As Story
作者/ 書き述べる ◆KJOLUYwg82

8(1)話―3
水希と入れ替わるように今度は右隣に腰かけているウィルが思索に耽り始めた。
「なぁんか、今日はお二人ともどうしちゃったの?」ウィルとテーブルを挟んで向かい側に座った恵玲が自分専用の飛び切り濃いブラックのキリマンジャロを手元に置いた。目と鼻の先の銀髪の少年は恵玲のちょっかいに全く気付いていないようであった。
任務に携わっていないときに、水希の前であまり深刻な表情をしてもらいたくない気持ちからつい、熟考する隊長に水を差してやりたくなったのだが、それを言い終えるまでに恵玲の心の内奥に何か表現のしようのない不吉な感覚が姿を現し始めていた。もう一度ウィルにいつもの調子で冷やかしの言葉を浴びせかけようとしたが、さっきのわけのわからない感覚のせいで言葉が出てこない。それがさらに恵玲の不安に拍車をかけ、彼女の真紅の心臓が叩きつけられるような動悸を起こした。
――ウィル!
恵玲の心の叫びが通じたかのように、目の前の少年が突然立ち上がり、テーブルとおそろいの椅子が耳障りな音を立てて後ろに滑った。思わず恵玲が安堵の息を深く吐いたが、ウィルの発した言葉で彼女にもたらされた心の平穏はことごとく叩き潰されてしまった。
「影春様に会いに行く」
ECの影の部分をあまりよく知らない水希もさすがにこれには驚いて、思わず目線を右隣へ向けた。ちゃっかりココアはまだ飲み続けていた。恵玲は未だに言葉を振り絞ることさえ叶わず、みじろぎひとつせずウィルを見つめるばかりであった。
「やっぱり気になる。もう一度影春様に今回のミッションについて聞いてみるよ」口元こそウィルの十八番の人懐っこい笑みを浮かべていたが、瞳や彼の肉体から湧き出る気迫は周りを安心させるような様子を全く見せていない。ようやく精神の過度の亢進から解放されつつあった恵玲であったが、ウィルのより一層深さを増しているサファイアの瞳に、何も言うべきではないことを悟っていた。束の間沈黙が続いた。誰かが言葉を発するのを待っている、いや誰もが沈黙を破ろうとするのを牽制しているかのようであった。
家の塀の向こうからスクーターに乗った彼らと同じくらいの年ごろの学生が2ケツでじゃれる声が通り過ぎざまに、窓をすり抜けて3人の隊員の待ち受ける空間に飛び込んできた。音は受け止めてもらう相手を見つけられるまま壁に床に打ち付けられ、カゲロウよりも遥かに短い一生を終えると再び、沈黙が彼らの世界を支配した。
「そんなに怖気ついていたらできることもできなくなっちゃうよ。大丈夫!ちょっと影春様にお会いして、任務の内容について質問を幾つかしてくるだけだから」
息つく間もない程にダイニングいっぱいに充満した沈黙を破り、二人に右目でウィンクすると、その勢いのまま玄関へ向かった。
玄関を開け何気なく空を見上げると、雲一つない冬特有の突き抜けるように高い空が少年の視界いっぱいに広がっていた。玄関扉の油圧式ダンパーがシャーっとかすれる音を発するのを後ろに聞きながら双眸を静かに閉じると、直立不動の姿勢で思い切り息を吸い込んだ。凛とした冷気がウィルの隅々まで染み渡り、彼の肉体と精神に鋼の筋を打ち込んだ。
――影春様に会いに行くにはおあつらえ向きだな。
目を一気に見開き、冬の青空を瞳に再度映すと玄関の扉が音を立てて閉じられようとしていた。「ウィル!」
二つの黄色い声とともに、閉じかけたドアががむしゃらに開かれ、扉を境に分け隔てられていた冷え切った外気と屋内の暖気が風圧によって撹拌され、砂埃がわずかに舞い上がった。二人の目の視線の先には、今まで何千回と見てきた門扉とその先の通り、そしてお向かいの住居だけであった。
二人の吐く息が白い靄に変わり、それぞれの鼻先を軽くなでながら隊長が見上げた青く高い空に舞い上がっていった――。

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