複雑・ファジー小説
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- キチレツ大百科
- 日時: 2016/01/06 12:05
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: .5n9hJ8s)
「起キル……」
「起キル……」
あぁ、うるせーな。俺は昨夜も”発明品”の開発でいそがしかったんだよ……眠らせてくれよ。
「起キル……」
「起キル……」
微睡みの海の底、聞こえる女の子の聲。少し擽ったい感覚が夢を揺さぶる波のよう。
ふと思うんだ、これがクラスメートで皆のアイドル、読田詠子、通称”よみちゃん”だったらいいな……て。いいさ、わかってる。どうせ夢だろ?
夢の狭間で間の抜けた自問自答。
そいつが、嘲るみたいに眠りの終わりを通告している。
「キチレツ、起キル”ナニ”!!!!」
Goddamit!
そう、いつもそうなんだ。俺の眠りが最高潮に気持の良い時に、決まってコイツが割り込んでくる。俺がご所望なのはテメーじゃねんだよ?
「くっ!? 頭に響く、うるせーぞ、ポンコツ! テメー解体して無に帰すぞガラクタがぁ!!」
「なんだと〜、やるかぁ!」
部屋の中には、日差しが差し込み、ご丁寧にスズメの鳴き声が張り付いてやがる。うっとおしい事この上ない程真っ当な朝だ。
「最悪だぜ……」
目の前の”ソレ”を突き飛ばし、机の上のタバコを探す。
「あん? モクが無ぇぞ、昨日はまだ残ってたんだけどな……」
「中学生デ、煙草ハ駄目ナニィ! 我輩、捨テテオイタ、ナニ!」
俺は目の前の”ソレ”の髪を掴んで手元に引き寄せる。
「テメー良い加減にし無ぇと、マジでバラすぞ。人形!」
「ちょっ、痛い痛い痛い! やめてよ、キチの馬鹿! 中学生で煙草吸うキチの方が悪いんじゃ無い! い、いたぁあい、我輩のポニテから手を離すナニィ!!」
「キャラが崩れてんだよ、人形!!」
「に、人形じゃないナニ……殺蔵(コロスゾ)ナニ……」
くっ……頭が痛ぇ。
俺の名前は機智英二(きちえいじ)皆からはキチレツなんて呼ばれてる。
俺は江戸時代の大発明家、キチレツ斎の祖先だ。キチレツ斎は結構名の知れた人で、当時の幕府御用達の発明家て奴だったらしい。初代キチレツ斎は太田道灌の元で江戸城の築城に協力して以来、機智家は徳川家から引き立てられたという経緯と親父が言っていた。
そんな家だったら、何か凄い物があるだろうと物置を調べていた時に見つけちまった。
この少女の形をした”発明品”殺蔵を。しかも運悪くうっかり起動しちまいやがった。
わかるか? 自分の先祖がこんな、少女人形を作成してた真性のド変態だと分かった時の気持ち……夜な夜なこんな人形使って遊んでたと思うと反吐がでるぜ! その俺の気持ちを察したのか、俯いたまま殺蔵がぼそりと呟いた……
「我輩は、武士ナリよ……」
俺はイラつく。
「テメーのその見た目でどうして武士とか言えるんだよ? どうみたって弱そうだし、大体女の武士とかいねーだろ? じゃあ、なんでその見た目よ? どう考えても、いかがわしいんだよ! お前はそういう目的の為の人形だろう!?」
「違うナニィ!! わ……我輩は、武士ナニィ! 武士……ナニよ」
「チィ! うぜぇ……」
曲がりなりにも尊敬していた先祖の正体が倒錯的な変態である……
そいつは憧れてた役者やアイドルがシャブ(覚せい剤)や痴漢で捕まった時位ショックなもんだ。
涙目で抗議する少女のカラクリは、俺らの年齢と大差ない姿形だ。
キチレツ斎さんよぉ、それぁ無ェぜ……
「英二〜、ごはんよぉ。殺ちゃんも早く降りてきなさ〜い」
この部屋の重たい空気も知らずに、圧倒的に間の抜けた声でお袋の声が聞こえてきた。
だが、そいつは俺にとっては好都合の助け舟だ。最早、徹也明けの眠気などどうでもよかった。殺蔵が急いでティッシュで涙を拭っている、その横を俺は知らんぷりで通り抜けた。
- Re: キチレツ大百科 ( No.56 )
- 日時: 2016/01/20 23:48
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: 42vEC8Xu)
ガツン、と言う音と共に山王パークタワーの電源が落とされた……
オフィステナントの制限区域の電源は、ビル内の中央監視センターで統括している為、其処に警察が入りそう指示したのだろう。
区域内の電灯は消え、非常灯に切り替わる。完全にでは無いにしろ、自ずと視界の範囲は狭められる……
闇は怖い、暗がりには何が潜んでいるかわからないから。これは人間の原始の、古からのDNAに受け継がれたであろう防衛本能だ。
「チィ! ここで電源を落としたか」
殺目(あやめ)は苦々しく吐き捨てた。左手に握る詠子の手に僅か力が入ったのが伝わる。
「ねぇ……どうしたの? これ」
詠子の声色に、少しながら恐怖が滲んでいるのが分かる。
「電源を落とすという事は、連中が形振り構わず進攻してくるという事サ。マズイのは灯りを消すと言う事は、フラッシュバン、特殊閃光弾を使う気だという事だ」
「特殊、閃光弾? 爆弾か何か?」
「いや、スタングレネードだ、それを食らうと、100万カンデラの閃光と150デシベル超の大轟音で、三半規管がヤられる。つまり、自分の立っている位置も解らない程の見当失調に襲われる」
「死ぬの?」
闇の中、詠子の手を引きながら笑う殺目。
「死にはしないサ、ただ一時的に行動不能に陥る。それは御免被るな」
「どうするの……」
「音と気配がしたら、その場で射撃突入、近接に入り白兵戦……かな」
「結局、誰か死ぬじゃない……!」
「私とお前は死なない……でも、それは敵を私が殺すからだ」
「そんな! もう、止めてよ……ねぇ、お父さんのオフィスに行かせて! もしかしたら……いえ、きっとお父さんは、まだ……」
歩みを止める殺目。
「小煩い……お前なんぞに、あの場所は堪えられない」
「え?」
「お前は、あの場所に立っている事さえできない。あの場所で……血溜まりと、切断された肉塊の中から父親を見つける事なんてできやしない。お前なんぞには、あの場所の色、臭い、血膿に濁る空気に、堪えられる訳がないよ? 彼処は、お前の場所じゃ無い」
暫く詠子は俯いたまま、喋らなかった。
それでいい、黙っていろと殺目は思いながら、闇の中の先の音を探る様に歩く。
非常灯の明かりは、目が慣れてくればやや視界が広がってくる。しかし、それは一般での行動に於いてと言う事だ。
戦闘、闘争行動に於いての視野は、平面視野よりも予想外の角度からの動的静的視野におもきを置かれるという事は言うまでもない。
これは、自らが止まっていれば感じる事が比較的容易ではある。しかし、戦闘に於いての緊張状態でそれを探りながら進攻するという事は容易いものではない。
其処に、居るのか? 居ないのか?
戦闘行為に慣れれば、慣れる程この感覚を持つものだ。相手が確認できない事、それはとても”怖い”のだ。しかし、怖さが解らない者では戦場を生きて渡れない。
闇雲に何でもかんでも突入する者は素人である。
闇の怖さ、銃口、刃物の煌めき、油断すれば、自らの血の臭いを嗅ぐ事になるだろう……一瞬の隙をついて、視覚外から攻撃がくらば避けるのは非常に困難だ。そして同時にそれは敗北と死へと直結するのだ。
敗北の末の死なら仕方ないと、殺目は想う。しかし、それは自らの全力を賭した末の死であらねばならない。それは、身を焦がす程の想いと衝動で殺目を動かしている。
だから、初戦で相見えて見事に散っていった機動隊員達にどこか愛おしさの様な感情が湧いたのであろうか?
最早、薄闇になった空間が、静寂と共に殺目達の前で口を開けている。
「薄かろうが……怖いのさ。此処も」
その時、僅かに遠くで闇が蠢いた!
「お前、詠子か!?」
闇の中から男性の声がする、恐らく足音や音の反響から一人でいる事が分かる。
「なんぞ?」
殺目は、詠子の名を呼ぶ声の持ち主に銃口は合わせている。しかし引き金にはまだ指を掛けていなかった。
「?」
一瞬の間が空いた、そして殺目の手を振り解く様に詠子がその闇に駆けていった。
空いた左手の温もりが消え、右手の太刀の柄の冷たさだけが殺目に残る……
- Re: キチレツ大百科 ( No.57 )
- 日時: 2016/01/23 01:11
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: sG1VGK29)
「あぁ……まだ、いたのか」
氷の呟き……
「お父さん! 私、お父さんがどうしたのかと、思っ、思って、その」
薄闇での邂逅は、読子(よみこ)にとっては、正にこの世の奇蹟を全て掻き集めた程のものだったに違いなかったであろう。
「まるで、盆と正月がいっぺんに来た様な喜び様だ……」
少し、見当違いだが殺目(あやめ)にはそう感じた。こういった所から、殺目には、人間の情緒的感情の機微の様なものが欠如している事が分かる。
「すまない! 読子、でも待ち合わせは27階と言っただろう!」
「ごめんなさい! 下のオフィスで、事件があったって大騒ぎになったから、何処だかわからないけど手当たり次第に駆け回ってたの……そしたら」
詠子の父親は、その手に詠子を強く抱きしめる。
「すまない、少し早めに会社を出たんだが、偶然取引先さんとレストラン街で鉢合わせてしまって、騒ぎに気づくのが遅くなった。でも詠子。ここは、制限区域だぞ……勝手に、入っちゃ……ダメ、じゃないか……!! でも良かった、良かった」
「お父さん……お父さん!!」
薄闇で展開される、父娘の邂逅。その闇の中に、なんだかうっすらと明りが灯った様な暖かい安心。そこには、血や臓腑の臭いも、忙しなくターゲットを探し回る銃口も、人体を切り刻む刃の風もない。唯々、そこは暖かかった。唯々、優しげな長閑が殺目の鼻腔に擦り向けるようにして香っていた。
殺目には、それは外国より、いや宇宙よりも遠い、遠い、本で見た御伽の国の様な世界に見えた。
「子供……か? 畜生(※この場合は動物全体を指している)のそれ共とも違う。人の親と子は……それは恋慕の情とも違う。人の其れは只々無償に思える。何故だろう? 理解し難き事よ、それは、とても不思議なものよな……」
詠子の父親の靴の裏には血が付いていた。
と言う事は、この男は少なくても日本ミラージュの関係者と見て最早間違いない。
殺目は、静かに右手に握る太刀の柄を握りこむ。掌に茎の目貫が当たる。
隙を見て、この男を拝み打ちにて、刃を打ち下ろす気である。
右手て太刀を振り上げ、刃が殺目の頭上を越えた時に右手の握りをやや緩める。と、同時に左手で柄を強く握りしめ一気に体重と共に斬り下ろすのだ。
そして、刃が肉に食い込むかの瞬間に全身で引き込む!
これで目の前の男は、言葉を発する間も無く首の付け根から足の付け根迄は両断できる。
せめて、一撃で絶命せしめる……そう思いながら、殺目は一歩踏み出した。
「お前……自分のオフィスに戻ったんだな? キキキッ! カカカ!」
「!? この……方は?」
怪訝な顔で詠子の父親は聞く。しかし、その目の動揺と恐怖は隠せない。
光る剣尖が殺意を纏って揺らめく。それは強く、しなやかで、研ぎ澄まされていて、とても”怖い”そして、其れを持つ少女は、栗色の長い髪を遊ばせながら薄闇の、その一番濃い闇から向かってくる。
「ち、違うの! この子は、私が途中で倒れている時に、解放してくれた親切な子なの、あやめちゃんて言うの、大丈夫よお父さん!」
「貴方は自分のオフィスの有様を見たでしょう? なら、自分がどうなるか分かるでしょう?」
「何を!? その刀を、使ってオフィスの人達を? それで……あ、貴女が!? 何の為に……そんな事をすれば只では済まない! この国は法治国家なんだぞ、キミ!」
「ふふふ、彼処で斬り捨てられた貴方の同僚全員が、その疑問すら考える間も無く死んでいったよ? 何故にお前だけが、その事の由を察す事が叶おうか!!」
その言葉の終わりには、もうその太刀は振り上げられていた!
殺目の左足が踏み込むと同時に、刃が引き連れる刃迅が詠子の父親に死を囁いている。
巻き布。鮫の皮。其れ等を留め纏める目釘、目貫、ハバキを留める鍔。
恐ろしく研ぎ澄まされた、反りの強い刀身。
それは全てが”死”への為。
斬った相手も、そして自らでさえもきっとこの”死”を受け入れるのだろう。これは、そういった事であり、そういった道具だ。
そう、たった……それだけだ。殺目は太刀を振り下ろす。
「………!」
殺目の前には詠子が父親に蔽いかぶさっていた。
「ぎきぃ! きっ貴様ぁ! は!?」
殺目は太刀を横へ放ると、詠子を父親から引き剥がす。
「あれ? 私、まだ死んでないの?」
「貴様ぁ! もし私が刃止め(はどめ)のできん不得手者だったなら死んでいたんだぞ! いい加減にしろ! どいうつもりだぁ! お前は馬鹿者か」
「だって、だって……目の前でお父さんが殺されるなんて、居ても立っても居られないじゃない? すごく怖かったけど。でもね? でも……すこしだけ、あやめちゃんなら私が飛び込んだらね、助けてくれる気がしたの……ごめんなさい、あの、怒った?」
「お前は!! お前……何故、私は……お前の所為でおかしくなった! おかしくなったよ……」
- Re: キチレツ大百科 ( No.58 )
- 日時: 2016/01/24 17:09
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: Ak1jHfcH)
「左様に死にたくば! 親子共々斬い捨つっ!」
「待って! 待ってください、お願いします」
詠子の父が、娘を抱きながら哀願する。
「どういった事情があるにせよ、娘は……詠子は関係ありません! どうか、助けてやってくれないでしょうか……お、お願い……いたします」
男は脇目を振らずに、一心で頭を床に擦りつけた。常識的にこの年代の男が、ここまで頭を下げる事などそうはない事だ。
ラペルのバッヂの色がシルバーの事を見ると、恐らくは中間管理職なのだろう。
「憐れのう、貴様ほどのみぶ(身分)みて其か?」
「詠子……私はこの人と話がある。一人でいけるね?」
「いけ……ないよ。だって、だって、そうしたら、あやめちゃんは、お父さんを殺すでしょ? そんなのいや!! 折角、せっかく会えたのに!」
殺目はふと、詠子の父の顔を見た……生意気に、それで死地に出ずる顔か? 思わず笑止する
「汨羅(べきら)の淵に身を投げるに頂戴しても、口惜しき様だな? ん?」
「はは、こ、これも全て自分の責任です。こうなる事も分からずに……娘迄巻き込んでしまったのだからっ」
口から嗚咽を漏らしながら、詠子の父は言った。薄闇の静寂に詠子の静かな慟哭が流れて、やがてリフレインされていく。
「如何にしても死ぬるなら、一つおしえろ……ぬしらと共謀した米国のミサイルメーカーのミリタリーアドヴァイザーの商品カタログの新主力兵器はなんぞ」
「まず、LCIWS(Laser Close-In Weapon System:レーザー・クローズ・インウェポンシステム)これはレーザーを掃射して戦艦、飛行機を撃墜できるシステムです。実際に実験で航空機を撃ち落としています」
殺目は嬉しそうに笑う。
「ふふん良い武器だな。長距離主力にならば、弾道で撃ち落とす阻止砲撃兵器が無効化できる。しかし、そんな事は米国では1980年代のSDI構想、通称”スターウォーズ計画”で既に議題に挙がっていた類の話しだ! そうじゃない、もっと目立たないような形でラインナップの端にあった記事をよく思い出せ!」
「しかし、一社員の私がそれを……」
「安心しろ? 見たであろうが、お前達の会社は最早崩壊している」
「では、恐らく……MALD(Miniture Air Launched Decoy Jammer:ミニチュア・エア・ラウンチド・デコイジャマー)の事かと……これは航空戦闘機の翼部から投下される無人機です。敵航空圏の電子撹乱、電子妨害。そしてその改良型のMALD-Jが開発されています。これは有人、無人機よりも小型な為、レーダー視認が非常に困難な物です」
「それだな……MALD-Jだ。ふふん、お前らが浮かれて凧揚げの如く遊んでいるドローンの果ての姿、いや真の姿だ」
殺目は冷酷に口の端を釣り上げる。
「お前らはまんまと古いカタログを押し付けられたな? 嘗められたんだよレイセオンに。しかもお前らの本当に馬鹿なところは、それら軍需は最終的には閨閥支配されたグループで利益の供与分配をなしている。素人や、況してや日本人等が首を挟む余地などない。その口ぶりでは、お前は兵器の展示会に同行したのだな?」
「はい、通訳と営業を兼ねました」
「では、展示会の客の多くの者達にある違和感を感じなかったか?」
「違和感ですか……」
「ギリシャ人、北朝鮮、イスラエル、フランス……其れ等の客が目立ったはずさ」
「意識してはいませんでした……」
「だから……素人なのよ? 北朝鮮とイスラエルに核ミサイルを用意したのはギリシャの軍事武装マフィアだ、そこがロシアのウランを握る軍事マフイア、マークリッチから濃縮度90%兵器級ウランを調達した」
「ちなみに、現在米国駐日大使館の人間にはギリシャの軍事マフィアの閨閥にいる人間がその席に座っているぞ」
「なんて事だ……そんな、そんな事まで私は、私には頭が回らなかった。知らなかった、そんな事」
殺目は、詠子に被っていた黒いキャスケットを投げる。長い髪がさらりと溢れるように流れ落ちた。
殺目の額の疵痕……
髪の毛で確認ができないが、恐らく嘗て頭頂からの斬撃を受け、躱した時の不覚疵であろう。その傷は左の頭上から右の眉の上を通り耳下迄切り下げられている。
かなりの速さを伴い、斬撃を繰り出しそれを受ける戦いをする為にこの様な疵になったのであろうか? この少女は生半でない凄まじい戦いしてきた証であるだろう。
殺目は一見すれば、人形の様な均一性のある目鼻、そこに香る可憐さを持った顔立ちだ。最初、詠子は自分の女友達、機智家の殺蔵(コロスゾ)の面影を殺目に見たが、しかしこの殺目と言う少女には、何処かその可憐が悲しさ、虚しさを連れている様に見えた。だから、何故かそれがとても詠子には気になる。吊り橋効果の様なものだろうか?
それは、とても恐ろしくて、寂しげで、詠子にはまるでそれが、母を求めて泣き叫び当たり散らす幼児の様な影が見えたのだった。この暗殺人形の殺目に。
投げ付けられたキャスケットを強引に被せられる詠子。
「!? なに? これ……あやめちゃん?」
「それを深めに被って耳をふさげ……」
殺目の眼には、最早怒りも憤りも狂気さえもなかった。
「言った筈よ? 莫迦は死ぬしかない……と」
指先がガタガタ震えて詠子は言葉を発せない。目の前で自分の親が、日本刀で斬り殺されるのだ、これほど恐ろしい事など無いだろう。
足は竦み、その感覚はまるで宇宙の彼方にでもすっ飛んでいってしまったようだ。其処にいるだけで、身を切り刻まれるかのような緊迫感に喉が乾き、手足が痺れる。
夢で遭う、身動きの取れない不自由さによく似ている。
詠子は、今このもどかしさに気が狂いそうになる位絶望を味わっている。今の殺目は先程とは別人だ、話など通じないし、例え通じたとしても、殺目の持つ何か泣きそうになる位の覚悟や肚づもりの前での命乞いなど、逆効果だろう。
ああいった貌をした殺目には、若い詠子の少女的観念からなる親愛や人命等の言葉は、空しく響き打ち捨てられるに違いない。
そこは、さっき迄薄闇で不鮮明な視界だったのに。今は、何故か真冬の空の様によく透き通って見える。なんだか淡いブルーと血と死の漂う空気を纏って……
- Re: キチレツ大百科 ( No.59 )
- 日時: 2016/01/25 23:00
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: DZJdcZOC)
詠子(よみこ)は、透明な闇の中でその情景を見ていた……
跪く自分の父親、恐ろしい太刀を持つ栗色の長い髪の少女。其の眼は、どこか虚ろ気だ。何かを見据えている様にも、何も見ていない様にも見える。
ただ何処か、この闇の虚空の中で、まるで隠れて啼いている様に見えた……
どうすれば良いのだろう? 父親の最期の姿を見送るべきなのか? それとも死力を振り絞ってこの状況に抗うのか?
分かっているのは、これから起こる事は決して楽しい事じゃないと言う事。それは精神(こころ)が崩壊する程の惨劇に違いない。TVや映画のチャンバラで使う日本刀は、”怖く”ない。それは、演出や映画の偽物の小道具だからだと言うだけではない。
それは、本物の日本刀の持つ”迫”が見えないからだ……刀鍛冶が、何度も業火に焼べて打ちに打ち込んで、それを極限まで研ぎ澄ました、この世で一番美しい人を殺す武器だ。極論を言えば、この日本刀は、”日本人”にしか創れないし造れない。
一瞬、澄んだ光が刃に反射した。刀身がユラリと空(くう)に凪ぐ……
殺目(あやめ)が詠子の父の目を見て、一瞬頷いた。
あぁ、これでお父さんは死ぬんだ。
真っ黒い絶望が頭の中にへばり付く。しかし、其の癖に詠子の眼前に映る光景だけは妙に鮮やかだった。
「神様は……意地悪よ」
少しずつ、少しずつ、泪で歪んでいく其の情景に胸が一杯になる。
あっけない音だった。じゃり、と言う繊維を薙ぎ千切った様な音が詠子の耳にこびり付いた。
「いゃぁぁぁぁぁ!!」
薄ぼんやりとした闇を切り裂いて、詠子の絶叫が木霊する。
高校生の詠子には、其の光景を見る事はできなかった。それはあまりにも酷な事だろう。今まで自分を育ててくれた、実の父親なのだ。それが無残にも娘の目の前で、日本刀で斬り殺されたのだ。此れだけ非道い惨状もあるまい。
今まで生きて動いていた父親が目の前で死体、謂わば物体になる。言葉にすればこれだけ容易い事はないが、それは現状に自分の身に降りかかった者だけが、初めて理解できる惨劇だ……
いや、理解など……できやしないのかもしれない。人が、人の死を。
詠子が一番悔しくて、悲しくて遣る瀬無いのは、未だ死んだであろう父親の姿を其の眼に見る事ができないからだ。あの、あまりにも恐ろしく凄まじい、殺目の太刀捌きで斬死した父親の姿はとても見るに堪えるものではないだろう。でもそれが、それがとても悲しく口惜しい。
無音が、とても残酷に時を刻んでいる。どれくらい経ったかはわからない。時々その無音の中に詠子の慟哭が聞こえる。殺目は何も喋らない。只々、黙ったままその場で立ち尽くしている。
「殺死丸(あやしまる)そろそろ出てこいよ? もう此方は済んだよ……」
「ホホホホ、妹よ? まぁ、随分と……変わりましたのね! 以前のお前ならば、そこな娘共々に根切りにしておることだらうに? ホッ!」
左袖の破れたブラウスを、血に染めながら殺死丸が嗤う。
「余計な……刻を生き過ぎたよ? 姉者……」
背中越しに、殺死丸を見つめる殺目。其の目は、どこか縋る様な色を帯びていた。
「まぁまぁ! 情けない事。自分のした事でしょうに? 悔悟を感ずるならば、潔くこの殺死丸に其のソッ首渡し遊ばれい?」
「後悔か……そんな物、そんな物!! 幾らすれば……幾らすればいいのだ!? 私達はっ……!! 何時まで経ってもこうだ! もう、後悔も贖罪も……何をしても、私自体が罪であろうや? 誰を殺せば、誰を救えば、どう死ねば……私は、いいんだ? 姉者?」
透明な闇の中、其れを縫う様に殺死丸が踏み出した。
「ホホホ。幾千の言葉より、幾万の言葉より……我らにあるのは戦場か。古びし骸を乗り越えて、悲歌慷慨に歌えども、我らにあるは此の一閃だろうがや!! そうだろう殺目ぇ!」
「フフ、ふははは。そうだな……姉者? 姉者なら、きっと、きっと解ってくれような? 嬉しく想うぞ……フフフ、参るぞ! 殺丸ぅぅぅぅ!!」
太刀が勢い良く闇に奔る!
その煌めきの刃筋を状態を屈めながら躱す殺死丸。
右手に握る手槍の柄の部分、石突きを殺目の脇に向け突き上げる。
まるで、小枝の折れる様な音が殺目の身体の内側で響いた!
「えウげ……ぇ」
殺目の身体が一瞬持ち上がる。
「ジィィ!!」
身体を捻り、左足の脛で殺死丸の側頭を打つ殺目!
二人の距離が空いた。
蹴りという技は、正しい姿勢から足と腰を捻り力を限界まで抜いた鞭の様なしなりのあるものが正しい威力を発揮する。今の殺目の蹴りは、軸足となる右足の回転をオミットする形で半ば空中で腰の回転のみの蹴りである。蹴りと言うよりは足を当てたという方が正しいかもしれない。
しかし、側頭への軽い打撃だが殺死丸には嫌な攻撃だった。しかし脛の中心で打ち据えた訳ではないので、クリーンな威力には届かない。
殺目にも嫌な汗がにじむ……右の九番と八番の肋骨が砕けた。肋の中でも十と九は比較的骨折のしやすい部所である。
まずい!
殺目は顔を歪ませる、粉砕骨折がまずい訳ではない。肋の粉砕骨折は著しい心肺機能の低下が伴う! どうする!? 殺目は蜻蛉に太刀を構える。
蜻蛉の構えは左足を前に、剣の持ち手を右耳に近い、高いところに持っていく構えだ。
「スゥ……」
息を吐いて全身の力を解く、しかし芯となる足や腰を落としはしない。
殺目は疼く脇を忘れて一心に殺死丸を見る。目や手元を見るのではなく、全体をぼんやりと観ずる様に見るのだ。
殺死丸が、槍の穂先を殺目に合わせる様に揺らす。闇の中に、それがはためく……
「人心は、鏡の如く物来れば、則応ず物は去旧に、依自在曽て物之来る迎へず。亦曽て物之去るを送らず、只是定て応ず応じて定る……お前と私の流派である神道無念流の人心か? ホホホ」
忙しなく剣尖が闇を奔り、信じられない程に僅かな空間や隙を埋める為に、身体の位置を変える二人。どちらにせよ、最初に吹きすさぶ刃迅が先に死を引き連れてくるのだろう。
- Re: キチレツ大百科 ( No.60 )
- 日時: 2016/01/27 00:19
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: ZgrHCz15)
無音の間を揺蕩う刃物の空気。無心の瞳と、ギラつく獣性を帯びた眼光。
忙しなく体位置を変え、千子村正の穂先を遊ばせる殺死丸(あやしまる)。足を肩幅よりやや広めに取っている。しかし、槍を持つ位置が低いので迂闊に殺目(あやめ)はその間合いには飛び出せない。
殺目も殺死丸も、剣は神道無念流がベースである。
この流派は激烈な上段・中段の打ち込み、斬り下ろしを得意としている。
殺死丸はそれに加え宝蔵院流と言う槍術も習得している。つまり、殺死丸は、ある程度の
殺目の出方や、戦術が分かる。
神道無念流は、”力の斎藤”と言われた江戸三大剣術道場、練兵館の流派である。
常に激烈な打ち込みをする事で有名な撃剣術である。
特に有名な剣士としては、長州藩、桂小五郎、高杉晋作、井上聞多、品川弥二郎。そしてもっとも有名なのは、新撰組で最強と伝えられる永倉新八である。
幕末期には、その打ち込みの激しさなどから長州藩の過激攘夷志士達に好まれた剣術である。ちなみに、桂小五郎は”逃げの小五郎”と揶揄される事が多いが、実際に維新後、酒乱で有名な薩摩藩士の強者、黒田清隆が酒の席で刀を抜き暴れている所を見咎め、これを素手で打ち据えている剛も持っていた。
殺目ゆるりと円運動を基体とした足運びで殺死丸の構える槍のサイドに回りこみたい。然し、殺死丸は手槍の直突きで殺目の心の臓を貫き、その上で脇に佩した小太刀で首を落としたい。
正面からの斬突では、殺死丸の迅速を誇る槍の連撃に串刺しになるのは目に見えている。
互いの最も有利な間合いの取り合いが、ややすれば淡々と行われているようかに見えるが、そうではない。その足運び、足の置く位置一つ間違えただけで、鋼の刃が襲ってくるのだ。そう、これはギリギリだ。命すれすれの場所取りのようなものだ。
しかも、その際にも殺死丸は微妙に身体を前後に細かく、ステップイン、バックステップを繰り返し殺目の距離感を惑わすようなフェイントを使う。
正面から相手を見据えた場合、相手の距離が細かく前後に動くと、間合いを見誤り易い。
いくら殺目が激しく打ち込もうが、届かなければ意味がなく、斬り下ろしのタイミングで槍により突き殺されてしまう……
カッカッと殺死丸が身体を揺する度に、高めのピンヒールの音が鳴る。これもある一定のリズムで行っているかと思いきや、急にその緩急が変わる。
殺目の呼吸のペースを崩そうとする算段である。
殺死丸は藍色の長い髪を後ろでゆるくリボンで纏めている。それが薄闇に、躍る様に舞う様が殺目には鬱陶しい。しかし、それに気をとらられば、直様距離を詰めてくるだろう。
格闘技や武術、武道では、上級者に成れば成る程に、このフェイントが重要なファクターとなる。”虚と実”である。無数の”虚”の中に”実”を混ぜる事で相手のペース、リズムを乱すのだ。だからと言って、それに見せかけて突然の捨身の強襲をかける事もある。
”武”と言うものは、学べば学ぶ程にそのジレンマに縛られる事である。
要は明確な答えなどない……そして手放しの最強等と言う言葉は、格闘や武術の前では答えをなさない。しかし人間は、その在りもしない、いや在るかも解らない、其の概念に一生恋い焦がれ、破れて倒れていくものだ……
この二人だって、きっと。
「きぇいやぁぁぁぁぁぁ!」
「!? 来る!」
しかし、殺死丸は動いていない!
空声(ソラコエ)かぁぁ! 気付いた時には、殺死丸は右足を思い切り踏み込み、超低空の姿勢から殺目の左肩に村正の手槍を突き上げた!
鮮血、同時に上腕骨に深い亀裂が入る。そして更に殺目にその硬い穂先が刺し込まれていく。
「ぐぐギィ……」
「ホホ……ほぅら? お・そ・ろ・いじゃ……」
殺死丸の顔に、ギタリとした嬉々が咲く。
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