コメディ・ライト小説(新)
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- 暁のカトレア 《完結!》
- 日時: 2019/06/23 20:35
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 9i/i21IK)
初めまして。あるいは、おはこんにちばんは。四季と申します。
今作もゆっくりまったり書いていく予定ですので、お付き合いいただければ幸いです。
《あらすじ》
レヴィアス帝国に謎の生物 "化け物" が出現するようになり約十年。
平凡な毎日を送っていた齢十八の少女 マレイ・チャーム・カトレアは、一人の青年と出会う。
それは、彼女の人生を大きく変える出会いだった。
※シリアス多めかもしれません。
※「小説家になろう」にも投稿しています。
《目次》
prologue >>01
episode >>04-08 >>11-76 >>79-152
epilogue >>153
《コメント・感想、ありがとうございました!》
夕月あいむさん
てるてる522さん
雪うさぎさん
御笠さん
塩鮭☆ユーリさん
- Re: 暁のカトレア ( No.33 )
- 日時: 2018/06/03 16:01
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: fQORg6cj)
episode.28 夜はまだ明けず
結局その夜は眠れなかった。
襲いくるたくさんの蛇、毒に倒れたトリスタン、一切躊躇いを見せなかったグレイブ。恐ろしいことばかりが脳裏に浮かぶからだ。
自室へ帰りはしたものの眠りにつけない私は、暗い室内で水を飲み、一夜を明かすこととなった。
口に含んだ水は、鉄の味がした。
翌朝。
まだ早い時間に、誰かがドアをノックする音が聞こえた。私はぼんやりした状態で何とかそちらまで歩き、ドアを開ける。
「……トリスタン!?」
脳内に広がっていたもやのようなものは、一瞬にして吹き飛んだ。
なぜって、毒にやられたはずのトリスタンが立っていたから。
「ごめん。驚かせた?」
中性的な美しさの顔立ち、絹のように輝く長い金髪——その姿は、間違いなくトリスタンである。
しかし、彼はリュビエの蛇の毒によって気を失っていたはずだ。あれからまだ数時間しか経っていない。だから、まだ回復するとは思えないのだが。
「本当に……トリスタン?」
「うん。さっき目が覚めてね」
トリスタンは曇りのない笑みを浮かべながら言った。
その笑顔は、明らかにトリスタンのそれだった。ということはやはり、目の前にいる彼は本物なのだろう。
「目が覚めたなら良かったわ。でも、大丈夫なの?」
「大丈夫、って?」
「大丈夫、って?じゃないわよ!毒にやられていたんでしょ?もう症状はないの?」
尋ねると、彼は頷く。
「あぁ、そういうこと。それなら大丈夫だよ。救護班の人たちはまだ動くなって言うけど、あんなの余計なお世話だよね」
余計なお世話って……。
救護班の人がそう言っているなら、動かない方が良さそうな気がするのだが。
「動かないよう言われているのに来たの?」
「うん。もう平気だからさ」
「そう。それならいいけど」
もしここで私が「帰って休め」と言ったとしても、彼は頷きはしないだろう。トリスタンとはそういう人間だ。だから、敢えて言うことはしなかった。
トリスタンは話を変える。
「マレイちゃんは大丈夫だった?あの蛇女に何かされなかった?」
「えぇ、何もされていないわ。リュビエは、後から来たゼーレと口喧嘩になって、先に帰っていったの」
私が簡潔に説明すると、彼は安堵したように息を漏らし「そっか」と呟いた。それと同時に頬が緩む。心からほっとしたような表情である。彼は彼なりに心配してくれていたようだ。
それから数秒して、トリスタンは再び険しい顔つきになる。
「で、ゼーレには何かされたの?」
やはりそちらも気になるようだ。
「いいえ。彼は乱暴なことは何もしてこなかったわ。ただ、少しだけ話をしたの」
「話を?」
「えぇ。ボスとかいう者の目的についてとかを話したわ」
するとトリスタンは、大きく目を見開く。深海のような青の瞳が震えていた。
「そんなことを話したの?あいつが?」
「そうよ。質問したら答えてくれたの。確か……ボスの目的は『レヴィアス帝国を亡き国とし、土地を己のものとすること』って、そう言っていたわ」
「普通、自分たちの長の目的を口外するかな。聞かれたって答えないのが普通だよね」
トリスタンは冷静そのものだった。
ボスの目的を聞いて取り乱し、ゼーレへ当り散らした私とは、大違いである。
「変だとは思うわ。でも、嘘をついているようには見えなかった」
私は彼の瞳を真っ直ぐに見据えて返す。
敵であるゼーレを完全に信頼するわけではない。ただ、その言葉が嘘であるようには聞こえなかった。それに、そもそもそんな嘘をつく必要性がない。
「だとしたら……いや、それはないか」
「トリスタン?」
「ゼーレはあっちを……」
「トリスタン、どうしたの?」
独り言を漏らしていた彼は、その時になって、意識をこちらへ戻す。
「あっ、ごめん。何でもないよ」
ごまかすように苦笑するトリスタン。
これ以上聞かない方が良さそうなので、私は話を変えることにした。
「そうだ!そういえば、グレイブさんって凄く強いのね!」
結構な実力を持つゼーレとすら互角に戦い、ついには勝利を収めたグレイブ。彼女の華麗な槍さばきは、女性という枠を遥かに超えていると思う。
速度も迫力も、他の男性隊員らを凌駕していたもの。
「彼女の戦いを見たの?」
「えぇ。ゼーレと戦うところを」
いつもは静かで大人びた彼女の、勇ましく激しい声をあげる姿。あれはかなりの迫力だった。近くで見ているだけの私ですら怯んだほどである。
「凄かったわ。女の人とは思えないくらいの強さで、驚いてばかりだった。もしかしたら、トリスタンと同じくらい強いんじゃない?」
「グレイブさんの方が強いよ」
「そう?トリスタンだってかなり強いじゃない」
しかし彼は、首を左右に動かした。
彼は自分がグレイブより強いとは、微塵も考えていないようだ。
「グレイブさん、そんなに強いのね」
「そうだね。彼女の槍は部隊の主力だよ」
言ってから、彼は一度まぶたを閉じた。
そして、数秒後に目を開く。
青く輝く瞳は私の顔が映るほど澄んでいる。磨かれた鏡みたいだ。まるで、彼の無垢な心を映し出しているかのようである。
「それに、彼女の化け物への憎しみは凄まじい」
トリスタンは唐突にそんなことを言った。
「尋常でない憎しみの感情が、グレイブさんをさらに強くしているんだ」
どう返すか少し迷う。しかし、私は、思ってもいないことを言えるほど器用でない。なので、正直な言葉を返すことに決めた。
「それは分かる気がするわ。ゼーレと会った時、人が変わったかのように叫んでいたもの」
少し間を空け、続ける。
「グレイブさんって、過去に化け物と何かあったの?」
あの明るいフランシスカでさえ、以前何かあったかのような、暗い顔をしていたことがあったのだ。グレイブにも何かがあったとしてもおかしくはない。
帝国に化け物が現れるようになって、もはや、約十年が過ぎている。その間に出た犠牲者の数は、到底数えられないくらいの数だ。
だから、そこにグレイブの関係者がいるということは、十分考えられる。
「家族とか、友人とか、大切な人を失ったとか……」
するとトリスタンは口を開く。
「……二度」
首を傾げていると、彼は淡々と続ける。
「一度目は、まだ彼女が十代だった頃。勤めていた店に化け物が押し入り、客も店員も諸共惨殺されたらしい。それも、彼女の目の前でね。二度目は、数か月前。地方へ遠征に出ていた所属部隊が彼女だけを残して全滅」
私は何も言えなかった。今述べるに相応しい言葉を見つけられなかったのだ。
トリスタンから聞くグレイブの過去。その残酷さは、私の想像をずっと上回っていた。
しかし、その痛みは想像がつく。もっとも、ほんの一部にすぎないかもしれないが。
母親一人が目の前で灰になった——それだけでも、私はいまだに悪夢を見る。どんなに忙しくても、時折思い出す。もう八年も経ったというのに、今でも鮮明に思い出せ、赤い記憶はこの脳から消えてくれない。
「……そんな、ことって」
一人失っただけでもこれだ。
目の前で誰かが殺されるというのは、それだけ、見た者にも大きな傷を残す。
「だからグレイブさんは……あんなに」
今はただ、胸が痛い。
そして、改めて思い知らされた。
——この世界に、夜明けはまだ来ていないのだと。
- Re: 暁のカトレア ( No.34 )
- 日時: 2018/06/04 18:17
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: LLmHEHg2)
episode.29 痛みを知れ
マレイとトリスタンがグレイブについて話していた、その頃。グレイブは、昨夜拘束したゼーレと、地下牢にて顔を合わせていた。
「捕虜になった気分はどうだ、人型」
グレイブは座った体勢で固定されたゼーレを見下し、冷ややかに言う。
「その人型という呼び方、不愉快です」
ゼーレは静かに、しかし棘のある返し方をした。
彼は今、囚われの身である。
人のものでない両腕は体の後ろで固められ、全身を鎖で締めつけられ、両足には重り付き拘束具が装着されている。
どう頑張っても動くことはできそうにない状態だ。
だが、それでも彼は冷静さを欠いてはいない。
「ふざけるな、化け物め」
「失礼ですねぇ」
「調子に乗るなよ!人型!」
グレイブは咄嗟に長槍を取り出し、その先端を、ゼーレの喉元へ突きつける。
しかし、ゼーレが顔色を変えることはなかった。
「そんなことで私が動揺すると、そう思いましたか?」
彼は愉快そうな声色で言い放つ。ほぼ動けぬ状態にあっても尚、彼は強気な姿勢を貫いていた。
所詮強がりに過ぎないのだろう。しかし、弱音を吐くことなど、彼にできるわけがない。どんな状況へ身を置いていたとしても、だ。
「馬鹿らしい。力で押さえつけようなど、野蛮としか言い様がありませんねぇ」
「黙れ。それ以上言うなら、首を掻き切ってやる」
「大事な情報源を殺してしまって良いのですかねぇ」
仮面の隙間からじろりと睨まれ、グレイブは言葉を詰まらせる。
「……っ」
すると、それを待っていたかのように、ゼーレは言う。
「勢いがあるのは良いことです。しかし、すぐに動揺するというのは、問題ですねぇ」
「どういう意味だ」
「あまり感情的になっていると、いつか足下をすくわれますよ。そう忠告して差し上げているのです」
直後、グレイブはゼーレの前へしゃがむ。そして、長槍の先を、彼の太ももへ突き刺す。
「それ以上余計なことを言うなよ」
低い声で威圧的に述べるグレイブ。
彼女の漆黒の瞳は、憎しみと怒りの混じった複雑な色を湛えている。燃える炎のようにも、深い闇のようにも見える、そんな色だ。
「分かったか」
するとゼーレは、何事もなかったかのような顔で返す。
「他人の脚を突き刺すとは、相変わらず乱暴ですねぇ」
黒い装束のおかげで目立たないが、槍を刺されたゼーレの太ももは赤く滲んでいた。
「貴様らのせいで多くの者が命を落としてきた。無論、その中には私の知人も多くいる」
「だったら何だと言うのです?」
「ふざけるな!!」
飄々とした態度を取り続けるゼーレに腹を立てたグレイブは、一言、鋭く叫んだ。
「ふざけてなどいませんが?」
「その態度がふざけていると言っているんだ!……私たちレヴィアス人がこれまでどれだけ傷つき苦しんできたか、今ここで教えてやる」
グレイブは、長槍を握る手に力を加える。
この時になってゼーレは初めて表情を揺らした。掠れた苦痛の声を漏らす。
「痛いか、ふふっ、そうだろうな。心の痛みは分からずとも、肉体的な痛みなら分かるはずだ」
「……陰湿な女ですねぇ」
「何とでも言えばいい。これは死んでいった者たちによる復讐だ」
化け物が手の届く距離にいる。そして、好きなように扱える。その事実が、彼女の復讐心の目を覚まさせたのだろう。これまでどうしようもなかった化け物たちへの憎しみを、彼女はただ、意味もなく、目の前のゼーレへと向けている。
「復讐、ですか……。馬鹿らしい。貴女の言う死んでいった者たちを殺したのは私、という証拠はあるのですかねぇ?」
「証拠も何も、皆を殺害したのは化け物だ!それはつまり、貴様の仲間に殺されたということ。貴様に殺されたも同然だ!」
グレイブが荒々しく言い放つと、ゼーレは半ば呆れたように、首を左右に振った。
「それは違いますねぇ」
目を見開くグレイブ。
「化け物への復讐心と私への復讐心は別物です。混ぜないでいただきたい」
「何を今さら!」
「貴女の憎しみは本来、私へ向けるべきものではないはずです」
ゼーレの冷静な言葉に、グレイブは眉を寄せて黙る。
彼女とて馬鹿ではない。だから、本当は分かっているのだ。自身が抱く憎しみや復讐心は、ゼーレを傷つけることでは消えない、と。
それは分かっていて、それでも彼女は止められなかった。目の前にいる、化け物との繋がりを持つ男を傷つけることを。
彼女の心はそれだけ荒んでいる、ということなのだろう。
「私をどうしようが貴女の自由です。ただ、どれだけ殴ろうが蹴ろうが、貴女の中の傷が癒えることは決してない。それもまた真実。……そうでしょう?」
ゼーレは不気味なほどに落ち着いている。
既に槍を刺され、これからさらにどんな目に遭うかも分からないというのに。
「これ以上痛い目に遭いたくないから、そんなことを言うのだろう?素直に『止めてくれ』と言えばいいものを」
そう言って、グレイブは槍を振るう。
二度三度、ゼーレの腹部を柄が強打した。
彼はさすがに痛かったらしく、上半身を折り曲げる。一筋の汗が、首筋を伝い、地面へ落ちた。
「痛みを知れ。傷つく痛みを、理不尽な目に遭う痛みを」
地下牢という暗闇の中、グレイブの漆黒の瞳は、気味が悪いほどに爛々と輝いている。
長年溜め込まれていた負の感情が、一気に溢れ出したからだろうか。彼女はもはや、その負の感情——心の闇に、完全に飲み込まれていた。
暗闇の中でさえ目立つほどの黒。それが今の彼女、グレイブだった。
「……痛み、ねぇ」
上半身を折り曲げたまま、地面を見つめて呟くゼーレ。
「そんなもの、知っていますよ……嫌といういうくらい」
けれども彼の小さな呟きは、グレイブには聞こえていなかった。
- Re: 暁のカトレア ( No.35 )
- 日時: 2018/06/05 09:33
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 50PasCpc)
episode.30 レヴィアススカッシュ
明らかに眠れそうにない私は、トリスタンと二人で食堂へ行くことにした。
まだ早朝なので、人はあまりいない。しかし、地下牢へ続く階段の付近でグレイブの姿を見かけた。彼女は一人で、険しい顔をしていた。その映像が、妙に、脳裏に刻まれている。
「さすがにまだ誰もいないね」
「えぇ。少し寂しいわ」
「そうかな?僕は静かな方が好きだけど」
「トリスタンらしいと思うわ」
そんなたわいない会話をしつつ、私とトリスタンは食堂の椅子にそれぞれ腰を掛ける。位置は向かい合わせだ。
「マレイちゃん、何か飲む?」
「そうね……」
いきなり尋ねられたため、私は回答に困る。
急に「何か飲む?」などと聞かれ、パッと答えられるほど、私は器用な人間ではない。
「何があるの?」
食堂についてはまだよく知らないため、一応質問してみた。
するとトリスタンは笑顔で答えてくれる。
「コーヒー、紅茶、あとは……レヴィアススカッシュとか?」
「最後のは何?」
レヴィアススカッシュなんて飲み物、聞いたことがない。
私が十歳まで育ったあの村も、アニタの宿屋があるダリアも、どちらもレヴィアス帝国内ではあった。けれども、そんな飲み物の名称は耳にしたことがないし、恐らく飲んだこともない。
ただ、レヴィアススカッシュとは、妙に美味しそうに感じる名称だ。
「飲み物よね?」
「うん。虹色の炭酸ジュースなんだ」
「え。にっ、虹色っ!?」
驚きのあまり、深い意味もなく目をパチパチさせてしまった。虹色の飲み物なんて、見たことがない。
その時の私は、きっと、かなり情けない顔をしていたのだろう。
こちらを見ていたトリスタンが、ふふっ、と笑みをこぼした。
「マレイちゃんって、純粋だよね」
彼は笑いながら、楽しげな声でそんなことを呟く。
「純粋?」
「うん。君といると凄く癒やされるよ」
言ってから、彼はまた、くすくすと笑う。
心なしか馬鹿にされている感が否めない。しかしトリスタンのことだ、馬鹿にしての発言ではないだろう。
彼がそんな男でないことは分かっている。にもかかわらずそんな風に感じるのは、私の心が荒んでいるからに違いない。原因は私。これはフランシスカの時もそうだった。
「で、飲み物は何にする?」
「えっと、じゃあ……。その何とかスカッシュで!」
「オッケー」
彼は親指を立て、ウインクした。
トリスタンに任せ、待つことしばらく。
二つのグラスを持った彼が、ゆっくりとこちらへ戻ってきた。
「お待たせ」
「大丈夫よ。そんなに待っていないわ」
私は、そう答えながら、彼の顔からグラスへと視線を移す。グラスの中身は、本当に虹色をしていた。
テーブルへ二つのグラスを置き、席に着くトリスタン。
「はい、どうぞ」
高めのグラスの中に広がる虹は、揺れる水や動く泡と合わさり、幻想的な世界を創造している。たった一つのグラスにすぎないというのに、それは、広大な海のようにも、果てしない空のようにも見える。
「凄く綺麗ね!トリスタン!」
私は思わず声をあげた。
早朝のため、まだ人があまりいない。だからまだ良かった。もしこれが、多くの人がいる時間帯だったら、恥をかくことになってしまっていたことだろう。
「気に入ってくれた?」
「えぇ!海みたいな、空みたいな、素敵な感じ!」
美しいものは心を輝かせる。鮮やかな色は心を弾ませる。
だから好きだ。
いつ身の危険にさらされるか分からない危険な世界に暮らしているからこそ、このような明るい気持ちにしてくれるものは必要だと思う。
「少し、飲むのがもったいないわね」
「そういうもの?」
よく見ると、トリスタンは既に飲み始めていた。
せっかく美しいジュースなのに、彼は眺めることもしていない。
「美味しいよ。マレイちゃんも早く飲むといいよ」
「え、えぇ。そうね、そうするわ」
私は、その時になって初めて、ストローに口をつけた。
本心を言うなれば、もう少し眺め続けていたかったのだが——トリスタンが飲むように促してくるので、仕方ない。今日だけの特別メニューなわけではないので、いずれまた見られることだろう。
そう思い、自身を納得させながら、ジュースを飲んだ。
虹色に輝くレヴィアススカッシュは美味しかった。
その色鮮やかさに負け劣らない、爽やかで飲みやすい味をしている。時に酸味、時に甘味。そして、鼻を抜けるミントのような香り。
「美味しい……!」
頬が赤く染まってしまいそうな美味だ。
ただ甘いだけではない、色々なものが複雑に混じり合ったような味は、見事なものである。
「気に入ってくれた?」
「えぇ!美味しいわ!」
トリスタンの問いに、私ははっきりと答えることができた。
こんな幸福、いつ以来だろうか。
私たちがレヴィアススカッシュを飲み終えた、ちょうどその頃だ。
ドシン、という震動が私たち二人を襲った。
「な、何!?」
突然のことに慌てそうになる私に、トリスタンは「落ち着いて!」と言い放つ。彼は席から立ち上がると、私のすぐ横へ来て、手を握ってくれる。
「マレイちゃん、落ち着いてね。大丈夫だから」
「え、えぇ……」
一人の時よりかは心細くはない。
けれど、またトリスタンに何かあったらどうしよう、と考えてしまう。
起こってもいない心配をしても無駄だ。そういう心配は、大概が杞憂に終わるものである。そう分かってはいて、けれども、胸を包む不安は一向に消えてはくれない。
——その時。
ふと、グレイブの姿が思い浮かんだ。
ここへ来る前、一瞬すれ違った彼女。確か、地下牢へと行っていた。
「そうだ、トリスタン!」
「え。何?」
「ゼーレは地下牢にいるの!?」
戸惑ったようにまばたきを繰り返すトリスタン。
「いきなりどうしたの、マレイちゃん」
「捕まったゼーレは今どこ?地下じゃないの?」
「よく分からないけど、捕虜とか罪人は大体地下牢に入れられるものだよ」
「やっぱり……!」
なぜだろう、胸騒ぎがする。
捕獲され地下牢にいるであろうゼーレと、地下牢へ続く階段の付近を歩いていたグレイブ。
きっと——偶然ではない。
「トリスタン、今から地下牢へ行くわ!」
「え?ちょ、待って……」
私はすぐに腰を上げ、椅子をしまって走り出した。
何者かに、導かれるように。
- Re: 暁のカトレア ( No.36 )
- 日時: 2018/06/07 17:07
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: DMJX5uWW)
episode.31 復讐心
食堂を出て、来た道を戻る。目指すは、先ほどグレイブを見かけた地下へ続く階段。
「……ここね」
階段へたどり着く。
地下へと続く階段は、結構な段数がありそうだ。階段の下は暗くて見えず、ただ、不気味な雰囲気に包まれている。
闇へ踏み込むのは怖い。
やはりまだ、あの夜のことを思い出してしまう。
——でも。
「しっかりして!私!」
ビクビクしていては駄目だ。
過去はもう過ぎたもの。いつまでも怯えていては、何も変わらない。いや、変えられない。
私がいるのは過去ではない、現在だ。
「……よし」
一度頷き、小さく呟いて、私は足を進めた。
地下は暗闇だった。
二人分ほどの幅しかない細い通路の脇には、ところどころ、蝋燭の明かりが灯されている。しかし、十分な明るさにはなっていない。十分どころか、「ほとんど何も見えない」に近しい。
こうも暗くては、視力はほとんど役にたたない。だから私は、耳をすましながら歩いた。人がいるなら音が聞こえるはず、と思ったからである。
耳をすましながら、しばらく歩いた時だった。
またしても大きな音。そして、地響きのような微かな揺れが私の身を襲った。
私は音がした方へと、足を速める。
「……グレイブ、さん?」
そこに立っていたのは、艶のある黒い長髪が印象的なグレイブだった。暗闇の中ですら、彼女の容姿は輝いている。
長槍を持った彼女は、ほんの一瞬、視線をこちらへ向けた。身構えてしまうくらい、鋭い視線を。
「マレイか」
彼女の放つただならぬ雰囲気に、恐怖を覚え、私は一歩後ずさる。
「は、はい……」
「何をしに来た」
「あ、えっと……音がしたので。何だろうと思って来ました」
すると彼女は低い声で命令してくる。
「すぐにここから去れ」
どうやら私はこの場にいてはいけないようだ。化け物がいるわけでもないのになぜだろう、と思っていたら、彼女の向こう側にゼーレの姿が見えた。
そして、グレイブの槍の先が彼に向いていることに気がつく。
「グレイブさん!待って下さい!」
私は思わず声を出していた。
「何を……なさるおつもりですか?」
すると、彼女の漆黒の瞳が、こちらをジロリと睨む。
「マレイ、お前には関係のないことだ」
突き刺すような視線に、震えそうになる。けれども私は、勇気を出して、言葉を返す。
「関係なくは……ないです」
その時もまだ、グレイブは、長槍の先をゼーレへ向けていた。今にも刺しにかかりそうな、殺伐とした空気を漂わせている。
私は、何者かに導かれるかのように足を進め、グレイブとゼーレの間へ入る。
その時、ここへ来て初めて、ゼーレの姿をまともに見た。
彼の、血にまみれた姿を。
「……ゼーレ」
思わず、彼の名が滑り出ていた。
彼は敵。私から大切な人を、すべてを奪った、憎き者。
けれども私は、血に濡れた彼を見て、嬉しいとは思えなかった。その憐れな姿には、むしろ切なささえ覚える。
「何です、その目は」
複雑な心情になりながら見つめていると、ゼーレは不快そうに言ってきた。不愉快極まりない、といった風な低い声だ。
「そんな憐れむような目で見ないで下さい。不愉快です」
そこへ入ってくるグレイブの声。
「分かっただろう、マレイ。そいつはそういう、心無い奴だ」
ゼーレとの間には私がいる。にもかかわらず、彼女は槍を下ろしはしなかった。
「さぁマレイ、そこを退いてくれ」
「でも、彼、怪我を……」
「怪我など構わん。退けと言っているんだ」
険しい表情をしたグレイブの顔と、鎖に繋がれた血濡れゼーレを、私は交互に見る。どうすればいいか必死に考えてみるが、答えはなかなか出ない。
「その男の味方をするのか!マレイ!」
「ち、違います。でも、こんなのは良くないと思います」
私の言葉を聞いたグレイブは、さらに怒りを露わにする。
「良い悪いの問題ではない!」
彼女の口から発される言葉。それは、彼女が握る長槍の先端のように鋭利だ。
「この憎しみの感情は復讐無しでは晴れない」
グレイブはついに、長槍を片手に歩み寄ってきた。私もろともゼーレを攻撃する気だろうか。
「もっとも、化け物に奪われたことのない人間には分からないのだろうがな!」
叫ぶのとほぼ同時に、グレイブは長槍を振り下ろす。
鋭い光る先端が迫る——。
私は咄嗟に、腕時計をはめた右手首を前へ出した。
「いいえ、分かります!」
得体の知れない何かに突き動かされ、私はそう言い放つ。それとほぼ同時に、小さな塊となった赤い光がグレイブ目がけて飛んでいった。
赤い光の塊は槍にぶつかる。パァンと乾いた音が鳴り、槍は彼女の手からすり抜ける。
これには、さすがのグレイブも動揺を隠せていなかった。いきなりのことだったので、当然といえば当然かもしれない。
「私も化け物に奪われた人間です。だからグレイブさん。貴女の気持ち、少しは分かります」
「……何だと?」
眉をひそめ怪訝な顔をするグレイブ。
「生まれ故郷、知人、そして母親。私も化け物に、大切なものを奪われました」
グレイブの表情が、ほんの少し緩む。
「マレイ、お前もそうだったのか」
「はい」
「なるほど。それは分かった。しかし、それならなおさら、なぜそいつを庇うんだ」
彼女は「分からない」といった顔つきをしていた。
そうだろう、それが正しい反応だ。グレイブが間違っているのではない。私が変なだけである。
「傷つけ返すのは簡単です。ただ、それでは同じことを繰り返すだけになってしまいます。私たちが優先すべきことは、個人の復讐ではなく、帝国を平和にすること」
「だが、やられっぱなしでは気が済まない」
「それは分かります。けれど、復讐をしたところで、死んだ人が生き返るわけではありません」
私がそこまで言うと、グレイブは静かにまぶたを閉じる。落ち着きのある動作だ。
「……そうか。私とマレイは正反対の意見のようだな」
かかってくるかと一瞬身構えたが、さすがにそんなことはなかった。
意見は違えど帝国軍の仲間であることに変わりはない。そんな私へ攻撃を仕掛けるほどの過激さではなかったようだ。
「まぁ、今日はここまでにするか。じきに皆が起きてくるしな」
「はい。その方が良さそうですね」
グレイブは一度だけ静かに頷くと、身を返し、牢から出ていった。急に静かになった気がする。
それと入れ替わりで、トリスタンが入ってきた。
「凄いね。さすがはマレイちゃん」
「トリスタン!見ていたの?」
驚いた。まさかトリスタンが見ていたなんて。
「うん。グレイブさんの槍を退けるなんて、驚いたよ」
トリスタンは呑気にそんなことを言っている。何やら楽しげな表情だ。
「あれは偶然……って、どうして入ってきてくれなかったの!トリスタンが来てくれれば、きっともっと早く解決したのに!」
私が文句を言うと、彼は私の体をぎゅっと抱き締めてきた。
いきなり何!?という気分だ。
「ごめんね、マレイちゃん」
「ちょ、ちょっと」
「怒ってる?」
「別に怒ってはいないけど……」
どうも、トリスタンはおかしい。彼は時折、行動が普通でない時がある。
「それなら良かった」
「でも、いきなり抱き締めるのはどうかと思うわよ……」
恐らくはそれが彼にとっての普通で、自覚はないのだろう。しかし、私からしてみれば不思議でならないのだ。
- Re: 暁のカトレア ( No.37 )
- 日時: 2018/06/10 16:46
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: w93.1umH)
episode.32 すぐには変われないけれど
「そうだ!」
私はゼーレのことを思い出し、トリスタンから一旦離れる。そしてゼーレの前へしゃがみ込み、声をかける。
「大丈夫?」
「恩を売るのが好きですねぇ」
俯いたままの彼の返答は、氷河期のごとき冷たさだった。
かなりのダメージを受けているように見えるが、彼は淡々として、疲れの色など僅かも見せない。
「なぜそうも必死なのです?私に恩を売っても、得などないでしょうに」
「恩を売るとか、そんなのじゃないわ。ただ、純粋に心配になったの」
その言葉に偽りはない。
なぜかと聞かれれば、これといった明確な理由を答えることはできないだろう。ただ、私の口から出る言葉が偽物でないということだけは、間違いなく真実だ。それは自信を持って言える。
「純粋に心配?……相変わらず、馬鹿げたことを」
「馬鹿げてなんかないわ」
私はゼーレの肩に手を当てる。なぜ肩かというと、腕は背中側で拘束されていて触れられないからだ。
「それよりも、怪我が酷いわ。早く手当てした方が……」
そこまで言った時だった。
トリスタンが私とゼーレの間に割って入り、述べる。
「僕が救護班に連絡する。だから、マレイちゃんはもう、ゼーレのことは気にしなくていいよ」
トリスタンは恐らく、私を気遣ってくれているのだろう。彼は優しい人だから、きっとそうに違いない。
「救護班待ちで、間に合う?」
「うん、大丈夫だよ。すぐに連絡するから」
「そう。それならいいけど……」
私はトリスタンを疑う気などない。だから、彼が「大丈夫」と言うなら、大丈夫なのだと迷いなく信じる。
ただ、ゼーレが傷ついていることも事実だ。傷が作り物なわけではないので、致命傷にならないかという心配はある。
——もっとも、憎き敵である彼を心配する必要など、本来なら微塵もないのだろうが。
そんなことを考えていると、俯いていたゼーレが唐突に顔を上げた。
「マレイ・チャーム・カトレア、貴女……実に奇妙な趣味をお持ちなのですねぇ」
「えっ?」
一瞬、何を言われているのか理解ができなかった。
だが、少しして、皮肉られているのだと気がついた。ゼーレの発言は嫌みなのだと。考えてみれば、彼らしい皮肉ではないか。
「大切なものを奪った私が目の前にいるのですよ?それも、抵抗できない状態で。となると、貴女が今すべきことは、本来、一つだけのはずです」
銀色の仮面のせいで直では見えないが、目を凝らしてよく見てみると、呼吸が荒れているのが分かった。ゼーレもまったく平気というわけではないようだ。
「奪った者から奪い返す。私を——」
そこまで言った時、ゼーレの体から急に力が抜けた。鎖に縛られているのもあって完全に倒れ込みはしないが、意識がはっきりしなくなりつつあるようだ。
「ゼーレ!大丈夫?」
私は彼の仮面に覆われた顔を覗き込む。顔は直には見えないが、疲労感がひしひしと伝わってくる。
「……不気味な女ですねぇ。そういう奇妙な行動はもう止めて下さい、気味が悪い……」
今のゼーレの声には張りがない。彼らしからぬ弱々しさだ。
実は結構疲労しているのかもしれない、と私は思った。
「あまり無理しちゃ駄目よ」
「そもそも、貴女が素直に来てくれれば、こんなことにはならなかったのですがねぇ……」
彼は不満げな声を小さく漏らす。さりげなくブツブツ言うところは、彼らしい。
「それは嫌よ、帝国を壊そうとする人たちの仲間にはなれないわ」
「本当に……頑固な女です。大人しく従えばいいものを」
「悪かったわね、頑固で。でも私は帝国軍の人間になってしまったもの、もう遅いわ」
ゼーレはその性格ゆえに、気丈に振る舞っている。だが、本当は辛さもあるのだろう。敵地に一人で拘束されているという状況だ、辛いのも無理はない。
「どこかが痛むの?」
「うるさい、ですねぇ……」
「ごめんなさい。多分もうすぐ救護班が来るわ、それまでの辛抱よ」
私は勇気を出して微笑みかけてみる。しかし無視されてしまった。
……仕方ないか。
つい先日まで敵だったのだから。
待つこと数分、救護班が到着した。私が思っていたよりかは来るのが遅かったが、来てくれただけで今は良しとしよう。
グレイブに一方的に攻撃を浴びせられたゼーレの体は、救護班の者ですら驚いたほどにズタズタだったらしい。
グレイブが急所を避けていたため、ゼーレは生きていられたようだ。彼女が敢えて急所を外した意図は不明だが——取り敢えず命に別状はなさそうで良かった。
そしてトリスタンの方も、リュビエの蛇毒に関する心配はあったが、もう大丈夫そうだった。
特に症状もなく、健康そのもの。
そんなトリスタンの様子を見、私は安堵した。
その日以降、私は本格的に訓練を始めた。
帝国軍に所属している以上、戦えないわけにはいかないからだ。
持久走や上体起こしなどの基礎的なトレーニングはフランシスカに見てもらう。そして、実戦に近い戦闘に関しては、主にトリスタンに指導してもらった。
フランシスカもトリスタンも、夜間は、化け物狩り部隊の隊員としての仕事がある。だから、私が見てもらうのは主に昼間だ。
そう言うと、夜は暇かのように思えるが、案外そうでもない。
ゼーレの身の回りの世話があったからである。
いや、「世話」と言っては失礼かもしれない。正しく言うなら、食事や簡単な体調確認などである。
本来それらは牢番の役割だ。しかしゼーレの場合は厄介で、食事を運んでも食べず、牢番が声をかけても無視をするらしい。そんなことで、彼が唯一反応する私が、その役目を負うこととなってしまったのである。
おかげで昼も夜も忙しく、非常にハードな生活になっている。
だが、忙しさには慣れている。だから平気だ。
アニタの宿屋にいた頃の経験が、今こんな風に形を変えて、役に立っている。そんな気がするのだった。
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