メイドと追っかけと職人と巫女と

作者/マッカナポスト

第五十八話・・・解放と快方


久方ぶりに本を読んでいる。

先週買ったばかりの海外のミステリー小説だ。
海外文学など柄じゃないと気取っていたものの、どうも自分には本を見る目がないという先入観故、『このミス』あたりをアテにしようかなという結論に至り、この本を手に取った。


そして今日、あまりにもあっさり__馬鹿だと思っていた友人に虚を突かれてしまったが為に、何もする気がなくなってしまった。

こうして拓夢はなんとなく帰る気を失って、そのまま3時間近くファミレスに居座っている。
昼が近づくにつれて客は徐々に増えていき、ランチタイムには満席になっていた、下町の中心はやはりファミレスなのだと改めて実感する拓夢であった。

窓は外との気温差と雪景色と相まって完全に白くなっていた。
窓際の家族客は、楽しそうに談笑していた。
まだ幼い子供は真っ白な窓に自由奔放に落書きする。
そんな理想的な風景に妬ましさすら感じながら、拓夢の目は再び本へと向かうのであった。

すっかり本を読むことに熱中する余り、ブックカバーがばさり、と本から剥がれ落ちる。

「 う゛」

ほとぼりが冷めてしまった。
案外僕って厭き易いタイプなのかもしれない、とふと思う。

__それをついつい優大に当てはめてしまう所は拓夢の良くない所だ。





工房に帰ることにした。





帰る時間になると、行きは向かい風だったので流石に追い風であろうと思っていたが、もう追い風の時間は過ぎてしまったようで、帰りも向かい風で帰る羽目になった。

流石に雪は止んでいたが、寒さに体が疼き、風と雪が痛いほど素肌に打ち付けた。

自分の運の無さを嘆く。





いつものように工房の扉を開けると、いつものように優大の優しそうな瞳が拓夢に向く。
「おかえり」
「ただいま」
「寒かったでしょ、大丈夫だった?」
「うん、寒かった。向かい風で雪が凄く痛かった」
「そっか、でもそれにしても遅かったね、何かあったの?」

本日二回目、いきなり虚を突かれてしまった。
拓夢の顔が強張る。

「いや、なんでもない」……じゃなくて!
本当の自分は図太くも聡くも何ともない、只のひ弱い頼ってばかりの人間なんだと改めて思う。
だからどうなる訳でもないけど。

「ならいいけど……具合悪そうだよ?」
「……えっと…あの…!」
「ど、どうした?」

もう口を開いてしまったからには、後戻りはできない。
拓夢は、あまりにも大きな決断をしたのであった。

「その……来週で契約終わりでしょ?」
「そうだね」
「だから、その先の進路についてどうするんだって、真織に聞かれた」
「____」
「それでね、僕、その、えっと、歌手の道に進もうかなと思って__」
思わず優大の顔を見上げて表情を伺ってしまう。
そんな様子に気づいたのか気づいていないのか、優大は特に表情を変えるわけでもなく、静かに拓夢の瞳を覗くように見つめる。


「そっか、拓夢がその道を選んだなら応援しなくちゃだな」優大は寂しさを孕む笑みを浮かべてそっと囁いた。

「それで、あと1週間だから伝えたいことがあって」
「どんなこと?」





「凄く、凄く、凄く、大切な、事」





誰も知らない、知る由もない事。
拓夢をはじめ、虚達がこの工房を訪れた凡ての理由が、そこに詰まっている。
ファミレスで読み終わってしまった海外ミステリーの結末よりも___

緻密で
単純で
濃密で
深く
重く
懐かしい
終着点が
そこにはある。


薄気味悪いほどに絶妙なタイミングで、扉が開く。


「運命の日の予感がした」


そう言って。
意地悪な笑みを浮かべたのは、
源と禅を引き連れて現れた、虚だった。