複雑・ファジー小説

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花と愛と毒薬と {episode}
日時: 2015/01/28 23:50
名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)

 1年弱の長い執筆がようやく終わりました。
 執筆中、朝倉疾風から夜多岬に名前を変更しました。これからもし、また新しく書くときは、この名前ですので、お見かけした際はお声をかけていただけると嬉しいです。

 小説というにはあまりにも拙く、私の私的感情を爆発させるため書いているようなものですが(所謂ストレス発散)……。
 読んでいただき、ありがとうございます。
 暇な時間があれば、また、ふらっと現れます。
 どうぞその時は、「ああ、またこの人書くのか……」と、呆れながらも読んでいただけると幸いです。



(本編)
執筆開始 2014年 2月5日
執筆終了 2015年 1月25日





 ○現在、完結後の「彼女たちの物語」を書いております。本当は書くつもりはなかったのですが(ただいま実習中)、暇なときにちょこちょこやっていくつもりです。懲りずに(笑)
 ○あと、Twitterをまたまた始めました(既に4回消してる)。IDは@moto_asakuraです。ゆるゆる始めます。いろいろと。



(彼女たちの物語)
執筆開始 2015年 1月28日





    夜多 岬 (元 朝倉疾風)




Re: 花と愛と毒薬と ( No.69 )
日時: 2014/09/09 22:46
名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)







 久しぶりに外出する。
 季節はすでに春を過ぎて初夏になっていた。じんわりと肌を焼く日光を避け、日陰を歩く。それだけで部屋にずっと閉じこもっているMにしてみれば、貧血を起こしかけるほど体に負担のかかることだった。
 フラフラとした危なっかしい足取りで、最寄りの無人駅へ向かう。
 辺鄙な田舎のせいか通行人はさほどおらず、農作業をしている年寄りが奇妙なものを見る目でMを眺めるくらいだった。彼らには目もくれずに、Mはゆっくりと、しかし確実に歩みを進める。汗がじんわりと額に滲み出る。
 やがて無人駅に到着したMは、ぼんやりと時刻表を見つめ、次に握り締めていた小銭で、片道だけの乗車券を買った。ベンチに座り、電車を待つ。待っている間、Mは目を閉じていた。必要以上に世界へと目を向けたくはなかった。バッサリと髪を切られてからは、よく顔が見えると褒められたけれど、Mとしてはいい迷惑だった。視界が開けていて、周りがよく見えてしまう。目眩がするほど広い世界が。
 でも今日でこの世界とさよならできるなんて、自分は幸せ者だ。
 Mはほくそ笑んで、彼との約束を思い出す。
 一緒に死のうと。
 ネットの中でしか会ったことのない彼と、そう約束を交わした。
 相手はもしかしたら男子高校生ではないのかもしれない。不細工な中年オヤジかもしれないし、派手な化粧の女かもしれない。そういうときはひとりで逝ってもらおうとMは決めていた。その命が尽きるまで、自分は冷たく彼らの死を見つめようと。そしてまた、自分と一緒に死んでくれる理想の相手を探すのだ。
 なんとも自分勝手な未来図だが、Mの人生はMのものであって、故にMの都合がいいように未来は設計されていく。
 自分以外の他人に、所詮、人は無関心なのだ。





 目的地の駅に着き、Mはそこからまた歩いた。
 男子高校生と約束している場所は、駅から歩いて20分ほどかかるところにある。たどり着いたときには、すでにMの息は軽くあがっていた。
 恋人や家族連れに人気のかなり大きい公園だ。フラワーフェスティバルというイベントも開催されるほど、敷地内には色とりどりの花が咲いている。まるで前に住んでいた屋敷みたいだ。
 入園料のところを見て、Mは少し困惑する。
 自分の所持金は行きの電車賃ですべて失ってしまった。入園料がいるとは想定していなかった。
 どうしたものかと少しだけ迷っていると、後ろから肩をポンッと叩かれる。
 振り返ると、野球帽を深く被った中高生くらいの女子が立っていた。
 彼女はチラッとMを見て確信する。


「どーも。少年Aです」


 Mもまた、彼女のその言葉を聞いて確信した。


「少年Aさん。きみ、死にたいなんて嘘でしょう」









 

Re: 花と愛と毒薬と ( No.70 )
日時: 2014/09/12 20:05
名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)

 少年Aと名乗る少女は一見すると大人しそうで落ち着いた印象の顔立ちだった。抽出すべき特徴もなく、どこにでもいそうな少女。目深く被っている野球帽は妙に新品っぽく、着ているボーダーのティーシャツとオーバーオールによく似合っていた。
 少年AはじっとMを観察する。
 思っていたより、まともだった。同級生の姉と聞いていて、どんな変人が現れるのかと少し不安だったのだが、格好も容姿も人形のように綺麗だった。その表情は確かに微笑んでいるはずなのに、どこか表面に貼り付けたような、作られたもののように思える。そこだけ違和感を感じた。
 今さらかもしれないが、少年Aは死ぬつもりなどさらさらない。
 ネットで男子高校生を装い、Mに近づき、友人である小野紅音の自殺の真相を明かしたかったのだ。
 ここで話せば周りに不審がられる。少年AはMの白くて細い腕を掴み、ひと目のつかないところへ移動しようとする。抵抗されるかと思ったが、Mは大人しく少年Aに着いていく。妙にふらついた足取りで。




 公園からさほど遠くはない、歩いて3分ほどのところに、墓地があった。さほど大きくはない川の上の橋を渡り、木々が生い茂る小道をまっすぐに行ったところに、静かに墓場が広がっている。初夏だというのにここだけはやけに涼しい。
 そこまで来て、少年AはMの腕を離した。
 Mは周りを見渡して、不快そうに顔をしかめる。

「ここはきらい。この下にたくさん人が眠ってるんでしょう。わたし、死んだ後、こんなところに押し込まれたくはないかなぁ」

 そう言い、その場に座り込んで白い砂利を弄り始めた。じゃらじゃらと音をたてて、砂利は地面に落ちていく。

「聞きたいことがあるんですが」
「わたしに?なあに?」
「あなたがネットを使って自殺者を増やしているMなんですよね。益田帆乃香さん」 

 Mは────益田帆乃香は退屈そうに、「そうだけど」と答えた。
 少年Aは憤りを抑えながら、質問を重ねていく。

「6年前にも同じように自殺サイトを利用していたんですか」
「あれはただの実験だよ。ひとりで死ぬのは怖いから、わたしと死んでくれる人を探していたの」
「そのために自殺を促していたんですね」
「雨の降る場所に…………こちら側に来てって頼んだだけよ。後は知らない。ニュース、あまり見ないから。死んだかどうかも、わからない」
「あなたのせいで何人の人が自殺を選んだと思ってるの。助けられたかもしれないのに」
「助けられた…………?それはおかしいよ。彼らは一人ぼっちだったんじゃない。ネットにしか悩みを吐き出せない、孤独な人たちだったんだよ。だからわたしが味方になってあげたの。わたしと同じところまで、落ちてきてって言ったんだよ」

 帆乃香のいる場所。
 それは雨が降り止まない、暗く冷たい場所だ。彼女が生まれたときから抱える闇そのものだった。死にたいと思っても、一人で死ぬなんて恐ろしいことはできなかった。自分と同じことを考えている誰かと一緒なら、怖くないと思えた。
 
「わたしの友達はね、あなたのせいで死んだ一人なんだよ」

 少年Aは震える声で訴える。

「高校は離れちゃったけど、会うとすごく元気で……明るくて、好きな人もいるって。なのに飛び降りちゃったの。いきなり、一人で死んじゃった。あいつ言ってた。なんでも相談できるネットの友達がいるって。Mっていう、一番の理解者なんだよって」

 小野紅音が死んだと聞かされたとき、少年Aは自分を責めた。
 どうしてもっと自分を頼ってくれなかったのか。小野紅音が打ち明けていた相談事はなんだったのか。それすら少年Aは聞かされていない。
 一人ぼっちで、彼女は、この世から去った。

「それは悪いことをしたかな」

 償いの意思などまったく感じられない口調。砂利を弄っていた手をぱっぱっと払い、立ち上がる。目の前で怒りに震える少年Aを見据えて、帆乃香は言い放った。

「なら、あなたもその子の隣に来ればいい」

 その言葉の意味がどういったものなのか、はっきりと少年Aは理解した。死ねばいいじゃないかと言っているのだ。彼女は死を容易く考えている。他人が自分の一生を自らの手で終えることに、なんの抵抗も見せていない。帆乃香にとって自分以外の死は興味の対象外なのだ。
 少年Aの抑えていた何かの蓋が外れる。重たい感情の蓋だった。オーバーオールのポケットから隠し持っていたナイフを取り出す。衝動的に、彼女は帆乃香に向かっていく。

「あなたがわたしを殺してくれるの?」

 やけに落ち着いた様子で帆乃香はそれを見つめていた。

「わたしは、あなたに殺されるんだね」











 6月14日。
 中間試験の成績が返された。
 粟島のノートのおかげか、ぼくの成績は中の下……ほどで留まっていた。本当にあいつには感謝している。偏差値が気になるところだけれど、どうせ就職の面接は夏休み明けになるんだから、今さら頑張っても期末試験の成績が行くわけじゃない。まあ、これでしばらくは勉強から解放されたというわけで。
 清々しい気分で教室を後にした。
 カオリは今日も学校に来ていない。テストもけっきょく受けなかった。あいつの好きなフルーツ牛乳でも買って帰ってやろうか。バイトしていないぼくでも買うことができるお手頃価格だから。
 くるっと方向転換して、そのまま購買へ急ぐ。放課後は4時までしか開いていない。走りたくはないから、なるべく大股歩きで廊下をずんずん進んでいく。ヴーヴーとバイブモードにしていたスマホがポケットの中で震えた。ぼくのスマホが鳴るなんて珍しいことだ。
 母さんかな。そろそろ自分の家に帰ってこいよとお怒りになっている頃だから。
 スマホのメールの差出人を見ると、蒼井詩朱とある。
 詩朱からか。あいつスマホなんて持っていたのか。不登校のくせに。
 内容をチラッと確認した。
 確認、した。
 そこには写真が一枚添付されており、誰かの車内で、詩朱が不安そうに座席に座っている。本文にはたった一行だけ、

────帆乃香を返してほしいよ。

「冗談って言ってくれよ誰かぁ」

 あいつだ。南野秀一だ。詩朱がぼくといたところをあいつは見ている。もっと警戒しておくべきだったんだ。
 スマホを持つ手が、らしくなく震えた。
 帆乃香が南野さんの元からいなくなったのか。だからぼくが帆乃香を連れ出したと、南野さんは誤解しているのか。南野さんはぼくと帆乃香の関係が気に入らないみたいだった。わざと挑発めいたことを言ったり、カオリの世話を焼いていたり。
 ────ぼくが、帆乃香にまだ未練があることに気づいていたから。

「でもぼくのところに帆乃香はいない」

 だとしたらどこに帆乃香はいるっていうんだ。


Re: 花と愛と毒薬と ( No.71 )
日時: 2014/09/14 20:55
名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)

第5章 With a flower and love and poison

 気づいたら走っていた。学校に徒歩で通っているぼくはどんなに急いでも10分はかかってしまう。体力にまったく自信はないけれど、そんなこと言ってられないほどぼくは焦っていた。ひと目も気にせず、息も絶え絶えに地面を蹴る。途中転びそうになるけれど、七転び八起きだ。一度や二度転んだところでかすり傷にもならない。横断歩道の信号も見て見ぬふりをした。運転中のトラックのおじさんに怒鳴られたところでぼくには失うものなんてなにもない。元からなにも持っていないんだから。こういうと後ろ向きな発言もポジティブに聞こえてしまうから不思議だ。
 カオリのアパートに着いたとき、既に夕方の4時を過ぎていた。
 玄関に鍵はかかっていない。鍵をかける習慣というものが彼女にはないから。勢いよく扉を開け、靴を脱ぎ捨てて、彼女の寝室に急ぐ。
 ベッドの上でパジャマ姿のカオリがいることを願いながら戸を開けた。

「どうしたの、マヤ」

 カオリはちゃんとそこにいた。
 高校の夏の体操服を着て、ベッドの上で絵を描いている。なんとも下手でなにを描いているのかぼくにはわからない。でも絵なんてどうでもいい。カオリがそこにいるのなら。
 ホッとして全身の力が抜けかける。近寄って抱きしめた。全力で抱擁する。詩朱には悪いけれど、攫われたのがカオリじゃなくて本当に良かった。
 カオリが苦しいと、背中を叩いて訴えてくる。力を弱めると怪訝そうにぼくを見上げた。引きこもってから少し痩せてしまったけれど、儚い陰りがより濃くなった気がする。
 なんか泣きそうになりながら、ぼくはカオリに尋ねる。

「南野さんってここに来た?」
「来てないけど」

 よかった。南野さんはここに来ていない。
 カオリではなく詩朱を攫ったこと自体に特に理由はないだろう。偶然、ここに来る途中に詩朱を見つけた。ぼくと一緒にいた子だと気づき、カオリの代わりに攫った。南野さんならありえることだ。あの人は昔から帆乃香が絡むと頭がおかしくなる。

「南野さんの電話番号とかわかる?」
「どうしたの。急に」
「緊急事態が起きてさ。ぼくの妹ポジションの子が、少し南野さんに関わっちゃったみたいなんだ。危険だからひっぺがしてくるよ」

 詩朱と面識のないカオリはますます意味がわからないらしく、ぼくの髪を軽く引っ張る。

「ねえ、ちゃんとわたしにもわかるように説明してよ」
「その前に南野さんに電話したいから番号教えて。これはお願いじゃなくて命令だから。聞いてくれないんなら今からぼくと心中しようか」
「わかった。教える」

 そう言ってカオリはスラスラと数字の羅列を唱える。暗記しているのか、あいつの番号を。少しイラッとしたけれど、これくらいでぼくは怒らない。なにせ今は緊急事態だから。他の男の番号をしっかり覚えていることをいちいち咎めたりしない。そう、今はそれどころじゃないからね。
 スマホで数字を打って、電話をかける。
 通知音が聞こえてくるけれど、それすら南野さんの笑い声に聞こえて、無性に腹が立った。
 4回鳴ったところで、相手が電話に出る。

『はいはい。どちら様ですか』
「ぼくだ。塚原真矢だ」
『これ塚原くんの携帯だったんですねぇ。登録してないんでわからなかったです』
「カオリに番号をどうやって暗記させたんだよ。スラスラ言えてたぞ」
『覚えやすい語呂じゃあないですか』

 ────ああ、確かに。いい感じに語呂がいい。それで覚えていたのか。

「まあそれはいいよ。それよりも、」
『それよりも、帆乃香はどこですか。家に帰ったらどこにもいなくて、半日以上待っても帰ってこないんですよ』
「ぼくはあの人とアレ以来会ったことがないんです。帆乃香を連れ出すことなんでできませんよ」

 事件の後、あの花だらけの屋敷には誰もいなくなった。
 カオリは祖父母に預けられ、そこから学校に通っていたらしいけれど、帆乃香と南野さんの経緯はよく知らない。精神疾患があり責任能力がどうのこうので、しばらく入院していたとはチラッと耳にしたことがある。そこから後のことはまったくわからない。ひとりぼっちで自殺したのかもとすら思っていた。
 どうしてぼくが帆乃香を連れ出せると思ったんだろう。
 彼女をよく知っているのは南野さんだけなのに。

『最近、情緒不安定だったんですよ。泣いたり怒ったり笑ったり……またあの悪趣味な遊びも初めて』
「ああ、やっぱり」

 半年前から少しニュースにもなっていた、Mへの遺書を残して自殺していった人たち。
 ぼくはMが誰か知っていた。

「テレビでたまに耳にはしてました。まだやってたんですね」
『真矢のMでもあるんだって言ってましたよ、帆乃香』
「やめろ」

 6年前、ぼくが帆乃香の部屋に監禁されていた五日間。ぼくを完全に自分のものにするために、帆乃香は痛みも快楽も与えてくれた。気が遠くなるほど長い時間だった。もう耐えられないと思ったけれど、なぜか助けは来ないで欲しいと思っていた。ぼくと彼女の二人だけの時間を邪魔されたくはないと。今思えばあのときのぼくも相当おかしかったんだよなぁ。逃げればよかったのに。帆乃香の持つ毒に冒されていたんだ。あれが愛情なんだと勘違いしていた。子どもだったから。まだ、ぼくは小学生だったんだ。

「もうわかっただろう。ぼくは無関係だ。帆乃香とは本当に会ってない。だから詩朱を解放してやってくれないかな。場所さえ教えてくれたら、ぼくが迎えに行くから」

 しばらく相手は無言だった。ぼくを疑っているのかもしれない。帆乃香が執着した人間は南野さんとぼくだけだから。ぼくたちはどこか似ている。そう思うと反吐が出そうだけれど。
 横目でカオリを見ると、彼女はすごく不安そうだった。

「お姉ちゃんがいなくなったの?」
「ちょっと待ってて。もしもし南野さん。聞こえてますか」
『聞こえているよ、塚原くん」

 静かに声は答える。
 なんだろう。雨の音がする。外は晴れているはずなのに。

「いまどこにいるんですか」
『たくさんあった花が枯れちゃってますね……手入れもされずに……可哀想だ』
「今からそこに行きます」

 電話をきった。
 なにが起きているのかわからないカオリを連れて行こうかどうか迷う。アパートに一人残して大丈夫だろうか。

「お姉ちゃんは秀一さんといるんじゃなかったの」
「────南野さんが、帆乃香を連れ出したのはぼくだって誤解している。その誤解を解きに行ってくるよ」
「わたし一人でここにいろって?」
「ぼくと一緒に来てくれるの?」

 カオリがいると心強い。ぼくは生まれつきのヘタレネガティブだから、誰かが後ろにいないとなんにもできない。それに南野さんを前にして、まともでいられるかどうかも危うい。記憶って厄介だ。ぼくがいらないと思ったところだけ除去できないのかな。
 カオリは少し考えて、

「マヤはわたしと一緒に死にたいんだよね」
「え?まあ、そうだけど…………」
「わたしと一緒に死ぬまでは絶対に死なないってことだよね」
「そうなるね」

 賢い人の言うことは難しい。でも言いたいことはなんとなくわかった。

「なら、マヤと一緒にいればわたしは死なないってことか」
「うーん…………そうなるのかな」
「行く。それで無事に帰ってこよう」

 なんだか今からラスボスに無理な戦いを挑む勇者の気分だ。カオリの手を引いてアパートを後にする。二人共、移動手段が徒歩だけっていうのが痛い。歩いて30分以上かかるんじゃないんだろうか。これもデートの一貫だと思えば時間なんて問題じゃなくなるか。…………実はポジティブなんじゃないか、ぼく。
 初夏の夕方はさほど暑くはなかった。蚊が多いかなってくらい。
 久々の外出のせいなのか、自分が前に住んでいた場所に向かうせいか、カオリはどことなく緊張している様子だった。周りをキョロキョロと見渡し、宙に向かってなにかを掴む仕草をする。なにをしているのかは敢えて聞かない。美人はなにやっても美人だなと微笑ましく眺める。

「あ。フルーツ牛乳、買って来ようと思ったのに。また今度買ってくる」

 カオリがぼくを見て笑う。
 死にたいと告白した日から、彼女は笑顔を見せてくれるようになった。『普通』を意識した人工的な笑みじゃない。子どものような、綻んだ笑顔。それを見るたびに、ぼくは彼女を思い出す。
 雨が降っている。
 そう思って空を見上げるが、一滴も降っていない。
 どうしてぼくの頭の中ではいつも雨が降っているんだろう。音が聞こえる。ものすごくざざ降りで止む気配がない。これは幻聴だ。水の音も。彼女の声も。


────わたしと一緒に死のう。


 約束が果たせないまま、6年が経ってしまった。
 帆乃香も今、雨の降るところにいるのだろうか。

Re: 花と愛と毒薬と ( No.72 )
日時: 2014/09/15 17:58
名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)

 6年ぶりの旧益田邸は、以前の美しさが嘘のように廃れていた。
 花の屋敷だと近所からは有名で、学校でも益田さんの家ってお金持ちですごく大きいんでしょーと賞賛を浴びていたのが嘘だったみたいに。咲き乱れていた花はすべて枯れていて、腐葉土のような色をしていた。雑草は生い茂り、伸びた蔦がフェンスに巻きついて、退廃的な雰囲気を醸し出している。
 ぼくたち二人は玄関前で、そのあまりの変わりようを見て、時間の経過を受け入れていた。

「幽霊屋敷みたいね」

 前に住んでいた家をぼんやりと眺めて、カオリがそう呟いた。その横顔からは彼女の心情は読み取れない。
 カオリはいま、なにを思っているんだろう。
 ここは両親の死が未だに色濃く残る場所だ。死を恐れている彼女にとっては、近づきたくないはずなんだけれど、自殺願望を自覚している今なら、それほど抵抗を感じていないのかもしれない。複雑な心境なのか、カオリは見つめていた屋敷から目を逸らした。
 一応、南野さんのものかと思われる車は駐車してある。屋敷の中にいるってことは確かだ。
 ただインターホンを押すべきかどうか迷う。激情家でなにをしでかすかわからない南野さんに、のこのこと今から訪問しますよと言うなんて、死にたがりのすることだ。ぼくは確かに死にたがりだけれど、こんなところで一生の終わりを迎えたくない。もっと死ぬ場所にこだわりたい。
 そんなことを考えているうちに、カオリがガチャリと玄関を開ける。おいおい不法侵入かよと思ったけれど、よく考えればカオリの前の家だ。今は誰も住んでいないようだし、不法ではないだろう。法律に詳しくないからまったくわからないが、開けてしまったものはしょうがない。

「おじゃましまーす」

 小さく言って、ぼくは6年前の扉を開けた。


 屋敷の構造は正直、うろ覚えだった。6年前には飾られていた花瓶や絵画なんかはすべて除去されていて、敷かれていたカーペットも取り除かれ、床板がむき出しになっている。埃が積もって白くなっているそこを歩くのは躊躇われたため、土足で中に入った。
 こつこつと足音をたててだだっ広いリビングに向かう。
 そこはカオリの父親が無残に殺された場所だった。物がない分、思い出そうとしてもなかなか光景が頭に浮かんでこない。ここはこんなに暗いところだっただろうか。
 変色した壁に触れ、カオリが「お姉ちゃんはここにいるの?」と聞いてきた。南野さんがいるかもしれないと答えると、不思議そうに首を傾げる。

「お姉ちゃんがここにいるかもしれないから、ここに捜しにきたんじゃないの?」
「南野さんがぼくの妹と一緒にいるんだよ。その子を迎えに来たんだ」
「真矢に妹っていたっけ」
「ややこしいから妹ってことで」

 複雑な家庭環境なのねと、少し誤解したまま納得される。母さんの友達の娘という、完璧な赤の他人なんだけれど。
 ずいずいとカオリが奥に行くから、ぼくもその後に続く。いきなり南野さんが出てこられたら、ただでさえ幽霊が出てきそうな屋敷なのに、いま来られたら絶対に叫びそうだと男気のないことを考える。ぼくはホラー映画の類が苦手だ。この屋敷にだってカオリがいなかったら、入ることすらできなかったと思う。いてくれて助かった。あのままアパートに残していたら、今頃はまだ屋敷の外だっただろう。
 ぼんっとカオリの背中にぶつかった。どうもぼくは考え事をしながら歩くのが向いていないようだ。目の前を歩いていたカオリが立ち止まったことにさえ気付けなかった。

「なにコソコソしてるんですかぁ」

 カオリではない声がして、ギクリとする。
 南野さんがぼくたちを見下ろして立っていた。薄暗いから見えにくいが、以前会ったときより痩せているふうに見える。気のせいだろうか。
 突然現れた南野さんに驚いたのか、カオリがぼくの背後に回る。

「来たなら来たって教えてくださいよ」
「詩朱はどこですか。詩朱を連れて帰ります」
「あの子ならちゃんと2階で大人しくしているから大丈夫。なぁんにもしてないよ」

 ヘラヘラと笑う男が信じられなかった。カオリの手を引っ張って南野から離れる。そのまま早歩きで2階へと向かった。ギシギシと軋む階段を駆け上がり、部屋という部屋の扉を開ける。カオリはその様子を近くでじっと見ていた。
 4個目の扉を開けてざっと中を見渡し、ここもダメかと閉めようとしたとき、視界の端で揺れる人影を見つけた。「あっ」と声を上げて近寄る。
 詩朱はぼんやりとぼくを見上げ、目を細めた。来るのが遅いと目で訴えられている気がする。見たところとりあえず外傷は無いらしい。南野さんならやりかねないと、詩朱の履いているスカートの中に手を入れて内ももに触れてみる。左手でバシッと叩かれた。でもなにもされていないようで安心した。詩朱の頭を撫でると、鬱陶しそうに手で払われる。それでも、おいでと広げた腕の中に大人しく収まってくれるところは、幼い子どものようで可愛らしかった。顔には出さないだけで不安だったんだろう。

「見つかっちゃいましたか」

 振り返ると南野さんが残念そうに笑っていた。

「詩朱はこれで連れて帰ります」
「────暗くなったのに、帆乃香が戻ってこない。なんでだと思いますか」
「知りませんよ。ぼくはあの人と会ってません」
「帆乃香の方はずいぶんと塚原くんを気にかけていたよ。この6年間ずっと」

 そんなことを言われても、ぼくにどうしろっていうんだ。
 未練たらしく帆乃香のことを想い続ければいいのか。それとも、あの日、カオリを庇って帆乃香を否定したことに罪悪感を覚えて、眠れない夜を過ごしていればよかったのか。
 ぼくにとって帆乃香はすべてだった。
 彼女となら死ねると本気で思っていた。綺麗な死体になるのだと、二人で話していた。周りから見ればどれほどぼくらは狂っていただろう。でも、あのときぼくたちにはそれしかなかった。雨が降り止んでくれないから。ずっと水が地面に叩きつけられる音が頭の内側を流れているから。世界はうるさくて冷たい。
 似ているんだ。
 ぼくたちは。
 霞んで消えた普通の生活を見限ってここを選んだ。
 幸せから遠ざかって、救われることも叶わないまま、一緒に堕ちていくことに決めた。

「俺はね、帆乃香に魅了された一人なんですよ。あいつは高嶺の花だ。俺らみたいな欠陥のある人間は、あいつの持つ弱さに惹きつけられる。守ってやらなきゃ、一緒にいてやらなきゃって庇護欲が湧き出るんですよ。でも実際、帆乃香に操られているのは俺らの方。気に入った人間をあいつは自分のものにしようとして、色んな手を使ってくる。例えば────セックスとか」

 耳を塞ぎたくなるほど下衆な話だ。別に今さら抵抗があるわけじゃないけれど、帆乃香の体を南野さんも犯していたと考えると、吐き気がしてくる。
 聞きたくないのはカオリも同じなのか、南野さんから顔を背けた。

「監禁されて、長いあいだ同じ人間から快楽と痛みを与えられると、どんなやつでもおかしくなりますよね。それに加えて綺麗でどこか脆くて弱い。自分だけに頼ってくれるんだから、情くらい湧きますよ。あいつのためなら、なんだってしたくなる」

 この男は、きっと孤独だったんだろう。
 その孤独を埋めるために帆乃香に依存しているだけの、ただの子どもだ。どうしようもなく壊れた、ただの寂しい男なんだ。

Re: 花と愛と毒薬と ( No.73 )
日時: 2014/09/16 23:10
名前: 沈井夜明 ◆ZaPThvelKA (ID: 7NLSkyti)

どうも、BLEACHのジジが大好きな者です。
相変わらず、空虚で綺麗な文章を書くなぁと見惚れてしまいました。
最近、あまり会話しないのでどうしているかな、と思ったのですが、まだ更新が続いていて安心しました。

それでは失礼します。


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