複雑・ファジー小説

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【完結】イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜
日時: 2019/03/25 21:37
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: pUqzJmkp)

初めまして。あるいは、おはこんにちばんは。四季と申します。
のんびりとお付き合いいただければ幸いです。


〜あらすじ〜

青き惑星オルマリン。
その星を治める星王家には、一人の王女がいた。

名は、イーダ・オルマリン。

十八を迎えた春、彼女は襲撃により従者の多くを失った。

それから半年。
彼女に、新たな出会いが訪れようとしていた。


※「小説家になろう」に先行掲載しております。(2019.2.28 完結)


〜目次〜

プロローグ >>01
本編 >>02-44 >>47-158
エピローグ >>159

あとがき >>160


〜コメントありがとうございます!〜

一般人の中の一般人さん

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.31 )
日時: 2018/11/09 17:19
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: HPUPQ/yK)

30話 笑われるかもしれない

 それでなくとも慣れない薄暗い地下室で、いかにも怪しい初老の男性——アスターと二人きり。その状況に、私は、筆舌に尽くし難い恐怖感に襲われた。

 もはや、私を護ってくれる者はいない。このような状況下では、私を護れるのは私しかいないのだ。

 だが、いくら私が抵抗したところで、男性に力で勝つことはできないだろう。それゆえ、もう、目の前の彼が悪人でないことを願うことしかできない。

「アスターさん……だったわね」
「そっちで呼ぶとは、驚いたよ。で、何かね」
「どうしてこんなことをするの?」

 狙いが分からないので、取り敢えず尋ねてみた。

 もちろん、簡単にすべてを話してくれる可能性はかなり低い。だがそれでも、少しは何か判明するかもしれないと思ったから。

「誘拐なんてして……どうするつもり?」

 するとアスターは、狭い地下室内にある椅子に腰をかける。彼が腰をかけた瞬間、椅子がキィと軋んだのが印象的だ。

「ただの仕事だよ」

 彼は眼球だけを動かして私を見て、小さな声で答えた。

「……仕事? 貴方は、そんなことを仕事にしているの?」

 品のある容姿からは、そんな物騒な内容を仕事にしている人間だとは想像がつかない。

「そうだよ」
「……もったいないわ。貴方みたいな人なら、真っ当な職にだって就けるでしょうに」
「そんな風に言っていただけるとは、光栄だ。ま、無理なのだがね」

 さりげなく、ばっさりと否定されてしまった。

「普通の家に生まれ、普通に育っていっていたなら、真っ当な職に就けた可能性もあったかもしれないが……なんせ、色々複雑だったのでね」
「でしょうね。王女を誘拐、なんて、どう考えても普通じゃないもの」

 つい本音を漏らしてしまい、やってしまった、と慌ててアスターへ目を向けた。

 機嫌を損ねてしまったら大変だ。私の命に関わるのだから。

 しかし、意外にも、アスターは怒りの色を浮かべてはいなかった。それどころか、口元に笑みを湛えている。

「いかにも! 君は正しい」

 彼は案外機嫌が良さそうだ。

「せっかくだ、歓迎会といこう。何が良いかね? えぇと……」

 椅子から立ち上がったアスターは、黒い布を脱ぎながら、テーブル近くの四角い棚へと向かう。そして振り返る。

「酒は嗜まれるのかね?」
「飲まないわ。というより、まだ飲める年ではないの」
「それは残念だ」
「ごめんなさいね」
「いやいや。何も気にすることはない」

 では、とアスターは続ける。

「これはどうかな?」

 彼が棚から取り出したのは、透明のビニール袋に入った、綿のような塊。触ると柔らかそうだが……食べ物なのだろうか。

「それは?」
「まさか、知らないのかね? 綿菓子という食べ物なのだが」

 その時、ベルンハルトの発言を思い出した。

 この前取り逃がした狙撃手に関する情報の中にも、確か、綿菓子が何とかというものがあったような……。

「分かったわ、綿菓子! そういえば、そんな見た目だったわね!」

 うっかり明るい声を出してしまった。

 これではまるで、ここにいることを楽しんでいるかのようではないか。相手のペースに乗せられないよう、気をつけなくては。

 あくまで敵地であるということを、忘れてはならない。

「差し上げよう」

 アスターは、綿菓子の入った透明のビニール袋を渡そうとしてくれる。

「……結構よ」

 だが私は、そっぽを向いた。

 日頃ならこんな態度をとることはしなかっただろう。せっかく渡そうとしてくれているのを拒むなど、申し訳ないから。

 しかし、今は別だ。

「な。ほ、本当に要らないのかね?」
「えぇ」
「そうか。お気に召すものがなくて、すまないね」
「……いえ」

 この狭い空間に、親しくもない男性と二人というのは、精神的に疲労を感じざるを得ない。が、このくらいで弱っていては王女なんて務まらない。だから私は、己を励まし、気をしっかり持つように心掛けるようにした。

 一方アスターはというと、私が受け取らなかった綿菓子の入ったビニール袋を開けつつ、元の椅子へと戻っている。

「アスターさん、あの……」

 私は勇気を出して、改めて話しかけてみることにした。

「少し……聞かせてもらっても構わない?」
「ん? 何かね」

 彼は綿菓子をつまみながら、私へと視線を向けてくる。その表情から悪さを感じ取ることはできない。やはり、彼が悪人だとは思えなかった。

「私を誘拐するよう、貴方に頼んだ者がいるの?」
「……鋭いね、君は」

 いや、べつに鋭くはないと思う。

 振る舞いを見ていれば、彼が根っからの悪人でないことは分かる。実際、ここへ来るまでも、もちろん今も、彼はあまり乱暴な手段を使おうとはしなかった。真に悪人であるならば、私を丁寧に扱ったりはしないはずだ。

「やっぱり。それは誰なの?」
「残念ながら、それをお教えすることはできない。依頼主との契約違反になるからね。それに……私はあまり口の軽い男ではなくてね」
「……真面目なのね」
「いいや、そうではない。普通なのだよ、これが」

 綿菓子を口に含みつつ述べるアスター。彼の表情には、暗い影がまとわりついているように見えた。本当はこんな仕事をすることを望んでいないのかもしれない。見た者をそんな風に考えさせるような、複雑な顔つきをしている。

「私のような仕事は、口が固くなければやっていけないのでね」
「そう……大変ね」

 ——大変?

 言った後で、私は不思議に思った。
 目の前の男性に対し、憐憫の情を抱いてしまっている私がいる。そのことに戸惑ってしまったのだ。

 そんな風に、一人戸惑いの波に飲まれかけている私へ、アスターは声をかけてくる。

「……それにしても、調子が狂うのだが」

 彼はまだ綿菓子を食べている。だが、先ほどまでは存在した暗い影は、その顔から消えていた。

「どうして?」
「普通は、もっと逃げようとしたり暴れたりするものなのだが、君は大人しい。しかも、一日も経っていないにもかかわらず、ここに馴染んでいる」

 馴染んでなんかないわよ。
 そう言ってやりたい衝動を抑えつつ、アスターの顔へ視線を注ぐ。

 するとアスターは、目を数回ぱちぱちさせた後、困ったような顔つきになる。

「……な、何かね?」

 どこかあどけなさの残る、困惑したような顔。微かに恥じらいを感じさせるそれは、少年みたいな雰囲気を醸し出している。
 可愛らしいことは可愛らしいのだが、初老の男性には少しばかり似合わない……かもしれない。

「アスターさん、もし良かったらなのだけど」

 やはり、彼を完全な悪人と思うことはできない。そこで、思いきって説得してみることにしたのだ。

「私の依頼も……受けてくれない?」

 馬鹿だと笑われるかもしれないけれど。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.32 )
日時: 2018/11/10 17:25
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: ShMn62up)

31話 地下室にて

 依頼を受けて私を誘拐したのなら、それは彼自身の意思によるものではないということ。それならば、説得して私の味方になってもらうことも夢ではないはずだ。そう考えて、私は口を開く。

「依頼するには、何が必要なの? お金なら、家に帰ればいくらでもあるわ。私の貯金だけでも、それなりの金額は出せると思うし……」

 今は一応、敵同士という感じではある。だが、これといった何かがあって対立しているわけではない。
 だから、きっと——そう思っていたのだけれど。

「いや、君に雇われることはできない」

 きっぱりと断られてしまった。

「……なぜ?」
「私みたいなのは、気安く雇わない方がいいのだよ」
「そ、そうなの?」
「王女が人殺しを雇っていたなど、大問題になると思うがね」

 アスターはきっぱりと言い放つ。ただ、嫌そうな顔をしてはいない。

 ……大丈夫、まだいける。

「貴方、本当は今の仕事に納得していないのでしょう? 私のところへ来てくれれば、もう無意味な殺しなんてしなくて済むわ」

 私がそこまで言った瞬間。
 アスターは突如立ち上がり、金属のような冷たい視線を向けてきた。

「無駄だよ」

 つい先ほどまでのアスターは、穏やかな紳士といった雰囲気だった。しかし今の彼の瞳には、穏やかさなんてものはない。

「たとえ何と言われようとも、私が仕事を放棄することはない」
「仕事?」
「そう……王女を連れ去り、助けに来た従者を殺害するという仕事だよ」

 アスターの唇から放たれた言葉に、私は思わず声を荒らげてしまう。

「それは止めて!」

 私が傷つくだけならまだ諦められる。が、ベルンハルトやリンディアまでもが巻き込まれたら、ということは考えたくない。

「従者を殺すのは止めて!」
「おっと、どうしたのかね? いきなり取り乱すなど、君らしくない」
「約束してちょうだい! 従者は殺さないと!」

 こんなことを言っても無駄かもしれない。遺される者の痛みなど、彼はきっと分かってくれないだろう。いくら訴えようと、何の意味も為さず終わる可能性が高い。

 だがそれでも、言葉を口から出さずにいることはできなかった。

「まずは落ち着きたまえ」
「落ち着いていられるものですか! こんな状況で!」
「いやいや。先ほどまでは落ち着いていたではないか」

 確かにそうだ。
 けれども、従者に手を出すつもりだと知ってしまった以上は、黙ってなどいられない。

 ——だが結局、私の訴えが聞き入れられることはなかった。

 聞き入れられるどころか、逆に、手首を掴まれてしまう。アスターの握力は、予想を遥かに超える強さだ。年老いても男、といったところか。

「黙っていただけるかね?」

 氷のように冷たく、刃のように鋭い——そんな瞳で凝視されると、得体の知れない悪寒に見舞われて、言葉を失ってしまう。

「物分かりが良くて助かるよ」

 いやいや、物分かりなんて関係ないわ。

 そう言いたい気分だ。

 こうもあからさまに圧をかけられては、誰だって黙る外ないだろう。物分かりが良いか悪いかなんてことは、ほとんど関係ないはずだ。こんなにも冷ややかな視線を向けられ、それでもなお大人しくならない人間がいるとすれば、よほど勇敢な者に違いない。

「では、もうしばらくはここで辛抱していてくれたまえ」

 私は、地下室の突き当たりの壁にぴったりと合わせて置かれたベッドに、半ば強制的に座らされた。簡単に木材を組み、タオルを敷いただけのようなベッドなので、座り心地もあまり良くない。

「そこは日頃私のベッドだが、今日は特別に、君に貸して差し上げよう」
「……貴方のベッドなの」
「なに、心配することはない。敷いてあるタオルは、毎日きちんと洗っているからね」

 そんな風に話すアスターは、元の穏やかな雰囲気に戻っていた。

「何なら嗅いでみても構わないのだが」
「嫌よ!」

 思わず叫んでしまった。

「おぉ、そんなに鋭く拒否されるとは」
「……いきなり叫んだことは謝るわ。けれど、私にはそんな趣味はないの」
「それはそうだろうね」

 分かっているなら、言わないでほしかった。

「では失礼するとしよう。もうすぐ朝が来るが——しばらく休んでいるといい」

 アスターはそう述べると、まとっていた黒い布を脱ぎ、テーブルの上に置く。そして、紫のスーツ姿になり、地下室から出ていった。

 ……アスター、綿菓子、紫のスーツ。

 すべてが上手くはまっていく。まるで、パズルのピースが綺麗にはまっていくかのように。
 やはり彼が、アスター・ヴァレンタインが、あのホールで私の命を狙った男性なのだろうか。


 アスターが地下室から出ていった後、私はその場に留まったまま、ぼんやりと辺りを見回していた。理由などない。ただ、今はあまり動く気にはなれなかったのである。

 それにしても——ここは物騒な部屋だ。

 壁には銃が立て掛けられているし、テーブルの上には何やら怪しげな部品のようなものが散らかっている。そちら方面に関する知識が乏しい私でも、物騒さを感じるほどである。

「……ベルンハルト」

 ごろりとベッドに転がると、半ば無意識で、彼の名を漏らした。頭の中に、ふと、彼の顔が蘇ったから。

 助けてほしい。助けに来てほしい。
 そう思いはするけれど、私はすぐに首を横に振った。

 もし戦いになれば、アスターはベルンハルトを潰しにかかるだろう。仕事だから——その言葉が存在する限り、アスターは手加減などしてくれないはずだ。アスターとベルンハルトがぶつかった時、どちらが勝利を掴むのかなんて、実際にやってみないと分からない。

「はぁ」

 仰向けに寝たまま溜め息を漏らした、その時。視界の端に、不意に、何か四角いものが入った。

「あれ?」

 私は上体を起こし、四角いものを手に取る。よく見ると、厚みのある本のような形をしていた。

「これって……」

 紫色のハードカバーを開く。中は白いノートになっており、黒い文字がずらりと並んでいた。印刷ではなく、手書きの文字が。恐らく、日記帳か何かなのだろう。

 私は最初のページから、軽く目を通すことに決めた。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.33 )
日時: 2018/11/12 09:30
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: q9W3Aa/j)

32話 日記帳と繋がり

 そこに綴られていたのは、物語。

 若くして狙撃手としての才能に目覚め、いくつもの大きな成功を経て高名を手にした、一人の男性。そんな彼が、その栄光の裏側で、いかに考え悩んできたのか。恐らく誰も知らないであろう苦悩が、そこには鮮明に書かれていた。

 そして、一人の少女との出会いについても記されている。

 知人の娘である、赤い髪をした気の強い少女が、弟子入りすべくやって来たこと。彼女に色々教えつつも楽しく過ごしたこと。

 その少女の名が——リンディアだった。

「……やっぱり」

 リンディアが以前言っていた師匠というのは、アスター・ヴァレンタイン、彼のことだったのだろう。

 だが、それにより、ますますよく分からなくなってしまった。

 なぜアスターは、私の従者と戦うことになるような仕事を受けたのだろう。かつての弟子がいるというのに。

 リンディアが私の従者になったことを知らなかったのだろうか?
 それならば、彼が仕事を受けたのも分からないではない。なんせ、リンディアが私の従者となったのは、数日前のことだから。

 しかし、それならば、気づいた時点で身を引こうとすると思うのだが。

 ……いや、どこか抜けたところのある彼のことだ。引こうと思ってはいるもののそのタイミングを逃した、ということもありえなくもないか。


 私はそれからも、日記帳を読み続けた。

 正直に言うならば、私はあまり、読書というものが得意な方ではない。本は必要であれば読みはするが、自ら進んで読んだ本というのは、あっても数冊しかないと思う。

 そんな私ではあるが、この日記帳はどんどん読み進めることができた。

 文章が滑らかで、心情が伝わってくる。飾り気のない言葉ばかりなのに、意識しないうちに引き込まれてしまう。それはもはや、日記などというレベルではない。一つの小説のよう、と言っても言い過ぎではないレベルだ。

 人殺しなんて止めて、物書きにでもなればいいのに。
 そんな風に思いながら、読み終えた日記帳を閉じ、元々置いてあった場所へと戻した。


 ーーふと、目を覚ます。

「少しは眠れたかね?」

 気がつくと、室内にはアスターがいた。

 彼はベッド横の椅子に座っている。にもかかわらず、今まで気づかなかった。
 どうやら、あの日記帳を読み終えてから寝てしまっていたらしい。

「え、えぇ……少しだけ」

 日記帳を読んでいてあまり寝ていない、なんてことは言えないので、曖昧な返事にしておいた。
 真実は述べられないが、これといった良い嘘も思いつかなかったからである。

 アスターは先と変わらず、紫色のスーツを着ていた。だが、白髪が以前よりもさらりとしているような気がする。恐らく、風呂に入りでもしたのだろう。

「少しでも眠れたのなら、良しとしよう。おかげで、私も風呂に入ることができた」

 やはり、入浴を済ませてきたみたいだ。

「今は……お昼?」
「そうだよ。真っ昼間、というべきかな」

 太陽光の入ってこない薄暗い地下室にいると、どうしても、時間が把握できなくなってきてしまう。ヒントが何一つない、というのは、なかなか厳しいものがある。

「さて」

 アスターはゆっくりと腰を上げ、壁にかけられた銃器を手に取る。

「そろそろ時間かな」

 彼の瞳が冷ややかな輝きを放つのを見て、私は思わず後ずさる。

「……射殺でもするつもり?」

 腕が、唇が、震えた。
 その黒い銃口がこの身に向けられるところを想像してしまったから。

 だが、彼は首を横に振った。

「まさか。安心したまえ、君を射殺する気などないよ」

 私は内心、胸を撫で下ろす。
 しかし、呑気に「良かったぁ」などと思っている暇はない。まだ何も解決してはいないのだから。

「餌とはなってもらうが、ね」
「……従者を仕留めるための?」
「その通り! 君は察しがいいね!」

 アスターは一瞬笑みを浮かべ、らしからぬ明るい声を出す。

「その従者が……リンディアであっても?」

 私は恐る恐る言った。
 すると、アスターの表情が固まる。

「リン、ディア?」
「えぇ。彼女は貴方の弟子よね」
「……なぜ君がそのようなことを?」

 アスターは目を細め、訝しむような顔をしながら、首を傾げた。彼の頭の中には、いくつもの疑問符が浮かんでいることだろう。

「リンディアは今、私の従者なの。だから、彼女から聞いていた話と貴方の言動から推測したのよ。従者を殺害するということは、貴方が彼女を傷つけなくてはならないかもしれないということ。それでも止めるつもりはないの?」

 既に初老とはいえ、アスターは一般人でないのだ。この程度で彼の心が揺れるとは考えづらい。

「躊躇うのだろうね、普通の人間なら」

 その声は低い。真夜中の湖畔のような、不気味なほどの静けさを含んだ声だった。

「仕事ゆえ、仕方ないのだよ。……それに、私はもう躊躇うことを忘れてしまった」

 黒くいかにも重そうな銃器を抱えながら、アスターは呟くようにそう述べた。ところどころしわの刻まれた顔面には、寂しげな色が、水彩画のように滲んでいる。


 ——その時。


 突如、爆発音が響いた。

 鼓膜を破りそうなほどの大きな音が、地下室の淀んだ空気を大きく震わせる。

 助けかもしれない!
 そう思った瞬間、胸の奥から希望という名の光が溢れ出てきた。

 一旦溢れ始めた光は止まることを知らない。涙が止まらなくなるのと同じように、希望も、一度溢れ出すと止まらないものなのだろうか。

「お出ましかな」

 アスターは銃器を持ったまま、地下室の外へと歩みを進める。
 その背は、年齢ゆえか、哀愁を漂わせていた。


 地下室からアスターが出ていった後、私は、扉の隙間から外の様子を覗く。

 扉の隙間と言っても、顔一つが通るかどうかさえ分からないほどの細い隙間だ。外の光景がちゃんと見える保証はない。が、ひと房の赤い髪が視界を駆け抜けた。

 赤い髪ということは、来てくれたのはリンディアだろうか。

「まーさか、こんなことになるとはねー。馬鹿な師を持つあたしの身にもなってほしーわ」
「会うのはいつ以来だったかね? 久々に会えて嬉しく思うよ」
「こんな形で再会なんてしたくなったわー」
「そうかね。やはり厳しいな、君は。昔の可愛らしさはどこへ消え去ったのやら」

 明るさ不足のせいで、顔まではっきりとは見えない。
 ただ、声でリンディアだと判断できた。

「うっさいわねー。ちょーしに乗ってんじゃないわよ、ジジイ。その口、撃ち潰してやりましょーか」

 この乱暴さのある口調。間違いない、リンディアだ。

「撃ち潰す? いやはや、これまた奇妙な動詞を作ったものだね」

 リンディアは「とにかく」と言い、少し空けて、急に声を荒らげる。

「王女様ーーイーダ王女は、返してもらうわよ!!」

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.34 )
日時: 2018/11/12 09:31
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: q9W3Aa/j)

33話 銃弾の嵐の中

 リンディアの叫びとほぼ同時に放たれたのは、緑色の細い光。

 何がどうなった放たれた光なのか、私は暫し分からなかった。だが、アスターがトリガーを引いているようには見えない。となると、リンディアが放ったものなのだろう。

 もしかしたら、彼女が光線銃を使ったのかもしれない。
 いつも彼女が持っているある赤い拳銃が、光線を放つことのできるものだったという可能性が有力だろうか。

「まったく、いきなり他人に向かって撃つとは。危険だとは思わないのかね」

 アスターは先ほどより数歩下がった位置に立ち、顔をしかめている。

「さすがのあたしも、ふつーは撃たないわよー」
「普通は撃たないのに、師匠に向かっては撃つのかね」
「今は敵だもの。撃つのはとーぜんじゃない」

 隙間が狭く、よく見えない。
 ここから見て分かるのは、リンディアとアスターが武器を手に対峙していることだけだ。

「年寄りを敬う心くらいは忘れないでほしいのだがね!」

 直後、アスターがトリガーを引いた。

 ダダダ! と轟音が響く。
 頭蓋骨まで粉砕されてしまいそうな音に、私は思わず耳を塞いだ。凄まじい銃声には、まだ慣れない。

 リンディアは低い姿勢で銃弾を避け、鋭く発する。

「ベルンハルト!」

 彼もいるのだろうか。
 もしここへ来てくれているのだとしたら、会いたい。

 そんなことを考えていると、こちらへ向かって駆けてくるベルンハルトの姿が見えた。扉へと一直線に向かってきている。

「そう容易く連れ帰られるとは思わないでくれたまえ! ……なんて言ったらかっこいいかもしれないね」

 ベルンハルトが駆け出したことに気づいたアスターは、すぐに狙いをベルンハルトへ移す。
 目標こそ変わったが、行うこと自体は変わらない。アスターはそのまま連射を続ける。

 扉を貫通した弾丸が当たるかもしれない——そう思った私は、ほんの少し横へと移動。その数秒後、いくつかの弾丸が、扉に穴を空けた。

 銃弾が飛び交う、狭い地下室。
 もはや、私が様子を確認できるような状況ではない。

「……っ」

 私にはもう、耳を塞ぎ、部屋の隅で小さくなっていることしかできなかった。銃弾の餌食にならないためには、それしかなかったのである。

 ーー少しして、そんな私の耳に、落ち着きのある声が聞こえてくる。

「無事か、イーダ王女」

 戸惑いつつ顔を上げると、ベルンハルトの姿が見えた。白いカッターシャツに黒のズボンという質素な服装だが、この状況下においては、王子様か騎士のように感じられる。

「ベルンハルト……!」
「怪我は」
「ないわ。大丈夫よ」

 傍にしゃがみ込んでくれたベルンハルトに、私は思わず抱き着いた。

 王女が異性の従者に抱き着くなど、問題かもしれない。それに、まだ解決したわけではないので、油断している暇はない。

 しかし、彼に会えたことが嬉しくて、つい心のままに行動してしまったのだ。

「いきなりどうしたんだ」
「また会えて……良かった……!」

 アスターは私を殺す気ではないようだった。だが、解放してくれない可能性が高かったことは事実。一歩誤れば、私は一生この地下室で暮らさねばならないかもしれなかったのだ。

「僕はべつに、そのような言葉を求めてはいない」

 ベルンハルトは冷めていた。ただ、今は、そんな冷めた様子すらも愛おしい。

「ありがとう。来てくれて」
「礼は要らない。来たくて来たわけではないから」

 ……やはり冷たい。

 せっかく感動の再会を果たしたというのに、このテンション。さすがに低すぎないか、と思ってしまう。

「ひとまず出よう」
「えぇ。けど……あの銃弾の嵐の中を行くの?」

 ベルンハルト一人なら問題ないのだろう。
 しかし私は素人だ。銃弾を避け続ける自信など、欠片もない。

「それしか方法がない」
「……それは少し、怖いわ」
「外にはリンディアがいる。あの女なら上手くやるはずだ」

 アスターは多分、相手がリンディアであっても躊躇わずに撃つだろう。彼は切り替えのできる人間だから。
 けれど、リンディアがアスターを一切躊躇いなく撃てるのかは、分からない。

 もしそれができないのだとしたら、リンディアとアスターの戦いは、リンディアが圧倒的に不利だろう。

「リンディアに無理はさせられないわ」
「何を言っている? 貴女が助かるのが第一ではないのか」
「助からないより助かる方が良いことは確かよ。けれど、リンディアを危険に曝してまで……」

 私が言い終わるより早く、ベルンハルトは私の腕を掴んだ。そして、私の体を一気に引き寄せる。

 突然のことに、私は思わず放ってしまう。

「ちょ、ちょっと? ベルンハルト?」

 しかし彼は、私の言葉には答えない。そのまま私の体を抱え上げた。

 最近、こうして抱き上げられることが妙に多い気がする……。

「もう何も言わなくていい。このまま外まで連れていく」
「悪いわ、そんなの。重たいでしょう? 自分で歩——」
「いや、べつに重たくはない」

 ベルンハルトは淡々とした調子で述べると、私の体を持ち上げたまま、外へと歩みを進めていく。
 その様を目にしたアスターは、銃口をこちらへと向け——かけたが、リンディアに飛びかかられてそのまま床に倒れ込んだ。

「させないわよ!」
「まったく……少しは労ってほしいものなのだがね……」
「銃口を向けておいて、よくそんなことが言えるわねー!」

 若くないとはいえ、アスターも男性だ。それを飛びかかって押し倒すリンディアの勢いといったら、凄まじいものがある。

「ベルンハルト! 先に行ってちょーだい!」

 リンディアは、アスターを床に押さえつけたまま、顔だけをこちらへ向けて叫んだ。その言葉に対し、ベルンハルトはこくりと頷く。

「リンディア! 怪我しちゃ駄目よ!」

 私はベルンハルトに抱き抱えられたまま、リンディアに向かって述べる。

 すると彼女は、ほんの数秒だけ私へ目を向けてくれた。口角が持ち上がっていたことから察するに、「分かっている」と言いたかったのだろう。

 こうして私は、リンディアとベルンハルトの活躍により、無事地下室から脱出することができたのだった。

Re: イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜 ( No.35 )
日時: 2018/11/13 10:14
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: SsbgW4eU)

34話 浮遊自動車オルマリン号

 救出された後、私は、外まで迎えに来てくれていた浮遊自動車——通称オルマリン号にベルンハルトと乗った。

 数年前、世に初めて浮遊自動車というものが現れた時、父親がすぐに購入したのが、このオルマリン号である。

 数十センチほど浮いて走行するため、従来の自動車より震動がかなり少ない。そんな謳い文句で登場した浮遊自動車だったが、乗り心地がいまいちとの意見が多く、人気を博すことはなかった。

 その結果、浮遊自動車は世から消えてしまうこととなる。
 恐らく、いまだにこれを使っているのは、星王家の人間くらいしかいないだろう。

 それにしても、このオルマリン号。実に何とも言えない乗り心地である。

「相変わらず狭いわね……ねぇ、ベルンハルト」

 隣に座っているベルンハルトへ視線を向ける。
 彼は何やら本を読んでいた。

「本?」

 すると、ベルンハルトは本を閉じ、こちらへ目を向けてくる。

「何か言ったか」
「本を読んでいるの?」
「そうだ」

 正直、意外だ。
 ベルンハルトは本なんて読まないものと思っていた。

「何の本?」
「あ、いや。たいしたものではない」
「小説か何か? 見せて!」
「な、止め——」

 ベルンハルトが持っている本を見ようと、彼の方へ身を乗り出す。が、勢いがつきすぎたせいで、ベルンハルトの太もも辺りに倒れ込んでしまった。

 浮遊自動車が大きく左右に揺れる。

「何事ですか!?」

 運転手の男性は驚きに満ちた顔で振り返り、後部座席を確認してきた。そして、狭い座席内でとんでもない体勢になっている私たちを目にし、ますます驚いた表情になる。

「……一体、何を?」

 振り返った彼は、ベルンハルトへ訝しむような視線を注ぐ。

「従者とはいえ……王女様に手を出したりしたら、とんでもないことになりますよ」
「僕は何もしていないが?」

 疑うような目を向けられても、ベルンハルトは冷静だった。この状況でも落ち着いた口調であれるその度胸は、見上げたものだ。

「……本当ですか?」
「僕は本を読んでいた。そこにイーダ王女が突っ込んできた。それだけだ」
「……事実で?」
「そ、そうなの! 私がうっかりしてしまっただけよ!」

 怪訝な顔をする運転手に向け、私は慌てて言った。このままではベルンハルトが悪者になってしまいかねない、と感じたからである。

「それなら仕方ありませんよね」
「揺らしてしまって、ごめんなさい」
「そこの従者に原因があったなら、上へ申し上げるところでしたよ」

 私が迂闊な行動をとったせいで、ベルンハルトらに迷惑がかかることもあるのだと、改めて気づいた。

 これからは気をつけなくては。

「そういえばベルンハルト」
「何だ」
「リンディアは大丈夫かしら」

 元の体勢に戻ってから、私は彼に話を振ってみた。

「怪我とかしていないと良いのだけれど……」

 するとベルンハルトは、眉を寄せつつ返してくる。

「あの女なら、そう易々と負けはしないと思うが」

 仲は良くなくとも信頼してはいる、ということなのだろうか。

 何にせよ、ベルンハルトに「易々と負けはしない」と言わせるリンディアは凄いと思う。彼が認めざるを得ないくらい有能だということだから。

「それにリンディアは、貴女を誘拐した男と知り合いだ。向こうも本気で手は出せないだろう。そこを考慮すれば、リンディアが不利ということはないはず」

 できればそうであってほしい。
 アスターは躊躇いなどないと言っていたけれど、その言葉が偽りであってほしいと、今は心から思う。

「そう……そうよね」
「まだ納得できないのか?」
「いえ、そんなことはないわ。ベルンハルト、貴方は正しい」

 可愛い弟子を手にかけることのできる人間など、存在しない。

 きっと……そのはずなの。


「ご無事で何よりです、王女様」

 帰還した私を迎えてくれたのはシュヴァルだった。

 あんなことがあった後だというのに、彼はいつもと変わらない微笑みを浮かべている。私の身をさほど心配していなかったことが、まるばれだ。

 星王の側近である彼からすれば、その娘である私のことなど、正直どうでもいいのかもしれない。

「お迎えありがとう、シュヴァル」
「星王様がお待ちです」

 シュヴァルは私の従者ではない。だから、こんな風にあっさりとした対応なのも、当然といえば当然なのだろう。ただ、やはり少し寂しい気もする。


 それから私は、シュヴァルについていった。

 すぐ後ろにはベルンハルトが控えてくれている。そのため、安心感はかなりある。
 もちろん、ベルンハルトが裏切らない保証なんてものはない。だが、これまで何度か私を救ってくれた彼のことは、純粋に信じられる。

「それにしても、王女様を誘拐するような不届き者がいるとは、驚きました」

 父親のところまで案内してくれている途中、シュヴァルが唐突に口を開いた。

「私も驚いたわ。扉の外には見張りがいたはずなのに、気づかれず部屋へ入ってくるなんて……予想外よ」
「仰る通りです。このシュヴァルも、話を伺い驚きました」

 私とシュヴァルが、ある程度の距離を保ちつつ言葉を交わしていると、後ろにいたベルンハルトが口を挟んでくる。

「ここは警備がいい加減すぎる」

 ばっさりと言ったベルンハルトを、シュヴァルはさりげなく睨みつける。ナイフの先みたいに鋭い、ゾッとするような目つきで。

「ベルンハルト。無駄口を叩くのはお止めなさい」

 しかし、当のベルンハルトは表情を崩さない。
 睨まれたわけでもない私すら、気味の悪い悪寒に見舞われたというのに。

「僕は事実を言ったまでだ」
「今ここで言うべきことではないでしょう」
「なるほど。言われては困ることだった、ということか」
「そうではありません。ただ、不安を煽るような発言を慎んでいただきたい、というだけのことです」

 シュヴァルとベルンハルトの間に漂う空気は、とにかく冷たい。話に参加していない、近くにいるだけの私ですら身震いするほどの、冷たすぎる空気である。


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