複雑・ファジー小説
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- 花と愛と毒薬と {episode}
- 日時: 2015/01/28 23:50
- 名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)
1年弱の長い執筆がようやく終わりました。
執筆中、朝倉疾風から夜多岬に名前を変更しました。これからもし、また新しく書くときは、この名前ですので、お見かけした際はお声をかけていただけると嬉しいです。
小説というにはあまりにも拙く、私の私的感情を爆発させるため書いているようなものですが(所謂ストレス発散)……。
読んでいただき、ありがとうございます。
暇な時間があれば、また、ふらっと現れます。
どうぞその時は、「ああ、またこの人書くのか……」と、呆れながらも読んでいただけると幸いです。
(本編)
執筆開始 2014年 2月5日
執筆終了 2015年 1月25日
○現在、完結後の「彼女たちの物語」を書いております。本当は書くつもりはなかったのですが(ただいま実習中)、暇なときにちょこちょこやっていくつもりです。懲りずに(笑)
○あと、Twitterをまたまた始めました(既に4回消してる)。IDは@moto_asakuraです。ゆるゆる始めます。いろいろと。
(彼女たちの物語)
執筆開始 2015年 1月28日
夜多 岬 (元 朝倉疾風)
- Re: 花と愛と毒薬と ( No.59 )
- 日時: 2014/09/04 02:45
- 名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)
八朔さま>>
はじめまして、朝倉です。
入賞云々につきましては、わたしは本当に趣味程度で拙いものを書いているだけですから、特に執着はなく、嬉しさもそれほど感じないのが正直な感想でございます……(投票?してくださった方への感謝は猛烈にあります)
ですから、「身の程知らずながら」なんておっしゃらないでください。わたしなんてただのド素人です。気軽に話しかけてやってくださいウヒィ。
こんな自己満足たっぷりな小説(と言っていいのかも定かではないですが)をこれからもよろしくお願いします。それでは。
- Re: 花と愛と毒薬と ( No.60 )
- 日時: 2014/09/04 02:47
- 名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)
夕食が出来上がったのは晩の6時を過ぎた頃だった。
テーブルの上に食事を並べていると、日が落ちる前に帰ってきていた香織が手伝いを率先してやりだした。最近、洗濯物を畳んだり床を掃き掃除したりと、簡単な家事をやるようになった。学校でお手伝いノートというのがあるらしい。その日にした手伝いを書いて、保護者からサインをもらって、先生に提出するのだと言っていた。この一週間、サインをするのは秀一の役目だった。
「すっごい美味しそう。秀一さんって料理すっごく上手くなったよね」
「まあ、毎日やってると慣れますよ」
子どもの頃から自分で適当に簡単なものを作っていた。そのせいかカレーや味噌汁には自信があったものの、手の込んだものは本当に食べれたものじゃなかった。煮物なんて野菜がまだ煮えてない状態で食卓に出していた。当初を思い出しながら苦笑する。レシピ本を買い漁って、毎日なんとかやりくりしてきた。
「じゃあ香織食べてください。俺はちょっと、帆乃香が部屋にいるか見てきますから」
「お姉ちゃん、まだ寝てるの?」
「2時間前に出かけてましたけど、帰ってきてるでしょう。風呂場の戸が開く音が聞こえましたから」
「秀一さんって耳すごくいいよね。地獄耳っつーか」
「モスキート音がまだ聞こえますよ」
きんぴらごぼうを小皿に色とりどりよく盛り付ける。これで完成だ。
エプロンを脱いで、二階へ行こうとする秀一を香織が引き止める。
「待って。お姉ちゃんにしばらく会ってないからわたしが行く」
「え、ガチっすか」
「ガチなのです」
帆乃香と香織の姉妹がまともな会話をしているところを秀一は見たことがない。帆乃香が香織をどう思っているのかはわからないが、香織は素直に彼女を姉として慕っていることは知っていた。生活リズムが違うせいかもしれないが、二人が仲睦まじく遊んでいるイメージがまったくない。幼少期も帆乃香は母親への抵抗のために香織に危害を加えようとした、ということを聞いてから、少なくとも帆乃香が香織を妹として認識していないことは確実だが。
麦茶を沸かす数分の間、悩む。
どうしようかと困っていると、ヤカンが汽笛のような音をたてた。
ここはひとつ試してみるかと、秀一の決心が固まる。
「じゃあ帆乃香を呼んできてください。無理に降りてこさせなくてかまいません。なにかされそうになったら…………逃げてくださいね」
「了解でーす」
足取り軽く香織が二階へ駆け上がる。その後ろ姿を不安そうな顔で秀一は見送った。
5分だ。5分で香織が戻ってこなかったら、様子を見に行こう。
胸にざらりとした何かが流れる。嫌な予感はした。けれど、たいてい帆乃香が絡むとなると、気分が貼れることはない。
姉と会うのは久しぶりだった。
幽霊のような姉は、いつも屋敷の中を彷徨っている。
同じ家に住んでいるというのに、会話らしい会話をしたことが一度もない。年が離れているせいだとずっと思っていたが、両親の反応からすると、きっと姉は病気なのだ。原因不明で治療することが難しい難病。だから学校にも通っていないのだ。
そういう認識を持っているせいか、香織の中で帆乃香は病弱で可哀想なお姉さんといったイメージだった。
部屋をノックするなんて初めてのことだった。
幼い頃、決して帆乃香の部屋だけは無断で入ってはいけないと、母親から言われてきた。病気が伝染るせいだと思って近寄ることさえしてこなかったが、もう自分は小学生だ。保育園の園児ではない。体だって大きくなったから、病気なんて伝染らないはずだ。
深呼吸して、数回ノックする。
返事はない。
もう一度しようとするが、部屋の中から物音が聞こえ、手が止まる。なぜか冷や汗が流れた。ごくりと唾を飲み込んで、「やめておけ」と頭では黄信号が点滅しているのだが、少しばかりの好奇心が勝り、扉を開けた。
「────え」
一人部屋にしては明らかに広すぎる部屋だった。女の子が好きそうなぬいぐるみが部屋のあちこちにあり、薄桃色の窓のカーテンは締め切っている。香織の部屋はフローリングなのだが、ここには高価そうな絨毯が敷かれてあった。壁には額縁に納められた絵が掛けられており、絵は有名な画家のものではなく、おそらく帆乃香が描いたものだろう。お世辞にも上手いとは言い難い、低学年の子どもが描いたような絵だった。遠目から見るとなにを描いているのかがわからない。
香織の視線はゆっくりと床の上で横たわっている同級生に注がれた。
塚原真矢。同じクラスでいつも一人でいる。
以前、学校の花がすべて摘み取られるという事件が起こった。その犯人ではないかとクラスで噂されている少年だ。その真矢がなぜうちの屋敷にいるのかがわからない。
それよりも、香織が驚愕したのはクラスメイトが裸だったということだった。なにも身に纏っておらず、衣類はすべて周りに散乱している。左腕に何箇所か痣があるのが見えた。
見てはいけないものを見た。
そう思い、扉を閉めようとした瞬間、扉の隙間から手が伸びてきた。強い力で胸元を掴まれ、そのまま中へ引きずり込まれる。突然の出来事に声すら出ず、そのまま香織は床に倒れ込んだ。顔を上げると冷めた目で帆乃香がこちらを見下ろしている。はっきりと顔を見たのは何年ぶりだろうか。以前見たときよりずっと大人っぽくなっている気がする。
「えっと、あの……なにも見てないからっ。晩ご飯ができたって、秀一さんが、呼んでて、それで」
綺麗な姉に見惚れて、肝心なことを言うのを忘れてしまっていた。
慌てて弁解するが、帆乃香は部屋を覗き見していた妹を蛆虫のような目で見るだけだった。どうしてこんなに嫌われているのかがわからず、余計に香織は混乱する。
横目で倒れている塚原真矢を見て再度怯え、「も、もう出て行くね」立ち上がった瞬間だった。
ものすごい勢いで頭を足蹴りされる。「ギャッ」そのまま床に強打し、強い頭痛が香織を襲った。帆乃香に蹴られたのだとわかり、恐怖で顔を引きつらせる。このまま殺されるのではないか。そう思うとショックで涙すら出なかった。痛みが響く頭を抑え、よろよろと立ち上がる。目の前の姉は自分とそんなに背丈は変わらなかった。
「お前、出てって。二度と来ないでね。あとだれにも言わないで。わたしとお前だけの秘密ね」
- Re: 花と愛と毒薬と ( No.61 )
- 日時: 2014/09/04 12:23
- 名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)
どうやって部屋から出たのかは覚えていない。気づけば廊下に立ち尽くしていた。蹴られたときに乱れた髪を整える。額が鈍く痛んだ。そのままクルリと翻して、半ば放心状態で階段を降りた。
最後の帆乃香の言葉がぐるぐる回る。秘密。姉と共通のなにかを持つことは初めてだった。会話すらろくにしたことのない帆乃香と秘密を共有している。それはどこか優越感すら覚えてしまう。きっと両親も秀一も知らない。帆乃香が塚原真矢を家に招き入れていることを。香織だけが知っている。
本来ならば秀一に言うべきなのだろう。
しかし、帆乃香の持つ毒に冒された香織は、彼女と秘密を共有できたことへの満足感の方が勝っていた。
ダイニングに行くと秀一が食事に手をつけずに待っていてくれていた。少し安心し、傍に駆け寄る。秀一の方も香織が無事だったのを見て安堵したのか、顔が綻んだ。
「ああ、やっと戻ってきた。5分過ぎたのでそろそろ様子を見に行こうと思ったのですが」
「5分?」
「こちらの話です。それで、帆乃香はいましたか」
「いたよ」
言ったあとで自分は嘘をつくのは得意ではないことを思い出した。動揺を悟られないように、香織は屈託のない笑顔を見せる。響く頭の痛みを気にもせず。彼女は最初の嘘をついた。
「ひとりで眠ってたよ」
夕食の片付けを済ませ、なぜか自分の部屋ではなくリビングのテーブルで宿題をしている香織の様子を見に行く。後ろからそっと覗くと、ノートに大量の漢字を書き連ねているのが見えた。字が小学5年生とは思えないほど丁寧で読みやすい。後ろにいる秀一に気づき、香織が驚いて「わっ」と声を上げた。傍に置いてあったコップに肘があたり、中に入っていたジュースがテーブル上に溢れた。秀一が慌ててタオルを持ってきてテーブルを拭く。
「ビックリさせちゃいましたかね。すいません。新しいの持ってきましょうか」
「い、いいよ。大丈夫。それより、算数でわからないところあるから、秀一さん教えてよ」
「漢字はしなくていいんですか」
「ノートに3ページ書いたらいいんだけど、こんなのただの手の運動だし。もうやだ、疲れた!」
見ると香織の右手の小指側が鉛筆の芯の色が付着しており、真っ黒になっている。
漢字ドリルを横にずらして、今度は算数のワークを取り出した。パラパラと内容を見て、懐かしさに目を細める。ワークのこれまでのページを見ても特に間違っているようなところはない。
「こんな問題してたなぁ。懐かしい……。で、どこがわかんないんですか」
「えっとねぇ、ここね」
「ああ、そこか。そこは…………」
ふと、香織の額に目がいく。若干腫れているのは気のせいだろうか。無意識に手が伸び、そこに触れる。一瞬、香織の顔が引きつった。撫でるとやはりコブができている。
「これ、どうしたんですか。どこかで頭打ちました?」
なるべく視線を泳がせないように努める。窮地に陥ると言い訳はスラスラ出てくるらしく、この時も妥当なものを答えた。
「学校の黒板の角で打ったの」
「うげぇ。それは痛いわ」
秀一のときどき砕けた喋り方が香織は好きだった。いつも敬語を使うせいか微妙な距離感を感じてしまっていたから。たぶんこのヘラヘラした笑顔も偽物なのだろう。ときどきものすごく冷めた目をしているときがある。それが香織に向けられることはなかったが、以前にテレビを見ていた秀一が、そういう目をしているところを見たことがある。ああこれが本当の秀一なのだと気づいたとき、心がざわついた。香織の知らない秀一の一面をもっと見たいと思った。
数年前に突然父親が連れて来たこの男は、きっと帆乃香の面倒を見るために雇われたのだろう。両親の会話を遠巻きに聞いて、それぐらいは香織もわかっている。
だから、帆乃香がいなくなると、この男も屋敷から消えてしまうのだろう。
「冷やしておきますか」
「痛くないからヘーキ」
帆乃香が塚原真矢を部屋に入れていることを、秀一に話すべきか迷った。
しかし、彼女との秘密の共有が足枷になって言い出せない。帆乃香のやっていることは犯罪だろう。男児を部屋に引き入れて、裸にして、その次を考えると嫌悪感で吐き気すらしてくる。もし姉が帆乃香ではなかったら、別の誰かが姉だったら、こんなにも彼女の雰囲気に飲まれることはなかっただろう。帆乃香の魅力は毒だ。帆乃香の秘密と秀一の存在で二重に拘束されているようで、まるで身動きがとれない。
「なんか元気がないですけど、どうかしましたか」
「わたしだってブルーな気分になることはあるんですー」
「例えばどんなときですか」
「し、失恋とか!」
ポカンと秀一が目を丸くする。
予想外の答えだった。
「小学生でも恋愛とかするんですね」
「そりゃするよー。いまどき」
「────というか、香織が失恋するんですね」
素直な感想だった。ぱっと見ても香織は相当綺麗な顔だと思う。「うちの子は誰よりも可愛いです」と主張したいくらいだ。親バカな面もあるのかと、ほとほと自分に呆れるが。
秀一とこういう話をするのは初めてだった。少し踏み込んでもいいだろうか。手探りの状態のまま、香織はずっと気になっていたことを聞く。
「秀一さんって、好きな人いるの?」
ど直球の質問に面食らう。小学生と恋愛の話をするなんて思ってもみなかった。ここまで年の離れた相手だと言葉を選ぶ必要があるから、ぎゃくに難しい。
「好きって言葉だけでは足りないのかもねぇ」
「それってお姉ちゃん?」
そう聞いたあと、香織はすぐに聞かなければよかったと思った。今まで触れてこなかった秀一の部分に、無理やり触れてしまったような気がして、後ろめたい。大人だが、彼はあんがい脆い生き物なんだろうということは薄々気づいていた。帆乃香がいなければ生きていけないような。帆乃香のために生かされているような。そんな歪んだ二人の関係に、自分が入り込む隙間なんてどこにもないのに。
困ったように笑い、秀一が目を伏せる。
本当の彼が見え隠れする。
こういう顔をさせるのは帆乃香だけだ。やっぱりこの人は帆乃香が好きなのか。そう確信すると、胸のモヤがますます濃くなるみたいで、気持ちが悪かった。
誰でも虜にしてしまうあの姉が恐ろしくもあったし、自分もその渦に巻き込まれつつあるのだと思うとたまらない気持ちになる。きっと秀一は渦の真ん中にいるのだ。なかなか抜け出すことができずにいる。真っ暗なところを一心に見つめている。その光景が頭に浮かんでぞっとした。
「俺は誰かに縋らないとダメですから」
そう言う秀一の横顔が、まるで自分と変わらない子どものようで。
とくりと香織の心臓が鳴った。
次の日、学校に塚原真矢は来なかった。
- Re: 花と愛と毒薬と ( No.62 )
- 日時: 2014/09/04 16:26
- 名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)
「少し相談があるんだけれど。いいかしら」
平日の昼間。ソファに腰掛けた秀一の膝の上で、帆乃香は眠っていた。香織は学校に行っており、両親は相変わらず仕事だったため、二人きりで油断していた。背後から声をかけられ、まずいなーと思いつつ、いたずらが見つかった子どものような顔で振り返る。
腕組をした理緒が立っていた。
仕事用のスーツに身を包み、長い髪を綺麗に纏め、仕事時のキャリアウーマン風の格好になっている。雰囲気は堂々としているが、そのナリはどう見ても二十代の若手社員にしか見えないため、誰も上は中学生になる子どもがいると言っても信じないだろう。
帆乃香との徹底的な瞬間は見られてはいないものの、この状態も非常にまずい。理緒から目を逸らす。冷や汗しか流れない。
「えっと…………仕事の時間じゃなかったですっけ」
「すぐに戻るんだけれど。先に決定事項を言っておこうと思って」
「あれれ。さっきは相談って…………」
「帆乃香を病院に連れて行くことにしたわ」
微細に秀一の眉がひそめられる。それは本当にごく僅かな表情の変化だった。
「知り合いに医者を紹介してもらったの。主人と三人で会う機会があったんだけれど、すぐにでも診察したほうがいいだろうって。なんとか障害……難しい言葉だからよくわからなかったけれど、精神疾患の疑いがあるかもしれないって。ハッキリ言われたわ」
そう言う理緒の表情は軽やかでホッとしているように見えた。
きっと精神科の隔離施設に帆乃香をぶち込みたいだけなんだろう。自分たちの手じゃあの子を抱えきれないから。無責任だとなじる気は毛頭ない。子どもを育てて親は親になる。我が子を愛せない親が、親になれるはずがない。
自分の母親と理緒を重ねてみる。どこかずれていて、どこかぴったりと当てはまった。
「それでお願いがあるの。これはあくまでわたしたち家族の問題だから、あなたには口出しをしてほしくないわけね。それにあなたがいると、どうしてもあの子は家から出たくないって言うでしょうから」
そこまで聞けば、理緒が言おうとしていることくらいわかる。
ため息をついて、秀一は理緒を睨みつけた。
「────俺はどうすればいいんですか」
「傍観者でいて」
そう言い、なにか光るものを秀一に投げ渡した。空中でそれを掴んで見ると、それはスペアキーだった。鍵をまじまじと見て、納得する。ついにこの時がきたのか。
「病院に連れて行くのは三日後よ。そのとき主人も帰ってくるから」
「俺はその日、どこにいればいいんですか」
「その鍵、わたしがよく愛用しているビジネスホテルなの。場所はまたメールで送っておくから。電車で郊外の駅まで着けば、歩いてすぐよ」
「わかりました」
いま手の中にある温もりがなくなってしまう。ものすごい喪失感を覚えた。ポッカリと穴が開いたような。
秀一の心がどす黒く染まっていく。このまま理緒を襲ってしまおうか。帆乃香がいるが、彼女は自分の母親がどうなろうが知ったことではないだろう。首をパキッと鳴らす。その顔からは笑顔が消えていた。
しかし、理緒を襲ったところで────彼女はきっと子犬に噛まれた程度にしか思わないだろう。
「三日後には主人も帰ってくるだろうから。それじゃあね」
「いっこだけいいですかね」
「なにかしら」
「俺は帆乃香を愛しています」
立ち去ろうとしていた理緒の動きが止まる。呆れ顔で秀一を見た。そして「ハッ、そんなこと」吐き捨てるように言う。
「前から知ってたわよ。アンタもその子も似た者同士じゃない。そのうち未成年による淫行罪でアンタも捕まるんじゃない」
まるで害虫を見るような視線だった。わざと大きく扉を閉める音をたてて理緒が出て行った。帆乃香が起きるのではないかと心配したが、杞憂に終わった。
壊れ物を扱うように、体を支えている手の力を若干弱める。
このまま帆乃香を誘拐してしまおうか。二人きりで遠くへ逃げて、誰にも知られない田舎町で、こっそり生涯を終えてしまえればどれだけ幸せだろう。
けれど、もし────帆乃香が秀一を必要としなくなったら。
「俺は…………」
- Re: 花と愛と毒薬と ( No.63 )
- 日時: 2014/09/04 16:29
- 名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)
・・・・・・・・・
その日のわたしの記憶は、帆乃香の奇声から始まっている。
憂鬱な朝だった。外は灰色一色で塗られたようで、わたし自身も淀んでいく気がした。なにか悪いことが起こるんじゃないかって、そんな予感がしていた。
目が覚めたら真っ先に、人の声じゃないみたいな叫びが聞こえた。
音にして表現するのは難しい。なにかを訴えているようだけれど、まったく聞き取れない。不協和音みたいだ。
のっそりとベッドから起き上がって、寝巻きのまま廊下に出る。
母さんと、マヤが一緒にいるのが見えた。そこでわたしの思考回路は一度停止する。再起動したとき、既に容量はいっぱいだった。なぜ。なにが。どうなっているんだ。わたしがマヤを帆乃香の部屋で見た日から、彼は一度も学校に来ていなかった。わたしはてっきり、家で休んでいると思っていた。
けれどマヤは、あの5日間、ずっとうちにいた。
すなわち、帆乃香によって監禁されていたのだ。
いま冷静になってみればスラスラと探偵っぽく推理できるんだろうけれど。そのときのわたしはまだ子どもで、どうしようもない馬鹿だったから、全然理解できなかった。
全身痣だらけで、火傷痕があって、教室にいるときよりずっと陰気な顔で俯いているマヤの姿に衝撃を受けたからかもしれない。
母さんはそんなマヤの腕をしっかり掴んでいたが、そんな強さじゃ爪が皮膚に食い込むんじゃないかって心配になるほどだった。その目は、あれは、化物を見ているようで恐ろしかった。
わたしの立ち位置だと母さんとマヤしか見えなかったけれど、よく見ると二人の向こうに帆乃香と父さんがいる。父さんは暴れまわる帆乃香を抑えるのに必死になっていた。廊下には吐瀉物と、マヤの股から垂れている尿で汚れていて、異様な匂いを放っていた。今でもあの匂いを思い出すと吐き気が込み上がってくる。
「あなた、その子を一階に連れて行って。それで警察を呼んでちょうだい。こんな…………誰よ、この子。一体いつから、いつからなの……ッ」
いつも毅然としている母さんが、この時ばかりは声を震わせていたのを覚えている。
父さんがズルズルと帆乃香を引きずりながら階段を降りていく。足で何度も床を蹴って、父さんの腕を引っ掻き回しながら、帆乃香は抵抗する。所詮は非力な子どもだ。一階に連れて行かれても帆乃香の声は聞こえ続けていた。
そこで初めて母さんがわたしに気づく。
「香織、そこ、部屋に戻ってなさい」
「でもっ」
「いいから言うこと聞いてちょうだい」
マヤがゆっくりとわたしを見る。目が合ったはずなのに、彼がどこを見ているのかわからなかった。
母さんが携帯で必死にどこかへ電話をかけている。電話の相手は、たぶん、秀一さんだったんだろう。いつもの冷静さを欠いて、母さんは必死で電話口に怒鳴りつけていた。その間ずっとマヤがこっちを見ているのが気味が悪かった。
母さんが電話を切った瞬間、一階から聞こえていた帆乃香の奇声がピタリと止む。
一気に屋敷が静かになる。
マヤを置いて母さんが階段を駆け降りる。二階の廊下で二人きりになったわたしたちは、まだ視線を交じ合わせていた。声はかけないでおいた方が身の為だろう。わたしはそのとき帆乃香よりもマヤの方が恐ろしかった。頭のどこかを弄られておかしくなったマヤ。口の端から涎を垂らしている彼が人間とは思えない。恐怖で指先の筋肉すら動かせない。
そこからは、正直、わたしとしてもうろ覚えだ。
一階から母さんの悲鳴が聞こえて、わたしはマヤを無視してそのまま一階に降りた。リビングに向かう途中から廊下に引きずったような血の痕がついていた。その時点で逃げればよかったのだ。それでもわたしは血の道を進んでいく。
血をたどっていくと、そこには父さんがいた。
リビングに置かれているテーブルの上に、父さんはデロンッと倒れていた。死んでいるんだってそのときハッキリわかった。あれだけ怖い思いをしていたのに、死体を見るとすうっと頭の芯が冷えていく。驚きすぎて冷静になってしまう。いや、これは夢なんだと必死で思い込もうとしていたから、冷静ではなかったのかもしれない。ただの現実逃避。テーブルの下には血溜まりができていて、獣臭い異臭がした。この短時間でよくもまあ腹の中身をあれだけ広げられたものだ。近くに包丁が落ちていて赤く染まっている。どう見ても使い方を誤っていた。
その父さんの死体の傍に帆乃香はいた。返り血を浴びていて、白い服に点々とまだ新しい血が付着している。なかなか恐ろしい光景のはずなのに、わたしはとても綺麗だと思った。雪のような肌にも父さんの血が付いていて、人を殺したのに動揺もなく、静かに佇んでいる。そんな帆乃香が美しかった。
「雨が降ってる」
帆乃香が口を開いた。わたしは窓の外を見る。曇ってはいるが、雨は一滴も降っていない。
「ずっとずっと雨がね、わたしを濡らすの。暗くてじめじめとした場所。わたしはそこにずっといた。ひとりぼっちで。逃げようとは思わなかった。そこでずっと咲いていようって思った」
喋る言葉のひとつひとつが胸にすうっと入ってくる。言っている内容の意味は理解できそうでできないけれど、彼女はずっと孤独だったのだということはわかった。
わたしはあの時、なんて答えただろう。もしかしたらずっと黙っていたのかもしれない。どこからか女の狂ったような叫び声が聞こえてきたと思ったら、ダイニングから母さんが走ってきた。そういえば悲鳴は聞こえたのにリビングにいないなと思ってたんだ。両手に持っていた鉢植えを、思いきり帆乃香の頭に振り下ろす。その一連の動作がスローモーションに見えた。
花が手折れたように帆乃香が膝から崩れる。父さんの血の中に倒れて、そのまま動かなくなった。
植木鉢は割れ、母さんは肩で息をする。自分の娘を見下ろして、不細工に笑った。
「ざまあみろ!最初からこうしていればよかったのよ!お前なんか産まなきゃよかった!このキチガイ!ああもうなによこれ、なんなのよこれは……ッ。最悪ッ、最悪最悪最悪最悪!」
取り乱す母さんを初めて見た。同じ家族なのに、見たことのない一面が多すぎて、本当に目の前の女の人が母さんなのかわからなかった。
笑いながら、泣いている。母さんは忙しい人だ。
そこでわたしは秀一さんがこの場にいないことに気づいた。秀一さんはこの屋敷にいない。だから、この狂った人たちを止められる人なんて誰もいない。
床に倒れていた帆乃香がピクリと動いたことに母さんは気づいていなかった。「母さん逃げて」って言えばよかったのにわたしは声が出なかった。喉に突っかかるようで言葉になってくれない。笑い狂う母さんの後ろで、ゆっくりと帆乃香が落ちていた包丁を拾って立ち上がる。額から血が流れているのが見えた。
「よくもやったなぁ、クソババア」
汚く罵って、後ろから母さんを刺す。痛みで顔を歪ませ、母さんが嘘でしょといった表情で振り返ろうとする。その前に包丁を抜き、もう一度深く刺した。母さんが倒れても、何度も何度も帆乃香は包丁を突き刺す。じゅぼっという水音が響いた。絨毯が血に染まる。
耳を塞ぎたかった。
目をそらしたかった。
声を出して泣きたかった。
なにもできずに、ただ、突っ立っていた。
ビクビクと痙攣していた母さんの身体が落ち着き、止まった。次はわたしだと思った。帆乃香が無機質な目でわたしを見る。逃げなきゃ。逃げなきゃ殺される。頭の中でサイレンが鳴っているのに、体が言うことを聞かなかった。
帆乃香が近づいてくる。ああ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、絶対にこれは死ぬ。
恐怖でじわりと下半身が濡れた。涙を流して首を横に振ることしかできなかった。
包丁を持つ手がゆっくりと上げられる。そのままわたしの心臓を突き刺して、この鼓動を止めるんだ。わたしは姉に殺される。
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