なほど落ち着いていた。

その手には革袋が握られていた。

彼の身の回りの物をまとめた荷物なのだろう。


「チョルノは俺らの一族に必要な存在なんだ。

 とらないでよ。

かわりにおれがついていってやるから」

「ええ。

 ありがとう」


フレヤは目を伏せて頷いた。

チノを連れて行く気は毛頭なかった。

むしろカルトが着いてきてくれることで、

この先とても助かるだろう。


「もう行ける?」

「ええ。

 行きましょう」


フレヤは立ち上がると同じく革袋を手に取った。

テントを出る前に、一度だけチノのほうを振り返る。

フレヤは一瞬目元をゆがめた後、視線を前に戻した。

振り返ってなどいられない。















マシューとエリッシュは、約束の時間に他の兵と合流した。

何事もなかったかのようにふるまうので必死だった。

しかし、そんな二人を怪しむ者はおらず、

無事、上官に不審な人物などは見なかったという

嘘の報告を済ませたときだった。


「メノウ様!!」


さっと人垣が二つに分かれる。

馬に乗った美しい娘が遠くから来るのが見えた。

なぜ彼女がここに。

王宮にいるはずではないのか。

思考が入り乱れる。

しかし、ヘレナ第二王女、いやヘレナ王妃殿下そっくりの

かんばせをちらりと見た後、二人はあわてて

他の兵に倣って敬礼をした。


「何か変わったことはありましたか?」


柔らかな声。

ずっと聞き入っていたくなるような響きだった。

緑色の瞳がマシューととエリッシュの上官に向けられる。

彼は、とくに成果がなかったことと

これからも捜査に尽力する旨を伝えた。

メノウはわずかに首を傾げた。

さらさらした金髪が華奢な肩からこぼれおちる。


「この香りは……」


緑の瞳は、何故かマシューとエリッシュに

ゆっくりと向けられた。

彼女をのせた馬が近づいてきた。

二人はただ凍り付いていた。

ヘレナ妃殿下そっくりのかんばせが

複雑な色を載せた。


「懐かしい香り……」


二人の背には冷たい汗が流れていた。

懐かしい香りというのはどういうことだろうか。

アルハフ族の香りだとでもいうつもりだろうか。

まさか、気づかれているのだろうか。

嘘をついていると。

いや、そんなはずはない。

自分たちが見たものを黙ってさえいれば

絶対に誰にも気づかれるはずはないのだ。


「あと、私の大嫌いな海の匂いがするわ」


メノウはすん、と獣臭い仕草で鼻を鳴らした。

わずかに声に黒くてどろりとしたものが混じった。

馬鹿な。

ありえない。

匂いを判別することなどできないはずだ。

海の匂い。

この国で海と言えば、王族を意味する。

まさか。

まさかこの娘は。

第一王女に自分たちが会ったことに

気づいたとでもいうのだろうか。

緑の目が肉食獣のごとく細められる。


「そう、そういうことね」


二人はただつばを飲み込んで、

目の前の美しい娘を見つめているしかなかった。

なんて恐ろしい。

同じ人間とはとても思えない。

まるで、獰猛で美しい肉食獣を前にしているかのような心地だ。


「何があったのか、真実を話してもらえるかしら」
















フレヤの息は早速あがっていた。

今は、川に沿って上流を目指し歩いている。

たくさんの岩の上を渡り歩いたことなどないフレヤには

苦行でしかなかった。

岩にはびっしりととげの生えた植物が生えており

それでなんども手を傷つけてしまった。

岩は川の水で濡れておりひどく滑りやすく

フレヤは何度も体のバランスを崩した。

カルトは、羽が生えているのかと思えるほど

軽やかに岩の上を駆けまわっていた。

自由自在に森の中を歩けるカルトがうらやましい。

動きの遅いフレヤではあったが、

徐々にコツをつかみつつあった。


「そろそろ休憩にするか」


どれほどその言葉を待ちわびたことか。

フレヤは示された浅瀬になんとかたどり着くと

くずれるようにその場に座り込んだ。

足がひどく痛み、力が入らない。

手をちらりと見る。

いくつもの擦り傷から血が滲みだしていた。

爪の間には土が入り込み、ところどころ黒ずんでいた。


「はい」


差し出された果物を見て、

やっと自分がひどい空腹に襲われていることに気付く。

礼を言って、果物を受け取りかじりつく。

口の中いっぱいに甘い果汁と酸味が広がり

フレヤは思わず顔を緩めた。

身体に染み渡るようだ。


「で、とりあえず隣国目指してるけど、いいの?」

「なにがかしら?」

「一応、元王女でしょ?

 王宮に未練は?」

「ないわ」


ふうんと言うと、カルトも果実にかぶりついた。

唯一気がかりなことと言えば、ヘレナのことだった。

ひどく傷つけてしまった。

あの時以来会えていない。

彼女は無事だろうか。


「カルト、このまま上流に行ったら隣国の近くよね?」

「そうだけど?」

「近くに町があったわ」


記憶を探りながらつぶやく。

カルトが意外そうに眼を丸くした。


「まさか、町に降りる気?」


カルトの言わんとしていることはわかる。

今、この王国のあちこちに、

フレヤに対する追手がかかっている。

街に降りるというのは、それだけ追手に見つかる可能性が高まる。


「最後に、どうしても情報収集がしたくて」
「なんの?」

「……妹の」


考えてみれば馬鹿らしくなるような理由だった。

聞けるかもわからない妹の消息のためだけに

自分だけでなくカルトの命も危険にさらすのだ。

そもそも、カルトはアルハフ族だ。

王国の民はアルハフ族にいい印象は抱いていない。

街に行けば奇異の目で見られるだろう。

それはフレヤも同じことで、

自分の髪や瞳の色を見られたら、すべてが終わる。

フレヤにとってもカルトにとっても

決して良い選択ではなかった。


「ま、いいんじゃない?」


あんまりにもあっさりと返事をされたので

危うく聞き逃すところだった。

本当にいいのか。


「たぶん、チョルノのやつ追いかけてくるし」


その言葉にフレヤは固まった。

あれだけ徹底したのに、まだ彼は追ってくるというのか。

チノとともに育ったカルトの言葉だ。

間違いはないだろう。


「チョルノは動物の痕跡を見つけるのが上手い。

 森の中を歩いていたほうがすぐにばれる」


じゃ、いこうか、とカルトが軽く首を振る。

フレヤは無言で立ち上がった。


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