複雑・ファジー小説

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当たる馬には鹿が足りない【更新停止】
日時: 2019/04/09 23:57
名前: 羅知 (ID: miRX51tZ)

こんにちは、初めまして。羅知と言うものです。
普段はシリアス板に生息していますが、名前を変えてここでは書かせて頂きます。

注意
・過激な描写あり
・定期更新でない
・ちょっと特殊嗜好のキャラがいる(注意とページの一番上に載せます)
・↑以上のことを踏まえた上でどうぞ。

当て馬体質の主人公と、そんな彼の周りの人間達が、主人公の事を語っていく物語。




【報告】
コメディライト板で、『当たる馬には鹿が足りない』のスピンオフ『天から授けられし彩を笑え!!』を掲載しています。
髪の毛と名前が色にまつわる彼らの過去のお話になっております。
こちらと同じく、あちらも不定期更新にはなりますが宜しくお願いします。



一気読み用
>>1-


分割して読む用

>>1-15
>>16-30
>>31-45
>>46-60
>>61-75
>>76-90
>>91-115

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.72 )
日時: 2019/02/16 15:34
名前: 羅知 (ID: 7JU8JzHD)


 
 あの後ようやくオレ達に追い付いた先生や他の大人達に発見されたオレ達は、すぐに病院に連れてかれることになった。その時、既に意識が途絶えていたオレには分からないけれど、至るところから血の出ていたオレはかなり衰弱しきっていて実はかなり危ない状況だったらしい。そんなオレと一緒にいた社はきっと随分と心を揉ませたことだろう。あとで謝らないといけない。
 結局。オレは何も助けれていなかった。意識が失ったオレを見て、社はとても不安だっただろう。大人が来るまで社は一人ぼっちで不安と戦っていたのだ。寂しかったに違いない。辛かったに違いない。何も出来ない。社が泣き叫んでくれていなかったら、大人に気付いて貰うことさえ出来ていなかった。またオレは彼女に助けられたのだ。どんどん貸しがたまってしまう。オレも彼女を助けたいのに。最後には彼女に助けられてしまう。彼女の為にオレが出来ることはなんだろう。オレに何が出来るっていうんだろう。何も出来ない。……何も出来ない。考えれば考える程、自分の愚かさを自覚してしまって苦しくなる。

 ふと鏡を見て気付いた。傷だらけの身体。全身ぼろぼろで、動く度に身体が悲鳴をあげる。まともに動くこともままならない。……壊れた人形みたいな愚図な自分にふさわしい姿。痛くて痛くて痛くて痛くて痛い。だけどそんな自分の姿を見る時だけオレの心は安らいだ。
 この傷の数だけ、この痛みの数だけ、オレは彼女を救えたような---------そんな気がした。ただの気のせいだ。どうしようもない自己弁護だ。だけどこれだけ傷付いたら許されるような気がした。愚かしい自分が。何も出来ない自分が。気がするだけ。気がするだけ。気がするだけ。そんなことは分かっていたけれど、そんな錯覚だけがオレの救いだった。
 傷が癒えないうちは、まだ痛む間は、自分が少しだけ好きになれる。そう考えていると、ボロボロの身体と反比例してオレの心は満ちていった。
 
 ∮
 
 入院してから三日が経った。オレと社は同じ病室に入れられることになり、動くことが出来ないオレは主に社と一日を過ごした。社は怪我が酷くないので動くことが出来るはずだけど、わんぱくで動くことの大好きな彼女は今回ばかりは動かずにオレの横でニコニコしながら話すだけだった。その姿が意外だったオレが社に理由を聞いてみると
 
「だって……ゆきやがいなくちゃたのしくないもん」
 
 とのことだった。社が自分に対してこんなにも思ってくれてることを凄く嬉しく感じた。他にも雪那さんや、満月兄さんも頻繁に病室に遊びに来た。雪那さんが来るとき社は必ず機嫌が悪くなっていたので、なだめるのには一苦労だったけれど、二人は色んな話をしてくれるのでオレは楽しかった。
 
 ∮
 
 
 それから何日くらいか経ったある日のこと。
 
 
「ふんふふふーん〜♪」
 
 ……少しの間、社と一緒に病院内を散策して帰ったら、オレのベッドに知らない女の子が我が物顔で寝転がっていた。かなりリラックスしているようで、鼻歌まで歌っている。あまりのことに言葉を失ったオレだったが、動転しながらも何とか社に話しかける。
 
「や、やしろちゃん、しってる?……このこ」
「しらない。……えーと、じゃあ、とりあえず」
 
 この子のことは社も知らないようだった。社もかなり驚いているようだったけれど、オレより随分様子が落ち着いている。そして何か思いついたのか彼女はゆっくりと前に出るとニコニコの笑顔でその女の子に話しかけた。
 
「ねぇ!あなたのなまえをおしえてよ!」
「……や、やしろちゃ……そんな、きゅうに……」
「えー、だってしらないなら、これからしってけばいーかなぁって……」
 
 驚くべき行動力だ。とてもオレには真似できない。
 社の呼び掛けは彼女に届いたようで呼ばれてすぐに此方を向いた彼女は満開の笑顔で返事をした。何の穢れもない白のような、ただただ無邪気な笑顔だった。天使がもしいるとするのならば、この子のような笑い方をするんだろうな。そう思ってしまうくらいに彼女は"白"という言葉が似合いすぎた。
 そんな笑顔をより一層輝かせて、その天使のような女の子はこう言った。
 
 
 
 
「ヒナだよ!こいはるヒナ!……ヒナ、ふたりにあいにきたんだ!」
 
 ∮
 
「……あいに、きた?」
「うん!ヒナね、このちかくのおへやにすんでるんだけどね、ふたりともこなまえヒナのおへやにはいってでしょ?」
「……そういえばこのまえやしろとまちがえてしろいへやにはいったっけ……それがきみのへやなの?」
「そうだよ!ふたりはヒナとあそびたいからヒナのおへやにきたんでしょ?だから、ヒナほんとは"あのへや"からあんまりでちゃいけません、っていわれてたけどふたりをむかえにきたんだ!」
 
 そう言うとにぱーと彼女はまた笑って、手を広げるとオレ達二人をぎゅっと抱き締めた。寝転がっている時には分からなかったけれど彼女の身長はオレ達より林檎一つ分程大きい。抱き返したら折れてしまいそうな程細い腰回りにオレは抱擁を返すのを躊躇った。
 
 だけど、彼女は違った。
 
「そうなんだ!…じゃあ、ともだちになろ!わたしはめぐかやしろ!このこはかんなみゆきや!よろしくね!」
「やしろとゆきや。……うん!わかった。ヒナふたりのことはシロとユキってよぶね!ヒナのこともヒナ、ってよんでいーよ!」
 
 
 間髪入れずに社はその細い腰を抱き返した。ぎゅーっと、どれだけ力強く抱き返したところでヒナの腰は折れることはなかった。よく考えなくても分かることだった。人間の身体はそんな簡単に折れたりしない。折れるのはいつだって心だ。…いつもそうだ。なんだかんだ理由を付けてオレは次の一歩を進むことを躊躇う。社の後についてまわる只の"きんぎょのふん"。…何も変われていないじゃないか。ちょっと力が強くなったくらいで、体力がついたくらいで、自分は何を調子に乗っているんだろう。また一つ自分が嫌いになった。
 
「……どうしたの?」
 
 そんな感情が顔に出ていたのだろう。オレをぎゅっと抱き締めていたヒナが心配そうにそう言った。大丈夫、なんでもないよ。そう言って返す。けれどもオレのその言葉を聞いてもヒナはまだ心配そうにしている。…これは多分何か理由を話すまで納得してくれなさそうだ。どうしたものだろうかと頭を悩ませていると、ふと頭の上に何かが乗った。それはヒナの手だった。
 
「?……どう、したの?」
「えっと、ヒナね。あまりよくおぼえてないんだけど、ママにむかしこうしてもらったら、すごくうれしかったんだ」
「…………」
「だ、だからげんきだして!」
 
 そう言ってヒナは慣れてない手つきでオレの頭を撫でる。力がこもりすぎて撫でるというよりは擦るみたいになっていたけど、彼女にそうして貰っていると何だか心が落ち着いていった。ここにいてもいいんだよ、そんな風に言ってもらえてるような気がした。頭を撫でて貰ったのはいつぶりだったっけ、なんてそんなことを考えた。
 そんな姿を見て、若干おいてけぼりになっていた社が鼻をぷかー!と膨らませて怒る。
 
「む!ヒナだけずるい!わたしもゆきやのあたまなでたい!」
「だめですー!ユキのあたまをなでるのはヒナのしごとですー!!シロにはやらせてあーげない!」
「むー!そんなのヒナがかってにきめただけじゃん!わたしもなでるのー!!!」
「……ふ、ふたりともまって。オレ、あたまがはげちゃう……」
「ユキは」「ゆきやは」「「だまってて!!」」
 
 お、オレの頭なのに……。そんな言葉もむなしく二人はオレの頭を髪の毛が抜ける勢いで容赦なく撫で始めた。ごしごしごしごし、まるでタワシみたいに頭を擦られる。髪の毛が何本が抜けたりしてしまって痛い。
 他愛ないやり取りに自然と顔が綻ぶ。こんな風に笑ったのは久し振りだった。この時間が永遠に続けばいいのになんてそんなことを願った。
 
 
 ∮
 
 
 日付が変わる頃、恋日ヒナの眠る病室に現れる二つの黒い影。二つの影はそっと寝ている彼女を--------いや、彼を起こさないようにベッドの傍らに行く。すやすやと気持ちの良さそうな寝息を立てる彼を見て、二つの影はほっと安堵の息を吐いた。
 二つの影の内の一つが口を開く。
 
 
「ヒナはどんどん大きく成長してます。今日なんか友達が出来たって大騒ぎして……あまり外に出てはいけないよ、なんて言っても聞きやしない。私達の手に余るくらいに元気です」
「……すみま、せん」
「謝ることじゃありませんよ。元気なことはいいことですから。そこで一つ提案なんですけど」
「……はい」
 
 そこまで言うと、影は------濃尾彩斗はまっすぐに目の前にいるもう一つの影の持ち主である男、恋日春喜こいはるはるきの目を見た。
 
 
 
「そろそろヒナを、いや日向ひなたを……迎えには来れないですか。"義兄にいさん"」
 
 
 
 そう言われることを春喜は覚悟していた。だからこそ、その言葉の返事は決まっていた。けれども決まっているからといって、そんな簡単に言葉に出せる程それは軽いものではなかった。
 どうにか絞り出すように、掠れた声で、春喜は返事をする。
 
「……ごめんなさい。それは、まだ、出来ないんです……」
 
 泣いているような声だった。否、彼は泣いていた。自身の不甲斐なさに呆れ果て、押し潰されそうになりながらも彼は言葉を続ける。それは、謝罪というのにはあまりにも重すぎる、自身を攻め立てる断罪だった。
 
 
「…君から、お姉さんを奪って、挙げ句の果てに死なせてしまった、ぼくが、君の提案を断るなんて、本当に大変なことだって、理解してる……だけど、だからこそ、ぼくはそれをまだしたくないんだ……」
 
 嗚咽を溢し、顔をぐちゃぐちゃにしながら彼は言う。
 
 
 
「……中途半端に期待させて、待たせて、待たせて、放っておいて、一人にしたから……彼女は、陽子ようこは、死んでしまった……」
 
 
 
「……ぼくは、息子を……日向を、妻のようには……したくない…………」
 
 
 
 
 
 もう何も言えなかった。
 そんな風に言われてしまっては、返す言葉が彩斗には見つからない。……彼は自分のせいで姉が死んだと言っているけれど、正確にはそうではない。姉が苦しんでいるのに、助けを求めていたのに、気付けなかった、自分が一番悪いのだ。この人は現状をどうすることもできなかった。最善策を選んだだけだ。……でも自分は違う。自分は助ける術を持っていた。精神科医として、姉の、壊れていく心を助けることは、出来たはずなのに。
 
 
 何も、気付けなかった。自分のことに気をとられて、姉のことを、一番大事な人のことを見ていなかった。自分が、一番悪い。
 
 本当に助けたい人を助けれなくて、何が医者だ。
 
 
 
 でも、もう自分は謝ることすら出来ないのだ。姉の死んだ罪は、全部、この人が被ってしまった。今更謝った所で、この人は私の罪を否定する。君は悪くない、全部ぼくが悪いんだ……そんなことを言って。
 
 
 
「……分かりました。それじゃあまだ暫く日向は私が預かります。迎えに来れるころになったら、言ってください」
 
 
 
 ならば自分の出来る贖罪は、このまま壊れてしまった姉のせいで自分の性別すら正しく認識できなくなった甥っ子を見守っていくことだけなのだろう。姉とよく似た純粋な目で、あの子に見つめられる度に、心が痛む。
 そんな私のただの邪な贖罪を見て、この人はまた苦しむ。私はそれを弁解することも出来ずに、この人が苦しむのを見ていることしかできない。
 
 
 それしか出来ないならば。
 
 
 

 
 
 幸せに思うことすら苦痛なこの日々を生き続けることだけが、私に出来る唯一のこの人への罪滅ぼしなのだろう。

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.73 )
日時: 2017/12/09 10:56
名前: 羅知 (ID: Jyw48TXj)


 ∮
 
 七年前、私----濃尾彩斗は君の生まれる瞬間に立ち会った。あの時のことは今でも鮮明に思い出せる。
 
「なんて可愛い子なの……」
「…君にそっくりだ」
 
 君は祝福されて生まれてきた。父親にも母親にも……勿論私だって。
 少なくともこんな風になってしまうなんて想像出来ないくらいには、生まれた君と君の両親の姿は希望に満ち溢れていた。こっちが胸焼けしそうなくらいに甘々で仲睦まじい幸せな二人。そんな二人に抱き抱えられる天使のような微笑みを浮かべる赤ん坊。
 
「二人とも、おめでとう」
 
 私はその時確かに彼らにそう言った。二人、と言いはしたけどこの言葉は君にも向けた言葉だった。君達が幸せに過ごせることを願って、確信して出た言葉だった。
 
 
 
 それがどうしてこうなってしまったんだ?
  
 ∮
 
 恋日陽子こいはるようここと、濃尾陽子は私の姉だ。私と姉と父と母の四人家族。私達はごくごく普通の家族だった。……ある一点を除いては。
 
「陽子、今回の模試の成績また下がったようだな。……私をこれ以上失望させないでくれよ」
「………はい、父様とうさま
「特に彩斗。お前はこの濃尾家の跡取りなんだ。お前がしっかりしてくれないと…………分かるな?」
「……はい」
 
 父の家系は代々医者の家系で、父自身外科医としてかなりの地位を持っている。聞いた話による父の父親も祖父も……父の家系の人間は皆医学関係の仕事、しかもかなりの重役になっているらしい。濃尾家として相応しい行動をしろ。父は度々そう言っていた。姉も私もそんな父の言いなりだった。予め敷かれたレールを淡々と進んでいく。それが私達の人生だと思っていたから。そう思うしかなかったから。
 
 ∮
 
「彩斗」
「……何。姉さん」
「彩斗は自由に生きていいんだからね。……父さんはああいうけど、彩斗が進みたい道があるなら……少なくとも私は貴方の意志を尊重する。進みたい道があるなら、その道を選びなさい、彩斗。……家のことはお姉ちゃんに任せていいから」
 
 私が濃尾家の跡取りとしての重責に挫けそうになったり、負けそうになったりして心がボロボロになった時、姉はよくそう言ってくれた。決まった道以外選ばせてくれない父。そんか父の言うことに全て頷く母。……そんな中で唯一の味方が姉だった。いつだって優しく、美しい姉。私はそんな姉が大好きだった。
 『姉に幸せな人生を送ってもらう』その為に自分はどんなことでもしよう。いつしか私はそう思うようになっていた。それが決められたレールを進むだけの人生に、たった一つ、自分自身で決めたことが生まれた瞬間だった。
 
 ∮
 
 姉が高校二年になり、私が高校受験を間近に控える頃。私は姉のとある"秘密"を知った。勉強について姉に質問をしに姉の部屋に行くと何やら話し声が聞こえる。誰かと電話しているようだった。
 
「----えぇ。毎日大変だけど、可愛い弟の為にも頑張ろうと思うの。----ふふ、そうかな。そう言ってもらえると嬉しいわ----------」
 
 姉のこんなに楽しそうな声を聞いたのは初めてだった。驚きで声が出そうになるのを何とか抑える。最後に姉は電話の相手に向かってこう囁いた。小さな、小さな声で。
 
『---------私も愛してるわ、春喜』
 
 相手が愛しくて愛しくて堪らない、そんな感じだった。電話の相手が姉の恋人であろうということはすぐに分かった。あまりのことに胸がばくばくと鳴り響く。すぐには冷静になることは無理そうだった。そんな頭でも、ひたすらに考える。『どうしたら姉は幸せになれるのか』飽きもせず、ただそれだけを。
 
 ∮
 
 結論はすぐに出た。やはり当初の予定通り、濃尾家の跡取りとなって私が姉を自由にしてやればいい。父や母に反対されたって知ったことか。どんな手を使っても私が両親を説得する。姉の幸せ以外に優先すべき事項などあるはずもない。その旨を伝えると、私がその事を知っていたことに驚いたのも束の間、しかしすぐに冷静になって哀しげに姉は目を伏せた。
 
 
「彩斗が私のことを思ってそう言ってくれるのは嬉しい……。だけどそうすると貴方の夢はどうなるの?貴方にもやりたいことがあるでしょ?……私の為に貴方が犠牲になるなんて耐えられない……」
「大丈夫だよ、姉さん」
 
 
 そう言われることは分かっていた。だから自分の気持ちを素直に伝えた。私にとっては姉さん以上に優先するものはないのだと。そんな私の言葉を聞いて姉は呆れたように笑った。
 
 
「…私ほど幸せな姉はいないわね。こんなに弟に慕われて……」
「姉さんはもっと幸せになっていいんだよ!……姉さんの幸せが僕の幸せなんだ」
 
 それは嘘偽りのない言葉だった。何もなかった自分に理由を与えてくれた姉さん。苦しかった時、辛かった時、いつも側にいてくれた姉さん。どんな時でも私のことを考えて、味方してくれた姉さん。返しきれない程の恩が姉にはある。
 そろそろ返さなきゃ割に合わない。
 
 
「……それにね。医者になるの、そこまで嫌じゃなくなったんだ」
「私に気を使ってるなら-------」
「そうじゃないよ。……そりゃね。父さんみたいに血生臭くて、命と密接に関わる外科医なんてとてもじゃないけどなれないと思ったよ。でもそんな時思い出したんだ。辛い時、苦しい時、姉さんの言葉が僕の心を救ってくれたこと」
「………」
「だから……だから僕は精神科医になろうと思う。人の心を救う精神科医に。姉さんが僕の心を救ってくれたみたいに、僕も人の心を救いたい。そう思えたんだ」
 
 これもまた嘘偽りのない言葉だ。医者になるのなら精神科医になろう。姉の秘密を知る前からそう決めていた。姉に言った理由以外にも理由は色々あったけれど、きっかけは確かに姉に言ったそれだった。姉のことがあったからこそ、私の将来の設計は明確に定まっていった。何から何まで姉に影響されっぱなしの私だった。
 
「本当に貴方っていう子は…………そこまで言われてしまえば、もう私は何も言えないわ」
 
 姉もそう思ったのだろう。姉はやっらり呆れたように笑ってそう言った。そんな風に笑われても姉に影響されっぱなしの自分をそう悪いものだとは思えなかった。むしろ姉のその表情に何だか誇らしささえ感じた。
 
「彼のことは、両親には私から話す。それで説得する------弟にそこまでやらせるようじゃ姉の面目が立たないもの。あとね--------」
 
 これだけは言わせて。と姉は急に真面目な顔になって--------そして、笑った。昔から変わらない優しい笑顔だった。
 
「--------私にどんなことがあっても、貴方は私の愛すべき弟よ。それだけは忘れないで頂戴」
 
 
 ∮
 
 高校卒業と同時に姉は以上のことを両親に話した。そこまで至る間に私は何度か姉の恋人である"恋日春喜さん"と話す機会があった。彼の第一印象は気弱そうなそこら辺にいそうな男----といった感じだ。顔そのものは上の下くらい、おどおどした表情のせいで総合評価は中の上くらいか。しかしその印象は彼のことを知っていくほど良い方向にぐんぐんと上がっていった。彼はとても真面目な男だった。父親が早くに他界し母親と二人暮らししている春喜さんは勉強しながら、母親が楽できるように自分自身でもアルバイトなとをして学費を稼いでいるらしい。話してる態度や表情から姉のことを心から愛し、私と同じように姉のことを幸せにしたいと思っていることがよく分かる。私に対しても礼儀正しく、誠実な態度で接してくれ、もしこの人がもし私の家族になってくれるなら。そう思った。
 
 
 
 しかし現実は残酷だった。
 
 
 
 
「濃尾家の人間であるという自覚のない者は最早家族ではない。出ていきなさい」
「……!」
「君も濃尾家のおこぼれでも預かりたかったんだろうが、生憎君のような貧乏人が入り込む隙はないのだよ。我が濃尾家には」
「……ッ!」
 
 わざわざやって来た春喜さんと姉に、父は冷たくそう言い放った。春喜さんのことを見向きもせずにそう言った。昔から厳しい人だとは思っていたけれど、ここまで血も涙もないような人だとは思わなかった。思わず父に対して手が出そうになった私を姉と春喜さんが止めた。ふるふると静かに横に首を振る二人を見て、私は拳をただ強く握り締めることしか出来なかった。
 
 
 
 
「……じゃあ、行くわね」
「…ま、待ってよ!ねえ、さん……」
 
 荷物をまとめて出ていく姉の姿を見て、堪えていたものが溢れ出た。私の無責任な提案のせいで姉が出ていくことになってしまった。まるで小さな子どもみたいに泣きじゃくり、服の裾を掴んで引き留める私に少し困った顔をする姉。こんな時でもやっぱり私の姉は"姉"だった。
 
 
「…仕方がないわ。父さんには逆らえないもの」
「……で、でも!」
 
 
 まだ愚図る私に姉はやっぱり優しく笑って----------まるで大切な宝物を扱うみたいな手つきで、そっと私の頭を撫でた。
 
 
「言ったでしょ?どんなことがあっても貴方は私の愛すべき弟だ、って。……泣かないで。彩斗が泣いてると私まで悲しくなっちゃうわ」
「血は繋がらなくても、君はぼくの弟だ……。辛いことがあったらすぐに言うんだよ」
 
 
 そう言い終わると姉と春喜さんはお互いの手をぎゅっと握り締め、歩いていく。だんだんと小さくなる二人の姿を私は見えなくなるまで見つめていた。
 
 
  ∮
 
 
 それから数年が経った。
 
 無事高校も大学も卒業した私だったが、姉が追い出されたあの日から歪だった家族との関係は余計にちぐはぐになってしまった。だけどいつも自分を守ってくれていた姉はもう家にいない。他ならぬ自分のせいで姉は家を出ていくことになったのだから。姉がせっかく残してくれた"夢"だ。下手なことをして姉にこれ以上迷惑をかける訳にはいかなかった。同じ過ちはするな。そのことをしっかりと胸に刻み込む。
 
 だから、どんなにこの人達が憎くても恨めしくても、精一杯媚を売って生きる。姉さん達の為に。
 
 
(姉さん達は、今頃どうしてるんだろう……)
 
 姉さん達とはあのあとも何度か電話で連絡を取っている。専らかけるのは私の方からだったけれど、かければ二人は必ず電話に出てくれた。初めの頃こそちょっとしたことで連絡していたけれど、二人には二人の生活があり、それを私が邪魔するのは頂けないだろう……そう思って控えるようにした。二人には気にしないでと言われたけど、気にしない訳にはいかない。二人の邪魔になることだけは私は絶対にしたくないのだ 。
 そんなこんなで最後に連絡をとったのが三ヶ月前。そろそろ連絡を取ろうかとうずうずしてた所でその電話はかかってきた。
 
『-----もしもし。彩斗くん?ぼくだよ、恋日春喜』
「春喜さん!……そちらから連絡するなんて珍しいですね!ちょうど僕も電話をしようと思ってた所なんですよ。どうかしたんですか?」
『…えーと、突然なんだけど今週末は暇かな?』
「ちょっと待ってくださいね--------うん!大丈夫です。その日が何か?」
 
 
 私のその何気ない質問に春喜さんは少し照れながら、嬉しそうに答えた。
 
 
 
『----実は、その日陽子と結婚式しようと思ってるんだ。結婚式とはいってもドレスを着て、写真を取るだけなんだけど………陽子と二人で話し合ってね。君にもぜひ来てほしいな、って』
「結婚式!?絶対行きます!!場所はどこですか?」
『え、えっと、○○町の-----------』
 
 
 食いぎみに了承した私に若干引いている様子の春喜さん。でも興奮しても仕方ないだろう。だって姉の結婚式だ。ついに春喜さんが私の"家族"になるのだ。小躍りしたくなるくらいにめでたいことだ。自分の人生でこんなにも嬉しかったことはないと、そう思った。大袈裟な表現ではなくそう思った。

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.74 )
日時: 2017/12/11 19:24
名前: 羅知 (ID: kTX6Wi1C)

 
 ∮
 
 
「うわぁ……!!」
「今日は、ぼく達の結婚式に来てくれてありがとう」
「弟が結婚式に来てくれるなんて、姉としてこんなに嬉しいことはないわ」
 
 町の隅にある小さな写真店で二人はささやかながらも結婚式を挙げた。参列客は私一人。プライベート結婚というにはあまりにも少なすぎたけど、これだけで十分だった。小さな小さな部屋に二人の幸せがぎゅうぎゅうに詰まって、部屋から溢れてしまいそうだった。
 王道のAラインのウェディングドレスを着た姉はいつもに増して美しく見えたし、白いタキシードを着た春喜さんは何だかいつもより凛々しく見えて格好良かった。私が正直にそのことを言うと、二人は照れるなぁといって恥ずかしそうに笑った。
 
 
「彩斗、最近はどう?元気にやってる?」
「うん。大変だけど何とかやってるよ。まだまだひよっ子だから分からないことだらけだけどね」
「またまた謙遜しちゃって。…この前もテレビで君の姿を見たよ。"今注目の若手有能精神科医"って。流石、彩斗くんだなぁ」
「…そんなんじゃないですよ。 ちょっとテレビが僕のこと大袈裟に言ってるだけです」
 
 そのことを言われると何だか気分が滅入る。事実、私そのものの実力はそこら辺にいる普通の医者と同じ程度だ。テレビの中の私は濃尾の名によって誇張された表現でしかない。周りは私のことを羨むけれど、持っている実力以上の期待からは後の失望しか生まない。過度な評価は私にとってただの重荷でしかない。
 周りからの陰口。見え見えの陰謀。辛辣な批評。そして家からの重圧。…それらのことを思い出すと、とてもじゃないけどうまく笑えそうになかった。……駄目だ、二人の前なんだ。笑ってないと。二人に心配をかけてしまう。笑え。笑え------------
 
 
「こら」
「……へ?」
「泣かないでとは言ったけど、無理して笑えなんて私達一回も言ってないわ。ねぇ春喜」
「そうだね。ぼく達は家族なんだ、心配なことがあれば言ってほしいな」 
 
 
 そう言われて二人に握られる手。久し振りの温もり。温かい。…………温かい。二人の温かい言葉が冷えきった心には熱すぎるくらいに染みて。じわっとまた涙が出てきてしまう。長い時間が経ったけれど、それでも私はこの人達の"弟"だった。
 
 私の身体をぎゅっと抱き締めて姉は言う。
 
 
「可愛い弟の強がりなんてお姉ちゃん達にはお見通しなんだからね」
 
 
 ∮
 
 
 
 
 そんなことがあって。
 また数年の時が経った。私もだんだんと仕事が忙しくなっていき姉達に連絡をとることも少なくなっていった。正直言って慢心していた。姉は。春喜さんは。私の"姉"で、"兄"で。だから私が気にしなくても大丈夫だって。二人ならどんなことがあっても大丈夫だって。絶対何とかしてくれる。……忙しさを言い訳に、私はとても大事なことを忘れてしまった。とても大事な人のことを、何の為に自分が生きていたのかを忘れてしまった。ずっと自分にはそれだけだったはずなのに。
 
 だからこんな簡単なことすら忘れていた。
 
 
 
どんな人間だって死ぬときと、壊れるときはあっけないんだ、ってことを。
 
 
 
 ∮
 
 
「おめでとう。姉さん、春喜さん」
 
 
 遂に二人に念願の子どもが生まれた。男の子だった。二月二日の寒い寒い雪の降る日にその子は生まれた。姉と春喜さんは、こんな寒い日でも暖めてくれるような温かいお日様みたいな心を持った子になるようにと願いを込めて、その子のことを日向ひなたと名付けた。二人の子どもらしいとっても良い名前だと思った。
 
 
「姉さんにそっくりだね。まるで女の子みたいだ」
「…そう、かな。うん。……そうね」
「?どうしたの、姉さん」
「……大丈夫よ。ちょっと疲れてるだけ」
 
 
  久し振りに見る姉の顔は以前より少しやつれてるように思えた。そういえば春喜さんも前見たときより痩せていたような気がする。
 
 
「…って、あれ?春喜さんは?さっきまでいたよね…」
「……春喜は仕事に行ったわ。ここ最近は朝から晩までずっと働いてるの。日向の養育費を稼ぐんだ、って休む暇もなく……今日も仕事と仕事の隙間時間で来てくれたみたいで……」
「そうなんだ-----------」
 
 
 そこまで話し終えた時、私の携帯の着信が鳴る。仕事先からだった。緊急で呼び出しらしい。
 
 
「ご、ごめん!姉さん……呼び出されちゃった。一人にして悪いんだけど--------」
「ううん。私は一人で大丈夫。……お仕事頑張っ----」
「ごめん!行ってくるね!」
 
 
 姉の言葉を最後まで聞くことなく私は仕事先へ向かった。
 ……どうしてこの時私は姉の言葉を最後まで聞かなかったんだろう。どうしてこの時私は一度でも振り返らなかったんだろう。どちらかでもしておけば、きっと気付けたはずなのに。姉の明るかった瞳が絶望の闇に沈んでいることに。
 
 
 
 
 
 
 
 
「…………一人ぼっち、ね」
 
 
 
 
 
 
  そんな切ない呟きと赤ん坊の泣き声が病室の中に静かに響いた。
 
 
 ∮
 
 
「……海外派遣?」
「あぁ。君には特別業務として一ヶ月に二週間程の割合で海外で活動してもらう。…なに、やることは何も変わらないよ。"少し"忙しくなるだけさ。君は現地でいつも通り患者を診ればいい」
「あの、でも------------」
「君の優秀さを見込んでの上からの命令だ。頼んだよ」
 
 
 呼び出されてすぐに向かった先で、有無も言わさぬ勢いでそう上司に言われた。断る間も、考える間もなかった……いや、元々断らせる気なんてなかったのだろう。海外派遣……とても辛い仕事だと聞いている。常に命の危険が付きまとい、患者よりも先に自分が精神を病む--------そんな仕事だと。出る杭は打たれる。きっと周りの連中は私に打たれて打たれて打ちのめされてほしいのだ。打ちのめされて、そして再起不能になってしまえばいい。そんな風に------------誰がお前らの思い通りになってやるか。こちとら常にフルストレスな環境は残念なことに父親と母親で慣れているんだ。お前らのような甘ちゃんとは違う。よっぽどか私に悪意を持つ連中にそう言ってやりたかった。
 

(海外派遣か……姉さん達にも一応連絡しとこうか……いや、でも別にずっと海外にいる訳でもないし……二人の時間を邪魔しちゃ…)
 
 
 そう思い直し、一度出した携帯をゆっくりと鞄にしまう。歩く度に刺さる鋭い視線。鬱々とした恨みがましい目。ぼそりぼそりと聞こえる陰口。
 
 
 
 
「……まだ若いくせに調子に乗るからあぁなんだよ……」
「いつもしかめっ面で愛想もよくない……あんな奴ここにいらねぇよ」
「さっさと壊れて辞めてくれないかな……そしたらあの場所にいたのは俺なのに……」
 
 
 
 
 
 
 
(…………聞こえてるんだよ、クソ)
 
 
 
 
 
 ……常に人の悪意に触れている日常。むしろここにいた方が病んでしまいそうだ。海外には私を知っている人はほとんどいないだろう。きっと誰もが私を"ただの医者"としか見ないはずだ。この場所みたいに変な偏見を持たれたり、妙な色眼鏡で見られることなんてないだろう。そう考えると海外派遣……そこまで悪いものでもなさそうだ。そんな風に思えた。
 
 
 ∮

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.75 )
日時: 2017/12/17 16:10
名前: 羅知 (ID: Lp.K.rHL)







 それぞれの場所で、それぞれの時間が過ぎていく。
 残酷な程に、過ぎていく。
 
 
 
 
 
 愛が、志が、想いが、約束が、記憶が、精神が、命が、感情が、出会いが、別れが、常識が、全て、全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て。
 
 
 
  平等に、酸化して、朽ちる。
 
 
 
 
 寒い冬に耐えかねて葉を落とした木々にも、春になり、蕾がつき、花が咲いた。夏になれば様々な果実が実って。また秋が来て、冬が来て。
 
 
 
 
 毎度飽きることなく同じように季節は巡っていく。常に変化し続ける人間を嘲笑うかのように、変わらずに。
 
 
 
 
 
 
 時間は何者にも平等に過ぎていく。それに抗う術なんて人間が持っている訳がなかった。
 
 
 
 
 
 
 自然の摂理に従って、全ては腐り落ちていく。
 
 
 
 
 ∮
 

 
 
『Re.ごめん。今夜も遅くなる』
 
 
 ……毎回同じように送られてくるメール。これで何回目のこの子と私だけの夜だっけ。心の中で恋日陽子はそう呟いた。声に出さなかったのは出しても意味がなかったからだ。返されるあてのない言葉はただ虚しさを生むだけだから。
 
 
 
 ……だから今日もまた、声も出さずに溜め息を吐く。
 
 
 彼と二人で選んで買った小さな小さな家。彼と、自分と、生まれてきた赤ん坊の三人で過ごせる部屋。あの頃の自分達にはそれだけあれば十分だった。
 
 そう思ってた。そう、思ってたのに。
 
 ……彼の物を置こうと決めたスペースいまだ買った時と変わらずに空っぽのままだ。リビングに置いてある結婚式の時の三人で撮った幸せそうな笑顔の写真も埃を被ってしまった。
 
 
 それに気が付く度に思ってしまう。
 
 
 あの頃、自分達が描いていた幸せは、未来は、こんなだっただろうか。こんな寂しいものだっただろうか、なんて。
 
(…………)
 
分かっている。どうにもならないことだっていうのは分かりきってる。彼は家族の為を思って働いてくれているのだ。それに文句なんていえない。言えるはずない。だけど。
 我が儘な心は寂しいと、もっと一緒にいたい、と叫んでいた。
 
 
 
「……日向も、パパに会えなくて寂しいよね」
「…………」
「…………寝ちゃったか。そうだよね、もう、遅いもん」
 
 
 
 今年で日向は二才になった。最近やっと会話が出来るようになって、毎日色んな話を聞かせてくれる。この前あった面白い出来事のこと、空が綺麗だったこと、今日は外に出て遊んだこと、小さな花が咲いていたこと------------ニコニコの笑顔で色んなことを話す日向は見ていてとても微笑ましかった。
 そんな日向が時折遠くを見て、少し寂しそうにしている時がある。
 
 
「ぱぱ、どこ」
 
 
 ぽつりと聞こえたその言葉。これだけ幼くとも、この子は父親のことをしっかりと覚えていたのだ。それが分かった時、私はとんでもない衝撃を受けた。そしてそう呟いた日の夜、この子はいつもより少しだけ夜更かしして、私と一緒に父親の帰りを待った。まぁ待ってる途中で寝てしまっていたけれど。今夜もそうだった。寝室に連れていき、布団をかけてあげると、すやすやと気持ちの良さそうな寝息と一緒に寝言が聞こえてくる。
 
 
 
「……まま……ぱぱ……だい、しゅき……」 
 
 
 
 その言葉を聞いて一気に落ち込んでいた心が吹き飛んでいくような気がした。あぁなんて可愛いんだろう。そうだった。こんな夜だって私は一人じゃない。可愛い我が子が一緒にいる。
 
 
(……そうよ。私にはこの子がいるじゃない。私と彼の愛の結晶であるこの子が----------)
 
 
 
 
 忘れてた。すっかり忘れていた。日向の存在こそが自分達が愛し合っている証。寂しいのがなんだ。あの人は私達の大切な"愛"を守る為に毎日に必死になって働いてくれているのだ。そう思うと、明日も頑張ろう、それも口に出して言えるような気がした。
 それでもまた寂しさが懲りずに芽を出してくるかもしれない。だけどその時にだって傍らにはこの子がいてくれる。また寂しさを吹き飛ばしてくれる。私は一人じゃない。この子がいる。そしてこの子のことを思って働いてくれている彼がいる。
 
 
 
(ちょっと疲れてたのかも……親から勘当されたり、結婚したり、出産したり、そういえば最近彩斗にも連絡取れてないなぁ。……そっか。私、無意識に色んなこと溜め込んでたのかもしれない。皆、忙しいからって。迷惑かけちゃいけない、って)
 
 
(えへへ、お姉ちゃん失格だなぁ。どんなことがあっても"お姉ちゃん"だよ、って私が彩斗に言ったっていうのに……自分が笑えてなくちゃざまぁないよね)
 
 
 
 
 そろそろ一息つくのもいいかもしれない。今度彼が早く帰ってきたら温泉旅行にでも誘ってみようか。彩斗も呼ぼう。みんな息継ぎが下手くそだから、私と同じようにきっと苦しくなってる。家族団欒。本当の"家族"とは、一ミリもなかったそれだけれど、こういうのもいいかもしれない。"家族"ってきっとお互いに家族だって思えた時に、家族になれるのだ。そういう意味では私達はもう立派な"家族"だ。普通の形とは少し違っても、私達は血の繋がりも、心の繋がりもある正真正銘の家族なんだから。
 
 
 
 
 そこまで考えた時、家の呼び鈴が煩く鳴り始めた。
 
 
 
 
(春喜?……なんだ。遅くなるって言ってったのに全然早かったじゃない。きっと私を驚かせようとしてたのね)
 
 
 
 
 
 まったくいつまで経っても変わらないんだから。まったく、もう-------------------
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 え
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  だ れ ?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
「や、やめてよ……なにするの、ねぇ、こたえ、てよ……だれなのよ……あなた、だれ、なのよ……、い、いや、やめて、やめて、やめて、やめてって、ば、ねぇ、……なんで、なんで、……こんな、こと、するの…………ねぇ、わたし、ばっかり、……わたしばっかり……なんで、こんな…………だれか、ねぇ、……だれか、たす、けて…………たすけてってばぁ……たすけて、たす、け、て…………やだ、やだ、……はるきいが、いの、なんて、……ぜったいに、いや、いや……ねぇ、嫌、嫌、嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌ぁぁぁぁぁァァァァァァァァァァァァァァあああああああッ!!!!!!!」

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.76 )
日時: 2017/12/25 17:32
名前: 羅知 (ID: NSxWrAhD)


 「…また、君の患者が自殺したよ」
 
 
 
 報告。
 
 
 
「…………」
 
 
 
 
 
 謝罪。
 
 
 
 
 
「君の患者なんだから、君が責任を取ってくれよ」
 
 
 
 
 
 
 ……報告。
 
 
 
 
 
 
「…………はい」
 
 
 
 
 ……謝罪。
 
 
 
 
 
「……Damn. You are a big wuss !……Go to hell !……」
 
 
 
 
 
 
 毎日、それの、繰り返し。
 
 
 
 
 
「……すみま、せん」
 
 
 
 
 
 
 
 
 数えきれないくらい怒鳴られて、数えきれないくらい謝った。
 
 
 
 
 
 
 
(どうして、生きているんだっけ)

 
 
 
 
 

 もう、疲れた。何も見たくないし、聞きたくない。このまま消えてなくなってしまいたい。
 
 
 
 
 
 
 
 もう んでもいいか。
 
 
 
 
 
 
 そう思って、響く銃声音を聞きながら目の前の現実や命すら放り出して、私はゆっくりと目を閉じた。
 
 
 
 ∮
 
 
 
「……おーい、オニーサン。アンタまだ死んでねーよ」
「…………」
「お、目開いた。……それにしてもオニーサン、アンタ悪運強いぜ。なんてったってこのオレ様と出会って命を救われちまうとはねェ」
「…………」
「おいおい、生き残ったつーのに随分とシケた面だなァ。……あー。アンタ、もしかして死にたかった奴?そいつァ悪いことしたな。運が悪かったと思ってくれ。オレ様は瀕死の弱い奴を見捨てられない優しい優しい人間なんだ、まぁ嘘だけど」
 
 目を開くと目の前にはぺちゃくちゃと喋る薄汚いフード付きの服を着た包帯だらけの男がいた。左目は完全に包帯で隠れており、見えている右目からはエメラルドグリーンの透き通った瞳がきらきらと輝いている。髪は目の色より少し緑が無造作に切られていて、どちらもまるで宝石のような煌めきだ。声はまだ高く、まだ若い少年であることが察せられた。よく見ると遠くの方に血を流して倒れている武装された人の山があった。私を殺そうとしてきた連中だった。状況から見て目の前の彼が彼らを倒したのだろう。どうやろ私は彼に命を助けられたらしい。
 
 
 
 ------------助けられて"しまった"らしい。
 
 
 
 あぁ本当に無駄なことをしてくれた。そう思った。彼には悪いけれどそう思った。だって彼は知らないだろう。全てを諦めて、全てを放棄して、全てから逃げ出した人間の気持ちなんて絶対分からないだろう。目の前の彼は見るからに"強くて"、生き生きしていて、私とはまったく正反対のように思う。生きる意味も何もかも忘れて脱け殻みたいな私とは全部が違う。
 ぼんやりと、どこともつかない虚空を見つめながら私はこの数年のことを思い出す。
 
 
 
 
 
 
 
 何の為に精神科医になろうとしたのか。いつしかそれすらも思い出せないようになっていた。

 
 
 
 毎日毎日上司に報告しては謝罪する毎日。存在を否定されるような言葉も何回も言われた。こちらに対して殺意すら持っていた人もいたと思う。初めは大丈夫だった。耐えることができた。こんなことは日常茶飯事で、医者なら当然誰しもが通る道で、命を、精神を扱う仕事の責任と背中合わせの代償で、当たり前のことなのだと。越えなければいけない壁なのだと。そう考えることが出来た。
 だけども、過ぎていく時間は、積み重なっていく苦しみは、悲しみは、痛みは、少しずつ、少しずつ私の精神を磨耗していって。
 
 
 
(この苦しみと私は一生向かい合わないといけないのか)
(越えなければいけない壁?越えたって次にあるのはそれ以上に大きな壁だ)
(終わりは、苦しみの先にあるのは…………私の死だ)
(……苦しくて、苦しくて仕方ない。死ぬまでこの苦しみは一生私に纏ってくるのだろう。じゃあ一体私は何の為に?何の為にこの仕事を続けているんだ?)
 
 
 少し頭にもたげた薄暗い感情は、じきに頭の大半を占めるようになった。そうなったらもうダメだった。全部が全部うまくいかなくなった。元から軋んでいた人生が崩れていく音がした。仕事がただの"作業"みたいにしか出来なくなった。元からあったかも、なかったかも分からないような"仕事へのやりがい"が完全になくなった。何も伴わないものに成果なんて実るはずもなく、私の地位は、信用はゆるゆると落ちていった。
 以前以上に私の陰口は酷くなった。アイツはもう落ち目なのだと、そんな声が聞こえるようになった。事実だったので私は黙ってそれを聞いていた。言い返す気力なんてもうあるはずもなかった。そんな噂が両親の耳にも入ったのだろう。独り暮らししている家に両親から電話がかかってくるようになった。言われる言葉は"失望した"、ただそれだけだった。失望したならもう私に掛けてこなければいいのに両親はしつこく私に電話を掛けてきた。嫌になって電話線を切ってしまうと、今度はどこで知ったのか携帯電話に掛かってくるようになった。私はその携帯の電源をOFFにした。大切な誰かからの着信に溢れていたそれは、今ではもうただのゴミでしかなかった。
 上司に言われた海外派遣としての仕事は未だに続いていた。海外ではまだ私の評判はそこそこのようで日本にいるときのようなことはなかった。それに患者の親族から何か言われても早口の英語だったので訳そうと思わなければ受け流すことが出来た。まるで逃げるように私は日本にいることが少なくなり、大半を海外で過ごすことになった。
 ……実際逃げだったのだろう。たまに日本に帰ると家が荒れていることも少なくなかった。ドアの前に"死ねば良いのに"なんて書かれた紙が貼られていることもあった。そんな時はぐしゃぐしゃになった部屋の真ん中で立ち尽くした。頼んでもないのに目からは涙がぽろぽろと、とめどなく溢れた。
 涙が零れ、嗚咽が出る。空っぽの胃からぎゅるりと音がしてそのまま嘔吐した。胃液しか出てこなくて、妙に酸っぱく感じる口が気持ち悪くて、私はまた吐き出した。
 
 それだけ辛かったのに、何故だか精神科医を辞めようとはどうしても思わなかった。濃尾の家の者であるという環境のせいもあったかもしれないけれど、それだけじゃないような気がした。自分の底にある何かが、それだけは、絶対に駄目だと言っていた。それがなんなのかは分からなかったけれど。
 
 
 
 
「へぇ……それがオニーサンの死にたい理由?」
「…………口に出てたかな」
「バッチリ♪」
 
 そう言いながら緑髪の少年は、ぱちっと上手にウインクしてみせた。どうやら無意識に口に出ていたらしい。年端もいかない子に何を言ってるんだろう。そう思って口を閉じようと思ったけれど、一度開いた口は簡単には閉じてくれそうになかった。
 
 
 
「笑ってよ……それで海外に逃げた結果がこの"ザマ"だ。日本で起きたことと同じようになった。こんな風に恨みを買って殺されかける始末だ。罵倒の言葉なら、もう、どんなに早口でも聞き取れるようになった……」
「…………」
「……もうどこにも逃げられない。分かってる。でもここじゃない何処かに行きたいんだ……分かるだろ?」
 
 
 
 だからもう死なせてくれ。そう言った意味を込めたつもりだった。他人の手を汚させるのは少々胸糞悪いけれど、目の前の少年は既に私の目の前で何人もの人間を殺している。その年齢で、どこでそんな術を身に付けたのかは知らないけれど、つまりは彼は"そういう世界"の住人なのだ。ここは日本ではない。治安も悪い。そんなことはきっと彼の中では日常茶飯事だ。あえて彼を正しい道に導いてあげよう、なんて医者らしい気持ちは湧いてこない。見るからに彼は"手遅れ"なタイプだった。まぁ結局のところ自分のエゴを優先したいだけなのだけど。自分のあまりの愚かさに笑えてくる。しかし一方どさっきまでへらへらと笑っていた緑髪の少年は、私のそんな懇願を笑いもせず一蹴した。
 
 
「それは無理な相談だなァ、アンタどうしようもなく"弱い"モン」
「…………」
「最弱も最弱、食物連鎖の食べられる方。自然界のカーストの最底辺。アンタはアンタが考えてるよりもすっごく弱い。それこそこんな世の中じゃ簡単に喰われちまうくらいにな。……まァだからアンタの"逃げる"という判断は間違ってなかったと思うぜ。今のアンタじゃどうせ喰い荒らされちまうだけだっただろう、骨も残らないくらいにな」
「…………」
「"弱い"奴は殺せねェ。……それはオレ様が優しいからでも、人情深いお人柄だからでもない。そう"言われた"からだ。オレ様にそれを言った奴はなァ、最高に最強だったオレ様を少しだけ"弱く"しちまった。だからオレ様は弱い奴を殺せねェ」
 
 
 
 そこまで言って、少年は真面目な顔を崩して、ニヤリと笑った。なかなかの悪人面だ。顔のほとんどは見えないけれど、何故だかそう思った。
 見えている右目がまるで蛇のようにぎょろりと動いた。
 
 
「だから、さァ。"強く"なって出直してこいよ。アンタが強くなって、オレ様が"強い"と判断したら、オレ様はアンタを殺してやる。喜んで殺そう。圧倒的に、容赦なく、一分の良心も感じさせず殺す。……その時になって今更止めてくれなんて言っても聞いてやらねェからなァ?」
「……でも、僕は、強くなんか……」
「あァ、確かに今のままじゃどう頑張った所で"強く"なんかなれねェよ。……身体的なものはそこそこみたいだが、生憎オレ様の言ってる"強さ"つーのは精神の強度だ。そう。オニーサンの専門分野、メンタルのな」
 
 
 
 
 まず一つ、彼はそう言った。
 
 
 
 
「俗にいう"メンタルが弱い"とかそういうのを言ってんじゃねェ------------そうだな。言葉で表すなら"良心"という言葉が相応しい----"良心"と言えば聞こえはいいかもしれねェが、こんなのはただの心の隙にしかならない。他人につけこまれる穴にしかならない」

 
 
 
「だから、まず最初に、そんなのは早々になくしてしまった方がいい」
 
 
 
 
 
 彼のそんな"強さ"と"弱さ"に関する講義は十五分以上続いた。私は彼のそんな話を黙々と聞いていた。年端もいかない少年にご指導ご鞭撻を受ける私の姿はきっと端から見たら酷く滑稽なものだっただろう。だけどそれを見るような人は既にただの冷たい肉の塊になっていたし、例え見られていたとしても。
 聞くのを止めようなんて思えなかった。
 
 


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