複雑・ファジー小説

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花と愛と毒薬と {episode}
日時: 2015/01/28 23:50
名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)

 1年弱の長い執筆がようやく終わりました。
 執筆中、朝倉疾風から夜多岬に名前を変更しました。これからもし、また新しく書くときは、この名前ですので、お見かけした際はお声をかけていただけると嬉しいです。

 小説というにはあまりにも拙く、私の私的感情を爆発させるため書いているようなものですが(所謂ストレス発散)……。
 読んでいただき、ありがとうございます。
 暇な時間があれば、また、ふらっと現れます。
 どうぞその時は、「ああ、またこの人書くのか……」と、呆れながらも読んでいただけると幸いです。



(本編)
執筆開始 2014年 2月5日
執筆終了 2015年 1月25日





 ○現在、完結後の「彼女たちの物語」を書いております。本当は書くつもりはなかったのですが(ただいま実習中)、暇なときにちょこちょこやっていくつもりです。懲りずに(笑)
 ○あと、Twitterをまたまた始めました(既に4回消してる)。IDは@moto_asakuraです。ゆるゆる始めます。いろいろと。



(彼女たちの物語)
執筆開始 2015年 1月28日





    夜多 岬 (元 朝倉疾風)




Re: 花と愛と毒薬と ( No.74 )
日時: 2014/09/18 19:44
名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)

沈井夜明さん>>


 コメントありがとう。
 お名前の読み方がわからんのだけれど、また教えてくだされ。
 

Re: 花と愛と毒薬と ( No.75 )
日時: 2014/09/19 22:13
名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)

 南野さんは帆乃香が欲しいんじゃなくて、帆乃香に欲しがってほしいのか。自分のものになったって、帆乃香が好意を向けてくれなければ意味がない。そこが南野さんのプライドを完全に叩き潰している。
 帆乃香が欲しなければ、南野さんの存在している意味なんてないのだから。少なくとも南野さん自身がそう思っているのだから、ぼくにその定義を変えられない。たった一人に人生左右されているくせに周りからの意見を聞こうともしないから、人間ってことごとく自分に都合がいい。

「でも帆乃香はぼくの方が好きみたいでしたけど」

 思いきり頬を殴られた。平手打ちじゃない、ぐうだ。次第にジンジンと頬が熱くなり、鈍痛が走る。口の中が切れたのか、血の味がした。起き上がる前にぼくの上に南野さんが乗ってくる。何発か食らって、ぼくの上から退く。
 詩朱がぼくの横に駆け寄ってきて南野さんに向かってなにか叫んでいた。そんなに挑発したら、いまのあいつは本気でなにをしでかすかわからないから。

「いいから。ぼくは平気だから」

 そう言うと詩朱が今にも泣き喚きそうな顔でぼくを見た。こんなに狼狽える詩朱を見るのは初めてで、いいものを見れたとこっそり胸の奥でほくそ笑む。大丈夫、大丈夫と、詩朱の頭を撫でた。首を横に振り、詩朱はぼくを離すまいと必死でしがみつく。
 少し顔を起こすと、呆然と立ち尽くすカオリの姿が見えた。表情は髪の毛で隠れて伺うことができない。
 もしかしたら泣いているのかもしれない。
 死にたいと告白した日から、今まで塞き止めていた感情が一気に流れ出している。情緒不安定になって気分の浮き沈みも激しくなっていた。喜怒哀楽が表に出るようになったけれど、たぶんそれは、カオリ自身が治ってきているからだ。事件の日から、死に直通するものすべてを遮断してきた彼女にとって、感情もその一つ。恐怖心も焦燥感ですら、カオリにとっては拒絶すべき対象だった。死が怖いと否定していたカオリが、死ぬことを受け入れたことで、徐々に感情が復活している。喜ばしいことなんだろうけれど、彼女の透明な部分がなくなってしまったようで少し虚しい。

「ずっと前から、俺は塚原くんがきらいだったのかも」

 南野さんがポツリと呟いた。
 今さらすぎて呆れる。

「会ったときから嫌われているなって感じ取ってましたよ。子どもは大人の顔色をよく見ていますからね」
「本当に嫌なガキですよね。帆乃香もなんで興味を示したのか」
「それは、」

 簡単なことだ。

「ぼくたちの周りはいつも雨だったから」

 詩朱が頭大丈夫かコイツと要らぬ心配をしたのか、ぼくの頭をしきりに撫でてくる。カオリまでもがこちらを心配そうに見てくる。カオリは彼氏がボコボコにされているのに駆け寄ることもしないのか。ぼくはその態度の方が不安になるんだけれど。

「雨…………そういや最初に聞いたきみと帆乃香の会話にも、雨がどーのこーの言っていましたよね」
「そうだっけ」

 あまり記憶がない。ただ彼女の頭の中にもずっと雨音が消えないということだけは、本人から聞いて印象深かったので覚えている。耳鳴りのようにその音が降るのだと。今となってはその雨音は幻聴だったんだと理解できる。

「塚原くんはなにも覚えてないんですね。帆乃香との会話の内容も、その時の雰囲気も、ぜんぶ覚える価値のないものだと思っているんでしょうね。俺の方が、当時をよく覚えている」

 三十歳を過ぎている大人の目とは思えないほど、寂しそうな子どもじみた目だった。今にも泣き出してしまいそうで、こっちが構えてしまう。

「ぜんぶ俺ばかりなんだ。帆乃香は…………与えるだけで、欲しいと思ってはくれないんです。酷いじゃないですか。両親を殺した後も、俺が守ってきたのに、俺のところに戻ってこない。ずっとネットの世界で他人の自殺に関わっている。自分と一緒に死んでくれるやつを、探してるんですよ」

 ガリガリッと皮膚が剥けるほど頭皮を掻き毟った。

「俺と一緒に生きる未来を帆乃香に与えたかった。与えられるばかりだから、今度は俺が…………でも帆乃香は帰ってこない。どうしてだ。俺のこと嫌いにならないって、言っていたのに」

 大きな肩が震える。大人が泣く光景は見慣れていた。子どもの頃、死なせてくれと父親が母さんに懇願していたとき、あの人は子どもみたいに泣きじゃくっていたし、母さんも涙を浮かべていた。大人は完璧じゃない。でもさすがにこの状況で泣かれるとぼくたちは非常に戸惑う。詩朱なんかドン引きだ。
 南野さんは項垂れてベッドの脇に腰掛けた。
 ぼくは詩朱に支えられてやっと立ち上がり、ヒリヒリと痛む頬を撫でる。

「真矢くん、もう行った方がいいと思うんだけれど」

 詩朱がもっともな提案をしてきた。
 ぼくたちは詩朱を迎えに来たのだ。既に目的は達成している。このまま三人で戻り、詩朱を蒼井さんの家に連れて行き、すべて終わる。
 行方不明になった帆乃香のことなんて知らない。
 ぼくたちにはもう関係がない。

「帆乃香とはぼくもカオリも会ってないんです。もしこのまま帰ってこないのなら、警察に行くことを勧めます」

 彼はなにも答えない。

「ぼくたちはこのまま失礼しますが、南野さんも…………ここにはいない方がいい。ここはぼくたちにとってはあまり良い思い出はないですから」

 ぼくは右手でカオリの手を、左手で詩朱の手を握った。
 そのまま部屋を後にする。
 南野さんが追いかけてくるかなと思ったけれど、1階に降りるまでなにもなかった。

 1階に、降りるまでは。

 強い力で右腕が後ろに引っ張られる。ちょうど階段のあと数段を降りようとしたときだったから、踏み外す。尻もちをついた。視界が反転する。左横を見ると、詩朱も同じような状態になっていた。
 右横を見る。
 繋いでいたはずの手が、なかった。
 どうしてだと思って振り返る。カオリがぼくを見下ろしていた。

「カオリ?」

 嫌な予感がした。それと共にぼくの右手を無理に振りほどいた彼女に対して、苛立ちも増していく。できるだけ表情は柔らかく、笑顔でいることを努めた。口許は少し震えているかもしれないが。

「どうしたの。うちに帰ろう」

 夕焼けの光が真っ直ぐに彼女を照らす。その姿が過去と重なり、消えていく。亡霊のようだった。目を細めて、輪郭を視線でなぞる。自分が今いるここが現実なのだと実感する。亡霊なんかじゃない。カオリは、ここにいる。
 カオリは困ったような、戸惑っているような、そんな表情だった。
 艶やかで綺麗なその後ろ髪を引かれているのか。あいつの存在に、自分のこれからの未来を迷っているのか。

「南野さんの方がいいの?」
「そんなんじゃない。────でも」
「でも、なに。今、なににカオリは迷ってるんだよ」

 無意識に詩朱の手を強く握ってしまい、「痛い」と言われた。

「お姉ちゃんを好きでいたら、ずっと秀一さんはあのままだと思う」
「は…………っ、どういうこと」

 素直に疑問だった。南野さんが帆乃香を好きでいる限り、ああいう状態から抜けられないということはわかった。でも、それをどうして帆乃香が気にするのかがわからなかった。

「わたしはお姉ちゃんに似ているんでしょう。お姉ちゃんとそっくりなんでしょう。だったら、わたしが益田帆乃香になればいい」

 はぁ、言っている意味が理解できない。
 それはぼくではなく南野秀一の傍で帆乃香として生きるって意味なのか。そんなこと許されるのか。ぼくは帆乃香ではなく、カオリを必要としている。一目惚れだったんだ。あの事件の後も、「普通」なことに縋り付いて、必死で常人を演じてきたその健気さが愛しかった。自分を傷つけずにはいられないもどかしさも、死に対してのトラウマも、すべてを背負った上で一人でいようとする彼女が好きだ。
 カオリと一緒に死にたいと、心底思った。
 帆乃香じゃない。カオリがいい。ぼくは二人の姉妹を比べたりなんかしていない。
 南野秀一と一緒にするな。

「自己犠牲もここまでくると病気だな」

 ぼくの言葉に、カオリはひどく傷ついた顔をした。そんな顔もできるのか。多彩な顔色の変化にぼくの方がドキッとさせられる。心臓に悪い。カオリを傷つけた罪悪感より、そういう表情を見られたことの方が嬉しい。
 歪んでいるな、ぼくも。

「南野さんは狂ってるんだよ。ぼくたちが関わっていい相手じゃない。あいつが部屋にいる間にここから出よう」
「わたしたちは正常だっていうの?わたしたちも十分おかしいよ」
「ぼくたちは事件の被害者だろっ!おかしくて当然じゃないか」
「お姉ちゃんは病気だったの。心が病んでいたの。人間は誰でも他人の闇に興味があるわ。だから南野さんも、真矢も、そのお姉ちゃんの闇に惹き込まれただけよ」

 あまり声が大きいと、南野さんに聞こえるかもしれない。
 ぼくは詩朱の手を解き、カオリに近寄った。

「ならカオリは狂ってる南野さんに惹かれているだけなんだよ」
「違うわよ」

 強い口調でカオリが否定する。

「わたしは小さい頃から秀一さんが好きだったもの」

Re: 花と愛と毒薬と ( No.76 )
日時: 2014/09/25 22:37
名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)

 初めてカオリと体を重ねたのは高校に入って少しした頃だった。その時既にカオリは祖父母の家ではなく、一人暮らしのためにアパートを借りていて、そこから登校していた。なんとなく一緒に帰って、なんとなく部屋にお邪魔した。カオリはたぶん、そういうつもりだったんだと思う。ぼくも今までキスはしていたから、今日は一歩段階を進むのかなと漠然と考えていた。
 帆乃香に性行為を強要されていたから、とっくの昔に初体験は済んでいる。
 ぼくにとってはセックスは少し怖いものだった。小学生にとって女の身体というのは性的な刺激よりも体液の感触と、妙な温かさを思い出させて、不快の対象だった。上に乗られるという行為もあまり好きじゃない。相手の支配下に置かれているようで落ち着かない。
 幸いカオリは初めてで、ぼくを襲うなどといったことはしてこなかった。こちらの愛撫を怖々と受け止めるといった感じで、緊張というよりは後ろめたさが伺えた。身体の至るところに自傷行為の痕があって、陰毛が毟り取られて無いとわかったとき、絶句した。どうしたらここまで自分を追い詰めることができるんだろう。あれだけ死にたくないと言っていたのに、太ももや乳房のすぐ下には、自傷行為の傷跡が残っていた。
 綺麗だと思った。
 この傷だらけの身体が服の下に隠されているのだと思うと、たまらなく興奮した。
 自分だけが知っている秘密だと、優越感すら覚えた。
 セックスの最中にカオリはぼくに対して「好き」とも「愛している」とも言わない。ただ嬌声をあげるだけ。この行為で自分の中の不安なものを必死で揉み消そうとしているのがわかった。それがなにかは敢えて聞かなかったんだけれど。
 その答えが、いまやっとわかった。
 ぼくを真っ直ぐ見据えてくる。嘘ではないのだと表情から悟った。

「いつから?」
「小さい頃から。お姉ちゃんの世話係で家に来たときからずっと」

 まあ、薄々は気づいていたことだけれど。
 でも認めたくないって気持ちがあったから、今の今まで確かめずに来たんだ。

「────だから、ここでぼくとさよならするのか」

 すうっと自分の中の芯が冷えていく。カオリは決まり悪そうに目を逸らした。
 どうして目を逸らすのかわからなかった。なんだかぼくに悪いことをしたという自覚が最初からあったみたいじゃないか。最初から、ぼくを裏切ることが結末としてわかっていたみたいじゃないか。

「ぼくを代用していたのか。ぼくをあいつの代わりにしたんだな」
「そんな言い方やめてよ。真矢だって…………わたしをお姉ちゃんの代わりにしていたくせに」

 なんなんだよ、皆。
 帆乃香、帆乃香、帆乃香って。
 もう終わったことじゃなかったのか。

「ぼくはカオリが好きなんだよ」
「わたしも真矢は好きだよ。でもね、やっぱり一緒に死ぬことなんてできないよ」

 どうしてこんなに泣きそうになっているんだろう。これからもずっとこの手の中にあると思っていたカオリを失いそうになっているからか?……それとも、カオリから初めて「好きだ」と言われたからだろうか。どちらにせよ、ぼくはカオリを失ってしまうんだろう。
 カオリの背後からゆらりと人影が揺れる。南野さんだ。部屋から出てきたのか。
 暗い目でぼくらを見ている。どうしてぼくらがまだここに残っているのかわからず、不思議そうな表情をしている。詩朱にさっきから腕を引っ張られて痛い。

「階段でなんの話をしてるんですか」

 別れ話の元凶になっている男が空気の読めない発言をする。
 カオリはいざ本人を目の前にすると言い出せないらしく、俯いて、口を噤んでいる。南野さんは訝しそうにカオリとぼくの顔を交互に見る。

「南野さんは帆乃香の代わりにカオリを愛せますかね」

 帆乃香の代わりなんて絶対に無理だ。ぼくだって帆乃香の身代わりでカオリの傍にいたわけじゃない。カオリはカオリだ。カオリと共に死にたいと心から思っている。帆乃香とは…………できれば一緒に死にたくない。約束を果たさなきゃという義務感は既に心から消えているけれど、罪悪感はある。こびり付いている。でも、それだけだ。帆乃香に対してあるのは恋愛感情でも崇拝でもなく、罪悪感のみ。
 南野さんは真逆だ。
 彼女に対して向けている感情が渦のようで、解けない。彼は自分自身をコントロールできない。未だに、帆乃香の腕の中にしがみついてる。……幼稚だな。
 母親に置き去りにされた子どもは、べつの女性を親として見ろと言われても、なかなか気持ちを切り替えることはできない。延々と泣き続けて、母親が戻ってくることを乞う。

「帆乃香がいいですね」

 満面の笑顔で、南野さんが断言する。
 カオリの手が震えているのがわかった。
 ────彼女の考えていることがなんとなくだけれど、伝わってくる。身代わりでもよかったんだ。南野さんが自分を求めてくれるなら。自己犠牲の上で、南野秀一の心が支えられるなら。益田香織が消えてしまっても、彼女は傷つかない。
 カオリは南野さんのためなら、死ぬことも躊躇わないのかもしれない。

「ねえ、真矢くん」

 それまで一言も会話に参加せず成り行きを見守っていた詩朱が、静かに口を開いた。

「真矢くんはこの子に振られたんだとボクは察したんだけれど」
「はあ…………」
「そろそろ、家に帰らないかい」

 ごもっともだ。詩朱を奪還したいま、あとは家に帰ることだけが目的だ。
 カオリがいい子でぼくの言うことを素直に聞いてくれればいいんだけれど。ここに残しておくわけにはいかない。万が一、帆乃香が帰ってくれば、それこそ修羅場では済まない。
 手を差し出す。
 今なら、ぼくのところに戻って来れるよと。
 カオリは呆然とそれを見つめていた。

「怒らないから。一緒に帰ろう」

 優しい声色で伝えると、その瞳に一瞬迷いが生まれたのがわかった。本当に表情の変化がわかりやすくなったな。
 じりじりと手に触れようとする。ゆっくり近づいてきて、もうちょっとで届きそうだ。強引に引っ張ってここから立ち去りたいけれど、彼女を怖がらせるかもしれないからやめておく。自分から手を伸ばすことに意味があるんだ。ぼくも大人になったじゃないか。前は自分の気持ちを一方的に押し付けるだけだった。それは相手にとって迷惑だし、不幸だ。カオリがぼくと一緒に死ねないのなら、一人で死にたいというのなら、それを尊重しよう。カオリが一人で死んだ後に、同じ場所でぼくも死ねばいいだけだ。綺麗な死体になって、ぼくたちは永遠になれる。こんなことを本気で思っているぼくは病気なのか。死にたい、死ねない、死が怖い。そんな矛盾を抱えるぼくたちをどうか笑わないでほしい。
 これでも真剣に恋しているんだ。笑えるくらい。

Re: 花と愛と毒薬と ( No.77 )
日時: 2014/10/16 21:40
名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)

カオリのアパートに戻る途中、蒼井さんの家に向かった。詩朱の携帯には何件も蒼井さんとぼくの母さんからメールや電話の通知がきていた。ちなみにぼくのにも数件母さんからかかってきていたが、マナーモードにしていたから気付かなかった。「ボク、なにも言わないよ」詩朱が呟いた。日が落ちて辺りは暗いから、表情はわからない。歩くのが遅いカオリに歩調を合わせているぼくに対して、詩朱はぼくたちから少し離れた前を歩いていた。
 蒼井さんや母さんに話したところで、余計に心配されるだけだ。一人娘が誘拐されたと聞いたら蒼井さんはどうなるだろう。ああ見えてデリケートな人だから、ぶっ倒れるかもしれない。母さんも詩朱を可愛がっているから、気が気ではないだろう。まさか警察に言ってはいないだろうな。大事になると厄介だな。ぼくと詩朱とカオリの三人で遊んでいましたごめんなさいと、頭を下げよう。
 彼らが納得するような言い訳を考えていたら、いつの間にか喫茶店「AOi」の前にたどり着いた。店内はほんのり明るいが、プレートには「今日は終わりました」と書かれてある。

「怒られるかもね」

 扉を叩こうとする詩朱に声をかける。彼女は何一つ悪いことはしていないのだけれど。
 詩朱は軽く頷いて扉をノックした。しばらくすると中からドタバタと走る音がする。ガチャッと鍵の開く音がして、勢い良く扉が開く。

「────しいちゃん」

 出てきたのは詩朱の父親の蒼井理人だった。
 線の細い、穏やかそうな人で、ぼくの母さんとは高校時代の先輩後輩になる。奥さんとは死別していて今は詩朱と二人暮らしだ。大人しい人で、時々ぼんやりしていることが多い。それでも一人娘が帰らないという一大事に少々取り乱してはいたようだ。目が赤いから、泣いていたのかもしれない。
 詩朱を見つけるとか細く名前を呼んで、前からキツく彼女を抱擁する。

「しいちゃん、おかえり」

 それだけ言って、叱ることもない。ただただ娘を抱きしめ、頭を撫でる。
 親子水入らずの空気に部外者がいてはお邪魔だろう。そう思ってカオリと一緒に引き返そうとしたとき、中からまた足音がした。嫌な予感がする。

「まや〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!」

 再び扉が開き、蒼井親子を押しのけ、母さんがぼくをめがけて飛びついてくる。ぼくは今ほとんどカオリのアパートで住んでいるため、母さんとも二週間ほど前にいったん家に戻ったとき以来だ。ものすごい力で腕を引っ張られ、思いきり平手打ちを食らう。乾いた音が響いた。頬がヒリヒリする。南野さんに殴られたばかりなのに。どうしてこのタイミングで平手打ちなんだ。

「真矢と詩朱ちゃんが一緒にいるってことは、真矢が遅くまで連れ回してたの?どうしてそんなにお顔がボロボロなの?こんなに帰りが遅いの?家に帰ってこないの?わたしの質問にぜんぶ答えなさい!!」

 ガクガクと服の襟を揺さぶられる。頭が前後に揺れて、目が回る。答える隙なんて与えてくれない。

「しいちゃんが帰ってきたから、それでいいよ。真矢くんもなんだか怪我をしているみたいだし、手当しないと」

 慌てて蒼井さんが母さんを止めてくれる。この人も大変だな。
 ふらつく頭を抑えた。このまま手当をしてもらったところで、母さんからの質問攻めに合うのは目に見えている。
 どうしようかと考えていると、母さんがぼくの後ろの彼女に気がついた。

「────益田帆乃香?」

 小さくその名を呼ぶ。
 ギクリとして振り返った。しかし、そこに帆乃香はいない。いるのはカオリだけだ。

「どうして、あなたがここにいるの」

 口許が震えだす。声に怒りと困惑が混じる。人違いだ。母さんは帆乃香とカオリを間違えている。確かに成長して6年前の帆乃香と同じくらいの年齢になったカオリは、帆乃香とよく似ている。母さんが見間違えてもおかしくない。
 間違えれば正せばいい。帆乃香ではなくカオリなのだと。
 だけれど、問題はそこじゃない。
 問題は、母さんがカオリを帆乃香だと思い込んでしまっていることだ。

「母さん、よく見てよ。帆乃香じゃない、妹のカオリだ」
「どうして、ここにいるの。うちの息子と一緒にいるの」
「だからカオリだってば」
「いやあああああああああああああああああっ!」

 悲鳴を上げ、その場にしゃがみこむ。その動作が滑らかすぎてタコみたいだった。急に豹変した母さんを、詩朱が目を丸くしてじっと見ている。ぼくが事件から解放されたあと、警察からぼくが帆乃香に具体的になにをされたのか聞いたらしく、そのショックからたびたびこういうことがあった。親の気持ちだから子どものぼくはその気持ちを察することはできないけれど、父親が自殺したときより母さんは取り乱していた。
 背中をさすりながら、「大丈夫だよ」を連呼する。
 蒼井さんがビニール袋を持ってきて、母さんの口を抑えようとする。
 思い出したくないのか、母さんはぼくですら見ようともしない。目をキツく閉じて、苦しそうに息をする。こういう姿を見ると、心底ぼくは生きていてもしょうがない人間だと思う。この場から立ち去りたい。消えてしまいたい。この人の息子に生まれてきてごめんなさい。ぼくの元となった父さんの精子が死滅してしまったらよかったのにと、そんな下品なことまで考える。
 でもぼくは自分を可哀想だなんて思わない。思っちゃいけない。
 今ここに、ぼくよりももっと不憫で可哀想でこの場から消えてしまいたいと願う人がいる。

「蒼井さん、母さんを頼んでもらっていいですか」
「え…………?」
「ぼくはもう行きます。いなくなった方がいいと思うから。ああ、進路が決まったときにまた顔を出しますんで」
「ちょっと、真矢くん」

 弱々しい母さんのすべてを蒼井さんに預けて、そっと離れる。詩朱と目があった。何か言いたそうな目でこちらを見ている。ぼくは口パクで「じゃあね」と言った。伝わったのか伝わっていないのか、詩朱はぼんやりとこちらを見てくる。

「行こうか」

 彼女の視線を振り切って、ぼくは暗いところでずっとぼくを待っていたカオリに声をかける。過呼吸を起こしているぼくの母親に対して、罪悪感で心が満ちているのか、表情は暗かった。ぽんぽんっと軽く頭に触れる。それを合図にカオリは歩き出した。ぼくもそれに着いていく。カオリの遅い歩調に合わせて。

Re: 花と愛と毒薬と ( No.78 )
日時: 2014/09/28 21:54
名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)


 一定の間隔をあけて建っている街灯でしか辺りを照らしていない、人通りの少ない田んぼ道に来た。アパートまでの近道でぼくはよく通るが、慣れていない人が通ると、間違えてあぜ道に足を突っ込みかねない。夜の暗さに目が慣れているぼくは問題ないのだが、ふらついているカオリは危なげだ。手を握ろうとしたらさっき断られた。ぼくの両腕はカオリを抱きしめるためにあるのに。しょんぼりと手の暇を持て余しているときに、カオリが呟いた。

「わたしが生きていても、誰も幸せにできない」

 ぼくに話しかけたというより、独り言らしかった。ぼんやりと暗闇を見つめるその横顔はぞっとするほど美しい。…………美しいなんて形容詞初めて使ったかもしれない。

「真矢はわたしを好きだというけれど、わたしと死にたいんでしょ。だから、わたしは生きていても誰も幸せにできない」

 名前を呼ばれて我に返る。カオリはぼくに話しかけているらしい。

「カオリは誰かを幸せにしたいの?」

 そう問うと首を横に振った。

「だったら幸せにしなくていいじゃん」
「でもわたしのせいで誰かが苦しんでいると思うと、すごく生きづらい。なんか生きていてごめんなさいって感じ」

 半ば投げやりな口調。あんなに死ぬことを怖がっていたカオリが、生きることを放棄しようとしている。ぼくにとっては好都合だけれど、カオリの考えには些か妙なところがあったから、ついでに訂正しておく。

「生きていて誰にも害を与えない人間なんているわけねえじゃん」

 自分でも驚くくらい明るい声だ。

「今日は誰に迷惑かけたかなとか、自分の存在は他人にとってなんだろうとか、そんなのいちいち考えてたらキリがないよ。相変わらずなマイナス思考だね、カオリ」
「アンタは前向きすぎ」
「ぼくと一緒に死にたくなった?」

 意地悪でそう聞くと、無視された。ちなみに今のはぼくなりの告白だったりするんだけれど。スルーか。
 歩きながら自殺について考えてみる。
 自殺を止める人は、どういう気持ちで止めているんだろう。生きるのも面倒で辛くて逃げ出したいのなら、死ぬしかないじゃないか。老衰で逝くまでの途方もない時間を重りをつけたように過ごすなんて、そんなのは、耐えられない。誰かが、生きる楽しみに気づければ死ぬなんて言わなくなるって言っていた。誰だっけ。…………粟島だっけ。綺麗事だなってその時は流していたけれど。
 粟島の言葉が正しいのなら、帆乃香の行ってきたことは間違っている。彼女はネットを利用して、自殺サークルを立ち上げ、救えるかもしれない命を潰してきた。小野紅音という親友を失った中澤が怒りをぶつけてくるのもわかる。死にたいと願ったから死なせてやったという考えは絶対に世間には通用しないだろう。
 ぼくとカオリが死んでも、粟島は「二人には生きることの楽しさをわかってほしかった」と思うだろうか。
 死ぬことにがむしゃらになりながらも生きているぼくたちに。

「じゃあ、ぼくと生きていたい?」

 声が震えているのがぼくにもわかった。長くて重い生涯でも、カオリと一緒なら生きていけるかもしれない。
 頭の中で雨が降る。止まない雨音をこれからも聴き続けるのか。カオリにも聞こえていたらいいのにな


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