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作者/ 友桃 ◆NsLg9LxcnY



第4話『知る者、知らぬ者』(11)



「――なにが“根っからの不良”だ」

 風也は呆れ顔でそう呟いた。冷たい視線の先には、薄目である一点を見つめている後藤の姿がある。顎まで薄皮一枚のところで寸止めされた風也の足を、彼はひきつった顔で凝視していた。その顔から一度沸騰した怒りが急速に冷却されるの見て風也があっさりと足を引くと、彼は苦虫をかみつぶしたような顔でこちらを見る。同時に、静まり返っていた聴衆からどよめきが起き、やや安堵したような空気が一帯に流れた。
 羞恥と怒りにこぶしを震わせている後藤に、風也はどこか冷めた目を向けて言った。

「お前も下橋に来た理由はオレとたいして変わんねぇだろ。ほんと何が“根っからの不良”だよ」

 乾いた笑いを漏らして、ふと風也は後藤から視線をそらす。そのまますぐ後ろの2階建ての建物の壁に背を預けると、小さく息を吐いて額ににじんだ汗を軽くぬぐった。ここは背の低い建物がずらりと並んでいる場所なので、どうしても熱い日差しが差し込んでくる。ちょうど風也と後藤が立っている場所も、アスファルトの地面が白く照らされていた。よくこんな暑いところにたむろっていられるな、とそこだけは感心しながら後藤に視線を戻すと、彼は汗をふくのも忘れ顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけていた。今にも歯ぎしりまで聞こえてきそうである。人より体格が大きくケンカも強い後藤が、風也のような細身の青年に手も足も出ないこの状況は、部下達から見たらさぞ目を疑う光景のはずだった。

 ――後藤が下橋に来た理由。それを、風也は具体的に知っていたわけではない。しかし、下橋に入るために初めて後藤と“お目見え”したとき、彼はそれをにおわせることを言っていた。初めて下橋に来た日。その日のことが、自然と脳裏に浮かんできた。



「下橋に入りたい!?」

 風也が初めて下橋の地を踏んだのは、中学2年生の頃だった。下橋駅の改札を抜けた途端、高校生くらいの青年に声をかけられ事情を話すと、彼はなぜか素っ頓狂な声を上げた。どうやらその青年は下橋のメンバーで、他の不良グループがケンカを売りに来ないか見張り番をしていたようだ。風也が改札を抜けた途端すぐに声をかけてきたのもそのせいだろう。いつも誰かが見張りをしているなんて、やはり下橋は噂通りの危険なところなのだなと緊張が増したのを風也は覚えている。“下橋の連中と目を合わせたら最後、因縁をつけられてボコボコにされる”なんて噂もまことしやかに流れていたので、この場で不良たちに囲まれるのではないかと体の芯から緊張していた。

 果たして、目の前にいる茶髪で整った顔立ちをした青年は、突然「下橋に入りたい」と言ってやってきた風也のことをどうやら怪しんでいるようだった。幼さの残る顔に懸念の表情を浮かべて、風也のことを上から下までじっくりと観察している。その間風也は、唇をぎゅっと引き結んでじっとしていた。当時はまだ自分の力量を知らず、それなりに不良たちが怖かった風也は、目の前の青年を見たり脇に目をそらしたりして視線をさまよわせていた。身長差があるので、青年を見る目が自然と上目遣いになってしまう。それでもその日、風也は心を決めて自ら不良グループへの加入を望んだのである。
 目の前の青年は、不良のイメージからはやや外れた、線が細くて甘い顔立ちをしていたが、それでも対峙していると恐怖心はしっかり沸いてきた。握った拳にうっすらと汗がにじんできた頃、青年がためらいがちに聞いてきた。

「お前、本当にここに入りたいのかよ。ここの噂聞いたことあるだろ?」
「はい。それでも入りたいんです。お願いします」
「……ならいいけどよ。正直あんまりオススメしないけどな。つーかお前さっき下橋に入りたいって言ってたけど、下橋は地名であってグループ名じゃねぇからな?」
「えっ」

 風也は思わず目を瞬いた。巷では“下橋”の噂が出回っているので、てっきりグループ名も兼ねているものだと思っていたのだ。それまで緊張した面持ちだった風也が急に幼い表情を浮かべるのを見て、青年はニカッと歯を見せて笑う。その笑顔に驚いて目を丸くする風也に、彼は懇切丁寧に教えてくれた。

「下橋にはグループが3つあるんだよ。“緋桜”と“白虎”と“光刃”。ちなみにオレは“緋桜”のメンバーだから、“緋桜”に入れるように上に紹介してやる。ちなみに“緋桜”は3グループの中で一番強いチームだぜ。トップの後藤雄麻とか他の大学生は強い上に怖いから気をつけろよー。それでもいいか?」
 すらすらと出てくる言葉に目をぱちくりさせながら「は、はいっ」と弾かれたように返事をすると、もう一度青年は歯を見せて笑い、こちらに背を向けた。“緋桜”のトップのところに案内してくれるのだろう。なんだか随分と愛想がいい上に親切な青年で、もしかしたら下橋の不良も話してみると案外いい人ばかりなのではないかなんていう期待まで膨らんでしまった。

 ともかくも恐怖心をぬぐえた風也が青年の後についていこうとすると、不意に彼がもう一度こちらを振り返った。びっくりして足を止める風也を、じっくり見つめている。眉根を寄せて。

「あ、あの」
「なんっかお前不良っぽくないんだよなぁ。つーかすげぇ美系」

 それはこっちの台詞である。しかし青年はすぐに、「ま、いっか」と前に向き直り再び歩きだした。

 後でわかったことだが、この時案内してくれた彼が、のちに革命仲間になる三和伸次である。





 案内された先には、いかにも不良のイメージぴったりな男がいた。筋肉質なでかい体。オールバックに固め、メッシュの入った金髪。無造作に羽織った革ジャン。角ばった手には、ぎらぎらと光る指輪がいくつもはめられている。そして極め付けが、こちらに向けられた蛇のように人相の悪い目。
 後藤雄麻という名の下橋のトップは、ドラム缶にどっしりと腰を据え、同じく人相の悪い仲間たちと煙草を吸いながらたむろっていた。ただでさえ体の大きな男たちなだけに、元々小柄な風也から見るともう口をきくことすらはばかられるような連中である。つまりこの時はまだ、自分が後に革命を起こして目の前の男たちを下橋から追放することになるだなんて、これっぽっちも予想していなかったのである。
 ここまで案内してくれた青年が固い声で加入希望者であることを告げると、後藤はわざとらしくほぼ無いに等しい片眉を上げ、「このチビがかぁ!?」と大声を上げた。瞬間、周りにたむろっている男たちが、一斉に品の無い笑い声を上げる。しかしさすがにその場で追い払われるようなことはなく、後藤は薄笑いを口元に浮かべながら風也を近くに呼んだ。案内してくれた青年はそこで去っていった。

「名前と学年は」
「紫苑風也。中2です」
「中2!? お前それで中2かよ! すげーチビだな、てっきり小学生かと思ったぜ!」

 そう言って、ギャハハと派手に声をあげて笑う後藤。風也は思わずむっとしたが、相手の機嫌を損ねるとまずいということは本能で感じていたので、彼らの笑いがおさまるのをただ黙って待っていた。ふんぞり返って笑っている後藤は、嫌な笑みを口元に残しながら舐めまわすように風也を見る。

「で、てめぇみてぇなケンカもできなさそうな奴が、なんでここに来たんだよ」

 一瞬風也は口ごもった。理由を聞かれるだろうとは思っていたが、どこまで話すべきなのか迷っていたのだ。しかし、ドラム缶にたてた片膝に腕をのせて非常に偉そうな態度の彼を見ていたら、詳しく話す必要はな無いように思えてきてやや投げやりな口調で言った。

「家に帰りたくないんすよ。ていうか、顔を合わせたくない」

 すると後藤が突然身を乗り出してこう吐き捨てたのだ。

「ハッ、あたりめーだろそんなのは! 帰りたい家なんかあるもんかっ」

 思わず、風也はまじまじと彼の顔を見つめてしまった。家に帰りたくないことが“当たり前”だとぬかした奴は、少なくとも風也の周りでは初めてである。しかし驚く半面、どこかほっとしている自分もいた。少なくとも、拠り所を求めているという点では自分も、後藤も、そしておそらく他のメンバー達も同じだと確信できたのである。



 風也は現実に思考を戻した。ちょうど太陽に雲でもかかったのか辺りがさっと薄暗くなったときだった。肌ににじんだ汗が急速に冷えていく。建物の壁にもたれかかったままふと正面に立っている後藤に視線を戻すと、彼は汗だけでなく頭まで冷えてしまったらしい。こちらから目をそらして、頬を伝う汗をぬぐっている。そのつり上がった目には、先程の爆発するような怒りは薄れているように見えた。

 ――……四六時中イライラしすぎてさすがに疲れたか?

 半分本気でそんなことを考えながら黙って後藤を見ていると、彼はどこか不本意そうな表情で話しだした。

「あ~今なんか急に、てめぇが下橋に来たときのこと思い出しちまった。最悪」

 え、と顔をしかめて後藤を見る。後藤と同じことを考えていたなんて正直勘弁してほしい。しかし風也が顔をしかめている理由などさっぱりわからない後藤は、やはり不本意そうな表情で後を続けた。

「下橋に来た理由は……そういやそうだったな、胸糞悪いことに確かにてめぇと一緒だ。家も学校も死ぬほど嫌いだったからな」
「……オレ学校はそんなに嫌いじゃなかったけど」
「だからっ。だから尚更てめぇのことが許せねぇんだよ!」

 こちらの言い分は無視して急に激し始めた後藤を、風也は目を丸くして見た。何となく、壁に預けていた背を持ち上げて後藤の言葉を待つと、彼は唾を飛ばす勢いで言い連ねた。

「紫苑てめぇだったらわかるはずだろ、下橋が俺らに必要な場所だってことくらい。てめぇだって今下橋をとり上げられたらどうせ帰る場所がなくなるクチだろ! なのにてめぇ下橋に来て1年経つか経たないかのうちに騒ぎ起こして俺たちを追放しやがって! 俺らと同じことやられてみろよ!」

 イライラにまかせてガッと足で地面を打つ。再び顔を真っ赤にして怒ってはいるが珍しく口で訴えてくる後藤に、風也も同じく口で応戦した。ただし、至極穏やかに。

「その台詞、そのまま返すぜ。確かにオレがやったことはお前らにとってはひどいことだけどな、お前らは下橋にいるときにグループのメンバーに好き勝手ひどいことをやってる。お前らは下橋が唯一安心していられる場所だったかもしれねぇけど、同じように下橋が必要な他のメンバーから安心していられる場所奪ってるんだよ。居場所を奪われてるのは、……お互い様だ」

 自然と、最後の言葉が震えてしまった。今この瞬間、自分たちのやっていることが非常にくだらなく思えたのだ。くだらなくて、……本当にへたくそだと。下橋が必要なのはみな一緒で、下橋が安心して帰る場所であってほしいのはみな一緒で、それなのにお互い下橋の奪い合いをしている。みんなで仲良く下橋で暮らせばいい。こんなに簡単なことなのに、こんなにも、難しい。
 じんわりとにじむように、胸の内に冷たさが広がる。心地良さからはほど遠い。なんだか本格的に気持ちが落ち込んできた風也に、後藤がぼぞっと独り言のように呟いた。

「つーか俺他の奴のことなんて興味ねぇしな」

 風也がゆっくりと顔を上げ後藤を見る。救い難いといった目で。

「紫苑はお優しい奴だからな、他のメンバーがどう思ってるかとか考えるかもしれねぇけど、正直俺は興味がねぇ」
「お前はほんっとに……。他の奴らの気持ち考えねぇくせに拘束だけはするからタチが悪いぜ」

 風也は深々とため息をついた。後藤は後藤で「ははっ」と渇いた笑い声を漏らしている。それを聴衆は声も立てずに見つめていた。

 不意に、風也がくるりと後藤に背を向けた。

「……ったく、何しに来たのかさっぱり分からなくなっちまった」

 オレンジ色の夕日に照らされた金髪をくしゃりとかき混ぜる。ぐだぐだと話している間にすっかり時間が経ってしまったようだ。さわやかな風が吹く一方、照りつける西日の暑さに頃合いだと感じた風也は、そのまま「今日は帰る。じゃあな」と軽く手をあげ、後藤達のたまり場から立ち去ろうとした。

「お、おいっ」

 思わず、といった風に後藤が声をあげる。夕日の眩しさに目を細めながら首だけ振り返ると、彼はバツの悪そうな顔で口をもごもごとさせ、挙句「なんでもねぇっ」と吐き捨てた。風也は自分でも信じられないことに、呆れも蔑みもなく笑ってしまった。

「おいおいそこは、“やっぱり俺、金輪際下橋にケンカ売るのやめるからもう一度やり直してくれよ……!”って感動的な和解の言葉を言う場面だろ」

 つられて肩を震わせる後藤。

「言うかバカヤロー。……ただ、てめぇの彼女に手ぇ出すのだけはやめてやるよ!」

 風也は目を丸くして後藤を見た。やがて口端をあげ、「上出来」と声を弾ませる。宝石のように光る夕日に照らされている後藤も、どこかすがすがしい笑みを浮かべていた。