複雑・ファジー小説

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花と愛と毒薬と {episode}
日時: 2015/01/28 23:50
名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)

 1年弱の長い執筆がようやく終わりました。
 執筆中、朝倉疾風から夜多岬に名前を変更しました。これからもし、また新しく書くときは、この名前ですので、お見かけした際はお声をかけていただけると嬉しいです。

 小説というにはあまりにも拙く、私の私的感情を爆発させるため書いているようなものですが(所謂ストレス発散)……。
 読んでいただき、ありがとうございます。
 暇な時間があれば、また、ふらっと現れます。
 どうぞその時は、「ああ、またこの人書くのか……」と、呆れながらも読んでいただけると幸いです。



(本編)
執筆開始 2014年 2月5日
執筆終了 2015年 1月25日





 ○現在、完結後の「彼女たちの物語」を書いております。本当は書くつもりはなかったのですが(ただいま実習中)、暇なときにちょこちょこやっていくつもりです。懲りずに(笑)
 ○あと、Twitterをまたまた始めました(既に4回消してる)。IDは@moto_asakuraです。ゆるゆる始めます。いろいろと。



(彼女たちの物語)
執筆開始 2015年 1月28日





    夜多 岬 (元 朝倉疾風)




Re: 花と愛と毒薬と ( No.38 )
日時: 2014/06/13 19:28
名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)

第三章 Please, please save me

 その日、青年は少女と一線を超えた。
 目を瞑ったまま、昨夜のことを反芻する。記憶を辿れば辿るほど、なんとかこの過ちを回避できなかったものかと反省点が多く見えてくる。しかし後悔はまったくなかった。
 自分より8歳年下の、しかも雇い主の長女。義務教育も終えていない少女とこういう関係になることに躊躇いがなかったわけじゃない。上半身を起こし、煙草に火をつけながら、青年は少女との出会いから自分自身の人生が反転してしまったことに気づいた。
 今までまともな人生を送ってこなかったと思う。男遊びの激しい母親と暮らしているうちに、家の中よりも外の方が青年にとって安心できる場所だった。ガラの悪い連中とつるみ、法に触れることも平気でやってきた。
 誰も彼の裏の顔には気づいていなかった。質の悪いことに、彼は表ではそれなりに周囲から信頼される人柄だった。容姿端麗で頭も悪くない。学校での評判もよかった。表と裏の両方の顔を使い分けながら、彼は人を欺いて生きてきた。
 高校生のとき、当時一緒に暮らしていた女から「頭がいいんだから、これ解いてみてよ」と渡されたひとつの暗号。それを青年は一日で完璧に解いた。女からは何度か難易度の高い暗号を解くように指示されるようになった。薄々マズいなと感じてはいたけれど、好奇心から青年はすべての暗号を解いてしまった。
 それが、裏社会で取引されていた、麻薬の密輸入経路だとは知らずに。
 それから先のことを思い出したけれど、本当に自分はバカだったなと笑うことしかできない。子どもだったのだ。どんどん落ちていって、気づけば、追われる身になっていった。
 いつ見つかるかわからない恐怖に耐えながら、路上で野良猫のように震えていたところを、この少女の父親に救われた。
 少女の父親に「娘の監視役になってほしい」と意味不明の仕事を押し付けられてから、3年。
 小学生だった少女は中学生となり、未成年だった青年は社会人になった。時間が経てば経つほどふたりの関係は刻々と奈落へ落ちていき、気づけば後戻りできない所にまで進んでしまっていた。
 青年の煙草の匂いが部屋に満ちる。
 十代のころから嗅ぎ慣れている匂いだ。
 少しだけ心を落ち着かせながら、長く長く息を吐いていると、後ろから抱きしめられた。背中にぺたりと人の温かさが触れる。

「秀一、あまりそっちへ行かないで。そっちはとても暗いところだから」

 耳元で囁かれる声が艶っぽくて、背中がぞくりと粟立った。子どものくせに、どうしてこんなに妖艶な雰囲気が醸し出されるのか、本当に不思議だ。
 呼ばれて数秒経ってから、秀一というのが自分の名前なのだと気づく。べつに記憶障害ではないから名前くらい覚えている。けれど、少女とひとつになったとき、自分自身が彼女と同化してしまったような気がするのだ。そのせいで自分の存在がひどく曖昧なもののように思えてならない。
 明かりもない部屋で、人の温かさだけがそこにある。
 外は嵐で、風が強く窓を叩く音と、激しい雨が地面に打ち付けられる音しか聞こえない。

「灰皿、どっかにないですかね」
「お外がすごく泣いていてね、とても怖い」

 まるで会話が噛み合わない。
 秀一は諦めて、煙草の火を指先ですり潰した。火傷を負ったが、これくらいの痛みは慣れっこだった。
 煙草の吸殻を適当にテーブルの上に置いて、手探りで少女の小さくて華奢な体を抱きしめる。幼さの残る顔つき。綺麗で整っていて美しいのに、人間味がまるでなかった。出会ったときから、今も。
 この小さい怪物は、ずっとずっと秀一を閉じ込めて離さない。自分の世界に秀一を引きずり込んで、そこから一歩も外へ出そうとはしない。秀一自身も少女の魅力に取り付かれていた。彼女の持つ、幼さとはかけ離れた異常性に惹かれていたのだ。

「怖くないですよ。すぐに泣き止みます」

 いつものように調子を合わせる。そうでもしないと、少女の機嫌を損ねてしまって、すぐに秀一の目玉を潰そうとするだろう。

「この世界は怖いことばかり。一人ぼっちになっちゃダメなんだよ」
「帆乃香は一人ぼっちじゃないですよ。俺がいるじゃないですか」

 見えないだろうけれど、にっこりと微笑んでみる。この暗闇の中じゃお互いの顔もシルエットですらわからないはずだ。それでも、少しでも少女を落ち着かせられるのならと、秀一は笑みを作る。

「俺しかいらないでしょう」

 秀一が少女に求めているのは、今まで自分に注がれていなかった愛情だった。それがどんなに歪んでいたって、秀一は構わないと思っていた。少女の目に映るのが自分だけなんだと思うと、どうしようもなく気分が高揚する。
 汗で湿った髪を撫で、少女の心臓の鼓動を感じようとする。少しばかり膨らんだ乳房が、平たい自分の胸にあたって、ドキリとした。

「わたし、このまま死にたい。秀一の胸の中で死んで、溶けちゃいたい」

 自殺願望があるらしく、前々から少女はこのようなことを言う。
 そのたびに胸の奥がぞわりと鳥肌が立つような感覚がして、得体の知れない黒い感情が育つ。この世界から少女が消えるところを想像であってもしたくはなかった。
 甘い声で死にたいだなんて言うから、秀一は少しだけ強い口調で彼女を引き止める。まだこの世界にいてほしいと。

「俺と一緒に生きてよ、帆乃香」

Re: 花と愛と毒薬と ( No.39 )
日時: 2014/06/13 20:57
名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)



 翌日、秀一は誰よりも早く目を覚ました。
 隣には裸のまま丸くなって眠っている少女────益田帆乃香がいる。
 秀一はなるべく帆乃香を見ないように努め、布団を彼女の体にすっぽりと被せた。自分もほとんど裸であることに気づき、いつものスーツに着替える。家の中だから堅苦しいスーツはやめなさいよと帆乃香には笑われるけれど、一応「勤務中」だ。家を留守がりにしている両親に代わって彼女を監視することが、秀一に言い渡された仕事なのだから。
 仕事内容を聞いたとき、最初は吹き出しそうになった。監視って。自分の娘に使うような言葉じゃないだろうと。もしかしたら、その少女も自分と同じように、家庭から不要な扱いをされているのではないかと。
 しかし、帆乃香を見てすぐに父親の言う言葉の意味が理解できた。
 この娘は、どこかおかしい。

「さて、やりますか」

 帆乃香が眠っているうちにやらなければならないことはたくさんある。監視役と言っても、ほとんどがこの家の雑用係、ハウスキーパーのようなものだった。もともと家事をしない母親の代わりにある程度はこなしていたため、苦ではない。
 部屋を出てすぐの階段を下り、一階のダイニングに急いだ。
 この時間ならもうそろそろ起きてくるはずだ。
 ダイニングのすぐ隣に位置するキッチンへ入り、昨日用意しておいた肉じゃがをタッパーに入れ、そのままレンジへ突っ込む。肉じゃがを温めている間、花柄の薄桃色の茶碗に炊きたてのご飯をよそった。ほうれん草を刻み、沸騰したお湯の中に入れて茹でる。鰹節はあったかなと引き出しを探っていると、ペタペタと湿った足音が聞こえた。

「おはようございます、香織。相変わらず早いですね」

 振り返らなくても誰かわかるので、鰹節を探しながら声をかける。
 益田香織。帆乃香の妹だ。

「おはよう、秀一さん。今日のお花の水やり、わたしが当番なんだよ」

 少年のような声。低くて落ち着きのある声なのに、口調はまだ幼い。
 屋敷の花に水をやるのは自分の仕事のはずだと、秀一は少し考え、そういえば学校の花壇で花を育てていると、少し前に言っていたことを思い出した。

「そうなんですか。でも昨日はすごい嵐だったでしょう。今日は水、いらないと思うんですけどね」

 鰹節を探し当て、茹で上がったほうれん草をザルに打ち上げる。レンジで温めた肉じゃがをタッパーからお皿に移していると、香織が隣でじっとその様子を眺めていることに気づいた。
 その横顔が帆乃香に似ているので、一瞬ドキッとしてしまう。姉妹なのだから似ているのは当然だ。いい加減に慣れろよと苦笑する。どうも香織を見ていると「普通な帆乃香」がそこにいるようで、違和感があるのだ。それに昨夜のこともあって、なんとなく香織と目が合わせづらい。

「でもいちおう行く。だって当番をズル休みしたって思われてもいやでしょー」
「ああ、それは嫌っすね」
「それにね、わたしの前の当番の男子、ぜっんぜん水やりやってないの。意味わかんなくない?サボりだよサボり」
「男の子って花の水やりとか、面倒くさくてやらなさそうですからね」
「でも決められたんだからやれっつーの」

 頬を膨らませ、しかめっ面をする。こういう子どもじみた表情を帆乃香は絶対にしないなと思った。
 テーブルの上に肉じゃがとほうれん草のおひたし、納豆とご飯を置いて、香織には麦茶、自分のにはコーヒーを用意した。和食にコーヒーというのも変な組み合わせだが、朝はコーヒーだと決めてある。

「いただきまーす」「はい、どうぞ」

 行儀よく手を合わせてあいさつし、香織が食べ始める。
 まだ小学生なのにしっかりしている。両親が不在がちで寂しくはないのかと思うが、この年頃の子どもが寂しくないわけがない。人の前では我慢して笑っているのか。夜には寂しくて泣いているのだろうか。自分の子どもの頃と重なって、微細に目を細める。

「でね。その子、少しおかしいの。わたしが笑ってると、むすっとした顔でにらんでくるんだよ。となりの席になると、すっごくいやそうな顔するの」
「それ、香織のことが好きだからなんじゃないですか?照れ隠しみたいな」
「それはないよ。塚原ってだれも好きじゃなさそう。キョーミとかなさそうなの」

 肉じゃがを箸でつつき、気に食わないことを思い出したのかふてくされた顔になる。まだ幼いのに顔が整っているとどんな表情をしても絵になるなと、こっそり見惚れた。小学生相手になにをやってるんだと自問自答するけれど、世界で一番大切な人の妹なのだからしょうがない。

「香織はその子に興味あるんですか」
「うーん…………んー、ないと言えば嘘になるのかなぁ。わっかんない」

 自分で言っておかしくなったのか、にひひっと八重歯を見せて香織が笑う。
 微笑ましく思い、まるで母親にでもなったかのように香織の頭を撫でた。嬉しそうにまたはにかむ香織を素直に可愛らしいと思える自分が怖かった。撫でていた手を引っ込めて、コーヒーを飲み干す。苦い味を口の中全体で感じながら、昨夜の帆乃香とのキスを思い出した。赤い舌。ぬらぬらと絖っていて、まるで別の生きているもののような……。
 そこまで考えて、さすがに自分は変態かと秀一は自嘲してしまう。肩を震わせて、くっくっくと笑いをこらえた。
 香織は不思議そうに秀一を見て、「へんなの」とだけ呟いて、また食事を再開させた。

Re: 花と愛と毒薬と ( No.41 )
日時: 2014/06/21 17:30
名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)
参照: TwitterID⇒a_skr

 帆乃香が起きてきたのは、既に秀一がひとりで昼食を終えた後だった。
 彼女が起きてくる小一時間ほど前、帆乃香の母親が仕事から帰ってきていたのだが、早々と支度をして再び出て行ってしまったため、入れ違いになってしまった。一体いつこの親子は顔を合わせているのかと不思議にも思うが、なんとなく、母親の方は帆乃香と距離を置きたがっているようにも見える。そのため余計な詮索はしていない。帆乃香の監視が仕事とはいえ、一応益田家とは赤の他人だからと、秀一自身も一線を引いていた。家族の問題など聞いたところで自分が解決できるわけがないし、関わろうとも思わない。面倒くさいことが増えるだけだ。ただでさえ帆乃香のことだけで手一杯だというのに。
 コーヒーを飲みながら休憩していると、帆乃香の姿が見えた。
 手すりを掴んで今にも崩れそうな足取りで階段を降りてくる。危ないと思い、反射的に秀一は彼女に手を伸ばした。帆乃香は嬉しそうに笑い、秀一の胸に勢いよく飛び込んでくる。ほっそりとした体でも勢いがあるとそれなりに衝撃が伝わってくる。自分も転ばないようにバランスを取りながら、しっかりと帆乃香を抱きしめる。

「こら、危ないでしょう。あんまり走らないように」

 教師のような口ぶりで注意するのがおかしくて、口元が緩んでしまった。いたずらっ子のような瞳で秀一の顔を覗き込みながら、帆乃香も静かに微笑を浮かべる。
 帆乃香の白い首筋に昨夜の痕が無数に残っているのが目に入ってしまった。この娘を昨夜自分が抱いたのだと生々しく感じられて、背徳的な気分になる。帆乃香を前にすると、「絶対」は帆乃香で、その他の道徳的な事柄にすべて背いてもいいという気にさえなる。
 つくづく病的な愛だ。

「お腹すいてないですか」
「秀一が食べさせてくれるんなら、なんでもいいかな」

 帆乃香をソファに座らせて、自分もすぐ隣に腰掛ける。テーブルに置いてある櫛で長い髪を梳くのは、もう日課になった。丁寧に髪に触れながら、帆乃香の好きなものを思い浮かべる。偏食の激しい帆乃香が食しているものは、ほとんど果物だった。ここ最近は秀一のおかげで豆や魚が食べられるようになったが、ごくわずかを口に入れるだけで精一杯らしい。

「でも肉じゃがは無理なんでしょう」
「んー…………頑張って食べたら、言うこと聞いてくれる?」
「いいですよ。なんでも聞きます」

 そんなこと言われなくても、好きに使ってくれていいのに。本気でそう思う自分がなんだか怖かったが、帆乃香にならどんなことを要求されても笑顔でそれを受け入れようと思えた。
 しかし今回の彼女の頼みは、さすがの秀一も首を傾げるものだった。

「自殺サイトを作ってほしいなぁ」






「もう一度聞きますけど、本当に帆乃香はただ管理者の役目をするだけですよね。実際にその人たちに会って集団自殺とかしませんよね」
「わたしがいなくなると秀一は泣く?」
「想像したくないですね。帆乃香がいなくなるなんてこと」
「嬉しい。大丈夫だよ。わたしはこいつらと会わないから」

 帆乃香の要求通り悩み相談サイトと偽った自殺サイトを立ち上げてから一ヶ月が経った。パソコンに詳しい秀一が作ったそのサイトは、相談者が悩みをコメント欄に書いて、それに帆乃香が返答していく一問一答形式のチャットのようなものだった。意外なことに帆乃香はそのひとつひとつの悩みに丁寧に対応していった。最初は手こずっていたタイピングも今ではかなり上達している。
 相談の内容は様々だった。
 友達が妊娠してしまった。親が再婚するらしい。留年してしまいそうだ。彼氏と別れたい。兄弟と喧嘩した。────重たい内容や、なんだそんなことでと軽く流せる内容まで多種多様だった。

「そんなもの見てなにが楽しんですか」

 まったく意図がわからず、うんざりした顔で秀一が画面から目を逸らす。
 帆乃香は楽しそうだが、なにが楽しいのかがさっぱりわからない。そもそも人の悩みを見て楽しいと思っている時点で趣味が悪い。

「こいつらさぁ、自殺とかしちゃうんじゃないかなって」
「はぁ?」
「自殺だよ、自殺。こいつら誰か死なないかな」

 伸びた爪でとんとんとパソコンの画面を叩く。
 質問の意図が理解できないと首を傾げる秀一に、少しがっかりしたのかため息をついた。帆乃香が自分に愛想を尽かしたのではないかと不安になり、必死で考える。普通のやつらに帆乃香の考えがわかるわけがない。帆乃香のことを理解できるのは、彼女の一番傍にいる自分だけなのだ。
 パソコンの画面を睨んでたってわからないままだ。秀一は帆乃香の瞳を見た。濁りなど一切ない綺麗な眼球は、ビー玉が埋め込まれているのではないかと思うほど、人間らしさが欠如している。帆乃香自身は笑ったり泣いたりしているのに、この眼だけはいつも無だ。いまも真っ直ぐに秀一を見据えている。
 他人に興味などないのに、こうして答えを待ってくれていることが、秀一にとっては嬉しかった。にやけそうになる口元を手で隠し、

「もしかして、自殺するように仕向けちゃったりとかしてるんですか?」

ほぼ当てずっぽうで言ってみた。
 すると顔の筋肉が緩んだみたいに、ふやけた笑みが生まれる。どうやら勘で出した答えは満点だったらしい。

「正解だよ。秀一って頭いいね」
「ええ、まあ……。それより、自殺させようとしてるんですか。このネットの向こう側の人たちを」

 あまり自殺という言葉は口にしたくない。
 彼女の口から「死にたい」と聞くたびに、突然その死が訪れそうで恐ろしい。今までは秀一に構って欲しくてわざとそういう発言をしているのだと思っていたが。彼女は自分自身に嘘はつかない。明日この世界から消えてしまうことだって十分にありえる。

「この人たち、死にたいんだって。そんなに死にたいのならさっさと死ねばいいのに、どうして死なないのかなって。わたしと同じで一人ぼっちで死ぬのが怖いんだよ。だから励ましてるの。ひとりじゃないよ、わたしがいるよって」

 軽く眩暈がした。中学校にも行かずに家でなにをやっているのかと思えば、人を自殺させようとしているなんて。両親が聞いたらなんて言うだろう。秀一が激怒されるかもしれない。案外、帆乃香のことに興味がないので「ああ、そう」だけで終わりそうな気もする。そう思うとますます帆乃香が昔の自分と重なって同情してしまう。
 ずいぶん前に、帆乃香を正常に治すことは諦めた。医者でもカウンセラーでもない自分が、彼女を元通りにするなんて無茶な話なのだが、監視役を任されたは薄い期待を持っていた。もしかしたらという思いもあった。だけど、彼女は幼少期から異端だったらしく、秀一の小さな努力も虚しく、どうしようもなく壊れたまま成長してしまっている。

「この人たち、わたしに会いたいんだって」

 彼女は満足そうだった。
 決して純粋ではない綺麗な彼女に、蝿のようなやつらが集っているのかと思うと、虫酸が走る。でも自分がその蝿の一匹なのだと自覚しているだけになにも言えない。この子を騙して、体まで繋げて、自分も自身の飢えを満たそうとしているだけなのだ。幼少期に与えられなかった愛情を、こんな子どもに求めている。

「帆乃香は俺のですよ」

 小さい子どもみたいな丸裸の独占欲をそのまま帆乃香にぶつけてみる。
 彼女は頬を赤らめることもなく、動揺することもなく、それが当然だと言うふうに大きく頷いた。

「わたしは秀一のものだよ」

Re: 花と愛と毒薬と ( No.42 )
日時: 2014/06/28 02:41
名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)
参照: TwitterID⇒a_skr

 最近、よく雨が降る。
 天気予報はよく外れるらしく、今日も昼から晴れると言っていたのに、気づけば雨音が聞こえている。梅雨の時期はそろそろ終わるはずなのに。
 雨は嫌いだ。服がピッタリ肌に張り付く感じとか、首筋を伝い落ちていくとくのくすぐったさとか。雨に打たれるだけで鳥肌が立つ。小さい頃、雨のせいでろくな思いをしたことがない。
 気分は憂鬱になるが、外に出かけていった帆乃香が帰ってきていないので心配になる。珍しく午前中に起きた彼女は、遠くには行かないからと言って数十分前に出かけた。いつも秀一の傍にいるせいか、姿が見えなくなると心が落ち着かない。
 裏庭だろうか。紫陽花が綺麗だから絵を描きたいと先日言っていたのを思い出す。帆乃香のことだ。雨が降っても自分の気が済むまで筆を持つ手を動かし続けるだろう。
 心当たりを探そうと傘を持って屋敷の外へ出て、裏に回る。
 裏庭には桜の木が植えられていて、御座を敷けば春には花見ができるようになっていた。今はもうとっくに枯れて葉だけになり、木陰をつくっている。塀に沿って網が一列張られており、そこには朝顔のツタが絡まって緑のカーテンのようになっている。亡くなった祖父が友人から貰ったという、ダルマのような石像がいつものように秀一をじっと見ている。それは長年放置されているため、ところどころ苔が生えており、翠が目立つ。ダルマに睨まれているような気がして、目を逸らした。立っている向きをどうにかできないかと、雇い主に相談しようとするのだが、未だに機会を失っている。
 ダルマの視線は感じるのに、肝心の帆乃香の姿が見えない。
 ぐるっと裏庭を一周して、また玄関前に戻ってきてしまった。
 もしかしたら屋敷の外なのか。
 そう思って門を開き、敷地外へ出ようとしたときだった。

「雨はいつも降ってるよ」

 帆乃香の声がした。
 出そうと思っていた足を引っ込め、門から少し顔を出して声のした方を見る。屋敷の塀に背中をもたれさせている帆乃香がいた。そうとう雨に濡れたのか、長い髪からは雫が伝い落ちている。秀一はすぐに帆乃香を中に入れようとしたが、声をかけるのをやめた。
 帆乃香のすぐ隣──秀一がいる場所からは見えにくいが、黒い傘を持った少年がいることに気づいたからだ。少年は帆乃香がこれ以上濡れないように、彼女を傘に入れてあげていた。身長の差のせいか、帆乃香は少しだけ膝を曲げて立ち、少年に合わせていた。

「ずっと雨。降り止まないままなの。晴れとか曇りとか、そんなのないんだよ」
「そう、ですか」

 少年は小学4、5年生ほどに見えた。学校帰りなのか制服を着て、ランドセルを背負っている。声はぼそぼそとして聞き取りにくい。

「でも、あの、お天気コーナーで明日は晴れるとかって、言ってましたけど……」
「わたしはずっと雨のままだよ」
「はぁ…………そうですか」

 ふらつく帆乃香の返答に、少年も少し戸惑っている様子だった。
 傘の大きさは二人を雨から凌ぐには十分ではないようで、帆乃香の頬を何粒もの雨が伝い落ちる。本人は気にしていないようで、睫毛からも雨の粒が垂れていた。

「ぼくもずっと雨ですよ」

 静かな声で少年は帆乃香の言葉に重なる。

「ぼくだけじゃなくて、ぼくの周りの大人たちにも雨が降ったままなんです。どんよりしてて、寒くて、暗い。ずっとそこから出られないんです」
「脱出しないの?」
「ぼくはまだ子どもだから」

 がんっと、重たい石で殴られたように衝撃が走った。秀一はその少年の言葉の意味を反芻する。何気なく子どもの口から出た言葉にしては、妙に重いものだった。秀一とは違い、彼は既に自分が幼く無力な存在であるとわかっているのだ。どんなに足掻いても、もがいても、その雨の降るところから出られない。それを受け入れられず、進む道を間違えてきた秀一とは違って、少年は「諦め」ている。
 それはある意味、ひどく孤独で大人びた考えだった。
 自分勝手に、自由に振る舞いたい年頃に、自身を押さえつけている少年が哀れに思えた。
 同時に、他人に興味を持たない帆乃香が、その少年を気にかけていることが引っかかる。
────俺のなのに。

Re: 花と愛と毒薬と ( No.43 )
日時: 2014/06/29 18:11
名前: 朝倉疾風 (ID: CA3ig4y.)

 それは、大切にしているおもちゃを横取りされたときの、微かな嫉妬と独占欲に似ていた。静かに、けれど確かに、心の奥で生まれる黒い感情。相手が子どもであれなんであれ、帆乃香に関わるものすべてが花に集る害虫に見える。
 雨に打たれているわけでもないのに、体の芯から冷えていくのがわかった。
 これは秀一の持つ本能による焦燥感なのかもしれない。これから起きる未来が、鮮明に想像できた。
 この少年に、いつかすべてが奪われるのではないかと。

「きみ、大人びた話し方しているからアレだけど、わたしよりもっともっとちっちゃくて、蛆虫みたいな存在なわけよねぇ」
「────え」
「ちっちゃくて、蟻みたいで、踏みつけられてる。周りの大人に。かわいそうだね」

 心底哀れみの眼で、その蛆虫のような少年を見ているのだろう。少年がかなり困惑しているのがこちらにも伝わってくる。
 助け舟を出そうか迷った。
 小学生の目の前で訳のわからないことを言い出す中学生を、屋敷へ引っ張り込んでしまおうか。あんな化物の相手を小学生ができるとは思えない。蛆虫呼ばわりされて気分を悪くしているか、ドン引きしているかのどちらかだろう。
 ここは大人の自分が出て行く番かと、出て行くタイミングを伺っている。それに少し興味が沸いた。少年がどういう反応をするのか。秀一の愛しい化物を前にして、「普通」の人間がどう思うのか。
 きっといま、帆乃香は意地悪く微笑んでいるだろう。彼女はいつも試しているのだ。相手が、自分を受け入れてくれるか、そうじゃないか。

「ぼくの父親は世界を嫌ってるんです」

 少年の声は笑っていた。
 少なくとも秀一にはそう聞こえた。

「何度も何度も消えようとしてる。だけど、世界の方は父親が好きみたいです。消えさせてくれない。苦しんでも生かせようとする。ぼくはそんな父親の息子だから、蛆虫なんかじゃないです。お姉さんよりも、ずっとずっと世界から愛されているんですよ」

 今まで無口だったのが嘘のように、饒舌に喋り続ける。これまでと反転して、帆乃香の方が押し黙っている。
 こいつもどこかおかしいと、聞いていて秀一は他人事のように思った。

「雨は止まないんです。ぼくの父親とぼくが消えない限り、ずっと降って、洪水になるんだよ。溺れないでね、お姉さん。ぼくは助けてあげないよ」

 蛆虫だと罵った帆乃香への遠まわしの反撃に思えた。少年は確かに子どもだ。力も無いし、少年の言う「世界を嫌う」父親の庇護下にいないと生きていけない小さな存在。理不尽な環境に振り回されていても、少年は自分のことを可哀想だとは思っていなかった。

「名前は?」

 しばらくして、帆乃香が尋ねる。
 秀一の首筋を、汗か雨かわらかない液体がつうっと流れた。

「マヤっていいます」
「まや。まや、ね。わたしは帆乃香っていうんだよ」

 人間に興味を持たない帆乃香が、少年の名前を聞いた。それだけでどうしようもなく秀一は不安になる。
 もうだめだ。待てない。
 秀一は不安を振り切るように門から出て、明るい笑顔をつくる。帆乃香が秀一に気づいて、眼を少し丸くさせた。

「ずいぶんと濡れてますね」

 湿った髪の毛を撫でると、帆乃香は甘えるように秀一に抱きつく。何も言わず濡れて冷たくなった身体を抱きしめ、ちらっと少年を見た。
 少年は、少女ともとれるような中性的な顔立ちをしていた。髪は長いこと散髪をしにいっていないのか、肩につくかつかないかほどまで伸びている。全体的にほっそりとしていて、制服ズボンから見える足は白くて綺麗だった。
 暗い瞳であちらも秀一を見ていた。
 目が合うと逸らし、俯いて地面を凝視している。その口がもぞもぞと動いていた。なにかを呟いていることに気づき、耳を傾ける。最初は聞き取れなかったが、徐々にその声は呪いのように秀一の心に浸透した。

「花に集まる蝿みたいだ」




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