As Story

作者/ 書き述べる ◆KJOLUYwg82



8(2)話―11



 月下の瞑想を終え、再び腰の傍に下ろされた篠原の左の握りこぶしには、3発の銃弾がレトロな5発装填のリボルバーに篭められるのを待ちきれず、凶悪に尖った頭を見せていた。拳銃に使用する弾丸の弾頭は、たいてい先端が平らで他の部分よりも非常にやわらかくなっているか、クレーターのようにへこんでいるかのどちらかである。前者をソフトポイント弾、後者をホローポイント弾と呼ぶが、いずれの場合もターゲットに命中した際に、貫通させずに体内に止まらせるための加工が施されたものである。目標を貫通しないということは、弾丸のもつ全ての運動エネルギーがターゲットの肉体に与えられることになり、人間を殺傷させるには有利である。だが、施設や器物を破壊する場合や、マホガニーの分厚い扉越しに館に侵入した不審者を射撃――あるいは射殺――する場合にはほとんど役に立たない代物であった。そのような用途には、先端が尖り、弾丸全体が硬質の銅で覆われたフルメタルジャケット弾と呼ばれるライフル向けの弾丸の方が向いているのである。
 生憎、護身用の小型拳銃しか持ち合わせていなかった篠原は言うまでもなく携帯していた弾丸も件のソフトポイント弾やホローポイント弾の類であるはずだった。だがその拳が握っている銃弾は鋭く尖っているのである。
 月下の長であり、自身も氷の能力をもつ彼は、その能力によってカートリッジと.357マグナム弾に似せた弾丸を超硬質の氷で創り出し、さらに硬度を高めた氷で弾丸をフルメタルジャケット風に覆ったのである。篠原はM60のリボルバーを素早く左に振り出すと、霜で純白の化粧をした3発の.357マグナム弾――後に彼曰く「.357BLSP (Blizzard Special ) MAG」――を手際よく装填し、蟻の足音ほどの音も立てずにリボルバーを収納した。氷の呪いのかかった銃弾を孕むM60は、喘ぐように口から白く冷たい息を漏らしていた。堅気の大学生ではないことが一目でわかるような傷とまめだらけの右手でM60のグリップを力強く握りなおし、グリップと右手のなじみ具合を確認したのち軽く首肯すると、左右の瞼を束の間伏せ、軽く押し開いた。微動だにせず10メートル先のターゲットを見据えるその瞳の奥に並々ならぬ覚悟を刻み込み、眼窩のあたりがキリキリと疼くようであった。
 相棒と意識がぴたりと同期しているのを感じ取った篠原は左の口角が我知らず上に吊り上がっていた。
 極限まで引き絞られていた二名の隊員の視覚と聴覚が戻ると再び空調の送風口が姿を現し、いつもの物憂いうめき声が聞こえてきた。篠原がこれで行動を共にするのが恐らく最後となるであろう護身用のM60をまじまじと見つめた。喋るはずのない金属の塊に大の男が2、3回何か語りかけるように口が動いていたが、向かいの壁面で姿勢を低くして待機している運命共同体を築いた女性でもその内容を聞き取ることは不可能であった。
 月下の司令官の厚みのある唇が沈黙の帳をおろすと、合図もなく二人が狩りを始めたチーターの如くしなやかに動き始めた。二人の歩幅、歩調、姿勢、目線、あらゆる要素がクローン人間のようにそろっていた。
 本任務のターゲットは組織のトップの執務室にはびこる闖入者。最初のポイントは約10メートル先の執務室の扉。その両脇の壁に張り付き、執務室内部の様子を窺う。
 両者の脳裏には一字一句違(たが)わず、ブリーフィングを行う自身の声が流れていた。その間にも園香の能力によって床上2ミリメートルに浮上している彼らは滑るように歩みをすすめ、12回足を前に突き出した時には予定通り赤褐色の扉を挟むように別れ、各々護身用の拳銃を両手で構えて片膝をついていた。
 想定外のミッションで二人ともコンクリートマイクを持ち合わせていなかったため、扉の向って左脇に控えている園香が壁に左耳を慎重に密着させた。新入りの基礎訓練以来の原始的な試みで、気持ちが若返った気がした。これでも彼女はまだ二十歳である。
 エンボス加工によって仄かなコントラストを見せるシダ植物の図柄が描かれた白い壁紙と屋内の空調のおかげで、園香の耳は穏やかな暖かさをもって屋敷の壁に迎え入れられた。壁の向こうにいる人間の人数を確認するだけであれば、玄関をくぐったときに篠原達を襲った圧倒的な殺気によって、二人と確信していた。そして、ここは彼(か)のEC。中世の魔女狩りさながらの拷問をおくびにも出さずにやってのける残忍極まりないマフィアの輩でさえ、その二文字を聞いただけで涙と糞を垂れ流して逃げ出してしまうような組織が、アジトをがら空きにするはずもない。
 ちょっと気配が強かったみたいだけど、片方はかわいそうな闖入者……。すっかりいつものミッションの状態に染まっている園香の顔一面に残酷な微笑が広がる。そしてもう一人はここの忠実な僕(しもべ)……。
 園香が徐(おもむろ)に視線を落とす。タイル張りの床は世界中のどのようなマゾヒストよりも数多く、そしてあらゆる形状の靴で踏みつけられてきたにもかかわらず、手入れが行き届いているためか数えられるほどの人数の足跡しか残されていない。だが、足跡よりも目立つおまけが彼女の視界の右斜め前の隅――玄関から執務室に伸びる廊下の壁が途切れているあたり――に放置されていた。

 これ、どこかで――。

 斥候の注意が目標以外に向けられたのに気付いた月下の隊長が、無言で部下をたしなめようとしたが、彼女の視線の鋭さについ、自身もその目線を追っていた。そして吸い込まれるように「おまけ」に接近していった。

 いつからあったんだ?これは――。

 園香が壁に張り付いたまま、素早く周囲に銃口と視線を向けて警戒する中、篠原が己の靴底の2ミリメートル下にあるタイル張りの床に、一層息を潜めて空いている左手を伸ばす。無彩色の地に擬態のように紛れていたために見失いそうになったが、篠原はそれを慎重に親指と人差し指でつまみ上げた。左手を左右の眼球に近づけるにつれ、餓狼の如き眼光を放っていた篠原の左右の瞼が満月よりも丸く見開かれていった。喉の奥に目いっぱい詰まった呼気を吐き出そうとした時、ポイントの扉のすぐ裏で何か重たいものが強かに床に叩きつけられる音がした。
 
 純銀と見紛う光沢を放つ1本の毛髪を胸ポケットに入れた篠原が弾けるように扉に駆け寄り、扉の向こうを見透かすように一瞥すると、白い息を吐くM60を両手で構え、銃口をほぼ真下に向けてドアノブのプレートに狙いを定めた。