複雑・ファジー小説

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キチレツ大百科
日時: 2016/01/06 12:05
名前: 藤尾F藤子 (ID: .5n9hJ8s)

「起キル……」
「起キル……」

あぁ、うるせーな。俺は昨夜も”発明品”の開発でいそがしかったんだよ……眠らせてくれよ。

「起キル……」
「起キル……」
微睡みの海の底、聞こえる女の子の聲。少し擽ったい感覚が夢を揺さぶる波のよう。
ふと思うんだ、これがクラスメートで皆のアイドル、読田詠子、通称”よみちゃん”だったらいいな……て。いいさ、わかってる。どうせ夢だろ? 
夢の狭間で間の抜けた自問自答。
そいつが、嘲るみたいに眠りの終わりを通告している。

「キチレツ、起キル”ナニ”!!!!」

Goddamit!
そう、いつもそうなんだ。俺の眠りが最高潮に気持の良い時に、決まってコイツが割り込んでくる。俺がご所望なのはテメーじゃねんだよ?
「くっ!? 頭に響く、うるせーぞ、ポンコツ! テメー解体して無に帰すぞガラクタがぁ!!」
「なんだと〜、やるかぁ!」
部屋の中には、日差しが差し込み、ご丁寧にスズメの鳴き声が張り付いてやがる。うっとおしい事この上ない程真っ当な朝だ。
「最悪だぜ……」
目の前の”ソレ”を突き飛ばし、机の上のタバコを探す。
「あん? モクが無ぇぞ、昨日はまだ残ってたんだけどな……」
「中学生デ、煙草ハ駄目ナニィ! 我輩、捨テテオイタ、ナニ!」
俺は目の前の”ソレ”の髪を掴んで手元に引き寄せる。
「テメー良い加減にし無ぇと、マジでバラすぞ。人形!」
「ちょっ、痛い痛い痛い! やめてよ、キチの馬鹿! 中学生で煙草吸うキチの方が悪いんじゃ無い! い、いたぁあい、我輩のポニテから手を離すナニィ!!」
「キャラが崩れてんだよ、人形!!」
「に、人形じゃないナニ……殺蔵(コロスゾ)ナニ……」

くっ……頭が痛ぇ。
 
俺の名前は機智英二(きちえいじ)皆からはキチレツなんて呼ばれてる。
俺は江戸時代の大発明家、キチレツ斎の祖先だ。キチレツ斎は結構名の知れた人で、当時の幕府御用達の発明家て奴だったらしい。初代キチレツ斎は太田道灌の元で江戸城の築城に協力して以来、機智家は徳川家から引き立てられたという経緯と親父が言っていた。
そんな家だったら、何か凄い物があるだろうと物置を調べていた時に見つけちまった。
この少女の形をした”発明品”殺蔵を。しかも運悪くうっかり起動しちまいやがった。

わかるか? 自分の先祖がこんな、少女人形を作成してた真性のド変態だと分かった時の気持ち……夜な夜なこんな人形使って遊んでたと思うと反吐がでるぜ! その俺の気持ちを察したのか、俯いたまま殺蔵がぼそりと呟いた……
「我輩は、武士ナリよ……」
俺はイラつく。
「テメーのその見た目でどうして武士とか言えるんだよ? どうみたって弱そうだし、大体女の武士とかいねーだろ? じゃあ、なんでその見た目よ? どう考えても、いかがわしいんだよ! お前はそういう目的の為の人形だろう!?」
「違うナニィ!! わ……我輩は、武士ナニィ! 武士……ナニよ」
「チィ! うぜぇ……」
曲がりなりにも尊敬していた先祖の正体が倒錯的な変態である……
そいつは憧れてた役者やアイドルがシャブ(覚せい剤)や痴漢で捕まった時位ショックなもんだ。
涙目で抗議する少女のカラクリは、俺らの年齢と大差ない姿形だ。
キチレツ斎さんよぉ、それぁ無ェぜ……

「英二〜、ごはんよぉ。殺ちゃんも早く降りてきなさ〜い」
この部屋の重たい空気も知らずに、圧倒的に間の抜けた声でお袋の声が聞こえてきた。
だが、そいつは俺にとっては好都合の助け舟だ。最早、徹也明けの眠気などどうでもよかった。殺蔵が急いでティッシュで涙を拭っている、その横を俺は知らんぷりで通り抜けた。

Re: キチレツ大百科 ( No.116 )
日時: 2016/08/12 04:12
名前: 藤尾F藤子 (ID: UQfPEict)

「頼母くん、頼母くん……」

 殺華(さつか)が頼母(たのも)のコートの端をちょこんと摘んで顔を見上げている。

「ん……? どうしたがか、殺華」

 浅黒い顔の壮漢が、殺華へ視線だけ映し不敵に笑んだ。
 殺華は、もじもじとしながら左手を見せる。その小さな左手は拳頭の皮膚が破れ、骨が露出していた……手の甲の肉も割れ、まるで歪な柘榴の様になってしまっている。
「僕ね、もう左手の薬指と小指がね、折れ曲がっちゃって明後日の方向に向いてるんだ……だからね、此処にいる全員を斬り捨てる事はもう叶わないの。だから……ごめんね、どうする?」
 日本刀で人体を切断する為には、”引き”の動作の際に左手の小指を使う。だが、殺華にはもう左手が正しく機能を果たさないのだ。

「どうすると?」
 頼母はそれを訊くと優しく問いかける。

「うん、残念だけど、潔く此処で自決しよう? 頼母くんと殺目ちゃんを僕が送って、その後に僕が敵に斬り込んで、刀の目釘が続く迄頑張って死に果てるよ」

 頼母は、それを聞くと豪快に笑いだした。

「はははっ! 殺華、こいはまっこつ勇ましか心がけじゃな? よかよか、お前さがそう言うなら仕様んなか。じゃっどん、殺華? 俺いにゃ、まだ此処は死ぬべき所では無いと思うちううぞ」

 殺華は首を傾げる。
「ほぇ? でも……」

「あん和郎(わろ:若造)共もこの上更に己の命を棄てて迄、俺い達と一戦まみえる気もなかっじゃろいや……」
 頼母はそう言うと、眼前の警官隊を流し見る。

 床に転がった警官達の骸、血の痕、のたうった血の手形や、足掻いた際にできた血の靴跡。硝煙は舞い上がり、いつの間にか焚かれた煙幕が薄らいでいた……
 だから、この惨状が尚更この場にいる者達に鮮明と焼き付いていく。

「た、頼母! 殺死丸はっ!?」
 頼母に担がれている殺目(あやめ)が思い出した様に叫ぶ。

「あぁ、あん娘子(おじょご)なら気ぃ失って寝ておるでよ」
「お前! さ、殺華、首を刎ねろっ……死連もだ!」

 殺華は、殺目の握っている自分の刀を受け取る。
「死連の姉者は頚椎迄剣が達しているから死んでると思う……」

「殺死丸は……!」

「あん娘子、殺死丸……言うたがか? ありゃ、お前さが最初に会敵した殺女(さつめ)じゃろ……連絡では”之を退けた”と聞いたが。いけんしたか?(どうしたか?)」

 殺目は一瞬言葉に詰まる……
「だから……殺したとは、言っていない……」
「ふん……? そうか、ならよか」
 殺目は目を逸らした、それだけで頼母には十分だった。殺目は何か報告をしたくない事があるのだろう。頼母にはその事だけで十分だった。余計な詮索はしない、殺目が言いたくなった時に言えばいい。作戦に大きく関わる事でなければ、頼母は構わなかった。ただ、殺目が”何か”心に躊躇いの様な蟠りがある事を知れた事でよしと感じていた。

(何か、あったか……?)

 しかし、頼母はその事に拘る事はない。今この状況下でそんな事は瑣末な事に過ぎないからであろう。そこに、殺華がこぼした。

「僕はね、殺死丸の姉者が不覚している隙に首を跳ねるなんて真似はしたくないんだよ? そんな泥棒みたいな真似は卑劣なんだよ? 僕はね、薩摩隼人なんだからねっ!」

 殺目は溜息を吐いて、諦めた様な顔をした。
 殺華は、こう言うと聞かないのだ。殺華が、薩摩隼人がどうのと言う時は、決まって意固地になっているし、殺華は頼母家により代々この精神学を叩き込まれている。明治11年頃から頼母家に従えたと考えて、約130年以上、この教えの下にあったと言っていいのだ。その教育は、最早殺華の自身の主観に為ってしまっている。そして、その主観は既に殺華の思想に成り代わり、理想の頂点たる”薩摩隼人”という観念になっている……
 それは、実に子供沁みた理想ではあるが、殺華の確たる心魂なのだ。殺目も其れを痛い程よく知っている。

「後で、後悔しても知らんぞ。殺華……」

 殺華は、血に塗れた顔で爽やかと微笑んだ。

「大丈夫だょ〜、僕はね、先ほどね蘊奥(うんおう)の域を見たんだよ〜。だから、今度は絶対に洩らさず討ち取るよ殺目ちゃん!」

 頼母が、それを聞いて謂った。
「ふふっ、そいじゃ此処で自決すっこつはなかっじゃろい?」

「おぉぉぉ! そうだね、そうだ! それチェーストっっだよ!? 頼母くんっ!」

 頼母は、ニヤリと笑って歩を進める……

「待って待って、頼母くん! ちょっと待ってよ」

 殺華は、何やら後ろを振り返り、何かを取りに行ったようだ……

「ん、いけんしたか……?」


 殺華は、小走りに駆けて床に落ちた殺目の腕を掴み上げた。

「殺目ちゃんのお手て持って帰ってくっつけて貰わなきゃ……」

 殺華は、足元に倒れ伏す二人の姉を見た。
 死連は、うつ伏せに背中から首元に一太刀浴びて倒れている。床には夥しい流血の後が残り、もうそれは鮮血色ではなく墨の様に黒く変色している。殺死丸は、肚の傷口から腑を抉り出されたまま横たわり、天井を仰いだまま自失している。恐らく、気を失した時に頼母が仰向けに横たえてやったのだろう。しかし、今生きているかどうかは判別できない程に全身が弛緩している……

 殺華は、殺死丸や死連がこんな姿になる所等見た事が無かった。
 殺死丸の顔は、不思議と安楽としていて、なにか昼寝でもしている様かに見えなくもない。それ位、安穏とした顔で倒れていた……

 殺華はふと昔を思い出した。
 殺死丸は、普段目を開けているか閉じているかわからない様な顔をしているので、偶に喋っていないと昼寝をしている様に殺華には思えたのだ。
 だから、殺華は子供の頃、よく殺死丸の頬をツンと人差し指で突いてイタズラするのだ。殺華が幼少の頃に送られた長州藩での頃だ……
 
 当時の殺死丸は、今よりも更に凶暴な様で、長州の過激攘夷派の志士達の間でも聞こえが高い存在であった。江戸後期、機智家は、倒幕が国是であった長州藩に逸早く着目し、之に自らが育てた”殺女衆”と名付けし暗殺人形を秘密裏に毛利家に贈った……
 殺女達は毛利家直々に不可侵とされた暗殺者の集団になっていく。その頭領を勤める殺死丸は、完全たる実力の行使を以っての倒幕を掲げる過激派の急先鋒であり最右翼を担う存在となっていた。長州の勇将、来島又兵衛を後ろ盾にし、殺女達は長州諸隊の遊撃隊に多くが参加する事になっていく。
 そんな、藩内で誰もが慄く一人になっていた殺死丸に、幼い殺華は無邪気にイタズラを仕掛けるのだ。当時の殺女達の尉官達も、そんな事は誰もしなかった。そんな事を冗談でもすればどんな目に遭うか解らないからだ。しかし殺華は臆面もなく、殺死丸の部屋の座敷に上がり込み顔を覗き込んだりするのだ。それは直ぐ様に叩き出されるのだが、殺華は一向に懲りなかった。偶に、屋敷の軒先で庭を眺める殺死丸の横でちゃっかり座っていたりするのだ。
 殺死丸は、この殺華の恐れ知らずの処を図らずも評価していたのかもしれない。殺華は、屋敷の庭で捕まえた蟷螂などを殺死丸に見せにやってくると、殺死丸は、それを祈り虫だと教えてやったりもした。

 今思えば、殺華は、この世にも怖ろしくもある姉に対して、見る事も叶わなかった”母”を思っていたのかもしれない事に気付いた。

「ごめんね、ごめんね姉者……! 僕、行くよ? 姉者……」

 ボロボロと零れ落ちる涙が、血染めの床に数滴落ちた……

Re: キチレツ大百科 ( No.117 )
日時: 2016/09/26 04:13
名前: 藤尾F藤子 (ID: 0bGerSqz)

「頼母……どけぇ(何処)向こっちょる?」

 頼母仁八(たのもじんぱち)の肩に担がれた殺目(あやめ)が国言葉の長州訛りで言った。殺目は頼母と喋る時はついついこの昔訛りが出てしまうらしい……

「んん……? そや、正面かっじゃ。俺い逹は賊軍っぞ? この上こそこそしちょってんしおあね(しょうがない)っじゃいや」

 殺目は、残った右腕で頼母の首へと回す。

「なら、あた(私)を下ろしっちゃい。これじゃ格好がつかんよ」

「歩けっこつが?」
 頼母は、肩の後ろに位置する殺目の頭の方へと向いて謂った

「うん……無茶ァ出来んっちゃが、大丈夫ち思う」

「フフ、中々ん意気じゃあな……良か娘子(おじょご)……」
 そう言って、頼母は殺目の頭を強く撫でくりまわした。
「やめっ! 子供扱いすなちゃあっ!」
 頼母の手を振り解く殺目、だが肩から降りた殺目はよたよたとフラつきながら歩く。殺目は、霞む瞳で眼前を見据える。

 紺色の隊服達、スーツの私服警官、鉄製のライオットシールド、拳銃を構える私服の刑事の銃口、機関拳銃を構え八の字に陣形を整えようとする銃隊。二個から三個分隊と言ったところだろうか……
 もう、殺目にはこれらの部隊を相手にする戦力は残っておらず、負傷も著しい。もし、今これらが一斉射撃を始めれば一溜まりも無く紙切れの様に死ぬだろう。

 それでも……それでも、殺目は構わないと思っている。
 殺目は、どちらかと言えば此処で朽ち果てようと何の未練もない。それだけではなく、殺目は”死”というものに特別な情景、回帰的願望すら見ている。だから、此処で無惨と屍を晒しても、何ら思い残す事はなく、それも無常と考えている。

 それこそが、自らの報いとして当然であるとも。

 しかし、此処にいる頼母仁八はそうではない。悠然と、まるで何処か散歩でもするかの様な余裕さえ、その身に滲ませてその歩みを進めている……

「頼母? 主ャア、何か考えちょっか……!?」

 颯爽、そんなものが、此の男の瞳の中吹いていた。
「あぁ……おいに、任せたもんせ? ん」

 頼母が笑みが、殺目に吹き抜けていく。
 一瞬、殺目はその目に魅せられた。何だか、吸い寄せられる様な爽気が匂う。だから殺目は、その顔を見ながら、静かに頷いた。

「うん、お前に合わせるよ? 仁八……」


 止まれ止まれ、と小鳥が囀る様な声……
 それが悲痛に聞こえるのは、その対象者にはその声さえ直接と響く事もなく、向けられし無数の銃口さえも只の鉄の筒である事に過ぎないと言う事だ。

 カツカツと音を打ち鳴らして、頼母の革靴の踵が鳴る。その喧騒の中を……

 
 機智烈斎は、パークタワービル内のエントランスに読田と戻ってきた。その顔はすぐれない、元々顔色の悪そうな色白の顔が灰色が差した色を為してしまっている様だった。

 外界への脱出は現時点で難しく、ビル内の戦場では既に機智烈斎の介入する余地はない。配下である、殺死丸は手負いである。死連は、飽くまで機智家に属してはいるものの、嘗ての大東亜戦争(太平洋戦争)で艦上での敵弾負傷で、痛み止めのヘロインや当時のヒロポン(戦前に薬局で滋養強壮を目的に販売されていた覚せい剤)で完全に頭に変調を来たし、言語視野をヤラれた。そして、完全に気が狂って以来、その当代の機智烈斎からは機智烈斎、並びに機智家の指揮下にはない。言うなれば、ある程度言う事を聞く居候の様なものと言う方が正しいかもしれない。
 普段の死連は、単独で勝手に外をふらつき、飲み屋や博打場等を渡り歩いている様な始末である。
 しかし、死連は予てから作戦、又は紛争状態以外での殺人は無く、そういった癖(へき)に傾倒もしていない。多少の悪さはしているらしいが、滅多やたらと人を斬ったり、民間人を自分の都合で殺傷したりする様な事はないので機智烈斎は其れを許し、目を瞑っていた。
 今回の件、本来ならば、死連も時間通りに屋敷に戻り、参加の予定であった筈であるが、飲み歩き、行き倒れていたのだろうか、携帯電話が通じない為に置いてきたのだ。ただ、死連は、殺女(さつめ)として頭が壊れているせいか、逆に時として殺死丸とも、いや、時に依っては機智烈斎とも違う、また新たな選択肢を見出したり、殺女という立場でも無く、より人間の立場に立った意見を提示したりする。だから、機智烈斎は予てより、その点に強く着眼し、非常に興味深き関心を持っていた。また、これも面白いだろうと……
 
 しかし、機智烈斎のその目論見やこの事態の当初の算段も全て見込みを誤ってしまった。機智烈斎自体も、敵の力を正確に予測する事は叶わず、予想外の敵勢力の戦力の投入と、その規模に翻弄されたのだ。
 そして、最大の問題は敵は予想以上に自分が共に立場している、日本の政府権力との根深き癒着とも結託とも取れない曖昧かつ暗い関係性が強い様である。こういった場合、誰を逮捕拘束、殺害すれば諸問題を解決できるという簡単な問題ではなくなってくるのだ。 
 戦力、組織、秘匿性、資金源、全てが暗い闇のカーテンに覆われている。捲っても、捲ってもだ……
 機智烈斎には、少しずつ響いている此の亡国への行進曲が、もうすぐ眼前へと迫ってくる様な気がしてならなかった……あの、頼母仁八という怪人、魔人の如き男と共に。
  
「所長さん……大丈夫? 何だか酷く疲れてるみたい」

 その場で蹲っていた読田の娘、詠子(よみこ)が、機智烈斎へと声をかけた。

 よっぽど酷い顔をしていたのだろう。最早、この事態へと巻き込まれた形となった少女に、その身を案じられる始末か、と機智烈斎は自嘲した。しかし、それをこの詠子へと気取られたのならば、自分は最後に残ったそのちっぽけな誇りも、責任すらも放棄する事になる。其れは、この機智烈斎、機智英一にとって何より堪え難い。
 
 欠落、欠陥、冷酷冷徹、そしてその底にへばりつく薄弱……そんなモノで構成された、機智烈斎たる存在であるが、この場にいる、この少女だけには諦めなどを微塵も見せてはならぬのだ。その意志薄弱たる己の本質だけは……
 それだけは決して許されない。それは、自分が機智家の当主たる機智烈斎を執ったのであるからだ。
 
 機智烈斎は、ほんの一瞬小さくその薄い唇を噛み締めると、涼しい口調で飄々と笑んだ。

「いや、気にしないでくれ給え。少し走ったから疲れてしまってね……? 私は運動が子供の頃から得意ではないのだ」

「え、でも外迄そんな距離はなかった様な……」

「ふふ、俺の運動音痴と体力の無さは子供の頃から折紙付きサ? 大人になっても体力は上がらなかったよ? だから俺はね、住んでいる家の家事や洗濯、補修等は全てあの殺死丸(あやしまる)に任せっきりなのさ」

 詠子が、思わず口に手を当てて笑った。
「え!? あの、あやしまるさんが? うふふ、何だか信じられない。でも所長さんはもう少し頑張って体力を付けた方が良いと思いますよ。うふふ、ふふ」

「あぁ、そうサ。そうした方が良いね? 女の子というものは、鬱ぎ込んだり、怯えた顔をしているより、笑った顔の方が良いに決まってるのさ。だから、俺ももう少し此の場を凌がないといけないな」
「え?」

 詠子がその意味を聴き返す前に、機智烈斎は視線を彼方に追いやっていた。

「何だ……!? 空気が、変わった。様子がおかしい!」

 そう、激しい銃声や炸裂音が止んでいるのだ。そして、S弾の効果が薄れ、煙幕が薄くなり、その様相を徐々に晒し出しているのだ。
 機智烈斎は、最初外界と同様に此の場もデッドロックしたかと思ったが、この場にいるであろう殺華、殺目、頼母仁八の装備、そしてホールの地形構造上それは考え難い。あれは飽くまで遮蔽物や、戦場での双方の均衡する状態であるから一時的に様子を見るという行為である。

(殺死丸と死連はどうしたんだ、敵を討ったのか? いや、だとしたらあの包囲はおかしい! まさか、やられたか……)

「所長!! 此処にいらしたのですか? 戦況が引っくり返された、その為に警備部と銃隊の指揮が完全に崩れている!」
 警視庁公安部の刑事が駆け寄ってくる。

「そうか、わかった……二人を一時的に任せたい」

「ご心配なく、公安部は”独立”して動いてますので」

「知ってるよ、それでも君達は、油断できないから……」

「ご心配なく」

 無機質。
 機智烈斎は、既に公安警察でさえも、あの男の息が掛かっている者がいるであろうと予測している。それは、多くはない、然し確かにと。

Re: キチレツ大百科 ( No.118 )
日時: 2016/09/05 08:08
名前: 藤尾F藤子 (ID: 34Ns4Wp.)

 【2016年夏】大会、複雑ファジー小説にて、拙作キチレツ大百科が金賞を受賞させて頂きました。

 これも、ひとえに何時もお読み頂いている皆様のご愛顧の賜物と感謝しております。あまり、多くの方々が共感のできる様な内容ではありませんが、これからも読んで頂いた方の心の何処かに引っ掛かる様な作品となる様に精進していきたいなと思っております。

 いつもご支持して頂いている方々、そしてこういった自由な形での創作の場を与えて頂いている小説カキコ様、管理人様、サイトの運営に携わっている方々、この場を借りまして心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

 藤尾F不二子

Re: キチレツ大百科 ( No.119 )
日時: 2016/09/26 04:07
名前: 藤尾F藤子 (ID: 0bGerSqz)

「止まれと言っているっ! 其処で停止しろ!」
 私服の刑事が、一歩前へと出て言った。しかし、頼母仁八(たのもじんぱち)は歯牙にも掛けず警官隊へと迫る。その表情には、先程の迄の笑みは無く、何か峻厳とした様相を呈していた……

「撃ちやい……?」

「!? 黙れ、止まれと言っている」
「よか、撃ちやい」

 頼母は毅然とした顔で言い放つ。

「我々は……此の場に於いて貴君ら警察官、そして一般市民をも巻き込み多数を死傷至らせしめた、殺人者であり犯罪者である。そして、事もあろうに国家、公共に対して弓を弾く逆賊である! この点について、一切に申し開きする事は無い! 貴君らは堂々と、公明正大に我々を撃ち殺すべきである」
 
「ぬけぬけと……」
 
「我らはそれに対し、大いに持てる力を以って応ずる所存にある」

 それを聞いて、一斉に周囲の銃口が集まる。
 だが……同時にその場は再び強い動揺へと貶められた。

 まだ……まだ、この上に抵抗をするのか!?

 また、ああいった闘争行為を、此の場で続けようというのか。
 そう、この男はまだ一歩も引く様子など無い。

「頼母くん! 殺目(あやめ)ちゃんのお手て拾ってきた、お手て。ほらこれ」

 後方から、刀を肩にひっ担いだ少女が駆けてきた。その左手には、もう一人の少女の切り飛ばされた片腕を握っている。

 殺目の切断された腕は、身体から一緒に切り離されたニットの袖は纏っていなかった。 
 それは、ましろな素肌が現れて切断面が露出している。不思議な事に、断面から血が噴き出ていなかった。それは、何か陶器で出来た人形の腕の様に無機質で、何処か浮世を外して其処に在った。そして、それを一切と気にも掛けずに、素手生掴みの金色の髪の少女の何処か無邪気な様が、この残酷絵を強く周囲へと印象付ける。

「ひっ……!」

「ねぇねぇ、どうする? 僕は指示を待っているんだよ」
 殺華が頼母に笑い掛ける。
 頼母は、敢えて其れに応えずに、其処に立つ。殺目が少しフラつきながら、殺華へ向け顎で頼母を指し促す。

 ”頼母に合わせろよ? 殺華……”そういう意味である。

 殺華はそれを見ると、察したのであろうか、「おぉっ!?」と声を出すと、ブンブンと首を振って頷いた。

 頼母は、先程の自らの此の場での姿勢を述べた後、一言も口に出さず毅然たる態度を崩さない。その姿に、困惑を隠せない私服の刑事。

 何故、警察は此の場で一斉射殺を躊躇うか……?
 
 一つは、此の得体の知れない武装集団を殺害、鎮圧を以ってしても、この組織の正体、事件への解明が難しい事。そして、その殺害、鎮圧が容易たる事でない事実。外界には既に、仲間と思しき別働の集団が居る。そして、其れ等も同じ様に武装している。そして、かなりの火力を有している。今、用意された全ての警察力を駆使した総力戦をしたとしても必ず抑える事が出来るという保証がない。しかもそれを行なった場合、最悪交戦範囲が拡大し、事態が更に悪化する可能性も非常に高いのだ。
 
 この集団は、確実に何らかの国家的後ろ盾を持っている事は明白である。それは、他国が関わっているのは、公安などの動きから見ても容易と想像が出来る。しかし、問題はこの武装集団があろう事か政府の何らかの部分と密約、或いは謀議的関係あるとみられる事だ。
 それがどういった事かは詳しく断定できないが、根深き事であろう。それを警察組織の一人や二人が予想する事は難しいものではない。しかし、ある範囲を”事実”として決定付け、このテロ、いや、予想される自衛隊の一部隊のクーデターとして、事件を明らかなものにするのは大変に難しい事である。

 私服刑事は、ここであの時、この事件の目標を撤退させろと迫り、去っていった”マル自”『自衛隊監察室』の刑事の言葉を思い出した。

 ”これで、此の国の国民は知らしめられるだろう。政治家、企業家、公務員、学生、主婦に至るまでが全て。今までの自分が見ていた世界が実に人為的なバランスの元で保たれていた現実を……” 

 どうするか? 逮捕拘束など、この連中にはかなわない。殺すにしても、この疲弊し、士気の下がった部隊では下手に死傷者を増やすだけで終わってしまう可能性も捨てきれないのだ。

 そこへ、機智烈斎と共に居た、内閣情報調査室の男が割って入る。

「まぁ、此処は私共に任せませんか? ねぇ」
 別の私服の刑事が、血相を変えてそれに抗議した。
「何だ!? 内閣官房と言えども、捜査権や現場を取り仕切る権利はない筈だ! それとも超法規的な処置を以って現場指揮権を取り上げるか? なら、上からその指示がある筈だ! しかし、今此の場にてそんな報告は聞いていない!! それとも、何か? 此の国は、政府権力が容易く警察権を侵害する様な国なのか? 其れが法治国家か!」


 内調の男は、その言葉を聞き流すと、冷然な目で謂った。

「もっともなご意見です。ですが、最早、現状の貴方達では対処が困難と判断します。それに今、この場においてのこの国の法治は完全に崩れております……更に、この上この法治への瓦解を広範囲へと侵食させる様な如きは真似は、我々としては看過できません」
「な……しかっ」
 その言葉を待たず、内調の男は告げる。
「現場責任者の自決未遂を不問とします。見なかった事にしましょう……これで貴方の上司は精々が左遷で済み、職を逸する事を免れます。よろしいか?」

「……!」

 それで、警察側は誰も言葉を発しなくなった。

「それでは……どうぞ、道を開けて。全部隊はそのまま待機、早急に無線で外にも伝えて下さい。射撃、応戦も停止。包囲も解除願います」
「そんな事をこの場の判断だけでできる訳がない!」

「するのです! この場の判断でしなければ、此処にいる全員は死に、外の部隊も多くが死傷する。そして、連中は追い詰められて更なる援軍が増えたらどうなる! それがこのまま暴発し、二・二六の様な事になれば取り返しが付かんぞ!! 早くしろ」

「……待て、上に、連絡す」
「すぐにだ! 向こうが自棄を起こす前に今此処でするんだ」
「しかし!」
「心配するな……どうせ責任は宙に浮く。そういう事になるんだよ、こういう場合は特にな」

 焦躁と無力が、抜けていった。そして自暴が自らに降り注ぐ。

「全員、射撃体勢を解除……その場にて、待機」

 悔しさで泣き出す者、某然とする者。中には銃を発砲しようとして仲間に取り押さえられている者。

 それは、実に奇妙で、実に気味の悪い光景だった……
 まるで、主犯格と思しき男と、実行犯たる少女達に道を譲るかの様に人垣が割れる。

 内調の男は、次に頼母仁八に向け、言い放つ。
「では、そちらへと告げます。戦闘行為の完全の停止、良いですね? それと、これは貴方方への譲歩ではありません。私は言えるのは其処までですが、其方はいかがか?」

 頼母が、少し寂しげに笑った……
「寂しかっこっじゃ……まっこてこん国は」
「ん?」
 内調の男は最初、意味がよくわからなかった。

 殺目が謂う。

「坊や、お前……透けているよ?」

「?」

 その片腕を落とされた少女は、まるで憐みを一杯に溜めた様な色の瞳で呟いた。
「奸賊が……」

Re: キチレツ大百科 ( No.120 )
日時: 2016/09/16 07:14
名前: 藤尾F藤子 (ID: oq0pGGOm)

「透けている……!? 何が?」
 その瞬間に、殺目(あやめ)が、内調の男のタイを引っ張り自分に引き寄せる。

「命が……だよ?」

 すると、先程まで男の首があった場所に鋭い剣風が奔る!

「かぁ!? なっ」

 男の頭髪が、数本その刃迅に切り飛ばされ宙に舞い散る。遅れて背筋に冷たいものが走る。もし、殺目が男を引き寄せなければ、あの閃光の様に駆け抜けていった切っ先にその首、諸共飛ばされるところだった……

 殺目が、男の耳元で囁く。
「ほら、揺らいだろ、お前の命が……? あぁ、でも良かったね……? 消えてしまわなくて」

 殺華が、瞬間飛び込みざまに、男の首を刀で横薙ぎに斬り付けようとしたのだ。

 殺華は、着地に失敗して転がった。空転した刀の勢いが余り足が縺れたのだ。
「いてて、殺目ちゃん! どうして邪魔すんのさ、これじゃ、何だか僕がいきなり飛び上がって勝手に転んだみたいで恥ずかしいじゃないか。もう!」

 殺華は悪びれもせずに、そう殺目へと抗議する。

「もういいだろう、な? 頼母……」

 頼母仁八(たのもじんぱち)は顎を軽くさすると事も無げに謂った。

「んん、もう”此処”では殺しはよかっじゃろ」

 頬をムスっと膨らませ、殺華がそれに対し言い放つ。
「でも、此奴は”奸物”なんだよ、絶対斬い棄てた方が良いんだよ? 頼母くん!」

「よかよか……もう、帰りもんそ」
 頼母が、殺華のその言葉に笑んだ。しかし、殺華は何だか納得しない。それを、しょうがな気に見つめながら、頼母は言い聞かせる様に殺華に言った。

「殺華……ん?」

 ちぇっ、と言いながら軽く大理石で出来た床をコツンと蹴る殺華……

「……うん、でも何だか釈然としないんだよ。其奴はね、底意地の悪い奴さ。勘定上手な卑劣者だよ、顔にそう書いてあるんだから!」
 殺華にしては、珍しく他者を激しく詰(なじ)っている。殺目が、静かに視線を移す。
「頼母が、もういいと謂った。それを押してまで、その男を殺したいか? それに其奴は銃を所持していない」
「僕はね、自分の命可愛さに奸物を許すなんて嫌なんだよ、頼母くん? これは重要な事だよ? 其奴はね? 自分で何ら手を汚さずに、したり顔で物事を操ろうって奴だよ。僕はね、こういった連中を斬い棄てる為に剣を使うんだよ!」

「わかっちううがぞ、殺華。じゃどん、俺いは”此処では”と言いよる……それよか、表で国友達も肝が煎っておっ頃じゃぞ。此処はもうよか、先を急ぎもそ……」

「うむむっ。わかったょ……じゃ、行こう」
 殺華はそう言うと、率先して頼母の背後に位置する。殺目が頼母に視線を移す。
「え、国友……? ないぜ? 何ぜ国友がおいでっちゃね!」

「ふふ、そりゃお前さぁが直接聞いてみいやんせ……」
 殺華が殺目の方を向いて一言言った。
「僕のお陰なんだょ、僕が呼び戻した様なものなんだよ。ウフフ!」
「……そうか」

 殺目は、下を向いたまま、黙ってしまった。

「僕が一番後ろ。殿(しんがり)だよ、頼母くんと殺目ちゃんは僕より先に行き給えよ?」

 殺華は、どこか得意げに、刀を握る右手で儀仗兵の様なポーズを取り胸を叩いた。そして、そのまま頼母達に背を向けて、後方に位置する警官隊に向き合う形になった。

「よろし、では、周囲の警戒を引き続き、頃合いを持って撤収」

「ちぇ〜すとぅっ!!」
 殺華が背中越しにそう言った。


 若い銃器対策部隊の隊員の一人が、泣きながら上司に懇願している……

「何でいかせるんスかぁ!? 何で自分達は此処で突っ立てなければならないんスかぁ!! 納得出来ません! 納得できません!」

 それを数人掛かりで取り押さえている仲間の隊員達。
「いいからっ! いいから落ち着け! 落ち着け」

「自分は冷静です! おかしいのはこの現状でしょう!? 訳のわからない部外者や公安、政府の人間が徒党を組んで押し掛けて! 俺達は仲間ぁ殺されてるんだぞ! 巫山戯るな」
「いいから、黙れ……いいから、わかったから!」

「こんな事、納得できる訳ねーだろ……なんで、なんで!」

 其れを黙って見ていた、他の分隊の隊員が機関拳銃を再び構えた。

「貴っ様ぁ! 命令が聞こえなかったのか! 今すぐ銃を下げろ! 命令違反だぞ!? 今すぐ銃から手を離せ!!」
「……」
「今すぐだ!!」

「お、れは……同僚を、目の前で、こ、殺された……何も、出来ずに……何も!! 何もだ!! あっという間だったんだ! アイツが、アイツの仲間がっ……」

「貴様、警察官だろ! 私情で発砲するなんて言語道断だ!! 黙って銃から手を離すんだ! 早くしろっ!」

「銃を下げろ! 命令だ、逮捕するぞ……」
「相手が、相手が違うじゃ無いですか……!? どうして、何故……」

 この場に残された警官達の、行き場のない焦燥が散っている。それが、舞い上がる塵の様に空気に霞んでいく。金色の髪の少女は、その中で立っている。ただただ、立っている……

 殺華にはどちらでも良かった、撃ってくるのであらば、刀の目釘が続く限り斬り伏せる積りである。此のまま、頼母達がある程度離れた頃迄、此の状態であればそれも良しとしている。ただ、殺華が気掛かりなのは、あのライオットシールドである……

 殺華の腕であれば、今の状態であっても、一度や二度は斬る事は可能である、しかし、続け様にとなれば話は別なのだ。今の残された体力では、盾で一斉に押し込まれてしまうと返せない。それにいくらタイミングと刃筋を絶妙に合わせて”引き”を起こし両断しても、その分距離を盾で詰められて四方を塞がれれば逃げ場は無くなる。刀を振る、相手を斬る又は突くには、ある程度スペースが必要なのだ。自分の”斬”の間合い迄盾で侵されてしまえば、刀では攻撃出来ない。その場合であれば、既に長刀ではなく、小太刀、またはナイフの距離なのである。そうなると、今の殺華には完全に不利になってしまう。

 しかし、何よりも殺華が嫌なのは、ジェラルミンの盾を斬り続ける事によっての刃の損傷である。其れは余程集中し、対象物の角度、タイミング、そして何より手の内の引きの動きがあって初めて出来る事なのだ。容易い事ではない、一瞬でも刃が面に対して動いてしまえば、刃を食い込ませる事叶わず、刀身と刃先に余分な負荷がかかる。物体に刃を食い込ませる事が出来たとしても、刃筋が乱れていれば引きの動作の際に、刃が歪み傷んでしまう。無駄な力みが生じ、筋肉が強張り肩に余分な力が入ってもいけない。特に、今殺華は疲労している。体力の限界が近付けば、自ずと無駄な力みが多くなる。そして、刀の物打ちどころを外せば刃が掛からず、物打ちの上、切っ先や帽子に掛かれば、いとも容易く刃毀れを起こす。不得手者などがこれを行えば、刀の刃は忽ち欠け飛んでてしまうのだ……

 殺華が、今所持している、岡崎五郎入道作刀の本庄政宗と言うこの太刀は、旧国宝である。この太刀は、元々は上杉家の本庄繁長の所持していた物で、刀身が長過ぎる為に、茎尻を詰め磨上を施して豊臣秀吉に献上された。その後、薩摩の島津義久が拝領し、徳川家康へと献上される。刀の審美眼を持つ徳川家康は、紀州徳川家の代譲りの御物として世子に継がせよと之を記した。
 だが、敗戦後、昭和45年。占領軍である、GHQ(ジェネラル・ヘッド・クォーターズ)の命令により、徳川宗家代17代の頃に押収された。
 
 当時、ソビエト(旧ロシア)から日本に帰国していた頼母家と殺華達。特に殺華は赤羽や各所轄警察署内に大量に刀が押収されていると言う噂を聞きつけ、驚喜して仲間と共に押し入り其れ等を持ち去って行った。その後、騎兵第7連隊、ブライス・C・Wカスター中佐の部下であるコールディ・ビモア軍曹が、目白署から刀を数振り個人的な命令で強制的に押収して行ったと署員から聞き、北区のアメリカ軍兵器補給廠からそれを盗み出した。その中に殺華が今手に握る本庄政宗と数振りの業物が在ったのだった。
 
 殺華から言わせれば、泥棒から強奪するのは悪くないと言う事なのだ。本来であれば、この刀は徳川家に所有権があり返還するべき筈の物だが、殺華、いや、機智家は明治時代に徳川家にはある貸しがある。それをいい事に、殺華は勝手にこの旧国宝を頂いてしまったのである。殺華は、頼母家と露西亜に渡った折に、持っていた愛刀、波の平を折って以来、これぞという刀に巡り会う機会がなかった。しかし、この掠奪した本庄政宗を殺華は甚く気に入って、勝手に拵えを自顕流を打つのに扱い易い薩摩拵えに換装してしまっている程である。天下の刀工、岡崎五郎入道の作刀なぞ、殺華の身分には分不相応で、本来ならばお目に掛かる事も出来ない刀である。数々の大名達が褒美の品として受け継ぎ、歴史に記してきた物だからだ。しかし、殺華はあの、嘗て初めて出来た人間の朋友から贈られた愛刀、波の平を今も持っている。刃先は鋸の様に欠け、血で錆び付き、もう修復も打ち直しさえ出来ない、あの刀を……
 ある意味、殺華にとっては、国宝にされた名刀や、今尚その姿を残す天下五剣よりも、あの血で錆び付き朽ちていく波の平が代え難いのである。

 明治十一年(1878)の頃。
 殺華は、西南戦争の後、頼母家と共に一時期潜伏していた薩摩で、薬丸自顕流と関係浅からぬ肝付家に行き、其処で剣を修めた。

”薬丸どんの太刀を教えて欲しいんだょ”

 突然、何処からともなく現れた、左目に包帯を巻く少女。

 鹿児島市中、肝付家の門邸に、そんな風変わりの小さなデラシネが訪ねて来た時の事だった……


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