As Story

作者/ 書き述べる ◆KJOLUYwg82



8(1)話―1



 目的地は成人男性なら徒歩で25分程度かかる場所にある、JR東日本の鉄道が停止する乗り換えのない駅であった。1km向こうには東京湾が広がる準臨海地区である。南北方向に延びる鉄道のホームと十字を成すように、ホームの真上を高速道路の高架が、そして真下を陽の光を浴びることのなくなった河川が大よそ東西方向に対をなして立体構成の筋を描いていた。この駅のデッキを利用する人々の中には電車を利用せず、デッキを橋代わりにして北側へ抜けていく通行人も数多くいる。駅の北口へ繰り出せば幅の広い道路が整然と敷設され、土地のブロックも比較的大きなものが目立つ新しい市街地に行くことができる。少し離れているが更に北に進めば、メトロポリスを象徴するかのように林立する超高層ビル群や洗練されたデザインの巨大なイベントホール等が姿を現す。地区の建設がほぼ完了してから10年以上が経ち、近未来的というといささか大げさではあるが、地区全体に漂う非日常とインテリジェンスを持ち合わせた雰囲気が今でも多くの家族連れや仲睦まじい男女のカップルを惹きつけていた。
 南口へ出ると北口とは好対照の町並みが広がっている。2、3階建ての木造アパートや飲み屋がテナントに入った雑居ビルが片道1車線の駅前通りに所狭しと立ち並び、帰宅ラッシュの時間帯には黒づくめの人々が歩道からはみ出し、自動車と人間の勝負にならない小競り合いを毎日のように見かけることができる。平日の日中は一家の家計を掌握する主婦らが商店街や地元でしか見かけないような小さなスーパーで買い物をし、それにかけた時間よりも遥かに長い時間、近所の人々と下世話な話に花を咲かせるという、実に濃密な生活の匂いの漂う地域であった。
 南の地域は文教地区という性格も持ち合わせていた。公立の中学高校に加え、有名私立高校、私立大学およびその付属高校といった、受験生本人よりも彼ら並びに彼女らの両親が目標としてい掲げたがりそうな教育機関が広大な敷地をもって地区の南部の随所に鎮座し、その周囲をお決まりのように高級住宅街が取り囲んでいた。
 この時間、とうの昔に終電は発車し、目的地の駅の2か所ある出口をストリートアートのサンドバックに成り果てたシャッターが下ろされ、帰りのタクシー代を浮かせようと始発まで居座ろうとする酔っ払いや屋根を求めて三千里を行くホームレスがちゃっかり構内に泊り込もうとするのを拒んでいた。南口出口は駅舎の南端についているのではなく、駅舎の中ほどで出口が北を向く構造になっている。南口から駅を出ると目の前には駅舎の下を横切る万年日陰の川が河岸の道路を挟んで視界を右から左へと流れていた、河岸の道路の左右には歩道が設置されており、南口出口に接しないほう――南口出口から車道を挟んで向こう側――の歩道を小さな人影が一つ、頻繁に目線を四方八方に向けながら徒歩で近づいてきた。港を一望できる丘を出発し、裏通りや袋小路、商店街の個々の店舗の名称、集合住宅の共用廊下やベランダの人影などを執拗に確認し、1時間が過ぎようとしている今、ようやく目的地に辿り着くところであった。
 南口出口のちょうど真正面、道路を挟んで向こう側の歩道で、足を止めたウィルがフードに覆われ俯き加減にしていた顔をわずかに持ち上げ、出入り口を閉ざす金属製のシャッターを睨みつけていた。波打つ金属のキャンバス一面に無造作に書き散らされたシャッターアートに感銘を受けていたのではない。キャンバスの最上部にも見ているだけで視力が落ちるのではと錯覚するほど不快な配色のアートが描かれており、どんな奴がしでかしたのか考えるのも一興かもしれないが、黒いフードの奥から放たれる芸術を解する余裕のない視線は、キャンバスを無感動のうちにすり抜け、その裏で世の闇を飲み込んで整然と佇むコインロッカーの一群に焦点を定めていた。
 最長で2か月にも及ぶ、麗牙光陰としては前代未聞の長期ミッションの最初の任務、それは「受領」であった。今までの作戦に比べて準備期間を設けることができず、暗中模索の状況で「受領」に関してわかっていることは、引取り方法、時間、場所、その物の形状であった。それを運んでくる者の容貌、送り主の組織――ECが絡むような案件の依頼主、ターゲットは専ら組織そのもの若しくは組織内の重要な人物である。組織と無縁の個人が関わることは皆無である。――、そして麗牙をこの任務に引っ張り出した受け取り側の依頼主の素性さえ分からないのである。換言すれば、ウィルが敬虔に崇拝するECの長、大崎影春がウィル達への情報の提供を拒んでいるということでもあった。だが、ウィルはECへの依頼主の顔はおおよその見当がついていた。
 ――なぜか?実際にそれと思しき男と話し込んでいるのを麗牙光陰の隊長は見たのである。それも偶然居合わせたのではない。大崎が新たなミッション発令の時に、異常に長い期間に対し、文庫本の帯程度の情報しか伝えないのが心配になり、命令違反を承知で裏の世界に君臨する組織の長を尾行したのである。