複雑・ファジー小説

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当たる馬には鹿が足りない【更新停止】
日時: 2019/04/09 23:57
名前: 羅知 (ID: miRX51tZ)

こんにちは、初めまして。羅知と言うものです。
普段はシリアス板に生息していますが、名前を変えてここでは書かせて頂きます。

注意
・過激な描写あり
・定期更新でない
・ちょっと特殊嗜好のキャラがいる(注意とページの一番上に載せます)
・↑以上のことを踏まえた上でどうぞ。

当て馬体質の主人公と、そんな彼の周りの人間達が、主人公の事を語っていく物語。




【報告】
コメディライト板で、『当たる馬には鹿が足りない』のスピンオフ『天から授けられし彩を笑え!!』を掲載しています。
髪の毛と名前が色にまつわる彼らの過去のお話になっております。
こちらと同じく、あちらも不定期更新にはなりますが宜しくお願いします。



一気読み用
>>1-


分割して読む用

>>1-15
>>16-30
>>31-45
>>46-60
>>61-75
>>76-90
>>91-115

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.102 )
日時: 2018/10/18 01:26
名前: 羅知 (ID: zMzpDovM)


 ∮

「……!」
「……どうした、嬢ちゃん?」
「……ううん、なんでもない。きっと、気のせい」

 白夜とヒナの声が聞こえたような気がして、辺りを見渡した。誰もいなかった。当たり前だ。白夜はともかくとして、ヒナがこんなところにいるはずがない。あの子は今、白い部屋の中の、白いベッドの上で眠っている。出会ったときと、同じように。

(まるで、悪い夢みたい。……本当に、夢だったらよかったのに)

 濃尾日向と馬場満月は"親友"で、濃尾日向はヒナで、馬場満月は白夜だった。短い期間で、色んなことがありすぎて、色んなことを知りすぎて、頭がおかしくなってしまいそうだ。ほんの少し前のことのはずなのに、ヒナが──いや、濃尾日向が私の学校に劇の特訓をしにきたあの日が随分前のことのように感じる。そうだ。あれから、たった三ヶ月しか経ってないのだ。なのに、なのにどうして。

(ヒナは……"飛び降り"なんてしたの?)

 そんな自ら命を絶つような真似、する子じゃなかった。ヒナも、濃尾日向も。"彼女"は未来を夢見る素敵な女の子だったし、"彼"は女顔で頭が良いけど─でもどこか詰めの甘いところのある普通の男子高校生だった。だったはずだった。

 私も、白夜も、ヒナだって、日常を──変わるはずのない日常を歩んでいた。こんな日々がずっと続けばいいのに──そんな風にも思わないくらいに身近な場所に"日常"は存在していた。変わる訳ないって信じるまでもなく信じていたのだ。愛しい愛しい、あの日々を。


 
 だけどそんな日常は崩れ去った。



 
  『────愛鹿雪那さん──事故に合って───目覚めない───火事が──』

 『……なんで?なんで起きないの?いつもウザいくらいに私のこと馬鹿にするのに。……いつもみたいに笑えばいいじゃない、私のこと』

 『……答えてよ。私が独り言言ってる変な奴みたいでしょ……それとも、私をこんな風にさせて、笑ってるの?そうだとしたら……本当、最低』

 『…………白夜も、満月さんも、アンタが目覚めないから何処かにいっちゃった……全部、アンタのせい……私、一人ぼっちだよ……』


 
 『………………大嫌い。本当に、本当に大嫌い。馬鹿姉貴』




 
 ……嫌なことを思い出した。ただでさえ最近気分が悪くて、体調が悪いのに、最悪だ。頭がぐるぐるとまわって、身体がふらふらとする。歩くこともままならなくなって、私はその場にしゃがみこんだ。

 

「……おい、嬢ちゃん。………ああクソ。ちょっと散歩すれば、気分転換になると思ったんだけど……ちょっと近くで休むぞ。……歩けるか?」
「……うん。ごめん、観鈴」


 観鈴に肩を支えられて、ゆっくりと歩く。足元はおぼつかず、自分がどこに立っているのかもよく分からない。頭は相変わらずぐるぐるとして、目の前の景色は歪んでいた。

 
 ∮


 
「───嘘つき」


 最初、その声が誰の者なのか分からなかった。
 その声の持ち主が岸波小鳥だということにオレ達が気が付いたのは、岸波が言葉を発してから五秒程経った後だ。小さいけれど、確かな怒りを感じる低い声。誰だろうと戸惑いの表情を見せ、辺りを見渡す面々の中で一人微動だにせず俯く岸波は、この場においてとても異質な存在になっていた。
 
「……ど、どうしたの?小鳥ちゃん」
 
 突然のことでどぎまぎしながらもシーナが隣に座っている岸波へ、そう訪ねるがその問いに対して彼女が答える気配はない。黙ったまま俯く岸波の表情はよく見えない。
 確かに"幸せ"といった馬場の言葉は、とてもじゃないけど本心から言っているように思えなかった。けれども岸波の言った"嘘つき"はそういった意味を込めているようには聞こえない。
 表情は見えない。けれども彼女の言葉に込められた"感情"は手に取るように分かる。彼女は"怒って"いる。彼女の言葉には明確な"怒り"を感じる。相手の"嘘"を責めるようなそんな"怒り"を。
 普段、彼女は"怒る"ということをあまりしない。そもそもいつも宙にふわふわ浮いているような気の抜けた言動が多く、はっきり感情を出すこと自体ほとんどないのだ。

 そんな彼女が怒っている。強く、強く。

(……)

 分からない。何故彼女はこんなにも怒っているのだろう。
 
 馬場の方を見れば、彼はオレ達以上に戸惑っているようだった。戸惑うどころか怯えているようにさえ見える。けれども馬場のその反応にもどこかを違和感を覚えた。戸惑うならともかく何故馬場は"怯えて"いるのだろう。相手は────理由は分からないが────怒ってはいるものの只のクラスメイトの女子だ。怯える必要なんてない。彼女が怒っていたところで、彼に何か被害がある訳でもない。
 それなのに、何故?

 

「……嘘なんて、ついてない」


 消え入りそうな、震えた声で馬場は岸波にそう返す。彼が声を上げて、ようやく岸波が顔を上げた。その目は真っ直ぐに馬場を睨んでいた。

 
「……君にとっては、そうかもね。嘘なんて吐いてない。誰にも好いてもらえない。自分が全部悪い。自分が幸せになる資格なんてない。……君にとってはそれが全てで真実なんだろうね」

 怒っている割に、その声は落ち着いている。ただ彼女の膝の上に乗せられた拳は痛そうなくらいに握り締められ、震えていた。

「そうやって……そうやって可哀想ぶって、被害者ぶってる姿を見ると、苛々する……!
…………"君"はいつもそうだ……全てを手に入れられる立場にいる癖に、逃げて、何も手に入らないと嘆くんだ……!ボクを……何回惨めな気分にさせれば気が済むんだよ!」
「そんな────」
「──じゃあ聞くけど!どうして当て馬としての"君"はその"性格"なのさ!?それは"君"のものじゃない!!……あまりにも下手すぎて、吐きそうだよ……君はあまりにも"別人"だ!君は"あの人"にはなれない!それなのに"君"が"馬場満月"であり続けようとしたのは!!」



彼と彼女以外もう誰も話についていくことなんて出来ていない。彼女だってそんなことは気付いていた。それでも彼女は叫んだ。目の前のたった一人に、大切なクラスメイトに、大事な友達の好きだった人に、恋してたあの人と同じ顔を持つ双子の弟に。



 
 「まだ…………まだ!"期待"してたからなんだろ!」



 ∮



 "嘘つき"、と考えるよりも先に気が付いたら言葉に出ていて。
 そして一言出てしまえば、あとの言葉は滝のように続けて溢れてきた。
 自分はこんなキャラだったかと喋っている自分ではない自分が首を捻っているけれど、"恋"は心が変になると書くのだし、きっと自分は気がおかしくなっているのだ。そう考えることにした。


 ぼやけていた空白の時間が瞬く間に色彩を持って形になっていく。あの人に恋をしたあの日のこと。社ちゃんと同じクラスになったあの日のこと。二人で恋の話をしたあの日のこと。あの人に気持ちを伝えたあの日のこと。あの人に────フラれたあの日のこと。

 
 心の中に全部残ってた。楽しかったことも、悲しかったことも、全部、全部。自分の中に残っていた。

 
 あまりにも辛くて、悲しくて、逃げ出してしまったあの時。今なら分かる。嫌なことから逃げるために楽しかったことも忘れてしまうなんて、なんて馬鹿なことをしたんだろう。


 
 自分は向き合わなきゃいけなかった。そうじゃなきゃ前に進めなかった。
 ───君も同じだ。




 
「"満月"であれば、誰かに愛してもらえるかもしれない。上手く出来るかもしれない。幸せになれるのかもしれない。……君は諦めきれずに、期待してたんだろ」
「……ぅ……」
「でも君は"満月"じゃない。あの人にはなれない。……そんなこと、分かってるだろ。もう、止めなよ。そんなこと。君は何者にもなれない。……君は、君以外の何者でもないんだから」
「……そんなこと、ない……そんなわけ、ない……おれは、おれは……」



 
 "自分"じゃ何も成し遂げられないとでも思っているのだろうか、愛されないとでも思っているのだろうか、もしそうだというのならちゃんちゃらおかしい話だ。







 





 
 あの日、ボクは君のせいでフラれたのに。

 君が憧れ焦がれるあの人が、恋してやまない君のせいで。
 

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.103 )
日時: 2019/01/18 18:39
名前: 羅知 (ID: KNtP0BV.)

 ∮


 
 う そ つ き ?



 
 俺が?まさか。彼女は何を言っているのだろう。俺は嘘なんてついていない。少なくとも俺は自分の言葉を"嘘"だなんて思っていない。真実だ。俺が信じ続けている限り、"これ"は本当であり続ける。けれども彼女は俺に言う。お前は間違っている。お前は嘘つきなのだと。彼女の言葉一つ一つが突き刺さり胸が鈍く痛む。今までも彼女の言葉で心が乱れることはあったとしても、ここまで痛み、苦しくなることなんてなかったのに。迷うような口振りだった彼女はもういない。彼女はもう逃げない。そんな彼女の言葉で、弱い俺は既にもうボロボロだ。
 あぁ、なのに何故だろう。胸はこんなにも傷んで死にそうなくらいなのに、心臓は五月蝿いくらいにバクバクと動く。

「どうして、そんなにも幸せになることを拒もうとするの?」
(…………もう、もう止めてくれ)

 俺のそんな願いは彼女には届かない。あぁ、彼女がまだ何かを言っている。五月蝿い。静かにしてくれ。勝手なことを、言わないでくれ。知ったような口をきかないでくれ。

 
 
「……君は、君の人生を生きても良いんだよ」

 
 どうして"君"が"オレ"達のことを知っているのか分からないけど、お願いです。もう、もうどうか止めてください。これがオレの本当で、オレは本当に、本当に本当にそれでいいんだ。もう満足なんだ。何も言わないで下さい。オレが、全部、全部悪い。それで良いんです。それがきっと一番良いんです。


 
「……ボクは君にも幸せになって欲しいよ、だって」



 
 だから、だからもう止めて。
 "俺"の"物語"を壊さないで。






 
 
「ボクは"あの人"が好きだったから。……だから、あの人が愛していた君にも幸せになってほしい」



  "あの人が好きだったから"



 
 ぽきり、と。
 その"言葉"で、自分の中の何かが壊れる音がした。




 ∮

 

 
「───うなのか」
「……え」
「───"お前も"、そうなのか」





 
 
  "お前も"、結局、あの人に惑わされて、俺から全てを奪っていくのか。




 

 
「勝手なことを、言うなよ」



 
「あの人は、お前が思ってるより、ずっとずっと」





 
「────汚くて、狡くて、愚かな、頭のおかしい人だ」



 

 そう言う俺の顔はきっと童話の中の魔女みたいに醜く歪んでいることだろう。対する彼女は言っていることがまるで信じられないみたいな目で俺を見る。あんなにも息苦しかったのが嘘みたいに、胸はもう痛まない。身体が震えるくらい恐ろしかった彼女が、もう何も怖くない。目の前の彼女は、ただあの人に踊らされていただけの純情な生娘、そう分かってしまえば恐ろしいものなんて何もなかった。


「はははははははっ!!!」



 
 笑いが止まらない。
 彼女は震え、周りの人間は何もついていけずにポカンと口を開けている。滑稽な空間だ。そう自覚したら余計におかしくなってしまった。

 

 久し振りに笑いすぎて、涙が出てきてしまう。




 
『……あの人が好きだから』
『……諦めきれないから』
『……あの人が大事にしてる、貴方を、こうすれば、そうすればきっと』
『……あの人は、私を嫌ってくれる……こっちをやっと見てくれる……』
『……ねぇ、"ミズキ"。とっても愛してる……』



 
 とっくの昔に心は壊れていた。
 
 それを無理矢理継ぎ合わせてなんとか今まで生きてきた。
 
 だけど、もう駄目だ。

 直しようがないくらいに、この心はもう粉々だった。

 




 
「なぁ知らないだろ」

「あの人、放課後に、突然俺を呼び出したと思ったらさ」

「全身ひんむいて、手足縛って、俺に、自分を好いてる女の相手させたんだ」

「……普通、大事な大事な愛しい弟に、こんなことするか?しないよ」

「……でも、俺が悪いんだ」

「……完璧な兄さんは、俺を愛してしまったから、あんなにも歪んでしまったんだ」


 
 
 俺が悪い。全部俺が悪いのだ。あの人達に事の責任を求めるより、俺が悪いことにしてしまえば全てがきっと上手くいく。そうだ。兄さんは悪くない。悪いのは全部俺だ。完璧な兄さん。優しい兄さん。大好き"だった"、尊敬"していた"兄さんを否定してしまったら、俺はもう生きられない。月を失った夜は暗い。何も見えない。恐ろしい。そんな中で俺が生きていける訳がない。だから俺には兄さんが必要だった。完璧な、理想の兄が。



 
「兄さん、雪那さん、社と過ごす日々は余すことなんてないくらいに満ち足りて、完璧だった」

「……俺だけが欠けていた。完璧さからは程遠い存在だった。あの人達といると、惨めな自分が余計惨めに感じた」


 
 
 だからこそ、俺は。



 
 
「あの"満ち足りた日々"が大好きで……"大嫌い"だった!!」
 



 

 
 どさり。
 俺がそう言い終わるのと同時に多分店の入り口の方で、そんな音がした。
 


 
「え」




 嫌な予感がした。




 
「……や、し、ろ」





 
 入り口で持っていた荷物を全部取り落として、目を見開いてこちらを見ている彼女が、そこにはいた。


 

「…………や、しろ。違う、違うんだ」
「…………」
「オレは、社が、社のことが……」
「……気付け、なくて、ごめ、んね」


 

 
 その言葉を言い終わらない内に、落ちた荷物を素早く拾うと、彼女はその場から走り去る。



「……待ってよ!社!!」





 
 遠く、離れていく彼女を追いかける。ごめんねと言った彼女の、光を失った黒々とした瞳は、絶望しきっていて、そのまま死んでしまいそうだった。



 
『君を解放してあげる』


 


 
 二度と、あんな目になんて、絶対に合いたくなかった。




 
 ∮




 
 事態を何も掴めず、私達は呆然とその場に取り残された。

 
「本当に、本当に、何なんですか……どういうことなんですか……?」

 
 いつもの口調をする余裕なんてあるはずもなく、誰に言うわけでもなくそう呟く。

 
 私と同じようになっているガノフ君、葵、尾田君。

 今にも倒れそうな青い顔で震えている小鳥さん。

 入り口の方を見れば、社さんの連れだろうか。華奢で可愛らしい見た目をした女の子が私達と同じように呆然としている。



 そして、気が付く。
 
 
「……雪、さん?どうされたんですか?」

 
 いつも他人のことなんてどうでもいいといった態度の彼女が、額に汗を浮かべて、怯えきった表情をしていることに。

 
 私が声をかけると、彼女はすぐに反応する。けれどもそれはいつもの彼女の態度とはまったく違っていた。


 
「……早く、追いかけて」



 低く、焦りながらも落ち着いた声で彼女は私にそう言った。


 
 
「お前だけじゃない、全員。早く、追いかけて!!」
「…………え、え?」
わたしが言ってること分かんないの!?早く行って!!女神命令!!」



 

 
「……大切なクラスメイトを失いたくないなら、早く追いかけて!!」



 
 普段と違う普通の口調で、けれども妙にその言葉には気迫があって。気が付けば全員が、その言葉に聞き入っていた。



 
「……分かりました。追いかけます」



 その言葉に従って、私は、私達は彼らを追いかけた。
 

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.104 )
日時: 2018/12/16 18:42
名前: 羅知 (ID: iLRtPlK2)

 ∮




 
「ま、……って……待っ、てよ、やしろ」

 
 どれだけ走っただろうか。いや、どれだけだって走るしかない。彼女を追いかけるしかない。オレは無力で、不出来で、出来損ないだ。オレに出来ることなんて何もないのかもしれない。だけど、あんな死にそうな目をした彼女を放っておくことなんて出来るはずがなかった。もう、嫌なのだ。大切な人が目の前で消えようとするのを、見ていることしか出来ないなんて、絶対に。
 
 それなのに。追いかけなきゃ、追い付かなきゃいけないのに。彼女の姿はオレからどんどん離れていく。走る。彼女を追いかけて、走る。喉が痛い。寒さの為に厚着してきたのが仇になった。暑い。熱い。身体から汗が滝のように出てくる。身体中が熱く、頭が朦朧とする。この数ヶ月間まともに食事を摂ることの出来なかった不健康な身体は脆く、身体全体が重く感じた。それでもオレは彼女を追いかける。追いかけるしかない。どれだけ不恰好でも無様でもそれでも。兄さんのように、雪那さんのように、そして────濃尾日向のように。彼女を同じように、失う訳にはいかないのだ。



   

 なのに、なのに。





 
   
(オレは…………いつも、こうだ)









 
 彼女の横に並べる男になりたくて、彼女に追い付きたくて、彼女を追いかけて、追いかけて、追いかけて、追いかけて、追いかけて、追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて────それでもなお、追い付けない。

 そんな自身の不甲斐なさに何度も絶望して、死にたくなった。

 兄さんに裏切られて、汚されて、心をぐちゃぐちゃにされたとき、全てがどうでもよくなった。自分の全てが嫌に思えて、この世から消えてしまいたいと思った。









 
 それでも、死ねなかったのは、彼女がいたからだった。










 
 死のうとする度に、彼女の顔がちらついて、彼女の笑顔を思い出して、それで────刃物を持つ手の力が緩んだ。そんなことが何度もあって。致命傷にならなかった傷達は、大小様々な形で、オレの腕に残った。




 
 死んだら、彼女の姿を見ることは、もう、一生出来なくなる。



 そう思ったら、どうしても死ねなかった。
 汚れてしまったオレは、もう彼女の横に立つ資格なんてない。彼女の綺麗で純粋な瞳をまっすぐに見ることなんて出来ない。だけど、観客席からでいい。観客席からでいいから、彼女の姿を、スポットに当てられて光輝く彼女の姿を観ていたかった。


 今も、昔も、オレは彼女の為に生きている。彼女を中心にオレのセカイは廻っている。オレにとってまさに彼女は太陽で、なくてはならない存在で、同時に────近付きすぎてはいけない人だ。もし少しでも"幼なじみ"の一線を越えるような行動をしたら、オレは瞬く間に自己憎悪の業火によって燃やし尽くされてしまうだろう。



 
 あぁ。
 考えれば、考えるほど、彼女とオレには何をしたって覆せない程の差がある。もし幼なじみという関係性ではなかったら、彼女はオレになど見向きもしない。確信を持ってそう思えた。



 
 こんな自分が嫌いだ。
 女々しくて、情けなくて、好きな女の子の前ですら格好いいところを見せれない、ましてや物語の王子様のようになんか絶対なれっこない────そんな自分が大嫌いだ。



 もしオレが兄さんのようになれたなら────きっと、こんなことはなかっただろう。オレはオレを愛することが出来ただろうし、彼女の横に堂々と立つことだって出来たはずだ。
 


(本当にそうだ。もしオレが兄さんみたいに……いや兄さんそのものになれたなら)






 
 オレはきっと、彼女の恋人にだってなれたはずなのに。



 
 ∮



 
 
 彼から逃げるように走って数分。彼が追い付く気配はない。ずっと、ずっと追いかけてきてはくれているようだけど────まだまだ、ここから見た彼は豆粒のように小さく見えた。


 

 私が本当に幸せだったあの時間を彼が憎らしく思っていると分かった、その瞬間、私はもういてもたってもいられなくてその場から逃げ出した。


 
 
 『────大嫌いだった』


 
 耐えられなかった。あれ以上、彼のあの憎悪の込もった眼を見ていたら叫びだしてしまいそうだった。

 
(……なんて、酷い奴だったんだろう。私は)

 
 どうして気付けなかったのだろう。彼の隣で私が幸せに感じていたとき、彼は私の隣にいることが苦痛で苦痛で仕方なかったというのに。私は自分のことばかりで、彼の本当の気持ちを分かってあげることも出来なくて。なんて、なんて酷い女なんだろう。彼に嫌われていると分かって、鈍く痛むこの胸すら抉ってしまいたい程に自分が嫌になる。酷くて、恥ずかしい女。相手に嫌われてることも分からずに、せめて隣にいられたらなんて馬鹿らしいことを思って。会いたいなんて、戻ってきてほしいなんて願って。



 
 彼は逃げたのだ。
 大嫌いな、私から。


 

 自分の馬鹿らしさに涙より反吐が出そうだった。苦しむ彼に気付けなかったどころか、やっとのことで私から逃げた彼をまた追いかけて、逃げられて、そのことを酷く身勝手に悲しんで。あぁ愚かしい。馬鹿な女の一人劇なんて喜劇にも悲劇にもなりはしない。ましてやこれは物語の中の話ではなく現実の話だ。だから余計にタチが悪い。笑えない。

 
(……私が、お姫様になれないことなんて、ずっと前から分かってた)

 
 女の子は誰でもお姫様になれるなんて嘘っぱちだ。お姫様になれるのは王子様に選ばれる価値のある愛らしい女の子だけ。私と同じ顔をした童話の中の"お姫様"を体現したかのような彼女は、口で言うでもなくそのことを私に教えてくれた。私と同じ顔のはずなのに、私とほとんど変わらないはずなのに、彼女は誰よりもお姫様だった。私のなりたかったお姫様は、私と同じ顔をした双子の姉で、それが私には許せなかった。手の届く位置にいるはずなのに、けして私はそれになることは出来ない。それが悔しくて、もどかしくて────私は姉のことが大嫌いになった。

 
 お姫様に私はなれない。


 生まれたとき、私と彼女はほとんど同じだった。だけど成長していくにつれて私と彼女は少しずつ変わっていった。私の身体は次第に何処か筋肉質な身体になっていったし、身長も小さめな男の子なら軽々と抜かしてしまうくらいに伸びた。対して彼女はまさに可愛らしい女の子そのものだった。きっと元々の体質的なものだったのだろう。このことについて誰かを責めることなんて出来るわけがない。だけど隣で女の子らしくしている彼女を見ると、どうにも胸がムカムカして仕方なかった。昔から妙に頭がよくて、よく意地悪で言い負かされていたので、あまり好きではなかった姉のことが、そのことをきっかけに一気に嫌いになった。大嫌いになった。



 いつだってそうなのだ。
 あの姉は、私が求めてやまないものを全て奪っていく。



 
 勿論これは私が勝手に思っていることで、姉を恨むのは筋違いなことで、そしてみっともないことだということは理解している。こんなことを思う自分がとてつもなくしょうもない女だということも。

 だけど、抑えようがなかった。
 姉は持っていて、私は持っていなかった。その変えようがない事実が私はどうしようもなく憎らしいのだ。




 
 あぁ本当に。
 私はなんて愚かなんだろう。






 
 こんなだから、こんな醜い女だから、彼の愛も彼女に奪われてしまうのだ。嫌われてしまうのだ。





 ∮






 
 歯車は歪な音をたてて。
 事態は、ねじ曲がって、修復不可能なほどに壊れていく。





 
 嘘つきが一人。
 嘘つきが二人。







 愚者のパレードが行き着く先は。
 
 

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.105 )
日時: 2018/12/23 12:50
名前: 羅知 (ID: r5XOKg3d)


 ∮

 
 体調の悪そうだった社を、少し店で休ませてあげようと思っただけなのに。

  
「…………」

 
 休ませてあげるはずだった彼女は、店に入るや否や何があったのか何故か逃げるように何処かへ行ってしまうし。店にいた陰気臭そうな男もそれを追いかけて何処かへ行くし。残っていた客も全員ソイツの連れだったのか、それを追いかけていくし。少ないながらも人が数人は入ってるように見えた喫茶店の中はもうすっからかんだ。訳が分からない。誰かに、この事態についてこと細やかに説明をしてほしい。だけど聞ける人もいなかった。誰かに何かを聞く暇なんてないうちに、皆どこかへ行ってしまった。


 
 タイミングを失った。
 どうすればいいのかも分からず、おれはその場に立ち尽くす。






 
「取り残されちゃいましたねー」





 
 誰もいない、はずだった。
 それなのに後ろから声がして。反射的に振り返ると、ひょろりとした背の高いニコニコした男が立っていた。


 
「そんなオバケでも見たような顔しないでくださいよー、酷いなぁ」
「…………!」
「オバケじゃないですよ。僕は、ずっとここにいました。皆さんが自分のことばかりで気付けなかっただけですよー」


 
 おれの驚いた様子を見て、男は手をひらひらと振ってそう弁解する。笑顔を崩さないまま。まさに『人畜無害』を貼り付けたような、そんな様子で。
 コイツの言っていることが嘘か本当かはともかくとして、突然殴りかかってくるような危険人物には見えないし、もし殴りかかってきたとしてもナヨナヨしてとても弱そうだった。ほんの少しだけ警戒を解き、おれは相手に名を尋ねる。


 
「……お前、誰だよ」
「誰、っていうか。この店の店員ですよー、普通に。まぁ臨時アルバイトなんで本職じゃないんですけど」
「…………」
笹藤直ささふじなおって言います、今後会うことはないかもしれないですけどよろしくですー」


 自分でも相当不躾な声の掛け方であったと思うが、それに対して男は一切不快そうな顔をせずにへらっと笑ってそんな風に自己紹介した。元々の顔の作りがそうなのか随分とその笑顔は幼く見える。もし、コイツの身長がさほど高くなかったら中学生くらいだと思ったかもしれない。まぁ実際の年齢がいくつなのかは知らないが。

「まぁとりあえず僕は掃除始めちゃいますねー、仕事なので」

  おれが名前を尋ねたので、名前を聞き返されるかと思ったが、予想に反して男はそれだけ言うと、無人の席に残されたコップや皿達を手慣れた様子で片付け始める。相変わらず表情は気の抜けた笑顔のままだ。なんだか掴み所のない男だ。見るからに平凡そうであるのに、どこか妙な不気味さを感じる。
 だが、この店の店員というからにはさっきまで起こっていた事態については多少なりとも分かっているのではないだろうか。少なくとも今さっきこの店に来たおれよりは事態の展開を目の前で見ていたのだから知っているはずだ。そう見込んでおれは、鼻歌混じりに掃除をしているヤツに話を聞く。

「店員なら見てたんだから、分かるよな。……一体何があったんだよ、さっきの奴ら」
「そうですねー、凄い修羅場でしたよ。」
「……修羅場?」
「多分色恋沙汰とかじゃないですか?なんとなくそんな雰囲気がしましたねー」

 
 それを聞いて、おれは驚く。
 
 修羅場?ましてや色恋沙汰?ありえない。
 これはけして社がモテないとかそういったことを言っている訳じゃない。むしろ社はモテる。男からも女からも。特に女からの好かれ様は凄まじい。たまに変なストーカーが付くくらいだ。勿論そのストーカーは、おれが然るべき所に追い込んでやったけど。
 まぁその話は今は置いとこう。
 社はモテる。だけど色恋沙汰なんかに発展したことは一度もない。どれだけ他人に好意を寄せられたとしても、彼女はそれを相手にしていないからだ。下手すれば、その好意は相手の勘違いや思い込みだとさえ彼女は考えているかもしれない。自分に恋愛的好意が向けられる可能性を彼女は一ミリも考えていない。恋愛的な面の彼女は自分を卑下する傾向にある。理由は分からないけれど、いつからか彼女はまるで呪いのように好意という好意を否定するようになった。

 『……私に告白とか色々してくる子達はいるけどさ。あの子達は皆騙されてるだけなんだよ、私に。そこに理想の王子様みたいな役を演じてる私がいたから、ステータスがそこそこ高い私がいたから、なんとなく"好き"な気がしちゃっただけなんだよ』
『……全部、勘違いで、偽物なのに。私みたいなのに騙されて、本当に、皆、可哀想』


 これは、以前彼女が言った言葉だ。確か中学三年生くらいの時だった。
 その時の彼女の目は、本当に哀しげで、切なくて───そして、自嘲的だった。諦めきった顔だった。



 だから、そんな彼女が色恋沙汰なんかに巻き込まれるはずがない。彼女は恋を望まない。彼女が誰かを恋愛的な意味で好きになることなんてない。昔はあったのかもしれないけど、少なくとも今は、ない。



 
 だって、それじゃ、おれは。
 おれの、気持ちは。

 
 社が誰も好きになることはないって、分かってたから、抑えることが出来てた、おれの気持ちは。



 
「だって、逃げた彼女────貴女の連れですかねー。あれは恋してる目でしたよ?いやー青春ですねぇ」



 
 信じたくないおれの気持ちをポキリと折るように、男が続けてそう言う。

 彼女が恋する気持ちを取り戻したというなら、それは喜ぶべきことなのかもしれない。おれの気持ちなど抑え込んで、誰よりも応援してやるべきなのかもしれない。だけど素直にそれが出来るほど、おれは出来た人間じゃない。相手に対する嫉妬のような何かで唇が歪む。



 
「……お前の勘違いじゃないのか、そんなアイツが恋なんて──」
「そうですねー、僕の勘違いかもしれません」



 
 苦し紛れに出たそんな言葉は、案外あっさりと肯定される。あまりの呆気なさに、おれは戸惑った。別に否定してほしかった訳でもないし、言い争いがしたかった訳でもないけれど、あまりにもこの男、適当すぎではないだろうか。主体というものがなさすぎる。


 
 本当なんなんだ、この男。
 凄く、凄く────気持ち悪い。


 
「……お前、本当、なんなんだよ……」

 

 
 思わず出てしまったそんな言葉にも男は不気味な程変わらない笑顔で答える。




 
「だーかーら、笹藤直という名前のただのどこにでもいる奴ですよ、僕は。それ以外の何者でもありません」



 
 
 ∮


 
「じゃあ、もう店じまいなので。帰ってくれると嬉しいですねー」

 
 自分がそう言うと、彼女はまるで逃げるようにこの店から出ていった。喋っている最中もそうだったけど、僕の何をそんなに怯えているのか。僕は"どこにでもいる"だけの、ただの一般人だっていうのに。

(あーあ、あんな悲しそうな顔しちゃって)

 確か今話題のアイドルか何かだったか。多くのファンを持ち、沢山の人々から愛される彼女のこのような顔を、もし世間の人々が見たら、きっと大きなショックを受けるだろう。

 
(超人気アイドルが男装の麗人にお熱、ゴシップ誌の良いネタになりそうだなぁ)


 色恋沙汰と聞いて、彼女は大層驚いていたし、否定していたけれど本当は彼女だって気が付いていただろうに。愛鹿社のことをずっと見ていたというのなら。愛鹿社のことを愛していたというのなら。

 彼女のたった一人に向けるあの熱っぽい視線に気付かないはずがないのに。

 彼女は信じたくないだけだ。本当は気付いているけれど、それを認めてしまったら、自分が自分でいられなくなってしまうから。

(愛鹿社があんな風になったっていうのに、追いかけなかったのが良い証拠だよねー)

 あの熱っぽい視線を見ていられなかったのだろう、彼女は。まさに神並白夜の、あの憎々しげな目を見ていられなかった愛鹿社と同じように。彼女をあのまま追いかけてしまったら、何を見てしまうのか、それが彼女は怖くて怖くてたまらなかったのだ。


 彼女がどうしようもなく"その事実"を受け止めなければいけなくなったとき、彼女がどうなってしまうのか──────それは僕の預り知らぬところだ。



 
 誰かの恋が叶わなくたって、誰かが傷付いたって。それは僕には関係のないことなんだから。



 
 僕はただ、それなりに、なんとなく生きていければいい。




 
 
(まぁ、"彼"の"お願い"くらいはちょっとくらいお手伝いしてあげるつもりだけど)




『笹藤さん』
『……お願いがあるんだ。いつか、必ず、お礼はするからさ』
 


 
 笹藤直は、ただどこにでもいるだけの奴だ。何気なく。然り気無く。



 
『……もし、俺に何かあったらさ。俺の"代行"を頼まれてくれないか』
『俺、今、色々調べてることがあるんだけど……それの手伝いと、あと』
『弟の、ことを』



 
 彼の行動に大して理由なんてない。意味なんてない。まぁ、なんというか興味が沸いたのだ。"彼"という人間に。

 
 ちょっとくらい、何かを手伝ってあげてもいいんじゃないかってくらいには。


 
『……もう、兄なんて呼んでもらえる資格、ないけどさ。本当に、許されないことをしたから』
『でも、守りたいんだ。白夜のこと。……俺のせいで傷付けたからこそ。エゴイスティックな願いかもしれないけど』




 
 彼の、愚かで、あまりにも人間らしい、あの表情はなんというか──"好き"だった。それは自分が持たないものだったから。


 
(それじゃあ、万が一に備えて────僕も向かおうとしようか。彼のところへ)



 
 
 そんなことを考えながら、彼は店の看板を『close』に変えて、店を出ていった。




 出ていく彼の表情は、無表情で、空っぽで、冷え冷えとした夜の風景とよく似ていた。
 


 
 ∮




 
 
『あー、救急なんですけどー、馬場満月って子が、部屋で血だらけになって倒れてるって濃尾彩斗先生に言って貰えますか?多分自殺未遂だと思うんですけど』
『僕の名前は────いや、匿名で。名乗るほどの者じゃないですよー、ただのどこにでもいる奴なので』
 
『────さて、止血するか』

『ねぇ、白夜くん。覚えてる?』
『君が馬場満月として、用務員の僕に言ったこと』
『"笹藤さんのいる場所は何だか落ち着く"って──それ、満月くんも言ったことなんだよ?』

 
『本当似てるよ、君達。心から笑えるくらいに』
 

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.106 )
日時: 2019/01/07 21:42
名前: 羅知 (ID: 6U1pqX0Z)


 ∮


 小さい頃から、お姫様になるのが夢だった。
 ちょっぴり気弱で、不器用だけど、いざって時には私を全力で守ってくれる貴方は私の王子様だった。
 貴方はいつだって私の側にいた。愛してくれているとまではいわない、ただ友人として好かれてはいる、そう思っていた。そう信じていた。


 
 だけどそれは違った。大間違いだった。貴方は私を嫌っていた。大嫌いだった。



 
 本物のお姫様にはなれなくても、せめて貴方にとってのお姫様でありたかった。もう叶わない夢だけれど。
 
 こんな惨めな姿じゃ、お姫様はおろか王子様にだってなれっこない。無理矢理作り上げた私の"王子様"としての仮面は剥がれてしまって、もうボロボロだ。

 
 だけど貴方は優しいから。いつだって、誰にだって優しいから。
 きっとこんな私にさえ、手を差し伸べてくれるのだろう。今だって身勝手にも逃げ出した私を追いかけてきてくれている。本当は大嫌いであるはずの私にでさえ。



 あぁ、それはなんて残酷なことなんだろう。私は貴方の怖いくらいの優しさが恐ろしい。いつかそれが貴方を狂わして、壊してしまうんじゃないかって。そう思うと怖くて怖くてたまらなくなる。


 
 貴方は捕らわれている。私達に。貴方自身のその優しさに。




 お姫様になれず、王子様にもなりきれなかった私が貴方の為に出来ることはなんだろう。行き着く先は一体何処だというのだろう。
 逃げながら、考えて、考えて、考えて、考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて────────そして、決めた。




 
(白夜、大嫌いな私の言葉、ちょっとの間でいいから、聞いてね)







 
 私は、愛鹿社は、この物語の"悪役"になる。






 
「ねぇ、白夜」






 
 貴方に自由になってもらう為に。
 私は貴方を解放する。








 
「────私、もう貴方がいなくても大丈夫みたい」
 


 ∮

 
 先程まで逃げていた彼女が足を止めた。

 
 何か理由があるのか、それとも単に疲れてしまったからか。それは分からないけれど、これはチャンスだ。オレは最後の力を振り絞って足を踏み出す。一歩、二歩、三歩。足がもつれて転びそうになり、不恰好になりながらも前へ進む。ぼやけていた彼女の輪郭が進めば進むほどにはっきりと形になっていく。この位置までくれば、オレの声は、彼女に届いてくれるだろうか。どうか届いてほしい。届いてくれ。オレは彼女の名前を呼んだ。社。オレは、神並白夜は、君のことが、愛鹿社のことが。


 
「やし、ろ」

 

 オレの呼び掛けで彼女が振り向き、彼女の瞳がオレを捉える。一瞬哀しげに揺れる瞳は、次の瞬間には何か決意したようなそんなものに変わっていた。


 
 オレが何かを言う前に彼女の口が素早く開き、オレの言葉をかき消す。



「ねぇ、白夜」



 
 投げかけられるのは。
 投げつけられたのは。
 信じられないような言葉。


 

 
「────私、もう貴方がいなくても大丈夫みたい」
「え……」



 
 否、分かっていた。
 彼女にはオレなんか必要ない。そう、だから"この言葉"はオレにふさわしい。そうか、ようやくその言葉を言われてしまうのか。哀しいけれど、いつか必ずそう言われてしまうことは分かっていた。だから、信じられないのはそれではない。
 


 
 信じられないのは。
 彼女が言うその言葉が"嘘"だったことだ。



 
「……だからね、白夜。もう私に関わらないで。邪魔だから」



 
 刺々しく彼女はオレにそう言う。
 彼女は明らかに嘘をついている。これで彼女は演技をしているつもりなのだろうか、だというのなら彼女は完全に動揺しているに違いない。本来の彼女の演技は、まさにその役そのもの真実さながらといった感じで見抜けるようなものではないのだ。こんな嘘ではオレはおろか素人ですら騙すことは出来はしない。


 
「……嘘、だよね。それ」
「嘘じゃない」
「…………それこそ嘘だよ。社ちゃんは、嘘をついてる。社ちゃんが嘘をついてるなら、オレに分からないはずがない」


 
 ずっと一緒にいた。
 ずっと彼女を見ていた。
 だからこそ彼女の"嘘"は、"本当"は、絶対に分かる。



 
「……"本当"のことを、言ってよ」
「………………"本当"、ね」
「…………」
「……本当に…………本当に、伝わってほしいことは何も伝わらないのに。白夜は、変なところで鋭いよね。昔から」



 
 暫くの間の後、そう言って彼女は苦笑いする。表情は歪んだような笑顔だったけれど、今度の言葉は嘘を吐いてるようには聞こえない。無理な演技を止めて、今の彼女はありのままの彼女のように見える。


 おかしな笑顔のまま、彼女は続ける。それは、オレの求めていた"本当"のことだった。けしてオレにとって嬉しい内容ではなかったけれど。


 
「……さっき言ったのは、確かに嘘だよ。でもね、私達やっぱり距離を置くべきだと思うの」
「…………」
「っていうか、白夜が"新しい自分"になって、変わっていってたのを、私が邪魔しちゃったんだよね。……白夜は私から離れたかったのに」
「それは──」


 
 違う、と言いたかった。
 でもオレが社から離れたかったことは事実だ。だからはっきりと彼女の言葉を否定することはできない。
 オレは社から離れたかった。だけどそれは社が嫌いだからとか、社のせいとかではなくて、オレの問題だ。社が邪魔だったとかそんな訳がない。今も昔もオレにとって社は光のような存在なのだ。眩しくて、ほんのり温かくて、側にいるとオレの心もキラキラして。


 
 だからこそ離れたかった。
 相応しくない、と感じてしまったから。
 社のせいじゃない。全部オレのせいだ。



 
 社が好きだ。社のことが大好きだ。



 
 そう胸を張って言えたなら、言えるような自分なら、どれほど良かっただろう。


 
 「────それは社ちゃんのせいじゃない。オレの問題だから……だから、だからえっと……」

 
 口が、頭が、上手く回らない。彼女の視線が痛い。目を合わせられない。心臓が五月蝿い。声が震える。泣きそうだ。上手く言おうとすればするほど頭がぐるぐるして何も分からなくなる。いつもそうだ。大事な時にオレはいつだって上手くできない。


 
 何処まで行っても、変わらない、変われない自分が心底憎らしい。こんな自分が嫌だ。嫌いだ。消えてしまいたい。
 そんな感情が自分の中に濁流のように満ちて、溢れて、涙となって零れていく。 

 
 
「…………おねがい、だから……逃げ、ないで。やしろちゃん……」



 
 辛うじて、そんな言葉だけが嗚咽と共に口から出る。



 
 巫山戯たことを言っているのは分かっている。初めに彼女から逃げたのは自分だ。今更何を言うのだろう。でもこれが本音だった。逃げていく、自分から離れていく彼女を見た瞬間、自覚した。側にいさせてほしいなんて大層なことを願っているわけじゃない。ただ突き放すことだけは止めてほしかった。壁一枚挟んだ世界の向こうでもいいから彼女の存在をオレは感じていたいのだ。
 



「…………」




 長い、永い静寂。





 
 逃げないで、そう言ったオレをじっと見つめる彼女。
 どんな気持ちで、どんな顔をしているかは分からない。
 顔をあげることなんて出来るはずがない。
 ただただ嗚咽を溢しながら、俯き、オレは待ち続けた。彼女の言葉を。




 
 ∮



 優しいものが、とても怖くて。




 
 けれども"本当"に向き合う勇気もなくて。




 
 意気地無しの私達はいつも優しい嘘に逃げてしまう。





 けれども。




 
 いつかは夢から覚めるように。




 
 私達も"本当"を見なきゃいけないの?





 

 それなら私は一生眠ったままでいい。





 
 二度と目覚めないように、もう誰も起こさないで。


 
 ∮




 いつまでも続くかと思われた静寂は突然終わりを告げた。



 
 
「……白夜はさ、優しいよね。本当に」




 
 
 淡々と彼女は言う。
 息を吸うこともなく、ぽつりとまるで息するみたいに、零れるみたいに、一人言みたいに、淡々と。
 怖いくらいに抑揚はない。













 
「私なんかに同情しなくていいのに気を使わなくたっていいのに」


 

「本当に、本当に本当に本当に嫌になっちゃうくらい優しいんだから」


 
 
「でもさ」




 
「それじゃ白夜が壊れちゃうよ」



 

「そんな"泣くほど無理して"嘘なんかつかなくたっていいんだよ、別に」




 

「本当に、本当に本当に」





 



「本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に」












 
 ────白夜は優しいんだから。
















 異変を感じて、ようやく顔を上げれば、いつの間に持っていたのか彼女はぎらりと鈍色に光る鋏をどくどくと脈打っているだろう首元に沿えていて。









 
 そうして、この世の誰よりも美しく笑った。














 
  「あなたを解放してあげる」















 『お前を、解放してあげる』
『君を解放してあげる』

 
 その言葉がかつての二人の言葉と重なって、オレは反射的に彼女に飛びかかった。






 
 なんとか身体全体で彼女の身体を押さえ込むけれど、腕の中で暴れる彼女の力は強い。少しでも気を抜いたら、彼女はきっとその手に持ったモノで彼女自身の首をかっ切るだろう。オレは死にもの狂いで彼女を押さえた。オレはどうなったっていい。でもどうか彼女だけは。彼女の命だけは。奪わせない。誰にも。それが彼女自身であってさえも。



 
(どうすればいい?)



 彼女は鋏をしっかりと握り込んでいて絶対にそれを離そうとしない。言葉での説得も無理だ。彼女は狂乱している。今はまだ押さえ込めているけれど、じきに体力の限界が来る。食事もまともに取れず弱りきっているオレと、きっと今でも演劇の為に稽古を続けてる彼女。どちらの体力が上回っているか。それは明らかだった。



 ならばどうすればいい?



 時間がない。
 手っ取り早く彼女の持っているモノを無力化するためには。








 

 どうすれば。










 
 どうすれば。













 
「…………」








 あぁ。








 

 こうすれば。












 
 彼女の腕を強く引き寄せて、オレは迷いなく彼女の持つ鋏を自分の脇腹に深く突き刺した。

 
 絶対に彼女が抜けないように、深く深く。



「────っツ!!」


 死ぬほど痛い。悲鳴すらあげれないくらい痛い。
 そりゃそうだ。死んでもいいつもりでやったのだから。痛いに決まってる。何回やったって慣れるものじゃない。刺したところから血がどくどくと溢れて、身体の中から血がなくなっていく感覚がする。最早自立して立つことすら出来なくなるくらい血が減ってしまったのか、糸の切れたマリオネットのように倒れる。地面にそのまま頭をぶつけたけれど、脇腹が痛すぎて頭の痛みは分からなかった。




「……??……???」



 
 突飛な行動をとったオレに彼女は完全に呆気に取られたらしく、目を見開いて声も出せずに座り込んで震えながらこっちを見ている。どうやら腰が抜けてしまったらしい。
 良かった。これでも暴れられて、自殺を謀られたら、もうどうしようもなかったから。






 
 だんだんと景色が霞んできた。あんなに外は寒かったのに、走ってるときは熱かったのに、もう何も感じない。全身の感覚がだんだんと鈍くなっていく。刺されたところも、もう痛くはない。






「────馬場ッ!!」
「馬場君!?」
「……満月、クン」
「馬場さんッ!!」
「…………!!」
「うそ、だろ……!?」





 
 尾田君や菜種さん達もオレを追いかけてきてくれてたらしい。倒れ込んだオレの姿を見て、皆の表情が絶望的なものに変わる。あぁそんな顔しないでいいのに。皆の悲しい顔は見たくない。嬉しい顔が一番だ。笑ってくれまでとはいわないけど、悲しい顔なんかよしてくれ。


 

 
 あぁ振り返ってみれば。
 文化祭の時の皆の笑顔、あれは本当に良かったなぁ。皆楽しそうで。幸せそうで。ヒナだってあんなに笑ってて。

 あんな風に大切な人達と一緒にまた演劇が出来るなんて思ってなかった。

 沢山の人々を演劇の力で笑顔にすることができるなんて。




 


 
 「……本当に、本当に、楽しかった、なぁ」




 
 皆の心配そうな顔が目の前にある。何か言っているようだけど上手く聞こえない。もう大分身体が限界らしい。


 
(……こんなに心配してくれるんだなぁ、皆。"馬場満月"のこと)



 
 どうせ聞こえないなら、まだ喋れる内に彼らに何か言っておこう。これが最後かもしれないし。



 
「……ほんとうの、おれで、みんな、と、すごしたかった、いっしょに、わらいたかった」



 
 心のずっと底に封じ込んでいた願い。


 
「もし、もういちど、あえるなら、おれを……うけいれてくれ、ますか、ともだちに、なって、くれますか?」
 




 
 これが、正直な、馬場満月でもなんでもない神並白夜の本当の気持ち。願い。



 
 何か返事してくれているようだけど、やっぱり何も聞こえない。それでいい。返事なんか聞きたくない。



 目を開けていることも億劫になって、ゆっくりと目を閉じる。





 
 きっと何もかも足りないはずなのに、オレの心は何故だか幸せに満ちていた。
 


***********************
第八話【既知の道】→【未知の基地】



 見覚えのある通りを歩いていた。だけども俺は此処を知らない。
 家だと教えられた場所は、何故だかピンとこなくて。
 何かがおかしい?俺は何かを忘れている?
 夢のような、現実のようなこの世界で俺は今日も生きている。

 


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