複雑・ファジー小説

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守護神アクセス【Epilogue-2・中編】
日時: 2022/05/19 21:16
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: m3Hl5NzI)

2020年、夏の小説大会で金賞もらっていたらしいです。
投票してくださった方々、ありがとうございました。

___

本編の完結とエピローグについて >>173





目次です。

▽メインストーリー
 File1:知君 泰良 >>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6
 File2:王子 光葉 >>9 >>10 >>11 >>12-13 >>14
 File3:奏白 真凜 >>16 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 >>24 >>25 >>26
 File4:セイラ   >>27 >>28 >>29 >>30 >>31
 File5:奏白 音也 >>32 >>33 >>34 >>35 >>36-37 >>38
 File6:クーニャン >>39 >>40 >>41 >>42-43
 File7:交差する軌跡  >>44 >>45-46 >>47-48 >>49
 File8:例えこの身が朽ちようと    >>50-51 >>52 >>53 >>54 >>55-56 >>57 >>58
 File9:それは僕が生まれた理由(前編)    >>59 >>60-61 >>63-64
 File0:ネロルキウス  >>65 >>66 >>67 >>68 >>69 >>72 >>73 >>74 >>75 >>76 >>77 >>78 >>79 >>80 >>81
 File9:それは僕が生まれた理由(後編パート) >>82
 File10:共に歩むという事   >>83 >>84 >>85 >>86 >>87 >>88 >>89 >>90-92 >>93-95 >>96-97 >>98 >>99
 FILE11:人魚姫は水面に消ゆる夢を見るか >>100 >>101 >>102-103 >>104 >>105 >>106 >>107 >>108-109 >>110 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 >>117 >>118-119 >>121 >>122 >>123 >>124-125 >>126-127 >>128-129 >>130-131 >>132 >>133 >>134 >>135 >>136 >>137 >>138 >>139 >>140-141 >>142 >>143 >>144
 Last File:12時の鐘が鳴る前に >>145 >>146 >>147 >>148 >>149 >>150 >>151 >>152 >>155-156 >>157 >>158-159 >>160 >>161 >>162-163 >>164-166 >>167 >>168 >>169 >>170 >>171-172

 Epilogue-1 【守】王子 光葉 >>174-175
Epilogue-2 【護】知君 泰良 >>176-177

-▽寄り道
 春が訪れて >>23
 白銀の鳥  >>70-71
 クリスマス >>120

▽用語集
 >>8 File1分
 >>15 File2分
 >>62 File8まで諸々。それと、他作品とクロスオーバーしたイラストを頂いたのでそちらのURLも

▽ゲスト
 日向様(>>7にイラストをくれました、感謝。What A Traitor!作者)
 友桃様(Enjoy Clubの作者様。自分にとって小説の師匠や先生みたいな感じの方)




気軽にコメントとかもらえたら嬉しいです。
僕も私も異能アクション書いてるの!って子は宣伝目的で来てくれても構いません(参考にする気しかない)

Re: 守護神アクセス ( No.128 )
日時: 2019/01/31 22:59
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)


「何とか間に合ったみたいだな」
「良かった……」

 上空、整い始めた呼吸と共に、安堵の声を奏白は漏らした。隣に立つ真凜も、ホッと胸を撫でおろす。先ほどまでは冷や汗ばかりであったが、ようやくその不安ごと拭い去ることができた。
 奏白の能力の有効範囲は決まっている。それゆえ、真下に居る太陽たちとは辛うじて意思疎通ができるものの、比較的後方で待機している琴割達の座する拠点までは届かない。それゆえ彼の能力を以てしても、知君達に注意喚起ができず、通信阻害によって本部の者たちは『本人達も知らぬまま』陸の孤島と化していた。
 誰が為し遂げたとも分からぬ電波障害。知君の悪い懸念が当たっていたりはしないだろうかと、端正な顔を歪ませて奏白は眉根を寄せた。だが、少なくとも王子や知君達が無事に済んだのは最低限幸運だったと言うべきだろう。
 何とか戦場に、輸送車を護衛していたクーニャンの到着が間に合った。辛うじてアマデウスにより奏白の声が届けられる範囲内にその足音を捉えたため、急いで奏白は彼女と会話を試みた。今からもう一人かぐや姫の側近と戦うだけの余力を残していない彼であったため、多少気に食わぬ面があるとはいえ、琴割専属の腕利きの傭兵に頼るしかない。
 実力だけなら悔しいが自分と同等以上、であれば相手が特殊な道具を使いこなす従者であったとしても実力は拮抗する、あるいは圧倒できるはずだと見込んだ。それに、彼女自身これまで友のいない生涯だったためか、知君と王子へはビジネス抜きで特別な思い入れがあるのも知っていた。そうして、その期待に見事答えてくれたのが桃太郎の契約者、クーニャンだった。
 不意打ちとはいえ一撃で仕留めるとか。やはり規格外だという他ない。あれだけの力を持っておきながらスマートに闇討ちする手段の選ばなさも、奏白の持っていない強みだ。見栄と、捜査官である誇りが足を引っ張り、彼の場合正面から正々堂々としか相手できない。

「自分が獲物を仕留めようとしている時こそ一番油断しているものとは言うから、そこを突いたのは流石と称してあげるしか無いわね」
「そのくせ自分は油断してないのがあの色黒猫娘の一番怖いとこだよ」

 一応はキビ団子を三個同時に摂取している、彼女自身最高の強化状態であったことも事実だ。最も鋭い一太刀を、一番気が緩んだ瞬間に叩きこむ。如何に強靭な火鼠の皮衣とはいえ、一刀両断されても仕方ない。
 日本一有名な英雄譚であるというのに、少々悪役臭い立ち回りな事には目を逸らさざるを得ないが。

「でも、ここまで来たら後は一息だよな」
「ええ、私達でかぐや姫を無力化する」

 気絶させて王子のところに連れて行き、人魚姫の歌により浄化する。瘴気を払ってしまえば、人に仇為す破壊衝動も止む。全てのフェアリーテイルは、彼女からあの瘴気を伝播されたことに由来している。元凶であるかぐや姫を治癒してしまえば、これ以上の悲劇は生まれない。
 全ての従者は退けた。特別な武器を手にしていない。ただの雑兵も、次第に数を減らしつつある。確かに一騎当千の力を持つ月の民ではあるのだろう。しかし、一連の事件を数か月に渡り乗り越えてきた捜査官一同にとってはそんなもの、脅威であっても絶望になることは無い。

「輸送車は来たけど、まだあいつらには頼れないんだよな?」
「ええ。また感染したら厄介なことになるから」

 まだシンデレラは姿を現していない。時計を見る。そろそろ開戦から一時間が経とうとしていた。今日、満ちた月が浮かぶ夜を指定してきたのはシンデレラ、その契約者である星羅 ソフィアの方だった。しかし、今に至るまで局面は、かぐや姫一人に支配されていた。確かに彼女が黒幕ではあるのだろう。しかし、表立ってフェアリーテイルを率いてきたような、いわば表の棟梁であるシンデレラは、どうして姿を見せないのか。
 不気味と呼ぶほかないように思える。しかし、奏白達筆頭に、第七班と琴割の側近だけはその動機をよく理解していた。機を窺う、不意打ちのために控えている。そういった側面も皆無ではないのだろう。
 守護神アクセスの活動限界。契約者が守護神をその身に宿し、能力を借り受けて行使できる時間は限られている。ソフィアが契約してから二か月程度しか時間が経っていない。その間、活動限界を引き上げるために鍛錬は重ねたのだろうが、それでも長時間戦い続けられる訳では無い。
 初めから二人同時に侵攻した方が有利に事が運んだのではないか。答えは否だ。それ以上の戦力が残されていない彼女らは、全戦力を投じればすぐさま窮地に陥る。それ以上が無い、そう判断すればこちらも余力は残さない。知君を投じるだけだ。傾城に能力が効かないと言っても全く戦えない訳ではない。お互い能力が効かない状態になるだけだ。何らかの手段でいくらでも戦力になる。
 ジョーカーをおいそれと切る訳に行かない以上、知君はまだ出陣できない。そのプレッシャーをかけるためにシンデレラは温存され、かぐや姫はシンデレラを最大限活用すべく戦局を荒らしている。
 知君とネロルキウスの間柄は、つい先日まで劣悪だったと評せざるを得ない。互いの力を、存在をかけて綱引きをしていたようなものだ。それも、時として殺意さえ超えた傍若無人ぶりを見せて。それゆえ、彼の守護神アクセスの許容時間も、およそ長いと言えたものではない。即座にネロルキウスを召喚しなおせばいいというものでもない。ネロルキウスと和解を果たした今でも、接続した際には体に強い負荷がかかる。以前のような、即座に眠りにつき、意識を失うようなことさえ無くなったものの、赤ずきん討伐後は時折腕や足に脱力感があった。
 せめてシンデレラが姿を見せるまでは、知君は戦線に立たせない。ELEVENの契約者に特徴的な超耐性と呼ばれる特質により、能力は受け付けないものの、その身体は脆弱な少年に過ぎない。瓦礫が直撃すれば死に至り、薬物を摂取すれば昏倒する。琴割月光の傍で匿うことが、今できる最善だと判断していた。

「流石にかぐやの窮地には現れるだろうけど……未来予知、今できないんだったか?」
「ごめん。まだちょっとガス欠気味」
「まあいいさ。かぐや姫は赤ずきんよりむしろアリス型。自分の戦闘能力は低いんだろ?」

 かぐや姫の能力の全貌を知っている者は少ない。直接対峙した赤ずきんだけが、その片鱗を知ることが出来た。かぐや姫は、月を媒介に厄介な能力を相手にかけることができるものの、月を目にしなければ能力にかかることはない、と。空を見上げない限りその能力の餌食になることは無い。そして、かぐや姫の待ち構える天の牛車より高い位置に立ってしまえば、もうその時点で恐れることは何もない。
 身体能力はガーデンの守護神の中でも一、二を争うぐらいに弱い。配下である軍隊の身体能力は高いが、率いている頭が屈強な体を持つ必要は無い。むしろ、雅に佇んでいられるよう、美貌だけがあればよい。

「お付きの人は喜怒哀楽の四人全員倒した。残るは本体だけだ」
「持っているとしたら、蓬莱の玉の枝かしら」

 能力の推測は正直なところ困難だ。そもそも、竹取物語に出てくる宝物で、逸話が残っているようなものが半分もあるだろうか。燕の生んだ子安貝、あるいは燕の巣の子安貝などと呼ばれているものは、本当に何の変哲もない、ただの貝殻である。蓬莱の玉の枝もそれと同じ、ただ蓬莱という特別な地に存在する木の枝というだけだ。
 火鼠の皮衣は確かにその耐久性が伝承となっている。しかし龍の首の珠はおそらく龍から見ればただの首飾りに過ぎず、仏の御石の鉢も、仏様の持つものだからとても重いというだけでただの鉢だ。
 下に降りた従者の能力こそこの目では見ていないため、断言はできないのだが、それでも五つの宝物からは、その名前に相応しい特異な性質を持つことが窺えた。燕から子安貝へ、という条件からおそらくあの転身、あるいは変身の能力を得た。龍の首の珠は安直に己の身体を龍と変化させ、文字通り龍の首にある状態を作り出す能力だった。
 ならば、蓬莱の玉の枝はどのような能力を持っているのだろうか。おそらく、枝の部分には何の意味もない。きっとその能力は蓬莱の側に由来すると真凜は断じていた。中国に伝わる伝説で、仙人が住まう土地とされている。そしてその地にまつわる伝承として最も高名なのは不老不死に他ならないだろう。
 可能性があるとすれば、如何に致死量の毒を盛られようと死なず、頭を吹き飛ばされようと、たちどころに全て再生してしまうような能力。死を知らず、老いを知らず、美しいままあり続ける。その能力が働いている限り、制圧は無い。

「兄さん、まず初めに……」
「分かってる。道具の破壊だろ」

 既に怒りの従者と愉悦の従者、二人の側近を倒していた二人にとって、攻略法は今更口にするまでもない。この目でしかと見届けている。かぐや姫本体から託された道具を壊された途端に、戦闘能力が他の雑兵たちと同程度に落ちてしまうことは。
 であれば、かぐや姫自身を倒すのも、同じ道理であるはずだ。まず初めに、蓬莱の玉の枝を破壊する。枝自身が復活するかもしれないため、壊さず奪い取った方が良い可能性もある。それは臨機応変に対応するとして、初めに為すべきはそれだろう。

「今、自分が孤立している状況に気づいてないのかはわかんねーけど、何もしてこないなら今が好機だ」

 体力は万全とは言い難い。しかし、こうなってしまってはたった一人腕力に自信のない女性を取り押さえるだけだ。この二人である必要が無い。攻撃性能がまるで想像できない道具に、本体は弱いと評されているかぐや姫。おそらく今のコンディションであっても二人が遅れをとることは無いだろう。

「どこまで回復してる?」
「あの牛車三回壊すぐらいかしら」
「充分だ」

 作戦をわざわざ立てる必要も無いだろうが、無鉄砲に飛び込んで痛い目を見る訳にもいかない。スタミナの温存、手段の簡便化に走っても仕方が無いとも思えるが、今最優先すべきは身の安全だ。捜査官一人一人の重要性は計り知れない。この後現れるであろうシンデレラとの交戦だけではない。明日も、明後日も。この事件が解決してもしなくても、またどこかで事件は起きるのだろう。
 今度はきっと、人間を相手どることになるだけだ。弱きを挫こうとする強気を、逆に挫かねばならない。そのためには、極力傷を負わずに生還することが求められる。万全を期するに超したことはない。

「私がここから一気に牛車をレーザーで撃ち抜いて壊す」
「本体を確認し次第、蓬莱の玉の枝を奪取、ついでに気絶させられれば万々歳、ってか」

 段取りを相談で決め、互いに頷き合う。骨の折れる時間だったが、くたびれもうけにならずに済んだ。奏白が今だと指示すれば、真凜は即座に溜め込んだ魔力を光線として撃ち放すだろう。
 全身の感覚をもう一度研ぎ澄ます。どれだけ準備をしようと、速度は亜音速のまま変わらない。ただ、手足の先まで動かす意識を張り巡らせておけば、無駄な動作を削ぎ落すことはできる。ミスは許されない。瞬きするほどの刹那であっても、所要時間は短縮するべきだ。対策など、打たれないように。
 急造の策とはいえ、二人の想定は万全だった。事実、この後簡単に目的の内、一つを果たすことはできた。しかしこの時、二人はまだ気が付いていない。
 いつの間にか、思い込みという罠に嵌まっていたことに。

Re: 守護神アクセス ( No.129 )
日時: 2019/01/31 22:59
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)


「いくぞ」

 いつもよりも低い彼の声は、夜の中に溶けるようであった。すぐ傍にいた真凜でも無いと聞こえないような重たい声音は、日頃の明るい喋り方からは想像できない。しかし、ここぞという局面では人が変わったように集中する奏白 音也という人間を、幼い頃から妹である彼女は熟知していた。
 初めは太陽と見間違えるほど明るかった牛車の光は、次第にその力強さを失っていた。従者を倒すごとに、または時間が経つごとに光は弱まっており、今では夜空に浮かんだ月の方が余程明るい程だ。夜の静けさ、さらには闇が戻って来る。
 従者の残存数に依存している、もしくはかぐや姫の渡した道具が破壊される度にこの牛車の出力も連動して弱まっている。そのような仮説を二人は立てていた。考えにくいが、一応その次の案として、秒を覆うごとにかぐや姫にも疲労があるという可能性も。
 ただしそれらの仮説は全てが間違っていた。それに気が付くのはあまりに遅すぎた。
 暗くなった墨色の背景を、蒼い閃光が引き裂いた。流れ星のように空を二つに両断し、金色に煌く荷車を貫いた。貫いた直後に、虹色の天板に衝突し、進路を変える。幾度となく光線は玉虫色の反射板により跳ね返り、四方八方から牛車の背後にある二台を穿ち、砕き続けた。
 構成している素材が、木っ端を上げて砕けていく。時代背景を反映しているのだろうか、それは木でできているようであった。宙に浮かんでいた足場を失い、鎮座していた一つの人影が落ちていく。その手には想像通り、淡い光を放っているものの、神々しい一振りの枝が握られていた。
 彼らの推測は的確だったと評する外無い。それは事実だ。蓬莱の玉の枝が有する能力は、所持者を老いと死、病と怪我から遠ざける万能の快復能力を有していた。奪い取れば、あるいはそれそのものを壊してしまえば無力化されるというのも想像通りだ。
 竹取物語に由来する五つ道具、その最期の一つの無力化こそ成功した両者だったが、撃ち砕いた荷車から落ちる人影を、詳細に確認した瞬間、目を見開いたまま体を硬直させた。そこには、居るはずの者がおらず、居ると思っていなかった者が座していた。

「あれってただの……雑兵?」
「……いや、それは一旦後回しだ」

 突然芽生えた疑問に、呆気に取られてしまった。先に立ち直ったのは奏白の方だ。そこにいた従者は、見る間に怪我が治っていくようではあった。しかし抵抗の意志は無い。それゆえそのまま地面へと落ちていこうとしているが、放置はできないと判断した奏白は須臾の後にトップスピードまで達して追いついた。
 落ちていく従者は、ろくに握力もこめられたものではない。全ての感覚と思考をはく奪されているかのごとく、何に反応することも無く地面へ向かっている。こんなものが上空から落下するだけで地上では大事になる。急いでそのだらしなくぶら下がっているだけの手から蓬莱の玉の枝を奪い取った奏白は、アマデウスの能力を用いて従者の身体を押し潰した。
 これまでの雑兵たちと同じように、血の一滴も流すことなく指先から次第に星屑となって消えていく。殴った時には生身の肉体の感触をしているため、消えていく間際こそ幻想的だが拳の上には肉塊を無理に打ち砕いた嫌な触覚が残っていた。
 持ち主が消えてしまうと、役目は果たしたと言わんがばかりに蓬莱の玉の枝も消えてしまった。かぐや姫本人の意志である。この道具は、術者の意志と関係なく、所有者を回復する能力を持っている。敵に利用されてしまっては堪らないと、奏白達が自分たちに使用する前にこの世から消し去ってしまった。
 取り残された真凜も、ようやくスノーボードを念動力で操作し彼に追いついた。今眼前で目撃した情報を処理できず、茫然としている。かぐや姫が現れると思っていた。優雅に着物を羽織り、長い髪をたなびかせた女性が。しかしどうだ、実際に出てきたのは一人の屈強な男の兵士。それはどう見ても、かぐや姫と呼ぶことはできない。

「どういう事……どうしてあの中に、全然違う従者なんて……」
「側近ですらねえよ。こいつは単なる張りぼてだ」

 そこに居さえすればいい。陽炎のように、その場にかぐや姫が残っていると思い込ませる事が出来れば。御簾の向こうに居る以上、奏白達には人影が一つあることしかわかっていなかった。それを勝手に、大本であるかぐや姫だと思い込んでいたのはむしろ、奏白と真凜の方だった。

「何でだ……何でこんな事に……」
「ねえ、兄さん」

 初めにその思い込みに気が付いたのは真凜の方だった。一体いつから自分たちは、最後まで本体が動かないなどと錯覚していたのだろうか。一体いつから、かぐや姫が最後尾で護られているだけだなどと思い込んでいたのか。

「私達、何で道具が五つあると分かってて、従者が四人だと思い込んでたの?」
「そりゃ、最初に俺たちを出迎えたのは四人だけだったし、そこに本体足したら五人で丁度になるだろ」
「一人この場を離脱した可能性だってあるのに?」
「だけどあいつらの性格見ただろ。喜怒哀楽で合わせて四人、あいつら自身かぐや姫が分割したっていう本人の感情を得て個性を手に入れたって」
「……それは敵の言葉だから、鵜呑みにしていいものじゃないわ」

 初めからブラフだった。そう、考える外無い。
 その可能性を提示された途端に、ようやく彼自身気が付いた。いつからか、誰もそんな事口にしていないというのに、自分たちが都合のいいように戦局を捉えていたことを。攻め込まれている最中だというのに、逃げようとも戦おうともしないかぐや姫、それもまずあり得ない。そして主の下に異分子が二人も現れたのに、四人がかりで制圧してからまとまって地上へ戻ればよかったものを、わざわざ戦力を分散した敵。
 そもそも彼らが最も警戒していたのは王子と知君であるとは、先ほど地上からの連絡で知ることができた上、クーニャンが駆け付けたことから裏付けも取れた。つまり相手陣営にとって自分達二人は、脅威と呼ぶほどではないが戦場から隔離するべき、その程度に認識されていたにすぎないと。

「今この場に、かぐや姫はいない。……途中から、段々空に浮かんでいた荷車の光が弱くなってたの見たよね?」

 彼女の問いかけに、奏白は頷いた。その理由が、今となっては一つしか無いように思われた。その原因は決して、かぐや姫が消耗しすぎたためでも、五つの道具を順次無効化したためでもないのだろう。

「それって……かぐや姫がこの場から段々遠ざかっていたからじゃないの?」

 大して強力とも言い難い、此処の戦闘力で見ると捜査官一人一人を大きく下回る月の民の大軍隊。あれをわざわざ地上まで派遣した目的は、何かを隠すためではなかったのだろうか。日本にも古くからこんな言葉がある。

「木を隠すなら森の中、だったら……」
「かぐや姫を隠すなら月の民の中、ってことか……。いや冗談きついぜ」

 慌てて駆け戻ろうと奏白が即断してしまう前に、真凜は兄の肩を掴んだ。別に未来予知をした訳でもない。自分でもそうするだろうと感じた。感じてしまったからこそ、止めねばならない。冷静さも体力も欠いた今、これだけ周到に準備をしていた相手に挑むべきではないと。

「まず第一に、身を守るための絶対条件。今私達は背を向けているから大丈夫だけど、もう振り返っちゃダメ。月を眼にしたらどんな影響が出るか分からない」

 横目で真凜に視線を送り、同意する。慌てても逆効果だという事も何とか受け入れた。先ほどから自分でも何度か確認していた通り、かぐや姫にできる事と言えばかなり少ない。それに地上にはまだ知君も琴割もいる。壊滅的な被害が出るとしてもまだ先の話だろうと。

「そしてもう一つ……すぐに真下の王子先輩達に連絡とって。もしかしたら、もう……」
「……言われるまでもねえよ、もう繋げた。でもよ……」
「奏白達か? そっちはどうだ。こっちはちょっと忙しくてよ」

 アマデウスの能力は、適用できる範囲内のあらゆる音や声を伝えたい場所に伝えたい大きさで届けることができるため、彼を中心に広範囲に及び、通信機無しでの意思疎通が可能だ。コードレス、どころか受話器さえも必要のない糸電話のようなものだ。それも精度は直に会って話しているほどに優れている。

「こっちはとっくに従者二人倒して……今、かぐや姫の影武者に惹きつけられてたことに気が付いたとこっすよ」
「やっぱ一杯食わされてたか」
「今そんなこと聞いてる場合なんですか王子先輩。そっちの様子はどうなんです」

 噛み付かんばかりの勢いで、急に届いた太陽へ問いを返した。

「大体わかってんだろ? ついさっきの事だ」

 最早、驚く必要も無かった。何せ、そうとしか考えられなかったためだ。わざわざこの場をもぬけの殻にしてまでいなくなった理由など、それ以外に思いつかない。
 王子を殺してしまえば一連の騒動はもはや解決できない。それゆえ捜査官チームとしては、かぐや姫とシンデレラの鎮静のため、王子には現場にいてもらわなくてはならないが、チェスのキングのごとく取られてはいけない大事なピースとして扱っていた。当然、向こうにしてみると彼さえ仕留めてしまえば勝利はほとんど確定する。シンデレラを真の意味で止められる者は一人として存在しなくなる。
 それゆえ側近の兵士を派遣して暗殺を目論んだが、企ては阻まれてしまった。であれば彼女らとしても、サブプランに切り替えるのは必然。
 姿を消したかぐや姫が、地上に現れたのだ。

「お前んとこの少年は、まだ戦えねえのか?」
「ええ……おそらく総監が許可しません。知君がネロルキウス呼ぶ場面を誰かに見られてしまうことを、何より警戒してるんで」
「らしいな。……何でかはよく分かんねえけど」

 琴割が、秘密裏にジャンヌダルクの能力をいつものように濫用して知君を盗撮することを拒絶してしまえば何の問題も無い。というのに、何をそんなに配慮しているのか、疑念を覚えるのは仕方の無いことなのだろう。
 特に太陽は、シンデレラの契約者がソフィアであり、琴割の失脚を目論んでいるとは知らない身だ。その温存がどういった意図を孕んでいるのか、知りはしないだろう。
 しかし、今考察した通り、如何にソフィアがその場面を抑えようにも、琴割が拒絶してしまえば済む話だ。それなのに、なぜわざわざ知君を出す訳に行かないと頑なに待機させているのだろうか。
 まだ、自分たちにさえ知らされていない一抹の不安があるというのだろうか。

「ジャンヌダルクでも対処できない? いや、まさかな」

 そんな独り言を漏らしてしまいそうになるも、すぐ傍に真凜もいることを思い返す。そうと決まっていないのに、余計な不安を煽る必要も無いだろう。だんまりを決め込んだまま、再び彼は地上の様子を尋ねることにした。

「俺たちが向かわなくても大丈夫なんですか?」
「ああ、本体はそんなに強くねえからな。こっちで何とかできると思う。シンデレラ戦を考えて、ちょっとでも休んでてくれ」
「分かりました」
「じゃあな。舌噛んぢまいそうだからもう切ってくれ」

 確かに地上には大多数の捜査官が残っている。今回の作戦においてはフェアリーテイルの対策課だけではなく、別の管轄の有力な警官さえも招聘している。強力な直属配下である四人の従者を倒したともなれば、かぐや姫自体にはそれほど苦戦はしないと言われても頷ける。
 地上と現在地を結ぶ通信でも、消耗があるのは事実だ。一度どこかに地に足ついて休んだ方が賢明かもしれないと、駆け足気味に二人は下降を始める。もし、現場が急変したとしても駆け付けられるように。
 しかし二人が、その現場に間に合うことは無かった。付け加えるならば、その何かはもうとっくに起こった後のことだった。
 彼らが今アマデウスの能力越しに言葉を交わした王子 太陽。彼が既にかぐや姫の能力によって幻覚を見せられていた事実を、二人はまだ知らない。

Re: 守護神アクセス ( No.130 )
日時: 2019/02/26 13:28
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: 7pjyJRwL)

 時は僅かに遡り、クーニャンが王子と知君たちのいる本部にかけつけた場面へと移る。鍔鳴りなどは流石にトラック型の車内まで聞こえなかったものの、従者の肉体がどさりと地に落ちた音ぐらいは響いた。何事が起きたのかと、中から人魚姫の手を引く王子やphoneを握りしめた知君が警戒しながら飛び出すと、口上を述べるクーニャンと、地に伏した敵の姿が目に入った。

「クーニャン……何があったんだ?」
「いやー、輸送車の警護いらんなー、退屈だなーとか思いながらあっちの方着いたらよ、急にチャラ男が守護神越しに声だけで指示飛ばしてきやがってよ。こいつがぷりんすぶっ殺しにこっち向かってるから追いかけて何とかしろとか言ってくれちゃってんの」
「奏白さんからの指示……? でもどうして直接こちらに連絡しなかったんでしょうか」

 それについてはクーニャンの方から説明した。一応こちらに来る前に、情勢を整理するべきだというかつての教えに従って、太陽たち一般捜査官にも現状どうなっているのかを訪ねていた。そうしたところ、本部と一切通信がとれない状態に陥っていると教えられた。琴割がいるにも関わらず、である。

「なーんでそんな事になってんのかあたしにゃ分かったもんじゃねーけど、急がなきゃぷりんすが不味いんだろ」
「今言うことでもねえけどぷりんすって呼ばないでくれ……気が抜けるから」
「王子は英語でぷりんすだからしゃあねえよ、諦めろ」
「今問題にすべきは……ここの通信障害についてですね」

 二人だけに喋らせていては、おそらく本題に移れない。王子には申し訳ないが、知君は何とか閑話休題させる方に舵を切った。その意図を汲んで、人魚姫もそれは可笑しな話だと同意する。確かに彼女は電子機器のことなど何も分からない。しかし、この世界の理については知るところが多い。
 琴割 月光の守護神は今更確認するまでも無く、拒絶の能力を持ったELEVENだ。彼が『何者かによる電波障害』を拒絶していない、そんな甘い手を打つ訳が無い。

「これは流石に知君の予想が当たっとるかもしれんな……」

 自分が狙われていた事実を、クーニャンから解説されている王子を横目に、琴割と知君とは、前々から案じられていた可能性を検討していた。発端は五月、奏白と知君が出会った日までさかのぼる。その時は妙なことを言うものだと疑問視した程度だったが、赤ずきんとの戦闘を経て、ある仮説が立ち昇りつつある。
 そんな事ができる人間など、総合して見るにたった一人しか地上には存在しない。その企みを可能にする守護神も、知っている限りある一騎のみしかありえない。

「せやけど分からん。あいつがほんまに関与しとるんやったら、もっと日本がぐちゃぐちゃになっとるはずやぞ」
「そう……なんですね。僕はその方と会ったことが無いので分かりませんが……」
「端的に言うと、あいつは究極のエゴイストやからな」

 気に食わない現実を拒絶するのではなく、初めから自分にとって都合のいい未来を手繰り寄せる力を持っている。
 そしておそらく、クーニャンを派遣したのもその男に違いない。元々は中国の大富豪お抱えの傭兵が彼女だ。一流のエージェントとなるべく、英才教育も施されている。そんな人間を暗殺者として送り込める人間など、雇える人間など一握りの権力者のみだ。
 そしてさらには、斡旋するかのごとく桃太郎をあてがわれている。知君のネロルキウスも、ある守護神の契約者が誰であるのかを特定することは可能だ。ただ、似たような能力を保持している守護神は、十一存在する異世界全土を見渡しても片手で数えられる程度だろう。

「今はそのことは置いておきましょう。通信がこれまで意図的に遮られていたのなら、現場の様子を確認するべきです」

 とは言っても、現状かぐや姫の従者を始末したのみで、ジャミングを実行している者を叩いた訳では無い。現在進行形で戦場からの連絡は途絶えており、通信妨害は未だ継続中と考えた方が無難だった。
 現場の様子を確認する、となると現地にかけつける外、方法は無い。王子から目を離す訳にはいかない。そのため、クーニャン一人だけを直行させ、琴割が目を光らせながら知君と王子とを送り届けるのが最善と思えた。

「ガキの子守りなんざ久々やけど今回はしゃあない。どうせここにおっても指揮は取れん、本部は一旦破棄じゃ」
「このまま車として使う訳にはいきませんか?」
「無理やな」

 嘆息一つ投げ捨てて、知君の提案をあっさりと否定した。通信用の機材が重荷になっている。配線もごちゃごちゃと入り組んでおり、本部の非戦闘員を総動員しても数十分はかかる。設置に数時間かけているのだから、撤去がその程度で済むのはむしろましな方だ。
 このまま突っ走ろうにも、誰かが異議を唱えるに違いない。この場を収拾してから向かうとすると、今度は間に合う保証が無い。それならば歩いて向かった方がよほど効率的だ。
 ただここで、知君にアクセスさせる訳にいかないのがネックになってしまう。知君がネロルキウスの契約者と知られる可能性は極力ゼロに近似したい。警察内部の者が口外することはいくらでも拒絶できるが、懸念材料の観測者に証拠を掴ませる訳にはいかない。
 絶対に、証拠を掴まれる心配の無い局面にならなければ、あるいは知君を投じなければ戦線が崩壊する様な瞬間にならねば、温存の選択を取り続けねばならない。

「あたしがぷりんす守りながら先に二人で駆け付けるってのもありだぞ」
「……まあ儂が雇っとるうちはお前は裏切らんやろけど、リスクはある。お前ら二人になった瞬間、シンデレラにでも出て来られてみろ」
「時間稼ぎぐらいはできるっての。ぷりんす逃がすなり狐目のじっちゃんやちきみんの到着を待つくらいはな」

 おそらくかぐや姫が配下として従えている戦力は、ほとんど全て消費しきっているはずだ。衛星からの情報で、奏白達が上空で従者二人を始末したところまでは見届けている。クーニャンが駆け付けた報告を聞く限り、他の従者も全て倒したと見て間違いないだろう。
 であれば、雑兵たちを枯らしてしまえばかぐや姫は丸裸も同然だ。月を媒介にして精神に干渉する能力はあるようだが、本人の身体能力はか弱い女性と同程度。守護神アクセスしている人間であれば、身体能力増強の影響で、かぐや姫の膂力では人を殺すことなど能わない。

「そんな急がなあかん理由でもあんのか?」
「ゆっくりする理由もないだろがよ」
「せやけど敵の能力も分からん上に儂と知君はまだ動けんぞ」

 かぐや姫の能力を詳細に知っている人間はこの場にいない。知君、ネロルキウスの能力でさえ彼女の能力の最奥を覗き見ることはできない。なぜならばかぐや姫は帝をも虜にした傾城の女性であるため、ネロルキウスの能力でもその詳細を知ることができない。
 辛うじて推察できる事と言えば、原作の伝承に由来するものだ。原点である竹取物語のクライマックスで、当世最高の武力を帝たちが揃えたにも関わらず、強い光を浴びた人々は体の力が抜けて、一切の身動きが取れなくなってしまったというものだ。
 筋力が弱まるというよりむしろ、神経が筋肉に命令を伝達できないようにしているのだろう。光を浴びるだけに過ぎないのか、光を目にすることが発動のトリガーなのかは知れたものではない。だが、その威光を受けてしまえば、地上の民はひれ伏すことしかできなくなることだけは確かだ。
 どれほど警戒すべきか、誰も分からない。そのはずではあった。確かに、その場の人間は誰一人として彼女の具体的な能力を知り得なかった。しかし、その場に居合わせているのは当然人間だけではない。
 そう、二人とはいえ、守護神も混ざっているのだ。

「あの……私、いくつか知っています」
「ちびっこがちっとばかし知っているみたいだぜ」

 クーニャンと、セイラの声が重なった。未だ守護神アクセスしていないため、人魚の姿のままセイラはその場に立っており、桃太郎は契約者の少女を通して僅かばかりの情報を提供しようとしていたところだった。

「ももたろーもかぐや姫も日本の守護神なんだろ? だから知り合いらしいけどよ、聞いとくか?」
「ええ、先にお願いします」

 桃太郎が言うにはこうだ。かぐや姫というのは、お伽噺というジャンルであれば、日本最古の物語である。そのため、あらゆる日本の昔話中で、始祖と呼ぶに値する者だと。先駆け、先導、そう言った存在であるため彼女は、少なくとも日本においては統率者となるに相応しいだけの古豪なのだと。

「実際、私やカレット、アシュリーなど、多くのフェアリーガーデン出身の守護神はかぐや姫の後追いと言っても過言ではありません。かぐや姫より古い物語は、その多くが神話の登場人物として伝承界と呼ばれる守護神に居ます。統治するELEVENはキングアーサー、円卓の騎士もこちらの異世界に住んでいます」

 そして彼女は原点、オリジナルという特性を持っている。神話的伝承を除いた、娯楽のための純粋な創作。確かに世を探せば、より古い創作はいくつも存在する。千夜一夜物語などがその代表例だ。
 ただし、竹取物語は他の物語とは一線を画している。その他の創作物は、英雄譚の二番煎じや教訓を含んだ高説ありきのものが多かった。先に挙げた千夜一夜物語ならば、暴君の凶行を食い止めるためのものであった。
 月にたった一人、あるいは数人の神が住んでいる程度の逸話しか無い中、その物語には無数の月上人が現れる。神でもない、人でもない。人であるのに人類より進んだ民族。その作品に英雄は一人も現れない。ただひたすらに、歯切れの悪いまま物語は終える。貴族たちが美女に振り回される様子から何か学べる教訓はあるだろうか。いや、きっとそれも無いのだろう。
 しかしそれでもその物語は、今日まで受け継がれてきた。何も得るものなど無いというのに、竹から女児が生まれる驚嘆を、彼女を育てる喜びを。五人の貴族が、帝が、彼女を手に入れようと励む焦燥を、別れを惜しんでいた彼女がとうとう一切の感情を失ってしまうやるせなさを。そして何より、離別の切なさを。
 それが受け継がれた理由など、ただ一つに他ならない。読み手の心を打ったからだ。文字の上で竹取の翁と共に彼女の生誕に立ち会い、六人の男から求められても素気無く接する痛快さを眺め、そして最後に別れを惜しんだ。
 涙する人もいたかもしれない。どうしてと嘆いた子供もいるだろう。おじいさんと、おばあさんと、幸せそうに暮らしていたのに。幸福を幸福とも思えないまま、彼女を罪人であると裁いた世界へと帰ったのはどうしてなのかと。あんなにも嫌がっていたのに、薬を一舐めしただけで別人のようになってしまった呆気なさも。そんなものさえも、人々を魅了するスパイスとなってしまった。
 そこには何の意図も含まれていない。ただ、人々の胸に響くため。ただ、その心に感傷を刻むため。そのために生まれた物語だ。

Re: 守護神アクセス ( No.131 )
日時: 2019/02/26 13:31
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: 7pjyJRwL)

「童話、御伽草子、昔話。そう言った物語の始まり。だから己の身体を母体とし、枝葉のように派生しているあらゆる物語の主人公……ガーデンの守護神に己と同じステータスを複製し、貼り付けることができる。ってちびっこは言ってっけどどういう意味だ?」

 どうやら、桃太郎の言葉をそのまま噛み砕かずに伝えているらしく、その意味はとんと理解していないらしい彼女は首を傾げた。勘は働き、聡い部分もあるのではあるが、小難しい言い回しをされた途端に話についていけなくなるようである。

「つまり、かぐや姫の意志一つで、例えば『かぐや姫が風邪をひいた』時、『他のフェアリーテイルが風邪をひいた』状態を作り出すことができる、と」
「まあ守護神は病気にはならんけどな。多分解釈的にはそんなもんやろ」
「すげーなちきみん、ちびっこ剣士も頷いてるぜ」

 でもそれが、一体なんだと言うのか。その特性の真の意図を計り損ねた王子とクーニャンだけが首を傾げている。確かにそれは驚異的な能力なのだろう。自分の体力が有り余っている状態で、他のフェアリーテイル、例えば赤ずきんと共闘していたとしたら。かぐや姫が疲弊しない限り、赤ずきんは疲れ知らずで無尽蔵に戦うことも可能だ。
 そしてそれは逆の場合も成立する。かぐや姫が疲弊した場合、敵としてフェアリーガーデンの守護神と相対した場合、その相手にも自分と同じ疲労感を与えることができる。不意に討たれても、策を練られても、同じ世界の守護神相手ならば強制的に同じレベルの土俵に落とすことができるのだ。
 しかし、それだけ。ただの人間にそれは通じない。驚異となりえるとは到底思えないのだ。
 ただ、その言葉の意味を真に理解している知君、琴割の顔色は大きく変わった。人魚姫は大きく驚きこそしなかったものの、顔を悲痛に歪ませた。彼女は当然、かぐや姫のそう言った特性も知っていた。本人から百年ほど前に伝えられたためだ。そして知君と赤ずきんの戦闘直後のやり取りと、ドルフコーストという守護神の能力、及び倉田 レタラの凶行と結び付けた時、フェアリーテイルと人間が呼称する一連の事件、その全容を理解したためだ。

「どうしたんだ、皆して。そんな驚くような能力なのか?」

 惚けている訳では無い。むしろ、本来であればここまでの話だけで真相に辿り着けという方が無理な話だ。話に置いて行かれた王子が、周りの人々の間で視線を往復させながら問いかける。分からないのは俺一人なのかという焦りを紛らすため、同じように理解していなかったクーニャンの方へ振り返った。きっと彼女も、まだ分かってなどいないはずだ。
 しかし彼女は桃太郎の言葉を直接伝えている身だ。続く言葉を王子よりも一足先に聞くことができる。そして流石に彼女でも、続く桃太郎の言葉を聞けば理解できたことだろう。そして、それを彼女が口に出したその瞬間、王子はセイラと出会った時の事を思い出した。

「その、ステータスのコピペの条件は……赤い月の光を見せること……」

 王子の脳裏にセイラの声がいくつも再生される。忘れることは無いだろう。初めて顔を合わせた六月の末の事。少年が思い出していたのは決して、彼女の涙でも、彼を奮い起こした鼓舞でもない。
 泣くまいと必死に堪えていた頃、たった一人だけ正気を保って抗っていた時分、瘴気に侵された桃太郎にぶつけた、悲痛な叫びだ。

“あなた達が変なんです! 赤い月を見てからというものの、皆一体どうしてしまったんですか!”

 倉田レタラは、地上で最も月に近い建物、ハイエストスカイリンクの頂上から月に向かってドルフコーストの能力を行使した。
 満月の晩にはかぐや姫が月の上に現れる、その瞬間を狙って。
 そしてそのかぐや姫は、破壊衝動に衝き動かされるまま、まずは破壊の同士を得ようと、フェアリーガーデンの守護神達に自分と同じ瘴気に穢された状態を写した。
 そして無数のフェアリーテイルが現れた。そういう事なのだろう。

「だからか、かぐや姫が作り出したはずのフェアリーテイルに、ネロルキウスの能力が通用したのは」

 その状態に陥れたのはかぐや姫という傾城ではあるが、その本質はドルフコーストの能力由来。ネロルキウスによる干渉が成立する、という訳だ。

「ええ。昔話をしたあの日のベッドの上で、レタラさんに操られた人々とフェアリーテイルの様子が似ていると思いました。特に、赤い瘴気に侵されているという一点で。ですので赤ずきんさんを正気に戻す時、確認したのですが」

 かぐや姫にしか能力をかけられないはずなのに、どうしてそれがあらゆる守護神に伝播しているのか。それが分からずじまいだった。近くにいるだけで感染するというなら、日々フェアリーテイルと戦っていた捜査官が同じ症状になっていなければおかしな話だ。
 一応、今桃太郎が伝えた話は仮説の中に含まれていた。しかし確証はなかった。それが、彼らにとっていい意味で肯定されたのはむしろ僥倖と言えた。

「クーニャンが護衛してくれていた方々の手を借りるには、やはりかぐや姫を先に倒さなくてはなりません」
「そうっぽいな。あたしと王子はこのまま出向いてもいいのか?」
「月さえ見なければ問題ありませんから、その技量があるクーニャンさんなら大丈夫ですよ。私は、凶暴化しかけたその瞬間に自分で浄化できるので問題ありません」

 確かに初めて出会った時、守護神ジャックもしていなかったというのに人魚姫は自力で暴走化状態を治癒していた。根本的に、ドルフコーストを筆頭に精神を、心を狂わせる能力者に対し彼女は有利なのだろう。

「そこで桃太郎の話はしまいか。じゃあ人魚姫、お前の方から追加の話はあるか?」

 当然、彼女は頷いた。桃太郎とかぐや姫とは、共に日本由来ということで接点があった。そして彼女には、共に悲劇の御姫様という肩書を持っていた。
 それゆえかぐや姫は、時折人魚姫のことを気にかけていた。非業の別れを遂げたかぐや姫と、出会う事さえできなかったセイラとでは境遇は異なるだろう。ただ、彼女を愛する人の傍に居られなかったのは、まごうこと無き事実だ。
 人魚姫にとって赤の他人に過ぎないかぐや姫が、己のことをかつて赤裸々に伝えたのは、そのシンパシー故だった。

「その前に一つ、彼女について知って欲しいことがあります」

 それは、桃太郎もシンデレラも、ネロルキウスでさえも知り得ない事実。かぐや姫という存在を、形作る真理。その要素を知らずして彼女の守護神としての特異性を述べることなど叶わない。
 それほどまでに、セイラだけが知っているその事実は、かぐや姫の成り立ちに密接に関係していた。

「フェアリーガーデンの守護神には、当然かぐや姫よりもずっと強い守護神が数多く存在します。アラビアンナイトのシンドバッド、これから私達が向き合うであろうアシュリー。初めて討伐された守護神だという不思議の国のアリスに、先日捕らえたカレット」

 彼らは全て、世界的によく知られている、人々が好印象を覚えている物語ばかりだ。多くの場合ハッピーエンドを迎え、シンドバッドは七つの海の王じゃとも呼ばれるのだ。
 しかし、かぐや姫は果たしてハッピーエンドを迎えたと呼べるのか。否、決して言えないはずだ。月上の世界へ帰ることが本懐だったというのならば、確かに彼女にとってはハッピーエンドだろう。しかし、彼女に帰って欲しくない人間は数多く存在した。翁たちは血涙をも流した。

「どうして、フェアリーガーデンはこちらの世界と行き来ができると思いますか?」

 言うなれば、かぐや姫は生い立ちにおいて知君と重なる部分がある。そう在るべくして造られた存在であるという事だ。
 シェヘラザードは、自身がフェアリーガーデンを統べる王であることに疑念を覚えていた。自分自身はどこまで行っても原作者、幻想の国の住民ではない。それなのに、このまま王のふりをして彼らの頂点に立ち続けていいものだろうかと。
 存在しないのならば、作り出せばいい。彼女は、ふとそのようなことを企んだ。己の権限を、物語を現実にするという能力を、遺憾なく行使した。その結果、何の能力も持たない、名前も記憶も存在しない。役割さえもろくに存在しない、無垢な赤子の守護神が生まれた。
 これは本来タブーと呼ばざるを得ない。ガーデンの守護神は基本的に、人が物語へと寄せた願いから生まれるものであるからだ。その想いが喜びに満ち、幸せな甘いものであるほど、その守護神は強大な力を宿す。シンデレラが最強のフェアリーテイルであり、浦島太郎や人魚姫のような物語が劣っているのはそこに由来する。また、より多くの願いを集めた守護神の方が地位は高くなるため、世界的に有名な赤ずきんに灰被りこそが最強を冠するのも当然の帰結だ。
 だが、産み落とされた守護神は、まだ何の想いも得られぬ、空白の少女だった。後に悲劇を生むというのに、アンバランスなまでの強大な能力をその身に携えることを義務付けられた。
 次世代の王となるためだけに産み落とされた彼女は、ELEVENの器として試験管の中で産声を上げた、知君とよく似ていた。

「どうして、竹取物語の作者はいまだ不詳なのでしょうか」

 かぐや姫は月に一度、満月の夜にこちらの世界に現れる。彼女は、自分自身がもう一度地上に現れるのはおこがましいと考えているため、現れるのはいつも月の上だ。そこからじっと、白雪姫の継母から借り受けた魔法の鏡で、地上の様子を見つめている。自分も同じ次元にいる事実を噛み締めながら、自分が生きることのできなかった世界を眺めている。
 彼女が、その時代の帝に抱いていたはずの恋心は、本物だった。その事実は、かぐや姫本人と、彼女が認めた者しか知り得ない。
 その空っぽの守護神の器を、千年もの昔に、シェヘラザードは日本の竹の中にそっとしのばせたのだ。

「それは、竹取物語というのは、竹取の翁その人が、喪った我が娘との想い出を消えないようにと書きしたためたものだからです」

 シェヘラザードは、ELEVENという肩書にうんざりしていた。しかし、自分以上にその立場に相応しい者が現れそうにもなかった。だからこそ、物語の作者であった彼女が、その選択を取るのは必然だったとも言える。
 彼女は守護神になってから、新たな王となるに相応しい物語を、自分がお膳立てすればいいと考えたのだ。
 そうして、平安のとある時代、竹取物語に記された事実と全く同じ出来事が起きていた。竹取の翁がその日記に物語と名付けて紡ぎ、作者不詳のまま書き上げると共に天命を全うした。
 全てはシェヘラザードの掌の上。そうして、フェアリーガーデンのルールを破るような存在、『悲劇であるのに強力な守護神』である、かぐや姫は“成った”のだ。
 彼女自身の、胸を掻き毟るような惜別の想いを、誰も理解することなどできないままに。

Re: 守護神アクセス ( No.132 )
日時: 2019/03/05 16:02
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)


「竹取物語は、実話だったということですか?」
「ええ。竹取の翁は生まれこそ貧しいものの、年老いても家族想いで、聡明な人だったと言います。それゆえにシェヘラザードは、後に貴族になり、その歳から言葉を覚えたとしても、日記という形で後世にかぐや姫の存在を伝えられる人物を選んだと言われます」

 当時の貴族社会は今の世以上に出世に貪欲だったと言って差し支えない。暗殺どころではなく、呪いにより殺人を試み、時として己の娘を差し出し上の立場に立つ者に取り入るような世界である。むしろ、政治の道具として息子娘を利用するため、自分自身多くの女性と契った者もいることだろう。
 確かに和歌に詠まれるように、色恋の情念も今よりずっと強かっただろう。しかし、光が強ければ影も濃くなるように、心の裏にべったりと染み付いた欲という汚れは疼くものである。
 貴族階級が生まれながらにしてそうであるのだから、シェヘラザードは彼らよりむしろ、平民に託すべきだと考えた。かぐや姫はどの時代に送り込んでも、その時代に考えられる最上の乙女になるように紡いだ著作物だ。生まれの貧富に依らず、その名を天下に轟かせる事間違いなし。そう信じ、その時代で最も家族への慈愛に満ちるだろう翁の仕事場に送り込んだのだ。

「竹取の翁が悲しんだのは記された通りです。彼は、その悲しみを余すことなく物語に書き込みました。彼にできる表現の全てを尽くし、万人に自分が持つ無念を共感してもらえるようにと。そして何より、かぐや姫が実在するのだと証明するために」

 そしてその証明は、彼がそれを記したことで果たされた。名も無い守護神、あるいはELEVENシェヘラザードの分体のようなものに過ぎなかったかぐや姫は、竹取物語が世に出ると共に、一個の守護神となったのだ。
 彼女を知る者たちは皆、彼女にまた巡り会いたいと強く願った。その想いは、『虚構の人物への憧れ』よりもさらに稀有な感情だった。別れの悲しさを描いた、二本のみに伝わる物語である竹取物語、その中から飛び出したかぐや姫がセオリーから外れて位階の高い守護神となったのは、それ故である。本来フィクションの中の人間に向けられはしない感情、それこそが彼女を特別たらしめている。
 後世に書かれた物語に、似た理由で強大な守護神となった童話の主人公が存在する。それは、少女愛好家のルイスキャロルが、幼い乙女のために描いたと言われる物語。その少女を主人公に見立てて贈ったとされる地下の国のアリスの改変版、『Alice in wonderland』の主人公であるアリスだ。
 シンデレラや赤ずきんのような、コンパクトにまとまった物語ではなく、読破した人間がそれらと比較し少ないであろう児童文学。確かに世界的に有名であり、翻訳された言語数は時としてシンデレラ達を超えている時期もあったろう。
 だがしかし、小さな女の子たちは高貴な身分に自己を投影しようと考えるものだ。一般人に過ぎないシンデレラが、王子様に見つけられ、お妃にと選ばれる。普通の人間に過ぎない少女だからこそ、眉目秀麗の王子様に見初められるのを待ち望んでしまう。自分が特別では無いと自覚しているからこそ、特別になりたいと憧れ、灰被りになりたいと自分の姿を重ねてしまう。
 一方アリスは、著者にとって特別な少女のために書かれている。アリスという少女自身が何かしら特異性を持つというよりも、迷い込んだ世界が特殊だった創作だ。ファンタジーを好む人間が、その世界に憧れるのは当然とも思えるが、アリスという主人公を心から好きだと惚れこむ人間は、先に述べたシンデレラほどでは無いだろう。
 しかしアリスは、知君や奏白が目の当たりにしたように、侮れない強力な兵隊を多数引き連れている。これは、他の多くの童話やお伽噺が持ち得ない特異な感情に由来する。好んだ少女のために書いた著者の想いと、自分のために書かれたという、少女の充足感だ。
 特にその充足感の占めるところは大きい。あどけないながらもアリスという守護神は、自分の望みを誰かが叶えてくれるものだと思い込んでいる節がある。アリスのモデルがどうであったかは今更分からない。しかし、彼女は己の武器を熟知していた。自分が懇願すれば大人は望みを聞いてくれるものだと。

「寄り道はそこまででええ。とりあえずフェアリーテイル共にはアクセスナンバーの位階がないから、その物語の特性や寄せられる感情から守護神としての地位やら力量やらが決まっとるいうことやろ」
「はい」
「ったく、回りくどくてしゃあないわ。今のアリスの下りいらんかったやろ」
「例があった方が分かりやすいかと……。いえ、それより。そういった事情がありますので、かぐや姫を侮る訳にはいかないのです。なぜなら……」
「かぐや姫は次期ELEVENとなるために設計されたから、ですね」

 後継者、あるいは直接的にシェヘラザードの子供、そう言った方が正しいだろうか。強大な能力を用いて、数多の守護神を束ねるELEVEN。そう在るべき者は誰より並外れた能力を手にしていなければならない。

「先ほど桃太郎が口にしたのは、将としての力です。配下となるガーデンの守護神全員を鼓舞し、使い方次第で癒すことのできる能力。ですが彼女の持つ能力はそれに留まりません」

 それは言うなれば、月光を毒とする能力だ。かつて帝が、かぐや姫を帰らせないようにと配備した軍は、月の光を浴びただけで体の自由を奪われた。それは、彼らの肉体が、神経が毒され麻痺していたためだ。
 そしてもう一つは、精神を蝕む能力。心を殺すことさえもできるだけの力が、月光には宿っている。そのための手段は択ばない。ただじわじわと、光を見た者に漠然とした恐怖を植え付け続けることもできれば、幻覚を見せて夢の世界に捕らえてしまうこともできる。

「正直なところ、肉体的な被害は出ないに等しいです。身体を蝕む毒と言いましても、実際のところは一時の金縛りのみですから」

 むしろ、夢の世界に人間を閉じ込める能力の方がよほど危険だと彼女は言う。余程強靭な精神を有していない限り、かぐや姫の作る幻覚世界からは脱出できない。それは、夢を見ている時に今自分が夢を見ているのだと気が付けないのと同じ理由だ。
 青い月の光を見てしまえば、その瞬間に夢の世界に囚われる。先ほどまで自分が立っていたはずの天地さえも不明瞭になり、初めから幻想の国にいたと錯覚してしまう。そのまま眠り続けて、術者のかぐや姫が許すまで、悪夢であったり、その人の望む温かな情景であったりを実現してやることができる。
 悪夢でさえ、その世界が偽りであると決めつけることは困難だ。あまりの艱難辛苦に押しつぶされ、思考が奪われてしまう。こんな現実が真実であるものかと思おうにも、既に対面した不幸はリアリティを持って幻覚にかけられた者を追い立てる。身体中を蛆虫が這う不快感に、指先から次第に砂となって崩れ落ちていく恐怖に、愛しい者が第三者を愛していく喪失に、人は嘘だと断じられない。
 幸せな甘い幻想ならばことさらだ。それが夢だと決めつけたくない、現実であって欲しいと願ってしまう。辛く苦しいだけの現実よりも、弱い心を甘やかしてしまう幻の世界を。夢に囚われた人間が、自分にだけ優しい世界を手放すことなど、決してできはしない。
 そうして肉体を動かすだけの自我を失った人間が、泡沫の悦楽に閉じ込められている間、現実の肉体はかぐや姫に忠実な僕となる。何せ抵抗するだけの意志が、蜜のような多幸感に絡めとられ、身動きが取れなくなってっしまうのだから。

「かぐや姫と戦う時に月を見てはならないというのはそういう理由からです。できることならば光も浴びない方が望ましいぐらいで。身体能力の制限、金縛りの能力は光を浴びるだけで充分に能力が働きます」

 そのいずれに関しても、彼女の持つ癒しの聖歌の能力であれば解除できるという。ただし、彼女自身は能力の行使権を譲っている以上、その力を使うことができない。それを振るうとすれば必然的に王子が幻想に囚われないよう、周りの人間で補助せねばなるまい。

「王子くんはやはり人間です。彼女の夢想に囚われてしまえば、脱出は困難でしょう。だから他の皆さんには何を置いても王子くんを守っていただく必要があります」

 たとえ犠牲になった護衛がかぐや姫の術中にはまったとしても、それは王子とセイラが健在ならばいくらでも回復できる。

「他のぞろぞろと配下引き連れとるフェアリーテイルと比べたら随分面倒なやっちゃのう」
「ええ。そもそも精神に干渉する能力というのが最も恐ろしい能力ですから」

 その点については、そもそもこのフェアリーテイル事件全体を通し、捜査官全員が理解していることだろう。元凶となっていたのは人を洗脳し、心を破壊衝動で蝕んでしまうドルフコーストの能力。そのせいで、何人の犠牲者が無くなったのか今更数えられない。
 本人に戦闘能力、破壊に適した能力が無かったとしても、支配下に置いた者がそのための力を、武器を手にしていた時、それを束ねる先導者が世界を壊すだけの力を手に下に等しい。事実、赤い瘴気に心を侵され、身の回りのものを打ち砕く衝動に衝き動かされていた赤ずきんはどれだけの被害を生んだことだろうか。

「ですので、たとえ危険だとしても私と王子くんはクーニャンさんと桃太郎と共に先行すべきです。前線で一部の仲間が洗脳されてしまった時、仲間割れが発生します」

 その上、守護神アクセスしていない状態で金縛りの月光を浴びてしまえば王子が身動きとれなくなってしまう可能性が出てくる。そうなる前に、少しでも守護神アクセスを行うことで身体の機能を向上させておいた方が良い。

「もし洗脳された方とそうでない方との諍いが起きていたら、取り返しのつかないことになってしまう可能性があります。だから……先に、行かせてください」

 理由の詳細こそ誰からも告げられていなかったものの、彼女は知君がまだ『現段階においては』守護神を呼びだせないという事実だけは察していた。何かを警戒している態度だけは、琴割たちの様子を見ていたら分かる。それを、挑発に乗りやすい王子には伝えられない事実も。
 今夜の敵は他の何よりも、琴割 月光の失脚に重きを置いている。そのため、彼専属の私兵である知君が、国際的な条例を無視してネロルキウスの能力を事件解決のために濫用している事実を知られる訳にはいかない。具体的にそこまで人魚姫の思慮は追いついていなかったが、少なくとも知君たちはそのようなことを警戒していた。

「……分かった。実際問題儂はどこまで行っても自衛以外の目的でジャンヌダルクの力は使えへん。わざわざ足並みをそろえる必要も無い。そんなら戦力になれるだけ、お前ら先送った方が有用じゃ」

 確かに先に送り出した際にシンデレラなど、残存する敵戦力に急襲される可能性はある。しかし先ほど本人が口にしていた通り、桃太郎とその契約者の少女とであれば、充分に琴割達が追いつくまでの時間稼ぎぐらいはできるだろう。
 であれば、考えられる最悪の事態が変わって来る。今の人魚姫の話を聞く限り、こちらの対応が後手に回りすぎたために、多くの捜査官を失う未来の方が余程今後に支障が出るように思えた。

「王子くん……気を付けて下さいね」
「分かってるよ。大丈夫だ」

 その表情は確かに、緊張で強張っていた。それは無理も無い。如何に強大な能力を宿していると言っても、知君とて今宵はひりつくような心のざわつきを抱えている。これまで視線を潜った数は本職と比べるとずっと劣る。誰かを失ってしまう不安に常に苛まされる。一つボタンを掛け違えるだけで、向かう未来が百八十度変わってしまう可能性があるのだ。
 でも、だからこそ。僅かな恐れと、大きな不安、そして途方も無い緊張感の浮かんでいる王子の顔だからこそ、知君は安堵して送り出すことができた。向こう見ずで、無鉄砲で、上手くいったときの事ばかり考えて、ヒーロー像に自分を重ね合わせる皮算用をしていた頃の彼はもういない。
 かつての王子は、盲目で無謀な博打家だった。一歩一歩、未開の地を着実に進む冒険者とは程遠い。己を投げ打つように、命さえもベットして、ハイリターンの勝負に出るだけのギャンブラー。今の彼はそうではなく、震える心身を奮い立たせ、勇気で高い壁を乗り越えようとしている。
 気を付けろの声に、無責任な大丈夫を返すこともなく、分かっていると答えた。考えなしでは何ともならないことを理解して、大人の階段を上っている。
 そのきっかけを与えた半分は知君だというのに、彼は友人のその進展が、眩しくて仕方が無かった。きっとその変化は、守りたい誰か、大切にしたい人、並び立つ彼女のためなのだろうと判断して。
 とはいえ彼が成長した理由のもう半分はそうであるのだから、彼の推察も間違ってはいないのだが。

「必ず追いつきます、ですので」
「何だ? 負けないでください、ってか?」
「いえ……」

 セイラと手を繋いだ王子が、呼びかけてきた少年の方へ向き直る。いつも通りの丁寧な言葉で、今までと違った言葉をかける。
 彼もまた、幾多の困難を乗り越える度に変わっていった。僕が、僕が。何とかしなくちゃ、護らなくちゃ。そんなことばかり口にしていたというのに、自分がどうにか解決させねばならないと思い込んでいたのに。
 いつしか重荷を引き受けることしかできなかった、器でしかなかったはずの少年も、誰かに託すことができるようになっていた。

「シンデレラはともかくかぐや姫一人くらい、先に済ませておいていただいて構いませんよ」
「ハードル上げてんじゃねえよ」

 教室で他愛ないことを押し付けるような口調で無茶ぶりをしてきた知君に、小さな笑いを漏らした。お前そんな事いうキャラだったっけかと、呆れた顔を作りながらも、抜け目なくパートナーの人魚姫と「守護神アクセス」の声を重ねている。
 握りしめた掌まで、全身が光の粒となって王子の中に吸い込まれていく。真凜のまとうオーラの色とはまた違う、深海のような深い青のオーラに、王子 光葉の身体は包まれた。

「ま、でも今回はどのみち知君の仕事はそんなないはずだしな」
「あたしらも居るんだ、姫様の一人や二人、ぶっ飛ばしてきてやんよ」

 忠告通り、空も見上げないままに二人は一斉に駆け出した。人間にはあり得ない程に肉体が活性している両者だ。琴割はともかく、現状ネロルキウスを呼びだしていない知君にとってその速度は規格外と呼ぶほかなく、瞬く間にその背中は胡麻粒のように小さくなってしまった。

「随分落ち着いたもんやのう」
「ええ、そうですね……」

 以前ならば、逸る気持ちを抑えきれず、周囲の全員が止めているのに独断先行しようと考えるほどの少年だった。というのに、今日の彼は周りの冷静な人間が、前進するに値すると判断したのを聞き届けた上でようやくスタートダッシュを切った。たかだか数日の短い期間だと言うのに、もはや彼は知君に掴みかかった人比べて、数回り大きくなっていた。
 しかし、琴割が評したのは何も彼一人に留まらない。残された知君と、彼らなりに現地へと向かいつつそちらの少年の成長も認めていた。
 以前ならばそわそわして、一刻も早く駆け付けようと思っていた彼だ。それは護りたいという欲もそうだが、何より自分以外の人間の強さを信じていなかったせいだ。
 けれど、今は違う。自分以外の誰かから助けてもらう経験を経て、知君とて一回り大きくなっていた。
 月の光を恐れる必要の無い二人は、空に浮かぶ満月を見上げた。より一層輝きを増した月は、空の玉座に腰を下ろしているようにも思える。
 心と身体を縛る青い月光が、雨のように戦地へ降り注いでいた。


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