「知る・触れる」編 ~知るきっかけづくり~
【第4回】 『音楽』を、知っていますか?
音楽を考える時、文字や言葉とは全くの別ジャンル仕訳しがちですが、言葉の源流はなんだったかな~?と考えると『音楽と言葉は本質的には何も違わない』と気づきます。人に思いを伝える手段としての「書き言葉」、「書き言葉」の前に「話し言葉」があり、「話し言葉」の前に「歌声(音)」がありました。
音声パターンを書き記したものが、言葉や文字のはじまりの一つでもあります。
人に考えを伝えようとするとき『自分にとってなぜ文字でなければいけないのか?』と考えてみるのはとても有意義です。書こうと決めた人は、意識的にか無意識に文字を選びとっているのですが、なぜかそのことに気づかずにいることもあります。そのままだと些細なことで挫折と感じ、妄想と結果を混同して手に届くはずの目標も諦めてしまいやすくなります。
文字でなく音声を選んで人に想いを伝えようとしている方々の作品に触れることは、自分が執筆する目的や理由をあらためて見つめなおすことのできる良い機会となるかもしれませんね。
1.ボレロ シルビ・ギエム Bolero Sylvie Guillem
2.Yoshiki - Golden Globes 2012 End Credit
道具は書き文字でなくても何でもいい、1つだけでいいから決めて、その道具と技を大事に磨いていけば、人生をよそ見せず大事に歩いていくうちに、いつか温かい拍手をもらえる何者かになれるのだと思います。
人生を一緒に歩いていく道具は、もう見つかっていますか?
それがペンであってもペンでなくてもかまいません。
愛する道具といつも一緒にいれば、苦しいときでも心強いですよ。
音楽にちなんでもう一つ。歌のアレンジです(パロディ含む)。
日本のアレンジ文化はかなり高度なんじゃないかと思います。※著作権の話はここでは触れません
初音ミクしかり、オリジナルを超える価値や異趣の魅力を持つアレンジが多く生み出されています。
またそれがブーメランとなってオリジナルの価値をさらに上げるという、原作とアレンジ作双方に優れた効能をもたらすことも。アレンジのアレンジたる存在意義をわきまえつつ、楽しみながら努めも果たすのはアレンジ職人の誇りになりますね。オリジナルを生み出そうとする努力と、優れたアレンジを生み出そうとする努力とは、実は同じものなのかも知れません。※オリジナルを立てる謙虚さを持たない(失った)アレンジ職人は、技量があっても敬遠される傾向にあるようです。
すでに定評のあるオリジナル作品をアレンジ作品が超えるというのは並大抵でなく困難です。
けれど、そうした道(みち)にも平和的手段で真っ向挑んでいく姿勢や文化の土壌が、日本にはあります。
道って、いい言葉ですね。
道を究めるとは、他人を排除し場所を独占することではなくて、道の悪さや長さにくじけず自分が歩いていくことです。道半ばの作品もたくさんありますが、道に挑んでいるそれ自体が価値です。書き手の皆さんは、筆を持っているなら自信を失う必要はありません。書いているかぎりは、ゴールにいつ着くかはわからないけれど確かに道を進んでいます。
途中のものを見られたって別にいいじゃないですか!
ゴールに着いてから発表、な~んて悠長なことを考えていたら何も創作などできません。
どうか、安心して書いてくださいね。
- 第5回 『国歌』について知っていますか?
書き方・ルール
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