コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
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- こちら藤沢家四兄妹
- 日時: 2014/10/27 23:29
- 名前: 和泉 (ID: l5ljCTqN)
初投稿です。
よろしくお願いします。
☆special thanks☆
ちゅちゅんがちゅんさま
冬の雫さま
紫桜さま
猫又様
はるたさま
八田 きいちさま
夕衣さま
波架さま
また、読んでくださっている皆様。
☆目次☆
日常編
>>1 >>3 >>5 >>7 >>10 >>11 >>14 >>18 >>19
>>22 >>23
夏祭り編
>>26 >>27 >>28 >>31 >>32 >>33 >>34 >>37
>>45 >>47
長男過去編
>>55 >>58 >>61 >>63 >>65 >>68 >>71 >>73
>>77 >>78 >>79 >>84
双子お使い編
>>86 >>89 >>90 >>92 >>93 >>96
次女誘拐編
>>100 >>102 >>103 >>104 >>105 >>107 >>108 >>109
>>111
長女デート編
>>112 >>114 >>117 >>118 >>119 >>120
長男長女の文化祭編
>>122 >>123 >>124 >>129 >>131 >>132 >>133 >>134
>>135 >>136 >>137 >>140 >>141 >>146 >>147 >>148
>>149 >>150 >>154
佐々木杏奈の独白
>>157 >>158 >>159 >>163
同級生と藤沢家編
>>164 >>165
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- Re: こちら藤沢家四兄妹 ( No.120 )
- 日時: 2013/09/09 22:02
- 名前: 和泉 (ID: YsvlUcO/)
♯52 「同級生と花言葉 2」
藤沢さんはそれからずっと暗い顔を見せることはなく、
不自然なほどの笑顔ではしゃいでみせた。
つないでいた手はいつのまにかほどけていて、
だけどもう一度彼女の手を握る勇気は俺にはなかった。
手を離した今、藤沢さんと俺の距離は約30センチ。
それが一番、俺と彼女にはちょうどいい距離なのかもしれない。
正午を回った。
二時間ほど見て回った写真展ももう見るものもなくなり、俺たちは静かにビルを出た。
「日下部くん、ありがとうね」
念願の桜の写真を見て、ポストカードまで購入した藤沢さんは、
嬉しそうに俺の隣を歩いている。
ポストカードは、ちょうど六枚。
藤沢さんの家族の分だとすぐにわかった。
「楽しんでくれたならよかった」
そう言って俺も笑い返す。
藤沢さんはひとつうなずいて、
「ねえ、あそこでお昼食べようよ」
そう言って、アヤちゃんがさらわれたあの河原沿いの広場を指差した。
聞き返すまもなくさっさと藤沢さんは歩き出している。
俺はあわててその背中を追いかけた。
「藤沢さん、俺、昼飯もってなくて」
「知ってるわ」
「買ってもないよ?」
どこかのファミレスで済ます気だったもの。
でも藤沢さんはかまわず広場に歩いていき、あの日座っていたベンチにすとんと腰を下ろした。
そして俺を見て不思議そうに首をかしげ、ぽんぽんっと自分の隣を叩いた。
「座らないの?」
「座らせていただきます」
そんなお願いされたら断れませんよ。
何がなんだかわからぬまま、俺も藤沢さんの隣に腰を下ろした。
そんな俺をよそに、藤沢さんはもっていた大きなトートバッグから、小さな包みを2つとりだした。
そしてひとつを俺の膝にのせる。
「今日、誘ってくれたお礼ね」
そう言って笑う藤沢さん。
開けてみると、中身はお弁当だった。
小さなハンバーグや卵焼きなど、中身はわりと豪勢だ。
「いいの!?」
「いいから渡してんのよ。さっさと食べれば?」
食べさせていただきます。
藤沢さんのそっけない一言も照れ隠しだともうわかるから、俺は大人しく箸を握った。
一口食べて目を見開く。
「おいしい!!」
「それはよかった」
「藤沢さんの手作り?」
「そうだけど」
半端なくおいしいです、藤沢さん。
もぐもぐと口を動かしていると、藤沢さんはそっと空を見上げた。
「夏、終わっちゃったわね」
空はもう、夏を通り越して秋を運んできている。
「終わったね。中学生最後の夏。案外あっさりと」
「そうかしら。あたしは大分濃かったと思うわ」
藤沢さんは、そう言って、そっと目を閉じた。
「簡単に時間って流れちゃうのね。
今になってもっと大事にしとけばよかったって思うもの」
俺だってそうだよ。
その一言がどうしてか口からでなかった。
風に吹かれて微笑む藤沢さんをみて、俺は思ってしまったから。
藤沢さんはよく寂しそうな顔をする。
悲しそうな顔も、身を切るような切ない顔も。
それは彼女の生い立ちのせいだと気づかないほど俺は鈍くない。
そして彼女が、俺にそこに立ち入らせてくれないことも。
その表情の奥にあるものを、藤沢さんは俺には見せてくれない。
俺は藤沢さんが好きで、好きで、好きで。
あの春の日から、ずっと藤沢さんだけを見てきたけれど、いまさら思う。
俺じゃ彼女を救うことも、抱え込んで守ることもできないのかもしれないって。
「どうしたの?」
藤沢さんがこちらをみて首をかしげた。
「どうしたのってどうしたの?」
「だって、なんだか浮かない表情してるから」
あたし、君になにか言ったかな?
そう不安そうに尋ねる藤沢さんに、俺は黙って首を振った。
俺は藤沢さんが好きで、好きで、好きで。
でも俺じゃ藤沢さんを守ることはできないかもしれなくて。
それならそれでかまわないと、はじめて思った。
彼女が幸せそうに笑ってくれるなら、悲しい顔をしないでくれるならそれでかまわない。
例えば藤沢さんの隣に立てるのが俺じゃなくても。
俺の気持ちが藤沢さんに届くことがないとしても。
藤沢さんが心を許せる誰かに出会えたなら、俺はもうそれだけで幸せなのかもしれない。
そんなことを思いながら見上げた空は、いつもより少しくすんで見えた。
- Re: こちら藤沢家四兄妹 ( No.121 )
- 日時: 2013/09/28 18:27
- 名前: 和泉 (ID: AzAx2/ma)
しばらく高校の文化祭が忙しくて更新できませんでした。
これからもテストや修学旅行があるので更新はまばらになりますが、
ちょっとずつ書いていくのでこれからもよろしくお願いします。
- Re: こちら藤沢家四兄妹 ( No.122 )
- 日時: 2013/09/28 18:28
- 名前: 和泉 (ID: AzAx2/ma)
♯53「長男と不本意な人気者」
「わあ、藤沢くんすごい!!」
「このクッキーおいしいしかわいい!!
オレンジ色してる!」
「それは人参をミキサーにかけたのを生地に混ぜただけ。
子供でも好き嫌いせずに野菜食べれるように考えたやつ。
キャロットクッキーの他にも、カボチャクッキーもあるぞ」
「え、カボチャ!?」
「最初にカボチャゆがいて……」
カボチャクッキーの作り方を説明しようと口を開いたところで、
俺、藤沢ナツははたと気がついた。
何故俺は当然のように、家庭科室で女子に囲まれてクッキーを焼いてるんだろう。
「藤沢くん?」
そう、ここに至った理由は一時間前に遡る。
一之宮高校、通称イチコーの文化祭は10月の頭に行われる。
俺たちのクラスの出し物は模擬店。内容はクッキーやパウンドケーキなどをメインにしたカフェ。
そして、今日はメインのお菓子を調理室でクラスの女子が試作をする日だった。
俺が料理を作るのが得意なことを知っている浩二は、お前も行って参加してこいよと目線を送ってきたが無視。
夏祭りに絡んできた女子のお陰で、女子の集団は俺にとって若干トラウマになっていた。
他の男子は参加しないのだ。
俺一人、女子の集団に囲まれる状況は遠慮したい。
女子怖い。
そんなこんなで俺はクラスに残された男子と共に教室の装飾担当。
夕飯はリカに任せてきたので、今日は放課後も残れる。
日が傾きかける中、黙々と看板を作るべくベニヤ板に釘を打ち付けていた時だった。
「せいがでますねー、ナーツー君!」
「お前の顔面にも釘打ち込むぞ」
ひょっこり俺の横から浩二が顔を出した。
俺はその顔に金ヅチを振り上げて打ち込む振りをする。
そんな俺を見て、浩二は楽しそうににっと笑った。
「なんだか思考回路がリカちゃんに似てきたね、ナツ」
「おかげさまでどーも」
喜べばいいのか落ち込めばいいのかよくわからん誉め言葉をどーも。
そんな俺を見て、浩二がお願いがあるんだけど、と話を切り出した。
なんだと聞き返すと浩二が指差したのは窓の向こうに見える東校舎2階の調理室。
「調理室がどうかしたのか?」
「いや、今ちょっと男子数人と調理室に顔出して、
試作のクッキーやらパウンドケーキやら食べさせてもらったんだけどさ」
「…………おう」
なんだか嫌な予感がするぞ。
「これがまた微妙な味でして」
微妙なってなんだ微妙なって。
顔をしかめた俺に、浩二が身ぶり手振りで説明し出した。
「なんていうか、こう、もっさりかつじっとりぎとぎと?
バターの味がよく利いてる通り越してバターの味しかしないっていうか、
一個食べたら二キロ太りそうっていうか」
「クッキーの種類は?
バタークッキーだったからバターの味がしたんじゃないのか?」
さすがに高2女子が集合してそんなに悲惨な結果にはならないだろう。
そう思い首をかしげると。
「それが恐ろしいことに俺が食ったの抹茶クッキーなんだよね。
残念ながら抹茶の味なんてしなかったわ」
何やってんだ女子!!
「女子もなんでこうなったかなぁ、って落ち込むし、ぶっちゃけあんなクッキーやらケーキやらだしたら客一瞬で消え失せるだろうし」
そして、浩二は俺を振り向くとにっと笑って人差し指をたてた。
「そこで俺は調理室で落ち込む女子に提案したわけです。
学校1女子力が高い、心強い味方をつれてきてやるから待っていろ、と」
まさか。
さっと顔から血の気が引く。
もうこいつが何を言いたいのか理解できた。
後ずさる俺の手を握り、その場に片足をついた浩二が俺を見上げて笑う。
「我がクラスの売り上げのためにお菓子を作っていただけませんか。
学校1女子力が高い、心強い味方の藤沢夏くん?」
————嫌な予感、的中。
「嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっっっ!!!!!」
……その後。
女子力なんてない嫌だ嫌だと首を振り続けたものの、
男子三人係で羽交い締めにされ調理室に連行された。
「俺たちの文化祭はお前にかかってる!」
「頑張れ藤沢!!」
「戦え女子力!!」
「てめーら無責任にもほどがあるだろ!!」
「だいたい女子に囲まれるのが嫌だとか贅沢なんだよ!」
「そうだそうだ!!」
「人の話を聞けぇぇぇぇぇぇっっっ!!!!!」
叫びながら廊下を引きずられていく俺の目にはしっかりと、「逝ってこい☆」と手を振る浩二が映っていた。
浩二、お前いつかやり返すからな!!
そして、調理室に連行された俺は女子に囲まれ半分魂の抜けた状態でお菓子を作り、今に至る。
- Re: こちら藤沢家四兄妹 ( No.123 )
- 日時: 2013/09/28 21:13
- 名前: 和泉 (ID: nAiEZrNa)
♯54 「長男の受難」
時計を見るともう六時。
クラスの女子にお菓子の作り方をレクチャーした俺はいろいろ消耗しきっていた。
お前らよくそんな無茶な菓子作りができるな!!と
俺の心の中の突っ込みは途絶えることがない。
しかしそんな無茶苦茶な女子たちの中でも、ひとりずばぬけて光輝く料理のできない女子がいた。
他でもない。
クラス委員の佐々木杏奈である。
「藤沢くん?どうかしましたか?」
「…………お前、その手の中にあるものはなんだ」
「……?」
そう。
佐々木はもう料理が下手とかそういう次元に生きていなかった。
佐々木はどこまでも我が道をいく女だと、俺は瞬間的に理解せざるを得なかったのだ。
「お前なんで手にニボシ持ってんだ!!!!?」
佐々木は、その手にニボシを掴んでいた。
クッキーにニボシ。
パウンドケーキにニボシ。
そうそう見ない組み合わせだぞそれ!!
「さっき試食したクッキーがなんとなく生臭かったのはお前のせいか!!」
「私、出汁をとるのは得意なんです」
「洋菓子に出汁関係ねぇ!!」
「む。それは聞き捨てなりません。
出汁は日本人の命ですよ?」
「洋菓子に日本人の命をつっこんでどうする!!」
「マイソウルフード、ダシ」
「英語で言ってもだめ!!
つか英語にすらなってねえ!!退場!!!」
俺はこの危険人物を早々に調理室から追い出した。
ニボシクッキーなんて俺は断固認めん!
しかし危険人物はどこまでいっても危険人物だったらしく、30分の後に
「やっほー、ナツ!!調子はどうだい?」
心底めんどくさいやつ、すなわち浩二を引き連れて戻ってきた。
「帰れ」
「えー、ナツくんにいい知らせを持ってきたのになー」
「どーせろくでもない知らせだろーが!!」
クリームを泡立てながら睨み付けると、まあまあと笑いながら浩二が出したのは一枚の紙切れ。
「これ、さっき文化祭の担当教師に出してきた文化祭最終企画書のコピー。
ちなみに〆切は今日。」
嫌な予感しかしない。
俺がじとめで二人をにらむのとは反対に、浩二はとんでもなくいい笑顔で言い切った。
「君の功績を称えて、俺らの模擬店の名前、"2のBスイーツキッチン"から
"ナツお兄ちゃんのお菓子のおうち"に変更して参りました!!」
「ちょっと待て」
女子が爆笑しながら拍手をする。
お前ら他人事だと思って笑ってんじゃねーぞ!!
しかしもう俺は動じない。反撃の時が訪れたのだ。
俺はとってつけたような笑顔で。
「今すぐ変更し直せこのやろう」
泡立てていたクリームを浩二の頭にボールごとシュートした。
浩二は悲鳴をあげて真っ白になった頭を抱えて後ずさる。
ざまあみろ。
そんな俺たちを一番間近で見ていた佐々木はというと、全く動じていない。
「ムリですね。だってもう出しちゃいましたから。
ちなみにクラスで働く野郎共は爆笑とともに大賛成してくださいました。
すいません、クリームがつくので近寄らないでいただけますか金井くん」
うん、お前は我が道を進めばいいよ。
ごーいんぐまいうぇいだ、佐々木。
遠い目をして笑っているだろう俺に、浩二が噛みついた。
「ナツ、クリームがもったいないだろ!!
……あ、でもなんか変な臭いするこれ。生臭い」
「それは退場する前の佐々木が、ニボシの粉末を大量投入していたことが先ほど判明したクリームだ。
どちらにしろ廃棄処分だったが、あまりにもったいないからどうにかならないか試行錯誤してた。
いい使い道が見つかったよ」
主に浩二への復讐と言う名のな。
はっと鼻で笑うと浩二はもう何も言わずに水道へと全力でかけていった。
その後。
クリームを被った浩二がようやく頭と顔を洗い終え、
制服からジャージに着替えて戻る頃にはすでにクラス全員解散ずみで、
ひとり寂しく帰路をたどったとかたどらないとか、それはまた別の話である。
「クリームにニボシ、いいと思ったんですけどね」
「ないわ。もっかい言うけどないわ」
戻ってこない浩二を放置し、クラスが解散した後。
すっかり暗くなった道を、俺は佐々木と歩いていた。
少し遠回りになるけれど、電車通学をしている佐々木を駅まで送るためだ。
女子の友達の少ない佐々木は当然のように暗がりのなかをひとり帰ろうとし、
さすがにそれは危ないと俺が送ることにした。
佐々木は歩きながら延々ニボシ、ニボシと呟いている。
あだ名をニボシにしてやろうか。
淡々と暗い夜道を歩いていると、あ、と佐々木が突然足を止めた。
「どうした?」
「あれ」
佐々木がすっと道ばたを指差す。
そこには道路の蛍光灯に照らされた、一輪の彼岸花がそっと天をついていた。
「綺麗だな」
「そうですね」
佐々木が笑う。
そういえば、と俺は我が家の長女の顔を思い出した。
「リカが花言葉に詳しくてさ」
「妹さんが?」
そう。あの我が家の女王様。
「彼岸花の花言葉も教えてくれたんだよ、昔」
「………それ、どんなのですか?」
佐々木がこっちをふりむいた。
蛍光灯の影になって、佐々木の表情が全く見えない。
俺は首をかしげながら、昔聞いた花言葉を口にする。
「確か、"悲しい思い出"。でももうひとつあったはずなんだよな……」
なんだっけ、と首をかしげて笑うと、蛍光灯の影になる位置にいた佐々木がすこしふらついた。
「佐々木……?」
その瞬間、まるでスポットライトを当てるように佐々木の顔が蛍光灯に照らされた。
俺は小さく息を飲む。
もうひとつの花言葉は。
かすれた声で佐々木が言葉を紡ぐ。
「————です」
蛍光灯に照らされた佐々木は、今にも泣き出しそうな顔で笑っていた。
- Re: こちら藤沢家四兄妹 ( No.124 )
- 日時: 2013/10/31 16:54
- 名前: 和泉 (ID: a9Ili7i0)
♯55 「ふわふわマザーの迷子の思い出」
涼子さんが意識を失ってから、随分と長い時間が経つ。
このままもう目覚めないんじゃないか、なんて。
一瞬頭をよぎった悪い考えはその場で追い出した。
夏が終わって、秋になった。
もう随分と肌寒くなって、外出には上着が欠かせない。
子供たちは文化祭の準備で忙しいらしく、そんな中涼子さんの見舞いに行かせるのは忍びなくて、
今日は俺が仕事を早めに切り上げて病院に向かった。
結果的には、それでよかったのだと思う。
白い白い、静かな場所。
リノリウムの床をこつん、こつんと靴音を響かせて歩く。
涼子さんはここが嫌いだと泣いた。
泣きながら、少しずつ自分の持ち物を整理していた。
『この浴衣はリカにあげようかな。
これはもう要らないから捨てちゃうね』
そんな風に、少しずつ、少しずつ部屋を片付けていた。
だから、もう家には涼子さんの持ち物は必要最低限のものしか残っていない。
それが何を意味しているのか、わからないほど鈍感ではないつもりだ。
廊下の突き当たり。
一際暗い部屋には「藤沢涼子」の名札。
俺はゆっくりとドアを開けて、目を見開いた。
「要くん?」
涼子さんが、体を起こしてこちらを見て微笑んでいたから。
「涼子さん!!!」
慌てて駆け寄る。
「気分は!?
体はどうなの、ナースコールした!?」
けれど、涼子さんはただ首をかしげて俺を見ている。
なにかがおかしいと、そう思った。
「涼子さん、俺のことわかる?」
尋ねると、涼子さんはただ首をかしげる。
そして一言。
「要くん、制服はどうしたの?
なんでそんなサラリーマンみたいなスーツ着てるの?
似合ってないよ」
時間が、止まった気がした。
「ここ病院よね。
私、また倒れちゃったの?
やだな、小波に怒られちゃうじゃない」
こなみ。
小波は、ナツの母親だ。
10年前に、事故で死んだ、俺たちの高校時代の友達。
「涼子さん……?」
「要くん、私のこと涼子さんなんて呼んでたっけ?
涼子先輩、じゃないの?」
俺は高校時代涼子さんの後輩で。
告白して、結婚するとき呼び名を変えた。
涼子先輩から涼子さんに。
どうしたの、変だよ、なんて笑わないで。
変なのは涼子さんじゃないか。
頭が考えることを拒否する。
エラー、エラー、エラー。
頭で赤いランプが点滅する。
それでも、なんとなく気づいていた。
彼女に何が起きたのか。
俺は深く息を吸い込んで、震える声で彼女に問うた。
「涼子……"先輩"。
自分の名前と年齢、わかる……?」
涼子さんはきょとんとした目で俺を見て、くすくすと笑った。
「やだ、どうしたの要くん。
笹川涼子、17歳。高校2年生だよ。」
彼女は、自分で自分の時間を巻き戻した。
一番楽しかった、高校時代に。
今の彼女には、高校時代以降の記憶はない。
「……ナツ、リカ、ヒロ、アヤ。
この名前聞いて、なんか思わない?」
彼女は笑う。
ふわふわ、ふわふわ。
シャボン玉でも飛ばすみたいに。
「誰かしら?
要くんのお友だち?」
ふわふわ、ぱちん。
シャボン玉は弾けて消えた。
神様なんていないと泣いた、小さなナツの声が頭の奥に響いていた。
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