複雑・ファジー小説

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キチレツ大百科
日時: 2016/01/06 12:05
名前: 藤尾F藤子 (ID: .5n9hJ8s)

「起キル……」
「起キル……」

あぁ、うるせーな。俺は昨夜も”発明品”の開発でいそがしかったんだよ……眠らせてくれよ。

「起キル……」
「起キル……」
微睡みの海の底、聞こえる女の子の聲。少し擽ったい感覚が夢を揺さぶる波のよう。
ふと思うんだ、これがクラスメートで皆のアイドル、読田詠子、通称”よみちゃん”だったらいいな……て。いいさ、わかってる。どうせ夢だろ? 
夢の狭間で間の抜けた自問自答。
そいつが、嘲るみたいに眠りの終わりを通告している。

「キチレツ、起キル”ナニ”!!!!」

Goddamit!
そう、いつもそうなんだ。俺の眠りが最高潮に気持の良い時に、決まってコイツが割り込んでくる。俺がご所望なのはテメーじゃねんだよ?
「くっ!? 頭に響く、うるせーぞ、ポンコツ! テメー解体して無に帰すぞガラクタがぁ!!」
「なんだと〜、やるかぁ!」
部屋の中には、日差しが差し込み、ご丁寧にスズメの鳴き声が張り付いてやがる。うっとおしい事この上ない程真っ当な朝だ。
「最悪だぜ……」
目の前の”ソレ”を突き飛ばし、机の上のタバコを探す。
「あん? モクが無ぇぞ、昨日はまだ残ってたんだけどな……」
「中学生デ、煙草ハ駄目ナニィ! 我輩、捨テテオイタ、ナニ!」
俺は目の前の”ソレ”の髪を掴んで手元に引き寄せる。
「テメー良い加減にし無ぇと、マジでバラすぞ。人形!」
「ちょっ、痛い痛い痛い! やめてよ、キチの馬鹿! 中学生で煙草吸うキチの方が悪いんじゃ無い! い、いたぁあい、我輩のポニテから手を離すナニィ!!」
「キャラが崩れてんだよ、人形!!」
「に、人形じゃないナニ……殺蔵(コロスゾ)ナニ……」

くっ……頭が痛ぇ。
 
俺の名前は機智英二(きちえいじ)皆からはキチレツなんて呼ばれてる。
俺は江戸時代の大発明家、キチレツ斎の祖先だ。キチレツ斎は結構名の知れた人で、当時の幕府御用達の発明家て奴だったらしい。初代キチレツ斎は太田道灌の元で江戸城の築城に協力して以来、機智家は徳川家から引き立てられたという経緯と親父が言っていた。
そんな家だったら、何か凄い物があるだろうと物置を調べていた時に見つけちまった。
この少女の形をした”発明品”殺蔵を。しかも運悪くうっかり起動しちまいやがった。

わかるか? 自分の先祖がこんな、少女人形を作成してた真性のド変態だと分かった時の気持ち……夜な夜なこんな人形使って遊んでたと思うと反吐がでるぜ! その俺の気持ちを察したのか、俯いたまま殺蔵がぼそりと呟いた……
「我輩は、武士ナリよ……」
俺はイラつく。
「テメーのその見た目でどうして武士とか言えるんだよ? どうみたって弱そうだし、大体女の武士とかいねーだろ? じゃあ、なんでその見た目よ? どう考えても、いかがわしいんだよ! お前はそういう目的の為の人形だろう!?」
「違うナニィ!! わ……我輩は、武士ナニィ! 武士……ナニよ」
「チィ! うぜぇ……」
曲がりなりにも尊敬していた先祖の正体が倒錯的な変態である……
そいつは憧れてた役者やアイドルがシャブ(覚せい剤)や痴漢で捕まった時位ショックなもんだ。
涙目で抗議する少女のカラクリは、俺らの年齢と大差ない姿形だ。
キチレツ斎さんよぉ、それぁ無ェぜ……

「英二〜、ごはんよぉ。殺ちゃんも早く降りてきなさ〜い」
この部屋の重たい空気も知らずに、圧倒的に間の抜けた声でお袋の声が聞こえてきた。
だが、そいつは俺にとっては好都合の助け舟だ。最早、徹也明けの眠気などどうでもよかった。殺蔵が急いでティッシュで涙を拭っている、その横を俺は知らんぷりで通り抜けた。

Re: キチレツ大百科 ( No.121 )
日時: 2016/09/22 18:51
名前: 藤尾F藤子 (ID: OqJDBjCZ)

 桜島の噴煙が、錦江湾に白昼灰を巻き上げ、時折砲声のような音を轟かせている。雲間からの太陽の日は、舞い散った火山灰で顔を隠したままだ。

 明治十一年、鹿児島市中は、昨年の西南の役にて戦火に見舞われ、未だ瓦礫の山である。市中の警察力は、西南戦争で敗れた西郷私学校党軍が多くを占めていた為、夜は山賊、盗賊紛いの輩が時々出没するらしい。市内は、戦が終わった後も時折火災に見舞われた。盗賊が火を放っているらしいと噂である。

 そんな混乱を極めている鹿児島市中を、大手を振るい、やたら元気に闊歩している者がいる……

 それは、一目で周りから浮いているのがわかる。よくよく見れば、それは少女である。しかし、その服装が異様であるのだ。
 黒いラシャの軍服である。そして、その少女は左目を怪我しているのか、包帯を巻いている。未だ鹿児島では、総髪や丁髷姿も見られる中、この少女はおかっぱ頭である。恐らく、自分で長い髪を刃物で切ってしまいバランスが取れなくなり誰かに切り直して貰ったであろう事が想像出来る。

 風が吹くと、地面に積もった灰が煽られる。

「うひゃ〜、何だか埃っぽいんだよ。ぺっぺっ! 口が砂がじゃりじゃりするんだよ……」

 殺華(さつか)は、文句を言いながらも足取り軽く鹿児島市中を闊歩する。

「すいませぇん、肝付(きもつき)と言う名の人の家を知りませんか?」
 殺華は、歩いている町人風の男に場所を尋ねる。男は殺華を見て少々たまげた顔をするが、殺華はそれに気づかない。
「き、肝付サァの家か……こん通りを真っ直ぐ行った屋敷があっど。其処じゃ」」
「ありがとう! それじゃ」

 殺華は、そのまま、また大手を振って足を高く上げて歩いていく。

 男は震えながら独り言ちた。
「あん、おじょは殺されっど……!?」


 殺華は、武家造りの廃れた屋敷の前に立っている……
 塀も屋根もボロボロである。
 薩摩武士は、贅沢を良しとしない。しかし、此れでは今にも風雨で倒壊しそうな勢いである。

「うわぁ、おんぼろな家だなぁ……まぁ、細かい事はいいや! お頼み申す〜お頼み申す〜! 訪いでありますー」

 すると、家人であろうか、一人の初老の小男が開けっ放しの門から出てきた。
 男は殺華を見るやいなや、ギョッとした顔付きになる。

「あ、あんた! そんな格好で何の積りだい! 冗談にしてもタダ済まないよ!?」

 殺華は、それを聞くと一瞬首を傾げるが、また無邪気な顔で言った。

「はれ? おじさんは薩摩人じゃないね、言葉がちがうもの。僕は薩人が喋ると何を言っているのかよくわからない事があるよ〜えへへ」

「そんな事はどうでもいいよ、早く此処からお去りなさいな!」

 すると、門の奥から何やら騒がしい声が聞こえてきた。

「ないじゃ!! うぜらし(うるさい)声が聞こえよっぞ! ないごちじゃい!?」

 薩摩風の広い月代の丁髷を結った男が、赤い顔を更に赤黒く染めた恐ろしい顔付きでのしのしと歩いてくる。酔っている……しかも、かなりの量だ。

「あの、肝付サに会いたいんだょ。僕」

 男の目が一際にギラついた!

「なんじゃ!? 汝(わい:貴様)や! よく見りゃ、おなごが官軍の制服ば着ておっぞ!」

 その怒声を聞くやいなや如何にも薩摩の豪胆者(ぼっけもの)と言う風体の若者達が屋敷の離れから続々と肩を怒らせ出てくる。
「ご無礼さぁなこつ! そがな賊敵の服なんぞ着いよっつからに! おじょごでんゆるさんぞ! きさん」
「大先生(西郷隆盛)の仇ば討ちよるぞ! 寄れ寄れ(こいこい)!!」

 あっという間に、殺華は薩摩の荒ぶる若者達十数人に囲まれた。

「あわわわ、ぼぼぼ、僕は薬丸どんの剣を、おお、教えて欲しいんだょ……あにょあにょ、その」

 一瞬間が空く、そして再び怒声が湧き上がる。
「こん和郎(わろ:野郎)が!! 巫山戯たこつぬかしよっぞ! 川にでん突き落としてくっがよか」

 此処に居る若者達は皆、西南戦争で西郷と共に死に行くと決め私学校党に向かうも年少である事と、最早勝ち目の無い戦である事から従軍を断られ、其の機を逃し、家でゴロを巻いて終日ヤケ酒を飲んでいたのだ。そして、力を持て余しながら、連日喧嘩粗暴に費やしていたのだ。其処に事もあろうに、西南戦争で西郷私学校党軍の敵である、官軍の制服を着てノコノコと殺華は現れてしまったのである……

「良し! わいどんら、こん和郎を橋から甲突川に突き落としてやいもそ」

「うわぁぁぁ、止めてょ! 僕、泳ぎは得意じゃないんだよ! 川に落とされたら、そのまま流されちゃうよっ」

「やぞろしっ(やかましい)ヤッセンぞ(だめだ)」

 殺華は、若者達に胴上げされて連れて行かれる。

(どうしよう! 川に沈んぢゃうとまずいよ!)

 殺華は恐怖する。
 殺華は人間ではない、殺女(さつめ)と言う、傀儡人形である。
 だから、人よりも生命力は多少強い。体の大半を損壊しても、頚椎を損傷しない限り、即死は出来ない。

 簡単に死ねないと言う事は、簡単には死に際の苦痛から逃れられないと言う事である。
 
「うぇぇえええん! いやだょぉぉ、死にだくないよぼぉぉ! うぇぇぇ」

「ないじゃこん臆病坊(やっせんぼう)は……」

 気が逸れたとばかりに、若者達は殺華を近所にある田んぼの肥溜めに捨てていった。

「きさん! 次にそげな格好でいっぺこっぺ(彼方此方)しよってたら、おごじょでん容赦せんど!」

「うへぇぇぇん!! ふえぇ〜ん」

 薩摩の荒ぶる二才(にせ:若者)達は、そのまま皆、武張った独特の歩き方で去って行った。殺華は訳も分からず肥に塗れながら道端でわんわん泣いた。

「何で、こんな事されなきゃいけないのさ〜! 僕の一張羅だぞぅ……うぇぇぇん」

Re: キチレツ大百科 ( No.122 )
日時: 2016/10/05 20:40
名前: 藤尾藤子 (ID: utrgh/zS)

鹿児島市中を、甲突川の上流に向かい殺華(さつか)が泣きながら歩いている。行き交う人々は、皆、官軍の隊服を着た牛肥塗れの少女を見るや否や道を避ける。この、薩摩の精神的支柱であり、当時日本国では維新三傑の一人であり代表的な英雄仁者たる西郷隆盛を破った官軍の服である。
 この国では、この時代に『大将』と言う言葉は軍事的階級ではなく、西郷を表す言葉であった。だから、薩摩、鹿児島市中では、当然のごとく誰もがこの少女に関わりを持ちたがる筈もなく、年若な者達からは、罵声と共に石も投げられた。

「うわぁぁん! 止めてよぉぉ」

 殺華は、トコトコと方々で逃げ回りながら、市中の外れにある山中に入る。

「うぇぇぇっ、痛いし、臭いよぅ……石つぶてが頭に当たったんだよ、今日は散々だょ」

 鬱蒼と茂る山の中、時刻は申の刻、暮六つ。今の時刻では大体午後17〜18時といったところだろうか。逢魔が刻か、黄昏刻か……

 逢魔”アウマ”が刻は……”魔”と遭う刻。 
 黄昏”タソカレ”刻は……”タレ(誰)ゾ”と遭う刻。

「すっかり日が暮れてしまったょ……お腹へったなぁ。どうせ今日もたくあんと汁だけだろうなぁ」

 殺華は、茂みの中の道無き道を文句タラタラと草木を掻き分け進んで行く。しばらく進むと踏み固められた路に出た。

 付近には、九州地方の低地の森林に群生している、ユスの木が一面生えている。灰色の樹皮が、夕焼けに照らされて燈色に染まっている。その林床に葉蘭が寄り添う様に茂っている。時折、殺華は足元にほんのりと咲いている野生の鈴蘭やツツシシャクナゲを見つけると、その都度しゃがんで興味深げに鑑賞してしまい、時間を食ってしまう。

 もう、辺りはすっかり夜闇の中である。

 その時、林の中で影が動いた! 黒い、大きな群れ。

「!!」
 殺華は思わず、林の陰に身を小さくして伏せる。
 すると、その影が幾つかに分かれて路に雪崩れ込んできた。

「誰かいたか!?」
「いや、いない……ムジナかなにか、じゃぁかか?」

「いんや……居る。人だぜ? 何か肥の様な臭いがする。農夫なら農具を分捕って殺しゃァいい」
 一人だけ髷を結っている男が言った。元は何処かの下級の侍か何かであったのであろう。大抵こういった輩が盗賊に走る。江戸でも、盗賊の多くは市民農民よりも、下級の旗本の息子などが占めていたし、京都でもその日の金が無くなると、下級の公家などは押し借り強盗を働く者が多かった。特に幕末に幕府が困窮すると、そういった事が頻繁になった。赤坂見附の歩兵の駐屯所は兵を養いきれず、多くが放逐されたが、この当時の歩兵は食い詰め者の不浪人や足軽、軽輩である。そういった連中は全国に散り、暴虐を働き市民や幕府、後の新政府をも悩ませた。
 
 見知らぬ十、四五人の集団。抜き身の刀を手にしている。その身なり素振りから見て追い剥ぎや盗賊の群れで間違いない。何処と無く粗野で血生臭い……
 殺華が、先程訪ねた肝付邸の兵児二才(へごにせ)の暴気者(ぼっけもの)達とはまた違う、何処か卑屈で残虐な臭いを感じる。この連中は、容赦無く誰彼構わずに奪い、殺すだろう。当然、女ならば強姦され倒した挙句、何処かに売り飛ばされる。

(あひゃあああ、あ、あれは洒落にならない相手なんだよ!!)
 
 殺華は、木陰に身を隠しながら様子を見ている。今、殺華には官軍時代に支給された刀も新式鉄砲もない。何より、この時期の殺華は撃剣などまだ習っていないのだ。

(あわわ、こわいよぅ……)

 殺華は、身を震わせる。仮にも、機智家配下の傀儡人形”殺女”に於いて”殺”の銘を受けた殺華ではあるが、殺華は幕末京都に於いては潜入を、鳥羽伏見、戊辰戦争は、戦場でほぼ遊んでいたに過ぎず、特にこれと言う戦果など挙げてはいない。ただ、銃を撃ち鳴らして、騒ぎながら走って、使えもしない刀を振り回していた様なものである。それでも、殺華は不思議とヘラヘラと生きて帰ってくるのだ。
 官軍、東征急先鋒長州諸隊、遊撃隊総指揮の殺死丸(あやしまる)は、戊辰戦争以前は長州と京都を飛び回り多忙を極めていた。その為に、殺華には、ロクな修練も面倒も見てやる余裕はなかったのだ。歳の近い姉妹である殺目(あやめ)も、尉官の為に他の殺女兵の指揮等に手一杯だった。

 殺華は、西南戦争でも突撃と同時に西郷私学校党軍の砲兵隊に射撃され、出遅れた為に何が何やら解らずに抜刀突撃し、薩摩斬り込み隊に刀をへし折られ、逃げ回りながら銃を撃ち尽くし、捕まってしまった。殺目などは、総身に傷を負い、まるで血だるまの様になって捕虜になった。殺華は左目を失ったものの他は割と軽傷であった。

(こ、今回だって、きっと切り抜けられるやい! 逃げるぞ……)

 しかし、殺華が身を動かそうとした瞬間、足元で小枝が鳴った。

「いたぞぉぉ!! 切り殺せェや!」
 野盗が二人、先立ち駆ける。

「ひぃやぁぁ!! 馬鹿馬鹿、僕の馬鹿っ」

 殺華は足元を怠った。恐怖でこんな基本すら忘れていたのだ。

 駆ける、駆ける。
 殺華は、比較的基本運動神経は良い。しかも、ここ最近は毎日山野を駆けずり回っている為に、足腰は自然と強くなる。歩く量などは一般の人間とは比較にならない距離である。

 しかし、此の時代、今の様に歩道が確保されている訳ではない。山野の路などは尚更にである。

「あっっ!!」

 殺華は、駆ける足元に何かを引っ掛け転倒する。常人よりも速度が上がっている為に、転倒の衝撃もそれに比重される。

「うぎゃわわわんわわん!」

 殺華は、転がりながら、赤樫の幹に叩きつけられた。
 目を回す……何処が何方か解らない。ただ分かっているのは、もう辺りはすっかり夜なのだ。

 助けなど、誰(タレ)ゾ来よう筈も無い。森の闇……
 息を切らしながら、遅れて野盗共が殺華に追いついて来た。

「へっ、もう、逃げ場はないぞ?」

 一人の男が言った。
「おい! 此奴、妙な筒袖着ていやがるが、女だぞ。餓鬼だがなぁ!」

「ぎゃははは、丁度良いじゃねーか! よく見りゃ整った育ちの良いツラしてやがる」

「何処ぞの武家の娘……かね?」
 一人の男が殺華の髪を引っ張り上げて顔を見ながら嘲り笑う。

「う、うんん……あゃ!! あわわわ」

「おらぁ、服脱がせ! その筒袖は高く売れるぞ。餓鬼も(副管理人1が削除しました。 2016.10.05)(マワ)した後に商人に売りつけりゃ今夜は上々だ!」
「俺が先だぞバカヤロウ!」

 一人が殺華を殴った後に押し倒す。

「うあわぁぁぁ! この、このっ触らないでよっ! 嫌なんだよ」

「うるせい、ん……何だか臭ぇ餓鬼だな」
「うるさいんだよ! 余計なお世話なんだよ!!」

「馬鹿! とっとと裸にひん剥いちまえよ」

「いゃだょおおおおお! わぁぁぁぁぁ」

 殺華の、ラシャの軍服のボタンが飛び散っていく。

「やめてっ! この服わ……この」

「良い加減に往生しやがれや! メス餓鬼がっ、たたっ殺すぞ!?」

「ひぃ、ひぐっう、うぇぇぇん」
 殺華は、釦の飛んだ上着の前を抑えながら泣いた。
 上から刀の柄が、容赦なく殺華の頭上に浴びせかけられる。


 ガサリ、木の陰から音がした。

 その音を聞いた時、男達が瞬間、その方向に向け一斉に視線を流す。

「誰かいるぞ!?」

「野郎、仲間か?」

 しかし、凄まじい勢いで男達の視線の動いた先とは真反対の方向から何かが来る!

 同時に血の棒が何本が立ち上がる。

 殺華の近くに、何かがボトリと音立てて落ちてきた。
 人間の頭部であるのだが、丁度目玉から真横に断ち割られている為に、殺華にはそれが一瞬何か帽子か被り物が落ちた様に思えたが、人間の頭頂部である。

 次の瞬間には、悲鳴と鮮血が飛び散っていた……

「て、てめぇ!!」

 野盗の一人が、刀を振り被り切り掛かる!
 しかし、それは一瞬として斜めに斬り下されると、下半身を残して、上半身だけが地面へと落ちた。その時、殺華は初めて、その斬り手の顔を見た。

「た、頼母君!!」

 返り血を浴びたその顔に相反した、何処か愛嬌のある笑みを浮かべた頼母壮八であった。

「帰りが遅っで、心配すつっがぞ。殺華さぁ……」

 そう言うと、壮八はまた一人斬り捨てた。

Re: キチレツ大百科 ( No.123 )
日時: 2016/10/10 19:59
名前: 藤尾F藤子 (ID: qUgMea5w)

「許しを乞っなら命迄は取りゃせんが……」

 頼母壮八は、剣を蜻蛉に構えそう云った。

「……薩南示現流」

 一人だけ、髷を結っている男が言った。その瞳は暗く、また黄身掛かって淀んでいる。恐らく、もう相当数こういったやり取りに出会しているのだろう。

「当流の剣をしっておっなら、俺いの前にゃ立てん筈じゃい。命ば乞え……」

「知っているよ……薩摩藩士とも、長州藩士とも、土佐藩士でも斬ってやったよ?」

 男は、ヌラリと言ってのけた。恐らくこの男は、嘗て何処ぞに扶持を得ていた武士であろう……しかし、明治新政府になった後、食い詰めて、こんな南の薩摩で野盗の用心棒にでもなったのだろう。

 それは、官軍の兵士も例外ではなかった。明治政府樹立後、多くの官軍兵士達は約束を反故にされ放逐させられた。そして、その上更に士族制度の廃止、廃藩置県。侍は食い扶持を失い、軍の尉官は薩長土で占めらる。しかし薩長土ですら、限りある軍籍をこれ以上必要にふやす事は出来無い……

 そして、来るべき新しい国家制定に於いて、必要以上の兵隊はお荷物でしかないのだ。今、軍籍や官職にある者達は洋行をしたり、新しい国軍制度、陸軍鎮台に向け準備をしている者達である。何時迄も侍、大名など旧封建制度に縛られている、古い考えの者達に職を斡旋してやっている余裕は無いし、そんな空席も無いのだ。
 時代が必要としている者は、兵士戦争屋ではなく、文官、政治家なのである。

「おれは元、見廻組でね」
 頼母は笑止する。
「腐っても、元幕臣が野盗とは……フン、こや恐れいいもす」

「キィィィエア!」

 頼母は蜻蛉からの捻り打ちで袈裟を狙う!

「そぉりやぁぁ」

 髷の男は瞬間飛びすさり、立て直してからの一刀を振るう。しかし、刀の峰でそれをはじき返す頼母。

 二人の距離はまた開いた……

「囲め囲めィ!」

 盗賊達が集まってくる。その手にしているのは、朽ちた刀、鍬、匕首(短刀)など様々である。

「よか、死にたい奴は切り捨っぞ! 寄れ寄れ!!」
 頼母の気魄が、闇夜を撃つ。それが魄だけ残して夜闇に滲みる。

「ひぃっ!」
「お前が先に行け!」
「てめぇがいきやがれってんだぃ」

 蜻蛉に剣を立てる壮八の顔は、まるで明王の如き立ち様である。
 すると、突然後方から悲鳴が上がる。同時に腕が斬り飛ばされ、髪の毛の皮膚ごと斬り飛ばされた人間の頭、鬢の部分である。


「頼母……こんな連中ぐらい早く片付けろよ? それにしても酷い臭いだな。所詮野盗風情に身をやつす非人が醸す畜生の臭いか?」

「あ、殺目ちゃん!」
「!?」
 殺華を見つけると殺目はギョッとした顔をする。
「なっ! こっちに来るな穢れが移る!! お前どうしてそんなナリに……」

「ふぇ、今日は散々だったよ……肝付邸に訪いに行ったら、怖い暴気者(ぼっけもん)が十人位出て来て怒鳴られた。それで『川に突き落として来い』だなんて言われて……」
「何故川に落とされてそうなる!」
「いや、僕は泳げないから死んじゃうと言ったら、代わりに肥に落とされた」

「何故川に落とされてこない! そっちの方が余程良い」
「だって沈んで海まで行ったらどうするのさ……」
 殺目は呆れた様に殺華を一瞥すると、再び辺りを見回した。

「壮八が三人、私の所が八人と言う所か……」

 野盗の群れが、殺目を観察する様に見やっている。

「さっきのあれはぐうぜんじゃなかか?」
 一人が言った……
 確かに、今、殺目は女者のどちらかと言うと質素な着物を着ている。背丈はこの時代の女子よりかは高い。男子の平均より高いであろう。この時代の男子の平均身長は155㎝だったと言う。殺目は165位はあるだろうか、この明治に於いては大女である。しかし、着物の線で分かる……明らかに細身であるのだ。

「なんでぇ、さっきのは偶々さ。やっちまえ! 全員でかかれば何て事はねぇぞ!」

「おぉぉ! 掛かれ」

 殺目はそれを聞き、明らかに不快を露わに視線を向ける。
「……野盗風情の非人どもが、この私に口を聞くか!? いいだろう、後悔するぞ? アチラは命を乞えば助かるやもしれないが、コチラは死を乞う程の目に合わせてやるぞ……!?」

「全員でかかれ!!」


 殺目は、八双に太刀構えを取りながら、目にも言わさぬスピードで駆けると突然地面を舐める程の低空に沈み込んだ。

「!!」
「?」

 すると、一気に三人がありえない角度でその場に倒れる。

「! なんだ、あ、あぁぁぁあ……」

 見上げると、足が地面に残って立っていた。
「ひひひひひひぃぃぃっ!」

 一斉に倒れた者たちがこの世の者とは思えぬ悲鳴をあげ転がり回る。

 殺目はそのままその背後に居た者に向け、立ち上がりと同時に上段の拝み打ちで頭の天辺から腰骨までを斬り下げる。

「じぇやぁぁ!!」

 頭を破られた男の体を蹴り弾き、次の相手に襲いかかる殺目。

「お、お助け! おたす」
 眉間の間に、太刀先が吸い込まれる様に突き刺さる。
「かががががが……」

 眉間を太刀で突くなどは狙って出来る物ではない。おそらく、殺目は顔の中心を狙ったのである。しかし、湾曲し、身幅の広い太刀で突き技を使うのは容易ならざる事なのだ。

 その時、隙をついて鍬が殺目の頭部を狙い振り下ろされる。

 しかし、殺目はそれに、今突き刺している男の死体を足で押し当てて、刀を引き抜き、もう一度重ね合わせで太刀を思い切り突き刺した。最初に刺した相手の死体の下からの呻きが聞こえる。すると、殺目はもう一度強く太刀を捻り込み力を入れる。

「ふうぅん? どうしたぁぁ!!」

「ひぁああああああ」

 残りが、棟梁株の髷の男と頼母壮八の方へ駆けて行った。

「ふん、腰抜けめ……」

「あ、殺目ちゃん! こいつら何処かで盗みをした帰りだよ、戦利品がある」
「あぁ、もう既に着物に返り血が付いていた。押し込みでも仕掛けたのだろう?」

 殺目は、最初に足を切断した三人にとどめを刺した。

「やったぁぁ! 殺目ちゃん、着物と食べ物が入っているんだょ! 頂いていこう」

「その前に、頼母の方を片付けるぞ。お前も落ちている短刀か、デカイ石でも拾っておけ……」

 二人は、頼母のいる方向に駆ける。

Re: キチレツ大百科 ( No.124 )
日時: 2016/10/13 00:51
名前: 藤尾F藤子 (ID: W16flDsP)

「むぉぉぉっ!! 凄いぞぅ殺目ちゃんっ!? 頼母くんと競り合ってる奴がいる」

 興奮する殺華を他所に、殺目はそれを見て嘆息する。

「あいつ、なにやってるんだ……!」

 頼母壮八は何やら考えながら、その刀を振っている様に殺目には解った。示現流の思い切りの良い一撃太刀が出ていない。

(あいつ、上の空か……相手は元、侍であろうと大した伎倆でもあるまい。嬲る積りか?)

「凄いぞ、あの頼母くんが苦戦しているぞぅ! よし助太刀だい」

 殺華は解っていない。頼母壮八が相手に攻め立てられている様に感じているのだろう。
殺目は良い加減にその様子に焦れた。
「頼母、どうした? そんな奴さっと斬り捨てろ。私は夕餉の準備で忙しい、それに殺華を水場に落として穢れを洗ってからでなくては敷居に上げられん。手短にしろ」
「えぇ!?」
 殺目のさらっと言った一言に驚愕する殺華。

「心配入りもさん、暫し待ったモンせ」
「なにぃ……貴様! 手抜きを致していたというか!」
 野盗の男が吠えながら、また斬り掛かってくる。しかし、青い火花が闇の中一瞬咲くと、それが弾かれる。

「汝(わい:貴様)も俺い達と同じじゃ……最早、こん時代にゃ居場所は無か」

「居場所? それがどうした! そんなものいるか!? 腹が減れば食物を奪えばいい、女が抱きたきゃ、気に入った女を掻っ攫って来ればいい、銭がないなら有る奴から奪えやぁいい! それが何だというのだ、なんだと……言うのだ」

 それを聞いて壮八が言った。
「しけんし、ないぜじゃろな? お前さの目にゃ、悔いが見えよるぞ……」

「!?」

 二人の男が一瞬止まる、お互いの間合いの中(うち)で。

「悔いだと?」
「そんなモンがあいよる奴に、俺いの剣はもったいなか。死ぬ気で来いやい!!」 

 夜、見上げれば、満天がこちらを見ている。

 殺目の眼が、其れを朧に見ている……

「殺華……飛礫を投げろ。あの男の足先でいい。早く」
「え、でも……」
「早く」

 殺華は、仕方なしに男足元目掛け飛礫を投げた。

 闇の中、小石が飛ぶ。

「?」
「!!」

 其の石が足元に命中するやいなや、男は一瞬にして刀を突き出す!

 壮八は、隨それに反応し、反射的に突きを交わしながら、逆袈裟で男を斬り上げた。
 次の瞬間、殺目が残りの野盗を奇襲する。

「ゼェイァア!」
 横薙ぎで一閃、それを返す形で二閃。二つの体が斬り飛ばされる様にユスの木に叩き付けられていった。そのバックリと割れた切り口から見て即死である。

 一人だけ残った……まだ十二、三といった子供であろうか? 武士の子であろうとも元服をも済ませていない歳である。子供は観念した様に、頭を地面に擦り付けながら同じ言葉を使いながら許しを請うた。

「殺目さぁ! あや、いけんしたとよ(あれは、どうゆう積りだ)!」
 殺目は、その言葉に耳を貸さず、足元に土下座する子供を見下ろしている。

「あやめちゃん! 待って!?」
「殺目さぁ?」

 ゾズ、と云う鈍い音が響く。殺目は子供の頭にそのまま太刀を突き立てている。

「ェェェェェェっ!!」
 殺目は舌打ちすると、子供の頭に足を掛け、一層に太刀に力を込める。
「っっっ!! ……っっ! !!」

「稀にいる、死に切れない奴が。餓鬼だと生命力が強いのかもしれない……」
 特に感慨もなく殺目は謂った。殺華は、その様を何も言わずに見つめている。
 頼母は、一瞬、顔を伏せた。

「殺目さぁ……何も、幼か子にその仕打ちはなかっじゃろい……」
「敵に、幼いも糞もあるか? なぁ、あるのか? 壮八……」
 頼母は毅然として謂った。
「敵であろうと、敗けを認めた者を殺すは”弱モノ、虐める勿れ”に反する恥ずべきこつじゃ……それん、相手は子供っじゃぞ」

「知るかよ……敵の事情なぞ。子供だろうと、大人だろうと」
「殺目さぁ……」

 殺華は、頼母の手を引っ張り首を振る。
「頼母くん……あの、その」

「殺華!!」
「ひゃん!」

「飯の支度がある、お前は服と身体を洗うんだぞ! モタモタするんじゃない」

「えぇ、先に湯浴みしちゃ……だめ?」
 殺華は懇願の目を殺目に向けるが、殺目はもう背を向けていた……

「ないや、何かあったとじゃ? 殺目さぁは」

「うん、京に居る頃に長州藩邸でちょっとね。ゴメンね、頼母くん……助けてくれてありがと」

「ん……!? こやいかん」

 頼母は、自分の巻いている兵児帯を外し、殺華のボタンの飛んだ軍服の前を結んでやった。

「そいじゃ、俺いは後始末しもんそ、殺華さぁは殺目さぁと共に一先ず帰っちくいやんせ」

「うん……」

「浮かん顔じゃな? んだもしたん?(どうした?)」
「肝付邸で苛められて門前払いになった」

「はぁん、薬丸自顕流の若い門下はかごんま(鹿児島)の暴気者(ぼっけもの)揃いじゃ。其奴らに苛められたか」
「うん……何でだろう、僕は長州の殺女衆に居た頃にもよく苛められたし、なんだか凄く侮られるんだ。揃いも剃ってさ、無礼極まりなんだよ」

「気ぃすっことなかっじゃろ、むぜっこ(可愛い子)は苛めてみたくなるんじゃろ? 他人の侮り嘲りなんぞ好きなだけさせておけば良かっぞ」
「えぇ! 実際に困るんだよ! 僕は肥に叩き落されたんだよ。もう、いゃなんだょ。怖いんだよ。彼奴ら。でも、やっぱり僕が可愛いから苛めるんだね!? そうだと思った!」
「……しかし、殺華さぁ? そやつらに受け入れられんと薬丸自顕流は習得できんぞ?」
「もういいよ、大体、頼母くんは薩南示現流の使い手だろう? 何でそれじゃダメなのさぁ」
「薬丸自顕流の方が殺華さぁには合っておっ」
「殺目ちゃんもそういうけど、だからなんでなんだよ? 示現流と自顕流、どっちもおなじじゃないか? キチガイみたいにキャーと喚いて木刀振るんだろ、今、僕も言われた通りに毎朝、キチガイみたいに木に向かってやっているよ?」

「なんちゅてん(なんといっても)殺華さぁは、まず帰って湯浴みばして、キッサナカ(きたない)服を洗うんが先っぞ? 後で飯ば食いながら、剣の話ばしてやいもそ。お前さが好きな半次郎どんのこつも教えてやっど」

「えっ!? 本当かい? 桐野少将の話!?」
「まっこてじゃ……」

「わかった! 帰る」

 殺華は、忽ち元気を取り戻し、走って殺目の後を追った。

 それを見送ると、頼母は子供の身体が一つ入る分だけ手で穴を掘った。

(ぐらしこっ(可哀想な事)してしもうたが、せめて屍は埋めてやろう)

 頼母はそう思いながら穴を掘った……


Re: キチレツ大百科 ( No.125 )
日時: 2016/11/08 21:38
名前: 藤尾F藤子 (ID: h6SCL0Q5)

 鹿児島市内外れの山の中、打ち棄てられた寺がある。もはや仏像や法具の類はなく、本当に只の伽藍堂である。其処へ頼母達、西南の役で落ち延びた、西郷私学校党軍の若い兵士達十人余りが屯集し身を潜め住み着いていた。

 薩摩は、廃仏毀釈の強い藩風であった。

 この寺は、日本で唯一の完全なる英雄大名、島津斉彬が江戸後期に藩の財政難を救う為に鉄、金具を徴収したのがきっかけで廃寺となったその残滓である。
 斉彬は当時の大名としては傑出し過ぎていた英雄である。当時早くから世界の趨勢を一商人を呼び直接に聞き、貿易、工業、生産等を進め、薩摩の財政難をも救った。それだけではない、なんと、この当時に既に日露戦争を予見している。

 その為か、斉彬は大名という立場ながら、人材の発掘に余念がない人物であった。しかし、当時の大名感覚などは、言ってしまえば配下民衆など奴隷と同じ様なものである。
 無理もない、そういう立場であり、そういう教育を周囲から叩き込まれる。しかし、斉彬は違った。下々の者達からもこれぞと言う逸材を見つけると、それを登用し、自らが目を掛けるのだ。
 そして、この英雄大名が見つけ、生涯を賭け磨いた人物がいた。
 
 それが、維新最大の元勲、西郷吉之助(隆盛)である。
 
 もし、島津斉彬が、幕末の動乱を前に早すぎる死を迎えなければ、この日本の歴史はまた、変わったものであっただろう。
 もしかしたら、それは維新回天すら遺恨無く成し、西郷が政争に破れ下野する事なく、全国の不平士族が蜂起する事なく、西南の役も回避できたやもしれない。それだけの可能性を、島津斉彬は持っていたし、その子弟たちが世を変えたと言ってもいい。

 だが、歴史と言うものは、果たして人が造り紡いでいるだけであろうか?
 其処には、そこはかとなく叡智、人知を超えた何かがあるのだろう。何故なら、人間には、どんなに科学や思想、文化を進化、発展させたとしても、流れ落ちる砂塵の様な”刻”というもの……その一秒すら完全に識る事は出来無いのだから。

 そう、人間はどんなに願っても、次に落ちてくる、時間という砂の像(かたち)すら予測できない。ただ、その場において、去りゆく刻を見送るのみである。
 それは、現在(いま)という場所でのたうつ魚のよう……


「いいか! そこの壺にある灰で服と全身を隈無く洗ったのちに、サボン(しゃぼん石鹸)でもう一度全身と服を洗うっちゃぞ! 臭いが残っちいたら母屋には上げんち」

 殺目は、少し長州訛りのある言葉でいうと、水場からボロ寺の離れに戻っていった。どうやら飯の支度に忙しいらしい。

「うぅぅぅまだこの時期は寒いんだょ……」

 殺華は、軍服を脱いで、まず石灰で洗濯をする。しかし、殺華は自分が寝巻きしか持ってない事を思い出した。

「殺目ちゃぁぁぁん! しまった、僕、着替えが……ありゃ?」

 しかし、水場の隅に、そっと着替えの浴衣が置いてあった。殺目が用意していたのだろうか、そういえば何時の間にか殺目は女物の着物を着ていた。

「……えぇいい! 死なば諸共だょ!!」

 殺華は、暗くなった寒空の下で水を被った。

 鹿児島には、警視庁巡査隊、千五百人と、これに官軍新撰旅団の一部が未だ駐屯している。

 鹿児島市中の一万戸はまだ瓦礫同然で野犬や野盗、山賊で市中の民は夜も眠れぬ日々を送っている。

 その営舎で、マンテル服に黒い外套を引っ掛けた死連(しづれ)が数枚の手稿に目を通しながら溜息を吐いている。

「はぁ、まったく皆、勝手ばかり言ってくれるな……この上更に討伐隊か」

 第一旅団司令長官の陸軍大将、野津鎮雄が机に座ったまま言った。
「元近衛鎮台の殺女の二人は、果たして脱走と言う位置づけてよかもんですか?」
 死連は、被っている軍帽をツイと上げて野津を見やる。
「本日、錦江湾付近の商人から、軍服を一着金に変えていった少女が来たと密告があった。恐らく殺目か殺華だろう……最悪の事態だ、アレらは完全に自分の意思で徐隊し、遁走しているという事になります」

「どうにかして、穏当に戻してやっこつはでくっじゃろか?」
 野津は、薩摩藩士らしく憐れみの面持ちで言った。
「私としても、もう少し様子を見させて頂けると有難いです。ですが、征討の意を唱えているのが、どうやら川路大警視らしいのです……」

「川路か……よし、その旨、俺いが、慎吾どんに手紙ば書いておく。さすらば川路も押してはこんじゃろ?」

 慎吾とは、西郷従道(さいごうつぐみち)陸軍少将、後の海軍大将である。西郷隆盛の弟で、西南戦争では、最も西郷の敵となった人物である。死連も幕末期には薩摩の精忠組という攘夷派組織で軽輩同士で共に肩を並べた仲でもある。

「忝い、お心遣い感謝いたします」

 死連は頭を下げる。

 因みに、この野津鎮雄の弟の道貫は、日露戦争の開戦第一発を放った第4軍司令官である。

「しかし、アレら妹達の不平のやるかたなき様も分からなくもありませぬ」

 明治新政府は此処に来て、今迄散々使い倒してきた殺女兵を疎ましくさえ思っている。あまつさえ、次の西郷私学校東軍かのような危惧さえ見られるのだ。
 政府樹立後、殺死丸は軍籍を奪われ、今は機智家に帰り、機智烈斎の侍従なっている。

 野津は言った。
「おいも、これ以上、西南の地で争いばしたくなかよ。軽挙は避け、宜しくやったもんせ? 死連さ」

「重ね重ね感謝の言葉もなく……」

 死連は、鹿児島市中に馬を走らせるべく部屋を辞した……



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