As Story

作者/ 書き述べる ◆KJOLUYwg82



8(2)話―13



 神仏や占いの類を、人間の都合で創り出した一大騙りビジネスと一蹴する天銀が不覚にも「凶兆」の二文字を脳裏に浮かべていた。立て続けに起きる不測の事態が、迫りくる本当の災厄を予言しているような気がしてならなかった。

 
 一発目を撃った直後、篠原が身振りで園香を手招きした。唐突な指示に訝しげな面相で寄ってきた園香に自身の度派手なM60を手渡した。そして篠原が声を出さずに話しかけると、慣れた様子で園香が篠原の唇の形から言葉を解読していった。「お前がやれ。俺はいつもの突入準備だ」
 園香は唖然とした。一発撃ってから交代だなんて、ターゲットが寄ってくるかもしれない、いえむしろ寄ってこないほうがおかしいっていうのに、パートナーをなんだと思っているの?怒りの目線を篠原に向けたが、彼の言う「準備」のことに意識が移っている篠原が気づく術がなかった。指示の内容の危険性もさることながら、長年そしてこれからもバディを組む彼の思いやりのかけらもない物言いが何より気に障った。
 ふん、と発情期の猪のごとく迫力満点の鼻息をひとしきりすると、巌のような篠原の右手からM60を取り上げ、盛んに瞬いている彼の瞳を夜叉のような目つきで睨み付けた。
 意を決して扉付近にM60を構えた園香が篠原と同じように、声のない問いかけをした。
「で、準備にかかる時間は?」ようやくパートナーの逆鱗に触れてしまったことに気づき始めてきた――原因は自覚していない――篠原が月下の瞑想に引き続き、渾身の気合を込めて右の人差し指を天に向かって突き立てた。準備の時間など聞かずともわかっていたが、園香が聖母のようなほほえみととも艶っぽく首を左に傾げしなやかに髪を流して言い返した。「1秒ね」
 思わず声をあげそうになった。本来の任務遂行の前に乗り越えるべき修羅場を増やしてしまった自分に怨嗟の念を吐きたかったが、そんな不毛なことは任務が終わってからである。今は然るべき所要時間をパートナーに告げるのが先決だ。
 「1分だ。1分」めしいの爺さんが見ても間違えないくらいに大きくはっきりと口をあけた。
 やはり園香の予想通りだった。時間を無事伝えられた篠原は深々と腰を落とすと股わりの姿勢をとり、左手を左の太ももにおいて腕を支柱とすると、胸の前に右手を持ってきて拳を固めていた。一分で準備済ませるぜ。気合を込めつつもできる限り声を殺して動作に入ろうとしたとき、

「30秒ね。ヨロシク」

 何やらパートナーが不吉な発言をしたように見えた。そして黒髪の悪魔の小さな顔に満ち溢れているサディスティックなほほえみは、指示を覆すことを許す余地を持ち合わせていなかった。
 篠原の突入の準備は能力を大量に消費するため、あまり短時間で行うと篠原の肉体に悪影響が出てかえって逆効果になってしまう。本来はあらかじめ準備のための時間をミッションの中に組み込んでおくものであるが、急きょ件の動作が必要になるときも少なからずある。そういう時に、篠原の肉体への負担とそれによって生じる隙を鑑み、1分という時間を設定しているのだ。今までの経験では40秒弱で「準備」を終えようとしたとき、意識が飛んで倒れこんでいたという話を月下の仲間から聞いていた。もちろんその時は園香も本気で自分を労わってくれたのだが。
 園香様の勅命じゃ逆らえんか。一瞬苦笑を浮かべると、再び準備動作に戻った。ただし、静かにはできん。己の胸の中で決意を固めると、サバンナの獰猛なネコ科のうなり声よりも図太く、地響きでも起きそうなほどのうなり声を周囲の壁に床に叩き付けた。30秒間の準備動作が始められた。
 残り1秒でこの.357BZ…何とかを2発叩き込む。為すべきことを自分に言い聞かせたが、どうしてもこの無機質なアルファベットのられつ――カタバンとかモデルナンバーとかというらしい――が覚えられなかった。ついでに、何かと機械をカタバンやモデルナンバーで呼びたがる男どもの心理も解しがたかった。先日も年下の月下の隊員の男子にロボットアニメの話をされた時に、例のモデルナンバーを連発されてすっかり会話から脱落してしまった覚えがあった。少しは覚えてみようかと調べたところ、確かモデルナンバーは「ZGMF‐X20A」、ちゃんと呼称もついていた。これは確かストライクフリーダムだった気がする。
 どっちにしても可愛くないわ。改めてドアノブにM60を構えた。ターゲットが接近する気配はまだしていない。突入まで15秒。

 奴らは何を装備しているのだ。己の視界の上のほうに位置する男の顔がそうつぶやいたように見えた。ウィルも拠点の各部屋が、とりわけ闇組織のトップに君臨する大崎の執務室や件のドアノブが銃撃そして壁面についてはRPG程度の爆撃に対しても一定程度の耐久性を有していることを屋敷の主本人から聞かされていた。だからこそウィルも不本意ではあるが眼前の宿敵と同じようにひしゃげたドアノブに視線を釘づけにされ、男と同じことを呟いていた。突入まで9秒。
 耐銃撃性を備えるドアのシャフトをひん曲げるほどの闖入者の武装、そしてもう一つウィルには気がかりなことがあった。命を失いかねない戦闘のせいで感覚が狂っているのかも知れないが、なんとなくこの部屋、冷えてきているのではないか。艶やかな青白い頬を撫でる部屋の空気のせいで顔が強張ってきている気がした。
 人間の温度の感覚ほど当てにならないものはないか。そういって天銀の挙動に警戒しつつ、慎重に息を吐いたとき、少年の目の前にこれ見よがしに真っ白な靄、そしてプチダイアモンドダストでもいうべき小さな氷片がキラキラと可愛らしく舞い散り、息の吹き出し口へ吸い込まれていった。執務室の二人は完全に言葉を失い、とっさにドアノブのそばにいるであろう闖入者に注意を向けた。


――突入まで、残り2秒。