コメディ・ライト小説(新)

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暁のカトレア 《完結!》
日時: 2019/06/23 20:35
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 9i/i21IK)

初めまして。あるいは、おはこんにちばんは。四季と申します。
今作もゆっくりまったり書いていく予定ですので、お付き合いいただければ幸いです。


《あらすじ》
レヴィアス帝国に謎の生物 "化け物" が出現するようになり約十年。
平凡な毎日を送っていた齢十八の少女 マレイ・チャーム・カトレアは、一人の青年と出会う。
それは、彼女の人生を大きく変える出会いだった。

※シリアス多めかもしれません。
※「小説家になろう」にも投稿しています。


《目次》
prologue >>01
episode >>04-08 >>11-76 >>79-152
epilogue >>153


《コメント・感想、ありがとうございました!》
夕月あいむさん
てるてる522さん
雪うさぎさん
御笠さん
塩鮭☆ユーリさん

Re: 暁のカトレア ( No.48 )
日時: 2018/06/23 05:48
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: hZy3zJjJ)

episode.43 蒼い夜

 地面に伏したトリスタンの背を、リュビエは躊躇いなく踏みにじる。彼女は楽しんでいるようにさえ見えた。トリスタンを倒したという満足感に満ちているのかもしれない。
「マレイちゃ……ん、逃げて」
 地面に押さえつけられたまま、トリスタンは言った。
 絞り出すような声は、聞くだけで胸が痛む。それと同時に、無力さを改めて突きつけられた気がして、心の中にある「情けない」という気持ちが、どんどん膨らんでいく。
「優しいのね。騎士さんは」
 リュビエは片手を口元へ添え、くすくすと控えめに笑った。
 上品な笑い方ではあるが、その顔には、嘲りの色が濃く浮かんでいる。
 それから彼女は、トリスタンの背を踏む足に、再び力を加える。トリスタンの白い背は、徐々に茶色く汚れてきていた。リュビエのブーツの裏についていた土が、トリスタンの衣装にも付着したものと思われる。
「でも、他人より自分の心配をするべきだと思うわよ」
 冷ややかに言い放った後、リュビエは、トリスタンの髪の房を掴み、彼の体を持ち上げる。
「……髪を引っ張らないでくれるかな」
「あら、生意気」
「……こんなくらいじゃ、生意気とは思えないんだけどね」
 トリスタンの、先ほど杖で殴られた額には、切り傷ができていた。さほど深そうではないものの、傷からは多少血が流れ出ている。痛そうに見える。
「黙ってちょうだい」
 リュビエは声を強めた。
 それから彼女は、トリスタンの首元に、小さな蛇を這わせる。
「止めて!」
 小さな蛇を目にした瞬間、私は叫んだ。
 前のことを思い出したからだ。
 あの時の小さな蛇は赤かった。しかし、今トリスタンの首元を這っている蛇は、赤ではなく、暗い緑色をしている。色の気味悪さから言えば前の赤の方が上だが、今回のものも油断はできない。
「……何なの?マレイ・チャーム・カトレア」
 彼女はゆっくりとこちらへ顔を向ける。
 純粋に鬱陶しいと思われていそうな感じだ。
「トリスタンに何をする気ですか!」
「そんなこと、お前には関係ないでしょ。黙っていてちょうだい」
「関係はあります!」
 前にも誰かに、こういうことを言ったことがある気がするが、それがいつだったか今は思い出せない。
 いや、思い出す必要もないだろう。そんなに大事なことではない。
「リュビエさんの狙いは私なのですよね?だったら、どうしていつもトリスタンに手を出すんですか。私を直接狙えばいいでしょう!」
「お前、案外愚か者ね。邪魔者を放っておけるわけがないじゃない」
 ——愚か者、か。
 確かにそうかもしれない。私は愚か、それは一つの真実だ。
 口では頑張る頑張ると言っておきながら、ろくに戦えず、周囲に迷惑をかけるだけ。フランシスカやトリスタンを巻き込み、痛い目に遭わせて、そのくせ自分だけは無傷でいる。
「お前が大人しくあたしに従えば、誰も巻き込まれずに済んだのよ。全部お前のせいよ、こんなことになったのは」
 リュビエはトリスタンは担ぎ上げる。
 トリスタンは、意識はあるものの、抵抗するほどの力はないらしい。浅い呼吸をしながら、私の方を見つめている。
「トリスタン!待ってて、今助けるわ!」
 私はすぐに、指を腕時計の文字盤へ当て、右腕をリュビエの方へ向けた。
 そして、赤い光球を放つ。
 しかしリュビエには当たらなかった。
 彼女が素早く生み出した大蛇が光球を防いだからだ。
 ダリアで巨大蜘蛛の化け物を倒した時のような、光線。あれが出せたなら、大蛇を貫き、リュビエにまでダメージを与えられたかもしれない。だが、リュビエが私に攻撃の意思を抱いていないせいか、あれほどの力は出せなかった。
 巨大蜘蛛の化け物の時みたいな力を発揮するには、もっと、私自身が危険な状態に陥らなくてはならないのだろう。
 私は何とかトリスタンを取り戻そうと、大蛇に向けて赤い光球を何度も放った。数回の内に大蛇は倒せ、塵にすることができたが——時既に遅し。
 リュビエとトリスタンは消えていた。

「……そんな」
 場に一人残された私は、誰もいないその空間を、信じられない思いで見つめることしかできなかった。
 トリスタンがいなくなった。
 その事実を理解できず、ただひたすらに、呆然として立ち尽くす。
「どうして」
 ダリアで初めて出会ったあの日から、ずっと変わらず優しくしてくれたトリスタン。彼は私を、新しい世界へ連れ出してくれた。それからも、護ってくれて、傍にいてくれて、いつだって私を理解しようとしてくれて。
 彼は良い人だった。
 なのに、そんな善人の彼が、私のためにリュビエに連れていかれてしまうなんて。
『お前が大人しくあたしに従えば、誰も巻き込まれずに済んだのよ』
 真っ白になった頭に、リュビエの冷ややかな言葉がこだました。
 なぜ彼が。
 そんな思いが、胸の内に、少しずつ広がっていく。

 ちょうどその時。
 耳に飛び込んできた声に、私は正気を取り戻す。
「マレイちゃん!どうなったの!?」
「フラン……さん」
「え?え?トリスタンは?」
 フランシスカはトリスタンの姿がないことに戸惑い、きょとんとした顔で辺りを見回している。
 リュビエに蹴り飛ばされたわりには元気そうだった。
「あの女もいないし。これ、どうなってるのっ?」
 フランシスカは、睫毛のついた愛らしい目をパチパチさせながら、尋ねてくる。まだ状況が飲み込めていない様子だ。
「トリスタンは……リュビエに」
 私は説明しようと言葉を紡ぐ。
 だが、その唇さえ震え、言いたいことが上手く言えない。
「えっ?マレイちゃん、今何て言ったの?」
「リュビエに……」
 その先が言えない。
 一部始終を見ていた私がフランシスカに状況を説明するのは、当然のことだ。仲間なのだから、分かっていることはすべて話すべきだと思う。
 けれども、口が動かなかった。
 私の情けなさを明らかにするかのように思えて。
「マレイちゃん?」
 フランシスカの柔らかな髪から漂う甘い香りさえ、今は悲しい気持ちを掻き立てる。
「どうしたの。そんなにぼんやりしてたら、かっこ悪いよ?」
「ごめん……なさい」
 半ば無意識に、私は地面にへたり込む。
 脚が震えて、真っ直ぐ立っていられなくなったのである。
「ごめんなさい」
 傍にいることが当たり前。いつでも話せることが普通。
 心のどこかで、そう思っていたのかもしれない。だから、今私は、こんなにもショックを受けているのだろう。
 失って初めて大事さに気づく、とは、こういうことを言うに違いない。

 記念すべき初陣の日。
 初めての夜は、大切な人と引き離される痛みを思い出す、悲しい夜となった。

Re: 暁のカトレア ( No.49 )
日時: 2018/06/24 05:17
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: hZy3zJjJ)

episode.44 有るのか無いのか

 あの後の記憶がない。
 気づいた時には、既に、基地内へ戻ってきていた。
 付き添ってくれていたフランシスカによれば、私は、ぼんやりとしてはいたものの歩いて基地まで帰ってきたらしい。気を失ったり倒れたりはしていないようだ。
 にもかかわらず記憶がないのはなぜなのか……。
 それは一つの大きな疑問だ。
 けれども、今はそんなことよりも、リュビエにさらわれたトリスタンの身を案じることの方が、必要なことである。トリスタンがどんな目に遭わされるか分からないから。

 トリスタンが連れていかれてから、ちょうど一日が経過した夜。
「マレイちゃん、会いに来たよっ」
 一人自室でどんよりとした空気に包まれていると、何の連絡もなく唐突に、フランシスカがやって来た。恐らく、精神的に落ちている私を心配して、会いに来てくれたのだろう。
「……フランさん」
 寝巻きのままベッドにもたれかかっている私を見た瞬間、彼女は目の色を変える。
「どうしてそこなの!?」
 フランシスカは当たり前のように室内へ入ってくる。
 そして、ぼんやりしている私に接近すると、立つように促してきた。
「せめてベッドの上で休みなよ!ほら、立って。ねっ?」
「ここが落ち着くの……」
「駄目駄目!そこじゃ休まらないよっ!」
 いや、ここが気に入っているのだが。
「ちゃんと立って、ベッドの上に移動してっ」
 フランシスカはかなり厳しい。従わない限り、永遠に言われ続けそうな気すらする。
 だから私は、ついに妥協し、立ち上がった。
 言われるままに、ベッドの上へと移動する。
「トリスタンがいなくなったのがショックなのは分かるよ?でも、それでマレイちゃんが自暴自棄になるのは駄目。トリスタンがそんなことを望むわけがないのは、分かるよね?」
 彼女はなぜこうも上から目線なのだろう。
「……分かるわ」
 私は、小さな声で返し、ベッドに横になる。
 横になった方がいい空気だったからだ。
 それから暫し沈黙があった。
 フランシスカは、私が横になるベッドの傍で、何も言わずにじっとしている。いつもは活発でお喋りな彼女が大人しいと、不気味な感じさえした。
 そんな不気味な中で、私から話を振るというのは難しい。だから私も、ベッドに横たわったまま、口をつぐんだ。
 そして、沈黙はまた続く。

 ——どのくらい経っただろうか。
 二人きりの沈黙に耐えられなくなった私は、ついに口を開く。
「トリスタンは……どこへ行ってしまったの」
 彼女の聞いたところで、トリスタンの行方が判明するわけもない。聞くだけ無意味なことだ。しかし、思いつく話題がこれくらいしかなかったので、この話題を選んだのである。
「フランに聞かれても分かんない」
「そうよね……」
 なんとなく気まずい空気になってきた。
 フランシスカは、あまりご機嫌ではなさそうだ。
「グレイブさんがゼーレのところへ行くって言っていたから、情報を聞き出してくるんじゃないかな」
 その言葉を耳にした瞬間、それまですっかり忘れていたゼーレの存在を思い出した。
「そうだ!ご飯!」
 よく考えてみれば、今日一日彼に会っていない。一度も食事を持っていっていないことに気づき、青ざめる。お腹を空かせて弱っていたらどうしよう、と思ったからだ。
 私は慌てて状態を起こし、転がるようにベッドから下りる。
 その様を見たフランシスカは驚いた顔をして言う。
「ちょっと、いきなり何っ!?」
 目を見開き、口をあんぐりと空けている。よほどびっくりしたらしく、可愛くおしゃれな彼女には似合わない、情けない顔つきをしていた。
「ゼーレの食事!」
「え?え?」
「持っていって、食べさせないと!」
 速やかに靴を履き、部屋から出ようとした時、フランシスカが私の片腕を掴んだ。
「待って、マレイちゃん。そんなに慌てないで」
 早く行きたい衝動をこらえ、フランシスカへと視線を向ける。
 すると、彼女の真剣な表情が見えた。
 華やかな睫毛に彩られた瞳が、こちらを真っ直ぐに見据えている。心配しているような色がほんの少し滲み、しかし曇りのない瞳。それはまるで、トリスタンの瞳のようだった。
「牢番の人があげてるから、多分大丈夫だって!マレイちゃんが無理することないよっ!」
 私は何も言い返せない。
 フランシスカとトリスタンが重なって見えたからだ。
「……そうね」
 私は大人しく引き下がった。
 地下牢にいるゼーレの様子が気にならないと言えば嘘になる。だが、フランシスカを振り払ってまで彼に会いにいく気にはならない。
「ゼーレだって、マレイちゃんに会いたいとか思ってないって!」
 グサッ。
 何かが胸に突き刺さる、鈍い音が聞こえた気がした。
「そう。そうよね」
 私は呟く。自分を納得させるように。
 ……いや。そもそも、「ゼーレは私に会いたいと思っていない」ということに納得できない心が存在する理由が、まったく分からないのだが。
 そこへ、フランシスカが突っ込んでくる。
「どうして残念そうな顔してるのっ?」
 純真な眼差しを向けられた。
 しかもきわどいところを突いてくる。
「もしかして、ゼーレに特別な感情を抱いているとかじゃないよね?」
 お願い、それだけは言わないで。
 そんなことはあり得ないし、許されたことではない。
「まさか」
 私はフランシスカの丸い瞳を、迷いなく真っ直ぐに見つめ返す。
「役割だから、ってだけよ。それ以上のものなんてないわ」

 ゼーレは敵。あの夜、私からすべてを奪った、最大の敵だ。
 生まれ育った村を焼いた彼を、人々や私の母を残虐に焼き殺した彼を、許すなんて絶対許されないこと。

 ——そのくらい、分かっているわ。

Re: 暁のカトレア ( No.50 )
日時: 2018/06/26 02:17
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: KnTYHrOf)

episode.45 運命が許さない

 結局私はゼーレのところへは行かなかった。というのも、夜が明けるまでずっと、フランシスカが私の部屋へ居座り続けていたからだ。
 彼女の目がある中でゼーレに会いに行きなどすれば、誤解はますます深まることだろう。そんなことになっては堪らない。そして、もしも私がゼーレに情を抱いているなんて噂が広まれば、それこそ私がここから追い出されてしまうことだって考えられる。
 特に、擁護してくれそうなトリスタンがいない今は、私の立場が危うくなる可能性が高い。気をつけなくては。

 翌朝、フランシスカが自室へ帰ったタイミングを見計らい、私は地下牢へと向かった。朝食の時間でもあるこの時間帯なら、怪しまれもしないだろうから。
 太陽が出始めている朝でも、地下牢内は変わらず薄暗い。
 不気味な通路を、私は一人で歩いていく。
 そして、やがてゼーレのいる牢まで到着すると、軽くノックをしてから扉を開けた。世話係ということで鍵は受け取っている。だから、面倒な手間なく扉を開けられるのだ。

「おはよう」
 いつもより明るい声で挨拶する。
 ゼーレと二人で顔を合わせる時は、今でもまだ緊張する。何か仕掛けてくるのではないかと考えて、不安になってしまう。
 だからこそ、挨拶は明るく。
 湧き上がる不安を拭い去れるように。
 誰かに言われたわけではないが、個人的に、そう心がけている。
「……懐かしい、声ですねぇ」
 私が個室内に入ってから少しすると、ゼーレの声が聞こえてきた。
 拘束されたゼーレは、上半身を折り曲げ、地面に横たわっている。これまでは座る体勢のことが多かったため、寝そべっていることには正直驚いた。
「昨日は来れなくて、ごめんなさい」
「べつに。約束などした覚えはありませんが」
 相変わらずそっけない。
「確かに約束はしていなかったけれど、でも、ご飯困ったでしょ?」
 するとゼーレは、横たわっていた体を起こしながら返してくる。
「一日くらい……どうということはありません。そもそも、そこまで期待していませんから」
 冷たくも受け取れそうな言葉だが、私には、彼なりの優しさに思える。
 トリスタンがいなくなったショックでおかしくなっているだけかもしれないが。
「大変だったのでしょう?貴女も」
「……えぇ。そうなの。トリスタンが——」
「聞きました」
 ゼーレは、私の言葉を最後まで聞くことはしない。
「昨夜はあの黒い髪の女と話をしましたから。彼のことは、その時に聞きました」
「グレイブさんと話したの?」
「えぇ。それはもう、じっくりと」
 彼女のことだから、きっと、乱暴な手段も使ったことだろう。ゼーレが昨夜どんな目に遭っていたのか、あまり考えたくはない。
 一人暗い気持ちになっていると、ゼーレは口を開く。
「何です、その目は」
「えっ?」
「マレイ・チャーム・カトレア。貴女のその、憐れむような目つきは嫌いです」
 そう言って、仮面の下の顔をしかめるゼーレ。
 どうやら彼は心配されるのが嫌らしい。心配され慣れていないからだろうか。だとしたら、少し可哀想な気もする。
「それで、何をしに来たのです?食事でもないようですしねぇ。情報を吐かせに来たのですか?」
「吐かせるなんて、そんな言い方しないで。私はただ、ゼーレが元気かどうか、様子を見に来ただけよ」
 すると彼は、くくく、と自嘲気味な笑みをこぼす。
「なるほど……、一晩拷問された私がどんな様子かを確認しに来た、ということですねぇ。実に良いご趣味で」
 ゼーレは、なぜこうも、ひねくれているのだろう。
 私にそんな奇妙な趣味がないことくらい、知っているはずではないか。それなのに彼は、敢えて、私が奇妙な趣向の持ち主であるかのように言う。
 どこまでも嫌みな男だ。
「どうしてそんな言い方をするの?」
「そんな言い方も何も、真実ではないですか」
 このまま話し合っても平行線になりそうなので、私は話し合うことを諦めた。ひねくれた彼とは、まともな話し合いなど無理だ。
「……まぁいいわ。それで、昨夜は大丈夫だったの?」
「貴女は他人の心配をしている場合ですか」
「どうしてそうなるのよ!」
「私の心配をするくらいなら、トリスタンの身を案じなさい」
 ゼーレは座る姿勢を整えながら言う。淡々とした声だが、冷たくは感じない。
「心配して……くれているの?」
 もしかして、と思い尋ねてみる。
 すると彼はそっぽを向いてしまった。
「馬鹿らしい。そんなわけがないでしょう。まったく貴女は、お人好しですねぇ」
 銀色の仮面を装着した顔はそっぽを向いたままだ。彼は私に目をくれようとはしない。
「そうね。でも私、貴方を悪い人とは、どうも思えないの」
 憎むべき敵だと頭では理解しているのに、だ。
「貴女がお人好しだからでは?」
 吐き捨てるように言われてしまった。
 ゼーレはいつもこうだ。あと少しで理解の手が届きそうなのに、もう少しというところで、心の壁で遮ってくる。それは誰だって、心の奥に触れられたくはないだろうが……少しくらい開いてくれても良いのに。
「そうかもしれないけれど……リュビエに無理矢理されている私を助けてくれたでしょ。あの時ゼーレが現れてくれなかったら、私、あのまま腕を折られていたわ」
 私が言うと、彼は呆れたように溜め息を漏らす。
「はぁ。助けた覚えはありませんがねぇ」
「助けられたことは事実よ。ありがとう」
「……気持ち悪いですねぇ。トリスタンを失い、気が狂れでもしましたか」
 酷い言われようだ。
 けれど、もしかしたらそれもあるのかもしれない。
 トリスタンと離れてしまった不安から、今度はゼーレに頼ろうとしている——そういうことも考えられる。
「分かっているのですか?マレイ・チャーム・カトレア。貴女が私と親しくするなど、あり得ぬことなのです」
「あり得ないことはないわ。こうして話していれば、いつか分かりあえるかもしれな——」
 言いかけた時、ゼーレの声色が急激に鋭くなる。
「馬鹿らしい!いい加減になさい!」
 どうしてそんなに怒るのか、私には理解できなかった。
 私はゼーレと友好的な関係を築くよう努めている。それなのに、ゼーレはなぜそんなに嫌がるのか。
「トリスタンがいなくなった途端こちらへ擦り寄ってくるのは、止めていただきたいものですねぇ。私は貴女の寂しさを埋めるための代用品ではありませんから」
 彼はどこか怒っているみたいだ。
 機嫌を損ねるような言動をしてしまったかもしれない。
「それに」
 ひと呼吸空けて、彼は続ける。
「私と貴女の関係など、運命が許しませんから」

Re: 暁のカトレア ( No.51 )
日時: 2018/06/27 02:14
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: idHahGWU)

episode.46 連れられた先にて

 その頃、リュビエに連れていかれたトリスタンは、見知らぬ場所で目を覚ましていた。
「……ここは」
 トリスタンは首を傾げながら、一人呟く。そして、黒い床を撫でてみる。ひんやりとしていた。金属製なのだろうな、とトリスタンは思う。だからどうといったことはないが。
 それから彼は、周囲をぐるりと見渡したが、人一人いない。
 存在するのはだだっ広い空間と高い天井だけだ。
 静寂の中、トリスタンはマレイのことを思い出しているのだろう。自身が育てている大切な人に思いを馳せる彼の瞳は、どこか寂しげな色を湛えていた。
 そこへ、一人の女性が現れる。
 カツンカツンと足音を立てながら、トリスタンの前まで歩いてきたのは、リュビエ。うねった緑の髪と黒いボディスーツが印象的な女性である。
「目が覚めたみたいね」
「……リュビエ」
 執拗にマレイを狙ってきていた女の姿に、トリスタンは険しい表情になる。
 彼の整った顔は、黙っていると女神のよう。微笑んでいる時などは天使のよう。けれども今は、そんな柔らかさはない。
「ここは?」
 トリスタンはリュビエへ鋭い視線を向け、低い声で尋ねた。
 するとリュビエは、ふふっ、と色っぽく笑う。
「興味があるのね。意外だわ」
「そういうのは要らない。質問に答えてもらえるかな」
 きっぱりと言い放つトリスタン。
 今の彼には、マレイに接する時のような優しげな雰囲気は、欠片も存在していない。顔つきも、声色も、敵と戦う戦士のそれだ。
 強気に出たトリスタンに対し、リュビエは威嚇するように言い放つ。
「ほざくんじゃないわよ」
 彼女はトリスタンのすぐ近くにしゃがみ込む、彼の顎をクイッと持ち上げる。
「ここがどこか、ちっとも分かっていないようね」
 トリスタンはすぐに、彼女の手を払い除けた。
 強気な姿勢は崩さない。弱さを見せないよう振る舞い、同時に、今自分が置かれている状況を判断しようとしているのだと思われる。
「だから聞いているんだけどね」
 彼らしくない、挑発するような口調だ。
 リュビエは挑発を軽くかわし、落ち着いた調子で返す。
「そんな偉そうな口を利ける立場じゃないのよ、お前は。ここじゃお前は一番下。もっと礼儀正しくなさい」
「言っている意味が分からない。僕は僕だよ。自分の好きなように振る舞う」
「お前っ……!」
 ここまできて、リュビエはようやく怒りを露わにした。
 急激に機嫌が悪くなった彼女は、トリスタンの白い衣装の襟を、乱雑に掴む。女性らしからぬ乱暴な動作だ。
「今からボスのところへ行くのよ!無礼は許されないわ!」
 脅すように激しく述べるリュビエ。
 しかしトリスタンは、この程度で怖がりはしなかった。
 長年化け物のいる戦場に立ち続け、何度も死線を越えてきたのだ。少々大きな声を出された程度では、怯みさえしない。痛くも痒くもない、というやつである。
「君のボスかもしれないけれど、僕のボスじゃない。だから無礼も何もないと思うけどね」
「黙りなさい!レヴィアス人風情が!」
 リュビエが吐いた罵声に、トリスタンの表情が変わる。
「レヴィアス人……風情だって?」
 直後、トリスタンはリュビエの脚に蹴りを加えた。
 襟を掴む手の力が微かに緩んだ瞬間を見逃さず、彼女から距離をとる。
 そしてすぐさま、腕時計を着けている左手首へ右手を伸ばす。

 ——その瞬間、異変に気づく。

「……ない!?」
 左手首に間違いなく装着していたはずの腕時計が、こつぜんと姿を消していたのだ。腕時計が無くては化け物とはまともに戦えない。さすがのトリスタンも、焦りを見せる。
 彼はすぐに周囲の床へ視線を向けた。落としたのかもしれない、と思ったのであろう。しかし、床にも見当たらなかった。
 先ほどまでとは別人のように焦燥感を露わにするトリスタンを見て、リュビエはくすくすと笑う。口元に手を添え笑う様は一見上品にも感じられる。けれども、その笑い自体は嘲りに満ちていて、上品などといったものではない。
「何をそんなに慌てているのかしら?」
「……まさか」
 その時になって、トリスタンはようやく気づく。意識がない間にリュビエに奪われたという可能性に。
「まさか、何よ?」
「腕時計は今は君が持っているのかな」
 するとリュビエは、突然、高らかに笑い声をあげた。
「何よ、それ!まさかなんて話じゃないじゃない!そうに決まっているでしょ!?」
 広い空間に、リュビエのかん高い笑い声が響く。
「何を言い出すかと思えば、それ!?やぁね!武装解除するのは当たり前よ!」
 トリスタンは大笑いされる屈辱に何も言い返さず耐えた。ここでカッとなれば相手の思うつぼだと判断したのだろう。腕時計を奪われたことでかなり焦っている彼だが、こんな見え透いた罠にかかるほど未熟ではない。
「腕時計は君が持っているんだね」
「そうよ。だったら?」
 リュビエは余裕に満ちた表情で髪を掻き上げる。
 身体能力を強化していないトリスタンなど敵ではない、と思っているような顔つきだ。
「……なら、取り返すまで」
 トリスタンは固さのある声で述べた。青い瞳は、リュビエの姿だけを捉えている。
「腕時計無しで、あたしとやり合うつもり?無理しない方が良いわよ」
 リュビエはトリスタンを見下したように笑う。
 しかしトリスタンは落ち着いた表情を崩さない。彼女の姿を真っ直ぐ見据えたまま、戦闘体勢をとっている。

 ——数秒後。
 トリスタンは床を蹴り、リュビエに向かって駆けていく。
「美しい男にだって、あたしは手加減しないわよ」
 リュビエは細い蛇の化け物を作り出し、トリスタンを迎え撃つ。
 対するトリスタンは、細い蛇の化け物たちを軽やかにかわしていく。そして、あっという間にリュビエとの距離を縮める。
 腕時計による身体能力の強化はない。しかしそれでも、能力が高いことには変わりがなかった。
「返してもらうよ」
「身の程知らずはいい加減にしてちょうだい」
 こうして、腕時計の無いトリスタンとリュビエの戦いが、幕を開ける。

Re: 暁のカトレア ( No.52 )
日時: 2018/06/28 21:41
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 7hcYnd26)

episode.47 すべてを削いでも、生き残る

 命の次に大切と言っても過言ではない腕時計を取り戻すべく、トリスタンは、リュビエに無謀な戦いを挑む。
 リュビエの戦闘能力は、人間を遥かに超えている。人間の女性のような姿かたちをしているが、人間ではないということなのだろう。そんな彼女に何の強化もない体で挑むとは、トリスタンらしからぬ無謀さだ。
 そんな明らかに不利な状況にあっても、トリスタンは懸命に戦った。怯まず、持てる力をすべて出し、勇敢に向かっていったのである。
 ——けれども、残念な結果に終わってしまった。
「レヴィアス人風情にしては頑張ったと思うわよ。でも、あたしの相手にはならなかったわね」
 リュビエは笑みを浮かべながら、黒い床に倒れ込んだトリスタンの右足首を曲げる。
 本来曲がるのとは逆の方向に。
「……くっ」
 トリスタンは、その整った顔を歪めた。
 額には汗の粒が浮かんでいる。
「力の差は歴然。これに懲りたら、無駄な抵抗は止めることね」
「抵抗は止めない」
「まだ分からないというの?ならばお前が理解するまで痛い目に遭わせてあげるわ!」
 鋭く言い放ち、トリスタンの足首を強く曲げるリュビエ。苛立ちも加わっているからか、先ほどよりも曲げ方が大きい。
 しかし、大人しく痛めつけられ続けるトリスタンではない。
 彼はリュビエに掴まれていない方の脚を反らせ、大きく振りかぶる。そして、遠心力を利用しつつリュビエの喉元を蹴った。
 直前で気づいたリュビエは、咄嗟に手を離す。
 二人の距離が離れた。
「この期に及んでまだ抵抗するのね」
「言ったはずだよ。抵抗は止めない、って」
 トリスタンは速やかに体勢を整え直す。
 一つに結われた金の髪がさらりと揺れた。
「馬鹿ね、お前は」
 強気な発言を耳にしたリュビエは呆れたように言う。やれやれ、といった雰囲気で、首を左右に動かしている。
「大人しく助けを待つ方が賢いんじゃないかしら?」
「みんなに迷惑はかけられないからね」
「しっかりしているのね。でもそれは、無謀だとしか思えないわ。この飛行艇から自力で逃れるなんて不可能よ」
 二人きりの空間に漂う空気は真冬のように冷たかった。そしてもちろん、冷たいのは空気だけではない。金属製と思われる床も、氷のようにひんやりしている。
「仮にあたしを突破できたとしても、逃れられはしないわ。ここにはいくらでも兵がいるもの」
「兵?」
「お前たちが化け物と呼ぶ生き物たちよ」
 トリスタンは立ち上がろうとするが、右足首の痛みに、膝を軽く曲げてしまう。しかし彼は挫けない。数秒後には、精神力だけで無理矢理立ち上がった。
「剣のないお前など、牙のない獣も同然。何もできやしないわ」
「それは、やってみないと分からないと思うけどね」
 彼の肉体は既にかなりのダメージを受けていることだろう。
 細い蛇の雨を浴び、蹴られ、しまいには足首を強く折り曲げられたのだ。ダメージがないわけがない。
 今彼がこうして立てているのは、ひとえに、心の強さゆえだと思われる。容姿の繊細な美しさからは想像もつかないような、人を越えた太い心が、彼にはある。
「ならば試してみても良いわよ?」
「初めからそのつもりだったんじゃないのかな」
「ふふ。気づいたことは褒めてあげる」
 リュビエがパチンと指を鳴らすと、一面の壁がガガガと音を立てつつ上がった。
 そこにいたのは——狼型化け物。
 前に戦い、激しい戦闘の末倒したものと、同じタイプの化け物だ。
「これだけ貸してあげるわ」
 目の前に現れた数匹の狼型化け物に身構えるトリスタンへ、リュビエは一本のナイフを投げた。彼はよく分からぬままナイフを手に取る。開いた手の手首から指先程度の刃渡りの、決して長くはないナイフだ。
「何のつもりかな」
「あたしからの贈り物よ。何も無しじゃ、すぐに殺されて終わり。そんなのは面白くないものね」
「要らない。心配しなくていいよ、素手でもそう簡単にはやられないから」
 ナイフをリュビエへ投げ返そうとするトリスタンだったが、リュビエはそれを制止する。
「贈り物を返すなんて禁止よ。ありがたく受け取っておきなさい」
 彼女は黒い笑みをこぼす。
「それにね、単なる好意ってわけでもないのよ。それを使って抵抗すれば、恐怖を覚える時間が増えるでしょう?ボスがそれをお望みなの」
「……ボスが?」
「そうよ。だから精々抵抗することね。その方が、ボスはお喜びになるわ」
「ボス、嫌なやつだね」
 トリスタンは吐き捨てるように言った。
「足が潰れるが先か、心が潰れるが先か……楽しみにしているわね」
 冷たい空気に満ちた空間の中、狼型化け物たちの瞳は爛々と輝いている。今にも襲いかかりそうな表情だ。戦う気は満々の様子である。
「化け物が潰れるのが先、が有力だと思うよ」
 トリスタンはリュビエから受け取ったナイフを握り直す。
 目つきは研がれた刃のように鋭い。青い瞳に優しさはなく、それこそ人を捨てたような、そんな顔つきをしている。
 腕時計による強化ができない。白銀の剣も使えない。けれども何体もの化け物と戦わなくてはならない。負ければ待つのは死。あまりに厳しすぎる条件が、彼から人の心を奪いつつあるのだろう。
「それじゃ。精々頑張って」
 他人事のように言い、リュビエはその場から去っていった。恐らく、巻き込まれないようにだろう。
 冷たい場に残されたのは、狼型化け物たちとトリスタンのみ。
「生きて帰る。絶対」
 トリスタンは高い天井を見上げて、神に誓いでもするかのように呟く。小さな声だが、そこには、彼の決意のすべてが存在していた。
「早く帰ってマレイちゃんの指導をしないと」
 目を閉じて深呼吸をした後、彼は目を開く。その瞳に迷いはなかった。
 化け物たちへの恐怖もすべて消え去った。彼にはもはや、恐れるものなど存在しない。
「……待っててね」
 トリスタンの口元にうっすらと笑みが浮かぶ。
 それは、彼から人の心が消滅しつつあることを映し出す、不気味な笑みだった。


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