自殺サイト『ゲートキーパー』
作者/羽月リリ ◆PaaSYgVvtw

No.35
「―――っ…」
欅潤は唾を飲んで、本の少しだけ右足を前に出した。
右足の前半分は宙に浮いている。
「――だけど、本当にそれで良いの?」
「……っ!?」
少年の言葉に欅潤は足を反射的に引っ込め、少年を振り返った。
「君は、本当に死んでしまって良いの?」
少年が欅潤を真っ直ぐに見詰める。
まるで、全てを見透かしているような目で。
「…良いんだよ」
欅潤は小さく言った。
「僕は、もう、嫌になったんだ!」
そして、欅潤は再び下を見た。
「……僕は、死ぬよ。ここから、――飛び降りる」
「…―――」
少年は何も言わずに欅潤を見詰めている。
「…どうせ、僕なんかが死んでも、誰も悲しまないんだ」
小さく呟いたその言葉に、少年は静かに首を振って言った。
「いいや、いるよ」
「―――え?」
欅潤は少年を見た。
とても、哀しそうな表現をして、笑った。
「悲しんで…くれる人。君には、いるよ」
その時。
「―――潤!!」
悲鳴に近い声が聞こえた。
それは、懐かしい声だった。
その次の瞬間、欅潤は物凄い力で後ろへ引っ張られた。
どうなったのか分からない間に、彼は仰向けに倒れていた。
「な…に――?」
ぼんやりと呟く。
緩慢な動作で半身を起こし、後ろを振り返ると、そこには幼馴染みがいた。
「…冬夜……。何で、ここに――?」
欅潤は目を見張った。
「それはこっちのセリフだよ! こんなところで何やってんだよ!?」
きつい口調で月影冬夜に言われた欅潤はしかしまだどこか呆然としている。
「自殺なんかするんじゃねぇよ! 潤に何があったのか知らねぇけどな、僕は友達が死ぬのを見ることなんて出来ねぇんだよ!!」
「…冬夜――」
欅潤は俯いた月影冬夜の頬を光ったものが滑り落ちたのを見た。
あれは、――涙。
「だから、自殺なんて、するなよ! ばか、ばか、潤のばか…!」
あぁ、彼は。
こんな自分のために泣いてくれている。
こんな自分を、叱ってくれる。
欅潤の頬にも、暖かいものが伝って落ちた。
「――冬夜、ありがとう…」
欅潤は、にっこりと笑った。
「僕、もう自殺なんてしないよ」
No.36
離れたところで二人を見守っていた黎は、足下で鈴の音が聞こえたのでそちらを見ると、黒猫が一匹、足に寄り添っていた。
「…あぁ、ムーンが月影冬夜をここに連れてきたのか――」
その場にしゃがみ、黒猫の頭を撫でる。
そして、黒猫を腕に抱いて立ち上がった。
「…じゃあ、おれたちは帰ろうか」
あの様子なら、もう自殺なんて、しないだろうから。
二人に気付かれないように忍び足で屋上から屋内へ入り、エレベーターに乗る。
黎の腕に抱かれた黒猫がニャアと鳴いた。
「…どうした?」
腕に抱いたまま黒猫の顔を覗き込むように見る。
しかし黒猫は眠そうに目を細め、長い尻尾を振っただけだった。
「――友達、か」
黎は黒猫を撫でながら、ぼんやりと呟いた。
果たして、自分にはいるのだろうか。
死ぬのを止めてくれる友達が。
自分に、真剣に叱ってくれる友達が。
ポーンと音がして、エレベーターのドアが開く。
黎は黒猫を抱えたまま、ビルの外へ向かって歩き出す。
入ってきたのと同じドアから外へ出ると、駐車場へ向かって歩く。
駐車場には紺色の車が一台、停められている。
近付くと、中には漆と上弓がいるのが分かった。
上弓がこちらに向かって手を振っている。
あぁ。
死ぬのを止めてくれる友達はいないけど。
真剣に叱ってくれる友達はいないけど。
死ぬのを止めてくれる人がいる。
真剣に叱ってくれる人がいる。
本当に、大切な。
家族のような存在の人が。
No.37
車に戻った漆と上弓はぼんやりと黎の帰りを待っていた。
「黎、遅いな…」
運転席に座っている漆はポツリと呟いて、隣に座っている上弓をチラリと見た。
「…玄は何をやってんの?」
「パソコンですよ」
その言葉通り、玄はノートパソコンをいじっている。
「………それはわかってるよ」
「だったら訊かないでくださいよ」
漆は半眼になった。
「パソコンで何をやってんのか訊いてんの」
「それなら最初からそう言ってくださいよ」
上弓はパソコンの画面を見詰めたまま答える。
「叢雲剣について、調べました」
「調べました」ということは、既に調べ終わったということか。
上弓はノートパソコンを閉じて、伸びをした。
「叢雲剣は、鳳音高校に通っていたんですって」
「…鳳音高校?」
鳳音高校とは今回の自殺依頼者である欅潤が通っている学校だ。
「叢雲剣はそのときに欅潤を虐めてたんですって」
「…――」
漆は目を見開いて上弓を見詰める。
「で、学校側はそれを知って叢雲剣を退学に。…けど、それを知らせたのは月影冬夜なんですって」
だから叢雲剣は「…あいつの、せいで、お…おれは、退学になったんだよ…!」と言ったのだ。
逆恨みも良いところか。
それにしても、月影冬夜は学校は違うし、話もしなかったのに、よく欅潤が虐められていることを知ったものだ。
それだけ欅潤のことを大切な友達だと思っているということか。
「ま、オレがちゃんとしつけといたので大丈夫ですよ!」
歯を見せてニカッと笑う上弓を見て、漆は苦笑した。
「あ、黎、来ましたよ」
上弓のその言葉通り、ビルから一つの人影が出てきた。
彼は真っ直ぐにこちらへ歩いてくる。
近付いてきたところで上弓が車の中から手を振ると、ムーンを両手で抱いている黎は憂いを帯びた瞳で、微かに笑っただけだった。
黎が車の後ろへ回り、トランクを開けるとムーンは車に飛び乗った。
黎はトランクにリュックサックを置くと、コートを脱いでそれも置いてから、後部座席へ乗り込んだ。
「――仕事は?」
後ろを振り返って訊くと、黎はカツラを後ろへ放り投げると、右手の親指を突き出して答えた。
「無事、成功っす」
それを見た漆は、こくりと頷いて、ニッと笑った。
それから車のエンジンをかけて、駐車場から出ていく。
「…なら、お祝いしないとなぁ」
車を走らせながら、漆がポツリと呟いた。
「やったぁ!」
助手席に座った上弓が嬉しそうに声をあげる。
「なら、ピザ! ピザが食べたい!」
「えー、寿司ですって!」
後部座席に座った黎が、身体を前へ乗り出す。
「黎、お前、シートベルトしろ」
「あー、漆さんが寿司買ってくれたら」
「はぁ!?」
「あ、ずるーい。ピザが良い!」
騒ぐ二人を横目に見て、漆は溜め息をついた。
「あーもう、わかったから。両方だ、両方」
漆の呆れたような声に、男二人は目を輝かす。
「うわぁ! 漆さん、太っ腹!」
「ありがとうございます!」
ニコニコと笑う二人に、漆は「その代わり」と付け足した。
「先月分の給料無しな」
「…えぇぇぇっ!? そんなぁっ!!」
口を大きく開く上弓に、漆は「はっはっはっ」と笑っただけだった。

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