小説のプロとは

小説のプロとは…なんだかんだで結局書いてる人

世の中には、その辺のプロの小説家よりも面白く書けちゃう潜在能力をもつ素人というのは存在します。
でも小説で生計を立てていないし、書かなければ「小説家」ではありません。

書くのを人生の途中でやめてしまえる人は、当然ですがプロ作家には「なりかける」かもしれませんが、最終的にはなりません。 ほかのことにも秀でていてそちらのほうが興味があったら、たとえプロ作家の道が約束されていたとしてもやはり選ばないでしょう。

能力のあるなし以前に(小説を)書く以外の人生は排除できなくてなんだかんだで書く、しかも続けちゃう人がプロだと思います。 自然と心に「プロとしての何か(途中でやめない心)」を育てていく人がプロになっていくのでしょうね。
※途中でやめることの善し悪しを言っているのではありません。


人によって小説家になるのにふさわしい時期は違う

小説のプロも会社と同じで、やる気と結果を出せばプロです。
各社主催の小説大賞は、未来がぱあっと輝くまさにプロへの登竜門です。狭き門ですが、とても魅力的ですね。

ただ、年齢・経験もみんなだいたい横一線の、進学受験・就職戦線とはわけが違います。
そこに至るまでは意外と単純ではないです。

たとえば医者、新聞記者、教師、店長などになってさまざまな人生経験とその業界でれっきとしたプロに成長してから、小説家に本格デビューするべく大賞に出しても、全く問題ありません。
他人には見えないけれど、その人にとってみれば立派なプロ小説家への『最短』コースです。

たくさんの人と「出会える」小説を書こう

小説は、書く人のためだけのものでもないし、読む人のためだけのものでもありません。
楽しい小説というのは、読み手と書き手の心が通じた瞬間だと思うのです。

心が通じる瞬間や数はたくさんあるほどいいです。
またたとえ数は少なくても、読み手の心の奥深くまで通じるというのも素晴らしいですね。

作者と読者との心が通うだけでなく、読者同士がその作品を介して心が触れ合っていったりもしますね。

知らない人同士が物理的につながることはまず無理ですが、心はつながることがあるって一瞬でもすごいです!
小説ならそれが可能です!

小説、音楽、絵画などなど…。文化って、本当によいものです。
文化は義務じゃないので、楽しんだり、楽しませたり。
ああ人間でほんとよかったなぁ~!と思える至福の時間ですよね。

調子がいい時も悪い時も、書きたいときも書きたくないときも、結局なんだかんだいいつつもみんな一生小説を書いてるといいですね。

無理ならそれもまたよし。小説以外でお金を稼ぎながら大好きな小説を読み続けていき、現実の仕事、勉強や運動にめいっぱい頑張り何かを成し遂げてください。 またふと小説を書きたくなったらそのとき力の限り書けばいいのです。
もしかしたらそれが貴方にとってプロ作家になるための最短コースかもしれませんし。
今○○でなければ○○できないと、自分で自分に呪いをかけたりしないでくださいね。

「自分の生活(人生)すべてを犠牲にして執筆する」よりも、「執筆以外のすべての事柄も執筆に必ず役立っていく」という考え方を 当サイトではおすすめします。勉強も運動も、仕事も恋も友情も、なんでも懸命にやってみてくださいね!

自分の良さを知る

プロとしてやっていきたいなら「二番煎じ」からの卒業が必要です。自分ならではの強みを見つけ、伸ばしていきましょう。

たまたま世の中の流行(需要)と自分らしい強み(個性)が一致して、いきなり上昇気流に乗れる人もいます。
世の中の需要と一見一致してない個性を持つ人もいるでしょうが、世をすねて個性を磨くことをやめないでください。
どんな個性でも、磨けば強力なキラー武器になりえます。

プロになれば、誰もが自分らしい作品だけを書きたい時に好きなだけ書けるというわけではありません。 自分にとって不利な条件や要望を受け入れて、なおかつ面白い小説、売れる小説を書かなければいけないことも多いと聞きます。
その作家さんらしい切り口で語られるのは面白いものです。
「その人らしさ」がなければ「別にその人でなくてもよい」ということになります。
「らしさ」「個性」は、個人の名前で勝負するプロ小説家を目指す以上は必須です。自信をもてるところまで磨き続けましょう。


二次作品だけでなくオリジナル作品も書いてみよう

もしプロの小説家を目指していくのであれば、二次小説書きさんはオリジナル小説をかいていくことが非常に大切になってきます。 すでに骨格ありきでのアレンジ能力ではなく、粗削りでも自分ならではの骨格を作る能力こそが小説大賞では求められています。 二次小説でも読み手の目をそらせない、魅力的な文章を書く作家さんにとっては、オリジナル作品を執筆しても魅力的な小説が書けることも多いです。
今まで二次小説しか書いたことがないという皆様は、ぜひ1度オリジナル小説にもチャレンジしてみてください。


大賞に応募慣ればかりしないために

小説大賞(公募)は、当然「競い合う」場所なので『戦い』です。そんな全国レベルの大会に毎月のように参加していると
■大賞→大賞→大賞→…
渡り歩けば1年2年ず~っとこんなかんじになりますから、いくら強靭な人でも心も体も擦り切れて疲れてしまいます。
小説家になるはずが大賞応募家になったというオチがついてしまっては笑えません。
大賞の一次常連になる、いわゆる「募集慣れ」する必要はむしろありません。
小説浪人するにしても意味のある浪人時代を送ることがなにより大事です。
大賞に出して手ごたえがなかったときには、まずこれからの浪人時代をどのように過ごすのかをよく考え計画しましょう。

小説大賞では、母集団に影響を受ける相対的な要素が入るのは間違いないですが、参加(一次選外)者が陥りがちなのは、大会をきっかけに意識が「大賞の詳細」に向きすぎていくものです。
純粋に小説の内容だけを評価してもらえる貴重な機会、それが小説大賞です。
何人が応募した、何分の1が通過した、入賞作品が面白くなかった、いくらそれらデータについて考えていったところで
自分が面白い作品を書けないうちは、いくら母集団が小さくなっても質が落ちても、自分の作品が通過することはありません。

「プロの目に耐えうる作品でなければ落ちる」「プロの目に耐えうる作品であれば通過する」というシンプルな法則に気づけば、 自分がやるべきこともわりと単純です。

しばらく大賞を意識的に忘れて、自分の感性や人生を磨きなおす『修行の旅(今までの現実生活の改善・工夫)』にでかけてみてはいかがでしょうか。
■大賞→修行期間→大賞→修行期間
■大賞→人生経験→修行期間→大賞→人生経験→修行期間
■大賞→人生経験→人生経験→人生経験→人生経験→大賞
宮本武蔵ではないですが、やっぱり感性などを磨く(いろんな人の心を知る)修行は必要と思われます。
自分の成長なくして、リベンジはかないません。


面白い小説とは

特徴のある4つの本があります。
さてどの本がもっとも「面白い」本でしょうか(「はまる=面白い」としますね。また2位以下の順位はここでは考えません)。

【本1】今Aさんが読んだら最もはまる
【本2】Aさんは絶対はまらないけどBさんとCさんは最もはまる
【本3】世間評価は最も高いけどA~Cさんは全然はまらない
【本4】5年前のAさんなら最もはまってた

一般に【本3】が面白いと感じる人が多いはずなんですが、Aさんにとって【本3】は「面白くない」。
それにたいして【本1】は世間一般にはともかく、今Aさんが読んで最も「面白い」と感じる本です。
Aさんにとっては【本1】>【本2、3、4】ですね。

【本2】はAさんには面白く感じられなかったけれど、Bさん、Cさんには面白く感じられます。
Bさん、Cさんにとっては【本2】>【本1、3、4】ですね。

【本3】は、A~Cさんには面白く感じられませんが、その他大勢には最も面白いと感じる人が多いので
A~Cさんを除く世間一般の人の多くにとっては【本3】>【本1、2、4】ですね。

【本4】は今のAさんには面白く感じられるかわかりませんが、5年前なら【本1】ではなく【本4】を最も面白いと感じます。
5年前のAさんにとっては【本4】>【本1、2、3】ですね。

面白さというのは、客観的なものではなくて、いちいち「個別的」で「主観的」なものなんですね。
多数決でいけば最も面白いのは【本3】ということになるんですが、AさんやBさんCさんにとっては
「本3は面白くない」わけで、彼らの前では「面白さ」という多数決による客観的な判断(太鼓判)も、ぜ~んぜん意味を持ちません。 「チクショーッ!高い買い物しちゃった、あー失敗したっ!」になってしまうわけですから。

だれかにとっては最高に面白くても、ある人には最低でつまんない。
大勢にとっては最高に面白くても、少数には最低でつまんない。
ある時期には最高に面白くても、ちがう時期にはそうでもない。
そういう現象が当たり前のように起こるし、それが「自然」なんですね。

「面白さ」って、奥深いですね。