As Story

作者/ 書き述べる ◆KJOLUYwg82



8(1)話―2



「どうして影春様は今回の作戦について殆ど話されないんだろう?」今から遡ること1週間、麗牙の根城――他の隊員が生活する何の変哲もない一戸建てである――のダイニングのテーブルで腕組みをし、物思いに耽りながらふと口をついて出た一言であった。
 「そんなに心配するなんて、ウィル君らしく……あ、らしいよね」苦笑を交えながら窓の外の澄んだ冬空のような明るい声が返ってきた。恵玲である。荒木恵玲、麗牙光陰の隊員であり、4名で構成される麗牙光陰のなかで主に「攻撃役」を担う2名のうちのひとりだ。理想的な光沢を放つ漆黒のロングが自慢の彼女は任務遂行の際に武器を使用したことがない。いや、正確には我が肉体という武器を常に携帯しているのである。ECに属している以上、恵玲にも特殊な能力があるのだが、彼女の場合は運動能力を爆発的に上昇させるというものであった。爆発的な上昇といっても100mを世界記録の半分で突っ切る程度のものではない。数百メートルを跳躍し、エンジン全開の30トンダンプを押しやり、日本刀よりも鋭いかまいたちを発する手刀を操り、超音速のライフル弾を人差し指と中指で掴み取る。そういうことを息をするかのようにやってしまうのである。
 だが、任務中のある事故をきっかけに麗牙の戦乙女(ワルキューレ)は心身を病み、数か月もの間、任務から外れていた。話しかけると先程のように明るく振る舞うが、一人きりの時間ができると無意識にくだんの事故について考え込んでしまい、人が変わったようにその節制の行き届いた肉体から影がにじみ出てくるのである。
「恵玲―、ごめん聞こえちゃったね」ウィルの言葉に首を左右に振りながら彼の隣の椅子を引き、腰かけようとしたところで声を発し、矢庭に立ち上がった。ウィルが反射的に背もたれに手を掛け周囲に天性のレーダーを張り巡らせようとすると、「コーヒー淹れてくるねー」と一言、小走りでキッチンへ向かった。呆然とする隊長をわきに見ながら、くだんの椅子に今度はツインテールの女の子が腰かけてきた。この子は突然立ち上がって隊長をびくつかせるようなことはしなかった。
 「心配ならもう一度聞いてみればいいじゃないですか」恐ろしく単純明快だが非常に難しい助言に結局ウィルは言葉を失う羽目になった。麗牙最年少の隊員、棚妙水希に間髪入れず無邪気な瞳を向けられ、ウィルは顔が紅潮しているのを気づかれはしないかと気が気でない状態で声を絞り出した。
「それは、難しいと、思うよ……。それなら最初から、話して、ね、くれるはず、だし」
「そうなんですかぁ」ウィルの動揺を気にすることもなく、そそくさと広いテーブルの上に譜面の刷られたプリントを広げた。水希は中学1年で吹奏楽部に所属している。それで、毎年3学期に県の大ホールを借りて催される定期演奏会の演奏曲の譜面を確認――ウィルの反応が楽しくて見せびらかすのが本当の目的だが――するところであった。このような無垢な女の子にも能力がそなわっており、この子の場合は「闇」を操ることができた。能力が発現したのは5歳の頃。それは自宅の2階のベランダから夜空を眺めているときに起きた。水希の視界を埋め尽くす夜景が突如、黒一色で塗りつぶされたのである。人や建物、自動車、夜空に至るまであらゆるものが光を失い、何かものにぶつかったり、目の前に手を持ってきたりしても、そこに何があるのか全く分からない状況が2,3秒間続いた。それから半月程度は巷の話題は局地的かつ短時間に発生した「停電」で持ちきりだったが、水希にはあまりに辛辣な運命が待ち受けていた。時間が経つにつれ、どうやら嘗ての「停電」の原因がわが娘にあるという、荒唐無稽ではあるがまごうことのなき真実に気づいた両親は、実の娘を守るどころか図ったように現れたECのエージェントに引き取らせてしまったのである。そんな過去が生み出す心の闇が、皮肉にも彼女の能力をより一層洗練していき、麗牙の「支援役」として掛け替えのない存在となっていったのである。しかし、水希にとってもそれは同じ事であった。あのような血も涙もない仕打ちを受けても、それをみじんも感じさせない明朗な人柄と思いやりに富んだ性格を失わずにここまで生きてこられたのは、同じ部に所属する親友や麗牙のみんながいたからである。もし、ECという超能力を持つ子供たちが集められた組織に入ったとしても、麗牙のみんなのように心の底から喜怒哀楽を分かち合える人たちでなかったら、自らの能力を憂い、呪い、そして……。
「水希はココアにしとくねー。ウィル君はブラックはまだかなー」
「なんでいつもそうなんだよぅ」
他愛のない会話がだしぬけに水希の意識の扉をノックし、譜面の的外れな一点を凝視し続けていた少女の目線をしかるべき位置に戻らせると、ようこそ現実へ!と冷やかし交じりに恵玲の入れたココアが水希の目の前に甘い香りを漂わせて据えられていた。
 「あ、ありがとうー」一握りの動揺が込められた感謝の言葉を述べると、譜面をテーブルから下げ、目の前の日常がいつものように過ぎ去り、そしてまたこちらにやってくる今をかみしめながらココアを丁寧に口に含んだ。