As Story
作者/ 書き述べる ◆KJOLUYwg82

7話―(3)
涙を流す間もなくNinjaはヘアピンを通過する二輪レースのマシンよりも深く、復元不能なまでに傾斜し、パラシュート反射によって地に向かって突き出した右手が時速200キロで流れるアスファルトに弾かれた。目の前のCB1300のボディーやチェーンが目の高さに入り、やがて視界の上部に逃げていった。濃紺の路面、できたばかりの貞操さをを失った薄汚れた白のセンターラインが刻一刻と視界を覆いつくし、コードから光をも奪おうとしている。1,284cc4ストロークエンジンの稼働音をあらぬ高さから浴びせられ、路面に噛み付くタイヤが巻き上げる砂塵の嵐を左顔面に叩きつけられたとき、コードの心は死神に麻酔を打たれて静まり返り、地獄に堕ちるのをじっと待つのみになった。
アスファルトの粒々が超高速で流れて幾条もの波打つストライプになっている様が妙に心地よい。Ninjaの車体の外殻と路面との摩擦で耳を弄する破壊音が響き渡ったが、それさえもヒーリングノイズに聞こえる。
次は僕か――。アスファルトに顔面の横面をこすりつけられ、首がひしゃげて行く様を他他人事のように想像しながら迫りくる漆黒の地面を受け入れようとした。
コードの脳内に束の間の静寂が訪れる。そして――。
青年の細い首に強烈な圧力がかかった。路面に激突したのか?いや、違う。まだ僕の首はつながっていて体は……浮いてる?
そう思うや否や羽根布団のように分厚いライダースーツのすねのあたりを不快な擦過音が発せられ、両脚が漁船の甲板の上の魚みたいに200kmで流れる路面上を音を立ててのたうち始めた。
「痛えぇぇぇ!」
視界を覆い尽くす花畑が広がっていたトリップの世界が気違いの陶芸家の失敗作品のごとく完膚なきまでに叩き潰され、変わりに現れたのは宙に浮かぶ自分、右側に見える時速200kmで突っ走るCB1300,そしえ自分を吊り下げているFGM148 Javelinのよう図太い腕であった。風に舞うビニル袋さながらに青年の体が持ち上げられ、CBの後部座席にひょいと投げ落とされた。
まったく予想だにしなかった状況に、コードは呆けたように口を開くほかなかった。そしてお礼のタイミングを逸した風変わりな組み合わせの二人組の間をしばしの間CBが発する排気音が占領した。
「いちいち手間かけさせやがるぜぇ。きさまって奴ぁよ……」
インカム越しに発せられた無神経な一言に思わずコードが激しく反駁しようと巨木のように屹立する相棒の背中の上を睨みつけると、滴り落ちそうなくらいに垂れ込める漆黒の雨雲が相棒の肩越し、南の空一面に広がっていた。我が道程を顧みようと北を向くと真夜中なので明瞭ではないが、千切れ雲ひとつなく天空のキャンバスに星空が点描の絵画を創り上げている。
つい先程のマンションでの悶着もこの星空の下でやってたのか。つくづくボクたちは罰当たりな人種だ、と一人密かに自嘲の笑みを浮かべていた。
「どうした、耳付いてねぇのか?サツに撃たれて怖気ついたか?」
「ちげぇよ……。運転手ってのは哀れなもんだなぁって思ってたんだよ」
「あ?」今度はアビーがバラクラバの中でぽかんと口を開けていた。
「んなことよりも向こうで雨降るかもしれないぜ。気を付けろよ。あ、そうだ――」
思い出したように、Ninjaが飛び出してきたカプセルの両端についているスイッチを10秒弱押し続けるとブザーが断続的に鳴動し、数秒後に止まった。証拠隠滅のためのバイクの自爆装置であった。今頃Ninjaの部品一つ一つが爆弾と化して小石大にまで粉々になり、残骸から情報を得るのは極めて困難にさせているはずだ。
「雨か――。じゃ飛ばすぜぇ!」
「え?今何キ……あぁぁ……!」
メーターリミット、時速250kmまで加速したCB1300は100キロメートル南方のメトロポリスを目指した。
一時も走れば摩天楼の創り出す仮初の星々を目の当たりにするはずであった――。
眼下から発せられる自動車のアイドリングの音、道行く人々の喧騒、カラーアスファルトで舗装された歩道に無数に散らばるガムと思しき薄汚れた灰色のシミ、ちょうど大型タンカーがベイブリッジの橋脚を避けるようにはしけに牽引されて入港する光景が見える。少年は今、不夜城と化した東京湾に面するメトロポリス横浜のある公園の広場に佇んでいた。潮のにおいかぐと郷愁を感じるという人がいるが、数年前に一度海遊びに行ったくらいしか海の記憶がない少年にとって、華奢で筋の通った鼻にまとわりつく潮の香は悪い意味で不思議な臭いでしかなかった。
何気なく右腕の時計を一瞥すると、もう午前二時、成人男性でもうろついていればオマワリに職務質問されるか、トラブルに巻き込まれるかの二択をする羽目になる時間帯だが、この時間、この界隈にそのようなリスクを冒し、ある事象の「下見」という目的でやってきたのである。
数日前には雪もちらついていた冬もたけなわのこの時期にエキゾチックな洋館の立ち並ぶ界隈に気の早い花見の下見というはずもなく、ある人物と会う約束をした場所の偵察にきたのだ。

小説大会受賞作品
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