「知る・触れる」編 ~知るきっかけづくり~

【第7回】 東日本大震災 

悩みましたが『知るきっかけ』というテーマからは外れても、あまりにも甚大な災害で皆様ご存じと知りながら敢えて紹介したいと思います。

1.石巻 日和幼稚園 真夜中まで「助けてー」と叫び続けるも救助されず

2.【東日本大震災】津波から逃げる人たちが飲みこまれる【2011 japan TSUNAMI】

3.東日本大震災津波動画 2011/3/11 tsunami

4.東日本大震災 南三陸町歌津字伊里前壊滅の瞬間

5.津波にのまれた気仙沼中央公民館より

自然は、時に本当におそろしい存在です。
誰も何も悪くないのにある日ただそこにいたというだけで、作り上げてきたもの全てを壊されることがあります。

災害ではとくに、4:10過ぎの広報ピンポンパン音(想定)と4:30頃にやってきた広報内容(現実)とでは、あまりにも酷く乖離しているということを、よく知り記憶しておく必要があります。
(自治体広報体制に対する非難でなく、非常事態とは常に想定を超えてきて現実になる事態を指す、という意味です)

動画1も、人災(予見可能な状況における過失)含めた事実として、当事者でなくとも深く記憶し忘れず語り継ぐ必要があるでしょう。 仙台地方裁判所により、日和幼稚園側の管理責任を認める判決が出されたのが記憶に新しいところです。

幼児は、我々大人のように意見する『声』を持ちません。良い子であるほど大人の言うことを信じて素直に従います。「てんでんこ」で自分を守ることができない非常に幼い命を、非常の事態に際していかに二重三重の手で守れるか。子供を死なすのは、老人を死なすことよりも生物的に重い不幸です。それはかつて幼児であった我々大人こそが誰よりもよく知っているだけに、彼らの生き延びる方法を案じることは、未来への大事な使命ですね。

住処と自分にとって最も大切な人を先に亡くすことほど、悲しいことはありません。
それでもなお誰もが、先祖が共に暮らしてきた自然と人とをこの先もずっと愛し続け、自然による究極の理不尽に耐えながら前を向こうと歯を食いしばっています。

1.【震災】人のため自分を顧みない名もなき勇者に捧ぐ

2.警察・自衛隊に 小さな声援

3.「てんでんこ -津波を生き延びる知恵-」1/2   2/2

4.自分が生きていることも不思議だし、死ぬってことは本当に身近だよ

日本は自然災害の多発地帯です。
世界から見れば、なぜこんなに災害ばかり起きる地にに好き好んで住み続けているんだと思われたりもします。
しかし私たちはここで生まれ、育ちました。自分の家があり大切な人がいます。
ここで暮らす限り、自分か他の人か分からないけれども、いつどこで突然の自然の力によって命ごと奪われるかもしれない。そうと知りながら、畏れながらそれでも日本に暮らします。

普段から悲しみを分かち合い、皆それぞれの場所で1日を耐えて生きられることを、有難い(幸運な)出来事だと知っています。悲しみよりも、どんなに恋しいだろうという愛情が痛いほど伝わります。

日本国歌の歌詞にも通じますが、どんなに気をつけていても無事でいられないことがあるからこそ、明日も明後日もどうか元気でいてくれと願います。生きるとはなんと儚いかということは、日本の風土に生きていれば誰もが嫌でも何度も実感することになります。何とか自然(災害)と共に生きようと、何千年も前からずっと先祖が必死で考え頑張ってきました。常に地理的な危険度の高い日本で、こうして命が綿々と引き継がれてきたのがその証拠です。

自然と共にしか人は生きられませんし、また、人間が自然の上をいくことは不可能です。
だからこそ、到底抗えない災害(災厄)の際には、誰もが自分の命と同じくらい純粋に、他人の命を大事に想う気持ちが自然と発動するのかもしれません。職業や国籍なども関係なく、自分の命も捧げる覚悟で精一杯誰かの命を案じます。
なぜと言われてもよく分からない種類の気持ちです。そうしなければいけないと特に熱心に教えられたからではなく、自然に一人一人がそうなるものです。不思議ですね。

日本の風土には『自己責任』という概念は、あまりなじみません。
ここで暮らす限りは助け合って生きていくしかないし、実はとうに守りあって生きているんですね。
災害に遭っても遭わなくても、生きることが本当に難しいこの地で命をつないでいこうとする強い気持ちは皆同じです。

日本では皆自力で生きているのではなく、知らない色々な人達によっても生かしてもらっているということを、深く記憶しておきたいですね。誰の命も、手も、本当に有難い存在です。