As Story

作者/ 書き述べる ◆KJOLUYwg82



7話―(4)



 海を臨む地特有の厳しい冷気を凌ぐため、たっぷりと羽毛が詰め込まれ堅牢な保温層を形成している暗色系のダウンジャケットを羽織り、首から上もジャケットのフードですっぽりと隠れてしまっているが、ジャケットに包まれている少年は、小柄で線の細い体躯から中学生か高校生くらいに見える。そのような少年が「偵察」とは随分と物騒な事件に巻き込まれてしまったようである。
 彼の少年がもし、世の中が活発に活動する日中に出没する標準的な日本の中高生ならば現在の不遇を同情してもいいのかも知れない。しかし眼前に屹立する、純朴な青少年の風貌をした漆黒の人影にそれは全く不要であった。むしろこの人影には罵倒やら誹謗などあらゆる制裁を受けても当然の存在であった。

 少年の名は、ウィル=ロイファー。「EnjoyClub」という組織を構成する幾つかあるチームの中の一介のチームリーダである。プロフィールがこれだけで済めば、くだんの少年ウィルは受験に振り回され、腰で制服を履くそこらの中高生と何ら変わりない、だが、ウィルが所属する「EnjoyClub」は全世界に影響を与えてしまうほどの要警戒組織であった。度々「EC」と略されるその組織は殆どの場合夜、それも一家団欒の時を過ごすような音と光を湛える夜ではなく、終電間近となりタクシーくらいしか遠くへの足が無くなる頃――深更と呼ばれる、虫の羽音も聞こえてくるような静寂の時間帯が組織の「仕事」をするときである。時間帯と「EnjoyClub」という名前からすると、労働基準法で禁止されている未成年の深夜労働を課す風俗の類がというのもあり得るが――それでも十分すぎるくらい問題があるが――、夜の社会ではそのような違法行為はやらない方が不自然なくらい日常茶飯事である。敢えて問題があると言い切ったからにはこのECという組織は、世界の法治国家が重大な犯罪として扱う行為をルーチンワークとしてこなしてしまうような組織なのである。
 暗殺――もし、ECが公式ウェブサイトを公開していたら、会社概要の主な業務の欄にこの2文字が載っていなければならない。更に補足の文章を付けるならば「ターゲットとなっている人物若しくは組織を混乱に陥れるためにテロを行うこともございます」と文言も必要だろう。
 即ち、ECは夜の世界の要人の暗殺、貴重な物品の奪取を少年少女にさせる闇組織であった。彼ら及び彼女らはECが開発した薬品によって乳児の頃、人によっては胎児の頃に特殊な能力を発現させており、他の暗殺組織では到底なしえないような困難な任務を成功裏に収めたケースは数えたらきりがないが失敗したものは指を折るほどしか無いという脅威的な実績がある。ECの膨大な犯罪歴にもかかわらず、実行犯の犯人像について警察、そしてECと同じ穴のむじなの者どもでさえ皆目見当が付けられないのも無理はないが――誰が丸腰の少年少女を殺人犯と考えるだろうか。――、そのことがより一層ECを手出しし難い危険な組織という印象を刻み込ませ、組織への潜入調査や内通者を得ようとする動きを牽制し、更にECの情報が少なくなるという、ECとしては願ってもない良いスパイラルを創り出すことができていた。
 ウィルが隊長を務めるチーム『麗牙光陰』は隊長と年齢の近い男女名の構成員で構成されており、ターゲットが人物であるならばその無力化――要は殺害である――、事物ならば奪取において世界中に離散しているECの他のチームの追随を許さない優れた成果をあげていた。麗牙の秀でた任務遂行力を支えているのは個々のメンバーの能力の高さもさることながら、それをまとめ上げるウィルの人望の厚さ、そしてウィルが組織の長を盲目的なまでに崇拝していることもその要素として非常に重要なものであった。任務の外、つまり日常のウィルはどこか抜けたところがあり、些細な物忘れやうっかりミスをするたびに麗牙の女性陣からツバメのヒナのような勢いで黄色い声をあげてからかわれているが、それも麗牙の一糸乱れぬチームワークにつながっているのかもしれない。
 だが、いざ任務となると若輩の指揮官は豹変し、石橋を叩いて渡るくらいでは手ぬるいと言わんばかりに慎重さを発揮する。ターゲット自身については血縁関係、学校・職場の人間関係、金融機関の口座情報、前科、性癖、病歴、起床から就寝までの行動パターン等を、任務遂行場所については数日前と前日の最低2回はそこに赴き、盗聴器、隠しカメラ、その他のトラップの類が設置された痕跡の有無を調べるのである。
 そして現地踏査には最も重要な目的――実際にそこに行ったという記憶を脳に刻み込むこと――を達成することも含まれていた。それは百聞は一見にしかずという漠然としたメリットを享受する程度の話ではなく、ECに属するウィルの「能力」を最大限に発揮させるために、対象地域周辺のできるだけ詳細で広範囲の「記憶」が必要であった。
 可能な限り任務に関する調査を行うのが若き指揮官としての信条であったが、ターゲットの身辺調査については敢えて途中で止めることもある。人物に対する調査は貴金属や土地のそれとは違い、詳細に進め過ぎると家族や永らく辛酸をなめてきたその者の生い立ちなどが明らかになり、情がわいてしまう恐れもある。特にECが標的にするような裏の人間はその世界に手を染めるだけの憐憫で救いのない過去が背後にあることの方が多い。それ故に陰でうごめくターゲットがひた隠そうとする人生の負の部分が明らかになりつつあるときに調査を中断するのだが、自身の意思で切り捨てる情報を決定することで、いざターゲットが凄惨な経歴を持ち出して命乞いをしても、冷酷無比に任務を遂行可能になるという暗殺者にとって極めて重要な効果も持ち合わせていた。