複雑・ファジー小説

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キチレツ大百科
日時: 2016/01/06 12:05
名前: 藤尾F藤子 (ID: .5n9hJ8s)

「起キル……」
「起キル……」

あぁ、うるせーな。俺は昨夜も”発明品”の開発でいそがしかったんだよ……眠らせてくれよ。

「起キル……」
「起キル……」
微睡みの海の底、聞こえる女の子の聲。少し擽ったい感覚が夢を揺さぶる波のよう。
ふと思うんだ、これがクラスメートで皆のアイドル、読田詠子、通称”よみちゃん”だったらいいな……て。いいさ、わかってる。どうせ夢だろ? 
夢の狭間で間の抜けた自問自答。
そいつが、嘲るみたいに眠りの終わりを通告している。

「キチレツ、起キル”ナニ”!!!!」

Goddamit!
そう、いつもそうなんだ。俺の眠りが最高潮に気持の良い時に、決まってコイツが割り込んでくる。俺がご所望なのはテメーじゃねんだよ?
「くっ!? 頭に響く、うるせーぞ、ポンコツ! テメー解体して無に帰すぞガラクタがぁ!!」
「なんだと〜、やるかぁ!」
部屋の中には、日差しが差し込み、ご丁寧にスズメの鳴き声が張り付いてやがる。うっとおしい事この上ない程真っ当な朝だ。
「最悪だぜ……」
目の前の”ソレ”を突き飛ばし、机の上のタバコを探す。
「あん? モクが無ぇぞ、昨日はまだ残ってたんだけどな……」
「中学生デ、煙草ハ駄目ナニィ! 我輩、捨テテオイタ、ナニ!」
俺は目の前の”ソレ”の髪を掴んで手元に引き寄せる。
「テメー良い加減にし無ぇと、マジでバラすぞ。人形!」
「ちょっ、痛い痛い痛い! やめてよ、キチの馬鹿! 中学生で煙草吸うキチの方が悪いんじゃ無い! い、いたぁあい、我輩のポニテから手を離すナニィ!!」
「キャラが崩れてんだよ、人形!!」
「に、人形じゃないナニ……殺蔵(コロスゾ)ナニ……」

くっ……頭が痛ぇ。
 
俺の名前は機智英二(きちえいじ)皆からはキチレツなんて呼ばれてる。
俺は江戸時代の大発明家、キチレツ斎の祖先だ。キチレツ斎は結構名の知れた人で、当時の幕府御用達の発明家て奴だったらしい。初代キチレツ斎は太田道灌の元で江戸城の築城に協力して以来、機智家は徳川家から引き立てられたという経緯と親父が言っていた。
そんな家だったら、何か凄い物があるだろうと物置を調べていた時に見つけちまった。
この少女の形をした”発明品”殺蔵を。しかも運悪くうっかり起動しちまいやがった。

わかるか? 自分の先祖がこんな、少女人形を作成してた真性のド変態だと分かった時の気持ち……夜な夜なこんな人形使って遊んでたと思うと反吐がでるぜ! その俺の気持ちを察したのか、俯いたまま殺蔵がぼそりと呟いた……
「我輩は、武士ナリよ……」
俺はイラつく。
「テメーのその見た目でどうして武士とか言えるんだよ? どうみたって弱そうだし、大体女の武士とかいねーだろ? じゃあ、なんでその見た目よ? どう考えても、いかがわしいんだよ! お前はそういう目的の為の人形だろう!?」
「違うナニィ!! わ……我輩は、武士ナニィ! 武士……ナニよ」
「チィ! うぜぇ……」
曲がりなりにも尊敬していた先祖の正体が倒錯的な変態である……
そいつは憧れてた役者やアイドルがシャブ(覚せい剤)や痴漢で捕まった時位ショックなもんだ。
涙目で抗議する少女のカラクリは、俺らの年齢と大差ない姿形だ。
キチレツ斎さんよぉ、それぁ無ェぜ……

「英二〜、ごはんよぉ。殺ちゃんも早く降りてきなさ〜い」
この部屋の重たい空気も知らずに、圧倒的に間の抜けた声でお袋の声が聞こえてきた。
だが、そいつは俺にとっては好都合の助け舟だ。最早、徹也明けの眠気などどうでもよかった。殺蔵が急いでティッシュで涙を拭っている、その横を俺は知らんぷりで通り抜けた。

Re: キチレツ大百科 ( No.156 )
日時: 2017/04/08 05:05
名前: 藤尾F藤子 (ID: ..71WWcf)

奇妙な空気がその場を包んでいた…… 
 大徳寺は何故か、血影と向き合う形となっているが、どうすればいいか分からない。

 血影は、サーベルを器用に納刀して腰の対革に着剣すると、何処か怪訝な面持ちと瞳で大徳寺の顔を見遣った……

「貴方、私の思う公家とは違うのよね。私の思う公家というのはね? 弱い癖に横柄で、狭い自分達の価値観だけに生きている者達……自分の命が第一で、知性の欠片も無い連中……未だに自分達は、この国の特権的庇護下にあると思っている世間知らず達よ?」

 大徳寺も何と返していいか分からない。
 血影の言っている事は、公家という存在の一面を、ある意味鋭く言い当てている。そして、それを一番よく理解して、幕末朝廷工作を行っていたのが殺死丸や死連なのである……

「私の印象だとね、貴方の様に下級の殺女の為に命を賭そうだなんて公家なんか居る訳ないのよね……? フフン」

 血影が、大徳寺の顔を覗き込む。

 大徳寺は、いま自分の置かれている立場がまだ理解できない。

「あ、あの……私は、ど……どう、立ち振る舞えばいいか、あの……?」
 血影は「フン」と言って首を傾げると、大徳寺の鼻先に息が当たる位に顔を近づけた。
「フフン……いいわ! 貴方なんか、殺してもしょうがないもの……見逃してあげましょう、精々感謝するのね?」
「は……はは、私は、助かった……!?」
 大徳寺は、今漸くそのへばり付く恐怖から解放される……

「……」
 血影がその様子を、尚もじっと見つめている。
「な。何か……!? その」
「別に、変な顔……貴方、本当に安死喩を逃がす為に、体を張ったの?」

「い、いえ……私も何やら、夢中になって今自分が出来る最善の方法を咄嗟に探したまでです。ですが、この通り私は、貴女に情けを掛けられ命を取り留めました……やはり、自分という者が、何者であるか、身を以て思い知らされましてございます……私は、貴女が言う様に、世間知らずの身の程知らずで御座います」

 大徳寺は、俯き言った。

「ふん……どうでもいいけれど、貴方が今生きているのはね? 私が、ただ”優し”かったから……だけよ? こんな事は人生で何度も起こる事ではないわね? 大徳寺……」

 血影は、真っ直ぐ大徳寺を見てそう言い放つ。

「は、はい。確かに……」

 血影は続けて言う。
「そう、こんな事はそうないでしょう。貴方が今のまま死連の元で動くと言うのならば尚の事よ?」
「何を、仰りたいのでしょうか……」
「貴方、死連の近くにいれば死ぬわよ……? いい事? 私は”優し”かったから、貴方は死ななかった。でも、死連は優しくなんかないわ。あの女は、目的の為なら他者の命なんて歯牙にも掛けない。私は死連のそういった部分を幕末維新でずっと見てきたのよ?」

 大徳寺は、ふと思つていた……
 この殺女は、一体何故この様な事を行っているのだろうか……
 
 しかし、普通なら、この状況でそんな事を血影に向かって問えるはずがない。何故なら、この目の前にいる少女は尋常の精神状況ではないし、何よりも大徳寺は殺されかけている。
 しかし、大徳寺というこの公家上がりの男は、何よりもその育ちの良さに加えて、人が良いのである。それは、凡そ他者を本質から疑惑の目で見るという事を知らない。それよりも、この若者は”殺女”と言う幕末の白刃を駆け抜けた者達に、何処かしら理想や憧れと言う何か稚技的で無邪気な情景を見てしまっている。
 これは、恐らく、幕末維新で京都の公家達を利用してきた殺死丸や死連達や、維新志士と言われる過激派の存在が大きいかもしれない……
 いや、多かれ少なかれ、この時代の人間はこういった志士壮者といった連中に過剰なまでの幻想を抱いてきたし、殺死丸の様な輩はそれを意図的に工作に使った。
 
 自分の身を顧みず、志(こころざし)に死ぬ……
 こういった非常に感傷的且つ、理想主義的な文句で行動している者達をこの国の人間は理想とし持て囃してきた。
 しかし所謂”志士”と言う存在、御一新(明治維新)と言う事柄は、その本質を階級闘争といった部分を抜きにして語れないのである。
 しかし、この時代の、まだ国民以前の人々はそれを深く考えようとはしなかった。それよりも、その本質を”武士道”や”忠義”などのロマン主義に落とし込み、それ以上をする事はなかった。
 大徳寺の様な若者などは、特にそうであろう。
 しかし、この育ちの良い坊ちゃん体質の男は、ただ理想に憧れるだけではなかった。
 狭い歩幅なりにそこに向かい、自らの足で歩いていこうという意外な気概を持っていたのである。この点、この大徳寺という男は他の公家などとは比較にならない程の行動力を持っていた。しかし、只それだけであるとも言えなくもない。
 しかし、そこに至る為の無謀ではあるが勇気という物を、大徳寺は自分なりに熟成させていたのである……

「血影様、あの……一つ宜しいでしょうか?」
「は? なぁに……?」

「貴女の目的は何なのですか? 何故に安死喩様と行動を……? 聞けば、貴女は警視隊で、いずれ鎮台へと配属になると言う事を死連様から伺いました……その貴女が、どうして今、脱走兵の面倒事などに無理を押して介入するのですか!?」

「……」

 血影は、その大徳寺の遠慮のないある意味無邪気な問いに対して、思わず笑ってしまった。

「な、何か可笑しい所でもありましたか……」

「アッハハァ! やっぱり、貴方バカね……!」

 この世間知らずで遠慮のない若者に不思議と好感が灯った、少なくとも血影にはこの大徳寺という青年は新鮮な印象であった……

 その時、殺華は肝付邸の庭で必死に自顕流の『抜き』の稽古をしていた。

 要は、下からの抜き打ちの斬り上げである。
 しかし、これは中々の難技である……

「むぅぅぅ……」
 殺華は、何度も案山子に向かい技を放つが、納得のいく『抜き』には程遠い技倆である。
「これでは相手に刃が届かない……かといって、相手の懐に飛び込む瞬間に斬り下ろしに合えば一撃で死ぬ……むむむ」
 殺華は屈んで抜刀する瞬間の手首の返しが上手くできないのである。
 物を斬ると言う行為で、下から上に斬り上げるというのは簡単な事ではない。
 下手をすると刃筋が対面に対し平行を保てない為である。刃が物体に対して曲がってしまえば、切断は出来ず、打ち身で終わってしまう可能性も有る。
 日本刀ならば何でも斬れるというわけではない。どんなに良い業物たろうが、技倆のない者や才のない者が刀を使っても、生きている人間を一撃で斬人たらしめる事は出来ない。素人が刀を使ったとしても、罪人の屍体すらまともに斬り付けられないのが現実である。

 それに、この行為には、単なる精神論ではない”気魄”というものが必要になる。
 これを練る為には生半ではない荒稽古が必要になるのである。しかし、殺華にはそれが圧倒的に足りない……生れた頃より郷中教育により薩摩の尚武の精神を叩き込まれた者と殺華とでは雲泥の差である。こればかりは、どうしようもなく埋め難い。

 刀で”斬る”と言う行為は、高度な技と精神が必要なのである。
 この点、薩摩の決闘と言う行為は只の殺し合いとは一線を画す。言うなれば自分の身命を賭した最大の自己の主張であり、他者の否定である。
 そしてそれを成した者だけが、薩摩の健児として郷党より尊敬されるのである。
 どんなに教養がある者も、どんなに弁舌が立つ者もこれにくらぶれば卑俗に過ぎない。

 殺華は技倆も、気魄も、相手方には遠く及ばない……

「僕は何故にこんな無謀をしてしまったんだ……」
 今更になって殺華は自分の置かれている立場を呪い出した。
 しかし、時既に遅しであり、自分から踏み込んだ場所である。この点で殺華には一切の文句を言う事さえも許される事ではない。 

 自らの全てが不足しているという現実。
 それが、今殺華に否応なく降り注いでいる……自らが通用し得ないと認めざる得ぬ時、それは人にとって、最も残酷な瞬間の一つである。

 何時しか、殺華は稽古の最中、その事ばかりに気を取られていた。

 自分は、惨めと、何も出来ずに負けを晒し死ぬ。

 何だか殺華には、焦燥だけに囚われ始めていた……
 目の前が暗く、足取りも重い。不安と恐怖だけが、その場で憤っている。

「だめだ……僕は、こんなんじゃ」
 殺華はユスの棒を下ろすと、そのまま放心していた……
「ないを、しょげておっとじゃ。殺華……」
「え……」

 其処には、何とも磊落な顔をした、肝付十字郎が立っていた……

「肝付くん」
「しおあねやっじゃ……」

 十字郎はそういってカッと笑った。

 殺華は、何だか十字の顔を直視できなかった。
 出来れば、此様な自分を見て欲しくはなかった。殺華は、知らずの内に卑屈になっていた。不安や恐怖に最も容易く心を奪われた自分が恥ずかしかった……

 十字郎は、殺華の頭を強引に掴むと、ぐしゃぐしゃと撫で回した。
「惧(おそ)れんでんよかっ、お前さはもう死んじょっじゃいや? 当流に入門ばしたかといったときんこつを思い出しやい! お前さはもう死んでおっぞ」
「ふぇ……?」

 十字郎は、殺華の背中を思い切り叩いた。
「あひゃぁん!」

「二度死ぬもんはおらん! ならば、最早命などもったいぶっ必要なぞなか! 思い切り、当流ん技を以って、ひっ飛べぃ!!」
「でもっ!!」
「泣こよっか、チェイとひっ飛びやい! 後んこつなぞ、考えっだけ無駄んこっじゃ。雲間からの雲耀(うんよう:稲妻)之形無くして、心尚を無し。無形成すれば、其れ同声相応ず……一度死んだお前さに敵うもんなぞ無か、心身晴れやかに思い切りやればよかっぞ」
 何の蟠りも無く、十字郎は謂った……

Re: キチレツ大百科 ( No.157 )
日時: 2017/05/04 17:33
名前: 藤尾F藤子 (ID: pow1v0il)

 大徳寺は、血影に対し馬鹿正直にその疑問を投げ掛けた。


「貴女の目的は何なのですか? 何故に安死喩様と行動を……? 聞けば、貴女は警視隊で、いずれ鎮台へと配属になると言う事を死連様から伺いました……その貴女が、どうして今、脱走兵の面倒事などに無理を押して介入するのですか!?」

 血影は、少し間を置いて薄笑いを浮かべると、暫く思案する。

「別に、特に意味があると言う事ではないわ……でも、敢えて言うならば、そう! ”興味”かしらね? 知りたいのよ」

 大徳寺には、その意味が理解しかねた。

「知りたい……?」

 血影は、自嘲的に笑み、その視線を大徳寺へと投げる。
「貴方には、理解できないわ。殺女と言う存在が、何故主家を裏切り、自らその庇護下を去ると言う事を……」

「機智家……」

「ふふん、私達は……所詮、傀儡の操り人形。私達は、飽くまで主家や政府と言った所属意識の範疇からは抜け出せない存在よ。貴方達、公家などと言う者達も似た様な者だけど、本質が違うわ? 私達は、主家である機智家が明確な目的を持って人工的に造り上げた存在と言う事……人間とは違うの」

 大徳寺は、憚りながらも重ねて問うた。
「私には、貴女方が人間でないと言う事が、今一素直に受け取り難い所がありまする」

 血影は其れに対し、自身も困った様な表情を作った。
「ふん、私だって、其れを決定的に貴方に提示する術が無いわ。例えば、今此の場で腹を掻っ捌いて、ハラワタを見せ付ければ納得して頂けるかしらね? うふふ、でも、其れでもダメ。だって私のハラワタは、人間の其れと見分けなんかできないもの……」
「では、抑が貴女達は人間なのではありますまいか!? 何故に人では無いと定義できるのでしょうか、私にはわかりませぬ」

「……私は、何でこんな事を貴方なんかに話ているのだろう……別に貴方に此の話を理解して貰う必要などは無いし、貴方には殺女が何であろうが、機智家が何であろうかなんて知る必要も無いのに……可笑しいわね? 何で、公家なんかの小僧に……まぁ、いいわ、貴方は私が見逃した命、袖振り合うも他生の縁ともいうし」

 血影は、この公家の若者に、何故だか自分の事を話みてもいいかと思った。
 其れは、単純な好意ではなく、血影にとってこの大徳寺という青年が取るに足らない存在であるから、と言う事も大きいかもしれなかった。でも、そうであるからこそ、自分の話を聞いてその意見を聞いてみてもいいと思っている。
 
 ただ、問われたから……
 でも、誰かに話してみたかった。
 極単純な理由ではある。しかし、こういった事が簡単に叶う環境や状況に、血影はいままで無かったと言っていい。

「自由……そういった言葉があるの」
 大徳寺は、その言葉を余り良くは解さない。
 この”自由”という言葉は、この時代まだ一般的な思想ではなく、此の後の土佐の壮士達が立ち上げる”自由民権運動”なる政治思想で此の国に現れる概念であると言っていい。
 当然、公家などと言う旧社会の人間である家の大徳寺には理解できない。
 ただ、その”自由”という何やらひどく開明的で先進的な言葉を、この血影という少女が呟いたのは興味深かった。

「自由、でございますか?」
 血影が物憂げに笑った。

「もう、行きなさい? さっき安死喩が青い顔をして駆けて行ったけど、死連を呼んで来られると面倒なの……貴方、適当に言って誤魔化してきなさいな?」

「は、はぁ……」
「またね……さよなら」

 血影は独りとぼとぼと大徳寺に背を向け歩いて行ってしまった。

「不思議な方だな……」
 大徳寺は、此の何所か病み難いほどの鬱屈を抱えた少女をそう思っていた。


 十字郎は殺華に向かい謂った。
「お前さは惧れるこっに”恐れ”ておっだけじゃ! よかか!? ”抜き”は気合じゃ! お前さぁは気張いよっこつをまず恐れておっじゃ。そいでん斬い合いなんぞ負けよるぞ」
「ふぇ?」
 殺華には、それが良く分からない。
 十字郎が言っている事は此の時代の薩摩言葉では理解ができにくい。何故なら此の時代の薩摩にはこういった時に分かり易く説明するという言葉がない。で、あるからして、一見単純な精神論的な言葉と誤解されがちになってしまう。
 しかし、実は薩摩藩というのは現実的解釈を重要視する部分は他藩よりも大きい。ただ、それを言葉で説明するという文化がないのである。
 例えば、薩南示現流や、この十字郎の薬丸自顕流が実に実利的有用性に富んだ撃剣術であるところからも解るし、薩摩藩の今日に至るまでの政治的立場からも証明されている。

 それに比べると殺華や殺目のいた長州藩程、現実から遊離してしまった藩はない。
 それは”尊王攘夷”という全くもって現実離れした政治的思想、その一言で藩民一致で倒幕に向け日本中、そして四カ国連合と戦争した事でも明らかである。

 不思議なのは、その長州藩が今、軍を握っている事。そして官軍政府軍として薩摩を滅ぼしてしまった事である。

 しかし、殺華は所謂長州志士や軍人的な単純矯激的な節はない。
 何より、十字郎はこの殺華にその才を見出だし始めていた……

 この殺華という他藩人の輩っぱらは出来っ!

 そう十字郎は何時しか思っていたのである。それは打ちの時の全身の力の抜きようである。刀剣を振り下ろす時、どうしても力が入ってしまう者が多いなか、この殺華は刀の”引き”以外は脱力しているのである。これは持って生まれた才であり、鍛えても出来ないものは出来ない才覚である。

「よか、殺華! 本日より儂と稽古っじゃ!」

 そう言うと庭に出ていた他の薩摩兵児達が俄かに騒めいた。本来、殺華の様な新しい内弟子には道場主自らは絶対に稽古をつけないのが何処の流派でも習わしである。

「殺華……儂の貸した浪の平を持って来いやい」
「う、うん!」

 殺華は急いで立てかけてある浪の平を持って来た。

 十字郎は、それを兵児帯に差し、実戦さながらにその作法を殺華に教えるべく立木を庭に立てかけさせた……

 近所の兵児達もそれを聞きつけ集まってくる。

「殺華! 今から薬丸流の”抜き”ばみしちゃる! こいで橋口の和郎(わろ)を斬っ払ってきいやんせ!」

 言うと、そのまま、殺華の前で十字郎が消えた。
「え!」
「チェェェェェェェェェ!!」
 次の瞬間、激烈な甲声と共に立木が下から上へと切り飛ばされた。

「うわぁぁぁ……ち、チィェストー!!」

 殺華は、その鮮やかな十字郎の”抜き”を目の当たりにして自らも嬌声を上げ発奮した。

 不思議と、其処にはもう”恐れ”など微塵も無かった。

「すごいや……十次郎くん!! すごいや」

 正しく剽悍である……
 それは、まるで隼の様。

 そのあまりにも見事な太刀筋に、殺華の生死の蟠りさえも真っ二つに消し飛んで行った様だった……

「うわぁぁぁい、チェーストー!!」

 十字郎はは磊落笑った。
 殺華には、それで十分だった……

 もう、恐れは無い。 


 

Re: キチレツ大百科 ( No.158 )
日時: 2017/05/05 23:24
名前: 藤尾F藤子 (ID: yFAAjPBD)

 安死喩は、暫く馬にしがみついていると、やがて馬を止め、その場にへたり込んでしまった……

(どうすればいい!? このまま兵舎に戻っても死連様には報告できない!)

 恐らく、もうとっくに大徳寺の首と胴体は切り離されている筈。どう鑑みても、これは自分に責任が及ぶ。しかし、血影には敵わない……
 安死喩は、薩摩精忠組の殺女である。仲間の死に際して仇を討つ事無く逃亡、撤退は之許さないという鉄則がある。この場合、安死喩は殺されてでも血影と戦わなくてはならないのである。

「アワワ、どうしよう……ど、ど、どうすれば……」

 死連からの直命にて、共に連れていた公家の餓鬼を見す見す殺されたとあっては顔向けできようもない。

 安死喩は、地面に突っ伏し、泣き出してしまった。

 安死喩という殺女はの本性というものはこうであった。抑が、今迄、薩摩と言う幕末に於いて強藩に所属し、其れを笠に着て大いに増長した典型の様な殺女の兵である。この点、長州系の殺女と違い、屍山血河の憂き目にも会わず、常に勝者側の気分でいたせいであろう。しかも、その勝者になるべく血の滲む思いも差程せずに来てしまっていた。

 安死喩が、他の精忠組の殺女達に良く思われず、結局、死連自身が引き取り直属で面倒を見る他なかったのもこうした理由からである。

「どうしよう……う、う!」

 安死喩は、年甲斐も無く田んぼの畦道の真ん中で赤子の様に泣き出した。もし、これを軍の者に見られでもしたら、それこそ懲罰の対象である。(軍服を着ている為)

「うわぁぁぁん、ええぇえぇぇ!」

 すると、馬がちゃんと繋がれていなかった為に、いつの間にか走って去ってしまった・……

「あっ! あぁ!? うわぁぁぁん」

 安死喩は、それを追いかけようと走るがつまづいて馬を逃してしまった。
「えへぇ〜ん!! あぁぁん」

 最早、目も当てられない状況である……

「もうダメだ! どうせ帰ったって、自決させられる! もう死連様からも見捨てられる! この場で死ぬしかない!!」

 安死喩は、短刀を抜くとそれを首筋に当てた……

 空は澄んで、風は涼やかである……


 初めて……安死喩は、その身で改めて”死”というものを思った。

「あ、あぁぁ」
 
 恐ろしい、ただ……恐ろしかった。
 次の一手が動かない、首の頚動脈を切るその一手が動かない……

 殺女は、自決をする場合は頚動脈並びに脛骨まで寸断しなければならない。
 これは、人間よりも遥かに苦痛を伴わなければ死に至れないと言う事である。憖、普通の人間よりも生命力が高い殺女には単独で命を絶つという事が難しい。

 無論、この気の弱い安死喩という殺女にそんな事が出来よう筈もない。

 安死喩が泣き喚きながら地面を這っていると、向こうの方から、馬の足音が聞こえてく……

「!? 安死喩様! こんな所でどうしましたか? 馬は?」

 大徳寺である。

「お、おまえ! おまえ何で!」

 大徳寺は、馬から降りると、倒れ伏している安死喩に駆け寄った。

「うわぁぁぁぁん、おまえ! おまえという奴は! 何で生きているんだ!!」

 安死喩は、思わず大徳寺に抱きついた。
「安死喩様!? なっ! 如何なされました!? ちょっ!」

「うわぁぁぁぁぁぁん、うぇぇん」

 安死喩は子供の様に大徳寺に泣きついた。


 官軍第一旅団営舎。
 
 死連は自室で報告書を眺めていた。

「東京の方が俄かに騒がしくなっているみたいだな?」
 
 その言葉の向こう側に居る色黒な女が笑んだ。死連の精忠組での部下であった、罪怨(ざいおん)である。この時代、まだ珍しい眼鏡を掛けている。勿論レンズは入っていない。日に褪せた、薄茶の髪を束ねて羽織袴と言う、見るからに幕末の壮士然とした格好である。

「そうでござんす、長州の殺音が如何やら動いておりやす」
「山縣(陸軍)が此方に兵を回せないと言うのはその事か……」
 罪怨が、まるで他人事の様に言う。
「殺死丸が動きそうだと感じているんでしょ。態々、市ヶ谷(兵部省)に近衛大隊長を呼びつけて、叛乱の意を問い質したとか」

 死連が笑止する。
「無駄な事を……その気になれば、近衛の長州系の殺女は殺死丸につくだろう。殺目と殺華の件は殺死丸には漏れていないんだろうな?」
「んんん、微妙でござんす。ただ、殺死丸が屋敷から出る気配はない様でござんすね」
「あったら困るわ! 警視庁は川路大警視は何て言ってるの?」

 罪怨は、頭をポリポリ掻きながら少々困った顔をする。
「いやぁ、それについては警察の方で……」

「罪怨!!」

 死連が一喝する。

「ひぃぃ!」
「言え!」

「……この機に、長州系の近衛と殺死丸を、薩摩系警察を以って討伐する……と」

 死連は、絶句した。川路は此の国で一番殺女という存在を悪と見なしている人物の首魁の様な存在である。
 川路利良は、日本で最初に警察を立ち上げた創設者の薩摩人である。この日本における『警察』と言う組織は西郷隆盛の一言でそれが提案され、川路がフランス洋行を経て具体的に組織される。

 ”幕末維新で暗躍し走狗した殺女たる異形の存在を国から掃討すべし”

 日本における”警察”と言う組織の設立者としは明快たる考えである。
 
 しかし、政府の多くの者たちはこの考えに弱腰であった……

 何故なら、明治政府を叩き上げその新政府太政官たる席に就ている者達は、多かれ少なかれこの殺女と言う連中を兵として使役し、その脅威を知っている。
 であるからこそ、この連中が今も尚この明治政府に於いて大手を振るい跳梁跋扈としているのである。その代表が帝都に駐屯している竹橋の近衛大隊である。

「川路は帝都を火の海にする気か!! 馬鹿な事を言うな!」

 罪怨は其れに恐る恐る反論する。
「然し乍ら(しかしながら)竹橋の近衛大隊と殺死丸の脅威は如何ともし難い状況で御座んす、しかも、殺目、殺華の脱走という殺死丸が動くのに十分な火種を抱える以上、やむおえぬ判断かと!」
「だから、もう少し待てと言っている! 私が脱走兵二人を何とかして帝都に戻るまで動くなというのだ!」
「其れは小生に言われても困るでござんすよ死連様!」

 死連は筆をとる。
「良いか? お前もよく聞きなさい! 今現在の帝都での警察勢力と、殺死丸がもし近衛大隊を傘下にして戦えばどうなるかを!」
「まさか、例え殺死丸が蜂起したとしても……」

 死連は謂った。

「殺死丸が最初に狙うのは”天皇”よ!!」


 罪怨が、その意味を理解するのに暫く掛かった……

「皇城(皇居)の占拠……? つまり、その場での勅上発布!? 警察を賊軍として征討すると!?」

「そうすれば、日本全国の陸軍鎮台は賊軍(この場合の警察)の征討を始めざる得ない。それだけじゃない! 天皇を殺死丸が擁立してしまった場合、新しい政府がそこに誕生してしまう。つまり再び御一新(維新)と言う最悪のママゴトが展開されるのよ? 嘗てこの国が人形によって直接政治政権が作られる事なんてあったかしら!?」

「それは幾ら何でも飛躍しすぎでは……?」
 罪怨は肩を震わせていった。
「ご当主(機智烈斎)はそう長くないそうね……」
「……」
 死連は続ける。
「それに、蛤御門の変で、あのとき、明確に孝明天皇を暗殺しようとしたのは殺死丸よ? 殺死丸は天皇という存在を、この国で一番冷酷に識っている殺女よ……? 人は、一天万乗とか、スメラミコトというけれど、殺死丸には通用しないわ。だって、今帝都に座している聖帝でさえも、それを擁立した一人であるのよ、殺死丸は……急いで帝都に帰って川路大警視に伝えなさい罪怨、殺死丸と近衞を突つくな、と」

「了解、でござんす。早速……」

 死連は、川路に宛てた手紙を罪怨に突き出すと、煙草に燐寸で火を点けた。

「何故、何奴も此奴も戦渦を躊躇わぬ!」
 罪怨は、その声に恐縮しながら部屋を後にしていった……

Re: キチレツ大百科 ( No.159 )
日時: 2017/05/08 00:46
名前: 藤尾F藤子 (ID: j0x8WVaG)

 鹿児島市中、南林寺。現在の松原神社。

 其処に頼母壮八と殺目が居た。

「殺目さぁ……失礼しもんそ」
 壮八が言った、殺目はその意味を理解すると、寺の離れへと黙って向かった……
 ここからは、薩摩人のみという事である。それ以上に女である殺目が、この薩人同士の重要な話し合いに参加する事は憚れるという事である。だが、別段、そこに他意がある訳ではなく、この当時としては女はこう言った会合に参加するという習慣がないという事である。それに、殺目としても見知らぬ薩人と議論を交わそうなどという気は初めからない。

 殺目は、離れの庭に出て空を眺めている。

 薩摩の空というのは、まるで乾いた蒼だな……
 こんな気候だから、あんな連中が生まれるのかな、などと殺目は思ったりした。
 何で、壮八達は、自分や殺華にああもしてくれるのだろうか? そうでなくても、自分たちは戦場を共にした敵であるのに……
 いや、敵であるからそうなのかもしれない。薩摩は政敵であった徳川家にも、長州にも寛大であった。それは政治的な意味合いも多分にあったが、薩摩人の性格やその気分もあるだろう……だが、それにしても、壮八や、指宿という薩摩藩士は自分達にお節介な位暖かかった。
 ”このまま、甘えてしまっていいのだろうか?”
 殺目には、その思いが未だに消えない。壮八達に自分達がついていけば、何れ必ず政府側の殺女達と激突するだろう。その中には、政府の殺女の頭領たる死連が必ず存在する。そして、自分達が脱走した事を知れば殺死丸がどう動くか分からない……

 殺目は、未だに長州諸隊での頭領であった殺死丸に特別な感情があり、それが未だに尾を引いている。
 
 それは、強烈な依存である……
 長姉たる殺死丸に対し、拭い難い迄の依存心があるのだ。それは、一言では形容し難いものである。愛情とか敬愛とかでもない……呪縛と言う言葉が一番近いかもしれない。殺目は、諸隊の中でも、一番殺死丸に傾倒していたと言っていい。元々、殺目は何事にも依存心の強い少女である。要は、人一倍寂しがりなのである。
 であるからして、幼少の頃より自分の長たる殺死丸には敵愾心などは勿論ない。しかし、主家たる機智家によって預けられた政府の軍を遁走するという事態になってしまった現在、殺目自身が殺死丸との関係性を清算しなければならない必要に迫られている。ここに於いて、殺目は自己嫌悪に陥るほどに踏ん切りがつかないでいる……

 主家(機智家)と殺死丸……
 西南の役でボロ雑巾の様になった、濡れ鼠同然の自分達を拾い上げた薩摩藩士達……

(どうすればいいのだろう? 私は誰の元に居ればいいのであろう?)

 もし、今の自分を殺死丸が見たら……どう思うだろう?
 わからない、何故ならば、殺目自体が殺死丸の本心というものをわかった事が一度たりともなかったから……

 それに、此の時代、武家やそれに準ずる家などでは、例え兄弟姉妹といへども、長々と上の者にその心根を問うなどと言う風習もなかったし、何よりそんな事は憚られる時代である。少なくとも、そういった多弁と言うものが卑しいとされた頃なのである。

 殺死丸は、どうしているだろう? 今の私を何て言うだろう?

 殺目は、そんな戯言を考えながら庭の隅にいた。
 すると、寺の外に足音と人の影を感じた。
 
 その瞬間、殺目の頭の中が無色になり、先程までの戯言が掻き消されていく。風呂敷に包んでいた脇差を抜き払う。
(四、五人はいる!?)

 殺目は、爪先立ちになり、重心を沈める様に地面を跳ねる。

(紋服!?)
 薩摩人である、しかも島津円十字の紋服着用である。
 殺目は、躊躇う。島津家は政府の権力にないが、未だに薩摩、鹿児島では主家であり、藩父である事は変わらない。
 つまり、この連中に殺目が斬り掛かれば、壮八達にも迷惑がかかる。

 殺目は脇差の刃を下に向け、立ちふさがる。

「ないじゃ!? ご無礼さぁんこっ! 女ぁ」
 下男と思しき、袴姿の男が刀の柄を握り言った。
 殺目は黙って動かない。
 無駄な事とは知りつつも殺目は問う。
「其の方がた、何用か?」

「ないじゃぁ!! きさん、島津の紋に剣ば向けよっがか!! 女んでん容赦せんっど! どきやい!!」

 袴の薩摩人が赫怒した。
 しかし、紋服の男が、それを優しく咎める。
「そいな脅かす物言いばせんでよかっ。おい達はこん寺で話し合いばすっ為に来いもんした。おぜこさぁ(娘さん)ちょっくり、道ば開けてくいや……」
 続けて、フロックコートを羽織った官人と思しき薩摩人が殺目に言った。

「寺の者とは話はつけてある。其方を開けよ……」

 それ聞くと、殺目は意を決した。
 刀を薩人達に向ける。
 殺目は、政府の人間達が壮八を捕らえに来たと解釈した。しかも、主家たる島津家を取り込んで懐柔に来たと判断した。
 殺目は、紋服の男を目掛け姿勢低く突進した。

「じぃゃぁああ!!」

「ないじゃっと!?」
 下男の薩人が抜刀し迎え撃つが、殺目は脇差の棟で弾き返す。
 散った刀身の火花と共に、下男を肩で弾き飛ばす殺目。

「こゃっ!!」
 下男が地に転がる。
「ジィィィェヤァ!!」
 殺目は、風車の様に刀を押し回し、紋服の男に迫る。
 確かな殺気がその場で旋風する。
 
 しかし、その時殺目の後ろから手が伸びる!

「ふえ!?」
 殺目は、間抜けなほど素っ頓狂な声を思わず発した。
 後ろから、壮八が殺目の着物の帯をふん捕まえている。刀は空を切り、殺気は空転し散っていった……

「よか……こんお方に剣ば向けてはいかん」
「壮八! でも、此奴っ……」
 殺目を抱えながら、静かに壮八は言った。
「よか……」
「でも!!」

 壮八は殺目をそっと離すと、静かにその場で土下座し、紋服の男に礼を尽くした。
「私学校党軍、四番大隊、頼母壮八でございもす……」

 目の前の紋服の男は、この騒ぎに眉一つ動かさずに其処にいた。

「その方が頼母壮八か……島津珍彦(しまづうづひこ)である」

 殺目は驚愕した、此の男は島津の藩父、久光の息子である。つまりは薩摩の世子(世継ぎ、嫡子)と言うべき存在である。

 珍彦は、立ち上がる下男や侍従の者達を手で制し、殺目に向かい静かに言った。
「気にせんでんよかっちゃ、お前さぁらんこつも知っちょう。壮八、顔ば上げよい」

 殺目は、刀を納め同じく平伏した。
「……先程は、存ぜぬとは言え……」
「よか……ここでん、日差しが眩しかっ! よか娘子(おじょご)が日に灼きっ。中でん話もそ……」
 島津珍彦は、殺目の言上を遮る様に何処となく優しげに言った。この人物の器というものが、この一言で十分に理解できる。

(中々の人物だな……先ほども眉一つ動かさず、凡そ動揺の素振りなど微塵も無い。これが、薩摩の木強者というものか……)
 殺目は、顔を伏しながらも、此の男の豪胆さに驚いた。 


 血影が一人、下荒田と言う泪橋近くの村を歩いていた……
 
 何故だか血影は珍しく胸のすく様な……小気味の良い思いに足取りが軽かった。
 
 何やら、新しい玩具を与えられた気分である。
 馬鹿で軽蔑に値する様な、公家の若者だと思ったが、存外、話の出来る青年であった。あの、大徳寺とかいう聞くからに馬鹿そうな名前の男である。
「うふふふっ! あの子、この私に背伸びして士分なんか問うたわ! よりにもよって、公家の餓鬼がよ? ウフフ、アッハハ!」

 血影は、口に手を当てながら、笑いを抑えられない。
 しかも、あの男は、取るに足らない安死喩の命などを庇う為に、自分の前に立ち塞がり、身を挺したのである。
「アハハハハ!!」
 何時の間にか、血影はクルクルと回りながら恍惚として立ち尽くした。
「あの子、死連から取り上げて、私の家来にしてやろうかしら……」

 また、あの若者と喋ってみたい……

 血影は、また足取り軽く歩き出す。

 そして、近くの武家屋敷らしき建物に目星をつけると、血影は帯革からサーベルを外し、口に咥える。そして、その塀に飛び移り音も無く屋敷の屋根瓦に潜んだ。

(夜を、待つか……)
 血影は、屋根に潜みながら身を伏し庭先を見つめた。
(どうせ、夜になれば、薩人などが酒を飲んで騒ぐに違いない……)

 
 何故か、大徳寺は泣きじゃくる安死喩を背に御振りながら畦道を歩いていた……
 安死喩を見つけ、下馬した直後に大徳寺も安死喩同様に馬に逃げられたのである。

「はぁ……これでは帰っても死連様に大目玉を喰らってしまいましょう」
 安死喩は、泣きながら大徳寺の背中で抗議する。
「な、なんで手綱をしっかり掴んでいなかったんダァ〜!! うわぁぁぁん」
「も、申し訳ありませぬ。わたくしも何分、未だ馬に不慣れゆえ、御許しくださいませ」
 安死喩は、先程から一向に泣き止まない。

「うるさいうるさい! 何でこんな事になったんダァ!! アァァ〜ン!!」
 
 大徳寺は、まるで赤子でもあやす様な気分であった。
(何やら、血影様といい、安死喩様といい、何だかまるで小児の様な所があるな……)
  
 大徳寺は、安死喩をおぶさりながら歩いている内に日が暮れてきた……

「えぇぇぇぇん、死連様に怒られるよぉおお! 手打ちにサレるぅ! ワァァァァ」 

「安死喩様? ところで、どうしてあの警視庁抜刀隊の殺女様である、あの方が、あぁもこの脱走騒ぎに関わり合いになろうとするのでしょうか?」

 大徳寺は、背中越しに分かる程、安死喩の体がビクついたのが分かった。
「お前が……オマエが知ったってどうしようモナイ……」
「という事は何かあったのですね?」
「……う、う、だからなんだとっ……!!」

 大徳寺は暫し思案する素振りを見せた。
「わかり申した、それでは致し方ありませぬ。死連様に見た儘、聞いた儘を報告する他ありませぬ」
 安死喩は、後ろから大徳寺の首を絞める。
「キッサマ! 卑怯ダゾ!! 汚ないジャナイカ!?」
「くっ苦しい! 苦しい……」

「……」

Re: キチレツ大百科 ( No.160 )
日時: 2017/05/10 00:42
名前: 藤尾F藤子 (ID: 8OSWocyP)

 大徳寺政直は、堪らず安死喩の手を振り解くと、そのまま安死喩は後ろに落る。
 すると、また安死喩は大声で泣き喚く。

「うわぁぁぁ」

「安死喩様……ではこうしましょう? 私にだけそのお話をお聞かせください。さすれば、この大徳寺、上手く死連様に言い含み、今日の話はこの大徳寺の失態という事にして死連様に御報告致しましょう? されば、安死喩様が死連様に咎められる事はありますまい? どうですか……?」

「本当カ……血影の事も上手く言ってくれるノカ? お前ガ?」
 大徳寺は、仕様も無げな笑みをして頷いた。
(まるで、悪戯をした童の様な顔をして……)

 安死喩は軍服の袖でグシグシと顔を拭くと立ち上がった。

「実は……その、な? 私は今回脱走した殺華という殺女と以前に事あるのだ……」
「以前にあるとは?」
 大徳寺と安死喩は、日が暮れた田畑の畦道を二人して歩く。
 安死喩は、喋りにくそうに少しばかり離れて歩いていた。
「実は、御新兵として近衛鎮台で東京に配属されていた時、よく殺華を虐めたり、報奨などを巻き上げたりしていた……」
 大徳寺は、歩きながらその話を聞いている。
「何故その様な事を……随分と気の毒な事をなさります」
 とぼとぼと歩きながら、安死喩はツマラなそうに呟いた。
「……だって、アイツ気に食わナイ!」

 大徳寺は呆れながら、安死喩に続きを促した。

「だって、アイツは、銘入り(ないり)の癖に鳥羽伏見の戦いでも戊辰の役でも全然戦功を上げてないジャナイか! それだけじゃない、あいつは新撰組の屯所に潜入した時にとんだヘマを踏んだんダ! その所為で精忠組の新撰組の襲撃計画がご破算になったンダゾ!! しかも、アイツはそれなのに、殺死丸から甘やかされて、何時もヘラヘラして! ズルいんダ!!」
「しかし、その頃は、長州と薩摩の関係も微妙だったのでは……」

 安死喩は足元の石を蹴り飛ばす。

「アイツはいつも皆んなに甘やかサレてた!! 私は何時も姉者達に小突かれて、ドサ回りをさせられてた小姓の頃に、アイツは女物の着物を着て長州藩邸から新撰組の屯所に呑気に遊びに行っていたンダ! その所為で身元がばれて市内の警護が強化されたんダ! 精忠組はその所為で襲撃の機会を逃し、計画を見送らざる得なくなったのに……!」

(幕末の頃の政争が発端か……)

「アイツは、死連様にも会うと何時も立場を弁えずに甘えてた! 何で殺華だけ何時も皆んなに良くされるんだっ!! 彼奴なんか戦場で死ねばイイのに何時もフラフラ生きて延びる! 死ねばイイノに!!」

 私怨か……大徳寺にも何となく話が見えてきた。
 要は、殺華と言う殺女の私怨を、あの血影と言う少女は利用しようというのであろう……だが、恐らくそれもあの血影と言う少女の趣味の悪い悪戯であろう。
 大徳寺は、早計だと思いながらも、そう思ってしまった。
 あの血影という少女は、何だかそんな風に思わせてしまう悪戯っぽさを顔一面に秘めていた印象であったからである。
 それより、血影は安死喩を使い、此方側への撹乱を意図している様にも思える。
 
 何で、あの血影と言う少女は殺華、殺目と言う脱走兵に拘るんだろう……?

「安死喩様……その、銘入りとはなんでしょうか……?」
「……」
 安死喩は一瞬口籠る。

「ゼッタイ誰にも言わナイ?」
「ええ、ですから、誰にも申しませぬ」

「……殺女には、産まれながらに”格”というものが定められる……」
 
 大徳寺は、その言葉を良く理解できるし、この男の生まれ程、其れを身を以て知らしめられる事などないだろう。

「”格”か……」

 大徳寺は京都の公家という所謂貴族階級である。要は都の朝廷に仕える貴人や官人の家柄というのが正しい。しかし、この公家という連中にもまた残酷な迄の階級統制が存在する。上は藤原北家からなる『摂家』順に『清華家』『大臣家』『羽林家』その下も半家、諸大夫、その中でも又序列、区分けが厳密になされている。

 大徳寺は、右大臣、岩倉具視の岩倉家の養子縁組の家であり、岩倉家(祖は村上源氏、久我家)の『羽林家』の下級の公家である。比べて、同じ太政大臣、右大臣である長州系の過激公卿の頭目である三条実愛(さんじょうさねとみ)などは、まだ家格が高く、清華家ではああるが、藤原北家閑院流の嫡男家である。 御一新を成し遂げた、薩摩系の公家である岩倉具視も、この明治の時代では太政大臣、右大臣ではあるが、幕末の頃は鳴かず飛ばずの下級の公家である。
 維新の十傑たる岩倉具視も、言ってしまえば王政復古、御一新(明治維新)の政治闘争で成り上がった下級公卿なのである。
 正し、岩倉はその権謀術数と異様な迄の政治力を薩摩藩と結託する事で大いに振るった結果という事は言うまでもない。維新は岩倉具視と大久保利通が練り、西郷吉之助(隆盛)が叩き上げたものである。
 大徳寺家は、その維新を為した下級公卿の更に下の金魚の糞の様であった。

 だから、このうら若い大徳寺政直にも”格”という言葉の持つ悲壮さは十分に理解できるのである。

 自分も本来であるのなら、うらぶれた下賤の家であったはずである……
 だから、大徳寺はその御一新、維新回天という、政治的階級闘争を成し遂げた、維新志士なる存在に無常の幻想的情景を見ているのである。それは、この薩長の兵として働いた殺女と言う公然に言外されぬ兵達に対してもである。

「私は、御武家様方の事情はわかりませぬ……ですが、そうではありますが、その苦しさは……幾分か伺えようございます」 

 安死喩は、少し口調を落としていった。
「お前も、薩摩系の公卿か……」

 安死喩も、薩摩精忠組として幕末は京都の薩摩藩邸に出入りしている時期があった。
 だから、あの当時の岩倉を始めとする薩摩系の公卿がどれだけ貧しかったかは知らなくはなかった。特に大徳寺家は、当時、京の都を旋風の様な禍に巻き込んだ尊皇攘夷と言う”狂気”に血走った長州藩士によく追い込みをかけられ、いじめられたりもしていた。当時の薩摩系の公卿は直接的攘夷と言う部分では消極的な立ち位置であり、どちらかといえば佐幕寄りであった。
 
 当時の長州藩は三条家や姉之小路家等の過激攘夷公卿を拠り所とし、京都政界を牛耳っていた。その中で長州藩士と長州系殺女は人斬り、人心撹乱、破壊工作、等で白昼血風が吹き荒んでいた。それを裏で挑発してい一人が、殺死丸であり、その手足となり京で斬人行為に明け暮れていたのが、今回脱走した殺目である。

「血影に言われたんだ……」
「どのように?」

「東京に帰ったら、自分は陸軍鎮台に配属される、その折に機智烈斎様の下にいる殺死丸へ今回の事を洗いざらい言い述べて、私が殺華を虐めていた事もバラすと……」

 そう言うと、安死喩はまたベソをかきだす……

 大徳寺は頭を抱えるような思いであった。

 まるで、女子供の如き様ではないかと。
 ここに来て、そんな他愛のない私怨話で、この安死喩と言う少女は血影に踊らせれているのである。

「安死喩様、それならいっその事、死連様にこの話を正直におうち明けになった方が宜しいのではないのですか? 幾らその、殺死丸様が怖しい方といへども、そんな事で帝都東京からこの薩摩まで躍り込んできますまい」

 
 安死喩は、血相を変え小刻みに震えていた。
 唇が震え、歯がカチカチと音を立て鳴っている……

「違うんだ……そうじゃないんだ、あの女はそう言うのじゃないんだ……」
「安死喩様! どう致しました!? 安死喩様!」

 安死喩はその場で蹲り嘔吐した。

「安死喩……様……!?」

 大徳寺は、どうしていいかわからず、安死喩の背を摩りながら手元のハンケチーフを安死喩へと渡した。

「安死喩様、落ち着いて下さい……わかり申した! この大徳寺にお任せ下さい。私、あの血影様にもう一度お会いし、此度の一件をどうにかするべく奔走いたしましょう!」

 大徳寺は、何故だかこの安死喩と言う少女が憐れに思え言ってしまった。
 この少女は……恐らく、その矮小さと、周囲の立場が釣り合っていないのである。それも残酷な位に。恐らく、それについて直接の上官である死連さえも慮ってやってはいないのであろう……
 人間には、身の位という言葉がある。それ相応に応じた立場という事である。
 実は、其れを大徳寺本人も今自分に対し感じているのである。
(この安死喩様も、無理をなすってきたのであろう……)

 この青年は、元が下級でありながらも、ある意味世間知らずの公家らしい甘さがあった。しかし、この青年はその中でも特筆すべき人の良さがある。それは、地に這う蟲にさえも一憐の情を掛ける如きの様である……
 だが、その人の良さはこの青年の精神が、無知なれども格調の高いものとして為しているのである。

「お、オマエ……何で、なんであの時も私の前に出たりして……お前は馬鹿なのか? それとも……密かに剛を持った命知らずなのか……? 講談にでてくる烏丸広光の様な?」

 大徳寺は、この安死喩の言葉でその決意を固めた。
(凡そ、他人というものに親切という感情を受けた事がないのであろう……)

「いいえ、私は腰抜けの公家上がりですよ」

 大徳寺はそう言って笑うと、ハンケチで安死喩の顔を拭ってやった。

「……」
 安死喩は、そのまま暫く黙りこくってしまった。
 


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