複雑・ファジー小説

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当たる馬には鹿が足りない【更新停止】
日時: 2019/04/09 23:57
名前: 羅知 (ID: miRX51tZ)

こんにちは、初めまして。羅知と言うものです。
普段はシリアス板に生息していますが、名前を変えてここでは書かせて頂きます。

注意
・過激な描写あり
・定期更新でない
・ちょっと特殊嗜好のキャラがいる(注意とページの一番上に載せます)
・↑以上のことを踏まえた上でどうぞ。

当て馬体質の主人公と、そんな彼の周りの人間達が、主人公の事を語っていく物語。




【報告】
コメディライト板で、『当たる馬には鹿が足りない』のスピンオフ『天から授けられし彩を笑え!!』を掲載しています。
髪の毛と名前が色にまつわる彼らの過去のお話になっております。
こちらと同じく、あちらも不定期更新にはなりますが宜しくお願いします。



一気読み用
>>1-


分割して読む用

>>1-15
>>16-30
>>31-45
>>46-60
>>61-75
>>76-90
>>91-115

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.97 )
日時: 2018/06/17 23:17
名前: 羅知 (ID: m3TMUfpp)


 ∮

 オレが教室から出ていったのが、四時間目も半ば過ぎた頃。オレが戻ってきたとき、既に教室は約束の昼休みの時間になっていた。少し皆と顔を合わせるのを気まずく思いながら、後ろのドアからそっと入ると、それまでざわついていた皆が一斉にこっちを見て、黙った。
 
「…………あの、皆」
 
 何か言わなければいけない気がして口を開いたけれど、上手く言葉が出てこない。皆の視線が苦しい。哀しげな、煮詰めた蒼のようなそんな目だ。責められている訳でも、怒られている訳でもないのに、その瞳で見られていると息が苦しくなる。皆だって哀しいのだ。苦しいのだ。そんな感情を抑えて彼らは"日常"を演じていたのだ。オレが勘違いをして怒っていたことは皆にも伝わっているだろう。今すぐにでもオレは彼らに謝りたかった。皆の説明もろくに聞かず、勝手に怒って、彼らのことを誤解した自分の行動を詫びたかった。なのに何故だろう、声に出そうとすると唇が震えて上手く喋れない。
 
「…………ごめん」

 かろうじて、そんな言葉が口に出たが、自分の言いたいことはもっと沢山あるような気がした。オレは何を言おうとしているのだろう。誤解に対しての謝罪?無視を貫く彼らへの労い?色んな憶測が頭の中を巡るが、そのどれもが纏まりがなく、泡沫に頭の中で浮かんでは消えていく。

 
「ケート」

 
 何も言えないまま、ドアの所で立ち尽くすオレを優しく呼ぶ声がした。オレの誰よりも大切な人────シーナの声だった。
 

「……大丈夫だよ。分かってるから」


 あんな態度を取られたというのにシーナはオレに向かって怒ることもなく、ただ悲しげに笑ってそう言った。その言葉にクラスの皆も同調して、こくりと頷く。教室のあちらこちらから声が聞こえる。
 
「……お前は知らなかったんだ、仕方ない」
「人の為にあんなに怒れるのが、ケート君だもんね」
「馬場から話、聞いたんだろう?……辛いよな。俺達も辛い」
「でも……馬場の方が今もっと辛いはずだからさ」
「だからね、私達待とうと思ったの。馬場君がまた元気に笑えるまで、待とうって」
「アイツが元気になったらパーティーするんだ!復活パーティー!」
「勿論……濃尾君も一緒にね」
 
 煮詰まった蒼の奥に仄かな光が見えたような、そんな気がした。ここにいる誰もが馬場満月のことを想っていた。無理矢理作った笑顔の裏で、またアイツと本当に笑い合えることを願っていた。皆がアイツが大好きだった。アイツの作っていた"世界"が大好きだった。アイツ自身もきっと好きだったのだろう。"馬場満月"の世界が。"馬場満月"として振る舞って、皆が笑ってくれる世界が。

『……"馬場満月"、じゃないと。俺は』

 本当にそうだろうか。
 ここにいる皆は本当にアイツのいう"馬場満月"だけを気に入ってるのだろうか。驚異の当て馬で、馬鹿みたいに明るくて、光輝いていたアイツを。いつもニコニコ笑っていたアイツを。
 オレは違うと思った。否、それだけじゃないと思った。オレ達は確かに明るいアイツが好きだった。だけどそれと同時に明るく笑おうとする、皆を笑わせようとするアイツが好きだったのだ。人の為に倒れるまで脚本を書き上げたり、良い劇を作る為に死ぬほど真剣になったり、オレ達の言葉で涙を流していたアイツのことが。


 
 馬場満月の内側にいる"誰か"のことが。


 
(そこらへん……分かってるのかよ。"馬場"……)



 人の感情の機微を読み取るのは得意なくせに、自分に向けられる好意を受け入れるのが死ぬほど下手くそだったアイツはきっと気付いてないんだろう。"自分"がこれほど愛されてることなんて。アイツみたいな鈍感野郎には、言葉にして、行動に表して伝えないと、伝わらないのだ。


 アイツが元気になったら、濃尾日向もまた学校に来れるようになったら、はっきり言ってやろう。大好きだって。アイツが振り撒いていた愛の分だけぶつけてやろう。
 

 
 オレは、そう心に決めた。

 
 ∮

 
「……多分満月クン本人から聞いたと思うけど、そういうコトなんだ……ずっとこうしてる訳にはいかないけど、さ……満月クンがもう少し落ち着くまではほっといてあげよう、ってクラスの皆で決めたんだ」

 お弁当のウインナーをつつきながら、シーナはそうオレに説明した。 オレが帰ってくるまでシーナは弁当に手を付けていなかったらしい。彼のお弁当の中身はまだおかずでいっぱいだった。未だ弁当を一口も食べていないオレだったけれど、シーナのその優しさでお腹は満たされなくても胸いっぱいだ。

「馬場は……ずっとこうなのかな」
「分かんない…。日向クンがあんな風になっちゃって、ボク達も凄くショックだったけど、親友だった満月クンのショックは絶対ボク達以上だったはず……日に日に悪くなってるんだ。あんな風に取り乱す回数が、日が経つごとに増えてってさ……」



 
 そこまで聞いて、オレは"ある違和感"を感じた。
 

 
「…えっと、シーナ。紅先生は───」
「紅先生?……そうだね。紅先生がいれば満月クンも相談できたかもしれない……冬休みが明けたと思ったら異動してたんだもん……びっくりしたよ……」


 
 その言葉でオレは、その違和感が気のせいではないと確信した。もしかしてシーナは馬場の悩んでいる本当の理由を知らないのだろうか。それどころか紅先生が死亡したという事実すら知らないように見える。いや、まだそもそも"紅先生が死んだ"ということすら事実なのかどうかすらオレには分からないけれど、少なくとも馬場はあの言葉を一定の確信を持って言っていたはずだ。実際に紅先生は、この冬休みが明けた直後から学校に来ていない。冬休みに突然異動だなんて妙だ。馬場の"死んでしまった"という言葉には十分な説得力がある。だからといってオレは椎名の言葉が嘘だとも思えなかった。何はともあれ、これだけの情報じゃ結論がつけれるはずもない。オレは続けてシーナに聞いた。

「シーナ……紅先生が今どこの学校に異動したか分かる?」
「……うーん、ボクもよく分かんないんだよね。本当に突然のことだったから………あ、でも」


 そこまで話して、シーナはポンと手を叩いて思い出したように言う。



「今の臨時の担任の……海原蒼先生なら知ってるかもッ!ほら、朝いたでしょ、青い髪の美人の先生。あの人紅先生の受け継ぎとして、ここに来たみたいだからさ…」


 
 ∮



 というわけで。


 
「それで、尾田君。…………アタシに何か聞きたいことがあるって聞いたのだけど、何だったかしら?」


 オレは早速その日の放課後に海原先生に話を聞くことにした。帰りのSTの時間に急いで約束を取り付けたので、今日中に約束を受け入れてもらえるか不安だったが、先生は二つ返事で快く受け入れてくれた。これはオレの考えすぎかもしれないが、もしかしたら先生はオレが今日質問してくることを分かっていたのかもしれない。

 場所は、今では懐かしい紅先生に馬場のことを相談した部屋だ。掃除があまりされていないのだろうか。あの時よりも少し埃っぽくなったような気がする。

 
「……前任の、紅先生のことについて」


 オレの言葉を聞いて、先生の肩がぴくりと震えた。やっぱり先生は何かを知ってるのだろうか。今は何でも良い。情報が欲しい。オレは情報が手に入るかもしれないと生唾を飲み込んで、先生の返事を待った。

 
「……その様子じゃ、もう馬場君から色々聞いてるんでしょ。じゃあ隠しても無駄ね……」

 
 少しが間が空いて、先生は大きく溜め息を吐いた。そして困ったように笑って、そう言った。意味深な先生の言葉に、オレはじれったくなって思わず一番聞きたかったことを聞いてしまう。

 
「……紅先生は、本当に死んでしまったんですか」


 あまりにも単刀直入すぎるオレの言葉に軽く目を見開きはしたものの、先生は大して驚かずに笑ったままの顔でオレの質問に答える。


 
「……正直なことを言えば、"分からない"わ。それはアタシ"達"にも」
「え?」



 "分からない"?分からない、とはどういうことだろう。普通答えは、生きているか死んでいるかのどちらか一つだ。何かを知っているはずの先生が分からないとは、どういうことだろう。もしかして何か知っていると思ったのはオレの勘違いで、先生は何も知らないのだろうか。





「アタシの"分からない"は"、尾田君のとは違って"知らない"ってことじゃないわ。本当にどっちだか"分からない"のよ」
「…………」
「色々あってアタシと紅は知り合いでね。そのツテでアタシはここに来たんだけど……アタシね代わりなのよ。本当は来年ここに来る人の。だけど紅と色々あってその人は"死んじゃった"」



 ぺらぺらと海原先生は話す。オレには、とてもじゃないけど受け止めきれない色々な情報を所々に混ぜながら、軽い調子で話す。



 人が、死んだ?そんなのに紅先生が関わっている?







 
「まぁ紅の残したモノを見る限り、死んでも仕方のないような奴みたいだったんだけど。……でもそういう奴ってタダじゃ死なないのよねぇ。死ぬときに紅も巻き込んだみたいで」



「……状況だけ見れば、二人とも九割九分九厘死んだとしか考えられない」



「……だけどね。アタシは知ってるのよ。アイツは一厘の奇跡を起こす男だって。今までだって一厘の可能性で生き残ってきた奴なんだって」




「…………だから、さあ。分かんないのよ。尾田君。アタシにも。紅が死んだか、死んでないかなんて。アタシが知りたいくらいよ、そんなの」


 





 海原先生は、そこまで話すとオレの瞳をじっと見つめた。困ったように笑ったまま、試すような目付きでオレを見ていた。



「……これがアタシの知ってる全部。アタシが言えることはこれ以上ない。で、尾田君どうするの?アタシの話を聞いて、どうするの?っていうかそもそも────」









 
 "普通に生きていた君に"
 











「─────この"事実"が受け止めきれるの?」


 

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.98 )
日時: 2018/07/09 19:40
名前: 羅知 (ID: 3MzAN97i)


 そう言われて、どきりとする。海の底の底から、そっと何かにこちらを覗きこまれたみたいだった。その言葉を放つ今の先生は、まるでオレ達とは別の世界の住人のようだ。先生とオレ達の間には決して途切れることのない長い長い水平線が広がっている。海の上と下。同じ世界に住んでいるはずなのに、海の上の人間はけして下で暮らすことは出来ない。下の人間も、また同じ。

 
 狭い狭い教室にいるはずのオレと先生の距離は、今とても離れている。

 
「……ね。分かったでしょ?尾田君。同じ人間でも、同じ世界に生きていたとしても、私達は──"違う"生き物なの。生きてきた環境も、考え方も、何もかも違う」
「…………」
「アタシと紅は"人が死んだ"って聞いても、別にどうだっていいわ。そういう"世界"で生きてきたからね。理解できないでしょ?アタシ達のそんな考え方、覆そうって思える?思えないでしょ?……アタシ達と尾田君は全然"違う"───でも、そういう"溝"って案外どこにでもあるの」
「…………」
「尾田君達と、馬場君と濃尾君。勿論その間にだってある───大きな大きな"溝"がね」
「…………み、ぞ」
「うん、溝。……君はその"溝"を受け入れられる?大事な友達の為にその溝に落ちてもいい、って思える?」

 
 笑うのを止めた先生は、厳しい口調でオレにそう言った。君には何も出来ることはない。直接言われこそはしなかったものの、言葉の節々がそう伝えていた。オレと先生の間には、大人と子供という年の差以上の大きな溝がある。理解しがたい、埋められることなどけしてない、崖のような、そんな溝が。

(……先生は、オレに何とかしてもらおうと思って真実を話したんじゃない。オレを諦めさせようと思って……)

 先生の青い瞳は、濃く深い。じっと見ていると吸い込まれてしまいそうな気がして、オレは思わず目を反らした。先生の言う通り、こんなオレじゃ何も出来ることなんてないのだろう。オレが目を反らしたのを確認した先生は真面目な顔を崩して、優しく笑った。ただしその笑顔の持つ意味は、優しさなんかじゃない。現実を突き立てられて意気消沈したオレに対する、ただの同情だった。


 
「……ねぇ尾田君、貴方の事は紅から聞いてるわ。少し変わってるけど友達思いのとっても良い子だって。友達が二人大変な事になっちゃって心配なのも分かる。……でもね、君が進もうとしてる道は茨の道よ?二人を救えるかどうかも分からない。下手に深入りしたら、もう前みたいにはなれない。知らなければよかった、やらなければよかったって、後から後悔したって────もうどうにもならないの」




  
 先生は優しく、優しく、言う。

 


「──────だから、ここで全部忘れたことにしちゃってもいいのよ。何も知らないフリして、分からないフリして、見て見ぬフリしたって─────全然いいの。それは悪いことじゃないから」

 

 ∮



 
『もう何も見たくなんてなかった』
『限界だった』
『目の前の現実は勝てる見込みのない怪物のようだった』
『苦しい』
『疲れた』
『自分が悪いことは分かってるんだ』
『謝っても、謝っても、もう許されない』
『誰かを助けたかった』
『誰かに助けてほしかった』
『きっともう何も叶わないんだろう』
『やること為すこと全部裏目に出てしまう俺は』
『生きてる意味なんかあるのだろうか』
『生きたいのに死んで、死にたいのに生きるなんて』
『どちらにしたって』
『…………』
『……眠りたい、今はただ眠りたいだけ』


 
 ∮
 
「……オレには、まだ分からない。分からないっすよ、先生……」

 アタシの目を見ること出来ずに俯いたまま、尾田君はそう言った。黒々とした彼の目はきょろきょろと忙しなく動いていて落ち着かない。けれどもアタシの方を見ることは、けしてない。きっとそれが、アタシの問いに対する彼の答えそのものだろう。意地悪なことをしてしまった。だけど間違ったことをしたとは思わない。これがアタシが彼に与えることが出来る最適解だ。"現実をつきつけること"が、一番だったのだ。彼の友達を救いたいという熱意は本物だった。だからアタシもそれに見合うように誠意を持って応えた。それが彼にとってどれだけ酷なことだったとしてもアタシはそうしない訳にはいかなかった。
 尾田君は馬場君達を救いたい。その為に紅の死の真相について知りたい。今の尾田君にはあまりにも情報が少なすぎるのだ。だからこそ彼は馬場君達に関係するどんな情報だって知りたいのだろう。賢い行動だと思う。無知は罪だ。何も知らないまま何かを成し遂げようとすることは愚の骨頂だ。だけど彼は分かっていない。

 "知らない"からこそ、人は愚かにも自由に動けることを。
 一度でも"知ってしまった"ら、たちまちに動けなくなってしまう現実を。
 それでもなお行動することの過酷さを。




 現実は正攻法だけではやっていけない。馬鹿が天才に勝ってしまう奇跡なんて世の中には山ほどある。常識の通用しない奇跡という名の不条理なんてありふれている。

 
「そう。……迷ってるなら、迷ってればいいと思うわ。決めるのは全部尾田君だから」

 
 事実を聞いて、彼がどんな答えを出したとしても受け入れるつもりでいた。そしてすぐに答えが出せるはずがないのも分かっていた。アタシがそれを急かす権利なんてない。ただし時間はアタシ達を待ってなどくれない。迷ってる間に手遅れになってしまうことだってある。そのことをきっと尾田君だって理解している。だからこそ苦しいのだろう。どっちつかずの自分が。覚悟を決めることが出来ない自分が。アタシが尾田君と同じくらいの年だった頃。まだ幼くて、ただひたすらに、がむしゃらに、目の前のものに必死にしがみついて生きていた頃。あの頃のアタシもまた彼と同じように色んな選択を強いられては迷っていた。どちらかを選ぶということはどちらかを捨てるということで。我が儘なアタシはそのどちらもが欲しくて。





(…………そして何も選べず、何も救うことができなかった)





 決断は必ず自分自身しなくてはいけない。そうじゃなければいつか必ず後悔するから。



 目の前の未来ある少年に、自分のような後悔は絶対にしてほしくなかった。

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.99 )
日時: 2018/07/16 22:39
名前: 羅知 (ID: F1jZpOj6)

 ∮


 
 いつかの、夢を見た。


 
『お気の毒に』
 
 警察のおじさんは包帯だらけで白いベッドに横たわるオレを見て、そう言った。何がなんだか分からなくて、でも自分を可哀想な風に思われてることは何となく分かったので、その言葉を否定した。
 「違い、ます」「オレは、オレはそんな風に言われるような目に合ってません」「……」「もしかして、オレに、何か」そこまでオレが言ったところで、警察さんはオレの口の前に人差し指を立てた。『君は、混乱してるんだね』そして優しく笑った。『無理もない。それだけの目に合ったんだ』オレはその言葉に違和感を抱いた。そういえば何故自分は病院にいるのだろう。オレは普通に学校に通って、普通に、普通に生きてたはずなのに、なんで、なんでなんだっけ。それに何か変だ。オレが怪我をしてるなら、病院に行くような目に合うなら、側には必ずあの人がいるはずなのに。オレが大好きで、オレの大好きな、あの人が。何で、何で誰も来ないんだ。社も、セツナさんも、兄さん、も。
 
 
   『……事故────いや、事件の当時のこと、話してくれるかい』


 じ、こ? じけ、ん?


『…君と、君のお兄さん。そして愛鹿雪那。今、話を聞くことが出来る状態にあるのは君しかいない。他の二人はまだ───』

 
 なんだって?
 兄さんと、セツナさんがどうしたって?


『───君は、あの二人と比べて火傷の跡が少なかった。その代わりに頭に何処かでぶつけたみたいな傷があった。ねぇ、一体何が───』



 
 その瞬間オレは叫んでいた。


 
 聞きたくなかった。何も聞きたくなかった。何も"思い出したくなんて"なかった。だけどもう手遅れだった。塞いでいたはずの記憶の蓋は外れ、あの日の出来事が、記憶が、洪水みたいに次々と溢れてくる。叫んだって、耳を塞いだって意味はない。あの日の声、あの日の言葉、あの日の表情、全部全部全部覚えている。忘れようとしても、この頭に残った傷は、心に付けられた傷は、嫌でもオレにそのことを思い出させてしまう。


 
『─ごめ、んな。ずっと、ずっと縛り付けてて、ごめん。本当は分かってた。お前が嫌がってること、俺がおかしいこと』
『…兄、さん。オレ……は』
『いいんだ、分かってる。誤魔化さなくたっていいんだ、もう。大嫌いだろ、俺のことなんて。本当は。……やっと、やっと解放してやれる───俺の"執着"から、俺の"愛"から…………』


 そう言う兄さんの顔は煙に巻かれてよく見えなかった。兄さんの声は震えていた。オレは兄さんのそんな声を初めて聞いた。何か言わなければいけない気がした。何かを伝えなければいけない気がした。だけどそれを言葉にすることは出来なかった。身体が熱い。全身から汗が滝のように流れ出る。くらくらする。意識が遠のく。何も、考えられなくなる。オレは自分の死を予感した。

『白夜』

 兄さんに名前を呼ばれて、消えかけていた意識が戻る。何、そうオレが返事をする前に、兄さんは次の行動を取っていた。



 
『お前を、解放してあげる』


 
 一瞬の衝撃。
 途端に離れるオレと兄さんの距離。



 
 きっと兄さんを殺したのはオレで、オレを殺したのも兄さんだ。



 
 あの日、オレ達は互いを殺し合った。
 中身こそ正反対だけれど、同じ顔の、同じ血の流れる、仲の良い双子だったオレ達。



 
 どこから道を違えたのだろう。
 いつから間違えてしまっていたんだろう。



 
『……やりなお、さなきゃ』
『…………オレじゃ、駄目だ。オレは、何も、出来ないから……』
『今度こそ、今度こそ、誰も傷付けない……』
『オレは、俺は、オレは、俺は、俺は、俺は俺は俺は俺は俺は俺は!!』
 


 俺は、馬場満月だ。
 そうじゃなきゃいけないんだ。

 

 ∮


 結局、オレ、尾田慶斗は馬場満月を救うための"一歩"を踏み出せずにいる。

 
 馬場の様子は日に日に悪くなっているようだった。時間は馬場の心に負った傷を癒してはくれなかったらしい。頬は痩せこけ、目元には黒々とした隈が浮かんでいる。その姿はいつかの文化祭の脚本を書き上げた時の彼のようで、いや、あの時以上に酷い状態だ。
 クラスにいる時間も徐々に少なくなっていった。授業はほとんど受けられなくなった。それだけじゃない。人と話すことも極端に少なくなった。誰かと目を合わせて喋ることがなくなっていった。昼食の時間、何も食べようとしない馬場を心配して消化のいいゼリーを誰かがあげた。馬場は上手く笑えずに口元が妙に曲がったような表情をして、それを受け取った。ゆっくりと震える手で一口、一口ゆっくりとそれを口に流し込む。表向きは普通のクラスの装いながらも、クラス中がそんな馬場の様子を息を飲んで見つめていた。ゆっくりながらもゼリーの中身は順調に減っていった。ゼリーの中身は半分まで減った。このまま完食できるか──と誰もが思った時、馬場の手が止まった。うぐ、と変な声を上げて馬場は口元を両手で抑える。顔は苦渋を飲んだように歪み、そのまま教室の外に駆け出していく。「……ごめん」数分経って戻ってきた馬場は、濡れた口元をハンカチで拭いながらそう言った。哀しそうな眼をしてそう言った。オレ達は馬場にそんな顔をして欲しかった訳じゃない。でも結果的にオレ達は馬場を哀しませてしまったのだ。

(……何も出来ることはないのだろうか、オレ達には)
 
 ないのかもしれない。何をやったって無駄なのかもしれない。逆効果なのかもしれない。心の中のオレの一部分がそう囁く。

(じゃあ、オレ達は馬場が苦しんでるのをただ見ているしかないのか?オレ達が馬場を"助けたい"って思う気持ちは、ただのエゴなのか?)


 エゴなんかじゃない。そう信じたい。そう思いたいのに、オレの心の何処かがそのことを否定する。お前のやっていることは無駄なのだと、お前達が何かやったところでアイツが救われることなど一生ないのだと、そんな耳障りな言葉は日に日にオレの心で増殖し続け、"馬場を助けたい"──当初のそんな思いを少しずつ陰らせていった。

 
「それでも、それでもオレは……」

 
 最早それはただの意地だった。アイツを救いたい─だなんて善意な願いじゃない。アイツを救わなきゃいけない。アイツを救わなきゃ、アイツを救わなきゃ、もう───誰も救われない。脅迫的にオレ達はアイツを救うことに捕らわれていた。そしてオレ達のそんな願いとは裏腹に、馬場の瞳や心は光を失っていった。



 
 ∮



 オレ達の願いが歪に変質していくのと同時に、馬場とオレ達の世界には明確な"溝"が出来るようになった。
 
 
「なぁ」
「…………」
「なぁ、聞こえてる?」
「…………」
「?……もしかして、気付いてないのか?この至近距離で?」
「…………あ」
「……やっと気付いたのかよ」
「…………ごめん」


 馬場はオレ達の姿がたまに見えなくなるようになった。見えないだけじゃない、声も、匂いも、何もかも認知出来なくなるときさえあった。その時に話し掛けても馬場がオレ達を見ることはない。気付くことはない。身体を大きく揺すると流石に存在を認識することが出来るようだったが、逆に言えばそうまでしないとオレ達に気付けないのだ。馬場がそんな状態になってきていると気付いた時、オレ達は言葉を失った。"馬場の世界"にオレ達は存在することが出来なくなりつつある。馬場は、もしかしてオレ達なんていらなくなってしまったのだろうか。やっぱりオレ達のやってきたことは、無駄でしかなくて、むしろ馬場の負担でしかなかったのだろうか。

 きっと"馬場がオレ達を見えない"からだけじゃない、オレ達のそんな気持ちが、あの時の馬場とオレ達の間に大きな溝を生んでいたのだろう。



 
 色んな意味で隔たりつつあったオレ達と馬場は、ある日を境に完全に世界を別つことになる。

 そして、その日はやってくる。

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.100 )
日時: 2018/08/14 11:06
名前: 羅知 (ID: f2zlL8Mb)


『ねぇ、どうして』
 ねぇ、どうして。
 
『どうして助けたりなんてしたの』
 どうして泣いているの。哀しそうな顔をしているの。
 
『……"馬場満月"はそんなことしないだろ』
 僕のせい。……そうか、僕のせいで君はそんな顔に。
 
『僕達はヒナとユキだった。だけど馬場と濃尾がいなくなる訳じゃない』
 やっぱりはユキは優しすぎるんだ。こんなになっても、僕の汚い所全部知ってても、それでも僕をヒナだっていうなんて。
 
『……馬場は、今でもヒナを見てるんだね』
 覚えてくれてたんだね、ありがとう。あの時のこと忘れないでくれたんだね。
 
『…………あの頃のヒナはいない。いるけど、いない。もうどこにもいない。消えてしまった、汚れて、溶けて、どろどろになって』
 そうだ、いない。どこにもいない。君と仲良くしていた、君の好きだったヒナはもういない。残ってるのは汚ならしい僕だけだ。
 
『ねぇ、死にたいよ』
 本当だよ。
 
『どうして、どうしてなの。どうして助けたりなんてしたんだよ。馬場なら分かったはずだよね』
 優しすぎるからだよね。ごめわね。本当にごめん。君は優しすぎるから……大丈夫。ちゃんと嫌えるように、引導を渡すから。
 
『……今の僕が最低で最悪な人間だって』
 君がそのことを認められられるように。
 
『ヒナじゃないんだよ、僕は。僕は……"僕"だ。ただの濃尾日向だ。馬場満月の"親友"で───そして君の大嫌いだった濃尾日向だ』
 楽しかったよ。大好きだったよ。ごめんね、ごめんねごめんねごめんね。本当にごめんなさい。泣かないで。そんな顔して泣かないでよ、ねぇ。
 
『嫌えよ、僕を』
 お願い、嫌いになってくれ。僕なんか好きになる価値なんてない。嫌われるべき人間なんだから。

『……失望した。二度と顔も見たくない。どこか遠くに行ってくれ。もう二度と逢わないように』
 合わせる顔がないんだ。こんな自分に失望しっぱなしなんだ。僕のことなんか忘れて、君は僕のいない世界で幸せに生きてくれ。もう二度と逢わないように。

『……ばいばい』
 ……ばいばい、僕の親友。

 
 ∮


 
 あぁ苦しい。
 水の中にいるような、そんな気分だった。勿論ぶくぶく泡の音も聞こえないし、そこら中を泳ぐ魚だっていやしない。けれども今の自分はまるで水の中で溺れてるみたいだ。ここは確かに地上のはずなのに、息を吸ったり吐いたりするのが上手く出来ない。酸素が足りない。頭がくらくらする。誰かに助けを呼ぼうとも、水の中ではただただ口から泡が出るだけで何も届かない。むしろ出した分だけ色んなものが減ってしまって余計苦しくなった。苦しくて、苦しくて。胸をぎゅっと掴む。まだ、とくとくと自分の心臓は静かに音をたてていた。そんな自分に違和感を覚える。どうしてまだ俺は生き続けているんだろう。こんなにも苦しいのに、どうして俺の心臓は止まってくれないのだろう。

 
 眼を開けた。



 
 何もなかった。
 
 誰もいなかった。
 
 何も残っていなかった。
 
 前にも、後ろにも、何も、何も何も何も何も何も。



 
 俺には何もなかった。



 
 何もない俺は一体何のために生きていたのだろう。生きてきたのだろう。

 
 涙が出てくる。
 

 
 涙すら、塩辛い透明の中で溶けて消えていく。



 上を見上げれば、海面が太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。

 

  それは救いのように思えた。


 
 俺はそれを掴もうと手を伸ばし──────そして、ゆっくりと下ろした。



 海の上は、きっととても良い場所なのだろう。暖かくて、騒がしさが妙に心地よくて、キラキラしてて、寂しくなくて。俺みたいなどうしようもない奴でもきっと受け入れられて、そして幸せになれるに違いない。光は痛いくらいに眩しく、俺なんか一瞬で飲み込めそうだった。

 
 だからこそ俺は、それを絶対に手にしてはいけないと思った。

 
 甘んじてはいけないと思った。そんな簡単に許されてはいけないと思った。例え他の誰かが許してくれたとしても、俺だけは、俺自身を許してはいけないと思った。生きている意味も分からないこの俺が、生きている意義も見出だせないこの俺が、のうのうと幸せになって生きるなんて絶対に許されてはいけないことだ。



 
 
 俺は眼を閉じる。



 
 苦しい。悲しい。寂しい。ぐるぐるとそんな感情が頭の中で蠢いている。涙は止まらず、口からは泡が零れ、悲しみも苦しみも終わることを知らない。

 
 まだ心臓はとくとくと音をたてている。俺は早くこの音が止んでしまうことを心の底から強く願った。

 


 
 終業式。その日は終業式だった。まぁだからといって何かある訳がない。通知表やら何やら色々なものを返されて、何の感慨も沸くことなく、何事もなく、その日は普通に終わろうとしていた。

 
 STが終わり、先生が明日の連絡を話し終わるまでと黙っていた生徒達も口々に喋り始める。静かだった教室はあっという間に騒がしくなった。仲の良かったクラスメイトと二年生になっても同じクラスになれるといいね、とかそういったことを話しているようだ。それに便乗するかのように、痛いくらいに冷たい風がぴゅうぴゅうと若干空いている窓から入り込む。そのあまりの寒さに身体がぶるりと震え、そそくさと私は──菜種知は自前の橙色のマフラーを手にする。季節はもう三月の上旬を迎えていた。冬は終わり、もうすぐ季節は春へと変わる。そうだというのにどうしてこんなにも寒いのだろうか。去年よりも寒いだろう、これは───なんて受験生だった昨年の冬を思い返していると、ふと私以上に紺色のマフラーをぐるぐるに巻いてる男─馬場満月が目に入った。

(もこもこだ……)

 周りなんて目もくれず、馬場君はひたすらマフラーをもこもこになってしまうくらいに首にぐるぐると巻いている。よく見れば手もがちがちと震えているようだった。多分、寒がりなのだろう。多分。
 転校してきた当初より彼の髪は全体的に伸びて、目は隠れており、たまに覗くその目も仄暗く、以前より陰鬱としたイメージが強くなった彼の姿。太陽のように明るかった頃の彼の面影は今では微塵もない。無理もないと思う。あんなことがあったのだ────親友が自殺未遂だなんて並大抵の衝撃じゃなかったはずだ。ショックを受けて、性格が一変してしまっても仕方のないことだと思う。私も入院生活から復帰して、そのことを他の皆から聞いたとき、世界がぐらりと揺らいだような衝撃を受けた。まさか。だって彼は。そんなことするような人じゃ。

 しかし事実は事実に変わりない。

 私の場合その実感は馬場君の尋常ではない様子を見て沸いた────自分よりパニックな人を見ていると落ち着くという話はどうやら本当らしい。きっと他の人もそうだったのだろう。クラスメイトが一人自殺未遂を起こしたクラスにしては私達は落ち着きすぎていた。異常な程に。


 ∮

 
「……満月の気持ちは俺もよく分かる。俺だって……もしトモがまだ目覚めてなかったら……満月の立場が俺で、濃尾の立場がトモなら……とても正気じゃいられてなかった」

 これは私が学校に復帰して、一日目の帰り道でのガノフ君の言葉だ。今日は一緒に帰らないか、意味深な面持ちで彼は言った。私はそれにこくりと頷きで返した。何だかやけに胸がどきどきしてしまって、体が、頬が熱くなってしまって、手に汗が滲む。

「お前が───菜種知のことが、俺は好きだ。出来れば恋人になりたいと思っている」

 歩く足が止まった。愚かな程に真っ直ぐに伝えられる告白の言葉。汗に滲んだ手をぎゅっと力強く握られて、そのまま私の手がガノフ君の顔の前に持っていかれる。ばくばくと煩いくらいに鳴り響く胸の音。重なる、音。私か、彼か。どちらがどちらの音なのかも分からないくらいに、混じりあう音と音。

「トモは……俺のこと、どう思ってる?」
 
 返事をしようと思ったけれど、胸が痛くて、苦しくて。それでもやっぱりこの想いを伝えようと思って、掴まれてない方の手で自分の胸のあたりをぎゅっと押さえて、勇気を出して口を開く。

 
「私も……私も、好きです。大好きです。ガノフ君のこと……これは、本当です。嘘なんて、つきません。嘘なわけないです……」

 
 かろうじて、そんな台詞が言葉になった。私の言葉を聞いた目を見開いて、まるで時が止まってしまったみたいに私の顔を見ている。すぐに分かった。彼は私の言葉を信じてくれてないのだ。日頃嘘ばかりついてたのが仇になった。狼少年ならぬ狼少女って奴だ。私は後悔した。恥ずかしい、あんなに緊張して答えたのに、もう一回言わないといけないなんて。


 
 身体中が、熱くなる。
 それでも、それでも伝えたいから、息を大きく吸った。


 
「…だ、だから!ガノフ君のことが好き!大好き!嘘じゃない……本当に、本当。信じ─────!」


 
 ちゅっ。


 
 「───へ?」

 
 最初、理解が追い付かなかった。私は今何をされたのだろうと思った。ぐるぐる、ぐるぐる。上手く頭が回らない。結局、私が"私の掌にガノフ君が口づけをした"のだという事実に辿り着くまでに二分を用いた。理解できても、受け止めきれない。私はまるで機械になってしまったみたいに首をぎぎぎぎ、がががが、と動かして、ガノフ君の方を見た。彼は一体どんな気持ちで、これをしたのだろう。
 

 彼と、目が合う。



 
「…………」
「…………」
「……ありがとう、トモ」


 
 彼は微笑んだ。
 ふにゃりと、今まで見たことのないくらい幸せそうな顔をして。

 
「…………」
「…………トモ?」
「…………」
「……なぁ、トモ」
「…………」
「……おーい?」



 こんな恥ずかしさ、耐えきれない。

 色々限界になった私の脳内は、そこで考えるのを放棄した。身体中が熱い。特に顔が熱い。きっと今の私の顔は林檎みたいに真っ赤なんだろう。今なら身体中から溢れるこの熱でお湯を沸かせそうな気がする。あぁ幸せだ。幸せで、幸せで仕方ない。

 
(嘘も、本当も、どうだっていい…………)


 
 あまりにも幸せすぎて涙がぽろぽろと溢れる。そんな私を見て、ガノフ君が慌てている。もう、何もかもが幸せだった。
 
 私は今、世界一幸せだった。そう思えてしまうくらいに。


 
 ∮

 

 大好きな人と両思いになれる、ってことは凄く幸せなことだと思う。だからこそ私達は大好きな人を失ったとき壊れてしまうくらいに苦しいのだ。忘れてしまいたくなるくらいに苦しいのだ。

(私達が、馬場君に出来ることって、なんだろう)

 虚ろな目をして毎日を過ごしている彼を見ていると、彼の憂いはどんなことをしたって取り除くことなんて出来やしないんじゃないか───そんな弱気なことを考えてしまう。

 そんなんじゃ駄目だ。絶対に。確かに彼の負った傷は深くて、治る余地なんかないかもしれない。だけど、だけど諦めるのだけは絶対にしちゃいけないと思った。二年生になったら私達はクラスがばらばらになるだろう。でもだからってこのクラスで起こったことがなくなる訳じゃない。馬場君と、濃尾君と、皆で過ごしたあの日々が偽りな訳がないのだ。なくなるはず、ないのだ。

(馬場君も、濃尾君も…………二人とも救うんだ。もう一度このクラスの皆で笑い合うために)


 今日は終業式。
 一年生であった私達は終わって、二年生の私達がまた始まる。

 だけどこのままじゃ終わらせない。
 こんな悲しいまま、苦しいまま、終わらせていいはずがない。私達の一年B組を、こんな風に終わらせちゃいけないんだ。


「ねぇ」


 
 私は馬場君に話しかけた。
 もこもこのマフラーを着けた彼が不思議そうに私の方を見る。


 


「"私達"と、今日一緒に帰りませんか?」





 彼の目が見開いて────そして、ゆっくりと首が縦にふられた。

 

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.101 )
日時: 2018/10/08 23:43
名前: 羅知 (ID: PSM/zF.z)

 ∮

 最後だから。
 これで一年生として皆で過ごすのは最後になるから。だから、しっかりと話をしたかった。馬場君や濃尾君と強く関わりのあったこのメンバーで、落ち着いて、ゆっくりと話してみたかった。

 馬場君も、もしかしてそう思っていたのだろうか。思ってくれていたのだろうか。私達としっかりと話したいと、そう思ってくれたのだろうか。だから頷いてくれたのだろうか。

 だとしたらそれは嬉しいことだと思った。
 馬場君が私達と話したいと思ってくれている限りは、馬場君はまだ救われる、そんな気がしたから。

 
 ∮

 
 現在、私達は馬場君、尾田君、葵、雪さん、小鳥さん、ガノフ君の総勢七名で終業式後の時間を過ごしている。場所は学校から離れた人気のあまりないカフェ。人こそいないが雰囲気をはなかなか良い。落ち着いて話をしたかった私達にとっては都合のいい場所だった。
 元々私は馬場君、濃尾君と仲の良かった、雪さん、小鳥さんを除いた五人で帰る予定だったのだけれど、雪さんと小鳥さんの強い希望によって、彼女達も一緒に帰ることとなった。
 
「……満月君と話したいんだよ。忘れちゃいけないことを思い出すために」
「……あやつには、まぁ世話になっておったからな。菓子の礼じゃ。……それに話したいこともあるからの」

 そういえば雪さんは濃尾君と馬場君によくお菓子を貰っていた。他人にあまり関心のあるようには見えない彼女でも一応恩は感じていたらしい。失礼だけど少し意外だった。一年同じクラスだったけれど彼女については分からないことだらけだ。いや実際は彼女のことだけじゃない、私達は一年過ごしていたってお互いについて知らないことだらけだ。このクラスにいなかった頃の私を知る人はきっと多くはないし、その逆もまた然り。私だって皆のことを全然知らない。一年という期間では、私達は誰かの一割も満たない程度の何かしか知ることができない。それほどまでに一年は短い。ましてや馬場君は私達のクラスに来てからまだ半年も経っていないのだ。あれだけ密接とした時間を過ごしていながら、私達は何も知らない。彼のことを、何も知らない。このまま終わっていいはずがない。私達が彼のことを知らないまま、ちゃんと話し合えないままな、そんな最後にしちゃいけない。そんなの、あまりにも悲しすぎる。

 
(今から、話して、少しでも知れればいいな……)

 
 まだ遅くないはず、だよね。
 そう信じながら、私はゆっくりと窓際の席についた。

 
 ∮

 
「転校前の、俺の──友達の話をしてもいいか」

 
 集まった全員が席に座ると、馬場がどこか神妙な面持ちでそう口にする。馬場が自分のことを───ましてや転校前のことを"正気の状態"で──今を"正気"といっていいのかは怪しいところだが──話すのは初めてのことだ。オレ尾田慶斗を含む集まっていた面々は驚きの表情を見せた。しかしオレ達のそんな反応をどう勘違いしたのか、馬場は申し訳なさそうにぼそりぼそりと下を向きながら呟く。
 
「……やっぱり、俺の話なんて聞くの嫌か?」
「いや違う違う!!そうじゃなくてさ……」

 オレは焦った。濃尾が飛び降りてからの馬場は驚くくらいネガティブだ。オレ達の何気ない言葉で馬場は傷付き、自分を責める。責めて、責めて、それはもう今すぐにでも死んでしまいそうな程に、だ。
 馬場満月という男が、他人に頼ることの苦手な自分に厳しいストイックな奴であるということは分かっていた。そしてそんな自分自身の性格すら、この男は周りに隠していた。裏で色々なものを抱えながら、"驚異の当て馬"で、周りのことが何も分かっていないみたいな笑顔で道化を演じ続けていたのだ。
 
「お前が……友達のことでもさ、こうやって自分のことを話してくれるなんて珍しいことだから……驚いただけだよ」

 自分を責める馬場に、そう声をかけながらオレは悲しくなる。文化祭準備の辺りから馬場満月という男の本質には気が付き始めていた。その頃から馬場は体調を崩しがちになり、"道化"の仮面に隙を見せるようになっていたからだ。あの頃には、もう馬場は、"無理"が"限界"を迎えようとしていたのだろう。

(あの時に、もっと声をかけていれたら……コイツの悩みを聞けていれば……馬場はここまでボロボロにならなかったんじゃないか?)

 過ぎた時間は戻らない。そんなことは分かっている。たらればでモノを語ったって仕方ないことだった。だけどそんな理屈で考えることの出来ないのが"後悔"というものだった。

 馬場に相談したあの時、椎名を助けようと喫茶店に走ったあの時、思ったことは、すぐに行動に移そう。絶対に後悔だけはするものか、そう決めたのに。

 オレは口の中で頬の肉を血が出るほど噛んだ。じわじわと痺れるような痛みが広がって、口内が血の味に包まれる。


 
 心の痛みも、口の痛みも、誤魔化すようにオレは馬場に笑った。

 
「────で、さ。教えてくれよ、お前の"友達"の話」
「…………あぁ」


 俺の笑みを見て、馬場は複雑そうな面持ちをしたまま、こくりと頷いた。

 
 ∮

 
「突然だけど……尾田君達にとって"満足"ってどんな状態のことだ?」

 馬場の話は、まずそんな一つの質問から始まった。自分にとって"満足"とは何か。まさかそんなことを言われるとは思っておらず、オレ達は面食らった。満足。完全なこと。十分なこと。満ち足りていること。意味合いで言えば"そういうこと"になるけれど、馬場が言っているのはそういうことではない気がした。

「……まぁその反応が当たり前だよな。考えたこともないって感じだ。……普通に暮らしてたら、そんなこと、考えないもんな」
「…………」
「……俺の"友人"にとって、"満足"は……たった一人の兄と、仲の良い幼馴染とその姉と……自分。その四人で送る"日常"が"満足"だった」

 何かを思い出しているような、何かを懐かしんでいるような優しい目をして、馬場はそう言う。馬場のこんなにも優しい表情を初めて見た。朗らかで、落ち着いていて────なのに何故だろう。とても優しいその顔は、今すぐに泣き出してしまいそうな顔にも見えた。優しくて、哀しくて、その顔を見ているだけで心がぎゅっと痛くなる。

「……でも、人間って欲張りだからさ。気付けないんだ。今が"満足"なんだ、って。"幸せ"なんだ、って。……分からないんだ。……あんなにも、幸せ、だった、のに」
「…………」
「……求めすぎて……全てを失って、大切な人達を自分自身で傷付けて……やっと気付く。あれが"満足"だったんだって。幸せだったんだって……!」


 馬場の瞳から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。その魂の込もった語り口から、馬場の話す"友人の話"が、けして"友人の話"じゃないなんてことは誰の目から見ても明らかだった。
 これは"彼自身"の話だ。"馬場満月"になる前の"カンナミ"という名前の"彼"の話だ。


「……身の程知らずが、欲張るから、こんな風になるんだ……!好きな人に好きになって貰えるなんて……勘違いをするから……こんな風に、なるんだ……!」
「…………馬場」
「……最初から、諦めてれば、良かったんだ。自分が誰かと結ばれるなんて幻想、あるはずなかったんだ。……俺に出来ることは、せいぜい誰かと誰かのキューピッド……そんな"役"に、徹せれれば、良かったのに……!」

 
 馬場のその言葉で、その場の全員が勘づいた。

 
 (……だから、だったのか?)

 
 "馬場満月"が異常なまでに"当て馬"であり続けようとした、その理由。
 "馬場満月"が"当て馬"をしたカップルが必ず結ばれていた、その理由。


 
 "あれ"は、彼が自分のことを諦めて、諦め続けて、その上で自分の存在意義を見出だす為に導き出した方法で──けして偶然なんかじゃない。彼の執念で作り上げられた"伝説"だったのだ。


「なんだよ、それ……」


 思わずそんな言葉が口に出た。

 
 オレと椎名を結んでくれたお前が、誰かと誰かの縁を結んでくれたお前が、オレに遠回しに"諦めるな"と伝えたお前が!

 そのお前が、"諦めればよかった"なんて、そんな悲しいことを、言うのか?

 いつだって誰かの幸せを願って、誰かの諦めを拾い上げてきたお前が、諦めて、不幸になるのか?


 
 そんなの、おかしい。
 間違っている。




 
「……おかしいだろ!そんなの!なんで、なんで!!諦めるんだよ!!……オレは、オレ達は……!!お前にも、幸せになってほしいよ……!!」



 オレは馬場に向かって叫んだ。悲しみと怒りを込めて叫んだ。オレだけじゃない。皆だって同じ気持ちのはずだ。


 
 なぁ、馬場。
 オレ達の声、お前にはもう、届かないのか?



 
「…………尾田君、これは"友人"の…………いや、もう、バレバレ、だな」

 
 感情的なオレに対して、馬場は妙に落ち着いていた。言いたいことを言ったからなのかもしれない。さっきまで泣きながら叫んでいたとは思えないくらい、馬場の顔は憑き物の落ちたように爽やかだった。





 
「……尾田君、皆、オレ、幸せだよ」

「……何も望むものなんてない。濃尾君だって、生きている。クラスメイト全員、何とか無事に、二年生になれるじゃないか」

「……"満足"さ。"足りない"ものなんて、何もない」





 自分自身に言い聞かせるように、馬場は笑ってオレ達にそう言った。


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