複雑・ファジー小説
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- キチレツ大百科
- 日時: 2016/01/06 12:05
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: .5n9hJ8s)
「起キル……」
「起キル……」
あぁ、うるせーな。俺は昨夜も”発明品”の開発でいそがしかったんだよ……眠らせてくれよ。
「起キル……」
「起キル……」
微睡みの海の底、聞こえる女の子の聲。少し擽ったい感覚が夢を揺さぶる波のよう。
ふと思うんだ、これがクラスメートで皆のアイドル、読田詠子、通称”よみちゃん”だったらいいな……て。いいさ、わかってる。どうせ夢だろ?
夢の狭間で間の抜けた自問自答。
そいつが、嘲るみたいに眠りの終わりを通告している。
「キチレツ、起キル”ナニ”!!!!」
Goddamit!
そう、いつもそうなんだ。俺の眠りが最高潮に気持の良い時に、決まってコイツが割り込んでくる。俺がご所望なのはテメーじゃねんだよ?
「くっ!? 頭に響く、うるせーぞ、ポンコツ! テメー解体して無に帰すぞガラクタがぁ!!」
「なんだと〜、やるかぁ!」
部屋の中には、日差しが差し込み、ご丁寧にスズメの鳴き声が張り付いてやがる。うっとおしい事この上ない程真っ当な朝だ。
「最悪だぜ……」
目の前の”ソレ”を突き飛ばし、机の上のタバコを探す。
「あん? モクが無ぇぞ、昨日はまだ残ってたんだけどな……」
「中学生デ、煙草ハ駄目ナニィ! 我輩、捨テテオイタ、ナニ!」
俺は目の前の”ソレ”の髪を掴んで手元に引き寄せる。
「テメー良い加減にし無ぇと、マジでバラすぞ。人形!」
「ちょっ、痛い痛い痛い! やめてよ、キチの馬鹿! 中学生で煙草吸うキチの方が悪いんじゃ無い! い、いたぁあい、我輩のポニテから手を離すナニィ!!」
「キャラが崩れてんだよ、人形!!」
「に、人形じゃないナニ……殺蔵(コロスゾ)ナニ……」
くっ……頭が痛ぇ。
俺の名前は機智英二(きちえいじ)皆からはキチレツなんて呼ばれてる。
俺は江戸時代の大発明家、キチレツ斎の祖先だ。キチレツ斎は結構名の知れた人で、当時の幕府御用達の発明家て奴だったらしい。初代キチレツ斎は太田道灌の元で江戸城の築城に協力して以来、機智家は徳川家から引き立てられたという経緯と親父が言っていた。
そんな家だったら、何か凄い物があるだろうと物置を調べていた時に見つけちまった。
この少女の形をした”発明品”殺蔵を。しかも運悪くうっかり起動しちまいやがった。
わかるか? 自分の先祖がこんな、少女人形を作成してた真性のド変態だと分かった時の気持ち……夜な夜なこんな人形使って遊んでたと思うと反吐がでるぜ! その俺の気持ちを察したのか、俯いたまま殺蔵がぼそりと呟いた……
「我輩は、武士ナリよ……」
俺はイラつく。
「テメーのその見た目でどうして武士とか言えるんだよ? どうみたって弱そうだし、大体女の武士とかいねーだろ? じゃあ、なんでその見た目よ? どう考えても、いかがわしいんだよ! お前はそういう目的の為の人形だろう!?」
「違うナニィ!! わ……我輩は、武士ナニィ! 武士……ナニよ」
「チィ! うぜぇ……」
曲がりなりにも尊敬していた先祖の正体が倒錯的な変態である……
そいつは憧れてた役者やアイドルがシャブ(覚せい剤)や痴漢で捕まった時位ショックなもんだ。
涙目で抗議する少女のカラクリは、俺らの年齢と大差ない姿形だ。
キチレツ斎さんよぉ、それぁ無ェぜ……
「英二〜、ごはんよぉ。殺ちゃんも早く降りてきなさ〜い」
この部屋の重たい空気も知らずに、圧倒的に間の抜けた声でお袋の声が聞こえてきた。
だが、そいつは俺にとっては好都合の助け舟だ。最早、徹也明けの眠気などどうでもよかった。殺蔵が急いでティッシュで涙を拭っている、その横を俺は知らんぷりで通り抜けた。
- Re: キチレツ大百科 ( No.106 )
- 日時: 2016/06/29 21:56
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: qyu8shZB)
殺華(さつか)は刀の背の鎬(しのぎ)を右肩に担ぐ様に剣を持つ。
この構えは、どちらかと言えば、殺華の流派、薬丸自顕流の蜻蛉の型よりも、殺死丸(あやしまる)や殺目(あやめ)の神道無念流の八相(はっそう)の構えに似ているが違う。
刃先が、後ろに向くまで倒されている。
(己ごと叩き付けるか……!?)
死連は、まだ動かない。
死線が張り詰めて、全ての血肉が沸き立っている……
静寂が、まだかまだか、と血を請うているかのよう。
まださ……そう焦るなよ?
死連は、未だ冷静を失っていない。
(それにしても、あの刀は良い刀だ。二尺一寸というところか、太刀を磨り上げしているな……)
殺華の振るった刀は、死連の軍刀拵の刀を下から横へと断ち割っている。
しかも、切り口にヒビや歪みを一切生じさせずにだ。
そして、数回の剣戟の末、死連の刀は刃が細かく刃毀れしているにも関わらず、殺華の刀は刃毀れをしていないのだ。
(当たり負け……恐らく、南北朝以前の業物だ。防ぐのは無理か)
「さぁ、来なさい。殺華?」
殺華は、たまらない様な貌をしている……
なんとも言えない様な、たまらない貌で、殺華は死連に向かって謂った。
「行くよ、うん……死連姉、覚悟……!!」
踏み出す!
「チェェェェェイ!!」
瞬間が、生まれ死に行く狭間。
コンマが、流れていく。
踏み出し、加速、一歩、二歩。
左脚、それが地に着く、その”間”の始まり。
秒の残骸が、水子の如く流れ行く、その瞬間。
死連は、其れを見切ると左手の殺目を、殺華に向けて突き飛ばす。
「!?」
殺目が、前方に弾かれる様に倒れていく。
タイミング……殺華が、刀を振り下ろし始める、その時を狙い澄ましたのだ。
殺華の刀が、殺目に食い込めばよし、殺目に殺華がぶつかり、脚を取られてもいい。
その瞬間が、状況が作られれば、それだけでいい。
それだけあれば、死連には十分である。
向かってくる、殺華に当てれば、カウンターになり殺華の衝撃は向かう自分の体重と殺目の体重が掛かるのだ。
どんなに、一撃必倒の太刀技たろうとも、どんなに優れた名工が打った太刀であろうとも、足下が崩されたのなら意味がないのだ。
刀の切っ先が、届かなければ意味がないのだ。
「?」
しかし、殺目はただ、床に体を打ち付けただけで、其処に殺華が居ない!
殺華が、消えた!?
死連は、ハッとする。居ない? 何故?
その時、死連の頬に、ゾッとする様な、刃迅の風。
「な……1?」
死連の視界の、下から上に血刀が走り抜けた。
それが、どういった様に死連の身に起きた事かはわからない。
だが、死連の体から、何かが急激に失くなっていく様な感覚と共に、神経が痺れと寒さを認識している。
死連の脇の下から、サーッと音を立てて血が噴き出していく。
膝を突いて崩れる死連。
ガクンと、大理石に落ちる視界と体。
「あ……ぁ、え……ストッキング、穿いて来れば……良かった、かな?」
殺華は、今度は蜻蛉に高く刀を構える。
「死連姉……チェースト」
そう言って、殺華は甲高い猿叫を上げ、死連に刀を振り下ろす。
死連は、背中から左肩へ袈裟に、峻烈なる斬撃を受け倒れ伏した。
ざきゅり、と肉が破られる音が響いた……
- Re: キチレツ大百科 ( No.107 )
- 日時: 2016/07/07 19:31
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: HAs4igBW)
「哮!!」
殺華(さつか)は灼熱の鬼魄を吐くと、眼前を睨む。
しかし、殺華は先程の一閃をどう撃ち放ったか、はっきりと覚えていない。
殺華は、あの一瞬でどう立ち回ろう等という、明確な戦術は持っていなかった。
ただ、身体が咄嗟に判断した、瞬間を。
秒が、三途へと流れ落ちる無情の刻の川。
それは、側から見れば、何の事はない一瞬である。しかし、その一瞬には、確かな生殺の分かれ目があり、それは容易く逃れられる様なものではなかった。
ただ、その刻の流れ落ちていく川を、殺華は駆け抜けた。
それは、意識より……神経の伝達よりも遥かな迅さで。
足元には、殺華に斬撃され、血を吹き出しながら床に沈む死連(しづれ)の身体。
斬り下げられた、左側の赤黒い肉の裂け目から、白い鎖骨が鮮やかな艶を放ち飛び出している。
死連は、殺華が踏み込み、刀を斬り下げる瞬間を見切って、其処へ左手に抱いた殺目(あやめ)の身体を投げ出した……
だが、殺華は、それを滑る様に背を向けやり過ごし、沈みながら抜き打ちで下から上に斬り上げたのだ。
左足を踏み込み、殺目が迫ると、同時に踏み込んだ足を支点として、後ろに位置する右足を外側に蹴り出す様、もう一度踏み出した。体の位置を回転させ、それと同時に右手一本の片手打ちで斬り上げたのだった。
その一閃は、死連の右の脇から上に駆け抜けた。
それが、死連には一瞬消えたかの様な、錯覚を起こしたのだった。
正しくは、それは消えたのではなく、殺華が素早く死連の視界から外に出たと言った方が正確である。
死連は、素早く身体を捻り沈み込んだ殺華を視界から見失った。
そして、右足を沈める様に踏み抜いた殺華からの一撃を、急所である脇の脇影(きょういん)から霊墟(れいきょ)にかけて斬り裂かれたという具合である。
死連が、殺華の動きを正確に追えなかったのは、死連の使う片手軍刀術の独特の構えにもその要因があった。
死連は、右肩に顎を入れた半身の姿勢である。それは、右手を身体の前にしているので、若干の右側の下の視覚が甘くなる。であるからして、投げ出された殺目の陰に隠れる様に向かってきた、殺華の低い位置は死連からは完全な死角となってしまったのだ。
殺華には、まだ実感がない。
頭の中は真っ白だった……しかし、不思議とあの短な瞬間に体が動いたのだ。
殺華は。確かに、殺目諸共に死連を叩き斬り、自らも其れに於いて死ぬ覚悟を持って臨んだ。しかし、身体は自然と身を躱し、殺目を退けて死連を討ち取った。
しかも、この様な技は、殺華の薬丸自顕流には無く、咄嗟にでたものだ。しかも、殺華にはその意識も無くである。
もし、少しでも足が縺れれば殺目と共に転倒していただろう。もし、体の位置を変え際に、足を置く位置を誤ったなら、太刀先がずれて死連の身体へ切っ先が届く事はなかったであろう。どれも、僅かな誤差が生ずれば、決して殺華は死連を倒し得なかっただろう……
殺華は、身を震わせまた咆哮すると、再び発奮しながら今の出来事を振り返る。
「な、なんという事だ! これはまさしく蘊奥(うんおう)の域だっ! とうとう僕にも……東郷重位が禅僧善吉に賜った天正自顕流の無形の教えが!? やったょ、とうとう、僕にも」
殺華自体、この恐るべき剣撃の応(いら)えに驚駭し、同時に湧き上がる欣然を抑えられない。
これは、無意識下の中で、身体が自然と眼前の敵を斬り倒すという奥義であり、達人の域である。
日に朝夕含め、八千回の立ち木打ちの稽古。陣笠を被せ、人に見立てた立ち木を十本余り立て掛け、蜻蛉に剣を取り其れを走りながら打つ、打ち廻りの稽古。
足が、地面の土を抉るまで踏み込む、打ち込み、『抜き』の稽古。殺目に、仕出しを行って貰い、壮絶な打ち掛かりの練習。
其れらがあって、初めてこの様な勝負ができるのである。
自顕流初代、東郷重位は、『意識無き虚心の内に太刀を振るわば、それは雲間からの稲妻の如く迅速をわがものにできる』という教えを口伝の内に残している。
血の滲む猛烈な日々の稽古、自分の命など一寸も省みない一撃の心得。
恐怖も、死も、己が身すらも投げ打つ気概の果てに、初めて見える景色が、蘊奥の域である。だから、殺華は実力、経験に於いて大いに勝る死連に勝てたのだ。
撃剣の術には、どの流派にも、これと似た様な奥義の域がある。
それは流派によって、言い方は様々ある。夢想剣、無想剣、無形剣……
しかし、その思想の共通は、限界までの修練の先に、身体が自然とその修練を覚え込み、例え無自覚たろうとも、勝手自然と技を繰り出す事ができるという事。
残心する、殺華。その眼に宿すは……氣熖。
そう、まだ、此処は戦場だ……
そして、殺華の眼前に写る者は、間違いなく殺華の知る限り最強であり、最凶の姉なのだ。だが、その姉の首を討ち取るには、今が於いて絶好の機会はない。
この姉は、自分達、特別教導団の進む道にて、必ずその前に立ちはだかる大敵である。
その凶氣に射竦められれば、忽ちどんな壮者もその威勢を殺がれ、一旦白刃を振るわば、辺り一面を容赦無く殺伐の渦中へと落としめる……
激烈なる上段の撃ち込みは、時に相手の天頂より腰骨までを切り下げる程だ。
少なくとも、殺華は縦に人間を真っ二つに断ち割る者を、この殺死丸(あやしまる)という姉以外に見た事がない……
その殺死丸が、今膝を着いている。そして、かなりの痛手を負い、何よりも刀をその手にしていないのだ。
「いくよ!? 殺死丸の姉者!!」
殺死丸は、何だか一瞬、ひどく優しげ笑うと、立ち上がり言った。
「見事……誠、天晴れな技前。愛い奴、大儀であった。さぁ……いざ参らん? いざや、いざや……」
ゆらり、と殺死丸はその身を向ける。
無手である。
ゆら……ゆらと、殺死丸は、殺華へと歩みを進める。
殺華は、蜻蛉に高く剣を位置する。
ゆらり……と殺死丸が、また距離を詰める。
(!? おかしいよ! なんだか変だ!!)
殺華は、その異変を敏感に感じ取る!
殺意、殺氣、凶氣の類がまるでない。今一太刀を浴びせかければ、素手の殺死丸は、なす術無く斬り下ろされてしまう筈だ。しかし、殺華にはその一歩が踏み出せない。
殺華は、その一太刀が出ない。
其れは……恐怖でも、気迫でもなんでもない。
何の事はない。
それは、実に造作もない事に殺華は気付いた。
「……そうだよ、うん。僕は」
「どうした、殺華」
殺華は、刀を納刀する。
「きっサマ……!! この私の前で、刀を仕舞うかぁ!? 殺華ッ!!」
殺華は、刀を置いて、腰を落とし構える。
「勝負だ……殺死丸!!」
「いいんだな? 後悔するぞ……!?」
コクリと頷く殺華。
殺華は、素手の殺死丸を無下に斬り殺す事に躊躇い、己も無手となった……
此処から先は、間違い無く惨憺たる地獄が待ち受ける。
それでも、それでも殺華は、刀を自分で置いたのだった……
情けや哀れみではなく、これが、殺華にとって良いと思えたのだ。
それは、殺華の天性の単純たる精神だ。
風の様に爽快で、理屈などを超越した簡潔さが……殺華が教え込まれ、もっとも愛する薩摩隼人の精神学であるから……
だから、六道世界の地獄たろうとも、風の様に爽やかに……潔く、生きて死ぬ。
「チェェェェェイ!!」
殺華は、殺死丸に飛びかかっていく。
- Re: キチレツ大百科 ( No.108 )
- 日時: 2016/07/12 00:33
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: L3NdAWya)
「うわぁぁぁん、このっ!!」
殺華(さつか)は遮二無二、殺死丸(あやしまる)に飛び掛かり拳を振るう。
殺華は、徒手格闘を学んだ事はない。だから、これは力任せの打撃である。
しかし、殺華はその見た目に依らず、気が荒く甚だ壮士的な部分がある。そして、そこに薩摩の尚武の教えを受けている為に、喧嘩粗暴の振る舞いは往々としてある。
それは、極単純にして、無邪気なものであるが、殺女(さつめ)に共通して見られる小児性でもある。だが、殺華自身そういった稚技的な闘争精神が特に強い。
元々、殺華は勝った負けたと言う様な事が好きなのだ。
だから、所属する特殊作戦群、特別教導団の兵舎に居る間も、時々思い出したかの様に発奮して騒ぎを起こす。殺目(あやめ)にちょっかいを出して、仕舞いには喧嘩騒ぎを起こす。兵舎の柱に突然刀で斬り付ける、施設を破壊し倒壊せしめる……
相撲や組み打ち等を頗る好むのである。
「エエーイ!!」
右手、左手。殺華は手を振り子の様に振りかざし、凄まじい勢いで殺死丸に躍りかかる。
殺華と殺死丸は、10cm以上も身長差がある。当然、殺死丸の顔面を打つには下から上に突き上げる形になる。
だが、殺死丸はその拳を黙って受けている……
「うわぁぁぁぁん!!」
殺華は打つ、固く握る拳を。唯々打つ……
右の拳が、殺死丸の顔を打つ。左の拳は側頭を撥ねた。
それでも、まだ打つ。殺華には死連との戦いと違い、この時がまるでうねった粘液質な流れに感ずる。
まるでそれは、空間と時間が、自分に伸し掛かって来ている様な錯覚さえするのだ。
此れは、殺華が経験してきた、幾つかの戦場でも時折感じた感触でもある。
其れは、体感時間の違いといえばいいのだろうか。
しかし、これは殺華が望んだ事なのだ。其処に、後悔は一片たりとてない。
だが、殺華は何で自分の感情や、その場、その状態で時間の感じ方が違うのか不思議だった。
何時でも、何をやっても……刻というものが平等な感覚を以って其処にあったらいいのに……
殺華は、そんなどうしようもない位に笑止な戯言を想った。
其れ位、此の時が永遠と……久遠を殺華に押し付ける。
だけども、そのどうしようもない戯言は、確かな速度で流れていくのだ。
精薄と愚昧が、行き場の無い思いと共に拳に乗っている。
血が飛散した。
側頭を打ち抜いた時に、殺死丸の耳朶が裂けたらしい。
ただ打った、ただ打った。
それでも殺華は、必死と拳頭を殺死丸に打ち続ける。
殺華の指の付け根の皮膚も破れている。
右の中指の拳頭が潰れた、それでも殺華は打ち続ける為に、肉の裂傷が酷くなり関節の骨が露出している。
何発打ったかわからない、しかし人のそれよりは遥かな数を打っている。
息が途切れる程に、思い切り、力の続く限りだ。
「がっ! ははっ……かは!」
殺華の肩が落ちる、しかし眼前を睨む。
「ぶふっ……べぇ!」
殺死丸は、床に血反吐を吐き捨てる。
その血の中に、砕けた歯が混じっている……
殺華は、次の拳を握るがその手が出ない。
だが、戦意は失っていない。
「ど……うした? 殺華? もう来ないのか……?」
殺死丸は、殺華に言った。
「ま、だ……まだま、だ……いくよ!!」
殺華は血が滲むほど歯を噛む。
それとは裏腹に、ついていかない心拍と身体。
双方共に血みどろで、立っているのが不思議な有様である。
殺華も、殺死丸も共に手負いだ。
「さ、殺華! 刀を取って殺死丸を斬り捨てろ!」
殺目が、意識を取り戻し叫ぶ。
「ダメだよ! 僕は素手で姉者を討ち取る! そう決めたんだよっ!」
「殺華、何故そうまでして……」
殺目には、それが一体なんの意味があるのか理解できない。
しかし、殺華は再び強く拳を握り込む。
もはや、左手の指は折れ曲がっている……
小指が、掌の外側に向いている。
痛みと、痺れ、吐き気を催す程の呼吸器の疲弊。
「チィィエェストォぉぉぉ!!」
殺華は、その苦痛や、思いを薙ぎ払う様に発奮する。
疲労、苦痛、其れ等を積み重ね、積み重ねて……また、其れを積んでいく。
でも、まだ地獄は此処じゃない。
こんなものは、まだ生温い。何故なら、まだ殺華も殺死丸も立って息をしているのだ。
息を吸い、吐く事ができるのならば、まだ戦える。
まだ、殺華には腕もついている、足もついている。首もまだ繋がっている。
たかが、体を斬り刻まれても……骨が砕けようとも、まだ息を吸い立っているのだ。
だから、殺華はまた打ち続ける。拳が完全に潰れたら、残った手首を突き上げる。
腕がへし折れ歪んだら、その歪んだ腕で相手の首を締めればいい。
足が折れたら、地面を這ってでも向かえばいい。
だから……まだ、殺華は闘うのだ。此の戦場に立つ限り。
殺死丸が立っている限り……
- Re: キチレツ大百科 ( No.109 )
- 日時: 2016/07/14 21:01
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: dXPHeVX6)
「むぅぅ〜ん……」
殺華(さつか)は、鉛の様に重くなった両の腕(かいな)を、必死と振り上げ様とするが、それが儘ならない。
乱れた藍色の髪が、頬に張り付いたまま殺死丸(あやしまる)はそれをじっと見つめている。
「もう……終いかや? 殺華」
「お、終わり……じゃ、ないやい! まだ……僕はこれから、なんだからっ」
殺華はそう言うと、もう柘榴の様になってしまっている拳を握り込む。
指の隙間から血が滲み、皮膚がジリッと音立てて裂けていく……
「それでは、ダメです殺華。人を殴り殺そうというのなら、拳は固く握ってはなりませぬ……その様なやり方では、この殺死丸は打ち取れませぬよ……殺華?」
殺死丸は、まるで子供に諭す様に、どこかやわらげと謂った。
何故だろうか、殺死丸は殺華の拳を黙って受けていた。そして、其処には一辺の凶氣や殺意の様なものが無かった。
「な、なんだよ! 子供扱いしちゃってさ!! 僕はっ! 僕はね、真剣勝負なんだよっ。なんだょ……」
殺死丸は儚げに笑む。
「お前には……すまなかったと思っている」
「くっっ!! この、僕を嘗めるなぁ、あ……あ、殺死丸っ!!」
「よい……もう、我らはかたき。来なされぃ殺華?」
殺華は、間髪入れず体当たりする様に殺死丸へと突っ込む。
だが、拳はもう殺死丸に届かずに肩に当たり、左腕は最早上がらない。
「うぁぁぁぁ!!」
殺華の残り僅かな気魄だけが、宙に空転して散り消えていく。
もはや、それだけだ。
でも、殺華の戦意は失せなかった。ただ、もう身体がそれに付いてこないのだ。
「チェエーイ! チェェェェイイイ!」
殺華の皮膚の破れた拳は、既に第二関節まで肉が裂け、白いものが露出している。
空を薙いで、微かな力の拳が軌道を逸れて落ちていく。
それに引っ張られる様に、殺華が殺死丸に崩れ込む……
殺死丸は、殺華のズタズタになった手を取り言う。
「もし、もし、この殺死丸が……あの西南の役にて、薩摩の斬り込み隊……元・陸軍少将、桐野利秋率いる四番大隊との会戦に於いて指揮を取っていたのなら……お前達を西郷私学校党なんぞに奪われる事はなかったと……今でもはたと思うのです。ホホ、愚かな事」
「なんだよ……なんだよ? 今、何でそんな事……いうんだょ、何で? 今……言うの? ずるいよ」
「歴史にたられば等と通用致せぬ事……この殺死丸が、其れを身を以て知りぬると思おて居りましたのに。愚かな事、愚かなる事」
「やめてょ、やめてよ!! そんな事……言うの、やめてょ?」
「お前に、満足に剣も教えず、戦場に遊ばせた。私は、お前に何の面倒も見ず、只々当時の機智烈斎の命を誇大に解釈し、自分勝手と振舞っておりましたね? その所為で、お前や殺目を西郷の徒に渡す事となろうとはな……?」
「違うよ……そうじゃない、そうじゃないよう!」
「この殺死丸の不覚ぞ……許してたもられ? 殺華……」
「殺死丸っ!!」
殺目が叫ぶ。
殺死丸がゆるりと首を傾げて後ろに向いた。
殺目は、床を這いつくばって、殺華の岡崎五郎入道、本庄正宗を右手に掴んでいた。
「お前の……お前の、カビ臭い……昔話なんて沢山だ!! そんなっ、そんな話聞きたくない! お前の……そんな、はな……しっ!! 聞きたくない」
殺目は、泣きながら刀の鍔元を口で噛んで右手で抜刀しようとするが、上手く抜けない。殺華の刀は、厚い赤銅無垢一重ハバキで鞘と刀を留めている為に、容易く抜けない様になっている。しかし、抜刀時に勢いがつく為にワザとハバキを強くしている。
殺目は、泣きながら刀の鞘を血が出るほど噛んで、必死と抜こうとしている。
「くそ、くそ!! クゥゥゥゥ!!」
殺目の、呻きの様な哭き声が、硝煙と、催涙ガスの中に立ち籠める。
- Re: キチレツ大百科 ( No.110 )
- 日時: 2016/07/16 01:41
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: PJ6eXMON)
殺目(あやめ)が哭きながら、血溜まりの中でのたうっている……
殺華(さつか)は両の腕(かいな)を擦り減らし、殺死丸(あやしまる)へと飛び込むが、もう身体が思う様に動かない。
殺死丸も血染めになった、フリルブラウスを肌に張り付かせている。伝線したストッキングは、既に穴だらけで裸足同然になっていた。
「殺華……? もう、良いのですね?」
ジャボと呼ばれるリボン状のタイを左手で外す殺死丸。
そして、何だか妙に悲哀が匂う声で言った……
「まだ……まだだょ、まだなんだょ!!」
殺華は、それを否定するかの様に、動かぬ両手をバタつかせる。
「お前も……お前も、また憐れなる傀儡のひとかた」
「うわぁぁァァん! くそぉぉっ! このぉ!!」
「……」
その時、信じられない様な音が打ち響いた。
べキャン、ともバキャンとも聞こえた。それは、竹か何かを真ん中から一気にヘシ折った様な、凄まじい音…
瞬間、殺華が床に弾き飛ばされ、動かなくなった。まるで地面に投げ出されたマネキンの様な……そんな光景だった。
「さっ……!? ぁぁ……いっ、んん!!」
殺目は、殺華の刀を抱きながら、声に乗らない嘆きを吐いた。
殺華が、うつ伏せに倒れた床に遅れて、粘液質な赤黒い染みができた。
ブクブクと泡立った血反吐が、大きく痙攣している殺華の顔から流れ出す。
「殺死丸ゥゥ!!」
殺目は立ち上がろうとして、よろけまた床に転がる。
倒れた殺目は、自分の積み上げた沢山の死体の中で叫喚している。
その姿は、何だかひどく酸鼻を極めたこの惨状を彩って、そのグロテスクな有り様を際立たせる。
「うぇぇ!」
その光景を為す術無く見ていた、一人の刑事が嘔吐した。
それを皮切りに、銃隊と警備部の刑事達から悲鳴が沸き立った。
大の大人が、何も出来ず、女の様な悲鳴を上げた。
不安と驚きから出る恐怖は、伝染してその場を形作って行く。
次から、次に。飛び跳ねる様に、その場を飛翔し恐怖を撒き散らして……
「課長!! どうすればいいんですか!? あれを!?」
「し、しし指示を……」
警備部の課長は、ハッと我に帰る。
この惨憺で、峻烈なる場に、何も手が無かった……
もう、明確な指示すら浮かんで来ないのだ。
無線が忙しなく、現状の悲惨さを告げている。
だが、このホールの部隊には最早、救援すらも望めない。
外界からも、銃声と破裂音が鳴っている。
もう、目標の捕獲も、殺害も現時点では叶わないだろう。
誰も、此処にいる獣共を抑える事はできないのだ。
最初の少女、今倒れている栗色の長い髪をした少女に、文字通り束になっても敵わなかった。
それより、警備部の課長の頭には、ある事が浮かんでいた。
これは、戦後最大規模の警察の殉職者数だ。
自分はその現場の指揮を取っている……しかも、日本という世界で有数の先進国たる、国家の警察力がいい様に蹂躙されたのだ。
どうしようもない、何もできない、何の手も打てない……
戦力の相当数を投入した……しかし、それは完全に突破された。
その、現場での指揮を自分が今取っている。
その事実に、警備部課長は心底戦慄している。
この、筆舌尽くし難い、無惨の”戦場”の胎の中……
現行の法律では、装備の限界がある。
しかし、此の国はそれでも、何とかやってきたのだ。
此の国の警察力は、決して脆弱ではない。汚職や腐敗は他国に比べれば微々たるものであろう。何より捜査力などは世界で一、二を争う程である。
だが、法律による決定的火力の制限。そして、世界一平和たる国家と言う部分を前提としている警察の組織体系や、その気分。
それらが、こういった異形の事態には対抗できなかったのだ。
しかし、これは当然の結果とも言える。
何故なら、今、この場の殺伐を構成している者共は、抑が人間ではない……
警備部課長は、阿鼻叫喚たるこの自分の指揮下に於いて惑っている。
最早、この現場の責任は、自分には一生掛かっても挽回出来よう筈がない。
ならば、もう……
ホルスターを外す音。
「!?」
私服の刑事がそれに気付く。
「課長!!」
銃口を耳の上に当てる……
こめかみに銃口が行くと、失明するに留まってしまう場合があるからだ。
一発目は空砲だ、だから、シリンダーを一つ廻した。
一瞬、家族の顔が浮かぶが、すぐに消えた。
これは、逃避にしか過ぎないし、何の説明責任も果たしはしない。
しかし、現場を任された、自分が生きているのは耐えられない……
それだけは、耐えられなかったのだ。
「すまない、後処理を押し付けてしまって……」
「っ!!」
飛び付こうとする同僚。
目を瞑る……ほんの僅かだけ、亡くした隊員達の、来世を祈った。
銃声が、一つ。
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