As Story
作者/ 書き述べる ◆KJOLUYwg82

8(2)話―17
「この話を終えてから10分間だ。その間はECの隊員による追跡を止めてやる。それ以降は――ここを脱退するような府抜け共には我らの追跡から逃れられるやつなどおらん。今までも星の数ほどそういう奴らがいたが、皆、現役隊員の訓練代わりに血祭りにあげてやったわ」
その声は、彼の痩身から発せられたとは思えないほど力強く、太く、挑戦的だった。二人には背中を押すようなエネルギーさえ感じられた。崩した表情が消え去り、再び暗殺者としての、否、若き希望に満ち溢れた一組の男と女として、その視線を天銀にやった。
暗殺組織の第二の男がかすかに相貌を開き、蛙を襲う蛇のように睨み返す。
――この者たちはどうだ。
更に値踏みするように二人の瞳の奥を見つめる。四つの瞳に脱退への後ろめたさは露ほども感じられなかった。そこには、灼熱の火炎柱、あるいは凍てつく氷の青き炎か――瞳に映るものを焼き尽くさんとばかりに燃え上がっている。
「行(ゆ)け!そして逃げおおせて見せろ!」
篠原が不適な笑みを浮かべ、ガッツポーズをし、園香と完璧に息を合わせ、同時に立ち上がった。そして短く硬い髪と、絹のようにしなやかな漆黒の髪を気流に靡かせ、執務室の入り口を抜け、10メートルの廊下を疾走し、勢いそのままに玄関を押し開いた。視野の上半分には、雲ひとつない冬の夜空が、少し欠けた月とかつては正確にギリシャ神話の神々を表現していたであろう天界の星々に広大なステージを貸しているようだった。
奇奇怪怪な植物に囲まれた二人は向かい合い、痛いほどにお互いの両手手を握り締める。
「とりあえずブラジルでも行ってサッカーでも見てくるか」
「いや、まずは私の壊れたブーツを買い直して。もちろんパリでね。どこに行くかはそれから考えましょ」
自身で最高の出来と思える猫なで声で彼氏に甘えた。そして彼のそれほど大きくはない瞳めがけ、ダメ押しに左目を素早く一回、瞬かせた。苦笑を浮かべ、彼女の背中に右腕を回す。二人が更に接近した。園香が彼の胸に顔をぴたりとつけると束の間、篠原の顔を見上げた。
「行くか」
「ええ」
にわかに二人の周りにつむじ風があらわれると、二人の髪が煽られて、園香の黒髪が見事な扇を描いて広がった。二人を囲んでいた植物たちの無数の葉や細い枝がとぐろを巻いて舞い上がり、彩とりどりに飾った小さな緑の柱ができ始める。突如、柱が乾いた音を立てて崩壊した。館の前庭は工事中の庭園のように散らかりきっていた。
二人の姿は、消えていた。
西向きに斜め上へ上昇する不思議な流れ星が、冬の夜空に束の間のアクセントをつけていた――。
しばし時間の旅をしていた少年の記憶が、現在に舞い戻ってきた。
改めて港に面する大都市の闇夜の空を眺めてみる。あれが僕たちの初めての長期ミッションの前途なのだろうか。好天であれば、メトロポリスの煌々と輝く仮初の光に負けじと、明るい星星が見えるはずだが、目の前の空には、深更の今でも重たい灰色と分かるほど分厚い雲がたち込め、時折、突風が河岸の防護柵に、死を宣言する妖精バンシーの悲痛な叫び声のような音を上げさせ、ウィルの背後を流れる立派などぶ川を駆け抜ける。
陰鬱な風に、ウィルがため息をのせた。そして次にやってきた冷たく乾いた風に明日の任務への思いを馳せた。
――結局、なんでこんな理不尽なミッションを影晴さまが自分たちに依頼なさったのか、判らずじまいだったなぁ。大きく一回、ため息をついた。風がまたウィルの顔をかすめた。今度は向こうが少年の息をさらいに来たらしい。
「あーあ」両腕を斜め上に突き出し、芝居がかった伸びのポーズをとった。人目を憚るつもりもなかったが、軽く身の回りを見回してみる。時間的にも、場所的にも、見つかるはずのない帰りの足を必死になって探しているスーツ姿の勤め人風の男、ラリってやけにテンションの高い声で喚きたてている――喧嘩しているのか談笑しているのか、そもそも会話ができているのかさえおぼつかない男女のカップル。ここでちょっと声を張り上げたくらいでは、誰も少年を一顧だにする素振りも見せなかった。
「帰ろっか」
自分自身に声をかけると、今回のミッションのパートナーの棚妙水希が待つ、ビジネスホテル――勿論、部屋は分けてある――へ足を向けた。
途中でコンビニがあったら、午後ティーとブラックのコーヒー買ってこう。ちゃんと水希にお砂糖なしでも飲めるところ見せとかないとね。
本気で目を丸くしているツインテールの少女の顔を思い浮かべると、少年の顔に自然と笑みがもれた。
――いよいよ、明日だ。

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