コメディ・ライト小説(新)

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暁のカトレア 《完結!》
日時: 2019/06/23 20:35
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 9i/i21IK)

初めまして。あるいは、おはこんにちばんは。四季と申します。
今作もゆっくりまったり書いていく予定ですので、お付き合いいただければ幸いです。


《あらすじ》
レヴィアス帝国に謎の生物 "化け物" が出現するようになり約十年。
平凡な毎日を送っていた齢十八の少女 マレイ・チャーム・カトレアは、一人の青年と出会う。
それは、彼女の人生を大きく変える出会いだった。

※シリアス多めかもしれません。
※「小説家になろう」にも投稿しています。


《目次》
prologue >>01
episode >>04-08 >>11-76 >>79-152
epilogue >>153


《コメント・感想、ありがとうございました!》
夕月あいむさん
てるてる522さん
雪うさぎさん
御笠さん
塩鮭☆ユーリさん

Re: 暁のカトレア ( No.148 )
日時: 2018/09/16 01:58
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: u5wP1acT)

episode.141 三週間が過ぎて

 その後、私はダリアにいるアニタと連絡を取り、電話でゼーレのことについて話した。彼が宿屋で働きたいと言っていることを、である。最初は突然のことに戸惑うアニタだったが、彼女はそれでも、ちゃんと話を聞いてくれた。ありがたいことである。
 話し合いの末、ゼーレがまともに動けるようになったら彼を連れてアニタの宿屋まで行く、ということになった。そこで少し話をし、雇うかどうか決める、とのことだ。
 これで約束は完了。
 後は、上手くいくことを願うのみである。

 ——その後、またたく間に三週間ほどが経過した。

 そんなある日の朝。
 私がいつものようにゼーレの部屋へと向かっていると、途中でフランシスカに遭遇した。彼女は私を見つけるや否や、手を大きく振りながら駆け寄ってくる。
「マレイちゃん!」
「あ、フランさん!」
 こんなところでフランシスカに会うなんて、珍しい。
「会えて良かったぁ」
 フランシスカはその愛らしい顔に明るい笑みを浮かべていた。丸い瞳はきらきらと輝いている。
「どうかした?」
「今マレイちゃんを呼びに行こうと思ってたんだっ!」
 よく分からないが、何か用があるようだ。
「どこかへ行くところっ?」
「ゼーレの部屋へ行こうと思っていたの」
「ちょっと、食堂まで来てもらってもいいっ?」
 一体何なのだろう。ゼーレの部屋へ行くことよりも大切なことなのだろうか。
 そんな疑問を密かに抱きつつも、私は頷く。
「えぇ、行くわ」
「大丈夫っ?」
 気を遣っているようなことを言いつつも、さりげなく断れない空気を出してくる辺りが、フランシスカらしい。
「えぇ、大丈夫よ。でも、何かあったの?」
「ううんっ。ちょっとした用事だよ!」
 ちょっとした用事でわざわざ呼びに来てくれるなんて不思議だが、ありがたいとは思う。
 こうして私は、フランシスカと共に、食堂へと向かった。

 朝食時ゆえ賑わっているものかと予想していたのだが、食堂は意外と空いていた。隊員の姿がまったくないというわけではないのだが、まばらだ。ずらりと並んでいる椅子のうち、半分以上が空席である。
 そのせいか、いつもと変わらない食堂がとても広く見える。
「こっちこっち!」
 フランシスカは軽い足取りで歩いていく。私はそれについていった。何が待っているのだろう——心の隅でそんなことを思いながら。
 少し歩いていくと、見慣れた顔が視界に入る。
「おぉ、来たか。マレイ」
 一番最初に私に気づいたのは、グレイブ。
 こちらを向く瞬間、彼女の長い黒髪は、はらりと揺れた。いつもは男らしいグレイブなのに、今はなぜか、とても女性的な魅力を感じる。戦士の風格を漂わせていないからかもしれない。
「ちゃーんと連れてきましたよっ!」
「フラン、ご苦労」
「はいはーいっ」
 フランシスカに私を迎えに行くよう命じたのは、グレイブだったようだ。
「マレイちゃん。待ってたよ」
 グレイブの次に私に話しかけてきたのは、トリスタン。
 あれから三週間が経過し、彼もだいぶ回復してきたようだ。ボスにやられた時はどうなることかと心配したが、命に別状はなさそうで、何よりである。
「トリスタン!みんな集まって、何が始まるの?」
「ちょっとしたイベントだよ」
 いまいち分からない。
「イベントって?」
「食事会だ」
 私の問いに言葉を返してきたのはグレイブ。
 朝から食事会って……、と思ってしまった。が、口からは出さない。そんな雰囲気を壊すようなこと、言えるわけがないから。
 だが、食事会とは、何を食べるのだろう?
 みんなで食堂に集まり、いつものメニューから選んだものを食べるだけなのだろうか?
 ……いや、それだけのことをわざわざ「食事会」なんて言いはしないはずだ。だって、もしそれを「食事会」と言うのなら、毎日が「食事会」ではないか。
「食事会なんて、珍しいですね」
「あぁ。そうだな」
「何を食べるんですか?」
 すると、驚きの答えが返ってきた。
「カレーだ。ゼーレのカレー」
 グレイブが発したその言葉に、私は暫し戸惑いを隠せなかった。
 彼が料理を得意としていることは前に聞いたが、まさかみんなのために作るなんて、思いもしなかったからだ。
「毒とか入ってないといいけどねっ」
 トリスタンの隣の席に座り、フランシスカがそんなことを言う。
「さすがに大丈夫だと思うけど」
「え。あ……トリスタンがそういうなら、きっと大丈夫だよねっ!」
 慌てて返すフランシスカは、女の子らしくて、可愛い感じがした。
「マレイも席につけ」
「あ、はい。ありがとうございます」
 私はフランシスカの横に座った。
 トリスタンとは、間にフランシスカを挟む形である。
 それから私は、しばらく、隣の席に座っているフランシスカと話して時間を潰した。本来なら話すのはトリスタンでも良かったのだが、彼はどこか暗い顔をしていたため、話しかけずらかったのだ。

 それから数分が経過して、食堂の厨房からゼーレが鍋を持って現れた。その後ろには、いつも食堂の厨房で働いているおばさんがついてきている。彼女は、ご飯の盛られた皿がいくつか乗ったお盆を持っていた。
「……お待たせしました」
 真っ白な布製の帽子とマスクをつけ、ひよこ柄の水色のエプロンを着ているゼーレを見て、私は吹き出しそうになってしまった。
 こんなに似合わない服装を平気でするなんて、ある意味凄い。
「おおっ!本当にカレーだねっ」
 焦げ茶色のカレーが入った鍋を見て、フランシスカはそんなことを言った。だがゼーレは何も答えない。黙ったまま鍋をテーブルに置く。
「何それ、無視しないでよっ」
 フランシスカは不満をぶつけるも、ゼーレは何も返さない。
 おばさんがテーブルにお盆を置くと、彼は、そこに乗っている皿へ、カレーをかけていく。既にご飯は盛りつけられているため、空いているところへ上手く注いでいっている。
 その手つきは、いかにも慣れている風だった。
 すべての皿にカレーを注ぎ終えると、ゼーレは、私たちそれぞれの前へ皿を置く。
「……お待たせしました」
 愛想なくそう言いつつ彼が出した皿からは、カレーの良い香りが立ちのぼってきていた。食べる前から美味しいのだろうなと分かる。

Re: 暁のカトレア ( No.149 )
日時: 2018/09/16 01:58
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: u5wP1acT)

episode.142 カレーが美味しすぎたせい

 目の前に置かれた、カレーとご飯が乗った皿。焦げ茶色のカレーと白色の米、という色みが、いかにも美味しそうだ。それに加えて、立ち上るコクのある香りがこれまた美味しそうで、食欲をそそる。
 朝からカレーなんて。
 そんな風に思っていた心は、一瞬にして吹き飛んでいってしまった。
 今はただ、目の前に出されたものを食べたい、という欲に満ちている。目と鼻からの情報だけでも、絶対に美味しいと確信が持てるほどのカレーだ。食べたくならないわけがない。
「マレイちゃん、どうかしたのっ?」
 カレーの乗った皿を凝視しているのを不思議に思ったらしく、フランシスカが尋ねてきた。眉をひそめ、怪訝な顔をしている。
「あ、いえ。何でもないわ」
「本当にっ?」
 一応答えはしたのだが、フランシスカは「信じられない」といった顔をしたままである。
 確かに、仲間が周囲にいるにもかかわらず皿だけを凝視している人なんて、明らかにおかしな人だ。そう考えると、フランシスカが訝しむような顔をするのも無理はないのかもしれない。
「えぇ、本当よ」
 私がもう一度答えると、鍋の前に立っていたゼーレが口を挟んでくる。
「……カトレアはカレーに夢中なのでしょう」
 ゼーレの発言に、フランシスカはその愛らしい顔を持ち上げ、「あ、そうなの?」と返す。彼女が目をぱちぱちさせると、丸い瞳を彩る睫毛が大きく動いて、とても華やかだ。
「えぇ……恐らく」
 ゼーレは呟くような小さな声で述べ、それから、私の方へと視線を向ける。そして、ニヤリと笑った。マスクを装着しているため口元を視認はできないのだが、それでも彼の表情が変わったことは、容易く分かった。
「……でしょう?カトレア」
 馬鹿にされている感が否めない。
 だが、露骨に無視するのもどうかと思ったため、仕方なく答える。
「そうよ。美味しそうだったんだもの、仕方ないじゃない」
 するとゼーレは軽く目を伏せる。
「……やはり。そんなことだろうと思いました」
 そう言ってから、ゼーレは一人、「ふふ」と笑みをこぼしていた。彼が笑うなんて、不気味だ。
「やはり食欲に敵うものはありませんねぇ……」
「な、何よ!食い意地が張っているみたいに言わないでちょうだい!」
「……何を必死になっているのです?カトレア。食欲旺盛なのを悪いことだと言ってはいませんが」
 ひよこ柄の水色のエプロンを着ているが、やはり、ゼーレはゼーレだった。根っこの性格というものは、服装くらいで変わるものではないらしい。
 そんな風に言葉を交わしながらのんびりと過ごしていると、それまで黙っていたトリスタンが、突然口を開いた。
「ところでマレイちゃん。ゼーレと一緒に行くって、本当?」
 えええっ!?
 どうしてトリスタンが知ってるの!?
 ……なんて驚いたのは隠し、まるで平静を保てているかのように振る舞いつつ返す。
「その話、どこで聞いたの?」
 まだトリスタンには話していなかったはずなのに。
 一体どんな経路で情報を入手したのやら……。
「先に僕の質問に答えてほしいな」
「そ、そうね……」
 こんな時に限ってトリスタンは厳しい。
「本当なのかな?」
 トリスタンの青い双眸から放たれた視線は、まるで胸を貫くかのように、真っ直ぐ向かってきている。彼に真剣な眼差しを向けられると、ごまかせる気がしない。
「えぇ……本当よ」
 非常に言いにくいが、嘘をつくわけにもいかない。
 今私は、ただ、真実を述べるしかなかった。それ以外に選ぶことのできる道など、存在しなかったのだ。
 私の返答に、トリスタンは微かに俯く。
 辺りの空気が一気に冷えた気がした。
「……そっか」
 私はゼーレを選んだ。彼と生きる道を選んだ。だからもう引き返せはしない。それに、もし仮に引き返せるとしても、そちらを選択することはないと思う。
 トリスタンには、ずっと世話になってきた。だから、こんな形で彼を傷つけてしまうのは、心苦しいものがある。
 でも——。
 もし今ここで、私が、曖昧な態度をとったら。
 彼に希望の欠片を残すような態度をとったとしたら。
 余計にトリスタンを傷つけてしまうことは、間違いない。
 選んだ道を告げることは辛くて、罪悪感もある。けれど、はっきりと告げるのが、一番トリスタンのためになるだろう。
 だから私は正直に告げたのだ。
「それが君の、マレイちゃんの、選んだ道なんだね」
「……ごめんなさい」
「謝ることはないよ。君は、君が望む人生をゆけばいいんだから」
 トリスタンは優しかった。
 彼の優しさに、何度も救われてきた。
「僕はマレイちゃんに幸せになってほしい」
 そして今も、私は、その優しさに救われている。
 切なげに伏せられた青を見ると胸が痛くなるけれど、トリスタンが私の選んだ人生を受け入れようとしてくれていることは、純粋に嬉しく思う。
「だから、謝らなくていいよ」
「……ありがとう」
 今は、躊躇いなく、感謝を述べることができた。
 トリスタンが温かく受け止めてくれたからだ。
「さ!カレー食べよっか!」
 私とトリスタンの会話が一段落する時を見計らっていたのか、言葉が途切れるなりフランシスカが言った。彼女らしい、はつらつとした声色だ。
「そうだな。美味しそうなカレーだ」
「いっただっきまーすっ!!」
 グレイブとフランシスカがそれぞれ述べていた。
 私は、スプーンに山盛りになるくらいがっつりすくったカレーを、一気に口に含む。重い気分を振り払うかのように。
 濃厚な汁と甘みのあるご飯が、絶妙の組み合わせだ。にゅるりととろける玉ねぎ、ほくっとしたジャガイモ、そして柔らかくてほろりと崩れる肉。
 ゼーレのカレーは美味だった。
「へぇー、案外美味しいね……って、マレイちゃん!?」
「え?」
 フランシスカは私の皿を見て、何やら驚いている。
「食べるの早くないっ!?」
「そう?」
 まだ半分くらい食べただけなのだが……。
「早いよ!早すぎだよっ!」
 なぜ、と思ったが、周囲の皿を見て納得した。確かに、みんなはまだ半分も食べていない。ということは、フランシスカが言う通り、私は食べるのが早いのだろう。
 だがそれは、私が食い意地が張っているからではない。カレーが美味しすぎたのが原因だ。

Re: 暁のカトレア ( No.150 )
日時: 2018/09/16 15:30
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: HijqWNdI)

episode.143 私の理想の世界

 ゼーレお手製のカレーを堪能した後、食事会は終わり、解散になった。実にあっさりした、不思議な会だったが、結構楽しかったことは事実だ。美味しいカレーを食べることができて、満足である。
 ……ちなみに、念のため言っておくが、食い意地が張っているわけではない。
 美味しいものを食べると嬉しいのは、人間の本能。老若男女問わず、本能には抗えないものだ。だから、カレーに夢中になるのは、人間として当然のことである。

 食後、私がまだ席でぼんやりしていると、グレイブが話しかけてくる。
「ゼーレと行く件、トリスタンに伝えない方が良かっただろうか」
 伝えたのは、貴女だったのね!
 そう叫びたい衝動をこらえつつ、私は返す。
「いえ、べつに大丈夫です」
 まさかトリスタンが知っているとは思わなかったので、話を振られた時に驚いたのは事実だ。しかし、私自ら言い出すなんてことは、絶対にできなかっただろう。それを考えると、グレイブが伝えてくれていて良かったのかもしれない、と今は思う。
 ただ、伝えたなら「伝えた」と言っておいてほしかったことは確かだが。
「急に驚いただろう?すまなかったな」
「いえ。いずれは話さなくてはならないことでしたから」
「そうか」
 グレイブはいつも忙しく動き回っているのに、今は、食堂の片隅で寛いでいる。彼女が寛いでいるところを見るのは、とても珍しい。
 今、私とグレイブは、向かい合わせの席に座っている。
 それゆえ、顔と顔の距離が非常に近い。こんな近くで人の顔を見るなんて滅多にない、というくらいの至近距離だ。
 ただ、彼女の顔立ちは、至近距離で見てもかなり整っている。
 しゅっと高い鼻も、凛々しさのある目も、紅の塗られた唇も。そのすべてが、素直に「美しい」と言えるくらい整った形だ。もはやいちゃもんのつけようがない容貌である。
「本当は先にマレイに言っておかねばならなかったのだが、すまなかった」
「いえ。本当に、謝らないで下さい」
 そんな美貌の持ち主に謝罪されると、何とも言えない不思議な気分になってしまう。それこそ、謝らせて申し訳ない、といった気分になるのだ。
「気にしていませんから。むしろ、ありがとうございます」
 私がそんなことを言っていると、突如、大きな声が聞こえてくる。
「グレイブさぁぁぁーんっ!」
 声に続き、ドカバタドカバタという足音。
 信じられないくらいの騒々しさに、シンがやって来たのだとすぐに気づいた。
 全力疾走してきていた彼は、グレイブの目の前で、急に止まる。
「少しよろしいでしょうかぁぁぁ!?」
「どうした、シン」
 シンとグレイブの、声の温度差が、妙に笑えた。
 さほど面白いことではないはずなのだが、今はなぜか笑えて仕方ない。
「あのぉぉ……書類のぉぉ中にぃぃぃ間違いがぁ……ありましてぇぇぇーっ!」
 最初は小さく。後半「ありまして」の部分だけを急激に強める。
 シンの言葉の発し方は、日頃滅多に聞かないような流れなので、ある意味新鮮な気持ちになれる。しばら く続くと、くどくて嫌になってきそうだが、少しだけなら悪くはない。
「修正を手伝ってぇぇぇ下さいませんかぁぁぁーっ!?」
 やはりまた、「下さいませんか」の部分だけを急激に強めている。
 先ほどと同じパターンだ。
「そうか。分かった、すぐに行こう」
「ありがとうぅぅぅ……ございぃぃますぅぅぅー……」
 グレイブは立ち上がると、こちらへ視線を向けてくる。
「ではマレイ、少し失礼する。また後ほどな」
「あ、お疲れ様です」
「ゼーレの片付けもそろそろ終わるだろう。二人の時間を楽しむといい」
 え。
 グレイブがそんなことを言ってくるのは、何だかおかしな感じ。
「ではな」
「ありがとうございます。さようなら」
 こうして、私はグレイブと別れた。
 それにより、遂に一人になってしまった。人の少ない食堂で一人というのは、どうしても、寂しさを感じてしまう。戦いが続いていたころは食堂ももっと賑わっていた。それだけに、寂しさがあるのだ。
 騒がしいくらいだったあの頃を思い出すと、わけもなくしんみりしてしまう。
 だが、帝国が平和になったのだから、今のほうがずっと良い。
 もう化け物は現れない。もう戦い続けなくていい。もう誰も傷ついたり命を落としたりしない。
 私が望み続けてきた世界が、今ここにある——それは、何より嬉しいことだ。
 たとえ、少し寂しくなったとしても、これでいい。これがいい。これこそが、私の理想の世界なのだから。

「カトレア」
 寂しくなった食堂に一人残っていると、後片づけを終えたらしいゼーレが、声をかけてきた。私をカトレアと呼ぶのは彼しかいない。それゆえ、一言だけで、声の主が彼であると分かった。
 顔を上げると、ゼーレの姿が視界に入る。
 彼はまだ、帽子とマスクを着用している。もちろん、ひよこ柄のエプロンも。
「ゼーレ。片付け、終わったの?」
「えぇ。それにしても……浮かない顔をしていますねぇ」
「……そう?」
 自分ではよく分からない。自分の顔面は、鏡でもないかぎり見えないから。
「えぇ。あまり楽しくなさそうな顔です」
「……ごめんなさい」
「カレー、実はあまり美味しくありませんでしたか?」
 それには首を左右に動かす。
 ゼーレのカレーは美味しかった。最高、と言っても過言ではないレベルの料理だったと思う。
「いえ、断じてそれはないわ」
「……本当のことを言って構わないのですよ?」
「本当に美味しかったわよ。これまで食べた食事の中で一位二位を争うくらいの美味しさだったわ」
 良く言いすぎだろう、と思われるかもしれない。だが、食べてみれば誰だって、私の言葉の意味が分かるはずだ。きっと「同感」と言いたくなるに違いない。
「それなら……安心しました」
 ゼーレは小さく安堵の溜め息を漏らす。
「……気を遣っているのでは、と思いましたよ」
「まさか。そんな気の遣い方はしないわ」
「……ま、そうでしょうねぇ。貴女は嘘をつけるような器用な人間ではない」
 凄く不器用な人みたいに言わないでほしいわ。ちょっと心外よ。
「もっとも……」
 ゼーレは呟くように言い、数秒間を空けてから続ける。
「そういうところが魅力でもあるわけですが」
 素直でないゼーレの口から飛び出した、とびきり素直な言葉。
 それは、私の胸に突き刺さった。
 まるで矢が的を射抜いたかのように。

Re: 暁のカトレア ( No.151 )
日時: 2018/09/16 15:31
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: HijqWNdI)

episode.144 いつしか雨は止んで

 その心は、土砂降りだった。
 家を、人を、大地を、ずぶ濡れにしてしまうほどの大雨が、彼の心の中では降り続けていた。
 ——トリスタンの心の中でのことだ。
 彼は今、中庭を一望できるテラスにいる。三人ほど並んで座れるであろう木製のベンチに、一人で腰を掛け、明るい日差しによって華やいだ中庭を眺めていた。
 基地内にある中庭は、中庭と聞いてぱっと思い浮かべるような、美しく素敵な場所ではない。無数に生える雑草は刈り取られこそしているものの、一応ある花壇は古ぼけてほったらかしにされ、一本の花さえ植わっていないのである。
 眺めるには、あまりに殺風景な中庭。
 だが、彼の青い双眸は、そんな風景をじっと見つめていた。
 時折吹き抜ける柔らかな風が、トリスタンの長い金髪とふわりと揺らす。そんな中で、風に揺られて髪が乱れても、彼は直そうとすらしない。ただ、殺風景な中庭を見つめ続けるだけだ。
「はぁ」
 何もない場所を眺めながら、トリスタンは小さな溜め息を漏らす。
 その時だった。
「トリスタン!ここにいたんだねっ」
 テラスを包み込む静寂を破ったのは、明るく晴れやかな女声。
 フランシスカが姿を現したのだった。
「……どうしてここに」
「トリスタンいなかったから、探してたの。そしたら、ここに着いたんだよっ」
 向日葵のように明るい笑みを浮かべるフランシスカを目にしてもなお、トリスタンの表情が晴れることはなかった。ほんの少し面倒臭そうな顔になっただけだ。
「どうしてそんなに暗い顔してるのっ?」
 そんなことを言いながら、フランシスカはトリスタンの方へと歩み寄っていく。その足取りに、躊躇いなんてものは微塵も感じられない。
「もしかしてー」
 そして彼女は、ついに、トリスタンの隣に座った。
「マレイちゃんのことで悩んでるっ?」
 フランシスカは、躊躇なく接近し、トリスタンの暗い顔を覗き込む。
 トリスタンはというと、突然近寄ってこられたことに戸惑っているようだった。だが、冷たい言葉を発する気力もないのか、何も言わず黙っている。
「フランでいいなら、お話聞くよっ」
「……要らない」
 トリスタンがようやく発した言葉は、それだけだった。
「えー、何それー。さすがに強がりすぎじゃない?」
「君には関係ないことだから」
「関係ないことないよ!フラン、トリスタンが弱ってると心配だもんっ!」
「心配しなくていいよ。関係ないから」
「だーかーらー!フランは関係なくなんてないのっ!」
 頬を膨らませ、口調を強めるフランシスカ。
 だがトリスタンの表情は変わらない。彼は、眉一つ動かすことをしなかった。
「いい加減、意地張るのは止めてよっ!」
「君に何が分かる!!」
 突如トリスタンが叫んだ。
 これには、さすがのフランシスカも驚いたらしく、言葉を失ってしまう。
「君には分からない!僕の気持ちなんて!」
 彼は怒っているように見える。だが本当は泣いていたのかもしれない。他人にはそれを見せないけれど、心の中では嗚咽を漏らしていたのかもしれない。
「……もう放っておいてよ」
 彼の心には、今も雨が降り続けている。
 その雨は止むことを知らない。
「……ごめん。ごめんね、トリスタン」
 今度はフランシスカまで暗い顔になってしまった。彼女はすっかり落ち込んでいるようで、肩を落としている。
 テラスに再び静寂が戻った。

 それから数分時間が経って、フランシスカが再び口を開く。
「トリスタン、あのね」
 彼女らしからぬしっとりとした声に、トリスタンは戸惑いの色を浮かべつつ、フランシスカへ視線を向ける。
「フラン分かるよ。好きだったけど、もう叶わない気持ち」
「……分かるわけがない」
「ううん。分かるの。フランも昔、そういう経験したから」
 フランシスカは控えめな声で言いながら、ミルクティー色の髪を指で触っている。
「だからこそ、トリスタンに寄り添えるよっ」
 優しく語りかけるような調子で声をかけるフランシスカ。そんな彼女に対し、トリスタンは、またしても冷たい態度をとる。
「……君がいても何の意味もない」
 だが、少し冷たくあしらわれたくらいでめげるフランシスカではない。
 彼女は黙って、そっと、トリスタンの手を握った。
「嫌になるよね、何もかも。分かる。でもね、トリスタン。一つ辛いことがあったからって、全部を諦めていたら何の意味もないんだよっ」
 テラスを吹き抜ける風は優しく、それでいて冷たい。
「辛いことはフランに話して?きっと楽になるから。一人で抱え込むのは一番良くないよっ」
「言いたくないよ、君なんかに」
「そっか……そうだよね。今じゃなくてもいいよ」
 トリスタンは冷たい態度をとり続けているが、その一方で、手を握るフランシスカの手を払うことはしなかった。口では拒むようなことを言っているが、本当は、嫌がってはいなかったのかもしれない。
「話せるようになった時でいいからねっ」
 そう言って微笑むフランシスカの顔は、天使のようだった。
 柔らかく、優しげで、穏やかな笑み。向けられたのがトリスタンでなかったならば、きっと、すぐに恋に落ちていたことだろう。
「……言っておくけど、僕は話す気はないから」
 トリスタンはやはり冷たい態度をとっている。だがしかし、真夜中のように暗かった彼の顔に、少し光が戻ってきていた。フランシスカが、冷淡に接されても挫けずに、頑張って声をかけ続けたからからだろうか。
「もー、どうしてそんなことばっかり言うの?まったく、素直じゃないなぁ!」
 少し強い風が吹き抜ける。
 そのせいで心なしか乱れた髪を、フランシスカは手で整えていた。
「騒がしい人は嫌いなんだ」
「何それ!励ましてあげてるのにっ」
 まったく感謝の色が見えないトリスタンに少々苛立ったのか、フランシスカは頬を膨らます。元々丸みを帯びている顔が、ますます丸くなる。例えるなら、風船みたいだ。
「そういう上から目線なところが好きじゃないんだよ」
「う。……ま、まぁ、ちょっと上から言いすぎたかもだけどっ……」
「僕は上から物を言われるのが嫌いなんだ」
「それはごめん……」
 上から目線に聞こえる発言について厳しく突っ込まれると、さすがのフランシスカも言い返せなかったらしく、素直に謝った。
「まぁ分かればいいよ」
「ありがとうっ!トリスタン、優しいっ!」
 謝罪に対し、許す発言をしたトリスタンに、フランシスカは抱きつく。体と体が密着するほどに、ぎゅっと抱きついている。
「ちょっと!いきなり何をするのかな!」
 突然抱き締められたことに驚いたトリスタンは、鋭く言い放った。そして、フランシスカの体を振り払おうと試みる。だが、思いの外強く抱きつかれていたらしく、振り払えなかった。フランシスカの腕の力は、案外、強いのかもしれない。
「優しいトリスタン、好きっ!!」
「いきなり何!?離してよ!」
「フラン、もう離さないもんっ!!」
 状況についていけていないトリスタンは、目を大きく見開いている。
「止めてくれないかな!」
「止めないもん!絶対離さないからっ!!」
 いくら言葉を発しても、抱き締めることを止めてはもらえない。トリスタンは、苦虫を噛み潰したような顔になっている。とにかく不快感に満ちたような表情だ。

 だが——彼の心に降る雨は、その時既に、止んでいた。

Re: 暁のカトレア ( No.152 )
日時: 2018/09/17 03:40
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: w93.1umH)

episode.145 暁を行く

 数日後。私はゼーレと共に、ダリアへと向かった。
 そして、アニタと三人で会い、話をした。
 他人と接することがあまり得意ではないらしいゼーレは、最初のうちは気まずそうにしていたが、時間が経つにつれ話すようになっていく。アニタとは意外に気が合うようだった。
 それもあってか、アニタは、案外あっさりとゼーレを雇うことに決めてくれ、話はまとまった。
 ゼーレの雇用開始は三日後。
 予想外に順調で不気味な気さえする。だが、話が上手く進んで何よりだ。

 そして一旦基地へと戻る。
 基地へ戻る列車の中で、ゼーレは言った。
「……私が今生きているのは、カトレア……貴女のおかげです」
 ゼーレは妙に素直だった。
 二人ずつの座席に座っているため、他の人に見られることはない。それゆえ、恥ずかしいということはないのだが、素直なゼーレには違和感を覚えてしまう。
 いや、実際には、ここのところゼーレは素直なことが多い。だが、前の、嫌みばかり言うイメージが強すぎるのだ。
「どうしたの?今さらそんなことを言って」
「いえ……こうして生きていられているのも貴女のおかげだと、そう思ったもので」
 ゼーレの口調は静かな空気をまとっていた。
「そう?でもべつに、私のおかげなんかじゃないと思うわよ。ゼーレが私たちにつくことを選んでくれたからじゃない」
「それを選ばせてくれてたのは……貴女です」
 窓の方へ顔を向けながら、妙に真剣な雰囲気でそんなことを言うゼーレを見ていると、何だか笑えてきてしまう。
 もちろん最初は、失礼だろうと思って笑うのを我慢していた。真剣な人の発言に対して笑うなんて、申し訳ない気がするから。だが、しばらくするとついに耐えきれなくなって、「ぷぷぷ」と息を漏らしてしまった。
「……なぜ笑うのです」
「ごめんなさい。でも、何だかおかしくって」
 するとゼーレは、はぁ、と呆れたように溜め息を漏らす。
 多分、彼には私が笑ってしまった理由が分からないのだろうと思う。
「……おかしいですか、私は」
「いいえ。でも、何だかとっても素直だから、不思議な感じがしたのよ」
 ゼーレだって人間だ。時には素直になる日もあるだろう。何も特別なことではない、いたって普通のことである。
 ただ、今までのゼーレの性格を知っているだけに、彼が素直な発言をしている光景を見ると面白く感じてしまうのだ。
「まったく……失礼ですねぇ」
「そうよね、分かっているわ。ごめんなさい」
「……まぁいいでしょう」
 そんなたわいない会話をしながら、列車内での時間を過ごした。
 ダリアから帝都までは結構な距離があり、かなり時間がかかるのだが、彼といると時間は気にならない。これといった重要なことを話していたわけではないのだけれど、案外退屈しなかった。

 それからの二日は、あっという間に過ぎ去った。
 そして、約束の日が来る。
 帝都にある帝国軍基地から出る直前、私はグレイブに挨拶をした。今までお世話になった感謝を込めて。
「これまで、ありがとうございました」
 化け物がいなくなった今、私が帝国軍にいる意味はない。
 必要とされる場所に生きるのが、私には合っている。
「あぁ、そうか。今日出発だったのだな」
「はい。本当に、ありがとうございました。お世話になりました」
 グレイブは落ち着いていた。
「少しばかり……寂しくなるな」
「私もです」
 トリスタンに連れられて初めて帝都に来た日のことを、私は今でも、鮮明に思い出せる。人の多さに戸惑ったり、最先端技術がたくさん使われていることに驚いたり。始めはそんな慣れないことばかりで。でも、いつしかここでの暮らしに慣れていた。
「マレイさぁぁぁーんっ!行ってしまわれるのですかぁぁぁーっ!?」
 ……と、突然シンが現れた。
 ついさっきまで近くにはいなかったはずなのに、どのようにして急に現れたのか。謎としか言いようがない。
「シンさん。ありがとうございました」
 私が彼に礼を述べるや否や、後ろにいたゼーレが口を開く。
「嫌ですねぇ……騒がしい男は」
「えぇぇ!?その言い方は酷くないですかぁぁぁ!?」
「……なぜ黙れないのです」
「別れしなまで冷たいことを言わないで下さいよぉぉぉーっ!!」
 相変わらず尋常でないテンションの高さを誇るシン。やや暴走気味の彼を、グレイブは「おい、落ち着け」と制止する。だがシンは、注意されてもなお、「感動のシーンなんですよぉぉぉ!?」などと騒いでいた。そのせいで、ついにグレイブに頭をはたかれてしまう。少々気の毒な気もするが、自業自得かもしれない。
「とにかくマレイ。今まで、本当にご苦労だった」
「いえ。平和になって良かったです」
「そうだな。……マレイのおかげだ」
「その通りですよぉぉぉーっ!!」
「黙れ、シン」
「は、はいぃぃぃー……」
 それからグレイブは、ゼーレへも視線を向ける。
「捕虜時代には傷つけてすまなかったな。謝らせてくれ」
「……もはやどうでもいいことです」
 グレイブは謝ろうとしていたのだが、ゼーレはどうでもいいといったような顔つきをしていた。過去のことへの関心など、ありはしないのだろう。
 ——その時。
「いたいたっ!マレイちゃんたち、発見っ!」
 突如として耳に飛び込んできたのは、フランシスカの高い声。軽やかで、跳ねるような、明るい声だ。
 声がした方へ視線を向ける。
 すると、フランシスカと、彼女に手を引かれているトリスタンの姿が見えた。
「マレイちゃん!」
「あ。フランさん」
「もうそろそろ行くのっ?」
「えぇ。そのつもり」
 フランシスカの表情は、今日も、向日葵のように明るい。
「間に合って良かったー!」
 言いながら、彼女は、私の体をぎゅっと抱き締めてきた。
 腕の力が思いの外強くて、驚く。
「トリスタンもいるよっ」
「一緒に来てくれたのね。ありがとう」
 十秒ほどして、フランシスカが私から離れると、彼女の背後に立っていたトリスタンが発する。
「向こうに行っても元気でね。マレイちゃん」
 ゼーレはトリスタンをじとっと睨む。
「その目、何かな」
「……べつに。意味などありません」
 二人はやはり仲良くはなれないのか——そう思っていると。
「安心して下さい……カトレアを不幸にはしませんから」
 それまでトリスタンを睨んでいたゼーレが、急に、少し柔らかい口調でそんなことを言った。それに対しトリスタンは、「不幸にしない、じゃ駄目だね。幸せにする、でないと」と言い返す。するとゼーレは、「では、幸せにする、と言っておきます」と言い直した。
「マレイちゃん。幸せに暮らしてね」
「何それ、変なの。死に別れるみたいなことを言うのね」
「そう?おかしかったかな」
「……いいえ。トリスタンも、今まで本当にありがとう」
 彼には、数えきれないほどの恩がある。
「戦いを教えてくれて、嬉しかったわ」
 今彼に伝えるべきことは、もっと色々あったのだと思う。しかし、ぱっと口から出せたのは、それだけだった。

 かくして、私はゼーレと共に、再びダリアへと向かった。
 新しい一歩を踏み出すために。


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