複雑・ファジー小説

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キチレツ大百科
日時: 2016/01/06 12:05
名前: 藤尾F藤子 (ID: .5n9hJ8s)

「起キル……」
「起キル……」

あぁ、うるせーな。俺は昨夜も”発明品”の開発でいそがしかったんだよ……眠らせてくれよ。

「起キル……」
「起キル……」
微睡みの海の底、聞こえる女の子の聲。少し擽ったい感覚が夢を揺さぶる波のよう。
ふと思うんだ、これがクラスメートで皆のアイドル、読田詠子、通称”よみちゃん”だったらいいな……て。いいさ、わかってる。どうせ夢だろ? 
夢の狭間で間の抜けた自問自答。
そいつが、嘲るみたいに眠りの終わりを通告している。

「キチレツ、起キル”ナニ”!!!!」

Goddamit!
そう、いつもそうなんだ。俺の眠りが最高潮に気持の良い時に、決まってコイツが割り込んでくる。俺がご所望なのはテメーじゃねんだよ?
「くっ!? 頭に響く、うるせーぞ、ポンコツ! テメー解体して無に帰すぞガラクタがぁ!!」
「なんだと〜、やるかぁ!」
部屋の中には、日差しが差し込み、ご丁寧にスズメの鳴き声が張り付いてやがる。うっとおしい事この上ない程真っ当な朝だ。
「最悪だぜ……」
目の前の”ソレ”を突き飛ばし、机の上のタバコを探す。
「あん? モクが無ぇぞ、昨日はまだ残ってたんだけどな……」
「中学生デ、煙草ハ駄目ナニィ! 我輩、捨テテオイタ、ナニ!」
俺は目の前の”ソレ”の髪を掴んで手元に引き寄せる。
「テメー良い加減にし無ぇと、マジでバラすぞ。人形!」
「ちょっ、痛い痛い痛い! やめてよ、キチの馬鹿! 中学生で煙草吸うキチの方が悪いんじゃ無い! い、いたぁあい、我輩のポニテから手を離すナニィ!!」
「キャラが崩れてんだよ、人形!!」
「に、人形じゃないナニ……殺蔵(コロスゾ)ナニ……」

くっ……頭が痛ぇ。
 
俺の名前は機智英二(きちえいじ)皆からはキチレツなんて呼ばれてる。
俺は江戸時代の大発明家、キチレツ斎の祖先だ。キチレツ斎は結構名の知れた人で、当時の幕府御用達の発明家て奴だったらしい。初代キチレツ斎は太田道灌の元で江戸城の築城に協力して以来、機智家は徳川家から引き立てられたという経緯と親父が言っていた。
そんな家だったら、何か凄い物があるだろうと物置を調べていた時に見つけちまった。
この少女の形をした”発明品”殺蔵を。しかも運悪くうっかり起動しちまいやがった。

わかるか? 自分の先祖がこんな、少女人形を作成してた真性のド変態だと分かった時の気持ち……夜な夜なこんな人形使って遊んでたと思うと反吐がでるぜ! その俺の気持ちを察したのか、俯いたまま殺蔵がぼそりと呟いた……
「我輩は、武士ナリよ……」
俺はイラつく。
「テメーのその見た目でどうして武士とか言えるんだよ? どうみたって弱そうだし、大体女の武士とかいねーだろ? じゃあ、なんでその見た目よ? どう考えても、いかがわしいんだよ! お前はそういう目的の為の人形だろう!?」
「違うナニィ!! わ……我輩は、武士ナニィ! 武士……ナニよ」
「チィ! うぜぇ……」
曲がりなりにも尊敬していた先祖の正体が倒錯的な変態である……
そいつは憧れてた役者やアイドルがシャブ(覚せい剤)や痴漢で捕まった時位ショックなもんだ。
涙目で抗議する少女のカラクリは、俺らの年齢と大差ない姿形だ。
キチレツ斎さんよぉ、それぁ無ェぜ……

「英二〜、ごはんよぉ。殺ちゃんも早く降りてきなさ〜い」
この部屋の重たい空気も知らずに、圧倒的に間の抜けた声でお袋の声が聞こえてきた。
だが、そいつは俺にとっては好都合の助け舟だ。最早、徹也明けの眠気などどうでもよかった。殺蔵が急いでティッシュで涙を拭っている、その横を俺は知らんぷりで通り抜けた。

Re: キチレツ大百科 ( No.151 )
日時: 2017/03/07 19:11
名前: 藤尾F藤子 (ID: pRhwEmoe)

 殺華は、三日三晩飽きもせずに庭で”打ち周り”の稽古をしていた。

 周りの兵児達が家に帰ったり、酒宴を開き出せば、倒した木偶の案山子を自分で立ててまた打ち回るのである。それを延々と繰り返しながら、足運びが分かってくる。要は力の入れ所、抜き所、体重の掛け方……
 
 ”緩急”である。

 これは、繰り返ししかその体得は出来ない物事である。それは、仕事でも、勉学でも、遊びでさえもそう言える。
 体に染み込ませるのである。失敗を、成功を、その体感を。
 

 殺華は、一通りその稽古を終えると、風呂を自分で焚いて湯浴みをし、肝付家にいる門弟達と雑魚寝するのである。
「今日もやりきったのかな……? 僕は」

 殺華は布団に入り思うのである。

 自分は、これで”強く”なっているのか?
 殺伐の渦中において、人を”斬れる”のか?
 すると、闇の中、囁くのである……恐怖が、甘い声で。

 ”お前は、其処から何処えも届かない”と……
 一番怖いのは、恐怖にかられ、逃げ出してしまう事。恐怖に”懼れて”しまう事。

 殺華は、再び庭に飛び出る。
 そして、また、ユスの棒を闇夜に振るうのである。腕が千切れそうになるまで。いや、いっその事千切れてしまえばいい。そうすれば、この歯痒さが消えるだろうから。
「まだ……たりないんだょ! 僕は!!」

 ユスの棒が、ブンと振り上げられる。

「いつ僕は、人を斬るのだろう……その時、僕は本当に斬れるのだろうか……」
 殺華は、闇夜に小さく問いかけた。夜は寂としてそれに答えた。


 翌朝、気付けば殺華は、木偶の案山子に寄り掛かるように庭で眠っていた。

「こや。殺華どん! お前さ、また庭で寝ちょりもすか?」

 入来甚左衛門と言う兵児が、殺華を起こしに来た。この兵児は、最初にこの屋敷で殺華に遭遇し、肥溜めに叩き落とした男である。今では、殺華と最も親しい兵児である。
「うぇ……むにゃむにゃ。入来くん、五月蝿いな。まだ朝じゃないよ」
「こやっ殺華どん! きゅっは面白かこっがおじゃすっど起きやい」

 殺華は、眠い目を擦ると、其処は庭の真ん中であった。
「何だ、僕はまた酔っ払って庭で寝ていたのか……? もう、嫌んなっちゃうな」
「何を寝ぼけておっじゃ、早う起きやい」
 入来は妙に楽しそうである。
「何だよ、何があるっていうんだよ?」

「皆で涙橋の、刑場に行っど。後は着いてからのお楽しみじゃい」
「ええぇ〜刑場いくんなら罪人の斬首でも見るのかい? 嫌だよ、そんなの面白くないやい!」
 殺華がゴネる。
「ないでんかんでん、皆はもういっちょうぞ! 俺い逹も、こうしてはおれん。ひっ飛ぶぞ」
 そう言うと、入来はひょいと殺華を肩に担いで駆け出した。

「うわぁぁぁ! 僕行きたくないんだょ〜〜」

 涙橋までのあぜ道を、殺華は入来に抱えながら移動している。

「殺華どん、そういや前に郷士のこつを気に掛けていもしたな……」
 走りながら入来は言った。
「え……あぁ、うん」
「実は、おいも郷士出身じゃ」
 殺華は、抱えられながら呟いた。
「そうか……僕はね、飢餓で死んでいく小僧を助けられなかったょ……酷く衝撃を受けたな。長州や東京では、流石にあんな飢餓で死んでいく者なんて見た事なかったよ」

「そうか……おいは城下士の家に養子に出されて肝付の家の門弟となりもした」
「へぇ、珍しいんだね」
「薩摩の中村半次郎をしっちょいもすか? 半次郎どんも郷士の出身じゃっど」
 殺華は、田んぼがまるで風の様に後ろに吹き飛ばされていく様、移動するのを見ている。あぁ、この男の脚力も大したものだと。
「そいにしても、殺華どんは何故に薩摩に? どうして官軍の軍服ば着てよたっとか?」

 ”まずい”
 殺華は思う……しかし、朋輩たちに嘘はつけない。だが、自分が実際に官軍で、殺女という化外のものだと、今言う時期でもないと思っている。

「うん、いずれ必ず皆んなに話す時が来る。それまで今は……」

 入来は、察したのであろう。殺華の方を見ずに「すまん」と一言言った。
「いずれ必ず……」

 殺華はそれが今言える精一杯だった。

 涙橋の刑場に着くと、其処には沢山の二才(にせ:若者)や兵児(十四才からの男子)達が今か今かとその時を待っていた。
 そこで、やっと殺華は入来から降りると、先に集っていた十字郎達の所へ行く。

「一体なんなんだよ、朝っぱらからこの馬鹿騒ぎは……皆んなひまだなぁ」
「おう殺華、やっと来たか! 今日は”冷え物取り”ばしよっぞ! がっははは」

 十字郎は、朝から嬉しそうに椅子に座していた。
「何それ?」
「殺華、きゅ(今日)は我が郷党ではお前さも出いやい」

 殺華はきょとんとする。
「何それ? 何するの?」
「罪人の死体から皆で争って誰が早く肝臓を取り出すか競争っじゃ! 愉快じゃど わははは!」
 殺華は心底ウンザリした顔をする。
「野蛮な習慣だなぁ……そんな事して何になるのさ?」
「そや、一番早く肝を取った豪傑は郷中(ごぢゅう)では英雄じゃ!」
 その時、殺華の目の色が変わる。
「英雄だとな!?」
「どっじゃ? やる気ん出てきたとか?」
 殺華が急に発奮する。
「チェーストだよ! 僕が一番早く肝を抜くぞ!」

 これは、いわば、昔の薩摩の若者達の町内運動会の様なものである。こういう事を成し死や命の拘りというものを無頓着にさせていく、郷中教育なのだ。
 殺華のような、単純無邪気な者にはこう言う競争事は堪らないものなのである。

 やがて、罪人が曳き廻されてくると、あっさり首が飛んで行った……
 ざっ、と遅れて血飛沫が空に跳ね飛んでいく。まるで間欠泉から吹き出す温泉のような光景である。それを合図に、一斉に兵児達が罪人の死体に群がっていく。

「シャァァァァア!」
「おりゃぁぁ!」
「うわぁぁぁぁあ!!」

 殺華も我先にとその群れの中に突撃していった……

「僕の肝だぞぉぉぉ!!」


 帝都東京では、兵部省の軍議の結果、陸軍近衛、芝浦の殺女の近衛大隊兵舎に使いを出す事が決定した。大隊長、機智殺音(きちころね)へ兵部省への招集命令書を使いの者が届ける為に馬車が用意され出発を開始したところである。

 しかし、使いの者は近衛兵舎に近ずくに連れ、その異様な光景を目の当たりにする事となる。

「なんだこれは……?」

 兵舎に近づくとその近辺の一帯の屋敷や家屋は閑散としていた。恐らく、此処に官軍の兵舎ができる事を聞きつけて出て行ったのだろう。その空になった家屋には、軍服や武具などが立て掛けてある所を見ると、兵士達が勝手に宿舎として使っている事が伺える。

「何だこの近所は? まるでこの一帯が軍施設かであるかの様な振る舞いで……」
 使いの男は辟易した。

「何だ! そこの馬車止まれ!」
「トマレトマレ!」
「カエレ! ハイッテクルな!」

 あっという間に馬車が殺女兵に囲まれた。 
 黒い三角帽子に、羅紗の軍服が何人かで馬車に向け銃剣を向け強制的に制止させる。

「まて! 兵部省から来た者である! 兵舎に用がある、通していただきたい!」

「兵部省? 知ってる?」
「シラナイ! カエレ!」

 殺女の兵士達は、余り頭の方は良く回らないらしい。これでは、話にならない。
「無礼者! 軍の使いであるぞ! 道を開けなさい」
 殺女の兵士達は、其れでも道を譲らない。
「ダマレ! 此処から先は通サナイ! カエレ」
「そうだそうだ!」

「何をしているか!! 貴様ら」

 殺女の尉官らしき者が小屋から出てきた。
 意地の悪そうな顔をしている、どの少女も顔はあどけない者が多いが、其の眼つきは暗く、淀んでいる。

「何かご用向きか? 私が伺おう」
 尉官の少女が言う。飽くまでも態度は威丈高で遠慮はない……

「兵舎まで通して頂きたい」
「だから、何用で?」
「それは貴官には関係のない事、大隊長の直接申し渡す」
 尉官の少女はそれならと、馬車の先頭に乗り込んだ。
「何を!?」
 使いの男は、いよいよ恐怖する。この連中には常識などは通用しない。すると、少女が言い出した。
「兵舎まで、私が先導しよう」
「……!」
「お前達、道を開けろ! 大隊長への客人である! 無礼は許さんぞ、退け!!」
 すると、殺女の兵士達はすんなりと散開して行った。

 しばらく道を行くと、この一帯は全て兵舎の為の施設化していることがわかった。
 兵舎の近所には、商人達が商魂逞しく、店を出しているのである。異人の武具屋、金物屋、酒屋、酒楼、生地屋……酒楼では兵士達が屯している具合から賭場が催されている様である。

「一体此処はどうなっているんだ……!?」

 使いの男は其のあまりの光景に絶句した。
 活気がある……
 どの店も、殺女しか客はいないが、どうやら兵士達の給金を此処で還元しているのであろう。この地帯にいれば殺女達は他の場所で乱暴狼藉などを起こす事が少なくなるのである。しかも、殺女の兵など、金を持ってもどうせ享楽にしか使わないのである。であるならば、兵舎の近くの方が管理はし易いと言う事であろうか。

「中々どうして理に叶ってはいるのだろうか?」
「そうだろう? どうせ兵士などの欲を満たすには此処で十分だろう? それでも偶に他で問題を起こす馬鹿者もいるがな……さぁ、着いたぞ」

 近衛の兵舎は門を開け放したまま、人の出入りが引っ切り無しに続いていた……

 馬車が止まる、使いの男は不安を隠しきれない。
(どんな者が出てくるのであろう?)
「今大隊長を呼んでくる、暫し待たれよ」

 尉官の少女は大刀を打ち鳴らしながら兵舎の中に消えていった……

Re: キチレツ大百科 ( No.152 )
日時: 2017/03/06 23:21
名前: 藤尾F藤子 (ID: 01YwPdE2)

 芝浦の近衛兵舎門前にて、兵部省の使いの者が大隊長、機智殺音(きちころね)を待っていた……

 煉瓦造り兵舎の庭には、ピカピカに手入れをされた銃剣がズラリと上を向いて並んでいた。中央には未だに長州藩の旗印、一文字三ツ星の幕が下がっている。納屋に兵士達が何人か物資の搬入をしている。すると、兵舎の中から大声が聞こえてきた。

「ちょっとなんの話!? 嘘? 私そんなの聞いてない! 誰よ、誰がヤラかしたの!? もう〜」

「しかし、もう門前にお待ちですよ」
「やだ! 私、もうお昼前のおやつ食べちゃったじゃない!? どうするのよ」

「いや、まず話を……それに、おやつは三時と決めた筈でありましょう? 何普通に二回取ろうとしているんですか……」

 やがて、奥からその声の主と思しき女が出てきた……

 何とモダンな髪型をしているのだろう。現代風に言えばショートカットと言えるが、殺華の様な散切りのおかっぱではなく、キチンとすき鋏が入れられた洒落た髪型である。それに、女は軍服を着ていなかった。白いブラウスを、ゆったりとしたブラウジングという着こなしで、黒い毛織の丈長の腰巻を靡かせている。よく見れば、そのスカートが陸軍将校達の軍服と同じ作りの型で仕立ててある。上着を着ればそのまま長丈の軍服になるという物なのだろう。非常に瀟洒な印象の女性である。
 しかし、それに反して、この女の口元には白い粉が付着している。
 おそらく、大福か何かを食べていた様である……
 
 使いの物はその様に驚いた。

(まさか、この女人様が?)

「兵部省の使いの方か? ご足労をお掛け致して恐縮でございます。私が大隊長の機智殺音で御座候(ござさうらう:〜です)」
 口元には全く気付かず、殺音が直立の姿勢を取る。

「ひ、兵部省ヨリ、通達ス、其一ニ曰ク、本日ひとふたまるまる(十二時)兵部省招集ヲ命令ス、其二二曰ク、本人ノミノ出仕ヲ以テ之ニ当タルヨウ……」
 その後は、社交辞令のようなものであった。

「へ!? それだけでありますか?」
「それだけであります!」

 すると、今度は殺音は顔を真っ赤にして泣き出した。

「もぉぉう、だからあれだけ気をつけろと言ったのにぃぃ!」

 尉官の少女が、後ろから呟いた。
「だから、落ち着いて話を聞いて……」
「落ち着くも落ち着かないもないわよ! きっと誰かがとんでもない失態をやらかしたに決まってるじゃない! 見てよこの命令書! 陸軍卿の名前で出されているじゃないのよ!! 誰か文官でもぶった斬ったんでしょ? 私終わったわ、しかもどうするのよ〜……」

 尉官の少女はそれを無視し、唖然としている使いの者に言った。
「あぁ、気になされるな。大隊長は慌て者で早とちりなんだ。落ち着くまでしばし待たれよ」
「いい! 腹の下し薬を持ってきて! 厠にいくわ!」
「どうしてです……」
「これから腹を切るのよ、準備をしないと恥ずかしいじゃない! 貴女兵部省の真ん中で切腹するのよ!? その……臭いとか、すると……その。いいえ! そんな事しても間に合わない!」
 殺音は突然指を口の中に入れだした。
「此処で全部吐き出して胃の中を空っぽにしなきゃ!!」
「あ〜、あ〜、大隊長! 落ち着いて、まだわかりませんよ、大体兵部省の真ん中で腹を切らされるわけがないでしょうに。それと、此処で吐かれるのは迷惑ですからやめて下さいよ」
「貴女、私の介錯してよね! スッパリ斬るのよ!? 仕損じなんかしたら絶対呪ってやるんだから!」
「はぁ……」
「お、お待ちください! 何かを咎めるための招集ではございませぬ! お、落ち着いてください」

「はえ? ……うちの隊の者が何かしでかしたんではないの?」
「違います! 全然関係ありませぬ! 伺いたい事があるのでお呼び立て致すまでであります」

「え……えぇ、あはは」

 殺音はそのまま顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 其の頃、涙橋では、殺華や兵児達が罪人の死体に群がり肝臓を我先に取り出そうと競っていた。

「どきやい! 汝や!」
「ないじゃ!! おいのじゃっど!」
「チェストォォォォ!!」

「なんだこのやろ〜!! 僕のだぞ!」

 殺華は最早ズタズタになった罪人の体に手を突っ込み適当に内腑を探るがどれが肝臓であるか判別がつかない。

 遠くから十字郎の声がする。

「殺華ぁぁ! 鍋型の形じゃあ! 周りのやっぱらを蹴散らして探りやい!」

「ええ! わかんない、くそぉ! なんだこのぉ!」
 殺華は横に居た兵児の胸ぐらを掴んで投げ飛ばす。

「ないじゃ! 汝や、やるかこの!」
 あっという間に、それが火を付き大喧嘩に発展する。
「このやろー」
 殺華は、手当たり次第に掴んでは殴る。しかし、後ろから掴まれ殺華も殴り飛ばされる。それでも殺華は直様飛び起き死体の近くに飛び込んでいく。

「僕が郷中の英雄になるんだ! 邪魔するな!」
「ないじゃ!! 汝や、よく見りゃ他藩人じゃなかか!」
「関係ないね!」

 殺華は死体に飛びつくと、手を入れ粗方引き抜いた。
「うわぁぁどれなんだょ?」

 しかし、そこに兵児達が群がり殺華を押し倒すと、今度は皆で一斉にタコ殴りにし出した。

「ぎゃあああ、ズルいぞ!」
 上から打ち下ろされる、屈強な拳に殺華も意識が薄れる。
「あが、あが……」
 蹴りが殺華の頭に駄目押しされると、殺華は動かなくなった。

 それを座して見ていた、十字郎が一言言った。
「……皆、行きやい」

 すると、今度は肝付邸の門弟達が一斉にその肝臓の取り合いに参加してくる。
「こゃぁぁぁぁ!!」
「うぉりゃや!! キェアアああ!!」
「わわわわー!!!!」

 阿鼻叫喚たる惨状である。

「殺華どん!」
 入木甚左衛門が突進してくる。
 まるで波を掻き分ける様にすがりつく兵児や二才達を吹き飛ばしながら。

「あいたたた、はぁあ!! 僕の肝臓がないぞ! 誰だ獲ったのは!?」

 すると遠くで勝鬨が聞こえ出した!

「武之橋の連中じゃいや……こんドサクサに肝ば取られおっじゃか」

「ズルいぞ!! あれは僕が諸共屍体から抜き出した中に入っていたんだから!」
「そうじゃ! 俺いも見ちょりもんした!」

 すると、武之橋の兵児の一人が言った。
「ないじゃあ議を言うか! このガンタレが!」

「ない……じゃと……!?」

 入木が立ち上がる。

「決闘じゃあああ!!」
「汝や! いうてる意味がわかっとじゃか!? 死ぬど!」

「その決闘!! 僕のものだぁぁ!!」

 殺華が立ち上がって吠える。
「僕の肝臓だから僕が取り戻すんだ!! やってやるぞぉぉぉ! チェースト!」

 殺華は、持てる声を振り絞り空に吠えた……


 その時、軍馬が何頭か現れた。官軍である。

「何をしているかぁぁぁ! 解散せよ! 解散せよ!」

 空に向けて銃声が鳴り響いた。

「なんじゃああ!? このクソ鎮台が! やれるもんならやってみぃ!!」

「殺華……本気か」
 十字郎が何時の間にか殺華の横に居た。
「本気さ……此れを逃せば、僕は人を斬れないかもしれない」

 十字郎はその答えに驚いた。なんと、殺華は既に斬人の覚悟ありなのである。
「わかいもした……」

 薩摩系の警察と、官軍の兵士達が解散を促す。
 下手にこれ以上は刺激しなかったので、此の場は難なく兵児達は解散していった。

Re: キチレツ大百科 ( No.153 )
日時: 2017/03/13 19:33
名前: 藤尾F藤子 (ID: /GGwJ7ib)

「大徳寺! 急げ、遅れるな!!」

 安死喩(あんじゅ)は馬を駆って涙橋に向かっていた。

「お待ちください! 安死喩さま〜」

 慣れない乗馬に手間取る大徳寺政直。
「ダマレ! モタモタしていると置いていくぞ! コノ間抜ケ野郎!」

 田畑を二頭の馬が全速力で駆ける。

「!?」

 其処に黒い人影が一つ。

 何と、その人影は安死喩の馬を見送ったと思えば、後方に位置する大徳寺の馬の鞍に手を掛けて瞬間に飛び乗ってきた。
 全身の筋力を抜き、飛び乗る間に間に、一気にそれを解放したかの様な凄まじい力で強引に大徳寺の馬に飛び移ったのである。とても人間業ではない所業である。
 
 少女の纏う異人の様な漆黒のワンピースの裾が風に乱れ広がった。 
 それはまるで……ひらり、と黒い花が一瞬で咲き乱れた様な鮮やかすぎる光景であった。同時に舞い踊る、灰色の長い髪。

「なっ!? 貴女は?」
 黒いフリルワンピースの少女が、大徳寺の後ろから手綱を奪う。
「喋るな、舌を噛む!」

 少女は、手綱を握ると、困惑する大徳寺を他所に馬を操る。
「ハイヤッ!」

 あっという間に馬を使役すると、少女は安死喩の馬に並走する。大徳寺よりも、いや安死喩よりかも馬の扱いに長けている様子である。
「薩摩の兵児共が騒いでいる! 何かあったな?」
 安死喩は、その少女の顔を苦り切った表情で一瞥すると言った。
「恐らく罪人の屍体から肝取りでもするんだろう! しかし、何かあるやもしれない……それより何だその目立つ格好は血影!?」

 血影は、妖しく、でも何処かコケティッシュに笑んだ。
「いいでしょ? このお洋服……警視隊の制服なんて反吐が出るところだったの。フフン」

「チィ! 先を急ぐぞ」

 二頭は風を切り裂いて、涙橋への畦道を走り抜けていった……

 
 帝都東京、市ヶ谷の兵部省の前に馬車が止まる。殺女近衛大隊、大隊長機智殺音(きちころね)は、馬車から緊張した面持ちで降りると、いきなり石に蹴つまずいて前のめりに倒れこんだ。

「あいたたた」
 馬車の後ろに付いてきた、騎乗の尉官が呆れた顔をしている。
「いきなり、何転んでるんですか……大隊長」
 殺音は石を舗道に蹴っ飛ばす。
「何でこんな所に石が置いてあるのよ! このっ」

 尉官の少女が馬を取り回しながら言う。
「私は、此処からは入れませんので、大隊長をお待ちしております。くれぐれも落ち着いてしゃんとして下さいよ?」
「うるさわね! わかってるもうっ! あ、やだ、私太刀を佩用してくるの忘れちゃった! 帽子も置いてきちゃった!!」
「偶にしか着ない上着を着たから、刀と帽子を忘れたのですか……? もう何といっていいやら」
 使いの男がその様子を不安げに見ている。

「あははは、何でもありませんわ! それじゃ、行きましょう」

 使いの男は、この殺音という女をどうも訝しげに思っていた。
 本当に、この女が殺女の近衛大隊長なのだろうか……? しかも、この大隊は幕末、鳥羽伏見の戦い、戊辰、上野戦争、北越戦争、箱館戦争を連勝している長州諸隊、遊撃隊の所属者が多数いる。この部隊は諸隊では奇兵隊と並ぶ精強さを誇った隊であった。しかも、殺死丸率いる、殺女遊撃隊の勇猛さは官軍では有名で、官軍司令官、長州藩士大村益次郎は之を大いに前線で重用したほどである。

 この女には、そんな勇猛さも、剽悍な荒々しさも無く、何処か少女臭さの抜けない若い女性(にょしょう)にしか見えないのである。

 殺女などというものは、実は大した者でないのではないのか?
 噂に尾鰭が付いたり、法螺が半分なのではないだろうか……この女が、長州の志士などと俄かには信じ難いのである。

「はぁぁ、緊張してきちゃった……」

 殺音は軍務局の会議室の前に案内される。
 カッ、と軍靴のカカトを合わせ、直立した殺音は表情を引き締めた。

「近衛大隊、大隊長、機智殺音! 本日、召集を受け参上仕りました!」
 ドアの奥から、「入れ」と声がかけられる。
「はっ! 失礼致します!」

 中には、長州系の高級将校達と、山縣陸軍卿が待っていた。皆、表情は硬かった。

 殺音は部屋に入ると、びしりと陸軍式の敬礼をした。しかし、軍帽は被っていない。本来敬礼という者は軍帽があって初めて成されるものである。

「楽にしなさい」
「失礼致します」
 殺音は足を肩幅に取り、後ろに手を組んで、姿勢を斜め上に見る。

 まず、話は、近衛大隊への補給の弾薬の件や、殺音の提案していた騎兵の導入の話を取っ掛かりとして山縣は始めた。

 殺音は、なんだか不可思議に思う。
 それこそこんな事は、手紙で済む話ではないのであろうか、と……
 何故、陸軍卿は態々、この場に呼んで迄自分に言いたい事があるのであろうか?

(やっぱり、知らない間に私ヤラかしちゃったのかしら? 皆んな怒ってるっぽいし……どひゃー)

 殺音もこんな調子で、会議は的を得ぬまま時間が過ぎる。


 その頃、殺目と頼母壮八は南林寺という寺を目指し鹿児島城下に潜入していた。
 壮八は商人風の町人髷を結い、殺目は髪に頭巾を巻いている。

 頼母壮八は久々の城下を少し懐かし気な面持ちで見つめていた。

「おい、ぼんやりするな。早くそのなんとか寺に行くぞ」
「そう急いでも逆に目立ちもそ、ゆっくり行きやい」
 壮八はそう言って、道に座り煙管にはを詰め出した……  

「それで、そこに行けばどうなるというのだ……」
 殺目は周囲を見回しながら言った。
「城下の同志達がおいもす。この南林寺は西郷先生と入水自殺を図った、尊攘派の僧月照和尚と関係ある寺でおいもす」
「月照か……あぁ、京都にいた頃に、名前だけは聞いている。確か、徳川家定の後継問題で一橋派になって井伊直弼に疎まれ、西郷大将が引き取ったとか」
「そじあす、薩摩の斉彬前候様がお亡くなりになった時、大先生の殉死をお止めになったお人でもありもす」

 殺目は、ふーんとそれを聞いている。周囲の疎らな人影に、若干の違和感を感じている為である。しかし、それは自分達に向けられているというものでもない。
 絶えず、何者かが周囲に溶け込んで、何かを警戒しているような感を覚えているのである。
 だとすれば、今、壮八が取っているこの道端で休憩をするという行為は間違っていない。こういった視線は、激しく動くものにその興味の対象を張り付かせる為である。
 素早く察した殺目は、自らも着物の裾を折って壮八の陰に寄り添うよう腰を下ろした。

「気づいていたのか?」
「いや、そんな気がしただけじゃ……」

「川路の警察の者が紛れている……」
 殺目は口に手を当て唇を読まれないように言った。
「川路の作いおった警察は大したもんじゃ。大先生を暗殺に来た東獅子の連中も実に巧妙じゃった。油断はできもさん」

「あぁ……」

「腹が減りもした」

 殺目は仕方なく、この場で握り飯を壮八へと渡した。
「あまり外では物を食いたくないんだがな……」

 壮八は喜びながら、握り飯を食らった。

Re: キチレツ大百科 ( No.154 )
日時: 2017/03/17 20:08
名前: 藤尾F藤子 (ID: aMCX1RlF)

 帝都東京、市ヶ谷の兵部省、軍務局の会議室。

「それでは、装備品の要求は賜った。しかし、騎兵という兵法には我輩は余り実利を見出せない」

 山縣陸軍卿は暗い顔で言った。
 殺音(ころね)は食い下がる。
「お言葉ではありますが、騎兵には前衛では会敵前の偵察、伝令。後衛においては、兵站、警戒後方支援、最後には兵糧にもなりまする。是非歩兵、近衛大隊共にに騎兵の連隊をお考え下さい。特に! 我々殺女はゲリラ戦法、撹乱に秀でております。是非にお願いいたします! そして、皇城(皇居)近辺への大口径の大砲と砲台の設置が急務であります。これを操るためには帝都鎮台近衛兵全員に運用術を学ばせる必要が……」

 山縣は「考えておくと」言い話を遮った。

 殺音は、この男に決定的に軍事的才覚や先見性がないのを知っている。それは、明治の軍隊が、兵の機械化などの世界の軍の常識的な事柄についてまったくの無頓着である点である。時代は最早機関銃、軽戦車、陸軍による砲兵術、武器弾薬の製造などを始めなくてはいけない時期にあるのだ。それなのに、この山縣は政治や事務方の作業に没頭する余り軍隊を一個の私物として考えている節があるのである。

(何よ山縣の奴! そこら辺何にも考えてない癖に、じゃあ、どうして私を呼んだのよバカ! 出っ歯! 根暗!)

 殺音は段々と膨れ面になってくる。

「君の意見書は此方でも精査する時間をくれ給え。何分、砲や榴弾については、自国の生産が追いつかないのが現状である。銃や弾薬も今は手一杯である……」
「承知いたしました! しかし、是非のご検討をお願い仕り申す」

「では、ここからは一切が一級軍事機密である。他言すれば君は処罰される。その事、承知されよ」

「は? おっしゃる意味が分かりかねるであります! この場に於いての話は、全てが元々に於いて他言無用のはずであります! 何故、其の様な確認を取られたのでありますか!? 場合によっては甚だしい私への侮辱行為であります!!」

 殺音は、来たか、と思い、此処で大きく上手を取ろうと言った。
 これから山縣が話す、恐らく自分に伝えたい、面倒事に於いて先手をカマしたのである。長州人というのは、先輩は立てるものではあるが、崇めるものではない。ここが薩摩や会津と決定的に違うところである。嘗められれば捲くられると言う下克上的な士風なのである。
(何よ、此奴、ハナから私の建白書なんて鼻紙にでもして捨てちゃってるんじゃないの!? もう、くやし〜)
 殺音は肩をいかれせながらぶつくさ言っている。

「この問題は、一切の情報の漏洩が許されない。言わば、漏れれば即大きな戦火を招くこととなる可能性があるのである!」
「ならば! 簡潔におっしゃて頂きたい!」

 山縣の顔が苦りきり蒼白となる。
「先の役(西南戦争)に於いて、警視庁先鋒抜刀隊として編成された隊から、元、長州諸隊殺女遊撃隊の殺目、殺華が脱走している。情報によれば薩摩四番大隊との交戦中に敵の捕虜となり、そのまま遁走、以降西郷私学校党軍の生き残り共と行を共にしている」

 この場にいる他の将校からも声が上がる。
「しかも、軍服を古着屋に売りに出して、以降脱走中であります。武器や所持品は持ったままと言う事です」

「……」
「……」

「そんな、話、今更言われても……困るわよ〜!!」

「落ち着け殺音殿! 此処は兵部省であるぞ!」
「うるさいうるさい! 大体、狂助君(山縣の志士名)が悪いんだからね! 何で警視庁の抜刀隊に殺女を編成しちゃったのよ!! 大警視の川路は私達、殺女に病的なくらい危機感を持ってるの知ってたじゃない!? それで突撃部隊みたいに皆んな使い倒されてほぼ全滅したんじゃない!」

「落ち着け近衛大隊長!」
 三浦梧楼も流石に殺音を諌める。

「せめて、陸軍鎮台で正規の部隊として運用してくれればもっと実用的に運用できたわ!私達は確かに戦争の道具で人形よ!? でも、痛いとか怖いとか、死にたくないて思いは貴方達と変わらないわ! 私達は戦争に”使われる”のは構わない。但し! ”使い捨てられる”のはウンザリよ!」

 山縣は椅子を跳ね上げ立ち上がる!

「そ、それは! 叛乱を示唆するという事か!!」

 殺音の表情(かお)が変わる。

「いいえ……山縣”閣下”私達は陸軍の近衛大隊であります。飽くまで陸軍の所属にはありまするが、我々は本来近衛……詰まり、天皇を守護する軍隊であります。叛乱など、口にするのも憚る言葉、訂正して頂きたい。もし、その言葉を以って拙者達を兵部省が考えていらっしゃるのならば! この場で自決致しまする!」
 
「待て! そうではない。う、うむ、此方も早まった言葉であった……訂正しよう」

「……いえ、こちらこそ取り乱し、口が過ぎました。お許しを……」

「気にしないでいい、しかし、続けて是非、君の意見を聞きたい事がある……」
「それは我が姉、殺死丸の事でありましょうか?」

「……」
 山縣は、それを無言で受けた……


 鹿児島、鍛治屋町の肝付邸。

 殺華と、十字郎が対座していた……

「薩摩の決闘とは、真剣を用い、どちらかが死する迄続けなければなりもはん。勿論逃げれば、朋輩に殺されもそ。そして、決闘に勝った暁には、相手方の仇討ちにあうじゃろ。これにも逃げてはなりもはん。他藩人の殺華には厳しか規律ッじゃ……それでもやるか?」

 殺華は、正座しながら、膝の上の手を握っている。

 一度決闘を受ければ、キリのない仇討ちに見舞われる事になる。しかも之を逃げてはいけない。地獄のような日々である。

「僕はね、その、殺伐に身を投じる覚悟なんだょ……」
「そいは何故じゃ……?」

「僕はね、強くなるしか他ないんだ。それならば、毎日を戦場として生き抜く覚悟でなければ強くなれない。道場稽古じゃダメなんだ。薬丸流の今の練習法に加え、斬人をも常とする事で、自顕流の極意を早く体得したいんだよ!」

 部屋の外では兵児達が棒を振ったり、刀を寝刃を合わせている。最早、子の決闘は鍛治屋町対武之橋の様相を呈している。
 武之橋の橋口という男が、札華が引きずり出した肝臓と内臓を無理やり取って行ったのである。冷え物取りの取り決め上では、やはり最後に肝を取った武之橋の兵児達の勝ちではあるが、入来や殺華は”決闘”という言葉で、この自体の決着を望んでしまったが為に、必ず死人が出なくてはならなくなってしまったのである……

 しかし、薩摩の郷中制度ではこういった尚武の気概は喜ばしい事なのである。勿論、近所の方切りで、必ず若者が死ぬのである。しかもその死者の為に更に死者を増やす行為でもある。しかし薩摩の城下では」こういった行為で子供が死んだりする事に異議を唱える事はできない。薩摩では、こうした決闘は公然と行われる。

 生も死も……薩摩にとっては重くないのである。しかし、それでこそ何物にも執着しない壮健さが養われるという考え方である。


「僕も、人を”斬る”よ! 十字郎君! 刀を貸してもらいたい」

 殺華が畳に頭を擦り付ける。

「よか、儂の”波の平”を貸しやいもそ……我が家では朝鮮を攻めた時からの継がれっ刀じゃ! 殺華にゃ少し大きかろうが、こいで斬り倒してきいやい!」

 殺華は、其の剛刀を引き抜いた。柄は真田紐で巻きしめられている。目釘は鯨の髭と地鉄である。目貫は用いていないシンプルな薩摩拵である。鐔は鉄製の小ぶりの物だ。
 刃は二尺四寸、直刃の焼き目は緩やかで切っ先三寸の銘刀である。この波の平と言う太刀は所謂古刀という判別である。(平安時代からの太刀)

(すごいや、今まで持ったどんな物より重く感じる……)

「ありがと……十字郎君」

「明日から、殺華……”抜き”の稽古ばせい!」
「ほえ? 抜き?」

 十字郎は呟いた。

「抜き・即・斬……」

 殺華は貸し与えられた波の平を、大事に空に透かしてみた。

 太陽の光が乱反射し、部屋に光の筋が一瞬奔った。

「抜き、即、斬……!!」

 殺華はその凄まじい言葉と、この波の平と言う太刀ならば、何物にも向かい合うと覚悟を決めた。

Re: キチレツ大百科 ( No.155 )
日時: 2017/03/18 22:36
名前: 藤尾F藤子 (ID: O3XuDorI)

 安死喩(あんじゅ)が涙橋に着いた頃には、薩摩兵児達は官軍、警視隊によって解散させられていた後だった……

「チッ……薩人達が誰もいないじゃないの……使えないわね安死喩?」

 黒いフリルのワンピースの少女が吐き捨てた……

「う、うるさい! 貴様こそただ着いてきたダケけではナイか! 血影」

 血影は「フン」と口を鳴らすと、そのまま手に下げていたサーベルの柄で安死喩の胸骨の真中を打つ。

「かぇ!」
 胸骨の真ん中を打たれると、呼吸が暫く出来なくなる。
「くっ……がが」
 崩れる安死喩、大徳寺が直様、安死喩に駆け寄った。

 血影はそれを尻目に、再び腰の対革にサーベルを着剣する。
 遅れて灰色の髪が、風に躍った。
 激しく燃える血色の瞳……

「お前……行ってきて警視隊の連中から事情を聞いてこい……官軍兵じゃなく警視隊にだぞ。薩摩者が多いからな」
 大徳寺は、胸を押さえ蹲る安死喩の背をさすりながら、視線を合わせない。
「安死喩様大丈夫でありまするか」
「おい、なして……返事しねが?」

 大徳寺は、尚も血影には目もくれない。

「……」

 血影が僅かに鼻を鳴らし、大徳寺を上から見下ろす。

「私は……私は、貴女の麾下にはありませぬ!」
 血影は、大徳寺の顔面を蹴り飛ばす。
「うっつぁあし! いいがらいがんしょ!」
 大徳寺は倒れても、すぐさま立ち上がる。
「私はおのこ(男子)でありまする! 分を弁えずに誰それと言う事を聞く訳には参りますまい!」

 大徳寺は、士で言う所の本分を言っている。詰まり士分の所属のあり方を説いている。
 飽くまでも、大徳寺は、自分は官軍第一旅団、死連の指揮下にあると……

(まずい!)
 安死喩が、咄嗟に大徳寺の前に出る!

「ゲホ、待て! 血影、此奴は口の聞き方を知らない、其れに此奴は岩倉右大臣の親戚筋だ手を出すんじゃない!!」

 瞬間に、安死喩は血影に弾き倒された。

「おだってんなよ……!?(調子にのるなよ) なんだべ、おめは、裏切りもんの公家のガキか?」
 血影の顔が怒りで引き攣る。
 
 安死喩は、墓穴を掘ってしまった。
 
 会津方からすれば、公家などは幕末において初めから敵であった三条や姉之小路、などの長州系の公家以外は全てが良い時にすり寄ってきただけの裏切り者なのである。当然薩摩系の公家である岩倉筋の公家は元々佐幕であったため会津としては完全な謀反人であり逆臣なのだ。

 殺伐が滲みる……血影の瞳がめらめらと燃え盛る。

「面倒くせ……此処でおめらは死ぬが?」

 安死喩は、惑う。此処で血影とやりあっても絶対に勝てない。相手は会津方から警視庁抜刀隊になった本物の豪を持っている。しかも、会津の御留流(秘伝)の溝口派一刀流である。
 溝口派一刀流は、会津五流と言われる剣術の内、上級者にしか教授を許されない一刀流の分派で戦国時代の伊藤一刀斎からの流れである。この会津の溝口派一刀流は現在では失伝し、槍術だけが現在では口伝によって残っているのみである。会津は元々は槍の名手が多い為であろう。(剣道としては現存しているが、撃剣の其れではない為に失伝といっていい)
 実は長年の敵である、長州に槍術を教えたのも会津の日新館である。

 しかし、この溝口派一刀流の最大の特徴は、その足捌きで体勢を変幻に変え、相手の懐に入り一撃を加えるという非常に小手先(技術的)な撃剣術と言える。
 これは所謂、活人剣(かつにんけん)という剣の体系である。これと相反する体系は殺人刀(せつにんとう)である。
 
 ざっくりと言ってしまうと、死連(北辰一刀流、片手軍刀術)血影(溝口派一刀流)は活人剣。
 殺死丸、殺目、殺音(神道無念流)、殺華(薬丸自顕流)は殺人刀である。

 神道無念流や薬丸自顕流は一撃必殺に重きを置いている。しかし、その為に次の攻撃への隙が出来やすい。
 一刀流系は一撃必殺の撃力こそ重視しないものの、撃剣における体捌きを以って隙を作り、相手の手首に切り落としをかけるなどといった剣を旨としている。その為に活人刀では、剣のやり取りに中で敵を斬人する為に、一撃で相手を殺せしめる事が難しい。

 此れはどちらが強い等と言う単純な事では一概に測れない。

 しかし、安死喩はこの血影の剣の特徴である、足捌きが今使えない事に一縷の望みをかける。
 
(此処で殺るしかないか!)

 しかし、立ち上がろうとする、安死喩の肩を掴む手……

「早まってはなりませぬ……」
「オ、お前! 出てくるんじゃ……!」

 大徳寺が血影の前に立った。
 足が、僅かに震えている。

「あ、貴女は、元・会津の上級武士団の殺女様と、死連様から伺いました……」
「……そいがおめに何の関係があんなし?」
「わ、私は殺女様方の事情はわかりませぬ……! しかし、会津様は士分を最も尊ばれたお国柄と聞き申します! で、あるなら、今この場にてどうしても斬られるというならば、この、大徳寺政直喜んでこの首、差し上げまする。しかし、この大徳寺、死連様の指揮下に於いて、安死喩様の命だけは差し上げる事罷りませぬ!! どうか此の私の首一つにてお納め願いたい所存であります」

「言ったな? この公家の小僧が!!」

 血影が抜剣した。

「馬鹿! 大徳寺!!」
「貴様の様な腑抜けが、この私に、士分を説くのか!? 最早許せん、膝間付け!」
「ヤメロ! 血影! 頼む、言う事は聞く! 此奴は斬るな」

 血影は剣を振りかぶる。
 安死喩は、咄嗟に銃剣を向けるが、大徳寺が前に居て血影に標準が定まらない。

「どけ大徳寺!」
「なりませぬ! 撃ってはなりませぬ! 此れは私の家運であり、巡り合わせであります!」

「……なんだ、お前……!! 何なんだ此奴は!? 安死喩!」
 血影がサーベルの柄で大徳寺の顔を跳ね上げた。
「ぐはっ!」
 それでも、大徳寺はよろよろと立ち上がろうとする。
「ヤメロ、馬鹿! 大徳寺、これ以上、血影を刺激するな!」

「安死喩様は、下がって頂きたい」
「え……?」
「貴女に怪我がありますると、私が今こうしている事が無駄になりまする」
「何を」
 血影は冷笑しだした。
「なんだ公家? 足が震えているぞ? 本当は怖くて仕方がないのであろう? 下らんな? 命を賭して死連に何ぞ仕えてどうする?」
 大徳寺は立ち上がる。
「私の様な軽輩をお側に置いて頂けたのであります、此の身など惜しんでどう致しましょう。いつでも命を賭さねば、私は本当に公家上がりで終わってしまいます……それも、貴女方、維新を戦い抜いた殺女様にであるのなら尚の事でありましょう?」

「くっははは! アッハハァ! 貴方、死連が何者なのか本当にわかっていないのね? 馬鹿な公家は此れだから!」
「何を……!?」
 血影の顔が、今度は悪戯な少女の笑みに塗り変わる。
「ウフフッ! アッハァ、死連は殺女の中で殺死丸と双璧をなす女よ? 貴方が考えている様な甘い存在ではないのよ!?」
「貴女が何を言おうと私には存ぜぬ事」
 大徳寺は視線を逸らした。それを血影は見逃さない。
「フフン、貴方本当は心の何処かで気付いているんでしょ? 自分が体良く死連に利用されている事に……そうよ、あの女は貴方達、部下も、腰巾着の公家連中も何も信用していないのよ? 死連はもっとも冷酷な殺女よ。殺死丸は矯激だけれども、身贔屓がある分まだ、マシなのかしらね? でも、抑、殺女は貴方達公家や文官連中なんて脅し上げて利用する位にしか思ってないのよ? 分かるでしょ? だって人間だってそうじゃない! 私達は傀儡(にんぎょう)だものね……お前が考えているほど甘ったれた世界に生きていないのよ? 私達は! 分を弁えるのはお前の様な馬鹿な餓鬼だ! 控えろ!!」

「ひ、引きもうしませぬ」

「なぁに? 貴方、もしかして、死連に想いでも寄せているのかしら? うっふふふ、あはは! 馬鹿な餓鬼ねぇ……それが、忽ちこうして死に繋がると言うのに、呑気な事……アナタが死んだって、死連は顔色一つ変えないわ……」

「貴様! 死連様の悪口を言うナ!」
 安死喩は大徳寺を押し退けて銃剣を突き出す!

 しかし、安死喩の銃剣は弧を描いて空に飛んでいく。血影は下から左手一本で上に跳ね上げたのである。
「しまっ!?」

「シッ!!」
 血影が息吹を吹いて刀を上段に上げる。
「くっ!!」
 そこに、大徳寺が決死に飛び込んだ。血影が振り上げた際に腰に飛び込んだのである。
「ちっぃぃぃ!」
 横に倒れこんだ、大徳寺は血影の腰を抱いて離さない。

「この! 無礼者がぁぁ!!」
 この体勢では刀で物を斬る事ができない。
「安死喩様、此処は大徳寺に任せ行ってください!! 早く」

「!!」

「早く!!」

 安死喩は、どうしていいかわからず、その場で立ち竦む。

「早く馬で逃げなさい!!」
「う、うわぁぁぁぁ!!」

 安死喩は謂れるが儘騎乗し馬を走らせた……
 安死喩が、消えてから、大徳寺は血影から体を離し、土下座した……

「ど、どうぞ……素ッ首、お持ち、お持ちにになられ、く……くだされ!」
 全身が震えていた。先ほど迄の瞬間の勇猛さは限界を超えた様である。
 大徳寺は、いよいよ本当の死の恐怖と対面しなくてはならない。それは『孤独』である。孤独は深遠で怖いのだ。誰もが原始の記憶に灼き付けられた、真の恐怖である……
 夜、陰、闇、無音、一人……どれも人間には”怖い”のだ。
 其れは何よりも、自身と向き合わなければならないから。
 孤独で、死する。これが、人間に於ける最大の恐怖である……如何なるものにも代え難い深淵が死である。大徳寺は改めて此の本能に見舞われる。

(げに恐ろしき……)

 しかし、血影は立ち上がらない……

「貴方、大徳寺とか言ったかしら? 馬鹿そうな名前ね……」
 そう言うと、倒れたまま血影が手を上にあげた。
「?」
「……早く! 手を貸して頂戴な……」

 血影は薩摩の青い空をさも鬱陶しそうに見上げていた。ただ、ただ、忌々し気に。


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