As Story

作者/ 書き述べる ◆KJOLUYwg82



4話―(3)



 斜め上方45度に掲げられた腕の先には、最早男に抗えるほどの力も意識もない115kgの巨漢が干物のようにぶら下がっていた。それでも、光曳の視覚は、男の頭越しに植栽の方へかけていく複数の影を映していた。視界に靄がかかって、動物なのかボールのような物なのかさえ判別がつかない。あいつら、脂ののった死肉でも喰らう機会を窺いに来たか?なんか香ばしい匂いまでしてきたぜ。これは人が死ぬ時に発する臭いなのか?、他人事のように胸の中でぼんやりとつぶやいた。
「悪ぃな、眼鏡。アンタがここに何しに来たかざっと検討はついてんだよ」

 覆面は右腕が握り締めている首の頸動脈の拍動が、完全に消え失せつつあるのを見計らって喋りはじめた。
「こんな時間にここに来るなんて、理由は一つしかねぇよな?お前は見たんだろ?あの光を。それで何か痕跡がないか気になって来ちまったんだよなぁ?
 俺たち運び屋は日の目を見ねえ稼業だ。お客に堅気のやつなんかいやしねえ。だからいつも蝙蝠みてえに暗くなってから動き出すのよ。だが、あんたはたまたま俺たちを見かけちまった。運が悪ぃ奴だホントによぉ。だから大人しくしてりゃ記憶を消すだけで済ませてやろうと思ったのによ。こうなるまでになっちまったのはお前自身のせいだぜぇ」
白々しい憐憫の情を眼鏡男に向けながら、卑猥な笑い声を立てた。

「AB(アビー)!た、助けてくれえ!」覆面がひとしきりしゃべった後の充実感に満ちた静寂を、芯のない頼りなさげな声が無遠慮に打ち破った。
 アビーと呼ばれた覆面男は、勝利に酔いしれるひと時を台無しにされ、怒りの形相をむき出しにして声のする方向を睨みつけた。
「るせえ!」頭上で伸びている男をはたき落とし、ジャケットの裏に隠れているホルスターに手をかけた。
「CD(コード)!いつも仕事の邪魔ばかりしやがって!今日こそその腐ったバナナみてえな頭ふっとっばしてやる」
 空(くう)を切る音と共に構えた手の先にはS&W M500が構えられていた。拳銃としては世界最大の銃だが、この男が手にすると一般人がP220やM9といった標準サイズの拳銃を構えているのと同じように見えてしまう。
「ま、待ってくれ、アビー撃たないで!う、撃つな!」 『CD』というコールサインが与えられている頼りなさそうな出で立ちの若い男が唾を散らしながら裏返った声を発し、咄嗟に前方に両足を突出し疾走を止めようとしたが、慣性に抗いきれず前方につんのめってアビーの強靭な体躯に激突した。鈍い頭痛に朦朧としながら目線のみ上にやり、恐る恐る相棒を窺う。隆々とした筋肉を纏った体躯と憤怒の形相――目しか見えないが――で愚者を見下ろす様は、勇猛と威嚇の相を見せる仁王尊のようである。悪いことは重なるものである。コードが逃げきた辺りにあるイヌツゲの植栽から4,5匹の野良犬、野良猫が湧いて出てきた。

 アビーが光曳をしばいている間、コードはあの茂みに声を潜めて事が終わるのを待っていた。厄介事は全てアビーに任せていればいいはずであった。だが突然、茂みの向こうから黒猫が現れたのである。
コードは極度の動物嫌いで――アレルギー反応はないが――、犬猫の類がどんなに周囲の人間に楽しそうにじゃれていても、自分には牙をむいて襲い掛かってくる気がするのだ。
 眼前に現れた黒猫は果たせるかな、慈悲を求めるふりをするために鳴きはじめた。騒々しい人間の生活が止まり声も体もデカい相棒以外は静寂の中に沈むこの空間では、猫の鳴き声が拷問のように鼓膜を叩き続けた。咄嗟に装備に補給食のタブレットがあるのを思い出し、それで黙らせられると考えた。思惑通り猫はタブレットを貪るようにかじり始めた。こいつは見た目は貧相だが味は超のつくほど一級品なのである。だが、再三にわたり事態は悪化した。タブレットが超のつくほど美味ゆえ、その匂いを嗅ぎつけた野良どもが寄ってきてしまったのだ。己の四面楚歌を悟ったコードは、相棒の足手まといになってしまうのがわかっていながら、見す見す姿を晒す事態になっていたのである。

――だけど、いくらなんでも銃を……――

 後ろからは追手が迫り、向かいからはパートナーに銃を向けられるという、予想だにしない挟み撃ちに、混乱と狼狽を極めていた。

「さ、さっきのは、な……」コードが顎をがちがち鳴らしながら声を発したが、あっさりアビーに遮られた。
「ダマれ!役立たずめが。なんでお前はいつも俺様の足を引っ張りやがる!不満があるなら拳固で来い!!」 殴り合いになる前にやるべきプロセスが幾つも飛ばされているが、大局的には的外れではなかった。すくみ上がるコードに覆面がたたみ掛ける。
 「だいたい何だそれは!」「ひぃぃ」 人差し指の代わりにM500で顔を指されたコードが反射的に身を反らし、息を飲んだ。コードの顔は死に直面した恐怖で一層蒼白になり、瞼の際いっぱいに涙をためている。だが、コードは覆面の叱責の趣旨がつかめなかった。
 この2分少々の間に、コードの脳みそにあまりに多くの事象が雪崩れこんできて錯乱していることも原因の一つではあるが、主たるものでは無かった。
 眉間に皺を寄せ怪訝な表情を返してきたコードに、覆面の男は怒りを通り越し、俄かに顔が青ざめてきた。

「なぁ、おい。」

 人が変わったように物静かに子供に言い聞かせるように話しかける。アビーの豹変ぶりに意表を突かれたコードが目を丸くした。