複雑・ファジー小説

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キチレツ大百科
日時: 2016/01/06 12:05
名前: 藤尾F藤子 (ID: .5n9hJ8s)

「起キル……」
「起キル……」

あぁ、うるせーな。俺は昨夜も”発明品”の開発でいそがしかったんだよ……眠らせてくれよ。

「起キル……」
「起キル……」
微睡みの海の底、聞こえる女の子の聲。少し擽ったい感覚が夢を揺さぶる波のよう。
ふと思うんだ、これがクラスメートで皆のアイドル、読田詠子、通称”よみちゃん”だったらいいな……て。いいさ、わかってる。どうせ夢だろ? 
夢の狭間で間の抜けた自問自答。
そいつが、嘲るみたいに眠りの終わりを通告している。

「キチレツ、起キル”ナニ”!!!!」

Goddamit!
そう、いつもそうなんだ。俺の眠りが最高潮に気持の良い時に、決まってコイツが割り込んでくる。俺がご所望なのはテメーじゃねんだよ?
「くっ!? 頭に響く、うるせーぞ、ポンコツ! テメー解体して無に帰すぞガラクタがぁ!!」
「なんだと〜、やるかぁ!」
部屋の中には、日差しが差し込み、ご丁寧にスズメの鳴き声が張り付いてやがる。うっとおしい事この上ない程真っ当な朝だ。
「最悪だぜ……」
目の前の”ソレ”を突き飛ばし、机の上のタバコを探す。
「あん? モクが無ぇぞ、昨日はまだ残ってたんだけどな……」
「中学生デ、煙草ハ駄目ナニィ! 我輩、捨テテオイタ、ナニ!」
俺は目の前の”ソレ”の髪を掴んで手元に引き寄せる。
「テメー良い加減にし無ぇと、マジでバラすぞ。人形!」
「ちょっ、痛い痛い痛い! やめてよ、キチの馬鹿! 中学生で煙草吸うキチの方が悪いんじゃ無い! い、いたぁあい、我輩のポニテから手を離すナニィ!!」
「キャラが崩れてんだよ、人形!!」
「に、人形じゃないナニ……殺蔵(コロスゾ)ナニ……」

くっ……頭が痛ぇ。
 
俺の名前は機智英二(きちえいじ)皆からはキチレツなんて呼ばれてる。
俺は江戸時代の大発明家、キチレツ斎の祖先だ。キチレツ斎は結構名の知れた人で、当時の幕府御用達の発明家て奴だったらしい。初代キチレツ斎は太田道灌の元で江戸城の築城に協力して以来、機智家は徳川家から引き立てられたという経緯と親父が言っていた。
そんな家だったら、何か凄い物があるだろうと物置を調べていた時に見つけちまった。
この少女の形をした”発明品”殺蔵を。しかも運悪くうっかり起動しちまいやがった。

わかるか? 自分の先祖がこんな、少女人形を作成してた真性のド変態だと分かった時の気持ち……夜な夜なこんな人形使って遊んでたと思うと反吐がでるぜ! その俺の気持ちを察したのか、俯いたまま殺蔵がぼそりと呟いた……
「我輩は、武士ナリよ……」
俺はイラつく。
「テメーのその見た目でどうして武士とか言えるんだよ? どうみたって弱そうだし、大体女の武士とかいねーだろ? じゃあ、なんでその見た目よ? どう考えても、いかがわしいんだよ! お前はそういう目的の為の人形だろう!?」
「違うナニィ!! わ……我輩は、武士ナニィ! 武士……ナニよ」
「チィ! うぜぇ……」
曲がりなりにも尊敬していた先祖の正体が倒錯的な変態である……
そいつは憧れてた役者やアイドルがシャブ(覚せい剤)や痴漢で捕まった時位ショックなもんだ。
涙目で抗議する少女のカラクリは、俺らの年齢と大差ない姿形だ。
キチレツ斎さんよぉ、それぁ無ェぜ……

「英二〜、ごはんよぉ。殺ちゃんも早く降りてきなさ〜い」
この部屋の重たい空気も知らずに、圧倒的に間の抜けた声でお袋の声が聞こえてきた。
だが、そいつは俺にとっては好都合の助け舟だ。最早、徹也明けの眠気などどうでもよかった。殺蔵が急いでティッシュで涙を拭っている、その横を俺は知らんぷりで通り抜けた。

Re: キチレツ大百科 ( No.66 )
日時: 2016/02/06 02:37
名前: 藤尾F藤子 (ID: DDFnv65F)

「仁八? アンタ、間違いなく殺されるわよ……多分、事を起こす前にこの血判状の中の誰かによってね? こんな血判状、署状させるなんて正気じゃないわ。しかも、こんなもの土壇場になったら、皆んなケツを捲るに決まってるじゃあない!? 馬鹿よ、馬鹿すぎよ貴方……」

殺華はふむふむと、分かっていないながらも相槌を打っている。
「お前は解っていない……この中には確実にお前の言った、明確に定義できない”敵”と利益の供与や政治的に近い関係性がある人間が居る。特にロシアのオリガルヒ(新興財閥)の人間達は、米国のマーチャントバンカー(投資銀行家)と切っても切れないし、イスラエルとも密接に関係している。大体、その連中は多くは欧州からの移民の子孫。利益追求に関しては、徹底したグローバリズムの教育を子供の頃からされてきた人間達よ? 日本人の貴方の無謀な冒険的壮士行動にロハで銭を出すなんて有り得ないの! 何かを腹にイチモツ抱えてんのが解らない貴方じゃないでしょ!?」

しかし、篁(たかむら)の言葉に頼母(たのも)の閑やかな笑みは揺るがない。

「そいがこつなんぞ、百も承知しちうっぞ国友? じゃっどん、今はそいでん十分じゃっぞ。元々、俺いの命なんぞは、最早何時でん”天”にくれてやってむ善かもんでごわんぞ? 命なんぞは、如何でんよか(いけんでんよか:意・どうとでもよい)」

其れを聞くと、急に殺華(さつか)が頗る壮気を上げだした。

「うぉぉぉ! 其の通りだぞぅ!! 頼母君! それ、チェースト! チェーストだよ? 頼母君っ! 僕達の此の身なんぞはねぇ、呉れてやった様なものなんだよ! 所詮人の生命等は、薄紙一枚さ。僕もこの、いっ魂を剣に乗せ、此れから巻き起こる戦場へとひた駆けるが如しだよぅ。チェェイ!」


チェースト、と言うのは古い薩摩言葉にその語源がある。映画や大河ドラマ等で、『チェストー』と言って斬りかかるシーンがあるが、あのチェストーの本来の発音は『チェースト』の方が正しい。
元々は、『強ェっどぉ(つぇっどぉ)』が変化した言葉と言われている。しかし時代と共に変化し、この言葉の意味は多義的になっていった。殺華は今、その事に強く同意する、と言う意味合いでこのチェーストを使った。
其の他に薩摩人は感情を抑えられない時や、激憤した時にこの言葉を使ったと言われている。

殺華はとうとう燈色の刀袋から、飴色の様な色になった鞘に納刀されている刀を出した。
「薬丸自顕流(やくまるじげんりゅう)を修めた僕が、この岡崎五郎入道(おかざきごろうにゅうどう)の本庄正宗(ほんじょうまさむね)を引き攣れ(ひきつれ)たりて魁(先駆け:意・一番前)るんだ! 頼母君と一緒に、何処までもね! これぞ剽悍、決死の士だょ〜!!」

そう言うと、チェーイ、チェーイと言いながら飴色の鞘を振り回す殺華。ブロンドに染め上げた長いツインテールがその度に激しく揺れて上下する。しかし、髪が左右へは決して揺れないのは体の軸がぶれていない証拠と言える。武道武術、格闘技では、体の軸のブレがあると正しく技の威力を相手へと伝達できないのだ。

「やぜらしがか、汝(わ)や。(意・うるさいぞ、おまえは) そげんに血ィがたぐっか?(滾るか? たぎるか)」
殺華は、間髪入れずにチェースト! と一際に発奮する。

「ズルいんだよ、頼母君は! 何で、殺目(あやめ)ちゃんは単独作戦行動で、僕はお留守番なんだよ!? こんなのズルいやい!」
「あ……? 殺華、今なんつった……!?」

篁の目に奔る、一瞬の閃光。
「え!? あわわ、ぼ、僕何も、悪い事言ってないよ? あわわわ……」
「今なんつったって言ってんだろぉーがぁぁ!! 言われた事に答えろ! 殺華!!」
部屋中に鳴り響く怒号、
「ひっ……ひぃぃぃ! うわわわ、頼母君〜!!」

頼母は血判状を煙草の火で焼き、灰皿にそれを置いた……それは、焔を挙げたかと思うと直ぐ様に灰へと消えた。

「テメェ、仁八……殺女を単独で動かしているのか?」
「ふふ、こや写しじゃ……原本は俺いが秘匿しちううごあんでな」
少量の灰が舞い散る様に挙がる中、頼母は笑う。

「どうでもいい、殺目を……一人で作戦に出しているのか、と聞いてる」
「あぁ、そうじゃ。元防衛事務次官、森久保の暗殺にやってもらっとう。今、溜池山王パークタワーじゃ。そろそろ連絡があってん良かこっじゃろ」

その瞬間、篁は頼母に向け思い切りスィングさせた鍵撃ちの右フックを見舞う。
テーブルがひっくり返り、ソファと共に頼母は後ろに倒れ込んだ。

「辻村ぁぁぁぁぁ! ドウグ(銃)取って来い!!」

「ひ、ひぃ〜篁君が怒ったぞ〜!」
殺華は倒れた椅子の隅に隠れ出す。辻村は困惑を隠せない、幾ら何でも店の中に銃を持って来る等はヤクザとは言え真面な考えではない。通常、暴力団組員は自分の組事務所、店、自宅、には絶対に銃、または鎬(しのぎ)の薬物は置かないからだ。

「兄貴、落ち着いてください。此処は店ですよ! こんな処で音鳴らす(拳銃を撃つ)なんざ無茶すぎです! それに……」
「テメェ! 誰に意見してやがんだ、コラァァァ!!」
胸ぐらを掴まれ、辻村も殴りつけられる。

「国友ォ……そいは辻村君が気の毒じゃぞ、こいを使いやんせ?」

頼母の懐から、銃が取り出された……

「!?」
篁は、それに迷わず手を伸ばし、頼母は篁のその瞳を一心に見据えている。

その二人の眼は、どちらにも何の迷いがなかった……
殺す眼と、其れを受け入れる眼。

Re: キチレツ大百科 ( No.67 )
日時: 2016/02/10 05:44
名前: 藤尾F藤子 (ID: bdnyFill)

「まずい!」

三条巳白(さんじょうみしろ)には、その光景がまるで写真の様な感覚をもってその目に切り取られていた。それ位にその瞬間は、激烈な鮮やかさを持って眼前に焼きついたのだ。

直ぐ様に嘗ての同僚であり、友へ殺しの覚悟をする篁国友(たかむらくにとも)そして、その死を素直に受け入れようとする頼母仁八(たのもじんぱち)
頼母が渡し、今篁の手に握られているのは、コルトガバメントのM1991A1だ。

これは、現在の自衛隊の正式採用銃ではない。恐らく犯罪使用歴もないだろう、日本では犯罪使用の銃には子供(弾)に警察が記録をつけている。不法に国内で闇流通されている銃には使用歴の記録されている物もあり、そこから足が付く可能性がある。しかも、マエ(前歴)のある銃を使用して逮捕された場合、其の前の犯罪とも関連付けられてしまう。そういった物は暴力団の中でも安く取引されている物だ。この銃は、国内での流通の少ないコルトのガバメントモデル(官支給品)である。

「仁八? 安心なさい、どうせ私も長く生きる気はないわ? 先にあっちで待ってなさい、さよなら」
篁は、容赦なく銃口を頼母の額へ向け重心を前にしてのダブルグリップで構えを取った。

「ん……お前さぁ一人を説得でけん男ではいけんしごつもなかちゅうこっじゃい。(どうもしようがないと言う事だ)好きにすれよかじゃなかか。俺いは一向に構わん」
其の言葉の終わる瞬間に篁は引き金に指を掛ける。

「!?」

その時、巳白は咄嗟に篁に飛びかかっていた。銃のスライドを握り、銃口の前に入る形で飛び込んだ。
銃を握る手を巳白に固めれ捻られる形で、横に倒れこむ二人。
「この、ガキぃぃ!!」
巳白が立ち上がった瞬間、篁の左の拳が顎を跳ね飛ばす様に薙いでいった。
立ち上がった瞬間に巳白にはキーンとした耳鳴りが頭の奥鳴り響き、気づくと巳白は床に這いつくばっていた。よく殴られると星が飛ぶ等と言うが、まさに突然に視界不良に陥り目の前にチカチカと緑や赤のドットの様な物が弾けて消えるのだ。
脳震盪である。本格的な打撃経験者のパンチを喰らうと、そういった状況に実際に陥ってしまう。
「お……? あれ? ヤベ!?」
数秒、巳白には記憶がない。
「クソ! ヤバい」
しかし、膝から下に意識が行かない。まるで、手足の神経を遮断されたかの様な浮遊感。巳白は、壁にもたれ掛かる様に再び倒れる。
耳鳴りと、不鮮明な視界、それを彩る様に緑と赤が蝶の如く眼前を舞い散っている。
巳白は、一瞬とは言え記憶が飛ぶという現象に見舞われている。これは余計に混乱へと繋がり、予想以上の恐怖を伴う現象だ。格闘技者の打撃にはそういった力がある。

そうだ! 現状は!? 巳白は数秒伴って意識を取り戻した。視界には、まだ緑と赤が舞っている。耳鳴りはまだ頭の奥で鳴っているが、少しずつ収まってきている。

「そこまでだよ、篁君……」
不鮮明が少しずつ霽れていく、再び巳白の視界には輪郭が蘇ってきた。
其処には、殺華が奇妙な格好を取って立っていた……
両の踵を付け、ピンと背筋を伸ばしている。左手で押し出す様に刀の鍔下を持ち、鞘を左の腰際に当て右手で刀の柄を握っている。儀仗兵の様な整然とした立ち姿だ。
「何だぁぁ!? 殺華ぁ! テメェ俺に向けて『抜き』仕掛けようってのかぁぁ!! 上等じゃねぇか? やれるもんなら、やってみろぁ!! あぁ?」
殺華は、今にも泣きそうな貌をしている。
「どうしたぁぁ!? テメェ、今更ビビってイモ引いてんのかぁ? そいつぁ飾りか? あぁ?」

凄まじい篁の眼。妖美な見た目からは、想像も出来ない程の咆哮。
「ま、待って、下さい。篁さん!」
「ガキぃぃ!! テメェ誰が喋って良いっつったぁ!!」
巳白に篁の前蹴りが飛ぶ。巳白に壁を背に篁の足がメリ込んだ。
「おぉ……あ」
「仁八ぃ、丁度良いわ? テメェをハジいて、殺華に斬り殺されるわ? どうせ、ヤクザが堅気殺しゃ、無期か死刑よ? いいわ……一緒に死出の旅路と行こうじゃないの? ねぇ……」

「篁君……篁、くん……? 僕は、僕は薬丸自顕流だよ? 僕の流派は『抜き・即・斬』だ。君が撃つより疾く斬れる……このままなら、ヤるぞ! 僕は……ヤるぞ!?」

薬丸自顕流は、如何に相手より早く一太刀を浴びせるかを念頭に置いた、薩摩の撃剣流派である。捨て身の一撃必殺を旨とし、その教えは『抜き・即・斬』と言われる。
有名な少年誌に掲載された剣客漫画にこの「抜き・即・斬」をモデルにした台詞を言うキャラクターが居るが、この薬丸自顕流の教えを参考にした台詞だ。殺華は今、この流派の『抜き』と言う独特な超低空からの抜刀術を撃つ姿勢をとっている。

「兄貴!?」
辻村が、この尋常ならざる状況に口を開く。
「動くんじゃねぇぇぇ!! 其処にいるガキはやろうと思えばこの部屋の端から端迄斬撃できる。俺は”足抜け”するぜ? 辻村。テメェには世話かけるが、この店の権利書と、私の車をくれてやる。親父(会長)には適当に言っといてくれよ……それと、其処の二人のガキは無事に帰してやれ……な?」
辻村は流石に冷静さを保っていられない。
「兄貴! どうしたって言うんですか!? 落ち着いてください、こんな所で刃傷沙汰なんざ、正気じゃあありませんよ! 死ぬなんざ、勘弁してください。どうしたんです」

篁の顔が俄かに曇る……
「へへ、私ゃよ、自衛隊に厭気がさして組織(やくざ)入っても、結局は同じ厭気がさしちまってんだ。何だよこれ? 管轄の署のデコ(警察)に媚び売って、器量無しの乞食ヤクザの兄貴分に文句垂れられて、オヤジぁ歳食って日和っちまって、ヤクザだ右翼だって言ってよ? 結局やってる事ぁ、企業恐喝に薬屋じゃねーか! 贔屓の会社の総会屋除けに、馬鹿な芸能人カツ(恐喝ゆすり)する情報売って、んでもって他団体との抗争はご法度? デコはデケー面して堂々と俺逹をユスリに来て、嘗められっぱなしじゃねーか……おんなじじゃねーか? 何処も彼処もよ、堅気の世界だってそうだろう? 何処いったって、結局団体様の手足じゃねーかよ!」
「兄貴、そんな泣き言言ったてしょうがないでしょう? 世の中そんなもんです、どうしちまったんですか? アンタ、そんな事は百も承知の人だったじゃないですか?」
「どうもこうもねーよ……情けねぇよ。挙句にぁしっかりやってたと思った仁八は下らねークーデターごっこにうつつを抜かしてやがってよぉ。アンタ、私のこの気持ちなんて分かりはしないでしょう?」
「啼くなぃや……国友」
「泣いてなんかいねぇよ……ただ、テメェの下らねぇ謀(はかりごと)は勘弁出来ねぇだろうが? 殺女(さつめ)を利用するのは……勘弁出来ねーぞ!? 仁八!」

「篁君っっ!!」
キン! と音が鳴った。
殺華がガチガチと震えながら、刀の柄を握り鯉口を切った。
(鯉口を切る:左手の親指で刀の鍔を押し上げ、直ぐに抜刀できる状態にする事)

「僕、ぼぼぼ僕は、頼母家に従っている。だから、篁君を斬る……でも、でもでも、たた、篁君を、殺したくないょぅ……!」
殺華は忙しなく右目をグルグル回しながらガチガチ慄然している。

「あ? お前、どうした?」
殺華を見た途端、頼母が血相を変える。
「こやいかん!! 殺華、納刀じゃ! 殺華ぁぁ!! 納刀せい!」
「だ、だだ駄目だ、頼母君の死は……う、受け入れ難ききき、受け入れる事相叶わぬ故に、也けりニ……」
「議を言な!(ぎをゆな:意・つべこべ言うな)」

「! ……頼母君」

殺華は、それを聞くとへなへなとその場にへたり込んだ。
「はぁっ……は? はぁ、はぁ……あぁぁ、僕は、僕は……頼母君? どうして?」

「俺いは死んだも同然の身、篁国友が俺いに駄目というならば……仕様がないこつじゃ? そっじゃいな、国友?」

「い、厭だょ……僕は、そんなの嫌だよ!! なら、僕もそこに攣れてってくれよ? 頼母君、篁君?」

「早く撃ちやい、国友」
「テメェ……」
「たた、た、篁君!」

ゆっくりと立ち上がる頼母。
「国友ぉ……何処も彼処も一緒か? お前さぁも、この時世に厭気がさしてるっじゃがな……もう、やめたいか? その命」
その問いに、篁は目を背ける。
「一緒にしないでよ……アンタなんかと」
「捨てる命ならば、俺いん為に使いやい。嘆くんよか、ひっ飛んでからひっ死ね(ひっちね)!」
「……」
頼母は部屋にいる全員の顔に視線を流した……

「俺いと一緒に、俺いの為に死んでくいやい。どうか、頼せ(たもんせ:意・お願いだ)」
「なら! 何か変わるってっ! 言うのよ!?」
頼母は篁の頭を自分の肩に抱く様に持っていく。
「変わらんかもしれん、惨めに死ぬるかもしれん、そいでん! そいでん、俺いはお前さぁらと一緒に行きたいと思っちううんじゃ……」

「仁八、貴方は本当に……ずるいわ」

Re: キチレツ大百科 ( No.68 )
日時: 2016/02/14 06:29
名前: 藤尾F藤子 (ID: ok2.wYGL)

「国友? 何処に行ったとしても、何処へ逃げたとしても、其処にはお前さぁが望む世界などありゃせんぞ。人が造りし社会、人が造りし世なんぞそげなモンじゃ……」
「知った風な口っ……!」

頼母(たのも)の声は、涼やかに何処か優しげに篁(たかむら)に響いている。しかし、篁にはどうしてもそれを受け入れる事は出来ないでいた。それを受け入れてしまえば、何処までも何処までも吸い寄せられてしまう……

頼母は、国内で事実的な軍事クーデターを画策している。
後ろ盾になっているのは、事もあろうに現職の防衛大臣補佐官だ。
しかもその資金は多くの現職政治家、九州地方を中心とした財界人、そしてロシアの新興財閥からも調達している。そして其れに依って三国内伝機智家典拠集・機智烈大百科を入手し、殺女(さつめ)と言う暗殺人形を量産する事で、秘密裏に極限られた小規模の部隊での蜂起を決行するというのだ。

それは、日本と米国との関係の切り崩しを意味している。

もし、日本国内で本格的な内戦が起きたならば……
海外の投資家は急いで円を売りに出す。それは、円の信用価値が揺らぐと言う事。日本の通貨『円』は”価値”ではなく”信用”に於いて売り買いをされている。
それは国家の安全、トドの詰り”信用”が無くなれば一気に意味をなさない紙屑以下に成ると言う事だ。
其の上、現在日本は金融緩和や増税により、日本の国債の信用価値は大きく格下げしている(※実際には格付会社ムーディーズのランキングは利益還元比率=利子のみの格付け)
円が安くなるという事はドルが上がるという事になる。が、アメリカが大量に刷った無価値な米国債はほぼ日本が買い取っている。其れ等は全てがウォーエコノミー(戦争経済)によるイラク戦争等で米国が使った大量の戦費の尻拭いである。
日本政府(この場合は主に財務省)は赤字国債に恐々とし、金融緩和をさらに進めるだろう。それはシニョリッジ活用だ、つまり紙幣をジャンジャン刷る、それはインフレーション(通貨膨張)を起こす。
其れ等は公共事業(土建屋)や公益法人、特殊法人に配られる。そして社会保障を理由として、増税を一層厳しくする事で賄われる。だが、日本国民の個人金融資産は預金と保険が多くを占めている。それらはインフレや円安等で一気に価値が下がるのだ。輸出の拠点は海外であり、輸入の拠点は国内である。そして、クーデターにより物価は高騰、給料は下がる……この国はハイパーインフレーションの後に、如何にもいかなくなりスタグフレーション(経済の不況と共に停滞状況になる事)に陥るだろう。
インフレーション(通貨膨張)、日本銀行の健全性の崩壊、円の暴落、日本の円建て資産の大暴落。
日本の『価値』が揺らぐ事で一番の打撃を受けるのは米国である。それは、真綿で首を絞める様に米国を嘖む事になる。
軍事クーデター等を起こせば何れにせよ、やがて日本と米国は共倒れになるだろう。それは、篁ですら容易に想像のつく話だ。

篁は頼母の肩を掴んで言った。
「貴方は……そんな事をしてどうしたいのよ、仁八? 貴方に何の得があるっていうのよ!」
細長く編まれている、篁のドレッドヘアが震える様に揺れている。
「何の得もなかぞ。だが、それが何だというのだ? 国友……俺いは命も、名も、金も富も何もいらん。そんなものどうしたというもんじゃいや」
「それは貴方だけの考えよ? 此の国の全部がそう考えられる訳じゃないのよ」
頼母は、悠然な風の吹く様な瞳をしている。誰だって、こんな男に魅せられれば、その颯爽に哮る風に巻き込まれてしまう事だろう……
「国友ぉ、”貨幣”も”信用”も”価値”も、天が与えたもうたものではない……飽く迄も人の約束事にすぎない。金も株式も国債でさえも其れ自体では何の価値も無く、数字上の額などは実に曖昧な蜃気楼の如く揺らいだ存在だ。しかし今や国家も、社会も、それを動かす筈の人間でさえも、この蜃気楼の都の住人であり、奴隷じゃ……そいが俺いには我慢出来ん、お前サァにも”其れ”が嫌と言う程解る筈じゃ。如何や? (いけんや?:意・どうだろうか)」

溜息が一つ消えていった……
「そう、そうね……私は、退屈をしていたのかもしれない。お前の言う蜃気楼が構成した街で、シノギをしながら生活していても、何時もその砂上に揺らぐ楼閣に虚しさや憤りを持っていたわ? でも……私達ヤクザもんだって、砂上に楼閣を積み上げた一つの要素よ。そう考えると自分が一体何をしているのか、何がしたいのか分らなくなる」
頼母は敢えて何も言わなかった。

「そうね……どうせさっき捨てた命よ? 貴方について行くのも、いいかもね?」

「応! 俺い逹で、いっどこん国ん幻を撃ち攘ってやい申そ。もう俺い達は死んでん身じゃろっが? そう想えば、失敗なんぞに畏れを抱く必要なぞ何処でんあろうか、なぁ……」
部屋の中には、風など望むべくも無い筈なのに……篁の頬には何か吹き抜ける様な震えが疾って消えていった。

Re: キチレツ大百科 ( No.69 )
日時: 2016/03/17 02:28
名前: 藤尾F藤子 (ID: QNccqTkk)

「殺華(さつか)起きんさいや、いけんしたか? どれ、見せてみんさい」
頼母仁八(たのもじんぱち)は、刀を抱いたまま蹲る殺華の前で腰を屈めた。そして、殺華の頬を両手で持つと、その右目の奥を除く様に見つめる。
「んん、まだ少し不安定じゃな。国友、水を持ってきてくいやんせ?」
篁国友(たかむらくにとも)の弟分の辻村が、それを聞くと直ぐ様冷蔵庫からペットボトルの水を運んでくる。
「殺華、お前サァはもう少し長か腰巻きを履きんさいや。それでん腹が冷えっぞ?」
その瞬間、殺華の瞳がギロリと頼母に向いた。

「お前は! お前と言う奴は……! 仁八!!」

殺華は、頼母を胸に抱く様な形で床に倒れこんだ。
「こやっ! 殺華どげんしたか、やめんさいや! どうした?」
「黙れ黙れ!! 仁八ィ貴様っ……!」
「くいっ殺華、もう俺いは子供じゃなかっぞ」
殺華はそれでも頼母を離さない。
「黙れ!! お前がっ、お前が赤子の頃に背におぶってやっていたのは誰ぞ!?」
「殺華……くるしかぞ」
「誰ぞ!?」
頼母は、とうとう観念したかと思う様な顔をしながら言った。
「わかった、わかった。お前さじゃ、殺華……」
「お前が童(わらし)の頃に手を引いてやったのは誰か!?」
「お前さじゃ……」
「そうだ! 我は、お前を小童の頃から面倒を見ていたぞや!? それが、其れが何だ仁八、お前はっ……! この我と共に戦場の中で死んでくれる筈だったのではなかったのか!? そのお前が何だ先程は! まるで自決をするかの如く諦めた顔をしてっ!」
「わかった……悪かった。殺華、分かったから離しんさい、な?」
「うるさい! お前なんぞはっ、いくら図体がでかくなろうとも、この我にとっては童ぞ!? それが……っ! それが、この我を前にして斯様な場所にて同輩をして自決するが如く死ぬるなんぞ……我には罷り為らざるぞ!!」
頼母は殺華を抱く様に手を回し肩を叩く。
「わかった……わかたぞぃ殺華」
「このわっぱが……生意気だ」
殺華は、只管に頼母の頭を強く抱きしめる。

篁が頼母の後ろに腰を下ろす。
「殺華……ごめん」
殺華は篁の目を見ない。しばらく俯いたまま黙っている。
やがて、殺華は下を向きながら呟いた。
「もう……喧嘩しない?」
「しない」
殺華が顔を挙げ篁を見据える。
「本当に?」
「ええ、本当に」
篁は屈めた自分の足を軽く叩くと、殺華は無言で頼母から手を離し篁の肩に頭を埋める。
「僕を残して勝手に死ぬる事なぞ叶わんと思え……」
「ふふ、そうね。そう……ね」
篁は其のまま殺華を抱き上げて、まだ意識の溷濁している巳白の元へ行く……

「おい! 二等兵、てめぇいつ迄だらしなく座っていやがる。あ?」
巳白は壁に凭れながらよろける様に立ち上がる。
「すいま、せん。いって……」
篁の鋭い視線が、巳白を観察する様に上から下へと流れまた巳白の瞳に戻ってくる。
鬼の顔が巳白に迫る。
「この野郎ぁ……私の前に出やがるたぁ、いい度胸してんじゃねーか……テメェ名前はぁ!?」
「さ、さんじょう、みしろです……」
「聴こえねーぞぉ!! シャキッとしろこの野郎!! 嘗めてんのか? あぁぁ!?」
「さ、三条巳白であります!!」
巳白は声を振り絞る。
「馬鹿野郎、うるせーぞ! この野郎!!」
「も、申し訳ありません!!」

「その調子でしっかりやれよ、この野郎……」
「は……はい!!」
そう言うと篁はほんの少しだけ口元を綻ばせた。
「おい仁八、まぁまぁの若ぇ衆(わかいし)連れてんじゃない?」
「応! 巳白……? お前さぁがおらんかったら俺いは今頃死体で転がってんとこじゃっぞ? あいがとさげもした」
「いえ、すいません……俺、一発でのびちまって。その……」
「バカ野郎、二等兵! てめぇ、過ぎた事ぉガタガタ悔やんでる暇なんざねんだよこの野郎。そんなシミったれた考えで有事の際に敵の真っ只中でどうすんだ!? まさかお前、その中でネチネチ考える積りか!? そんな奴ぁ、真っ先に死ぬぞ馬鹿たれが!! 気合入れろテメェ!」
「は、はい。すいませんでした!」
「馬鹿野郎、一々ペコペコ謝ってんじゃねーぞ二等兵!!」
「はい!!」
「国友、楽しそうじゃな。お前さぁは……」
「楽しくなんざねーよ、お前が若いモン甘やかしてっからだろーが……そうだ! お前っ!」
そう言いかけた篁は、抱き上げていた殺華をソファーに放る。
「うわぁぁ、乱暴だぞ! 篁君!!」
ソファに投げ飛ばされ転がる殺華。

「てめぇ仁八! 殺目(あやめ)はどうなってる!?」
頼母は左手のROLEXの文字盤を見る……
「ん、確かに連絡が遅い。こや苦戦しちうるか……ふふ」
「呑気に笑ってんじゃねーぞ! 仁八ぃ! 溜池っつってたな? だとしたら、警視庁の銃隊と常備隊がわんさか出てくぞ。どうすんだコラ! あ?」
「んん、そうじゃな。迎えにでも行くか……?」

篁の貌が一瞬、ほんの一瞬だけとても暴力的な笑みの様なものが走り抜けた。

「兄貴! それだけはなりませんよ!! アンタどうかしちまってる、サツカン(警察)に面と向かってヤらかすなんざ正気じゃあありませんよ! 頼母さん、ウチの兄貴に変な空気入れるのは勘弁して貰えないですか! こんな話が耳に入っちまったからには、ハイドウゾとはいけませんよ!」(※空気入れる:意・話を吹き込む、調子付かせる)
辻村はとうとう我慢できずに二人にそう言い放つ。

それは当然の話だ。ヤクザが警察を相手に殺人などを犯せば、死刑である。そして、警察を本気で怒らせてしまえば組織の切り崩しに本気なる。
篁は、愛粋会 佐々連合会(あいすいかいさっされんごうかい)と言う関東の広域指定暴力団の二次団体幹部で、外郭団体の右翼団体、日本皇道挺身隊(にほんこうどうていしんたい)の幹部でもある。当然、警察にはB登録(暴力団組員登録)されている。
警察は、篁の住所、口座、主な収入源などを大体把握している。何かがあれば即刻逮捕状請求ができるのだ。しかし、篁や愛粋会では店の実質オーナーの名前や登録にダミーの堅気を使い、シノギなどをこなしている。しかし愛粋会は管轄の署などにある程度の金を収め且つ、警察の面子に関わる事件を起こさないと言う秘密協定を敷く代わりに存在を許されている様なものなのだ。多くの暴力団も似たような協定を以って社会や警察との共存を成している。

警察との約束事を反故にすれば、存在は許されない……その組織丸ごとが。

「兄貴は……本当に死にたくなっちまったんですか?」
その時、頼母が笑いながら辻村に語りかける。
「辻村君、その点は心配なかっぞ! 篁国友には俺いと同じく死んで貰いもんそ」
「何を……」
「まぁ、言うなれば死亡届を偽造しうっぞ、俺いも既に戸籍上では死んでんこつになっちううがな」
「なるほどね……いいじゃない? とっととお願いしたいわね。辻村? アンタには迷惑かけたわね」
篁は机から、店の権利書を出し車のキーを投げた。
「アンタにあげるわ」
「兄貴、アタシはあんな派手な車には乗りませんよ!」
「最新の458イタリアよ? まぁ気に入らなかったら売り払いなさい」
「そういうこと言ってんじゃねーんすよ! アタシはっ! 兄貴」

「ごめんね……辻村」

「アンタ……本気ですか!? 兄貴」
ブルブルと震える辻村。
「だから……姉貴って何度言ったらよ? お前。最初から最後まで勝手ばっかだったな私は……」
「そんな貌、やめて下さいよ……兄貴」
篁は、口を摘むんだまま部屋の天井を仰いだ。

Re: キチレツ大百科 ( No.70 )
日時: 2016/02/18 03:19
名前: 藤尾F藤子 (ID: MKBom4Aq)

シックな紫色のソファに、篁(たかむら)に投げ飛ばされた殺華(さつか)が寝転がっていた。そして、仰向けのまま自分の義眼をクルクルと指で摩り巳白に残りの右目の視線を送る。
「まったく巳白君は情けないなぁ〜、一発で沈んでしまってからにー」
ニヤニヤ巳白を仰向けに眺める殺華。

三条巳白(さんじょうみしろ)は徐々に腫れてくる頬に手を当てながら浮かない顔をしている。
「うっせぇ……」
殺華は相変わらずニヤニヤ。
「僕だったら、彼処では素早く身を躱しつつ後ろに下がりて、相手の上体が振り抜いたところを狙って一発サ!」
「そんな簡単にいくモンかよ! 気づいた時に床に額擦り付けてたよ」
「気を抜いているからだよ、シャキッとせんかい、二等兵! バカヤロ、コンニャロ」
後半は篁の喋り口調を物真似したらしい。殺華は仰向けのまま、相変わらずに無邪気な笑顔を向けている。ツインテールにした長いブロンドの髪がソファから床に零れている。しかし、巳白にはそれに突っ込む気力は残っていかった。

自分の意識に身体がついていかなかった。篁にあっけなく圧され、気づいた時には殺華が刀の柄を握っていた。殺華が刀の鯉口を切った時、巳白は初めて殺華の殺女(さつめ)という暗殺人形の本質を、実際にその目に垣間見たような気がした。
”殺氣”というものに初めて触れた。

いとも簡単に、死を受け入れようとした頼母。刹那に引き金に指をかけた篁。殺華は本気で、慕っていた篁に向けその刀を抜く覚悟をしていた。

”議を言うな”この一言は、薩摩隼人の士族精神学を受けた者には絶対だ。
”言い訳は罪である”
西南戦争後、頼母家に従い徹底的に薩摩の士族精神と薬丸自顕流を叩き込まれた稀有な殺女である殺華。順って殺華は選択の余地なく引かざる得なかった。
だから殺華は、あんなにも頼母仁八に怒っていたのだろう。

あの場で自分は、何もできなかった。巳白にはその事が蟠る……

「どうしたの? 痛いの?」
「なんでもねぇよ……」
殺華は不意にその表情を嫋やかな微笑へと変えた。
「イイのサ……今はそれで。君は若いんだ、今はそれでいいのサ」
巳白は、何か言葉を紡ごうかと思ったがそれは思うように口からは出てはこなかった。
仰向けのまま、殺華の瞳は巳白を捉えている。
「篁君も言っただろう? 悔やむ事自体が、時間の無駄さ。状況は刻一刻とその姿を変えるよ? 悩む位なら、次を考えるんだよ? 巳白くん」
「あぁ、わかってる。ただ、一瞬だった。全部が一瞬だった……あんな一瞬は、人生で初めてだったよ。でも、自分の不甲斐なさは消えないんだ」
「ならば、次に来る”一瞬”はひっ死ぬ(ひっちぬ)覚悟でいけばいい……大丈夫、君はあの場で動いたんだ。今は、それで十分サ」
「ひっ死ぬ覚悟か……俺にはまだ、そんな事は逆立ちしても言う権利はないな……」
「気に病む必要はないのさ、そういえば殺目(あやめ)ちゃんも篁君に初めて会った時にぶん殴られていたよ。いきなり張り倒されたんだ! 僕もびっくりしたよぉ〜うふふ」
「殺目が!? 嘘だろ?」
ごろりと体勢を変える殺華。
「すごいんだから! いきなり挨拶もなくブン殴られたんだ。なんか理由は目付きが悪いとかなんとかだったよ。衝撃的だったな……あんな事をいきなり殺目ちゃんにする人間は、其れまで見た事がなかったよ。フフだから、君も大丈夫さ。男だろう? 過ぎた事なぞ何を悩む事があろうか」
殺華の左目の、黒い星の義眼が巳白の前でクルクル回っている。
「あんまり弄るなよ、それ……」
「癖なんだよ、溜飲は下がらぬか? 巳白君?」
殺華の問いに巳白は首を振る。
「いや……もう気にしない。あのさ、あ〜、あれだな……その、有難う。な?」

ソファに寝転がりながら、頬杖を付いている殺華の笑みが無邪気なものと変わる。
其処には何だか妙なものを感じさせる。先ほど、頼母をその手に抱きながら怒って居た時にも垣間見えた。何か殺華には時折にひどく長者の趣を覗かせる時がある。永く此の世に在り続けたが故なのだろうが、普段の殺華にはそんな素振りは微塵もない。
その無邪気は、また一面でしかないのだろう。ただ、巳白には殺華のその一面に救われた思いがあった。

「フフ、十分と恩にきてくれたまえよ〜」
「それと、感謝ついでなんだけどな?」
「なんだね!? 何かくれるのかね!!」
義眼を一際にくるくると回す殺華。
「スカートが捲り上がってる」
「のわぁぁぁ! 早く言ってくれたまえよ君はぁ! なら何かね、今まで僕は下着を見せながら喋っていたという事かね!? カッコイイ僕のセリフが台無しではではないかねぇぇ!!」


篁と辻村は、何やら神妙な面持ちで話し込んでいる。あれは巳白には立ち入れない内容だろう。また違う世界の話なのだと巳白は思った……
篁国友は、ヤクザから足を洗って教導団に復帰するのだろうか? 
「あの人は不思議な人だな……初めて逢った時にも感じていたんだ。頼母さんとはまた違った何かを持っているんだ。うまく言えないんだけど、なんだろうな」
そそくさと短めの黒い柄のタータンチェックのスカートを直す殺華。
「ん、オホン! 不思議か……そうだね。篁君はね、暴力の人だよ。でも何時も本気さ……本気で向かうんだよ、下の者にも上の者でもサ! だから殺目ちゃんも其処に靡いたのかもね?」
「本気? ……本気か、そうだな。本気だから、あの時頼母さんにも」
「暴力人が、暴力団に入ったのだから、正しく真の暴力団組員だょ〜アハハヒャヒャ!」

「うるせぇ! 聞こえてるぞテメェ」
「ひ、ひぃ〜」

辻村が篁に掴みかからんばかりに肉迫する。
「兄貴、話逸さんで下さい!」
「辻村よ、私はやっぱりどうしても彼処にいる馬鹿ガキや昔の馴染みが放って置けねぇょ」
「じゃあ、組の連中や親父や、俺達はもうどうでもいいって言うんですか!?」
「バカヤロウ……んな事ある訳ねーだろうが……馬鹿野郎」
篁は、下を向きながら顔を曇らせた。僅かに唇を喰む……
すると、頼母は涼しい顔で呟いた。
「別にヤクザを抜ける必要はなかっぞ、そいにどうじゃ? 辻村君も一つ俺いに協力してもらえんだろうか?」
辻村の顔に、困惑が滲む。
「貴方は一体何を考えていらっしゃるのですか? 私には先程の貴方の話はどうにも理解できやしません。しかし、私もこの世界の端くれです。聞かなかった事にして胸に仕舞っておきましょう……しかし、ウチの兄貴を巻き込む形でデコ(警察)と正面切るなんざ勘弁です。それは受け入れられませんよ!」

「フフ辻村君? 俺いは警察だけでんなか、國を相手にしちうう積りじゃ。君もこんな場所で何時までも薬を売って、企業や政治家なんぞと癒着し、時にはそれを脅すなんぞ小さか事で満足している細かか男には見えんが、如何かいや?」
「兄貴の古い馴染みでも、組のシノギの話に口を挟まれるのは心外です。頼母さん」
「俺いはな? ヤクザを良い悪いなんぞに是が非を問うつもりではなかぞ? それも此の国の一部じゃ……俺いは判断せん、しかしな? お前さぁはもったいなかぞ、と言いよる」
「もったいない? このアタシが? 頼母さん……良い加減にしてください、アタシは佐々会長の杯(さかずき)受けてんです。自衛隊なんて入れる訳ないでしょうに!」


「小き事よ……何も要らん。男が死ぬ時には、何も要らんじゃろ?」
閑閑たる空気を纏う頼母……

殺華がピョコンと跳ね起きる!
「うん! 辻村君も篁君と一緒においでよ! 大体もう僕らは自衛隊でも何でも無いんだから、そう、僕達は”何でも無い”んだ! そんなコダワリは小事だょう! バカヤロ、コンニャロ! 自衛隊でも。軍隊でも、暴力団でも、関係ないんだょ! バカヤロウ」
「やめろ! 馬鹿、殺華……す、すいません」

辻村が小さく呟いた。
「小き事……?」

その時、巳白のジャケットから携帯電話の音が鳴り響く。
その音が部屋に轟く中、頼母は僅かに唇の端を上げた

「フフン……では、大事を成すこつにしうっぞ?」

辻村はその頼母の貌に、恐怖と同時に嘱目せざる得ない何かを見ている自分に気付く。


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