複雑・ファジー小説

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キチレツ大百科
日時: 2016/01/06 12:05
名前: 藤尾F藤子 (ID: .5n9hJ8s)

「起キル……」
「起キル……」

あぁ、うるせーな。俺は昨夜も”発明品”の開発でいそがしかったんだよ……眠らせてくれよ。

「起キル……」
「起キル……」
微睡みの海の底、聞こえる女の子の聲。少し擽ったい感覚が夢を揺さぶる波のよう。
ふと思うんだ、これがクラスメートで皆のアイドル、読田詠子、通称”よみちゃん”だったらいいな……て。いいさ、わかってる。どうせ夢だろ? 
夢の狭間で間の抜けた自問自答。
そいつが、嘲るみたいに眠りの終わりを通告している。

「キチレツ、起キル”ナニ”!!!!」

Goddamit!
そう、いつもそうなんだ。俺の眠りが最高潮に気持の良い時に、決まってコイツが割り込んでくる。俺がご所望なのはテメーじゃねんだよ?
「くっ!? 頭に響く、うるせーぞ、ポンコツ! テメー解体して無に帰すぞガラクタがぁ!!」
「なんだと〜、やるかぁ!」
部屋の中には、日差しが差し込み、ご丁寧にスズメの鳴き声が張り付いてやがる。うっとおしい事この上ない程真っ当な朝だ。
「最悪だぜ……」
目の前の”ソレ”を突き飛ばし、机の上のタバコを探す。
「あん? モクが無ぇぞ、昨日はまだ残ってたんだけどな……」
「中学生デ、煙草ハ駄目ナニィ! 我輩、捨テテオイタ、ナニ!」
俺は目の前の”ソレ”の髪を掴んで手元に引き寄せる。
「テメー良い加減にし無ぇと、マジでバラすぞ。人形!」
「ちょっ、痛い痛い痛い! やめてよ、キチの馬鹿! 中学生で煙草吸うキチの方が悪いんじゃ無い! い、いたぁあい、我輩のポニテから手を離すナニィ!!」
「キャラが崩れてんだよ、人形!!」
「に、人形じゃないナニ……殺蔵(コロスゾ)ナニ……」

くっ……頭が痛ぇ。
 
俺の名前は機智英二(きちえいじ)皆からはキチレツなんて呼ばれてる。
俺は江戸時代の大発明家、キチレツ斎の祖先だ。キチレツ斎は結構名の知れた人で、当時の幕府御用達の発明家て奴だったらしい。初代キチレツ斎は太田道灌の元で江戸城の築城に協力して以来、機智家は徳川家から引き立てられたという経緯と親父が言っていた。
そんな家だったら、何か凄い物があるだろうと物置を調べていた時に見つけちまった。
この少女の形をした”発明品”殺蔵を。しかも運悪くうっかり起動しちまいやがった。

わかるか? 自分の先祖がこんな、少女人形を作成してた真性のド変態だと分かった時の気持ち……夜な夜なこんな人形使って遊んでたと思うと反吐がでるぜ! その俺の気持ちを察したのか、俯いたまま殺蔵がぼそりと呟いた……
「我輩は、武士ナリよ……」
俺はイラつく。
「テメーのその見た目でどうして武士とか言えるんだよ? どうみたって弱そうだし、大体女の武士とかいねーだろ? じゃあ、なんでその見た目よ? どう考えても、いかがわしいんだよ! お前はそういう目的の為の人形だろう!?」
「違うナニィ!! わ……我輩は、武士ナニィ! 武士……ナニよ」
「チィ! うぜぇ……」
曲がりなりにも尊敬していた先祖の正体が倒錯的な変態である……
そいつは憧れてた役者やアイドルがシャブ(覚せい剤)や痴漢で捕まった時位ショックなもんだ。
涙目で抗議する少女のカラクリは、俺らの年齢と大差ない姿形だ。
キチレツ斎さんよぉ、それぁ無ェぜ……

「英二〜、ごはんよぉ。殺ちゃんも早く降りてきなさ〜い」
この部屋の重たい空気も知らずに、圧倒的に間の抜けた声でお袋の声が聞こえてきた。
だが、そいつは俺にとっては好都合の助け舟だ。最早、徹也明けの眠気などどうでもよかった。殺蔵が急いでティッシュで涙を拭っている、その横を俺は知らんぷりで通り抜けた。

Re: キチレツ大百科 ( No.131 )
日時: 2016/12/27 18:59
名前: 藤尾F藤子 (ID: iNyRJaKN)

 鹿児島市中の官軍第一旅団の営舎、死連(しづれ)が自分の部屋で書類に目を通していた。

「やっぱり、銃弾薬が絶対的に足りないか。兵員弾薬の補給がこれでは少なすぎる。この数と練度じゃまだ不安だな……山縣め、色々と言い訳がましく渋ったな? これだから長州人は」

 安死愈(あんじゅ)が怪訝な顔をして尋ねる。

「どういたしましたか死連様……? 不満アル?」
 その顔を見て死連が溜息をつく。

「えぇ、大アリよ。恐らく長州系の殺女(さつめ)と、薩摩の田原坂を生き残った連中に割く要員は無いと言う事。ここには山縣の身内贔屓と殺女への恐れが内心にあるだろうな」

 山縣とは、元・長州奇兵隊軍鑑であり、現陸軍中将の山縣有朋である。山縣は、長州諸隊での殺女の戦力も薩摩藩兵の精強さも心底知り抜いている。そして、何よりこの男は抜け目なく、政治力も長けている。今は自分が陸軍の、いや、日本国の軍の実権を握る事にその心血全てを注いでいるのだ。

 そして、山縣が最も恐れている存在が殺死丸(あやしまる)である。

「まずいな、これはまずい」

 死連は、この事態に国家的危機を感じざる得ない。それは、御一新以降、今漸く此の日本が新国家として成立しよう時に、国家の軍隊を握ろう男が、殺死丸の様な者に過剰な恐れを抱くとあっては、極東の小国といえど、一国家としてあってならぬ事である。
 しかも、殺死丸は今や軍籍は無く、実質、機智家に軟禁状態であるのにも関わらずだ。今、死連は、殺死丸が此の一件をどう考えているかはわからないし、その意見を聞く気も無い。何故なら、殺死丸は最早軍人では無いのだ。そして、今は、幕末期の様な無政府状態ではない。統一政府が出来た国家であると欧米世界にも宣言しているのだ。しかし、今、新政府軍を脱走している殺女は長州諸隊、遊撃隊で、殺死丸が曲がりなりにも可愛がり目を掛けていた二人でもある……
 それを、今此の国の陸軍鎮台は、その捕縛、討伐を遠巻きながらも拒否したと言ってもいいのだ。死連は此の事実に重大な危機を感じている。

 まだ此の国は、幕末の生き残りや壮士、志士気分の連中が大手を振るって幅を利かせている様なものなのである。
 
「仮にも、一国の軍隊が殺死丸に遠慮をしてどうなるというのだ」
 死連は、目の前が暗くなる様な思いだった。

 だが、此の国にとって最も悲劇的だったのは、その壮士気分の軍人達が全て死んでいった後に残された末の昭和という時代に現れた軍隊である。その大元の指揮系統は全て実戦の経験などない官僚であった。

 実は此の明治の時代、此の後の官僚軍人の現れる事を最も危ぶんだ男が、木戸幸一(桂小五郎)である。彼は政治家と軍人は決して混ざってはならぬと後輩である山県有朋にきつく言い含めていた。だが、木戸は西南戦争中に死んでいる。最期の言葉は、
 ”西郷、もう止めんか”だったと記録されている。

 だが、刻というものは残酷でこの時の死連にはその時代の行く末などわかろうはずもない。
 西郷隆盛も、桂小五郎も、坂本龍馬も、中岡慎太郎も、吉田松陰や高杉晋作、大村益次郎も……最期はみな非業の死だった。そして、この時まだ存命であった大久保利通も暗殺される。

 死連は、日本最大の内戦であった、西南戦争の残滓の後始末に追われ、それらに心を傾ける暇はなかった。死連には、この後の殺女と薩摩藩士の第二の西南戦争と呼ぶべき次なる内戦の種を、防ぐ事が現状の最大の関心事であるのだ。
「安死愈、珈琲を……」

 その時、ドアを蹴破る様に勢い良く大徳寺政直が入ってくる。

「死連殿!! 本日は何処へ? 私も、ご同道致します。なんなりと!」
 死連は困った様な顔をして言う。
「キミか……また、朝一番に。昨日の今日だよ?」
「わ、私、死連様と行動を共にし、ぜひ共尽力せよと、岩倉卿に、も、申し使っておりますゆえ……」
 顔を赤くしながら、大徳寺は目を白黒させ言った。

 溜息が舞った。

 すると、安死愈が声を厳しく大徳寺に詰め寄る。

「貴様ぁ!! 部屋にノックもせず入るとは何事だ! この公家上がりが!! ツケアガルナ」

「ひっ!!」

「安死愈、いい……悪いが大徳寺クン? 今大事な話をしている。後で何かあれば呼ぶから席を外してくれないかな?」
「しかし……あの」
 死連はそれきり口を閉ざし、目を瞑って答え無い。薩摩系である死連のやりかたである。それ以上は決して応接しないと言うゼスチュアである。

 大徳寺は取りつく島無く引き返していった……

「死連様?」
「ん?」
 死連は、安死愈の次の答えに関心なきそぶりで「ん?」と答えた。

「あの男、海にでも浮かべて来ましょうか? 近イウチ二」
 安死愈は、あの男を秘密裏に殺そうかと伺い立てているのである。
「控えろ」
 死連は、この手の殺女の殺人癖を良しとしていない。
「しかし、彼奴、間違いなく政府の間者であります。マチガイナイ」
「だから? それが殺す理由?」
「それ以上に何の理由が……! そ、それに、あの男は死連様に如何わしい思い抱いております!!」
 
 死連は心底呆れた顔をする。
「控えなさい。そんな事をしている余裕はないし、意味もない。 安死愈、貴女それより勉学の方はどうなっているの!? 英語と数学」

「それはっ……! その、ヤッテル……」
 
 痛い処を突かれたと言う顔になる安死愈、大きく部屋の隅に視線が動く。
「そう、では……Ok.All right.Navy power is inevitable in this future of our country」
 安死愈は突然でた横文字にしどろもどろになる。
「Ah.a~.Yeah.I thing……ア〜アア、ア……」
「Mmm. What happened? ……Well. Then, do you know what you need about?」 

「あわわわ〜ワカリマセン……」

「安死愈? こんなものは、そこいらの子供でも教えればすぐに解すよ? 公家のガキを殺す前に、一つでも英単語を憶えなさい。君にはもっとやる事があるだろうに? どう? それに、海軍たれば砲術が必要不可欠。であるのならば、数学が出来ねばいけないでしょう。貴女は、銃砲の扱いに秀でてはいますが、艦上の砲術は別の話です」
「でも……」

「我が国は……四海に囲まれております……今の様な稚拙な海軍力では欧米に責め立てられれば一月、いや、二週間と持ちますまい。長州が海上からの砲撃で四カ国
連合軍に蹴散らされたのを忘れたか!」

「以降、勉学に励みます、ゴメンナサイ……」

 まったく……死連はもう冷めている珈琲を飲み、煙草に火を点けた……


 同鹿児島市中、鍜治屋町付近。

「ねぇねぇ、君、その犬の死体なんで後生大事に抱えているんだい?」

 殺華は、前を歩く若侍に不思議な顔で問う。
「おお、こや太か(デカい)エノコロ(犬)っじゃ! 当家んもんに持っていくっじゃいやい」
「へぇ〜え」

 何だか、自分が素手で絞め殺した犬を家の者たちに自慢したいだなんて猟師みたいだな、と殺華は思う。と同時に、この若侍は、何処となく無邪気というか蟠りのなさが妙に子供っぽくもあり殺華はこの男に不思議な魅力を見る。だが、この若侍、線は太くなく薩摩武士らしい顴骨(かんこつ)高く頬の締まった剽悍ではない。どちらかというと上方武士の様な雰囲気である。そんな若侍だがその内面は薩摩独特の豪胆者(ぼっけもの)なのだろう。大きな野犬を肩に担ぐ様がそう云っている様に殺華は思う。

 犬は全身疵だらけで、片耳も食い千切られた跡がある……恐らく他の野犬や野性の中で戦い抜いてきたのだろう。死顔もだらし無く舌を出した様ではなく、何処となくふてぶてしく、厳ついのだ。

「この犬は中々の古猛者(ふるつわもの)だょ!!」

「そいじゃ! なかなかん大物っじゃ! こや、皆が見たら喜っぞ! わはは」
「わはは〜」
 殺華もなぜか笑う。

(でも、なんで喜ぶんだろう……? 変なの)

 すると、殺華は見知った方切りに差し掛かったことに気づく。

「あれ、此処、鍜治屋町だ……」

「おお、こん辺りを知っとぅかい? 汝(わや)」

「あり?」

 殺華はその見覚えのあるボロい武家屋敷を見る。

「此処が我が家じゃ! 遠慮せず入りやんせ!」


「え……!?」

 殺華は、肝付邸の前で狼狽する。

「えぇ!! 此処、肝付の家じゃないか!」
 若侍は大きく頷く。

「そっじゃ! 儂の家っじゃ」

「君が……肝付君!?」

「? なんじゃ、儂の名も知らんうちん天下に響いチョッたか! 汝の様な他藩の童も存るなぞ、こや驚きじゃ! がははは」

 若侍は、日差しを受けながら無邪気と笑う。

Re: キチレツ大百科 ( No.132 )
日時: 2017/01/11 22:24
名前: 藤尾F藤子 (ID: 2qFw4l..)

「儂は、肝付十字郎(きもつきじゅうじろう)っじゃ」

 その若侍は、薩摩の日差しと、一瞬吹いた風を受けて云った。
 殺華(さつか)は、此のただならぬ男が、薬丸流の肝付家の者であると素直に納得した。単純に人を殺す事のみを追求した殺人技術の薬丸自顕流の宗家の男であると……

 しかし、薩摩人は不思議である。そこに何か後ろめたさや、昏さの様なものは一片もないのだ。ただ只管に吹く風のような荒々しさと、まるで花弁を軽く擽る優しげなそよ風が一体となったような……そんな風(ふう)だ、と殺華は思う。

「薬丸(やつまっ)どん! 薬丸どんじゃなかか!? 中将様(藩父:島津久光)はどげしたか?」
 
 薩摩では、薬丸が訛って『やつまっ』または『やつまつ』などと言う。

「おぉ、きゅ(今日)暇(いとま)を下されっでん、けって(帰って)きもした。わいどんらこそ、どげんしたとね。儂の家ん集まってんからに」

「薬丸どん、なんちゅてんなごぶいな。(なにはともあれ、ひさしぶりだな)」

「応!」
 十字郎は、その凛々しいが、どこか子供っぽい顔に一杯の笑みを作る。

 そうしている内、肝付邸の門の中から次々と、若い兵児二才(若者)達が駆け出してくる。この郷中(近所の方切)の同輩達である。皆、若いが年齢より年上に見える精悍さと、粗暴さをその身に持ったなりである。

(あわわわわ、これはこの前と同じ展開に……!?)

「ん!!」

 その時、一人の男が、目敏く殺華に感づいた!
(き、今日こそ嘗められてはいけない……一発かますんだ……!)
「おっ! お前さぁこんまえのガンタレ(ダメな奴)か」
「何それっ! きっと悪口だなっ! 僕ガンタレじゃないやい、殺華と言うんだぞ! あ……」

 全員の視線が殺華へと集まる。
「あややや! なんだよ、ぼ、僕は今日軍服着てないぞ!」
 そういうと、殺華は十字郎の背に隠れ頭だけ出して様子を伺う。

「おぉ、あん和郎か……今日は生っ気な袴っ着っおっぞ」
 そう言うと若者達は十次郎を囲み屋敷の中へ入っていった。

「ないじゃ、知り合いじゃったか? おまさぁらは。おう! 殺華、はよ入りんさい」

「はれ……今日は苛められないや」

 殺華は訝しがりながらも肝付の屋敷に入っていく。

 薩摩人は、怒りっぽく根気がない。だから、一度にその怒りを発奮させる事はあってもその場限りで、怒りを恨みや遺恨等として続かせる事がない。いつまでも、恨みがましく文句を言うなどという事も薩摩では卑劣として軽蔑されるのである。

「それにしても、あの野犬に連中はたまげても良さそうなのにな……」


 すると、薩摩兵児達は、屋敷の庭に出て、皆で素手で土を掘り、小山を作り出す。それがどんどん積み上がり、やがてそれは大きなかまくらの様になっていく。

 十字郎が野犬を肩から下ろして言う。
「どっじゃ、太かエノコロっじゃいや! わはは」

「おお、こいつは腹ん沢山、腸ばはいちょっぞ! ははは!」
「よし、おいに貸しちくいやんせ」
「よし、そいじゃいっちょ見せちくいやい!」
 十字郎が犬の前足を、他の仲間が後ろ足を掴む
 
 すると、前に出た男が、その犬の腹を目掛け思い切り鍵字の様な手刀を繰り出した! 

 「な、なんだ〜!!」

 殺華はその光景に目を見張る。

 バチンッ、と言う濡れ手拭いを打つ様な凄まじい音が響き渡る!

「よし、一撃じゃっど!」

 何と、兵児二才が素手で犬の腹に穴を開けたのだ。

「ななな、なんだってー!!」

 殺華はその様に魂消て、感嘆の声を上げる。

「素手で、野犬の皮膚と筋肉、脂肪を突き破った……!? 凄いや」

「がはははっ、どっじゃ? 見事なもんじゃっろ殺華ぁ!」

 十字郎は犬の飛び散った血を頬に走らせ豪快に笑う。

 そして、犬の体からはらわたを手づかみで引きずり抜くと、今度は水で洗いだした。

「犬の革でも取るのかい?」

「いんや、見てっけ(みとけ)」
「何だよ、もったいぶるなよ〜」

 すると、一人の兵児が手桶一杯の生米を持ってきて、その洗った犬の腹にぎゅうぎゅうに押し込め、針金で腹を括ると、小山で作ったかまくらの中に犬を放り込んで火を放つ。

「え!? は? 何してんのさ!?」

「エノコロ飯っじゃ!」

「! おえぇぇぇ、あの犬っころ食べるのかい? 汚いよ!! おええええ」

 殺華はえずく。

「がっはははは! なんちゅことんなかっじゃい! 戦場では兵糧が無くなってん、犬でん猫でん、んま(馬)じゃっでん食わないけんじゃろがい?」

「うぇぇぇ、長州や東京じゃそんな風習ないよ! あ、でも馬は殺死丸の姉者がよく食べてたし僕達も食べてたよ! 滋養に一番良いって。でも、そこいらの小汚い犬なんか食べたら、家で怒られるよ。『穢らわしい物を食うな!』て……はっ!? これはまさか新手のイジメか!?」

「がははは!! 長州や都人の様なお上品な輩(やっぱら)にゃ分からんか」

 薩摩兵児達は笑って言った。

「なんだとぅ! いいじゃないか! 僕だって食ってやるぞ」
「そいじゃ、もそっとまっちょりや」
 

 二時間はたったであろうか、初めは焼けにくかった犬の肉が脂でジュウジュウと焦げだした。

(なんだこの臭いは……普通に肉が焼ける匂いだ……しかし本当に食べるのかこの連中は。これじゃ野人や土人じゃないか)

 殺華は、庭の隅で石ころを蹴飛ばしながら時間を潰す。薩人達は今か今かと小山の釜戸の中を覗いたまま動かない……

「よしっもうよかっじゃろ!」

 殺華は引きずり出された犬を見て呆然とする。

「ただのケシ炭になっているじゃないか……」

 黒焦げの塊がゴロンと転がった……

「こんなの食べられないよ……」
 殺華は言った、そして半ば呆れた様に頭に腕を組むと口笛なんぞを吹き出した。

「まぁ見てろ、こや良か珍味っじゃぞ」

 消し炭の腹を開けると、赤と黄色の飯が犬の腹の中で蒸しあがっていた……

「おぇぇぇぇ、気持ち悪い!」

 兵児達は、それを争う様に自分の腕によそり、汁をかけて蕎麦をすする様に食べだした。

「うまか!」
「よか味っじゃい!」

 殺華は、それを見ながら嘔吐を催す様な気持ちであったが……
 米はどちらかと言えば玉子飯や赤飯の様にも見え、匂いも犬とさえ思わなければ普通に馬や牛と変わらぬ匂いでもある。

「ししし、しょうがないな〜……僕も頂いてやるぞって、もうないじゃないか〜!!」

「もたもたしておっとじゃ」
「そや、早い者勝ちじゃぞ。がははは」

「良いよ別に、僕お弁当持ってきてるし……別に食べたく無かったし〜」
 殺華は良く分からないが、何だか、この連中の風習を見せびらかされたような気分である。この黒焦げの犬の肉を食わされるのかと思いヒヤヒヤした自分が損をした様な気分であった。

「なんだいなんだい、自分達だけがっついちゃってさ」
 そういいながら腰に下げた竹筒から出したおにぎりを一気食いする殺華。
「うぐ!」
 一気食いすれば、喉につかえるのは当たり前だ。
「み、みず〜……!!」

 肝付邸の庭でどっと笑いが起こった。



 官軍第一旅団司令長官の陸軍中将、野津鎮雄の執務室に、死連(しづれ)が居た。傍には、大徳寺政直も居る。

 死連は、今回の件を全て死連の部下の殺女と、現在大阪城に駐屯している殺女の部隊で執行ないかと提案を申し出たのだ。

「しかし、それでは結構な軍事行為になってしまうな。死連君」

「捕縛するには、補給の兵弾薬では足りず、やむ終えないと判断した次第です」
 
 その後、恐縮しながら大徳寺が計算した損害予測書を提出した。これは主に殺目(あやめ)の鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争、北越戦争、箱館戦争での首級や戦果を元に、山縣有朋から送られてきた補給と照らし合わせ計算したものである。

 野津鎮雄は薩摩人としては、西郷ではなく、大久保利通、大山弥助(巌)西郷従道に付いた男である。野津は弟もいるがこの兄弟は”戦争しか取り柄のない兄弟”として言われる程、戦を知り抜いている。しかも、今でこそ陸軍中将などという位に収まっているのだが、彼は薩摩の古武士の士風を強く持っている。
 彼は西南戦争でも、自ら剣を振るい、最前線では、返り血を頭から被り、赤鬼の様な姿で薩摩の斬り込み隊と死闘を繰り広げた。兵糧が無くなればどんな獣でも喰らい、敵の死体から慣れた手つきで肝臓を取り出すと、それに齧りつきながら、西郷なんたるものぞ、と味方を励まし、抜刀突撃する。この時代の戦争では、こういったタイプが野戦司令官としては適任である。その鬼神の姿に弱り切った味方の鎮台兵士逹は奮闘し、西南戦争を切り抜けたという。

 だから、野津はこの死連の提案を理解できる。
「やはり、穏当に帰隊させることは無理か……?」

「軍服を売りに出していますし、装備の武具は持ったままの様であります。叛乱の意志が少なくとも、無いと言えません」

「私の部隊から出す」

 死連は、押し留める様に手を出し無用の意志を示した。
「それはなりません。もし、薩摩系の部隊と今、殺目達といる西郷軍の敗残兵がぶつかれば、恐らく飛び火するでしょう。肥後や長州辺りの不平浪士達は此処ぞとばかりに集まるでしょうし、何より、今いる薩摩の若者達に島津久光辺りが祭り上げられる恐れもあります。それに、この鹿児島市中の隊を割く訳にも行きますまい」

「ふぅ……戦が終わってん、面倒ごとが終わらんな。薩摩はまっこつ火薬庫っじゃ」

「私も……妹達は捕虜として攫われたか、一時の気の迷い位に思っておりました。何しろ殺目と殺華は、あの薩摩嫌いの殺死丸の部下でしたので」

「今度ばかりはおいが直接指揮を……」
「なりません」
 野津の高く伸ばした立派な口ひげが少し角度を下げる。
 やはりなんだかんだ言ってこの男は血が騒ぐのである……
「陸軍中将閣下?」
 死連は少し意地悪に言った。
「んん……ゴホン!」

Re: キチレツ大百科 ( No.133 )
日時: 2017/01/10 18:08
名前: 藤尾F藤子 (ID: wVVEXLrP)

 営舎の廊下を歩く死連(しづれ)と大徳寺政直。

「死連様……ひとつ伺ってもよろしいでしょうか?」
 死連は、後ろに歩く大徳寺に顔を向けずに言った。
「ダメと言ってもどうせ聞くのでしょ? なんだい?」

「あの、野津閣下の部隊を動かす事を何故お受けにならなかったのですか? 最早我が軍は数では圧倒的でしょう? 精強の薩摩武士といえど、たかが敗残兵です。それに市中の若い者達が幾ら集おうが、本隊には最早抵抗できないかと……」

 死連はフムフムと聞いている。そして、粗方大徳寺の論を聞いて営舎の窓を開け、火打ち石を打ち煙草に火を点けた……

「甘いよ、君には戦火を未然に防ごうという意志が決定的に欠けている。それじゃあ、兵を効果的に動かし、効率良い戦果を挙げる事は不可能だ。君が軍事に慣れていないと言う事もあるが、戦争を、殺し合いというものに決定的に知らなすぎると言っていい」

「しかし、私も官軍の東征へと御一緒致しました」
「どうせ有栖川宮に引っ付いていただけさ? 参戦はしていない。観戦していたんだ、それも前線は観ていないだろう?」
「それは……」

「いいか? 戦争は、自軍と敵軍だけじゃない。民が其処に住んでいる場所で行われるのよ? 我が国はそれらを未だに鑑みていない。いえ、まだ我が国の軍にそれを考えている者はまだ少ない。未だに戦争はまず民を除け、略立つし、民家を焼き払い、戦場とするなぞ古臭い戦国時代の慣わしを行う者が殆どだ。そんな時代遅れの戦争などしていては、世界と渡り合うなぞまるでお笑い種だよ……」
 死連は煙草の煙を輪っかにして頭上に舞い上げる様にプカプカと吐いた。

「民がいぬるば国家なし……国家を作る為にはまず民草を撫育する事だ。その精神がなければ容易く国は道を危ぶむ。君にはそう言うところをもっと考えて欲しいな……」

「は、はぁ……」

「ふふん、少し説教臭かったかな。許せよ……?」
「い、いえ! 以降心がけます」

「フッ可愛いよ、その調子さ……後で呼ぶ。下がれ」

 大徳寺は顔を真っ赤にして去っていった……

 死連はそのまま、開けた窓際に腰をかけて階下を見やる。

 営舎の門側で何人かの袴姿の者達が整列している……

 その中で、一人だけ鳥打ち帽を被った背の低い者がこちらに手を降っている。

「安死愈? 中々様になってるよ? まるで商家の若い家人に見えるぞ!」

 死連のすぐ下まで小走りに安死愈が来た。顔は少し不服そうな色加減である。
「死連様……其れはナイです、アンマリダ〜」

「っふふ! 似合っていると言ってるのサ! それより、頼んだぞ。他の者達は薩摩の国事情に詳しい者と薩人だから、聞き込みも情報収集もし易いだろう」

「もう! 似合っテナイ。でもでも、市中に殺目達はまだ居るでしょうか? もうとっくに薩摩を出たのでは? 少々アヤシイ」

「私だと悪目立ちしちゃうの、お願いね。あの子達はまだ絶対居るわ、意外と慎重だから。それと夜盗の情報も仕入れてくれ。市民の直の声や地域の”噂”を聞くんだ。事細かく。生の情報だよ? わかったね」

 そう言うと死連は硬目を瞑り軽く手を振った。

 安死愈は少し訝りながら、しぶしぶ手を振り、何回か後ろを振り返りながら、他の者達と門を出て行った……

 
 その頃、殺華はというと……

「うぉぉぉぉ! 飲み易いゾォォ!! なんだこれはぁぁぁ!?」

 酒に酔っていた。

「どうじゃい! そいが本物の薩摩のショッチュ(焼酎)じゃ!」

「うぉぉチェストーだょおおおお!!」
 殺華は酒が好きである。東京に御親兵として配属された時に、初めてもらった給金にて酒を覚えて以来、立ち飲みや酒場に遊びに行くのが殺華の楽しみである。普段や何かある時まで欲しがるという事はないが、盛り場になると飲んでしまうのだ。しかも滅法強いのである。

「薩摩んショチュの味が分かっと!? こん和郎は中々イケるやっ(奴)じゃあ! がははは」

「おぉぉぉぉ!! これが本場の味だょぉぉぉ!! チェストーキェェェェ!」  
 昼間から、庭の真ん中で、薩摩兵児達と酒宴に興じる殺華である。

 十字郎も、それを笑いながら見ている。

「殺華、おいの家ではチェストーじゃなか」
「ふぇ? チェストーじゃないの」

「俺いの家では……」
 十字郎はそう言うと、腹の丹田に力を入れ呼気と共に吐き出す。

「チェースト!!」

 それは、覇気と熱意が入り混じった灼熱の言葉……

「どっじゃ、今一番の時はこうじゃい!」

「ぉぉぉお……凄いぞ、肝付君よ! 空気が震えたぞ!! この、この僕の魂もだ!!」

 殺華は酔っ払ってはいるが、その酔いまで吹き飛ばされたかの様な爽快を得た。

「これだ、これだよ! 薩摩の隼人(はやひと)だ! さつまはやと……」

「おぉ! こいが本モンの薬丸流の肝付十字郎じゃぞ! 薩摩隼人のお手本の様なボッケモンじゃ!」

 十字郎の朋輩達が、まるで自分を誇る様に十字郎を殺華に自慢する。しかし、十字郎は何かその様子に照れた様な、以後心地の悪い様な困った顔をしている。それは、自分に驕りの無い証拠である。それは、堪らない貌である。

 何と魅力ある青年なんだろう……単純であり、愚直では無い。野蛮であるが野卑で無い。そして、独特の誠実さがこの男の貌に溢れている。ある種それが此の男の気品ですらあるかのような独特の良さであるのだ。
 殺華は思う、此の男はそういった目に見えぬ爽気、気魄、人徳の様な言葉だけでははっきりと表現できぬ様な”力”を備えているのだ。
 これは、殺華が頼母壮八や指宿熊吉にも感じざる得なかった感情である。

 此の男を、殺華は大いに気に入った。

「肝付十字郎君!! 君を隼人と見込んでお願いがあるんだよ!!」

「……? ないじゃ。言うてみいやんせ?」

 風の様に瞳が動いた。此の時代武士家の者は何であろうと容易く嘘はつけない。しかも朋輩達の前である。薩摩の郷中教育では”卑劣”はゆるされない。肝付家程の家の者なら尚更でもし、容易い嘘などを吐いたりすればそれは軽蔑の対象であると同時に、制裁の対象でもある。それは生死に関わる事であり、そういった事も薩摩では珍しくない。

「僕に、僕に! 薬丸自顕流を教えてくれぃ!! 此の通り」

 殺華は手を付き、庭の地面に頭を擦り付ける。

「此の通り、お願い申す」


「……」

 場が一瞬で静かになった……皆が十字郎に注目している。

(あん、和郎言いよったぞ!)
(まずか! あんやっぱらは気安くいっでん殺されっど!?)

 兵児達が小声で囁く。

「そうまで言ったなら、わい(汝)はぁ……死ん覚悟ぁ出来てんじゃな……」

 一度言ったことは取り消せない。殺華は此処で殺されたとしても文句は言えないのである。薩摩の撃剣を他藩人が容易く修めようなどとは薩摩人に決して言えない事であるのだ。

「いいよ……僕も君になら此の場で殺されてもいい!! 御返事如何様に!?」

 殺華は頭を地面についたまま云った……

 十次郎が刀に手をかける。

「まずか! 十字郎どん! なにも殺す事は……!」
「十字郎どん、こやっ言ってる意味がわかっとらんっじゃ! 許してやいもそ!」

「ウゼラシ!!」

「ないすっど(何するんだ)やつまっどん……」

 十字郎の顔は、先ほどとはうって変わり笑みは消え失せていた。 

Re: キチレツ大百科 ( No.134 )
日時: 2017/01/11 20:19
名前: 藤尾F藤子 (ID: 2qFw4l..)

 時を同じくして、殺目(あやめ)は大根を土間でじっと見つめていた……
 本日は、頼母壮八(たのもそうはち)が出掛けていて、指宿(いぶすき)と殺目の二人である。

 殺目は、大根も見つめながら、昼餉を考えているのだ。

「ふむ、関東炊(かんとだき)か関西炊どちらにすべきか……」

 殺目は料理を作るのが好きだ。いや、物を造るという行為そのものに喜びを感ずる一面がある。現代の殺目も模型作りや刺繍、料理から絵画など多岐に渡る趣味がある。子供の頃には殺華に木彫りの船の玩具や馬などを作ってやったこともある。

「お前には、関西風の薄味を染み込ませるのが良いと思う。しかし、薩摩の醤油はどちらかと言えば濃口に当たるやもしれん……素直に関東炊にすべきかな?」

 殺目が、ぶつくさと大根と喋っているのを指宿が囲炉裏の前で見ていた。
 実は薩摩には物に喋りかけるという独特のユーモアがある。有名なのは台風の時、西郷隆盛が甲突川を流される童女の小さい下駄に向かい「下駄さぁ、こん嵐ん中ぁ何処ゼェおじゃすどか?」と語りかけ拾い上げたと言う。意味は、この台風の中に何処に行くのか、という意味であるが、それは物言わぬ物質に対するある種ユーモラスでありながらも優しさの様な物を感じさせる。此処に、薩摩の郷中の教育の一端が垣間見える。

 ”尚武の精神と憐れみの精神”である。

 指宿は、それを思い出しながら殺目を見ていた。凡そ優しさや、憐れみ等と言う言葉と正反対な殺目に、初めて物に対する憐れみの様な感情をその横顔に見出したのだ。

(ああいった顔をすることもあるのか)

 指宿はそう感じていた……

「……? 私の顔に何か?」
「いや、そうではない」
「なんだ? おかしかったか?」
「いいや、そうではない」

 殺目は、指宿とあまり会話が長続きしない。しかし、嫌な感じはしない。むしろ、この男にある私心の無さをを感じ、善しとしている。殺目はこの指宿熊吉という男に一目置いている。普段は物静かではある。が、時に至っての勇猛さを西南戦争での戦場で、敵として向かい合った間柄である。その鬼神の様を実際に目の当たりにし、よく知っているのだ。殺目は、単純な一対一の剣だけの勝負ならどちらが勝ってもおかしく無いとも思っている。勿論負ける積りもないとも思うが、勝つ事は生半ではないと思うのだ。

「たしか、指宿……お前は飛太刀流だったな」
「いかにも」
「見事なものだった……」

 指宿は答えない。大半の幕末の志士はこんな時自分の腕を美々しく語るが、指宿は誇るでもなく、へりくだりもせず、ただ少し目線を下に移すのみである。

「貴方は……これからを、如何様に考えておりますか?」
 指宿は江戸の薩摩藩邸詰めになった事もあり、上方の武士言葉を喋れる。殺目も喋れるが、実は長州弁というのは関東の所謂、東京方言の源流の一つである。それは御一新と共に長州の軍人や役人が東京の政府に集ったからだ。薩摩も大量に軍人や高官が集ったがその方言は関東人には馴染まなかった。この時代の東京の言葉はまだ江戸弁が庶民には親しみがある。因みに殺華の使う『ぼく』『きみ』と言うのも、長州志士の志士言葉である。取り分け吉田松陰が好み、高杉晋作が手紙などで使っている。京都では、攘夷志士から新撰組までこの僕、君、を使うのが流行った。現代の自衛隊にも長州言葉は使われている『〜であります!』や『ちゃ〜くだん(着弾)』や現代語と違うイントネーションのものは、明治時代の長州藩の支配した陸軍から今も引き続いている。

「これからか……さて、私はこの大根をどう煮付けるかで手一杯だ。今日の昼餉は風呂吹きにしようかと思う? 下味を迷っている……」

「私は、料理の事はわからぬゆえ……」
「まぁ、そうだな」

 また、殺目は大根を見つめる。

「私は……俺いは、壮八どんが言うちっこつと同じ意見でごあんそ」
 指宿は、あえて薩摩弁で言った。口数が少ない分、この言葉には重みがある。

「お前達になんの益があるというか」
 殺目は大根から視線を外さずに呟いた。

「桐野サァが言ってもんした。おはんサァらを頼まれもんした。そいで十分じゃっと」

 死に際に別れを背中越しにした、桐野利秋である。幕末、人斬り半次郎と呼ばれ京都では新撰組も道を避けたと言われる男だ維新後は、家系の名の桐野を名乗った御親兵の陸軍少将である。西南戦争では殺女(さつめ)で構成された先鋒抜刀隊と激戦を繰り広げた、四番大隊の大隊長であった。

「人斬り半次郎……か。さっ、もうすぐ昼だね……? 飯の時間だ」
 指宿はそれを聞くと、静かに頷いて飯を待つ。

 その日、指宿は飯を二度お代わりを所望した。
 殺目は、悪い気分ではなかった……


 殺華は正に死に際という禍の中にいた。

「やつまっどん! 待っちくいやんせ!」

「そっじゃ、此奴は他藩人じゃ! 見逃してやいもそ」

 十字郎はもう、何も言わない……

 殺華は頭を地面に擦りながら思う。
 これが、死線というものかと。しかし、悲壮は一切なかった。それは此の男になら斬られても良いと思ったからだ。動けばすぐ様に斬られるだろう……

「十次郎どん!」
「やつまつどん!! 待ちやい」

 殺華の前に兵児達が集まる。

「退けぃぃぃぃぃぃい!!」

 十次郎の凄まじい気魄が炸裂する。
 何人かが、呆然を身に受ける……

「どきやい!! 儂と殺華の話っじゃ」

 人垣が自然と割れて、十次郎が殺華の下げた頭にすぐ横に足を置く。

(十次郎どんは首ば落とっ気じゃ!)
(そげな惨かこっ!)

(黙っちょけ! おい達にゃ見てるこっしかできん。此処は薬丸流の肝付家じゃっど)


「死にやい」

 抜刀、その閃光が奔る!

「!?」

 ビタリとその刃、殺華の首元に張り付く。
 それは、切れるか切れぬかの境界の線である……そこに、刀の刃が一寸も間違える事なく停止しているのだ。


 ”刃止め”である。不得手な者にはこれは出来ない。

「お前サは今死んだ。これよりは死よりもつらか自顕流の荒稽古じゃ。死ぬ事も許されぬ地獄の道じゃ……」

「じゃあ僕は!?」

「本日よりィ!! 此処にいっ、殺華は当流の門下であっぞ! わいどんらぁ、よろしく面倒みてやってもんそ!!」

「じ、十字郎君!!」

 殺華はその言葉で、初めて顔を上げる。涙と鼻水で顔はグジヤグジャである。

「おぉぉ!!」
「他藩のモンが……凄かっぞ、殺華……」
「あん気魄んなか大したもんっじゃ」

「僕も……薬丸自顕流を……!!」

 十字郎は漸く笑顔に戻る。

「そいじゃ……呑みやい!!」

Re: キチレツ大百科 ( No.135 )
日時: 2017/01/17 22:20
名前: 藤尾F藤子 (ID: /PzKOmrb)

 殺目(あやめ)が外を見つめている。

「んだもした、殺目さぁ。殺華んこっか? 大丈夫じゃ、今頃肝付サァの家でうまくやっておいもす」

 夕方ごろに帰ってきた頼母壮八が、そう言って殺目の心配を他所に買ってきた焼酎を嬉しそうに飲んでいる。

「それにしても帰りが遅い! また盗賊風情に絡まれているんじゃないか? 少し辺りを見てくる」

 殺目は、殺華を妹とは思えど朋輩や戦力的な味方とは見なしていない。幕末、殺華の役目は主に諜報や潜入を最優先とされていた。おまけに戦での戦果など無いに等しかった。しかし、決まっていつも怪我も無くヒョコッと帰ってくる。殺目は殺華をある種運の良いバカな妹位に見ている。だが、あの妹は愚劣ではないとも思っている。きっと何かに秀でている”才”の様な物が隠れている筈なのだ。しかし、殺華は昔から何をやらせてもダメだった……
 そんな時、殺目は思ったのだ。では通常でない撃剣や特殊な学問的教養などがあれば良いと……そこで薩長同盟から御新兵になり、何度も敵としても戦った薩摩の特殊教育と示現流の分派などが殺華には合うのではないか。
 それは、殺目が期待していた程に単純無邪気の殺華には気に入った様だった。しかし、薩摩というのは他藩人には堅牢なまでに秘密主義を守った国だった。

 しかも、今この地は戦火の後始末も儘ならない位大変無法が跋扈している。
 
 そこへ、静かに杯を傾ける指宿(いぶすき)が呟いた。

「大丈夫です、肝付家は他の藩士同様貧乏ではありますが、城下士であります。この遅い夜に女子を一人で家外へ帰すなどしますまい」
 壮八も頷きながら言った。
「心配いいもはん、殺目サァ、どうじゃ、一杯?」

 薩摩藩士が女子に酒を進めるなど当時はあり得ない事ではある。しかし、ある意味壮八は殺目を男女関わり無く、その実力を認めての上である。

「すまない、遠慮しておくよ。酒はあまり好きじゃないんだ」

「こや、失礼しもした。殺目さぁが酒乱の気があったとは」
「誰が酒乱だ!! 私は下戸なんだ!」

「がっはははは。ならしょうがあるまいな、しかし其処にいつまでん居ても寒かろう? 火に当たりやんせ?」
 壮八が、赤銅色に染めた顔で優しく手招きする……
「ふん……!」 

 殺目は悴んだ指を囲炉裏の炎で温める。

 壮八が肩へ蒲団を掛けてやった。

 何時もこんな薄い蒲団を掛けて冷たい境内を下に寝ているのか此奴らは……殺目は改めてこの男達の奇癖を思った。壮八たちは、この廃寺に辿り着いた時、一番ワタの詰まったものを無言で母屋の殺目達の寝室へと運び、それから一度も其処には近寄らなかった。 
 妙な可笑しみと、優しさが混ざり合っている様だ……

「何か作る……」
「よか……おい達に気ぃば使うな」

「本日は冷えます。私と壮八は気にしないで、此処で暖をとった後就寝なさい」
 指宿が静かに言った。
「……うん」

 先程、殺目は嘘をついた。自分が下戸といったのは、酒を飲むと昔の嫌な思い出が蘇るのだ。そうするとどうしようもなくなる。そんな醜態を晒す訳にはいかぬからである。
 少し殺目は後ろめたかった……仮にとはいえ、仲間に嘘を吐いた。これは卑怯卑劣fである。

 しかし、壮八達は拒否した理由もその正否も問わなかった。

 不思議な時間だった。
 誰も喋らない、しかし、時折ふと目が合うと何か其処には意志の疎通のようなものがあるのだ。だから殺目にとってこの沈黙は嫌じゃないのだ。

 何故だろう? 壮八と指宿はツマミも無く、況してや会話をするでも無く背筋を伸ばしたまま、一献また一献と手酌で黙々と飲み続ける。しかし酔って乱れるでも無く、ただただ呑み続けるのだ……
 しかし、殺目はその二人の様に、ある事を気づいたのだ。それは、喋ってはいないが、時々妙に納得した様な顔付きになったり、何か渋った様な顔になったりしている……様な気がする。別に表情を実際と動かしてはいない、もしかしたら火の明かりのせいでそうみえたのやもしれない。しかし殺目にはそう見えたのだ。

(囲炉裏の火を肴に飲むか……)

 何だか、この男達には妙にそれが馴染む。質素である、しかし其処にはなんとも言えない気品がある。そして勇壮と滑稽が入り混じっている。要は江戸で言うところの”粋”であるのだ。
 ”粋”というのは侘び寂びにも似て、敢えて何処が欠如していたり、或いは失っていなくてはいけない。其処には哀しさや虚しさという言葉が合うだろうか……そういったものを、ただただ悲壮に見せない豪胆さの様なものが必要であるのだ。
 只々全てを備えているものには、その”粋”や侘び寂びというものは理解できない。

 殺目は、哀しさと虚しさは良く知っていた。
 いや”ソレ”しかなかったのだ。
 ”ソレ”しか、持っていなかった……
 そこはかとない、哀しさ虚しさの中で、ひたすら孤独だった。

 では、此処どうなのだろう? そう思った時、殺目はか細く呟く。
 それは消え入りそうな声。

「少しだけ……少しだけ暖かいんだ”此処”は……」

「んん? そやよかこつ……」
 壮八は静かにそう言った。頷く指宿の目は何処か優しかった。

 寂、寂と夜は更け、囲炉裏の火がその静寂に谺す様にバチリと鳴り消えた。

「なぁ……話しておきたい事があるんだ……聞いて、くれるだろうか?」

 殺目が、悲痛な顔で壮八達を見上げる。手は、もう悴んでいないのに、身が震えている。それは、寒さでも、恐怖でもなかった。しかし何故か殺目には身につまされる思いであった。

「よか……気がすむまで話しいやい」

 壮八が、そう謂った。その後、真冬の空気の様に澄んだ静寂がその場を包む。

「すまない……気を遣わせる」

 静寂と囲炉裏の火の中で、殺目は自分達、殺女の事情を出来うる限り話した。

 自分達が、機智烈斎という発明家などと呼ばれる珍妙怪奇なる存在に、人工的に作られた化外の存在、殺女(さつめ)であるという事。機智家と言う血族は其れを生業としながら徳川家に何かしらの形で取り入り、しかも事もあろうにいつ頃からか倒幕を志したという事。そして、幕末の騒乱を、殺死丸、死連と言う二人を中心に挑発、撹乱し各雄藩へとその殺女を倒幕に向けて差し向けていた事……
 自分がどうやって作られたかは分からない。父や母という”存在”があるのかすら分からない。殺女という集団が後どれだけいるのかもわからない。ただ、その身体能力が、闘争状態や殺伐と言う場において真価が発揮されるという事……

 簡単に死ねない事、今現在、寿命で落命した殺女を見た事がないという事。

 その話を聞きながら、頼母壮八は不敵な笑みを隠しきれなかった。しかし、殺目はどうせ自分の言う事を法螺か何かと思っているのだろうと思っていた……

 恐らく、この二人も長州藩と薩摩攘夷組織”精忠組”にその何某かの少女の兵士暗殺者を見た事、噂などをきいてはいるだろうと思っていた。しかし、恐らく何処かの大名の女の乱波隠者(忍者)かくノ一位の感覚だと思っている。くノ一というのは現代でいう女忍者という存在よりは寝床を共にして情報を得る存在である。つまり目標に体を差し伸べる売り女の様な存在と言ってもいい。そのかわりくノ一というのは淫法径術に優れ、どんな役立たずでも体を使い虜にしてしまうという術を体に仕込まれている。そんな日陰の存在だが、当時は重要な諜報員である……

 壮八は嗤う。其の貌が火に照らされて鬼の様だ。

「どうせ、信じてはくれまいよ。嘲笑うといい」
 殺目は軽蔑を受けた様にそれを取った。しかし、少し様子がおかしい。指宿も其の様子に戸惑っているのだ。

「壮八サァ、どうした……!?」

 くつくつと壮八が笑っている。


 ”おかしか”そう云ってまた嗤う……

「そうかい……お前には、お前にはそう言われたくなかった……」
 頼母が云う。

「そいでん、ないか都合が悪かっじゃか? 殺目さぁ」
「お前たちに! 可笑しいなどと軽蔑されるのはうんざりだ!! 出て行く!」

「まちやんせ! 殺目さ!!」
 指宿が珍しく大声を出す。

 殺目は立ち上がると、後ろを向く。急いで指宿が其の手を掴む。

「無礼者……!! みだりと触るな……!」
 指宿が、手を掴みながら思わず視線を逸らす。
 殺目は、泣いていた……


「がぁっはははは! あん殺目さぁが哭いておっぞ! こやめずらしかごっ!」
「壮八! いい加減にしろ!! 貴様酔っていようと殺目殿をこの様に侮辱するとは朋友として軽蔑する! 表にに出ろ、その卑劣叩き直してくれる!」
 指宿が目を怒らせる。

「ふふん、そがなこつせんでんよかっ! ないでんかんでん、俺いは関係なかこついいよっとね」

「議を言うな! きさん、このうえ、議を言うとは情けなかこっ、我慢できん叩斬いもす
!!」
 薩摩人はこうなると何事もを寄せ付けない勢いである。しかも”議を言うな”とは薩摩人にとってもっとも効く一言である。『言い訳は……”卑劣”なり』である。

「かっかっか!! ようがす、この頼母壮八が、そん機智烈斎というやっぱらに頭を下げさそえば、そげなこつ、殺目さぁはないも気ぃを病むこっじゃなか! そいじゃろ!! 殺目さぁ!?」
 壮八は、最後は厳しく言い放った。
 殺目も、指宿も、壮八が何を言っているのか最初意味がわからなかった……

「何を……云っている意味がわかってるのか!!」
 涙声で殺目が絶叫する。
「おいは言いもした、殺目さぁと殺華は俺い達が守り申す! そい以外関係なかっこつぞ!!」

「お前は……! お前は馬鹿だ……なんの得があると言うのだ?」

「得の為に生きっ人間はロクでんなかか!! 俺いはそんな人間にはなりとう無か! 俺いは、例え泥飲み砂を噛み、惨めに死のうとも、潔く、きれいごめんさぁで行くっがぞ! がっははははは!!」
 指宿が静かに、力強く呟く。
「チェースト……」

「馬鹿め、ばか、め……」
 殺目はそれでもその場に背を向けて立ち尽くす。

 そう、壮八と指宿は知らぬのだ。殺死丸と死連を……

「ばか……」
 しかし、そう呟きながらも、殺目はこの場所が寒くはなかった。

 

 





 


 




 


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