複雑・ファジー小説
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- キチレツ大百科
- 日時: 2016/01/06 12:05
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: .5n9hJ8s)
「起キル……」
「起キル……」
あぁ、うるせーな。俺は昨夜も”発明品”の開発でいそがしかったんだよ……眠らせてくれよ。
「起キル……」
「起キル……」
微睡みの海の底、聞こえる女の子の聲。少し擽ったい感覚が夢を揺さぶる波のよう。
ふと思うんだ、これがクラスメートで皆のアイドル、読田詠子、通称”よみちゃん”だったらいいな……て。いいさ、わかってる。どうせ夢だろ?
夢の狭間で間の抜けた自問自答。
そいつが、嘲るみたいに眠りの終わりを通告している。
「キチレツ、起キル”ナニ”!!!!」
Goddamit!
そう、いつもそうなんだ。俺の眠りが最高潮に気持の良い時に、決まってコイツが割り込んでくる。俺がご所望なのはテメーじゃねんだよ?
「くっ!? 頭に響く、うるせーぞ、ポンコツ! テメー解体して無に帰すぞガラクタがぁ!!」
「なんだと〜、やるかぁ!」
部屋の中には、日差しが差し込み、ご丁寧にスズメの鳴き声が張り付いてやがる。うっとおしい事この上ない程真っ当な朝だ。
「最悪だぜ……」
目の前の”ソレ”を突き飛ばし、机の上のタバコを探す。
「あん? モクが無ぇぞ、昨日はまだ残ってたんだけどな……」
「中学生デ、煙草ハ駄目ナニィ! 我輩、捨テテオイタ、ナニ!」
俺は目の前の”ソレ”の髪を掴んで手元に引き寄せる。
「テメー良い加減にし無ぇと、マジでバラすぞ。人形!」
「ちょっ、痛い痛い痛い! やめてよ、キチの馬鹿! 中学生で煙草吸うキチの方が悪いんじゃ無い! い、いたぁあい、我輩のポニテから手を離すナニィ!!」
「キャラが崩れてんだよ、人形!!」
「に、人形じゃないナニ……殺蔵(コロスゾ)ナニ……」
くっ……頭が痛ぇ。
俺の名前は機智英二(きちえいじ)皆からはキチレツなんて呼ばれてる。
俺は江戸時代の大発明家、キチレツ斎の祖先だ。キチレツ斎は結構名の知れた人で、当時の幕府御用達の発明家て奴だったらしい。初代キチレツ斎は太田道灌の元で江戸城の築城に協力して以来、機智家は徳川家から引き立てられたという経緯と親父が言っていた。
そんな家だったら、何か凄い物があるだろうと物置を調べていた時に見つけちまった。
この少女の形をした”発明品”殺蔵を。しかも運悪くうっかり起動しちまいやがった。
わかるか? 自分の先祖がこんな、少女人形を作成してた真性のド変態だと分かった時の気持ち……夜な夜なこんな人形使って遊んでたと思うと反吐がでるぜ! その俺の気持ちを察したのか、俯いたまま殺蔵がぼそりと呟いた……
「我輩は、武士ナリよ……」
俺はイラつく。
「テメーのその見た目でどうして武士とか言えるんだよ? どうみたって弱そうだし、大体女の武士とかいねーだろ? じゃあ、なんでその見た目よ? どう考えても、いかがわしいんだよ! お前はそういう目的の為の人形だろう!?」
「違うナニィ!! わ……我輩は、武士ナニィ! 武士……ナニよ」
「チィ! うぜぇ……」
曲がりなりにも尊敬していた先祖の正体が倒錯的な変態である……
そいつは憧れてた役者やアイドルがシャブ(覚せい剤)や痴漢で捕まった時位ショックなもんだ。
涙目で抗議する少女のカラクリは、俺らの年齢と大差ない姿形だ。
キチレツ斎さんよぉ、それぁ無ェぜ……
「英二〜、ごはんよぉ。殺ちゃんも早く降りてきなさ〜い」
この部屋の重たい空気も知らずに、圧倒的に間の抜けた声でお袋の声が聞こえてきた。
だが、そいつは俺にとっては好都合の助け舟だ。最早、徹也明けの眠気などどうでもよかった。殺蔵が急いでティッシュで涙を拭っている、その横を俺は知らんぷりで通り抜けた。
- Re: キチレツ大百科 ( No.161 )
- 日時: 2017/05/15 02:34
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: jXNvrQsU)
月影……草木が闇に仄かと萌える。
夜はまだ、黒檀ではなく、藍色を呈している。
だから、大徳寺は、その足元に生える蒲公英の花を踏まずに歩みを進められる。
背に抱える、安死喩が静かに大徳寺に問うた……
「おい……何で真っ直ぐ歩かナイ? 変な歩き方……するナ、よ」
大徳寺は、事も無げにそれに答える。
「地に、花が咲いておりまする……」
安死喩は、大徳寺の肩を掴んで言う。
「ソンナ物、一々気にスルナ! 踏み慣らしていけ」
この時代、まだ歩道という物の整備は今の様な完璧な物ではなかった。薩摩の様な片田舎では尚更である。この明治、帝都東京は”殖産興業”をスローガンとし、世界でも驚くほどの近代的発展振りであった。東京横浜間では既に鉄道が敷かれている。日本橋では、フランスから持ち帰られたガス灯が導入、設備されている。
しかし、その近代的産業の発展というものも、まだ新しい都たる、東京にのみである。
この薩摩では、未だ封建制度たる武家時代の原風景が一面を嫌になる程広がっている。
何もない、質朴である。凡そ文明などと言うには程遠い光景であった。
粗末な田畑、まぐその臭い……
幕末の雄藩の頂点たる、この薩摩でさえも、その内実は貧困が覆っている。
薩人も、維新によって立身出世したものは、皆、帝都に行くか、西南の役で死んだ。
まだ、この日本は、ただ欧州へ恐怖し、その文明というものに病的な程に憧れを持つ極東の小国に過ぎなかった。
その”情景”と”恐怖”は、後に此の国を悲哀へと貶めていく……
しかし、それはまだ此の国の誰も知らない。
誰も、知り得ない……
”尊皇攘夷””維新回天”次に来る言葉は……『富国強兵』
どの言葉も、思想も、其れを発端とするものは”恐怖であった……
人は、未知を怖がる。無知を恐怖する……しかし、未だこの国は無知を”識った”に過ぎない。それは欧州への無知である。
無知は、よく見えない。それは、認識ができないという事だ。
それは、闇に似ている。その先が見えないからだ。見えないと”怖い”のだ。
見えなければ、その先に行く事ができない。
それは”怖い”から……
だから、人はその無知の闇を歩く為に言葉を”思想”に置き換える。それは時として人間を励まし、時として人間を騙し、時として人間自身を呪うのである……
無知を怖れる余り、自分自身を騙し呪いながら人間は歩くのである。
今、大徳寺も夜を歩いている……
「安死喩様? 野に咲く草花たろうて、踏み躙られては痛(いとう)御座いましょう」
「草花なんぞが”痛い”と言うか!?」
大徳寺は、安死喩の粗忽な憤りを背に受けつつ宙(そら)を見た……
「わたくしは、幼き頃に、その様に師に教わりました」
大徳寺がまだ幼き頃は、神仏はしっかりと習合し、公家(天皇すらも)というものは基本仏教に帰依していた。当時の京都のエスタブリッシュメント(支配階級)では知識人は皆、仏教をベースとした学問を身に付ける。寺院なども、相応の身分の者達が、その真髄を学ぶ為に通う事を許されるサロンだったのである。
「師……?」
「安死喩様には、教士や範士と言った方が分かりやすいでしょうか?」
「バカにするな!? ソンナの分かる!! お前には……教師がついていたノカ」
大徳寺は、安死喩の顔を覗く。
「それが、如何なされましたか……?」
「別に……ただそう言った者が居たのは、その……羨ましくも、あル……な」
「安死喩様にだってその様な者が居たでしょうに? 私は、安死喩をその様に思っておりましたが」
「イナイ……私は字も余り上手く書けない。書を読むのにも労するし、死連様にはもっと勉学に励めと言われ叱られる……言葉だって、あんまり上手くナイ……それに……! 私には師を得る為の”格”が無イ」
「何故に死連様にそれを仰らないのでありまする? おかしいではありますまいか!? 死連様は安死喩様に学べと託けておっしゃるのでしょう?」
「うるさい! ウルサイ、煩い! お前何なんダ! お前が言う程、簡単なモノかよ! 本来であるなら、私は死連様に御言葉を掛けるのにも手順が要るンダ! 私は、お前みたいな”家”に産まれた”人間”ジャナイんだ!! お前に私の……私の立場ナド分かるか!? 馬鹿」
誤ったな…… 大徳寺は、そう思った。
殺女と言う者達は、その内実が実に複雑であった。それは、大徳寺の様な末席であろうとも、まだ恵まれたであろう”家”の階級の者には想像もできない。
其れは、人外非 人でありながら、武家(士)でもある。その立場は人の其れではないが、一応と言って言い程の詰まらぬ身分である……然し乍ら其処には武家の堅牢な身分制度が存在する。それは公家ともまた違った酷薄なシステムである。一歩違えば、簡単に首が跳ね飛ぶのである。然も身分が低ければ低い程にそれが顕著で残酷なのである。
この、安死喩と言う少女は、その正に末端である。恐らくこの少女に幾ら大徳寺がその内実を聞こうにも、この少女には其れができないであろう。
それは、此の少女を、少ないとは言え直接目の当たりにしている大徳寺にはよくわかった。この少女は、愚かで、憐れなのである……いや、恐らく殺女と言う者達の多くが、この安死喩の様な愚かしい程の粗暴の徒であるのであろう。大徳寺には、そう思えてならない。それを上から押さえる様に纏めているのが、死連や、話に聞く殺死丸たる”格”高い殺女達なのである……
この安死喩が、歯を鳴らしながら、子供の様に恐れ慄く者達である。
血影と言う少女も、また違った意味のあやうさと、戦慄を持っていた。
この殺女達を、明治政府が嫌悪し疎んでいる訳が大徳寺には漸く分かったのである。
(岩倉伯父達が、死連様方を蛇蝎の如く恐れる訳であるな)
之らは”人”の制御を何処まで受けるのであろうか……
その気ならば、この皇国の出来上がったばかりの鎮台陸軍が何処まで相手になるのか?
*皇国:当時の日本の総称、日本(にほん、ひのもと)という言い方は、本来は徳川幕府よりの佐幕家が多く用いていた言葉である。しかし、幕末期は、多くの徳川方の旗本、幕臣、新撰組でさえも、日本と言う国名を使っておらず、この皇国と言う言葉が國を指す言葉として多く用いられた。国と言うのは当時で言う藩に意味する言葉であった。
これは、まだ当時の日本人という民族の”感覚”が全体意識に乏しく、飽くまで幕府政権下の”藩”というものが個人の所属意識の主であった為である。
もう……宙が暗澹を見せてきた。しかし、そこには星と煌々とした月が暗雲と浮かんでいる。
「大徳寺?」
「? 何でありましょう?」
「その、あ、その、すまなかっタ……」
意外な言葉。
「……どう致したのです? 藪から棒に」
「何でもナイ!」
大徳寺は、少し間を置いた、迷ったのである。
何と言ってやればいいのかを……
しかし、この大徳寺という青年は其の真骨に至るまでのお人好しなのである。
(何を馬鹿な、其れこそ愚かな考えだ……)
だから、大徳寺は遠慮無く今まで通り、この少女に向かうのである。
「安死喩様? こういった時は、謝罪を申しでるより、感謝を述べた方が、相手は嬉しいもので御座いましょう。もし、貴女が他人より何か受けたと想ったのであらば、次からは感謝を言ってあげると良いでしょう」
背中の少女は呟く。
「カンシャ? お前は感謝を欲するのか……?」
「いいえ、私は貴女へ感謝など求めておりませぬ。しかし、詫びて欲しくはありません」
「分からン……他人から何かを受けたと言う事が余りナイ……その、そういう事を教えてクレる存在も私には居ナイ」
此処で、此の少女に必要に踏み込めば、大徳寺は大きく危うい責任に苛まれる事になる。愚かしく憐れなる人外非 人の少女の兵、殺女……
それでも、この青年は謂ってしまうのである。
この大徳寺も、愚かなほど淳朴を身に宿している。それは、危険な程に無垢であった。
「私は、貴女に言いました、この一件の為に走狗すると。であるならば、この先、安死喩様と行を共にする事が多くありましょう? この大徳寺、未熟でありますが、安死喩様の何かお役に立てれば。何なりとお聞きくだされませ……」
「……私に、何かを教授してクレると? 何デダ! 何か企んでイルのカ!? そういえばっ……! お前、死連様に何か良からぬ事をっ!!」
大徳寺は苦笑する。
そう、少し前であるならば、大徳寺は死連に何か微かな憧れの延長の様なものを抱いていたのである……それは、初めて見る母や姉妹以外の女に無節操に抱く淡い憧憬の様なものであり、又、至極無邪気なものであった。
しかし、今となってはそういったものは消え失せ、代わりに大徳寺にはこの殺女と言う連中に対し幽かな哀燐と同時に死連に対しては確かな怖気を感じていた。
そして、それを使役する”機智家”という血族には軽蔑の念さえある。
(この方は、素直という感情が欠如なさっているのだ。しかも、それを死連様であっても捨て置いていらっしゃる……此れでは余りにも酷いではないか)
大徳寺は言った。
「滅相もありませぬ……ただ、この大徳寺、安死喩様の何かお役に立てるのであらば……」
「友……朋友と言うことか? そんなもの生まれてこの方持った事がナイ……しかも、ソレがお前みたいナ公家上がりだナンて……ウフフ! アハハハっ」
ケタケタと、白 痴の子供の様に安死喩は笑った。
大徳寺は、その行く手に明かりを見つけ出す。兵舎に焚かれている火であろう。
「大徳寺……もう歩く、ソノ……感謝、ダ」
安死喩は、軍帽を深く被り直しストールを口元に上げた。
その頬が、僅かに赤く染まっていた……
大徳寺は、何だか居心地の悪い様な、むず痒い様な気持ちになり言葉が出ない。辺りは沈黙が横たわっていた……
- Re: キチレツ大百科 ( No.162 )
- 日時: 2017/05/17 03:06
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: ocKOq3Od)
「どうしたよ……? お前、そんな貌(かお)をして」
ベッドに横たわる男が言った。
部屋は薄暗く、寂と静まりかえっている……
血色のシルクの絨毯が、部屋一面に敷き詰められている。よく手入れがされているのであろう。其の織られた毛一本一本に、艶かしい艶を纏っている。
其の部屋の片隅に、闇に浮かぶ其の闇より黒い影。
ジェット(漆黒)のドレスの裾が、風もないのに揺らりと揺蕩う。
其の影が嗤った……
鋭利な笑みである、きっと、其の笑みを受けた者は恐怖でその場に竦んでしまうであろう怖し気な刃物の笑み。
”笑み”が部屋の隅から、音もなくベッドに近付いた。
それは、息を飲む様な一瞬である。
その影が動くだけで、怖気(おぞけ)が波を打って押し寄せる様である。
”笑み”が言った……
「待っておりまする所以(ゆえ)」
「何を?」
”笑み”が止んだ。
「御当主が、死ぬのを……」
機智烈斎は横たわる儘で言った。
「俺が死んだら、どうする? 殺死丸……」
黒い影の殺死丸が、何とも言えない貌をした。
「何故に其れを聞かれますか……?」
「だって、毎晩お前がそんな顔をして其処に立って俺を見ているから……」
殺死丸は、微かに唇を噛んで機智烈斎を見下ろしている。
「御当主が死なれば、この殺死丸は勝手気儘でござりまする」
「そうか、それではまるで糸の切れた凧だね……?」
殺死丸は、静かに其の顔を横たわる機智烈斎に近付ける。
「お嫌でありまするか?」
「あぁ、嫌だね。困るじゃあないかよ」
殺死丸は口に手を当て含む。
「むっ、まぁ! まぁまぁ! なにゆえにお困りになりまする」
機智烈斎は、宙に苦笑を投げた。
「お前が、其れをするのなら……国が揺れるだろう? 困るよ」
白く、細いしなやかな指。それが機智烈斎の頬に優しく撫でる。
冷血が肌をのたうった……
「……まぁ! 御当主はこの殺死丸を何と心得ていらっしゃる? まるで、この拙者が亡国へと世を追いやる様な意地悪な物言い……」
機智烈斎は、まるで少年の様な顔して殺死丸に問うた。
「でもきっとお前はそうするんだろう……?」
殺死丸は、また”笑う”だけで応えない……
「ホラ? お前はそういう仔さ……ダメだ、大久保卿も川路大警視も国家の為に尽くしておられる。お前の”癇癪”に巻き込むな。この明治政府を叩き上げたのは、たれか(誰)!? お前達もその一人であったろうや? その自覚が何故に持てない!? 殺死丸! 良い仔だから俺の言う事を聞きたもれ」
殺死丸のシルエット(輪郭)が僅か遠ざかる。
機智烈斎は、その手を掴む。
氷の様な温度の細い手、薄白い其の皮下に冷血と酷薄……
その手が少し躊躇って、静かに機智烈斎の指と指を絡ませた。
「御当主は……意地悪う御座候」
「何で?」
「殺死丸を理解(わかって)下さりませぬ……」
機智烈斎は殺死丸と指を絡ませた儘困った様な顔をした。
「お前は、我が儘だから……いつも俺を困らせる。だろう?」
「ほら……」
殺死丸は、一瞬何かを言いかけて其れを辞めた。
「それは民草を、塗炭(とたん)の苦しみに放り込む事とならう?」
「今宵は、御当主が眠る迄お側に……」
機智烈斎は、静かに溜息をつくと、なんとも言えぬ顔で呟いた。
「俺が眠っても、お前、何処にもいかないか……?」
殺死丸の半笑が止んだ。
「其れをっ……!!」
「殺死丸……お前、俺が居なくなっても……あまりグズるんじゃ……ないぞ?」
殺死丸は、其の半目を見開いて言いかける。
しかし、次の瞬間には殺死丸は静かにその薄い唇を閉じて、また半目に戻った。
機智烈斎が、眠ってしまった。体力の限界であった様である……
しかし、その眠った顔はまるで老生とは言い難く青年の様である。
殺死丸は、その顔に優しく静かに言ってやった。
「おやすみ……なさいませ」
暫く、其の黒い影はベッドの傍らに寄り添うよう立っていると、音も無く部屋から失せた……足音一つ無く。
「チッ!!」
下荒田のとある武家屋敷の屋根に、血影が独り腰を落とし邸内を伺っている。
(どうせ、薩摩の芋侍達は夜になると身内で大騒ぎする……)
これは薩摩のデェヤメ、又はダレヤメやダイヤメと言われる風習で要は晩酌である。薩摩は焼酎が特産であるが、其の焼酎で一日の疲れを癒すと言う意味合いで、家族、仲間で盃を酌み交わすのである。当然、気性荒い薩摩侍達は、このダイヤメでお大いに酒量を重ねて酔どれ、騒ぎ、喧嘩騒動を起こす。これを薩摩では芋掘りと言う。
「くしゅん!」
小さく血影が嚔をしたところで、屋敷の居間に人が集まってくる気配がした……
薩摩の武家屋敷というのは、大抵が雨漏りをしたり、瓦が飛んでいたり粗末なものである事が多い。皆、貧乏であるからだ。当然この屋敷も敷地は無駄に広いのだが、家屋自体は質朴で、屋敷といえども華美な所は一切ない。血影の居た会津若松の武家屋敷とは大違いである。薩摩も会津も幕末では東西を分ける雄藩であった。
しかし、薩摩は所詮徳川にとっては外様、会津は直参の筆頭である。血影から言わせれば、こんな物は武家の住まう所ではなく、精々が貧乏商人の屋敷である。いや会津では貧乏商人ですら、こんな汚い屋敷には住んでいなかった。
血影は、ゆっくりと其の上に移動すると、其の儘瓦に耳を当てて目を閉じた。
下では、この下荒田界隈の兵児達が集まっているらしい。
「橋口は、他藩人の和郎と決闘をすっじゃか!?」
兵児達の声が聞こえる。酒量が増えてくれば、もっと声は大きくなるでだろう。
血影は屋根瓦に耳を当てながら、自分が何故にこんな様(ざま)になっているのであろうと、嘲笑にも似た思いを抱いていた……
幕末に掛けて、よもや自分が此の様な身に落魄れたるとは想像にもしなかった。
思えば、血影程時代によって数奇な道を辿った殺女も珍しい……
血影は、最初から外様である長州や薩摩ではなく、徳川家、幕府の傘下に送られたのである。本来ならば、会津というのは幕府政権下では最も安泰である筈であった雄藩である。しかし、事もあろうに倒幕の思想を密かに打ち上げたのは血影の家元である幕臣でも末席の機智家であった。
血影は、幼少の頃に愛した、当時の機智烈斎から松平に有無を言わさず送られた。機智家は徳川三家の一つ、水戸家と深く通じていた(水戸家は倒幕思想の一つである皇国史観を形作る家)水戸藩の佐幕家は会津と親密であったために、血影は松平家に良く愛され、何不自由なく育てられた。
しかし、会津藩は薩摩により見事に政治的敗北を喫し、蛤御門の変では長州藩に御所を突破され、鳥羽伏見の戦いでは薩摩長州に敗れた。鳥羽伏見の戦いというのは幕府軍、幕府陸軍、会津藩、新撰組、見廻組、桑名藩、約一万五千人対、薩摩長州、五千人と言う実に三倍の戦力差があったに関わらず幕軍は敗北した。その後、朝廷による王政復古の大号令(幕府政権の廃絶)により戊辰戦争になり、之も当然の如く会津は敗北した。
血影は、歴史の波に流される小舟であった……
その、儚い盛者必衰の、何も自分自身では決められなかった。
(俺は馬鹿でねが……なしてこっただことしてんだ)
その時、血影は興味深い言葉があったのに注目する。
!? 他藩人? これか?
血影は、薩人達の話に僅かな実を見出した……
「他藩人を門弟にし、剣ば教えようがか!? 薬丸流もとんだすっぽけもんじゃ! がははは!」
「肝付どんの家に取り付いて、自顕流ば教えを乞うちおるごわさっど」
「笑わしてくいよっ!」
薩人達は、酔って気が大きくなったのか、居間で一際騒ぎ出した。
どうやら、相撲を取っている様である……
(下っらね……こいづらはでこすけ(あほたれ)でねが……)
しかし、血影はこの薩人達の馬鹿話に有益を見出した。
この時期、目立つ他藩人など想像に難くない。
殺目と殺華のどちらかである……
血影は、この長州の殺女とは親しくないし、大して顔も見知ってはいない。
しかし、一度血影が徳川慶喜を暗殺しようとした時に、その場に殺目が居た……
殺華は、負傷者を戸板で運んだりしていたのを記憶している。殺目は、死連と共に、自分と殺死丸の間に入った……
微かな記憶では、あの時、自分と殺死丸の剣闘の最中に、死連が、機智烈斎に何やら耳打ちをし、殺目に何事か囁いていた。恐らく、死連があの闘争を止めたのである。
そして、自分は、また良い様に、機智家の隷属者として、自分にとって唾棄すべき政府に出仕させられている始末なのである。
血影から言わせればそうなのだ。
すると……”嗣いだ”左足が疼いた。
怨嗟と憎悪の業火が血影の胸を灼き焦がす。
その灼熱を抑える様に、血影は小さく嗚咽する……
下で、薩人達の馬鹿騒ぎが聞こえる。この連中は、恐らく会津戦争で鶴ヶ城を攻めた薩軍の兵達の子供に当たる連中である。中には年若で戊辰戦争を経験した年少者も居るかもしれない……
そう思うと、薩摩人に対する無差別の殺意が湧いてくる……それは、長州にも、土佐にもであるが、薩摩には、また特別の恨みがある。薩長土では、薩摩だけが明確な裏切り者である。長州は最初から最後まで敵であった。しかし、薩摩は一度は自分達、会津藩と手を結んだ上で、手のひらを返す様に会津を切り捨てた。
西郷は、西南の役で死んだが、まだ大久保は生きている。徳川慶喜も未だ自決もせずに、のうのうと生き恥を晒している。機智烈斎も今は死の淵にいるというが、まだ生きている様だ……
血影は、わざと機智烈斎の事だけをぼやかした……代わりに、その恨みの水面に浮かんだのは死連でった。そして、それが段々と禍々しい渦に歪んでいくと、其処に現れたのは……殺死丸であった。
何(いず)れ、みなころして呉れよう……
その時、夜闇が一陣の風を吹かせ、血影は目を閉じた。
- Re: キチレツ大百科 ( No.163 )
- 日時: 2017/05/18 20:43
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: eyS/yPyK)
帝都、市ヶ谷にある兵部省では、陸軍卿山縣有朋が苦り切った顔で執務室に居た……
竹橋の長州系殺女近衛大隊、大隊長機智殺音を招集し、長州人の陸軍将校達と軍議を終えた後である……
山縣は、殺音に叛乱の胸中を直接に問い質し、その意志の無い事を確認した。
殺音は之に対し、「ソレハ、ソウデハアリマセン!」「ソレハ、カンガエチガイナノデアリマス!」などと長州言葉でのらりくらりと山縣の問いに一々否定して見せた。
山縣は、斯くなる上は、証書を取ろうと迄考えたが、この時代の軍の兵というものは、多くが武士である。そして、この長州毛利家に送られた殺女と言う連中は、紛れもなく毛利家預かりなのである(詰まり武士)であるからして、武士にとって、一度言った事に証書を取るなどと言う事は問答無用で斬り合いになる事柄である。流石にそれはどうかと、周りの将校達に押し止められ、山縣はそれをしなかった。
しかし、山縣と言う男は、そんな事を簡単に信じる様な男では無い。この男は、危機的状況と言うものに対し常に万全を期さねば済まない男であるし、事実、猜疑心の塊の様な男である。
「殺女と言うものは病み難い程に抜き差しならぬ相手である……」
山縣の後輩で、元・長州諸隊、御楯隊の司令であった、この時期陸軍少将の山田顕義がいる。この男は、戊辰戦争時、官軍総大将西郷吉之助(隆盛)から”用兵の天才”と称された戦上手の男である。当然、山縣等よりも実戦での功績は高く、何よりも彼は松下村塾の門弟である。彼は所謂天才であり、若くして自ら”頓狂”と名乗り”長州の御楯四狂”と呼ばれたりし、その才覚を吉田松陰、大村益次郎(官軍総司令:日本陸軍の祖)などに認められもした。実際、山縣はこの山田に対し大いに嫉妬し、後に軍の中枢から排除しようとしたりした。
「どう思う、山田君……」
「どう、ね……」
(此奴……)
山田は、天才に有りがちな傲岸(がうがん、ごうがん:驕り高ぶり)な所があったが、実際に能力が高く、後に中将、その後に文官となり法務大臣となった。山縣は、この山田や三浦梧楼などと言った若く自分よりも軍歴華々しい連中に囲まれながら、今の地位を護持している立場である。実際、山縣はやりづらかった。
この状況で、更に、長州殺女兵である……そして、何を考えているか全く予測できない脅威である殺死丸。
実に、山縣には頭の痛くなる現状なのである。それと共に、喉を掻き毟る程に怒鳴りつけてやりたくなる。自分は陸軍卿で、現近衛都督であると。
山縣は、あの近衛大隊長、機智殺音の一見実に女臭い(女性らしい)外面とは裏腹に、飄々とし侮り難き裏の顔を見出していた。
この男のこう言った感覚は、この時代、この国の誰にも及ぶまい程の鋭敏さである。
山田もそれを感じているし、実際、山田は蛤御門の変、戊辰戦争などで、殺死丸と戦場を共にした経験がある。それは山縣も同様であったが、山田顕義の方が殺女隊とは関係性や実際距離の近い所にいた。
「山縣陸軍卿……これは、ちと難しい事になりそっち。敵になったら、アレらは油断ならぬ手練れである」
山縣は、この事態を長州系軍関係者で収めたいのが正直にある。
「むぅ……ここは、警察(薩摩郷士)をどうにかして、引っ張り込むか……」
山田は言う。
「川路大警視は、抑その気であられるでしょうな」
「んん」
しかし、山縣の抜け目のない所は、此の期に及んで、まだ、殺女を自分の手の内に押さえる事が出来得るなら、そうしたいと思っている所である。
この山縣有朋という男は、凡そ現代の政治家などには及びもつかぬ程の政治的求心者であり、事実、その腕一本で陸軍大将へ上り詰め、そして、第九代内閣総理大臣になった男である。その政治的手腕というものは、暗く陰湿であり、この時代の多くの者達に得体の知れぬ恐怖と共に納得せざる得ない確かな実務能力を見せつけていた。
「問題は、殺死丸である……」
山田は、その名を聞くと笑止し、以降何も言わなかった。
これは、お前の手に負える事ではないと言う、山田の無言の態度である。
山田は、殺死丸を知っているのである。
山縣はその山田の態度も不快であった……
丸の内に、近衛大隊長、機智殺音と殺女の近衛士官、屍伐(しばつ)の姿があった。
「大隊長? こんな所に来てどうしたのでありますか? 早く竹橋に帰りましょうよ」
殺音は馬を弾きながら、付近を見回す。其処には『虎』と書かれた看板があった。
「見つけたわ! 彼処、ホラ!」
屍伐は、燥ぐ殺音を他所に言った。
「あぁ、京都の虎屋で御座いますね、それが?」
『虎屋』と言うのは、元々が京都にあった有名な菓子屋である。それが、明治天皇の東京奠都と共に京から、この東京に店を移したのである(京の店はその後再開し、現在は全国規模である)
当時、こういった天皇と共に多くの店、三井、小野組などの商家などが京を移り、京都は一気に寂しくなった。
「それがって、なによ! 私、彼処の羊羹が食べたかったの」
「えぇ……今がなんどきかと思います? もう店(だな)も閉まっているでしょうに」
殺音は平然という。
「開けてもらいましょ?」
「大隊長! たかが菓子でしょうに、明日にでも又来れば良いでしょう?」
「いいえ……今日持っていくの」
「はぁぁ……」
屍伐は、不服そうな顔をして店に行き戸を開けさせた。
店の者達は、夜分に急に軍服を着た軍人二人が訪れた事で不安を隠せない様である。
「あの……本日はこんな時間に何用でありましょうか?」
店の主人が聞いた。
殺音は主人に財布を投げると、微笑し言った。
「今、此処にあるこの店の菓子を全部下さいな?」
「え!?」
「あぁ、それで足りなければ、残りは市ヶ谷の陸軍省の山縣有朋宛に請求を送っておいて……」
主人は、この軍人の格好をした女に驚き、暫し無言であった。
「大隊長! 何を……! そんなに食べたら太りますよ!!」
殺音は、狼狽する屍伐に抗議する。
「一人で食べるわけないじゃない! 貴女、私を何だと思っているの!?」
「何を言い出すと思いきや、馬鹿な事を休み休みと……」
「ひっひぃい!」
店の者が、恐縮しながら投げられた財布を確認すると、百円近く入っている(この時代のレートで現在の凡そ250万円位)
「手間をかけて悪いが、荷車で竹橋まで引いてくれ」
結局、店の在庫は荷車一台分となった。代金の件だが、幸い山縣はこの菓子の代金を請求される事はまぬがれた。
殺音と屍伐は竹橋までの帰り道、馬を並ばせ帰路に着く。
後方では、店の雇った若い者達が荷物を引いている……
殺音が馬に乗りながら、ふとボヤいた。
「う〜ん、やっぱり全部、山縣宛で請求出しちゃえばよかったかしら……」
「大隊長、山縣だって、虎屋から大量の菓子代を請求されれば怒って抗議してくるでしょう? 何を考えているんですか? 太りますよ?」
「はぁ!? 今は太るも太らないも関係ないじゃない! 馬鹿にしてんの? 私のどこが太ってるのよ!! そこいらの女と比べてみなさいよ!? 如何に私が均整の取れた痩身だか分かる筈なんだから!」
「そういう事を言ってるんじゃありませんよ、どうするんです? あの大量の虎屋の菓子は? あんな量食べれば其れこそ百貫太りますよ」
「お土産……」
「誰に?」
「そりゃ皆んな(殺女)によ?」
「はぁあ!?」
屍伐は呆れ顔を更に歪ませる。被っている三角帽子(バイコルヌ:洋式銃を撃つ為に作られた帽子)が後ろにずれた。
「幾ら有名な虎屋と雖も(いえども)兵共だって其れ位買える金は貰っております!」
「ふふん、チッチッチ! 屍伐は私を普段からコケにしているから解んないわよね〜」
殺音が含み笑いで屍伐をおちょくる様に言った。
そこで、屍伐は馬を止め黙り込む……
表情が先程から打って変わり、殺女兵らしい昏い眼になった。
「え!! 嘘? 怒ったの!? 冗談、冗談」
慌てる殺音の態度を無視して、屍伐は言った……
「”動く”のですか……?」
殺音は、戯けた少女の様な仕草で少し舌を出した。
「まだ、わかんない! てへっ」
屍伐は其れに釣られない。
殺音と言う殺女は、この一々爛漫な中に、その本意を晦ますのである。
「わかりました、もう言いませぬ」
「そ! そゆこと。ま〜だ〜わーかーらーなぁ、い! ね?」
殺音はそう言って、また馬を歩かせた。
「ほら、屍伐? そんな所に何時迄も居ると風邪引いちゃうわよん」
屍伐は、遠ざかるその背中が、恐ろしくもあり、頼もしくもあり、只々、その背に着いて行こうと思うばかりであった。
ただ、確かなことは……此処から先は、何かが確実に動くのである。
静かに、ゆるり……其れは、毒蛇のたうつか如く。
- Re: キチレツ大百科 ( No.164 )
- 日時: 2017/05/27 21:21
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: KGoXVX/l)
丸の内から竹橋に差し掛かった頃、殺音が屍伐へ、まるで予想したかの様に微笑しながら行く手に顎をしゃくって見せた……
「あ……チッ、彼奴ら!」
屍伐はその光景を見て、馬上から地面に唾を吐いた。
「下品よ、そういうの」
殺音は特に何事もないかの様な素振りで馬を進めている。屍伐は、意地の悪そうなキツイ目付きを更に尖らせる。
「貴様らぁぁぁ!! 戻れ! 戻れ!!」
「此処より先は出てはならん! 戻れ! 鎮まれっ!!」
怒号が聞こえる。
どうやら、殺女兵達が騒いでいる。それも尋常ではない剣幕で、まるで暴動の様な騒ぎになっている。
「ワーワー! 殺音様ハどうなったんダ!」
「山縣メ! アイツたたっ斬ってヤる! どけどけイ!」
「陸軍省で大隊長が山縣にイジメられてル! 許せナイ!! コロスコロス!」
殺女兵達が、殺音が陸軍省に行っている間に殺気立ったらしい。
これを軍曹、曹長クラスの殺女達が必死に抑えているのである……
殺女の下級の下士官などは、甚だ知能の低い暴客揃いである。恐らく誰かが最初に喚きだし、それが飛び火して大勢で暴れ出したのである。
それを、半ば呆れた顔をして陸軍の兵達が遠巻きに見ている。
本来であれば、この竹橋という土地は宮城(きゅうじょう:天皇の住まい)のすぐ側で、仮にも近衛兵である連中が騒いで暴れるなどは言語道断の場所なのである。
だが、この壮士に過ぎない連中にはその意識は薄く、自分達を未だ維新を為した英雄だと考え違いしてる。この点は西南戦争を起こした薩摩の近衛兵達と何ら変わりはない。いや、此処で騒いでいる様な殺女は知能が低い分それより質が悪い。
竹橋の端の方に位置している長州殺女で構成された近衛兵は本来は近衛”独立”大隊と言う総称である。本来の陸軍近衛(旧御新兵)は薩摩、長州、土佐の武士や壮兵からなる軍隊であるが、征韓論騒ぎで薩摩系の近衛はその殆どが西郷と共に職を辞し、西南戦争で死んだ。この時期の近衛は長州を中心とした歩兵二連隊、騎兵一中隊、砲兵一大隊、輜重兵が一小隊、などが同じ竹橋に駐屯している。
だが、この長州系の近衛兵からすれば、殺女の近衛独立大隊などはこの時期、只管に迷惑なだけの存在であった……
屍伐が狼狽する。
「尉官達は何をしているのだ!? 貴様ら! 何だこの醜態は!!」
怒り心頭の屍伐の隣で、殺音がニコニコと手を振っている。
それを見て、殺女兵達が騒ぐのを止めた。
「大隊長ダ! 大隊長ダ!」
「殺音様がお帰りだ!」
殺音は見渡すと、暫し間を置き、笑顔から一変、厳しく表情(かお)を作ると全員に聞こえる様に整然とした声を響かせる。
「気をう〜付け!! 全員、整列!」
続けて言う。
「立て銃っ! 捧げぇ〜剣!」
殺音がそう言うと、殺女兵達がその場で背筋を正し縦隊を組んだ。銃剣を持っている者は、剣部を掲げ、刀を手にしている者達は右手を下ろし左手を鞘元に当てた。
「……抱ぇ〜ぃ銃!! 密集隊形を〜維持しっ、そのまま兵舎まで行進!」
独特の語尾を伸ばすイントネーションで、殺音が言うと、そのまま縦隊を作った殺女兵達は一糸乱れぬ歩調で兵舎へと戻っていった。
先程迄の馬鹿騒ぎが、まるで波を引く様に消えていった。
「……どうなさいますか?」
「何が?」
屍伐は、行進していった連中の背を睨みながら言った。
「あれらの処分は」
殺音は別段なく答える。
「特に……」
「大隊長! 陸軍(長州人の近衛)の奴らがこの様子を見ていましたぞ! また山縣が肝を冷やして我々の警戒を強めます! 警察の川路もそうです、そうでなくても近衛兵全体が警察と市中で衝突し喧嘩騒ぎを起こしているんです、川路と山縣の仲が悪いからまだいいものを! いい加減にしないと、きゃつらも結託して我々を攻め様などと考えつくやもしれませんよ!」
屍伐の声に、先程の騒ぎを見ていた荷車を押す人足達が流石に怯える。この時代の荷役と言うのは、荒っぽい刺青者や屈強な無宿者、破落戸などが殆どで、命知らずな無鉄砲揃いであったが、この目の前の軍人と思しき奇妙魁異な者達には敵わず、言われるが儘只管荷物を運ぶばかりである。
「別に、斬人、強盗、放火をしなければ、処分はしないわ? ただ、市民や文官にたかったり、其れを殺傷したものは厳しく責めるわ」
「それでは甘やかし過ぎでは? 馬鹿な連中は、其の内に調子に乗ってやらかしますよ」
「いいのよ? 甘やかしたって。最低限を守りさえすればね」
「警察との小競り合いは激化しますよ?」
「そう、だから最低限人斬り騒ぎを起こさない様に甘やかす。それに之は私達の組織の牽制でもあるの。ギリギリの線を保ったまま、陸軍の組織内での独立的な立ち位置を崩したくないわ。飽くまで、殺女の兵は国家の陸軍の非従属的武装集団たらしめ、このままを維持します。まだ……」
「それは理解できますが、本末転倒となり兼ねない示威行動に思えますよ、それ」
殺音は、何だかたまらない様な程に優しい顔で言った。
「最初に死ぬのは、あの子(兵)達なのよ? それを毎日雁字搦めに厳しくするの……?」
屍伐は思わず沈黙した。
殺音は、大隊司令として、最初に戦場へ送り込むのは、ああ言った何事にもいの一番に乗り込んでいくしか能の無い者達なのである。
あの兵達は、最初に銃弾日雨と白刃血風乱れる中駆けねばならぬ者達だ。
だから殺音は、兵達に態々菓子を土産にしたり、普段から何かと喧しくも面倒を見て可愛がってやるのである。この点は殺死丸とも死連とも異なった兵隊の運用思想である。
兵舎に戻ると、先程の兵が綺麗に整列して門の前で殺音を待っていた。
「気を〜付け!」
「敬礼!!」
「なおれ」
殺音は下馬すると、兵達を見やり言った。
「丸の内でお土産を買ってきたから、皆で食べなさい。ちゃんと行き渡る様に買ってきたから喧嘩しない事」
「わあぁぁ! ヤッタヤッタ、愉快」
「お土産ダ! 嬉しイ! 大隊長のお土産だ」
兵達は俄かに喜び、その様子に先程の騒ぎに参加しなかった兵達も集まってきた。
「屍伐、私、お風呂入って今日はもう寝るわ。明日、士官達を集めてで軍議を開く。後お願いね……」
そう言って殺音は兵舎に戻って行った。わらわらと兵舎門前に集まってくる殺女兵達の、ある種無邪気な顔を見て、屍伐は「やれやれ」と独白して表の荷車の荷物を解く作業に取り掛かっていった。
明けて、鹿児島、官軍第一旅団兵舎。
「へぇ……それで、最後は二人仲良く馬に逃げられて、徒歩(かち)で帰って来たと……」
報告書を読みながら、死連が大徳寺に視線を流す。その顔に少し微笑みを称えながら。
「は、はい。誠に申し逃れの仕様の無い有り体です。軍馬の件につきましては、この大徳寺、俸給の全てを弁償の代金として差し出す所存で御座います」
大徳寺は表情硬くそう申し出た。
「あぁ、うふふ。馬の件なら気にしないで宜しい。先程、兵舎に自ら帰ってきたよ? 良い子達だろう? 私も時間がある時は、いつも世話しているんだ。馬というのはね、気持ちを掛けてやれば掛けてやる分、それを理解すると言う動物なんだよ? 私は馬と接している時が、一番心安らげる時間なのさ……」
すると、部屋に安死喩が入ってきた。
「死連様、珈琲です」
「あぁありがとう」
安死喩はカートから、先程まで火に掛けていたサイフォンを取り、カップへと注ぐ。部屋中に挽き立ての珈琲の良い香りが広がった。
すると、安死喩は、驚いた事に珈琲を二つ杯に注いだ。何と、大徳寺の分も用意しているのである。
「……」
死連は、それを物珍しげに暫く眺めていたが、特に何も言わなかった。
しかし、これに困ったのは大徳寺である。この時代上官の前で呑気に茶をしばくなどの習慣は勿論の事ない。あっても、長引く軍議の際に水を飲む位のものであったろう。
「あ、あの」
「あぁ、構わない。君も席に着いて飲めば良い」
死連が言った。
(何と居心地の悪い茶の席であろうか)
大徳寺は恐縮するが、抑、この死連はそういった細かい事は余り気にしない質らしい。
やがて、安死喩は退席し、再び部屋は二人になった……
「しかし、随分と仲良くなったな」
死連は意外と言った顔をして少し笑った。
「仲良く、ですか?」
「しかし、この報告書を軽く読む限り、何となく君にこの件を任せたのも案外、正解だったかもしれないと思っている……でも」
死連は大徳寺にジロリと視線を掛けた。
「血影の前に出て体を張ったなんて、私は感心しないな! まさか、キミ、自分の誠意が血影に通じたなんて考え違いはしていないだろうね?」
大徳寺は何だか窘められた塾童の様な気持ちになった。
「いえ、それは……その様な気持ちは一切と持っておりませぬ! しかし、咄嗟と体が動いてしまいまして……その」
「……違うよ? 血影は、もし君が本当に血気を以って体を張ったと感じたならば、書生風情であろうとも、恐らく腕の二、三本は斬り落としていたさ?」
「……どういう事で御座いますか?」
「血影は、恐らく君が本当にそういった血気を持った大丈夫(ここでの意味はAll rightではなく”ますらお”の意)ではなかったから、見逃したんだよ?」
「それは、私が公家上がりであるからでありますか!?」
大徳寺は自分の行為を侮辱された様な気になった。
「そうまでは、言わないよ。私が言いたいのは、安死喩なんぞを庇う為に今キミに死なれては困ると言っているだけだよ?」
普段、終ぞ何事に対し怒るという事をしない大徳寺も今の言葉は聞き流せない。
「それはっ……!! それはあんまりなお言葉! 安死喩様は、死連様の御部下で御座いましょう!? それを、そんな言い様はありませぬ」
死連は、特に何事も無き様にその言葉を聞いていた。
「どうした? もういいかい?」
大徳寺は閉口し、部屋は沈黙が支配した。
- Re: キチレツ大百科 ( No.165 )
- 日時: 2017/06/01 22:25
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: 3h.2BOm4)
死連は、大徳寺の憤りの言葉を、別段気にする様子もなく平然としていた。
「ん、どうした? 続けていいよ?」
「いえ、すいません。つい取り乱し、大きな声を出してしまいました。申し訳ございませぬ」
大徳寺は非礼を詫びるが、死連は其れについて何も思う事は無さそうである。
「あぁ、構わないよ。キミが言いたい事がないのなら、私の話を続けていい?」
死連は笑むと、そう言った……
大徳寺は、その死連の対応に目の前の女の本性を垣間見た。
(そうか、この方はかの如く怜悧なのだ。もはや言うまい)
「しかし、血影が、安死喩を翻弄してくれていたか……あの子も馬鹿なもんだ。良い様に踊らされてるな」
大徳寺は問うた。
「殺死丸様と言う方は安死喩様の仰る様に血影様の讒言(ざんげん:告げ口)でこの薩摩迄、態々攻め込んで来られるのでしょうか?」
「そうだね……その点は実に説明し難いな。君に口で言ったとしても恐らく解りづらいかもな……? アレを直接に知っている者ならば、理解も出来ようものだがね」
「と、言いますと?」
「うん、例えばね? 殺死丸は脱走した殺華や殺目の事を確かに可愛がっていたのだよ? でもね、幾ら安死喩が殺華を隠れて苛めていたとしても本気で怒ったりはしないだろう……」
「では何故?」
「殺死丸の危険な所はね”何を”考えているのか、理解(わから)ないところ。今の様な時勢なれば、殺死丸は、その”本気”で怒っているわけでもない殺華の事を理由に行動を起こし得る事態を”作れる”と言うところかな?」
「……はぁ」
「重要なところはね? 其れを我々や、国家にさえも危惧させる事態を引き起こしてしまい、事実其れを十分に起こせしめる力も持っていると言う事だね」
大徳寺は、その言葉に明瞭を得なかったが、恐らく、それは、殺死丸を知っている”殺女”にしか分からない脅威なのだと感じた。
「それにね、殺死丸が事を起こすのであれば、大阪に駐屯している本来なら私の指揮下にある殺女も意見が割れるだろう……機智烈斎も、もう先が短い。まだ殺死丸は機智烈斎の手元に居るらしいが後継が決まっていない今……其れらについて奴が何を考えているかは分からないし、聞いたとしても、それを信用できるほど簡単な相手じゃない……わかるかい? 陸軍大将、西郷吉之助(隆盛)長州閥の実質頂点の木戸孝允(桂小五郎)そして、唯一、殺死丸に頭から物を言えた長州藩藩主だった毛利敬親はもうこの世にいなく、機智烈斎迄も世を去れば……この国に、殺死丸へ対等以上に口を聞ける人間はいない」
大徳寺は言う。
「岩倉伯父や大久保卿は? そうだ、長州系の公卿の頭領であった右大臣の三条卿ならば!?」
死連はわらう。
「その連中は、維新の”志士”ではない。殺死丸は、その連中を自分と同格などとは思っておらず、少なくとも、事を起こす殺死丸へ話が通じる相手ではない。岩倉右大臣も大久保卿もきっと斬られる。三条卿は長州系過激公卿の首魁だが、その三条卿自身が殺死丸の恐ろしさを芯から知っているから、決して逆らわないだろう。まるで処女の様に泣きはらしながらオロオロする様が目に見えるよ?」
そう言うと、死連は安死喩の淹れた珈琲を一口、口へと含んだ。
「へぇ……クク!」
何だか死連が、さも面白そうに珈琲の味を見ると、そのまま大徳寺へと視線を移した。
「フフン、大徳寺君? 君……もう少し安死喩と血影を見ててやれ。血影は君の命を自ら見逃したんだ、今更どうこうしようなどとは思わないだろう」
「ご命令とあれば……」
「じゃあ、命令……ね?」
「はい……」
「もし、血影が何か矯激な行動に出ようとする時はすぐに知らせるんだ。アレは陸軍鎮台に派遣しなきゃいけない大事な身だよ」
大徳寺は血影の様子を思い出した。
「何やら、それをひどく嫌がっている様子でありました……」
「まぁ、そうだろうな。でも彼女は、これからの鎮台の国軍化、そして来たるべき外夷との衝突における近代的陸軍の創設に必ずや役に立つ殺女なの。どうやら殺華や殺目に接触を図りたがっているみたいだけど、何かあっても詰まらんからな」
「はい」
死連は続ける。
「しかし、君も、これからのこの国家の為に必要な人材だと、私は思っている。飽くまでこれは偵察だよ? 今回の様に体を張って死なれでもしたら敵わんよ?」
大徳寺が部屋から去った後、死連は机で煙草を吹かしながら何やら考え込んでいた。
(もしもの時は、この際、安死喩を切り捨てるか……恐らく血影は、血迷っているだけで何もできまい……先達ての問題は殺目と殺華の始末をどうつけるか……だな)
恐らく二人は薩摩城下の何処か……又はその近くに潜伏している。薩摩私学校党軍の敗残兵を匿っている目星がもう第一旅団では幾つか付いているのである。
これは、薩摩系警察の元郷士の薩人達による情報なので確実である。
ただ、面倒なのは薩摩という土地柄である。此処は未だに島津家、藩父、久光の影響力が強い。幾ら死連と言えども官軍を率いて一斉に城下に押し入ると言う事もできない。
久光は頑強な保守家で知られ、今も江戸期と変わらぬ紋付袴を着て帯刀し、未だに丁髷まで結っている始末である。
(連中が、もし久光の庇護下に入ってしまうと厄介だな……しかも其処でこの騒ぎが公になれば、殺死丸は黙っていまい……)
「大徳寺を使って、血影を逆に泳がせてみるのもいいだろう……上手くいけば殺目と殺華を炙り出す事ができるかも」
そう独りごちて、死連は煙草を盆に棄てた。
夢というのは、記憶の断片がそれを構成している。
時折、その欠片がまろみを帯びていたり、尖っていたり、様々な情景を眠りの中で展開するのである……
殺目が、今見ている夢は、その何方でもあり、何方でもないとも言えた。
例えば、味で例えるのであらば、ほろ苦いというのが正しかった。
それは、殺目がまだ幼少の頃の夢であった。
殺目の前に殺死丸が居た……
剣の稽古を自ら付けてくれるというのである。殺目は此処ぞとばかりに、殺死丸に向かうが、木剣は上手く殺死丸の木剣に噛み合わない。
まるで、宙を彷徨うか如く、その力が受け流されてしまう。
打撃の力は、すべて受け流されて、殺目の体は右へ左へ振り回される。
殺死丸は、新陰流を先ず修め、その後、斎藤弥九郎の長男新太郎が齎したと言われる、長州藩伝神道無念流を修めたという。当時、殺死丸指揮下の者は皆、防府市の神道無念流の道場に通わせられたりしていた。
殺目はこの神道無念流の上段、大上段の構えからの撃ち下ろしを習得し、それを得意とした。神道無念流は当時”力の斎藤”と言われる程に膂力を持った打撃を旨とし、軽い打撃は許されない流派である。勿論大上段の構えなどは躱されれば、即、死あるのみの一撃必殺の技である。詰まり、一撃で仕留める事が神道無念流の本質である。
殺目は、生まれつき器用で、この神道無念流の剣をいち早く習得することに成功していた。
撃剣の力というものは腕の力ではない。逆に腕の筋力の発達している者は強い打撃力を見込めない。これはボクシングでも同じことが言える。
足から発生した力(体重移動)を背中を伝え、最後にそれを伝える役目として腕があるのみである。
その原理を、殺目は早くから理解していた……
しかし、殺死丸にはそれがどういうわけか通用しない。
踏み込み、そのタイミング、瞬間の気魄……
全てが殺目に絶妙たり得ているにも拘わらず、剣が空転し、体が正中から外される。
殺死丸が言った。
”どうしたか? 殺目、之の技前で終いであろうかや……?”
殺目が言った。
”そうではない、まだ終いには早い!”
殺死丸が冷笑した……
”お前には……期待してもいたものの”
その言葉は、殺目の眼前を崩壊させるに容易かった。
普段、冷静な殺目は、それを聞くと、狂った様に泣き出した。
殺死丸の長い藍色の髪が揺れて、その背が遠くなる。
殺目が気付くと、もう誰もいなかった。だから、殺目は大声で殺死丸の名を叫びながら啼いた。見苦しい位に、それはまるで喚く小児の如く。
気付くと、殺目は布団で泣いていた。
南林寺の離れに用意された部屋である……隙間から小風が入る様な粗末な部屋である。それでも屋根がある分ましかといった程度の部屋であるが、態々部屋を取ってくれたのは殺目が女(にょしょう)であるからと言う薩摩人の心遣いである。
此処に居る男達は皆相部屋である。
殺目は、顔を洗いに表に出た……
空が桜島の噴煙で曇っている。
その分空が近く狭い錯覚がした……
空気が乾いていつもより寒く感じる。
水場に行くと、頼母壮八が一足早く顔を洗っていた。
「んだもした……? せっね顔して、殺目さぁ」
壮八は優しい目で言った。
「なんでもない……なんでもない」
殺目はそのまま手を覆って泣き出してしまった。
「ないでん、殺目さぁはなけべしじゃあ」
殺目は、壮八の声がどうしようもなく自分に優しいから、どうしていいのかわからない。そしてそれにどう応えていいのかも分からない。
薩摩人はこういった時、只管に多くの口を聞かない。やかましく何かを言うよりも、悲しむ者に対し、ただ、心からの慈悲を心掛ける。
それは、無言だが、何よりも素朴な温かみである。
殺目は、溢れる涙を隠す様に、冷水を手で顔にかけた……
すると、其処へ誰か来た。
「中々にして、事情がおありですな……貴女は」
この寺の僧である。
「殺女……ですな」
僧のその言葉で、空気が止まった。
「貴方は……?」
殺目には、その僧は元からの僧でない事がすぐに解った。
(元武家たろうか……?)
僧の沈着な眼の運びは、戦を識っている者の眼であった。
見れば分かる、常に周りと人を十分見渡せる様に物を見る視線の運びが見て取れる。
「こちらへ……」
僧は言った。
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