複雑・ファジー小説
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- キチレツ大百科
- 日時: 2016/01/06 12:05
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: .5n9hJ8s)
「起キル……」
「起キル……」
あぁ、うるせーな。俺は昨夜も”発明品”の開発でいそがしかったんだよ……眠らせてくれよ。
「起キル……」
「起キル……」
微睡みの海の底、聞こえる女の子の聲。少し擽ったい感覚が夢を揺さぶる波のよう。
ふと思うんだ、これがクラスメートで皆のアイドル、読田詠子、通称”よみちゃん”だったらいいな……て。いいさ、わかってる。どうせ夢だろ?
夢の狭間で間の抜けた自問自答。
そいつが、嘲るみたいに眠りの終わりを通告している。
「キチレツ、起キル”ナニ”!!!!」
Goddamit!
そう、いつもそうなんだ。俺の眠りが最高潮に気持の良い時に、決まってコイツが割り込んでくる。俺がご所望なのはテメーじゃねんだよ?
「くっ!? 頭に響く、うるせーぞ、ポンコツ! テメー解体して無に帰すぞガラクタがぁ!!」
「なんだと〜、やるかぁ!」
部屋の中には、日差しが差し込み、ご丁寧にスズメの鳴き声が張り付いてやがる。うっとおしい事この上ない程真っ当な朝だ。
「最悪だぜ……」
目の前の”ソレ”を突き飛ばし、机の上のタバコを探す。
「あん? モクが無ぇぞ、昨日はまだ残ってたんだけどな……」
「中学生デ、煙草ハ駄目ナニィ! 我輩、捨テテオイタ、ナニ!」
俺は目の前の”ソレ”の髪を掴んで手元に引き寄せる。
「テメー良い加減にし無ぇと、マジでバラすぞ。人形!」
「ちょっ、痛い痛い痛い! やめてよ、キチの馬鹿! 中学生で煙草吸うキチの方が悪いんじゃ無い! い、いたぁあい、我輩のポニテから手を離すナニィ!!」
「キャラが崩れてんだよ、人形!!」
「に、人形じゃないナニ……殺蔵(コロスゾ)ナニ……」
くっ……頭が痛ぇ。
俺の名前は機智英二(きちえいじ)皆からはキチレツなんて呼ばれてる。
俺は江戸時代の大発明家、キチレツ斎の祖先だ。キチレツ斎は結構名の知れた人で、当時の幕府御用達の発明家て奴だったらしい。初代キチレツ斎は太田道灌の元で江戸城の築城に協力して以来、機智家は徳川家から引き立てられたという経緯と親父が言っていた。
そんな家だったら、何か凄い物があるだろうと物置を調べていた時に見つけちまった。
この少女の形をした”発明品”殺蔵を。しかも運悪くうっかり起動しちまいやがった。
わかるか? 自分の先祖がこんな、少女人形を作成してた真性のド変態だと分かった時の気持ち……夜な夜なこんな人形使って遊んでたと思うと反吐がでるぜ! その俺の気持ちを察したのか、俯いたまま殺蔵がぼそりと呟いた……
「我輩は、武士ナリよ……」
俺はイラつく。
「テメーのその見た目でどうして武士とか言えるんだよ? どうみたって弱そうだし、大体女の武士とかいねーだろ? じゃあ、なんでその見た目よ? どう考えても、いかがわしいんだよ! お前はそういう目的の為の人形だろう!?」
「違うナニィ!! わ……我輩は、武士ナニィ! 武士……ナニよ」
「チィ! うぜぇ……」
曲がりなりにも尊敬していた先祖の正体が倒錯的な変態である……
そいつは憧れてた役者やアイドルがシャブ(覚せい剤)や痴漢で捕まった時位ショックなもんだ。
涙目で抗議する少女のカラクリは、俺らの年齢と大差ない姿形だ。
キチレツ斎さんよぉ、それぁ無ェぜ……
「英二〜、ごはんよぉ。殺ちゃんも早く降りてきなさ〜い」
この部屋の重たい空気も知らずに、圧倒的に間の抜けた声でお袋の声が聞こえてきた。
だが、そいつは俺にとっては好都合の助け舟だ。最早、徹也明けの眠気などどうでもよかった。殺蔵が急いでティッシュで涙を拭っている、その横を俺は知らんぷりで通り抜けた。
- Re: キチレツ大百科 ( No.136 )
- 日時: 2017/01/19 21:06
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: X9vp/.hV)
「うぉぉぉぉナンダコノヤロ!」
「ないじゃ、小癪な!」
肝付邸では、殺華が酔って庭で組み打ち相撲をして喧嘩騒ぎを起こしていた。
もう辺りは真夜中である……
しかし、薩摩では喧嘩などというものはスポーツである。尚武の精神の盛んな薩摩では喧嘩は推奨されはこそ、止められる様な事ではない。
薩摩での喧嘩は弱いものが強いものに挑むという意味合いなのである。であるからして喧嘩は悪い事ではない。むしろ喜ばしい事である。しかし、こういった薩摩人の横暴客気は他藩人には理解できない事である。
しかし、同じく粗暴客気の癖がある殺華にはよく馴染むのであろう。
「うぉぉぉぉ」
殺華は、相手の兵児の帯に手をかけ、そのまま倒れ込んで殴り合いにもつれていた。
結果、ボコボコにされるが、それでもまだ続けている。
「ええぞ! そこでんまのり(馬乗り)じゃ。そんまま殴り明かせ!」
「ないじゃ、薩摩隼人がそげなこつで這い蹲りやるな! チェストイケー(チェストー行け!)」
殺華は、腕をグルグル回して、相手をポコポコ殴っているが、あまり効果はない様である。しかし、勢いだけは強い。
十字郎は笑いながらそれを見ている。
「薩摩隼人を目指すんじゃ、もっと飲んで、騒ぎいやい! 汝(わい)どんら! 殺華を見習って皆喧嘩せい!!」
「うおおおおお、いっちょやったるぞお!!」
「こん和郎がぁぁ!」
兵児達が十字郎の一声で一斉に殴り合いを始める。
障子が飛び、瓶子が飛んで、血と歯が夜空に舞い散った。
「おうりゃああああ! チェスト!」
「チェええええええ!」
中には、頭から血を吹き流しながら笑って殴り合っている者もいる。
しかし、不思議と陽気だった。この騒ぎに近所は何も言わない。こんな事は日常茶飯時である。薩摩では毎秒何処かしらで、何処ぞの誰かが喧嘩や決闘騒ぎを起こしているのだから……
小半刻(30分)その様が続いている。
「ないじゃ、汝ら……もうへばったか?」
十字郎はかつかつと笑いながら座って酒を飲み干した。
「まだなんだょっ!!」
その時、殺華が立ち上がる。
「十字郎君! 僕は君と組み打ちするぞっ」
兵児達が騒ぐ!
「おお! こやよかっ見物っじゃ! やれやれ!!」
其の囃子立てを受ける様にゆらり立ち上がる十字郎。
「よか……儂もそろそろ暴れっぞいや……」
「おぉぉう」
殺華は十次郎を眼光鋭く其の右目で射抜く。
十字郎は線は太くない。しかし、その体に似合わず、地に足が張り付いた様にどっしりとした足運びである。顔もどちらかというと、この粗暴活気溢れる薩摩兵児達の中では、童顔で瓜実顔である。だが、その剛毅は体中から滲み出ているように鋭い。不思議な男だ。改めて殺華はそう思う。
「行くぞチェースト!!」
殺華は先手必勝と駆け出した。
「おおおおうりゃ!」
十字郎は、裂帛の気合でそれを受ける!
腰を落とした、殺華の体当たりを全身で受ける十字郎。
「なんじゃ! こやっ、足腰ん力が足り無かっぞ! もう一度じゃ」
「なんだと!」
殺華はそのまま足を掬うように十字郎を放り投げようと下に回る。
「!?」
十字郎の想像をはるかに超えた速さだった。兵児達も一瞬で殺華の尋常ならざる疾さにどよめく。
「ぬう!」
十字郎が手で下に沈む殺華に手をやろうとする。そのとき、殺華がそれを狙いすましたかのように、その手に飛びついた!
そのまま後ろに、十字郎の頭を踏み越えていく殺華。
「後ろに回ったぞ!?」
殺かは後ろに回り込みながら十字郎の首に手を引っ掛ける。しかし十字郎は素早く顎を引きその手が首を固めるのを許さない。
「ちぃぃ!」
「甘いかっぞ!」
そのまま殺華は着物の前襟を鷲掴みにされぶん投げられる、
「うゎああああああん」
何と殺華はそのまま屋敷の外にまで投げ飛ばされた。十字郎が全身の力を使って全力で投げたのである。
「あ……こや星の様にかっ飛んでいきおったぞ……」
「死んだんじゃなかか?」
兵児達も唖然となる。恐るべき十字郎の力である。
そのとき外の闇の中からサルの鳴き声の様なものとともに殺華が飛び出してきた。
「きゃああああああん!!」
見よう見まねの”猿叫”である。
「殺華!?」
様子が変わった!
殺華はこれでも殺女であり、幕末騒乱や戦争を駆け生き抜いてきた兵でもある。しかしこうやって殺華の闘争本能を焚き付ける相手がいなかったのだ。しかし十字郎は違った。殺華本来の殺女の本能を呼び覚ましたのだ。
「キャヤエエエエ!!」
殺華は発奮し突撃してくる。
「ははん? こやおもしろかこっぞ」
殺華のその勢いに、少しも驚く様子のない十字郎。まるで風の瞳である。
ただ、その場で静かに揺らぐ飄……
「せぇぃやあぁぁぁあ!!」
十字郎は突貫してくる殺華の横っ面を容赦なく張り倒した。
「あやぁぁ!」
殺華は自らの勢いとともに強い衝撃で地面に叩きつけられ、その衝撃と共に一回転しそのまま伸びてしまった……
「きゅ〜ん……」
それを見て兵児達はわぁわぁと勝利した十字郎に駆け寄る。
「十字郎どん、こやつ中々の根性じゃあ」
「そや、こん十字郎に正面から勝負を挑むなぞ、馬鹿でんじゃっど、殺華は東西一の馬鹿じゃ! こや大物じゃぞ!!」
十字郎が、そのまま殺華に布団を被せる。下はもちろん地面でここは庭である。
「わぁははは! 面白かやっぞ、此奴は!」
十字郎は上機嫌でそういった。
「よし! もっと火を焚け、儂もこのままそとでん寝っぞ! それと、酒屋を叩き起こしてショチュを買ってこい!」
「おぉぉよ!!」
薩摩兵児達は、そのまま伸びた殺華の横で、大騒ぎして朝まで飲み明かした……
これが、薩摩の歓迎の仕方なのである。
しかし、これで早くも殺華は兵児達の仲間と認められた訳である。
明る日の朝。
絶叫と共にそれが始まった。
「あれ!? なんだ! 何で僕はこんなところで寝ているんだ!?」
殺華が飛び起きると、其処は異様な様が繰り広げられていた。
「チェェェェェェェ!!」
「チェストイケェェェェ!!」
「死ね死ね死ねぃいいい キァァァァァァアああ」
「ないじゃ! わいどんらぁ! そんな打ち込みじゃ敵は斬い棄つられんぞ」
庭で、横に倒した棒を相手に兵児達がガンガンと木剣を打ち込んでいるのだ。
「まずいぞ! 出遅れたぁぁ!!」
殺華は、被せられた布団を蹴り上げて、急いで十字郎の元へ走る!
「おう! 殺華ぁ、夕方まで寝ておっじゃなかかと思ったぞ」
「ボケた猫じゃあるまいし、そんなに寝ないやい!」
すると、十字郎は一本の棒を投げつけた。其れを両手で掴みとる殺華。
「ほぇ!? なにこの棒。デカイよ」
殺華に渡された棒は五尺はあろうかという大きなユスの木の棒である。
「キュっ(今日)からそいがお前さぁの剣じゃあ! 片時も離さず持っとけやい!」
「で、でかすぎ〜! そして重いよ。でも強そうだぞおお!」
殺華は感覚がまったくの童子であるので長い棒はカッコイイという価値観である。
「そいを一日、八千は振るんじゃ! お前さにはどうせ出来っ訳がなかかじゃがなぁ。がっはははは!」
「う、うぉぉぉぉぉ! やるぞ、ぼくはやるぞ! これで立ち木打ちをやるんだな!? やってやるさぁ!」
「いいや、当流は横木打ちっじゃ! あん、足元ん立てかけてあっユスの木の棒の束をトンボで刃筋を乱さず力一杯全力で打ちやんせ! それが出来ねばすぐ破門じゃ!」
「え、あんな低い位置で打つの?」
「そうじゃ、周りん連中を見ながら自分で覚えるんじゃ! 話はそこかっじゃ! やれぃ、ただし手を抜いておったらぶちかますっど!」
「よし! やってやろうじゃないかぁぁ! チェーストだぞおお!」
殺華は有無も言わず、横木に向かい長棒を撃ち下ろしに走って行った……
「そや、ないごつも無我夢中でやりおらんば、ないも得るもんはなかっぞ……殺華」
十字郎は、殺華の小さい背を見ながら呟いた……
官軍第一旅団の営舎の厩で死連(しづれ)が馬の世話をしていた。
朝餌やり、床をブラシで洗い、敷き藁の交換である。自分の馬は自分で世話をするのだ。しかし、この時代まだ軍馬というものは普及されておらず、この死連の馬もしっかりと騎兵用の馬として配備されているものではない。
死連が、馬の体へブラシをかけている時に厩に人が入ってきた……
「小さな厩ね……貴女が自ら世話をしているのかしら……? くくっ」
その少女は、警視隊の官服を着て、足を引き摺っていた。左手で杖をついている。
「血影か……足はどう? 疵が開いたか」
それを聞くと、血影と言われた少女は唇を血が流れる位に噛み締めた!
「あああぁ、殺死丸に斬り飛ばされて嗣いだこの”足”がななぁ!? くくくっははぁ!! 先の役で賊を斬り倒している時に開いたのさ」
血影はその瞳を血走らせ言った。そして、狂った様に笑う。
「薩賊をもっと斬れと今も疼いているわ!? いいえ、長州も徳川も……機智烈斎もな!!」
死連はそれを哀れむような瞳で見る……
「まだ、お前は戊辰戦争を生きているのか……この明治の時代に」
「どの口が言う!! 会津を裏切った貴様らに!! そんな事を言う資格があるものかっ! 私は……私は、今も、いえ一生忘れない! 会津藩士、保科血影はっ! 絶対に機智烈斎への恨み忘れたる事なし。貴様も、よく覚えておけ! 必ずいつか賊敵として征討してくれる……」
「そうか、お前には分かるまい。お前達だけじゃない、利用されたのは皆んな同じだよ? それでも、それでもそれが必要だったのだ。此の国には」
「だまれだまれ! 沢山だ……そんな戯言は。我が怨嗟、そんな言葉で慰められよう筈がない!」
「……」
もうそれ以上死連は言わなかった……
騒ぎを聞きつけ、大徳寺政直が飛んできた。
「何かありましたか、死連様!」
大徳寺は他の馬の世話していたのだろう、服が藁だらけである。公家上がりの此の青年には馴れぬ作業であった。
「ふふ、いいわ。今日は本州への帰還の挨拶に来たの……」
血影は、急に柔和な表情に変わる。しかし、その不穏の気魄が厩へと散っている。馬が怯え、チャカチャカと蹄を鳴らして首を振っている。
それを鎮めるかの様に血影が馬の首筋を撫でる。
「大丈夫よ……あなたに怒っているのでないわ。ごめんなさい」
一撫で、二撫で、一振り!
血影が左手で、そのままサーベルに手をかけ抜剣する!
護拳の柄を左手で握り、そのまま押し出す様に死連へと向けたのだ。
「ひっ!」
大徳寺がその一瞬の動作と殺気に射竦められる!
死連は微動だにしない。
「ふふふ、どうして?」
「其の体勢じゃあ人は斬れぬよ?」
ニタリと笑う瞳が、死連に憎悪を投げつける。
「心残りね、貴女を斬れなくて。此の足さえ怪我してなくれば……ね」
死連が倒れている杖を拾って血影に渡してやった。
「そんな事をすれば、君の宿願は永遠に叶わないな」
血の涙……
「いいえ、この心中、我が命をかけても断固する……!!」
血の念上。
- Re: キチレツ大百科 ( No.137 )
- 日時: 2017/01/22 14:44
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: 2dlf7754)
「なんだか、すまなかったね? 身内の恥を晒してしまった様で……」
死連(しづれ)が、腰を抜かした大徳寺政直に手を差し伸べる。
「い、いえ……私の方こそ、情けない姿を……」
大徳寺は其の手を遠慮して、素早く立ち上がるが、まだ微かに膝が笑っている。
(しかし、此奴にはいい薬になったかな?)
死連は、そんな事も思っていた。
幕末の志士に憧れを抱いている、この青年には白刃と本物の殺気を知るにはいい機会だったとも言える。これでやすやすと自ら命を落とす真似は出来ないだろう。
死の、恐怖を覚えたのだから。
「彼の方も……”殺女”さま?」
「もちろん、私と同世代の姉妹さ。彼女は会津の松平家(保科)に送られたんだよ」
大徳寺が息を飲む。
「松平!? 薩長と相対した佐幕の雄藩の会津にも!? 機智家というのは、斯くもその様な事を……!?」
死連が自嘲的に笑う。
「それが政治であり謀略というものさ。君の縁戚の岩倉具視も謀略家と言われているね。ただ所詮は公家だ。政治的展望は、明治になってからはからきしだよ。騒乱期の陰謀家止まりかな? でも、機智烈斎は違うよ? 機智家は恐ろしいのさ……それも無惨な程にね」
「た、例え、死連様であろうと、いつまでも私共を公家上がりなどと侮辱されては心外です!」
「だから公家上がりなのさ」
「仰る意味がっ……」
死連は大徳寺の唇に人差指をあてがう仕草をする。
「これでもキミには期待している……新しい時代は、貴賎を問わず優秀な人材を必要としているんだ。わかるかい? 乞食であろうが、貴族であろうが、優秀な者が国を担うのだ。志士や壮士等もう必要ないんだ。キミも見ただろう、私達の様な殺しの生業を持つ者の先程のあのザマを……」
「あの方は、確か、死連さま方とは違う抜刀隊の隊服を……」
「薩長と会津、他藩は隊服も微妙に違うんだ。馬鹿馬鹿しいね? 彼女は未だに憎しみと斬り合いの中に生きている。いや、血影はそれ以上に、色んな執念と宿痾の様なものに取り憑かれている。あれも憐れなる我が姉妹さ……ただ、あの子が態々私に帰還の報告に来たとは思えない。何か、企んでいるかな?」
「彼の方は……同じ姉妹であろうというのに」
「いいや、あの子は未だに保科の姓を後生大事に名乗った。最早機智家の殺女を姉妹などと見なしておるまいよ……ただ、困ったな。あの子に今の此の現状を引っ掻き回されると困る」
「しかし、怪我をなさっているのでしょう? 引っ掻き回すなどと出来ますでしょうか?」
「彼女は、会津の上級武士団でね。会津留流(秘伝)の溝口一刀流だ。しかも長州の殺女の頭領、殺死丸の一撃を敢えて刀で滑らせ避け足を斬り飛ばされた。殺死丸の圧倒的な”死”から身を免れた唯一の殺女サ。実力は折り紙付きだ。強いよ?」
「あやしまる……?」
「彼女は”別格”さ。君など真面に顔も見れぬ位……こわい私の姉妹。私が現状一番危惧しているのは今回の件で殺死丸が薩摩に入ること」
大徳寺は戦慄していた。先程の凄まじいやり取りをしていた、保科血影の足を切り飛ばした殺女……しかも此の死連が危惧する様な存在。
「でも……来れば、私が相手をする迄だけどね? ふふ、大徳寺クン? 私はこう見えても凄く強いのよ。うふふ」
急に死連は冗談めかして笑った。漆黒に艶めく髪が揺れ、とても軍人には見えない長い睫毛と目鼻の高い女は、まるで異人の淑女の様でもある。大徳寺は時を忘れ見惚れてしまった。何だか下手な公家や武家の子女よりも気品があり、時にこうやって柔らかく微笑む様には親しみの様な感覚さえ湧くのだ。純粋に花顔(かがん)であり、見目良い形姿である。
「死連様は……不思議な方です。まるで御伽噺に出てくる様な、何だかまるで浮世の者とは思えぬ存在の様であります」
ん? と死連は首を傾げて眉を上げる。
「す、すいません! 余計な事を申しましたっ」
大徳寺は、何だかこの訳の分からぬ魅力の虜になってしまっている。
それは、もうすっかり先程の恐怖など彼方に忘れてしまう程であった。そんな、蠱惑的な感覚に酔ってしまった様である……
「はぁあああ、流石に薩人は口も堅いし方言も地域で聞き取れナイ……」
安死愈(あんじゅ)がため息まじりに兵舎の門に帰ってくる。
他の者達もこれといって収穫はなかったようだ。やはり官軍という余所者にはこの土地は厳しいらしい。
「あんじゅサァ、まこつむずかしかっこつごあんでん、かねっかい、西南ん地ぃは大先生んにゃぎいかてもんでよ」
「う、うん……私にはそれが分かるギリギリだヨ……」
「そがらし、話ばしい奴はゲンネなガンタレよれっこつごたるよ」
「え? えぇ? やっぱりムリ」
安死愈は、薩摩系の殺女ではあるが、西南本土(鹿児島)に来るのは初めてである。おまけに今迄、安死愈と付き合いのある薩摩人は京都や東京に馴れた警視隊系の郷士身分の者が多い。郷士は城下士よりも身分が低いが、警察に赴任しているのでまだ意思の疎通ができるくらいには標準語ができる者が多い。鎮台近衛の薩人は多くが志士上がりなので、上方言葉が通じるが此処、薩摩藩ではやはり国言葉が未だに使用されている。
しかも、同じ鹿児島でも地域によりまた異なるために、安死愈の上方の武士言葉では中々話そうにも相手に警戒されてしまうのだ。
「マイッタなコリャ」
「おいこら」
一人の警視系の薩摩藩士が安死愈に話しかける。
「キサマぁぁ! おいこらとはなにごとだぁ!」
「?」
警視系の薩人は何故、安死愈が突然怒り出したか理解できない顔である。
「ないか、きさん、おいはないいも咎められっこつはいうてなかじゃっど!! ないじゃ!」
「ふふ、相変わらず馬鹿ね。安死愈……クスクス」
そこに一人の少女が杖をつき、足を引きずりながら現れた。どうやら兵舎から出てきたらしい……
「おいこらはね? ちょっとちょっと位なものよ……クスクスっ」
「あ、血影……!?」
「おれは、あねちゃ(年上)ぞ、敬語つかえ! いっちょめこぐなよ、ざまわりぃ」
血影は、そう会津弁で言うと不敵に笑った。
- Re: キチレツ大百科 ( No.138 )
- 日時: 2017/01/24 00:03
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: pk2OclHY)
「安死愈……貴女、なぁに? その格好、間抜けな書生さんみたい」
「血影!! くっ! 貴様ぁ何故此処に……」
クツクツ笑う、その少女は……警帽から老女の様な白髪を伸ばしていた。白髪といっても、色が完全に抜けていない灰の様な色である。それは緩やかな螺旋を描いて、この血影という少女を彩っている。
しかし、この血影、何とも言えない不思議な可憐をその顔に宿している。それは、まるで思春期の乙女が少し悪戯がかった笑みをしているかのような、何とも言えない魔性の優美……
だが、その微笑を浮かべる薄紅の唇に隠すのは血のふくみ。
その滲んだ薄紅が、どこかエロティックで少女の背徳を一層印象付ける。
安死愈の声を聞くと、血影の顔が不敵な笑みからゾゾゾ、と静かな怒気に塗り替えられていく。しかし、そこにすら薫る仄かな愛憐。
「貴様……おだるなよ? 随分どなぁいぎなってなし安死愈」
呟く唇。
「
な、ナンダ!!」
安死愈が次の言葉を出す前に、突然血影が安死愈の体にもたれかかってきた。
「え……」
薩摩の警視は、何故この少女がいきなり現れたのかで、困惑し動作が遅れた。そして、この少女が音も無く近付いてくるのを見て『おいこら』と安死愈に言ったのである。薩摩では『おいこら』は『ちょっと、ちょっと』くらいの意味。
元々は、おい(私)これら(あなた)という意味。
私から貴方へ=ちょっと
という語源である。
「な、何のツモリ……ッ?」
すると、血影は周りの薩摩藩士達に向け、まるで今にも折れてしまいそうなか細い声で啼く。
「各々方、私の妹が常々お世話になっており申す。本日は、この安死愈が甚く心配で野戦病院から堪らずに兵舎に押し掛けてしまった次第であります……突然の来訪をどうか、どうかお赦し下さいまし」
その瞳が涙色に霞んだ、癖のある睫毛がまるで濡れているかの様に。
「十年の役(西南戦争)に於いて私、脚などを不覚してしまいこの有様になり、なんと恥ずかしくこの身を晒してしまう次第……お目汚しを平にお許し下さいませ。薩摩の方々」
安死愈へと凭れかかる、警視庁抜刀隊の官服の少女。まるで妹の心配をして身を押してきたと言わんばかりである。
「何をキサっ!」
「安死愈さぁ……こん姉サァは何とも大変なお方じゃあ」
一人の藩士が情け深い瞳でそう言った。すると、次々とこの血影に敬礼をし出した。まだ、この時代の軍隊では敬礼の取り方はフランス陸軍式やイギリス式など統一感がなく不慣れなものである。しかし、其処には従軍者への尊敬が見て取れる。
「なんと我々と同じ同志というだけでんなく、名誉の負傷ばっしとんのに、その姿で妹を想い、此処までそん足でんやってきとうとか……!? 大した姉サァじゃ……!! こや痛み入りもうす」
一人の者などは男泣きをしだす始末である。
薩摩藩士は単純である。しかも西南の役で負傷をした、この血影の勇気を手放しで称賛しているのだ。そこになんの疑いもない。勇気と言うものはこの男達にとって最も尊重されるのである。
「安死愈は此の地でもよく働いておりますでしょうか? 何分昏い子であります。皆様方にご迷惑をお掛けしてはおるまいやと、一日千秋の思いでありました……」
「お姉サァ、心配せんでんよかごたる。ささ、姉妹で積もっ話もあいじゃろ。本官たちはこいで失礼しいもそ」
血影が嗤う。
「お気遣い、辱い……安死愈? 湾の近くの療養所まで、おねがいできますか」
「巫山戯るな! 貴様どの口ガ……」
安死愈は戦慄した……血影の腰のサーベルにはハバキが付いていない事を。
「さ……安死愈? いきましょう」
薩摩藩士たちを背に、血影の眼睲(がんめい)が鋭く煌めいた。
「何をスル!!」
「ふふ、いいの? 此処で?」
「待って! 早マルナ!」
悪戯の微笑……人差し指で『シッ』のゼスチュア。
その瞳だけが、獰猛。
「うっつぁぁし……いいがら歩げ」
その声だけが、柔和。
「ヒィイイ!?」
底冷えのする殺氣……
鹿児島、鍛治屋町の肝付邸では、殺華達が庭で自顕流の独特な荒稽古の真っ最中であった。
「どうしたぁぁ! 殺華!? そんへっぴり腰ゃ! 情けなかっ! ブチかますっど!」
肝付十字郎が、厳しい声で殺華のケツを蹴り飛ばす。
「あいた〜!!」
ゴロンと転がる殺華。
「ないじゃ! 情けなんこつさぁ、わいは薩摩隼人んごたるないとういっちうでん、そんsざまじゃあただんガンタレッぞ!!」
十字郎のゲンコツが殺華の頭に落ちる。
「うわ〜〜ん、なんだとぅ!!」
そうすると、泣きながらまた殺華は横木に向かい長棒を振り落としていく。しかしそれは、他の朋輩達のように横に立てかけている棒を震わせる様な激烈な打ち込みには程遠い様である。
「くんっ、ないじゃまた情けなか打ちっぞ! もうやめろ! とっとと帰れ!」
「帰らない! 横木を震わせるまで帰らないぞぉぉぉ!」
「ガンタレめっ、よくぞいうた! 満足に打ちやるまでそこでん飯も食えそこでん寝ろ! 只管打ちやい! 只管振りやい!!」
「えぇ〜〜ん、やるよ、やってやるんだょおおおお〜〜!!」
殺華は泣きながらボコボコ横木を打つ。
其の長棒も、横木も固いユスの木を海水に浸して半年も乾かした強度を増した打木用の棒だ、半端なものが打っても真に当たらなければ、手が痺れ忽ち棒を落とすのである。しかし、殺華はそれでも懲りずに泣きながら打っている。もう掌はマメが潰れている。最早長棒の持ち手は血が滲んでいる。
「殺華どん……もう朝から水も飲まず打ち続けておっがぞ?」
「しかし……あん和郎(わろ)ありゃ蜻蛉をしっかり取っておっぞ!?」
一人の朋輩が言った……
「やつまつどん(薬丸:この場合十字郎の愛称として言っている)あん和郎、ありゃ示現の蜻蛉んやっておっぞ」
十字郎は、殺華から片時も目を離さず、一々殺華を罵倒し、時に鼓舞するかの様に声を掛けている。
「そいじゃあなかか! もっと腰を落とすとじゃ!」
また殺華はケツを蹴り飛ばされる……
それをじっと見ている朋輩たち。
十字郎が、手拭いで汗を拭いながら笑った。
「おぉ、お前さぁらも気づいておっととか? 何処かでん蜻蛉ん真似ごとでん覚えてきよったんじゃいな……なかなかどうして面白かやっじゃあ殺華は」
「しかし、それにしては良く立ち木打ちをしている様に思うが……」
「うむ、しかし示現流の癖を今一度抜き、当流のトンボの型を一から教えてやっておいもす。あん和郎もしかしてん化けっがぞ! 見てみよ、刃筋が乱れおらんとじゃ。同じ場所ば打っちおっがぞ」
「ほう……こや生半じゃあなかっこつ」
「じゃっどん、もう少し、言葉で薬丸流のトンボと其の撃ち下ろしを教えてやっても良か思うんじゃが……」
十字郎が口の端をあげ笑む。
「体感……じゃい。さすらば二度とそん体から薬丸流が消えはすまい」
十字郎は殺華の打ちを見て、その癖を直様見抜くと、まずは其処を打ち込み稽古を行なわせながら逐一体で覚えさせているのだ。
もう殺華は棒と一緒に横木に倒れこんでいる。
すると、十字郎は嬉しそうな笑顔で直様井戸の水をぶっかける。
殺華はそのまま気絶した。
「こや、良か剣士んなりもうそ……」
気絶した殺華を見ながら、十字郎はどこか優しげにそう言った……
- Re: キチレツ大百科 ( No.139 )
- 日時: 2017/01/26 19:32
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: eMRX3Yay)
「天気の良い真冬の空に、あの桜島の忌々しい灰が舞い上がってるわ……薩摩人はあれを有難がって拝んでいるのでしょ? 馬鹿みたい、鬱陶しいわ……」
安死愈の肩に凭れかかったまま歩く血影。
「何の積りカ!?」
血影は、その声を上の空に宙空を見つめ、溜息を吐いた。
この少女は、どう言うわけか、その動作に一々艶かしさが匂う。安死愈はその様子に慄きながらも警戒を怠らない。血影のサーベルは、ガチャガチャ音を立てて腰の帯革にぶら下っている。ハバキが付いてないせいで、少し大きく揺れると柄が僅かに浮くのだ。
「ふふ、いいでしょ、今日は天気が良いもの。お散歩しましょ? そうね、あの河べりに行がんしょ」
「そこで、どうスル……」
「おっがねか? なんだっでそだおかっねがるなし……? クスクス」
血影が云う。
安死愈は、今腹に差しているピストルに意識を向けている。血影は右手で安死愈の肩を抱いて左手に杖を持っている。今なら振りほどいて撃つ事ができるやもしれない。しかし、接近戦では銃は点の攻撃であり、剣は線の攻撃である。つまり急所を狙わなければ終わりだ。しかも、攻撃接地面は剣の線の方がより広い範囲で相手を殺傷至らしめる。近接戦闘では銃の方が不利であるし、相手は人間ではなく、同じ化外の殺女である。銃を以って、一発で死に至らしめる事はほぼ不可能である。
それに、この血影は殺死丸を相手にし、仮にも死を免れ生き延びたと言う過去を安死愈は見ている。脚を怪我していようが、剣の勝負などでは例え安死愈が得意の銃剣を持っていたとしても勝ち目はない。
「ふふん、お腹に帯びた六連発が気になるようね?」
「!?」
「うふふ、そんなに分かり易く視線を動かしたら誰だって気付くわ? 安死愈は馬鹿ね……貴女、元々は下級の殺女の癖に随分生意気になったんじゃなくて?」
「べ、別に……」
市中を二人が並んで歩く様に、明らかに軽蔑の視線が向けられている。血影の警視隊の官服のせいだろう。薩人達の精神的大望の代表者たる西郷を討った官軍、抜刀隊の制服であるからだ。しかし、その侮蔑の目をまるで血影は楽しんでいるかの様である。
「見て、ホラ連中の眼を……ふふふ! 楽しいわね、こんなお散歩も……どう? 安死愈?」
「楽シクナイ」
「ふん……クスクス!」
血影の灰色をした、螺旋の髪が風に舞う。
「やぁね……風に灰が僅かと混じってるわ、汚らわしい」
「……」
「私の髪の毛の色が抜けたのは何時だったかしらね……そう、鳥羽伏見の戦いで、徳川慶喜に裏切られた時かしら? ううん、薩摩が会津を裏切って、長州と手を組んだ時かしらね……!? ふふん、クスクス」
「そんなの! 私に言われてもワカラナイ!」
「ほら、大きな声、出さないの……私が転けてしまうわ?」
ワザとらしく戯ける血影の瞳が、逆に危険さを増した。
二人は、甲突川の川縁の土手に着いた。
安死愈の考えている事は、ただ一つ。この血影を振りほどき、地面に転がして至近距離からピストルの全弾を撃ち尽くす。その後、全力で兵舎へと逃げ助けを求める。これ以外に血影から逃れるすべはない。
「大きな河が、海に続いているのね。風が下流に向けて吹き抜けるから、この河は嵐の時は洪水になるのでしょうね……」
漁師が船を出す為に、下流から錦江湾にかけては石畳で船着場が設置されている。そこに一際強い風が吹いて血影の警帽が飛ばされる……
「私、いい事をきいちゃったのよ? 先の役(西南戦争)で、先鋒抜刀隊の殺女の中隊から、脱走者が出ているって……!」
やはりか、と安死愈は思った。血影は何か企んでいるのだ。
「ねぇ……安死愈、貴女知っている事をぜぇんぶ教えて頂戴な? もちろん、死連には内緒でね」
「お前、自分が何を言っているのか解ってイルのカ!」
「……おんつぁに、おめとは何事なし! 血影殿っだ! かすがだっで(生意気な)」
「お前は、今は一介の警視だ! 何時までも会津の上級士族ブルナ! 今は私の方が、お前より階級が上ナンダゾ!!」
「くっ! ハハハァッ!! お前らしくなってきたな!? 安死愈?」
血影は安死愈の肩を優しく摩る。
「そうよ、お前はそうやって自分の未熟な小才をひけらかし、よく他者を嬲っていたわね!? そう! そう、アハハ、クスクス! 思い出した……東京に居た時の事よ、確かお前が近衛にいた時に警邏の傍、よく他の殺女を虐めていたな……くっくくく」
「? 其れがナンダ! 覚えてナイ! あったからといってどうナンダっ」
「確か……あれは長州の殺女だ。名前は覚えていないが、見るからに阿呆な子だったな……お前は寄ってたかってあの子を足蹴にしていたわね」
「だからっ! ナンダと云う!?」
笑う血影。
「私はこの後、帝都に帰るの……そして、陸軍鎮台へと配属が決定したのよ? この意味が分かって!?」
「……なにが言いたい?」
笑みが消え失せた……
ゆるり、流れる血影の眼。宿る、虚。それと相反する様に、刃物の微笑……
それは、まるで白痴にでも懸かった様な佇まい。
「フフフ、ハハ、これが屈辱以外に何と言う!? 寄りにもよって長州の山縣有朋が支配する陸軍に配属されたんだぞ!! そして、其の命を受ける為に、私は……わ、私は、機智烈斎の元に馳せねばならないんだ……!?」
安死愈は、驚愕した。それは陸軍の配属ではなく、血影が機智烈斎と拝謁すると言う事にである。機智烈斎は戊辰戦争の際に、会津を攻める側に回った。血影や、其の配下である会津の殺女兵団に、明治になってから徳川慶喜と共に命を狙われた。それなのにも関わらずである。
其の際に機智烈斎は、徳川慶喜の警護の為に薩摩、長州の近衛軍の殺女を使い之を撃破した。そして、其の際に軍籍が無いにも関わらず、殺死丸が投入され、血影の脚を斬り飛ばしたのである。その場には、当然死連もいたし、殺華と殺目もいたのだ。
安死愈は、其の事実に耳を疑った。恐ろしき事は、この後に及び、まだ機智烈斎は此の血影を会津、松平家に送った様に利用しようというのである。安死愈は今更ながら主家である機智烈斎と言う人物、その存在に慄然する。
(何という冷徹な政略の持ち主ナノカ……)
「くっ、ウフフフ、ハハァ!! 私は、それを……それを拒む権利すら無い! 迷ういとまさえ無い! 私は、私はっ! 機智烈斎に会津へと預けられ、松平に送られたのにっ! そんな事、 何一つ鑑みていない……剰え命を狙ってさえいたのに……此の上更にっ、この私を辱しめ、生き恥を晒せというか!?」
安死愈は既に、この話の理解の外にある。血影は、会津の松平容保と言う若き藩主の元へ送られ、鶴ヶ城の上士身分を与えれた殺女である。それは自分などの下級の殺女には正しく天上(殿上)の事である。しかも、安死愈は機智烈斎にも拝謁する事など一生叶わない。声を聞く事さえも許されない立場である……
血影は、松平家の庇護下で大事に育てられたのだ。だから此の少女には、どこか気品の様なものが時折見え隠れする。
しかし、血影に待ち受けていたのは、いばらの道であった。それは歴史も証明しているし、安死愈自体が薩摩銃砲隊として当時会津を攻めたのだった。
「あぁぁ、そういえば……機智烈斎と会う時に、殺死丸に云っておくわ……? お前が脱走した元・長州諸隊、遊撃隊の殺華を虐めていたこと……ふふ、きっと殺死丸は怒って薩摩に躍り込んで来るわね……? アハハ、ふふん……ふふ、くくッ」
「!!」
血影は血涙を流しながら安死愈を嘲る様に笑った……
- Re: キチレツ大百科 ( No.140 )
- 日時: 2017/02/03 19:42
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: IlzFUJT4)
血影が一人、杖をつきながら歩いている……
東北、会津若松で育ち、戊辰戦争後、斗南藩(現在の青森)に会津武士団と転封させられた血影には、この西南の土地の冬などは生ぬるい位であった。
血影は、何だか嫌気が全身を蛇の様に這いずり回る感覚に襲われている。自分の脚を斬り飛ばした殺死丸の名前を使い、安死愈を脅しあげた。その行為自体も血影にとっては忌むべき様な行為である。しかし、この少女には形振り構っている時間はない……機智烈斎の召喚、追って陸軍鎮台への配属。今を逃しては、血影は身動きを取れなくなってしまうのだった……
「あ、殺死丸……ダト!!」
安死愈は、その名前を聞いて心底怯えた目を向けていた。
「あら? 貴女、殺死丸なんて呼び捨てにできる立場だったかしらね?」
「ちっ違う、殺死丸の姉者!」
「だぁめよ? 目上の者に敬意を払わなくては……この事も言っておくんだから」
見下す様に、血影は安死愈を見ている。
「ヤメテ! 殺死丸の姉者を焚きつける様なマネしたら……本当に何をスルカ……」
安死愈は、既に血影の脚にすがり付いている。
「ふふふ、そうそう、そうやって膝ずいて哀願の目を向けているのがとってもお似合いよ? クスクス、うふふ。知っちゃもんだね、安死愈? いいがら俺の言う事聞っかなんね……なんでかんでもだ」
「あ、殺死丸の姉者にダケは……死連様に申し開きタタナイ! お願い! ”アレ”が此の地に降り立てばトンデモナイ事になる! オネガイシマス!」
血影はそれ聞いて満足そうに頷いた。そして人差し指で安死愈の顎を上に向けるとその顔を近づける。
「いいが? そんぢは何かあったら逐一、俺にも報告しろ。いっが? おんつぁまぁ真似すっとわかってんな?」
安死愈は首を縦にぶんぶん振って答えた……
血影は、先程の事を煩わしく思いながら、一人杖をついている。
安死愈は、もう自分の言う事に逆らえないだろう。しかしあんな下級な殺女など信用に足る者ではない。安死愈は、自分の利己に忠実な殺女である。血影には、会津の十訓など士族教育が成されているので、あの様な輩には軽蔑の念しか持たない。矮小な存在だとさえも思っている……
会津というのは、日本の藩で一番の教養国だと言われている。しかし、それは徳川幕府政権下の侍、大名を中心とした封建教育である。それは当時のガチガチの保守的教育であったが為、会津若松の上級士団は極めて貴位が高く、武士の誇り、それに伴う教育は非常に厳格なものであった。そういった中で大事にされた血影には、此の時代の特有の貴位高い信念のようなものが宿っている。
しかし、それは戊辰戦争で、新政府軍に敗れ否定される事となった。幕府の封建制度の打倒、”倒幕運動”である。これが幕末、長州を発端、中心とした”尊王攘夷”である。
それを、幕府に在りながら誘発したのが機智烈斎とその機智家である。
その、機智家の従属者でありながら、元長州諸隊に所属し、倒幕をやってのけた殺女が西南戦争にて戦場から落ち延びそのまま脱走している。
血影は、その殺女達の心中に興味がある。機智家を裏切り遁走するなどあり得ない事である。明治初期、血影は裏切り者の代表格、徳川慶喜を暗殺しようと駿府(静岡)までいった。そこに現れたのは薩長の殺女の部隊だった。
激闘の末、仲間の殆どが死に、銃弾日雨と刃迅の中を血影は駆け抜け、半死半生で慶喜の元に辿り着いたその先は……殺女の近衛将校達が煌びやかな軍服と黄金作りの軍刀を持って立っていた。
そして、自分は一刀の元に殺死丸に斬り下ろされたのだった。
その時、死連と殺目が殺死丸と血影の間に入って割った。機智烈斎の指示である。機智烈斎は慶喜の隣にいて、冷酷な顔で此方を見ていた……
死連が何事かを機智烈斎に耳打ちしていた。機智烈斎は一通り耳を傾け、一言言った。その結果、自分達会津殺女団はあっけなく赦され、新政府の軍下に置かれる事となった。死ぬよりつらい屈辱である。
死すら選べない。意を唱える事すら、あの機智烈斎には届かない。冷厳な眼……あの男は、自分達などまるで目に入ってさえいないかのように、自分達を鎮圧して、事も無げに去っていった。
あの時にその場にいた長州系の殺女達が、現政府に反旗を翻している。それは機智家に対しても同じ意味という事になる。血影は、機智烈斎の元へ参じる前にどうしても脱走した二人の殺女、殺華と殺目にその心意を問うてみたいのである。
(もし、私と意が合うのなら……)
血影が、フラフラと市中を歩き、錦江湾付近にある軍の病院に向かっている。
そこへ、一人の老紳士が声をかける。
「Nach langer Zeit! 血影」
血影はその聞き覚えのある、懐かしい顔に思わず杖を投げ出し抱きついた。
「カルル先生!」
カルルと呼ばれた老紳士は、まるで血影を子供のようにヒョイと天に掲げる様に抱き上げた。
「Wie zu erwarten ist Schoner werden! 血影」
「私には異人の言葉は分からないわ、カルル先生」
「ふふ、嬉しくてついね、しかし、血影? 一段と美しくなったものだ、幾つになった?」
カルルは少し意地悪な笑みで片目を瞑りウィンクをした。
「もう! そんな事言わないわ……でも人間でいうともうお婆ちゃんかしら? みて、この髪を。灰色の白髪になってしまったの……」
「君は、いや”君達”は少しも刻を感じさせず、その美しい姿のままだね。私など最初に君達と逢った時はまだ若造だったというのに」
「うふふ、カルル先生の顔は今はこんな皺だらけ……でも、それが少し羨ましくもあります……」
カルルは一つ咳をした。
「すまない、配慮に欠けたかね?」
「いいえ、全然」
血影はカルルの首元に抱きついた。
「カルル先生……何故この地へ? まさか、先生が私を帝都に連れて行くの?」
カルルは首を横に振った。
「いいや、そうじゃない」
「でも、機智烈斎にはお会いになったんでしょ……?」
「あぁ」
血影から笑顔が消えた。
「そう……」
「まだヘルツォーグを怨んでおいでかい?」
「ふふふ、機智烈斎はRosenkreuzeri der Ritter(ローゼンクロイツァー・ダー・リッター:バラ十字騎士団)では公爵(Herzog)なのね……」
「えぇ、我々、バラの騎士団は機智烈斎殿と共に常に人類の辿り着く約束の末を求めている。人類というものが何処まで行けるのかとね」
「先生? 私達は、何処に行くのでしょうね……? いえ、何処に”行ける”のでしょうか……」
カルルは優しく微笑みながら言った。
「そう、其れこそが、やがて人の矮小なる人智を超えて場所ではないか、と……」
血影はそれに答えなかった……応える術が無かった。
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