「プライドと自信」編
初心者にはプライドより自信が大事
・プライドは「自負、自尊心、誇り」の意味で、主に防衛的な(攻撃される自分を守る)意味合いで使われます。
・自信は「自分を信じる心、自分の命の力」の意味で、主に自然発生的な(外に出る)意味合いで使われます。
初心者は、プライドではなく自信をつけることが大切です。当サイトでは、プライド(自己防衛できる力)、自信(自然に伸びゆく力)の意味で使うことにします。
自分らしい視点の育成=プライド(防衛力)の育成 ではない
プライドも無くてはならないものですが、大きくなりすぎると自然な成長や新たな視点を得るチャンスを失いやすくなります。
プロになる前から自作品に対する妥当な批評ですら素直に聞く耳をもたなくなってしまっては、いけません。
趣味であっても、コミュニティサイトでは高すぎるプライドは邪魔になります。
一度凝り固まってしまうとどうしようもなくなります。早いうちに、ぜひ自分のプライドを「たまに柔らかく低くする習慣」もつけましょう。たとえば、普段なら敬遠する本を読んだり、普段ガリ勉なら遊園地やコンサートに出かけてみたり、孤独な人なら大勢がいる場所へ、粗食の人なら豪華なディナーへ、他人の趣味や企画に便乗したり……。
ほんのちょっと「いつもの自分らしくないことをする」だけでも、ずいぶん予防になるはずです。実社会でもときどき新鮮な気持ちを思い出すのにきっと役に立ちますね。
プライドでガチガチになった心に、サクッと、気持ち良く穴をあけてくれますよ。
知らないことを知る機会をもとう
・いろんな人の心になったつもりで考える、やってみる
・普段手に取らないものを手に取って、口にしてみる
・普段いかない場所に行ってみる
・普段話したことのない、あるいは話したくなくて敬遠してきたような、人や世代と話してみる
・自分とは無関係な人の暮らしぶりを観察してみる
※上記すべて犯罪厳禁。ダメ!絶対!
仮にいつも出歩かない時間に、ふと外に出て歩いてみるとします。
「走っている人だ、全身が新品だから最近始めたのかな?どうして始めたんだろう?」「あの部屋は明かりがついてるな、人影が見える、一人?大勢かな?」「虫や鳥の声が聞こえる、なにかの合図かな?挨拶しているのかな」「あの車はどこにいくんだろう?ん?一部へこんでるな、どこでぶつけたのかな」「農作業中だ、何時から仕事していたんだろう?あんなに大量だけどどうやって運ぶんだろう」など……、普段自分がなじみのない時間に、動く暮らしや風景もあります。その様子を見たり想像するだけでも、自分だけの世界から容易に飛び出していくことができます。
※ただし、女性や学生が深夜に出歩く場合は、変態に遭遇すると命の危険があるので保護者同伴など防犯対策を忘れずに
お母さんが勉強しろとうるさいので普段そっけなく接している人なら「どうして勉強をしたほうがいいんだと思う?どういう体験から実感した?じっくり聞かせてほしい」と話をしてみるのもいいかもしれませんね。尋問みたいになってしまうとお互い苦しいでしょうが…。
ここでのポイントは、お母さんなりの考えや悩みを深く聴いて、自分と異質な考えであっても、いったん自分の中に「受ける」ことです。相手の心のありように対して、いったんYesと肯定してみよう、ということです。
相手の心をいったん「受けて」みると、自分がそれまで認識していた『お母さん』とは少し異なって見えてきます。
たとえ愚かであろうとも、懸命なその人なりの理屈、生き様、コンプレックス等が見えてくるはずです。
自分に自信をつけるのは、必ずしも他者を撃退することではない
自分よりもライバルの方が人間的に上かどうかの価値の判断は、どんな小説大賞であってもできるはずがありません。その時点でのそれぞれの企業様において「その作品が」「面白く感じられ」「商業的に成立する可能性がある」という判断がされた、というだけのことです。
当サイトでも小規模ながら開催を続ける理由は、選ばれても選ばれなくても、支えてくれる人たちの存在の温かさを感じたり、勝ち負けと無関係なところに面白さが埋もれていることもあるのだなあ、ということに気づいてもらいたいからです。そうすれば、難局にぶち当たってもちょっとやそっとのことではめげなくなります。
鑑定やアドバイス等の友好的・前向きなものは素晴らしい交流です。ただ、他人の作品ばかりを厳しく見つめるだけでは、自分に自信はつきません。自分の作品を、感度の高い読者の目で厳しく見ることができて初めて自信をつけていくことができます。※感度については「語感」編で説明します
読者からの批判を傷つかずに上手にかわせるようになっただとか、他作品のダメなところが即座に分かるようになっただとか、そんなことはむしろどうでもいいことです。これではプライド(防衛力)だけが育ってしまいます。
怖れずに、自分で自分の身体(小説)をきれいにさばける(推敲できる)ようになることこそ、作者として身につけたい力です。
推敲道具のメスや包丁は、基本的に自分に常につきつけておくべきものです。
自分がさばかれないよう警戒するあまり他人にばかり包丁を向けていては、せっかくの貴重な時間がもったいないですね。
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書き方・ルール
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