複雑・ファジー小説
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入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)
- 守護神アクセス【Epilogue-2・中編】
- 日時: 2022/05/19 21:16
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: m3Hl5NzI)
2020年、夏の小説大会で金賞もらっていたらしいです。
投票してくださった方々、ありがとうございました。
___
本編の完結とエピローグについて >>173
目次です。
▽メインストーリー
File1:知君 泰良 >>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6
File2:王子 光葉 >>9 >>10 >>11 >>12-13 >>14
File3:奏白 真凜 >>16 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 >>24 >>25 >>26
File4:セイラ >>27 >>28 >>29 >>30 >>31
File5:奏白 音也 >>32 >>33 >>34 >>35 >>36-37 >>38
File6:クーニャン >>39 >>40 >>41 >>42-43
File7:交差する軌跡 >>44 >>45-46 >>47-48 >>49
File8:例えこの身が朽ちようと >>50-51 >>52 >>53 >>54 >>55-56 >>57 >>58
File9:それは僕が生まれた理由(前編) >>59 >>60-61 >>63-64
File0:ネロルキウス >>65 >>66 >>67 >>68 >>69 >>72 >>73 >>74 >>75 >>76 >>77 >>78 >>79 >>80 >>81
File9:それは僕が生まれた理由(後編パート) >>82
File10:共に歩むという事 >>83 >>84 >>85 >>86 >>87 >>88 >>89 >>90-92 >>93-95 >>96-97 >>98 >>99
FILE11:人魚姫は水面に消ゆる夢を見るか >>100 >>101 >>102-103 >>104 >>105 >>106 >>107 >>108-109 >>110 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 >>117 >>118-119 >>121 >>122 >>123 >>124-125 >>126-127 >>128-129 >>130-131 >>132 >>133 >>134 >>135 >>136 >>137 >>138 >>139 >>140-141 >>142 >>143 >>144
Last File:12時の鐘が鳴る前に >>145 >>146 >>147 >>148 >>149 >>150 >>151 >>152 >>155-156 >>157 >>158-159 >>160 >>161 >>162-163 >>164-166 >>167 >>168 >>169 >>170 >>171-172
Epilogue-1 【守】王子 光葉 >>174-175
Epilogue-2 【護】知君 泰良 >>176-177
-▽寄り道
春が訪れて >>23
白銀の鳥 >>70-71
クリスマス >>120
▽用語集
>>8 File1分
>>15 File2分
>>62 File8まで諸々。それと、他作品とクロスオーバーしたイラストを頂いたのでそちらのURLも
▽ゲスト
日向様(>>7にイラストをくれました、感謝。What A Traitor!作者)
友桃様(Enjoy Clubの作者様。自分にとって小説の師匠や先生みたいな感じの方)
気軽にコメントとかもらえたら嬉しいです。
僕も私も異能アクション書いてるの!って子は宣伝目的で来てくれても構いません(参考にする気しかない)
- Re: 守護神アクセス ( No.118 )
- 日時: 2018/11/19 00:24
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
助けてあげるんだから、文句言わないでよねと、最早聞く耳さえ持たぬ龍に、真凜は呼びかけた。
閃光、また一つ瞬いて。透き通る青がまた空に軌跡を残す。適切に配置した反射板でその進路を変えながら、上下左右からタイミングをずらし、光の矢が線を描く。真正面から撃ち合えば、まず間違いなく竜の息吹にてかき消されるだろう。
正面突破は困難。単純な馬力だけならば自分の方が劣っている。番狂わせを起こしたいと望むのならば搦め手を用いて、あるいは技巧を使って攻め立てる。両者の間に違いがあるのかは分からない。力の及ばない領域を知恵と技術で補うというのならばどちらも変わらない。それを小賢しいと考えるのか、あるいは理知に優れていると捉えるのか。それだけの差異だろう。
卑怯だと謗られても構わない。賢者であると褒められたところで歯牙にもかけない。彼女が欲しているのは、ただ立てた誓いを果たすことだけだ。もう二度と自分の信念を見失わず、目標を曲げず、望むがままに見たい未来を予知でなく自らの双眸で見届けて見せる。
全身全霊を振り絞る。確かに下に攻め入った他の従者達のことを考えるのならば、ここで全て使い果たしてしまうのは愚策にも思える。しかし、一番愚かであることは体力の節制を目的とした結果、目の前の手負いの獣に押し切られてしまうことだ。
だからここで、全て出し切る。理性を失った獣とはいえ、本能は失っていない。むしろ直感じみたものは研ぎ澄まされえているくらいだ。その証拠に、我が身を顧みずに戦っているように見えて、その実致命傷だけは的確に避けている。眉間を貫きかねない弾丸は灼熱の息吹で焼き払い、心臓を穿ちかねない光線は身を捻って回避している。
避けられるのは構わない。むしろそれこそが彼女の狙いだった。真正面からの一斉掃射で気を引きながら、不意に四方からの狙撃を重ねる。肉を切らせて骨を断つ、それを示さんがばかりに龍の巨躯が甘んじて真凜の魔術をその身に受けるも、どれもこれも決定打にならない。仕留める気で放ったレーザーに弾丸は、悉くが無力化されると言うのに。
だから一切の容赦は持ち合わせない。これは救いだと意志を改め、また放つ。撃って、撃って、撃ちまくって、細い糸がより合わさって太く強靭な糸となるようにメルリヌスの魔力で夜空を塗りつぶしていく。計算された道筋をなぞり、虹色の天板に跳ね返り、乱反射する青い熱線。全方位から怒れる従者に襲い掛かるも、首にぶら下げた玉石に当たりかねないもののみを、身を捩って避ける。その他の威嚇射撃はといえば、鱗を弾き飛ばし、その強靭な皮を引き裂き、鋼のような肉体に風穴を開けたというのに。衝動が支配するその巨体には、僅かばかりの痛みも走らない。
また、目元から零れ落ちる炎鱗の残滓が見えた。紅蓮が零れるその姿は、まるで血涙のようで。泣きたいのに、涙を流せないようにしか真凜には見えなかった。苦悶こそ感じているのにその事実を悲しめない様子が、哀れでならない。
対峙している自分が撃ち抜いたから、泣いている訳では無いのだろう。怒りこそは真凜自身がきっかけとなってしまったかもしれない。けれどもあの涙はきっと違う。あの血涙の要因となったのは向かい合う真凜などにはあらず、きっと龍と化した彼自身の背後に立っている。
彼はきっと、運が悪かった。四分の一の確率、最悪の外れを引き当てた。隣で戦っていた、奏白 音也に敗れた従者は、相対する者にとってはこの上なく厄介この上ない類の、災害に等しい奔放さを携えていた。それは、第二者にとっての最大の不幸者だ。
だが、彼はどうだろう。怒りしか知らぬと口にして、怒りと縁遠い涙を流し、頬に赤い線を引くこの男は。この怒りの従者こそがきっと、最大の不幸をその一心に背負ってしまった男だ。
私が相対するのはお門違いなのかもしれない。そんな事も、考える。強すぎる怒りが身を滅ぼすと、彼女以上に知っている者がいるから。その人こそが、彼に諭してあげるべきではないかと、伝えてあげるべきではないかと。身を焦がす怒りに晒されたことのある人間こそ、教えられることがあるのではないだろうか。
嫉妬はきっと、ただの淀みだ。怒りが炎に例えられ、本人にも危害を加えてしまうのに対して、それはあまりにも矮小な影響しか及ぼさない。ただ、『私』だとか『僕』という人間をより汚い誰かに染めてしまうだけ。私はあの人と比べて色褪せてるから、淡い色をしているから、もっと濃くならなくちゃって絵の具のチューブを握りつぶす。溢れたのは、陰惨な、憎悪と同じ色の塗料だけ。元々あったはずの自分だけの色さえも全部上から塗り替える。卑怯で、可哀想で、心が汚くて見ていられない。性格の悪い誰かさんにしかなれなくなってしまう。
憤怒と比べてしまうと、あまりにも凡庸で、ちっぽけで、取り上げるに値しない、卑怯者の逃げ道。乗り越えたとはいえ、その程度のもの。この声が届くのかは分からない、けれども。
どうして、こんなに冷たいんだろうなあ。
あんなに、暖かそうに見えたのに。
あんな事、もう思わせてはいけないのだから。
チャンスは一度きり。機会を窺え、決して気を緩めるな。己に言い聞かせ、またしても全方位掃射。もう一体、どれほどの砲撃を撃ち放したことだろうか。しかし、気力はまだ残っている。メルリヌスから借り受ける魔力にもまだまだ余裕がある。未来視を重ね、最善の未来を選択し続ける。次に狙撃すべき地点は、次に取るべき進路は。
炎に呑まれないか、その体躯に弾かれることは無いか。あるいは、真凜への関心を失った炎の化身が奏白や地上へと矛先を向けたりはしないか。つかず離れずの距離、極限の集中状態を乱すこともなく維持し続ける。
一直線に眉間へ、次の弾道は敢えて外す。急に体を縮ませた大蛇は、速度を増して彼女に飛び掛かる。迎え撃つ魔力の弾丸も弾かれて、瞬きする頃には鼻先にて牙がぎらりと瞬いた。けれども、織り込み済み。下方へと舵を切り、何とか難を逃れる。髪の毛先が焦げ付いて、嫌な臭いが鼻を掠める。避けきれなかったことを把握するには充分な判断材料だ。
おそらく自分は気力体力集中力、全てにおいて摩耗している。それは間違いない。生きている人間だ、疲労とは切っても切り離せない。もし倦怠感を全て取り去って、敵意と闘争心だけを残した生物が居るとすれば、それは兵器ですらなくてただの鬼や悪魔に過ぎない。
かぐや姫の従者は、果たして彼女が疲弊している事実に気が付いているのだろうか、それは問うまでも無かった。目玉がまた、一際強くギョロリと除く。この好機は逃してやらんと言いたげに、牛一頭容易く丸呑みするほどの口を大きく開いた。その奥ではまた、紅炎が踊っている。
息を強く吸い込んでいる。夜を否定するほどに明るい天の海、炎によって生じた煤や灰といったものが吸い込まれていくのが見えた。自分が優勢に立った自覚があるのか、本能的に真凜が劣勢に陥ったと察知したのか、立ち振る舞いからは余裕が窺えられた。先ほどまでは感情的に真凜を追いかけるだけであったのに、明確な意図を持った火炎を吹こうとしている。
振り返れば、兄である音也が一人の従者を下したところであった。きらきらと、天の川の雫のような何かが地面に向かって落ちていく。一人の屈強な兵士が失墜しているのと重なったせいか、兄の寂寥に包まれた顔に影響を受けたせいか、その姿に彼女も、侘しさを感じ取る。
「分かるよ、兄さん。……正しいことって分かってても、生きてる人間じゃないって分かってても、辛いものは辛いわよね」
本当は悪意など持っておらず、平和に暮らしていただけの守護神の分体でしかない。そのはずなのに、誰かに利用された結果、彼らの正義にぶつかってしまった。人間界の平和に刃先を突き付けてしまった。
己の意志も、感情も無いのに。必要だからと劇薬じみた心の断片を押し付けられて、したいとも思っていない破壊の衝動に衝き動かされている。
救わなくてはならないのは、ただ危機にさらされている人々だけではなくて。利用されるだけされて、罪を背負えない程に抱えさせられたフェアリーテイル達も同じだ。
奏白は一線終えたばかりの状況で、放心状態になっているようだった。それを見逃すほど敵は甘くない。いつしか状況を判断できる冷静さも取り戻したのだろう。五秒の後真凜のみならず、その遥か後方に位置する奏白をもまとめて、一息に紅蓮の業火を吐き出すと予知できた。
本当に、今回の戦いは“あの時”を思い出して仕方ない。
「壊死谷の時と、することは変わらないみたいね」
あの時からどれだけ変われたのかを見せるなら、それはきっと今。「撃たせない」と叫びながら、最低限炎を弾き返せるだけの力だけを残し、メルリヌスから借り受けたエネルギー全てを一筋の光線へと変換する。
これまでの戦いの間に、貯蓄は積み重ねてきた。そしてこれが、最後の一つ。自らに込められるだけの力、それら全てを一つに込めた結晶を、向き合った相手よりも先に撃ち放つ。これまで見せてきたどの裂閃よりも澄んだ青が、淡い水色を広げた空を走る。その閃光は、己の存在感を強く知らしめるように、空の遥か高みにおいて、深海のごとき深い藍を示していた。
その光は地上までも届く。彼女の才覚を知らしめるがごとく、あるいは、誰かに大丈夫だと伝えるように。
これまでのように回避を怠ってくれれば。そんな期待は簡単に裏切られる。期待通りに事が運べば想定よりも遥かに楽に終わってくれるのだが。胸の辺りをぱんぱんに膨らませた龍は、器用に体を折り曲げながら、その青い一閃に触れることも無く後方に見送った。
既定の時刻。真凜は一枚を除き、作り得る限りの反射板を自分と炎との間に乱雑に配置した。流石に奏白の位置は危険なままだが、地上までは到達しないだろうと、上下左右に均等に振りまくように反射板の行列を配置する。鏡のような性質があるとはいえ、障壁と同じように耐久出来る限界の強度は定まっている。
刻一刻と、数十枚、百有余枚と創造した虹を切り取ったかのような天板は溶けていく。僅かに炎の出力を四方に分散させながら、己の身体も同じように消え失せていく。
威力の大半を削ぎ落したところで、展開していた反射板の全てが消失する。プラン通りでは、これだけでしのぎ切るつもりであった。一応このまま飛んで回避することもできる。しかし、兄の方はというと、まだ少しぼんやりとしているようだ。
退く訳に行かない。念のために保持しておいた、文字通り最後の気力の一滴。エネルギーの消耗の激しい反射板はもう満足には使えないだろう。単なるエネルギーを壁の形に集約させた障壁を代わりに眼前に展開した。
- Re: 守護神アクセス ( No.119 )
- 日時: 2018/11/19 00:23
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
耐えられるだろうか。それは分からない。目の前で受け止めたせいか、その熱気全てが伝わってくる。メルリヌスの魔力のヴェールによる熱気の遮断も弱っている証拠だ。肌の水分が全て飛ぶ。喉の奥が乾燥でヒリヒリと痛みだす。束ねた髪の毛がそのまま燃え始めてしまうのではないか、じりじりと、目の前に張ったバリアさえも燃えていく感触が手の中にある。しのぎ切ることはできるのか、貫かれ、灰燼と化してしまうのか、それさえももう予知できない。
人事は尽くした。持ち得る限りの全ての能力は尽くした。されど、やはり本番と言うのは想定外の事ばかりだ。本来自分が視ていた光景では、もう少し楽にしのげていたはずなのだけれど。
攻撃の方に魔力を配分しすぎたのだろうか。きっと逆だとは理解していた。自分が見ていた未来図では、お互いに満身創痍と言った様子だった。何度か胴体をレーザーで貫通させたとはいえ、攻め手が不十分であったことは否めない。より激しく攻め立てて、心身により一層の負担を強いておくべきだった。
人はその姿を優しさと言うのだろうか。きっと、甘いと述べる人は少ないだろう。配分を間違えたとはいえ、全霊でぶつかったのは事実だ。手ぬるい過程を選択してしまったのは事実だが。それでも、全力を賭した者に甘いと述べる者は少ないだろう。
自分の周囲の人間は、心根が優しいから、きっと厳しい言葉は投げかけない。だからこそ、自分だけは必ず、自分のことを甘やかしてはならない。これはきっと、自分の弱さだ。正しいことを為すために、超えてはならない一線を超えることを躊躇っている。実際、その線を跨いだら帰ってはこれない。だからこそ、声無いという選択肢は間違っていない。
足りていないのは、そのギリギリのところに立つ覚悟だ。そして覚悟が足りていなかったのならば、その責任は自分で果たさなければならない。
それが、彼女の信じる、子供に示すべき大人の姿なのだから。
「見てなさい、二人とも……。人魚姫ちゃん、入れたら……三人かしらね?」
単純な強さだけでは、兄にも知君にも敵わないだろう。だから、数値で表すことのできない意志だけは、教えられる人間にならなければならない。
いいや、違う。そんな義務など存在しない。そんな傲慢は存在しない。ただほんの少し、強欲なだけだ。
「私が、そうなりたいだけ。そしてなるのだとしたら……」
楽になりたいと体が叫んでいる。眩暈も少しずつ訪れる。己の目で見る景色が褪せていく。吸い込んだ吐息さえも身を焼くほどで、全身にこめた力が抜けていきそうになる。酸素が足りているのだろうか、息を吐き出してまた吸っても、胸の内側から焼けてしまいそうな息苦しさ。
後僅かでも気を緩めてしまえば、自身の身体は、骨さえ残すこともなく燃え尽きてしまうだろう。苦しみなんてきっと無く、一瞬で全てが終わるのだろう。堪えていても辛いだけ、それならば。
だがしかし、そんな甘い誘惑に流される事など無くて。指先にまで、再び力を込める。意志を固め、ピントがぼやけそうな目を細め、討つべき敵を見据えた。折れてたまるかと、芯の方から意地が力となり、彼女を支える。
嫉妬は乗り越えた、だからこそ、彼女の胸の内から湧き上がってくる原動力は負けず嫌いの唯一点。
「今以外ありえないじゃない」
日頃攻撃に転じる際に用いる砲弾の炸裂、それは素材を同じくするこの魔法の障壁でも同じことが可能だ。炸裂と同時に彼女を乗せたボードが後方へとスライドした。猛火を吹き飛ばした青白い光と熱風の奔流の中から、彼女の身体が飛び出す。自爆と同義の防御であったため、全身煤だらけの姿になりこそしたが、それでも迫りくる炎全ては無力化した。
「どう……見直したかしら?」
強がって笑ってみるも、最早余力は使い果たした。本当はもう少し楽に片づけて、地上に駆け付けようとしたものだが、結局はこのざまかと自嘲する。それも仕方ない。格上と戦っている自覚はあった。その上で、余力など残さないと決めたではないか。
それにしても、もはやこれ以上滑空することさえできそうにない。数秒でも時間を稼ぐことができればすぐさま飛び立てるだろうに、それは不可能。
「◆■〇△×★□◎▼◇××××××××!!!!」
最早、その咆哮は言葉の体を為していなかった。ようやく、怒りに溺れながらも翻弄され続けた真凜のことを殺せたと思ったら、しぶとく、執念深く、生き残っていたその事実がまた勘に触れたのだろう。
ぼろ雑巾のようになってまで、生に縋ろうとするこの様子がそんなに醜く映っているのだろうか。最早その怒りの原因など突き止められそうにも無い。人間の感情は複雑で、様々な思いが絡まっているから。たった一つの些事で怒り狂う人間はそうそういない。
しかし、目の前の一匹の獣はそういった心しか持っていないらしい。
「また、目の前しか見えなくなってるわね」
少し、話があるのだけれどと、今にもまた真凜に飛び掛かりそうな龍の形相を見つめながら、語りだす。
「私の反射板の能力はね、攻撃と防御の両方に使えるのだけれど、それはとある特性のおかげなのよね」
その声に聴く耳など持たず、細長い胴体が宙を翔け抜ける。最早身動きも取れず、防御もできない真凜は、ただただその姿を受け入れていた。
「おい真凜!」
兄の声が遠い。ああ、心配をかけてしまっているのだろうか。それは申し訳ない事をしたなと、彼女は振り返る。果たして奏白にその表情は届いていたというのだろうか、彼女は柔らかく微笑みを湛えていた。
大丈夫だから、そんな事、呟くことも無く。悲痛と、虚しさに満ちた危機を伝える声の主。奏白の心配する声も虚しく、無情にも彼の眼前で決着はついた。燃え盛る炎鱗に包まれた鬼のような顔つきの龍が、そのまま華奢な真凜を丸呑みにしてしまう。
そんな姿を、目にするまでも無く奏白が瞼の裏に思い描いたその瞬間の出来事であった、光の雨が降ったのは。
降り注ぐ閃光が、またしても空のキャンパスに線を描いていく。もう、画家は筆を手にしていないというのに、流れ星のように空一面を引き裂いていく。完全に油断しきった意識の外、流星群が怒りの権化、逆鱗に触れられた龍の身体を貫き、降り注ぎ、一息に引き裂いた。
「これ、どうなって……」
「反射板の能力は、名前の通りキャパシティを超えない範囲であらゆる能力を跳ね返す、ただ……」
真凜の目の前で、怒りの従者は龍化を解除していた。それは彼の意思によるものではない。後頭部から喉を一直線に突き破った濃紺の光線が、首元に下げていた珠を貫通し、撃ち砕いたせいだ。
「その際にエネルギーは、完全に保存されるの」
この戦闘において、数え切れぬほどの光線を撃ち放った。何百、で済むのだろうか。千に達しても可笑しくは無い。それらのほとんどは、確かに無力化され、打ち消され、かき消された。しかし、打ち消されることなく回避されたものだけでも、数十と存在する。
「それを雲の中で維持していたの。見られることが無いように、飛び出すことが無いように。雲の動きを未来予知で見ながら反射板の位置をこまめに移動させるのなんて初めてだったから、大変」
それを巨竜と相対し、かいくぐりながらこなす処理能力が末恐ろしいと、先ほどまでと異なる冷や汗を奏白は浮かべる。切迫していた緊張など今更どこへやら、かぐや姫から受け取った道具を打ち砕かれ、身体中を貫かれた一介の月の民に過ぎない従者は、もう星屑となって消え失せるしかない。
「なぜ……なぜ……」
彼は泣いていた。損傷しすぎた体には、もう何者の声も届いておらず、何者の姿も映っていない。できることと言えば、今まで言えなかった思いの丈を吐き出すことだけ。それを聞いてあげられるのが、真に伝えたい相手などではなく、求めるままに怒りをぶつけていただけの敵に過ぎない人間のみという事実は、悲劇と呼ぶほかない。
「こんな醜い感情を、よりによって……俺に……」
きっと、彼は悲しかったのだろう。怨むことしかできない感情譲渡が。愛することもできないまま、自分もろとも誰かを壊してしまう感情だけを与えられてしまった事実が。辛くて、苦しくて、悲しくって。主君相手に文句を言うこともままならなくて。
悲しむこともできないまま、ひたすら憎悪の念を押し殺し続けて、与えられた心が砕け散った結果、血の涙を流すほどに苦しんでしまった。
「だったら、解放してあげるのがせめてもの優しさよね」
その声は、彼に届いていたのかは、もう誰にも分からない。龍の首の珠同様に、彼を苦しめるものさえも撃ち砕くことができていたならば。それは私にとっても誇らしいことだと、夜空に溶けるように漏れ出ていく、星の残滓をその手に掴みながら、昇りゆく魂をただただ見送ることしか、彼女にはできなかった。
- Re: 守護神アクセス ( No.120 )
- 日時: 2018/12/17 22:06
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
指先がかじかむ感触はまだまだ僕にとって新鮮なままだ。徹底的に気温が管理された施設で育ってきた僕は、体温調節機能が常人と比べて著しく弱まっていたらしい。夏には熱中症で何度死にかけたことか分からない。冷房の効いた保健室と、今一冷え切らない教室とを行ったり来たりしながら授業やテストを受けていたが、よく人並みの成績を保てたものだと我ながら感心する。
体育の授業なんかも休むわけにいかない。けれども、せっかく手に入れた人間らしい生活なのだからと思えば、欠席しようとも思えなかった。人間というのはそこそこ成長する生き物らしい。弱かった発汗機能も鍛えられ、何とか高温多湿の日本にも適応できるだけの身体を僕は一度目の夏にして手に入れた。
けれども、夏があれば冬も来るのが日本だ。地軸が二十三度ともう少し傾いているから、陽の差す時間と角度が変わるから、科学的にはいくらでも理由はつけられると知っている。けれども、何故わざわざ冬が来るのかと愚痴を漏らしても、結局のところ「そういうものだから」で窘められてしまう。愚痴を言うだけの心の余裕なんて僕には無くて、赤くなってしまった指先に、そっと吐息を吹きかける。じんわりと、暖かさが滲んだ。
今度手袋でも買おうかな。今年は厳冬になるとニュースで見た。テレビは以前から見させてもらっていた。来る日のために社会情勢を学ぶためだ。道徳教育を施すために、バラエティや創作物の類は子供向けのものしか許されなかったけれど。しかし、液晶越しに世界を覗いているとき、僕はまるで鳥かごから解放されたような心地になれた。今となってはその空も、この目で見ることができるけれど。
暑さには慣れたのだけれど、寒さにはまだ順応できない。春も夏も、秋だって一緒だ。今年が初めて。花粉症こそは、一年目だからこそ無かったかな。けど、秋口の冷え込みにはついつい風邪をひいてしまった。インフルエンザの予防接種なんてものも初めてだった。細い針を、ちくり。琴割さんの躾と比べたら、ちっとも痛くなんてないけれど。じんわりと滲む自分の血を目にすることも、僕には新鮮で。
生きてるんだって、教えてもらったみたいだった。
「生きているというなら、こうして震えてるのもそうかな」
下駄箱で靴を履き替えて、知人のいない昇降口を出た。乾いた風がいたく寒い。身体から熱を奪うだけじゃなくて、そのまま肌を突き刺して痛めつけてくるみたいだった。そうやって凍えてしまいそうな今に抗うために、僕は必死に体を震わせていた。意図している訳では無い。多分、意識すれば抑えることもできるだろう。
けれども何故だか、そんな気分にはなれなかった。不随意の運動だから、それに抗うというのがとても不謹慎なように思えたからなのかな、だなんて。どことなく哲学チックな感傷を、誰よりも幼く見える僕なんかが抱えているのが少しくすぐったくて、誤魔化すためにもより強く体を揺すって見せた。
鞄からマフラーを取り出して首元にぐるぐると。風が遮られて幾分かましになる。僕には、風を避け合うような友達なんていないから、こういった防寒具は大切だ。これから部活動に勤しもうとしている級友たち、あるいは先輩たちを傍目に僕はただ校門の方へと向かう。
並んで歩く皆は、互いに大切な友達を、あるいは恋人を木枯らしから守るように寄り添っている。たったそれだけの様子に、眩しさを感じてしまう。小学校以来の友達も、クラブ活動で手に入れた友人もいない。女子から可愛らしいとからかわれるけれど、誰かと親密になるようなこともない。
僕にとって他人の温もりというのは、きっと暖炉の炎などではなくて————空を見上げる。日は短くなったが、それでも三時の太陽はまだ高い。————あれと同じだ。求めても、求めても、近寄れなくて。近づくほどに傷ついてしまう。
明るい道に踏み入れば、きっと僕は戻れなくなる。今後廃棄されてしまう未来を思うと、大切な人など作るべきではない。後五年と少し、それが僕に許された僅かな自由だ。その日までに自分の守護神を飼いならせないと、新しい契約者候補を生み出すために知君泰良という物語の幕は下ろされる。
それはもう、避けようがない。何せ僕にはもう、ネロルキウスと向き合うだけの勇気なんて残っていない。誰かがまた、僕の胸に火を点そうとしない限り。どうせ駄目だという諦めと、言いようのない恐怖が、べったりと、タールみたいにこの心の奥を侵している。
だから別れの刹那に、悲しいだなんて思わないように。思わせないように。僕は大切な人なんて作らないまま、大切な思い出だけを紡いで、後悔は無かったって、頑張って下さいねと琴割さんに伝えて、そうやって死んでいくんだ。
植物は夏にぐんぐん育ち、秋に己の集大成を見せつけ、冬には枯れていく。冬というのは死の季節だ。だからなのだろうか、独り道行くその最中に、そんなことばかり考えてしまうのは。ひらひらと舞い落ちる枯葉が、あっちに行ったり、こっちに来たり。まるで、翻弄されている誰かさんのように。
師走の十七日。そう言えば、例のイベントまで、もう後少しといったところか。赤い帽子に、豊かな白髭。鈴を鳴らし、トナカイと共に雪原でなく夜の帳を駆け抜ける。そんな姿を信じて疑わない子供はまだ今の世の中にもいるらしい。何時の時代も人間は、お伽噺や幻想が大好きだから。
いや、サンタはいると言えばいる。シンタクラースという守護神がそれに該当するという話なのだけれど。あるいは、ニコラウスさんだろうか。
校門を横切ろうとした時の話だった、最初それは、僕に宛てたものだとは思っていなかった。
「おーい、無視すんなよ」
「……僕ですか?」
「しかいないだろ、ここにはよ」
見た顔だった。確か、同じクラスにいる。出席番号は僕よりも先。いつも人々の中心にいて、いつかは捜査官になるんだと豪語する少年。友達が多くて、社交性に満ちていて、僕の対岸に住んでいるような人。
確か、苗字もそれらしいものだったはずだ。星みたいに、きらきら光っていそうな特別な印象を覚えるような。
そう、確か、王子くんだったかな。
「あれっ、王子くんって部活動してないんですね」
「おう、ジムとか行って鍛えてるんだ」
捜査官目指してるからな。そう続けた彼の語調は、教室で聞き慣れたものと全く同じだった。
直接僕に向けられた声じゃなくて、耳に飛び込んでくるだけの声だったけれど。それでも、その言葉が印象的に残る程には、何度も繰り返し聞いたことがある。
けれども、どことなく彼からは悲劇の香りがした。蠱惑的な色の花弁が散るようなイメージさえも思い浮かぶ。何となく察してしまった。これもひとえに、ネロルキウスが全知の能力を有しているせいだ。
彼の守護神は、この直感が正しいとするならば、フェアリーガーデンに住んでいる。
この人は、いつその現実と直面するのだろうか。その時に彼が如何ほどの衝撃を受けるのかと想像すれば、胸が痛んだ。そんな僕の胸中のしこりなど知らない彼は屈託なく話し続ける。
「今年のクリスマスさ、放課後の教室使わせてもらってクラスでちょっとしたパーティーしないかって話が出てんだよな、知君もこねぇ?」
「……いいんですか?」
「はあ? 変なこと言うなよ。クラスメイトだろ」
「でも、僕はそんなに誰とも仲良くは……」
「だからだろうが。もう一年の折り返し過ぎてんだ、そろそろ俺らとも仲良くしろっての」
今仲良くない、はこれから打ち解けない言い訳にはなんねえぞと、目の前の彼は僕の肩を叩いた。
「いっつもいっつも話しかけなかったら隅で本読んでるだけじゃねえか。折角頭いいんだから今度勉強教えてくれよ」
「でも、僕なんて……」
「だー、もう。うるせえ、俺たちからの贈り物だと思って黙って受け取りやがれ」
随分と横柄な口ぶりだ。でも、分かる。その横柄な口ぶりが本意でない事ぐらい。
ちょっとだけいたずら心が芽生えてしまう。口角を、僅かに持ち上げてしまったことを自覚した。先ほど胸に芽生えた胸の痛みも吹き飛んで、彼の明るさに照らしだされてしまった。
どうも世界というのは、舞台端に隠れようとしても、スポットライトを当ててくるらしい。有難迷惑なようにも思えるけれども、こんな友人ができるのならばそれは喜ばしいことだろう。
「随分くさい台詞が好きなんですね」
「……うるせえ」
「かっこいいと思いますよ、そんな俯かなくても大丈夫です」
「照れてねえし。とりあえず! 来週! 絶対放課後すぐに帰んなよ!」
照れてるなんて指摘していないのに。弁明する様子が、何となくおかしくなって、紅潮したまま背を向けた彼の後ろ姿に吹き出してしまう。
照れ隠しなのだろう、足早に彼は歩き去っていく。
次第に開くその距離を目にし、思わず僕は彼を呼び止めていた。「王子くん」。そう、僕が呼び止める声は誰も居なくなった校門前の空間に吸い込まれていくように消えていく。立ち止まって、首から上だけ振り返った彼と、再び目が合った。
「ありがとう」
「それでいんだよ」
最後までかっこつけるようにして、正義の味方は去っていく。
誰かと共に過ごすことも、誰かから与えられることも、そう悪いことではないのかもしれない。そんな風に思え始めた。
本当に、死に際に後悔したくないなら、きっと人とのふれあいも大切にするべきなのだろう。誰の手も握っていないのに、他人の体温に触れてすらいないのに、何となく今日ばかりは帰り道の向かい風さえも、暖かく感じられた。
その後、ちゃんと僕には友人ができた。残念なことに王子くんとは所属する集団が少し違ったようで、中学にいる間に彼とは両手で数えられるほどにしか接さなかったけれど。
それでも、あの日から。僕にとって初めての友人らしき存在は彼に他ならない。
震えたphoneに、奏白さんからの着信が入った。あれから大体三年と半年、梅雨の空模様は鼠色の絨毯が敷き詰められたようであった。今にも振り出しそうな天気を目に、同じように曇天の笑顔を貼り付けた彼の表情も目に映る。確かに、笑顔ではある。けれどもあの日、まだ捜査官になれると信じて疑っていなかった寒空の下で見せた屈託の無い笑顔とは、到底かけ離れた代物だ。
僕に友達をくれた、お節介なサンタクロースに、いつか恩返しがしたい。ただひたすらに、僕は願う。
いつか彼が、人魚姫と出会えますように、と。
そんな事を願ったのは、彼が本当に運命の女(ひと)と出会う、ほんの少し前の一日であった。
_____
こんな過去もあったかもしれない、という寄り道アクセスでした。
時期としては知君たちが中学一年生の頃の話。
それを現在の彼(File0と1の間の時期)が回想している形です。
何となく季節に沿う短編を書きたかったので書きました。
近いうちにちゃんと本編も更新しますので、よろしくお願いします〜。
- Re: 守護神アクセス【寄り道アクセス】 ( No.121 )
- 日時: 2018/12/19 11:44
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)
「終わったな」
息も絶え絶え、全身が炎で朽ちてしまいそうな彼女を支えるように、背後から奏白が現れた。やりきれない思いを磨り潰すように、真凜はぐっと奥歯を噛み締めた。奏白と悦楽の従者の戦闘から、道具を壊してしまえば能力が無効化されてしまうことは分かっていた。それゆえ、何とか不意打ちで首元の珠を射抜けばいいと理解していた。
しかし、どれだけ怒りに呑まれていようと、そういった砲撃は本能的に回避されてしまうと未来視により事前に知っていた。そのため、こういった強硬策を取るしかなかった。もし自分に、もっと力があったならば、激情に呑まれた彼の心をも救うことができたろうか。そう思わずにはいられない。
もしここに立っていたのが知君だったならば。彼ならばきっと、誰も傷つけることなく従者から道具を奪い取ったことだろう。能力の対象がかぐや姫の従者であり、傾城ではないためだ。彼の深い悲しみをも、取り除いてあげられただろうか。きっと、彼ならばしてみせるだろうという予感は、確かに彼女の中にあった。
だが、自分にできることといえば、所詮は戦うことぐらいだ。自分は捜査官に過ぎず、その役目と言えば市民を守るためとはいえ、戦う事だ。国賊を打ちのめし、罪人として捕らえることが使命だ。
よりよい未来を選び取ることなど、自分一人の力ではできはしない。
「気休めにしかならないけどよ、あれは……」
「分かってる」
同じ経験を一足先にした兄だ。同じやりきれなさを抱えているのだろう。そう、確かに彼らは決して人間ではない。確かに彼ら自身は守護神本体でもない。壊した途端に星屑となって消える泡沫の夢。
とはいえ、感触は何も変わらない。壊死谷も、フェアリーテイルも、それに従うだけのしもべも。全部、人間の姿をしている。
「それでもやっぱり、気分は最悪よ」
ロボットの兵隊を倒しただけ。そう考えてしまえばいい。しかし、さっきまで目の前にいたあれは、質感が機械だなんて到底思えない。撃ち抜いた際に昇る苦悶の呻きも、猛り狂う怒りさえも。本人の意図せぬ慟哭さえも、機械は持ち合わせていない。
彼は間違いなく人間の模造品だった。本人に伝えればきっと否定するだろう。お決まりのように、眉を顰めて、怒りに衝き動かされて力強く訂正するだろうとも。人間を昇華した真の人であると。強いて言うならば神の模造品であると。
だが、それでも。相対していた真凜にとってかぐや姫の従者は、自分と同じ人間だとしか思えなかった。無力と、どうしようもない感情が胸の中に渦巻いている、嫉妬深い人間に他ならない。
群れをなしていることは事実、それでもきっと月の民は本質的に孤独なのだろう。彼らは口にせずとも互いの意思を理解している。量産された全く同質の兵達だ。至る思考も全て複製品。目の前の誰かの行動も、嗜好も、全て思いのままに把握できる。
だけれども、手を取り合おうとしない。だからこそ、とも取れるだろうか。自分達人間が互いに手を取り合って意思疎通を図るのは、目の前にいる彼あるいは彼女が何を考えているのか理解できないからだ。
苦しみは理解できる。努力をする必要も無い。自分ならばきっとこう考えるだろう、それを思い起こせばいい。そして、その悲しみに触れたからと言って、助けるようなことはしない。目の前の彼がいなくなろうとも、振り返るだけで全く同じ控えの民が数え切れぬほど立っているのだから。
「私は、こんなの進化した人間だなんて認めない」
「そりゃ同感だな」
「終わらせないと……早く」
「……地上に戻るか?」
「それは駄目」
地上に残る二人の従者が降り立った事実を鑑み、加勢に向かうかと奏白は提案した。しかし真凜はと言えば即座に首を横に振る。その目は鋭く、たった一つ空に浮かんでいる、天翔ける牛車の御簾の向こうに向けられていた。
「本体を叩いた方が早い。きっと……皆なら大丈夫だから」
「魔力切れで墜落するかもしんねえだろうが」
「いや……それは無いわ。ちょっとずつメルリヌスが供給してくれてる。今日だけサービスよ、ってね」
「なるほどな、まあもう少し休憩の猶予はあんだろ」
何せ、彼ら従者たちは二人いれば充分だと割り切って、残る同胞を全て地上へと向かわせた。それで奏白達を仕留めたつもりになっていたはずだ。特に真凜に関しては実力差も開いており、よほどの想定外でもない限り、龍化した『怒』の従属が破れるだなどと思ってもいない。
戦況が拮抗していた奏白でさえ、真凜を倒した龍と合流すれば当然簡単に始末できる。そう言ったビジョンをお互いに共有しており、従者四人全員が、あの局面において勝利を確信していた。だからこうして、返り討ちにされた現状は想定外であるし、それを知る手立ても向こうにはきっと無い。把握できているとすればそれを間近で目にしているかぐや姫本体ぐらいのものだ。
「本体が弱いタイプだとは思う。白雪姫みたいにな。ただ、赤ずきんみたいに本人まで強かったら、今猪突猛進した場合目も当てらんねえ」
「分かってる。だからある程度私が万全になるまでは、快復。……よね?」
「ああ、それでいい」
確実に真凜の消耗は激しい。それは間違いないと兄である奏白は認めていた。高校の時に彼女が部活動で試合に出た姿を見たが、その試合終了直後よりもさらに息が荒い。本当に、立っているのさえ無理をしているのだろう。
明らかに、自分が相対した子安貝の首飾りの能力よりも竜玉の能力者の方が兵としての性能は上だった。息つく間もない技巧は、確かに奏白の音速ありきでの勝利だったとは言える。しかし、次の一手を予知できる真凜であってもそちらの従者に勝つことは容易だったろう。
しかし、奏白では龍の炎と熱をかいくぐることはできない。肌が触れそうな距離まで密着してなお、真凜が火傷もせずに生きているのはメルリヌスの防護能力あってのことだ。戦闘にはアマデウスの方が向いている。そう評する人間も多いが、時折こういったところで守護神としての位階の格差を見せつけられてしまう。自分は、あの炎纏う大蛇には勝てなかった。
そもそもそれを使役する彼女自身も、水面下に眠っていた才能が頭角を見せつつある。同じ血を引いているだけはあるなと誰もが軽口を叩く。同じ、という言葉に奏白は、いや、奏白だけは強い疑念を覚えてしまう。今の彼に対し、目を疑うような速度で近づいていく真凜が、兄である自分と同じとは到底思えない。もう既に彼女は、「同じ時期の奏白 音也」など、とっくに追い抜いているというのに。
現在と未来を同時に把握し、処理するだけの理解力。例え死の未来が見えたとしても瞬時にそれを回避しようとするだけの冷静さ。常に最善の手を探すために何百通りの行動をも刹那の合間に想起する演算能力。そして、定めた道筋を的確に手繰り寄せる実行能力。
メルリヌスは実際、その位階に恥じないだけの反則じみた能力を持っている。しかしそれは、その手綱を握り、乗りこなせるという前提の上に成り立つ話だ。そのための敷居があまりにも高すぎる。おそらくこの守護神は、才能ある人間にしか使いこなせない。選ばれた人間のみがその力を使いこなせるのか、才覚を見抜いた上でメルリヌスが契約者を選んでいるのかは分からないが。
「実際お前、どうやってあいつ倒したんだ?」
「正面からの攻撃じゃかなわないから、不意打ちで決めることにした」
搦め手から攻めてこそ真価を発揮する。それだけの器用さが持ち味だ。むしろ単純なエネルギー量はそれほど大きくない彼女らにとって、その策は卑怯でも何でもなく、勝利への最善を尽くすのみ。
「弾幕を張るのは大前提。その中にいくつか必殺の一矢を紛らせたの。それだけで決まってくれたら楽だったんだけど、致命傷だけは避けてきた」
それは野生の勘とでも言うべきだろう。本来は理性的、合理的な判断を下す月の民ではあるが、理性が飛び、体躯さえも化生となった状態ゆえか、第六感が働いていた。
「だから、相手が油断して気を緩める瞬間を待つしかなかった。誰だって、もう勝利以外あり得ない局面になれば嫌でも気は緩む。この後にまだ大きな山場が残っているなら話は別だけど」
奏白とその後に手を合わせねばならない。そう思考が追いついていればきっと、彼も油断しなかっただろう。しかし、怒りに我を忘れていたため、先のことなど想像もできなかった。だからこそ、目の前にいるストレスの元凶、真凜を追い詰めた時に、昂りきった衝動から解放されたために、緊張を緩めてしまったという訳だ。
もう反撃はできない。そう思い込ませるために真凜は、あえて力を全て使い果たした。もうこれ以上の追撃は放てない、そう錯覚させるために。その目論見は看破されることもなく、見たまま、もう彼女に抵抗の手立てが無いと信じた怒りの従者は、力任せにその牙を突き立てようとした。
「反射板をいくつか組み合わせて正八面体を作るの。いや、別に丸でも三角錐でもいいんだけどね。その中に自分の放った高威力のレーザーだけを閉じ込めておく。弾幕にするだけの弱い光線は必要無いから破棄ね」
空気中を走っていると次第にその熱量は減衰していく。しかし、反射板に触れている時間が長くなるよう、最小限の大きさでエネルギーを閉じ込める檻を作っておいた。ほぼ全ての時間においてリフレクターに触れ続けた蒼の閃光は、威力を落とすことなく雲の中に身を潜めていられたという訳だ。
「最後のタイミングだけはずらす訳にいかなかった。けどもう狙う瞬間には予知能力は使えない。だから、九十秒以上前に見た未来をそのまま鵜呑みにするしかなかった。ほとんど賭けみたいなもの」
だが、その賭けに負ける訳にいかなかった。丁寧に、向かい合った敵の怒りや自分のスタミナを計算し、計算通りのタイミングで敵を誘導する。口で説明するのは簡単だ。さらには、これがゲームであれば不可能ではなく思える。それを現実で実行できたのは、きっと彼女が他人の想いをくみ取るだけの思慮を、この一連の事件の最中で会得したからに他ならない。
さらには、その博打に乗るだけの度胸も。そこだけは自分そっくりだと奏白は苦笑する。
「そうだな。太陽先輩達を信じるか」
「クイーンさんも今日はいるしね」
「ああ、ライダースのエースな。美人らしいからいっぺん会ってみたいもんだ」
「興味ないくせにまたそんな事言って。……ま、生きて帰る気があるみたいで何よりよ」
「当たり前だろ」
俺が死んだら誰が知君の授業参観に出るんだと、また彼は軽口を叩く。どうせ仕事で行かないでしょうにと嘆息する真凜だが、すっかりそのペースに巻き込まれていた。
「……でも、それも面白そうね。王子くんともども見てあげよっか」
体力回復の、今ぐらいは。疲弊がもたれかかってくるような体を休め、息を整えながら彼女は、幸せな妄想にふけることにした。
一方、地上はというと、まだ激戦は続いていた。それも当然、そもそも残る従者たちが降り立ったのは奏白達が上空遥か彼方にて交戦を始めたしばし後の事。もし既にこの戦局が傾いていたとすれば、それは当然捜査官側の敗北に他ならない。彼らが、奏白以上に素早くかぐや姫の最高戦力に対応できはしないためだ。
それでも、善戦はできている。正確には戦線が崩壊していないだけだが。かなり状況は苦しい。その内負傷者も出るだろう。しかし、それでも、まだ誰も倒れてはいない。
それにしても、例に漏れずフェアリーテイルというのは反則だらけだ。舌打ちをしそうになるのを、太陽はぐっと堪えた。嫉んでも始まらない。これだけ強大な能力なのに、まだ自分達を仕留めきれていない。つけいる隙はいくらでもあるように思えた。
青銅の鉄拳が地盤を抉る。アスファルトの瓦礫が舞い散った。頬を掠める石の欠片にも怯えない。地中にめりこんだ拳を引き抜く際に、また砂埃が起こる。大地をズタズタにしながら飛び出してきたその拳は、手首から中指の先までだけで人間の背丈と同じだけの大きさを誇っていた。
仏の御鉢。かぐや姫が貴族に吹っ掛けた無理難題の一つだ。どうやら月の民ではなく、その道具に能力が備わっているようで、あの御鉢をリモコンとして、巨大なブロンズ製の仏様を操ることができるらしい。
そこまでは太陽にも思い至っていた。しかし、身体が大きいだけあってその動きは自分達と比べて途方も無く早く、そして一打一打が重たい。正面からトラックが縦横無尽に飛び交ってくるようなものだ。何度も直接殴られているのは唯一地面だけだが、穴に陥没だらけで見れたものではない。いつ足を取られたものかと、ひやひやしたまま逃げ続けている。
また、発泡スチロールみたいに、灰色のアスファルトが砕けた。もう何重にも砕かれて、粉塵となってしまった道路の残骸がまた宙を舞って、腕を振り抜く衝撃に吹き飛ばされた。
「まさか、『猫』の手も借りたいと思うなんてな」
「ああ、あの猫目の嬢ちゃんか」
猫の手も借りたい、とはいったものの、その猫というのは決して役立たずではない。むしろ自分達が一丸となるよりもずっと頼もしい、一騎当千の猛者だ。しかし、できる事ならばその手は借りたくない。知君への迫害は嫉妬と羨望からくる意地だったが、あの少女に抱くのは嫌悪と抵抗だった。人殺しも厭わない、金さえ積まれれば何でもやる傭兵。モラルも持ち合わせておらず、命令次第でいつ敵になるとも分からない危うさをも孕んでいる。
根本的に法と秩序を守らなくてはならない太陽たちにとって、『白い眼を向けて接する』態度こそが正しい。馴れ合ってはいけない。気を許してはならない。いつ、寝首をかくか分かったものではないのだから。
それでも、こういった時に手を借りたいと思ってしまう自分が情けない。なぜなら彼女は、自分たちの最高戦力と誇る、あの奏白と同等以上に頼もしい。本人の危うさなどどうでもよくなるほどに彼女は、異常なまでの練度で桃太郎の能力を飼いならしている。そしてそれら全ては、尋常ならざる修羅場を超えた経験値と、天性の感覚により与えられた。経緯だけ見れば、奏白たちと何ら変わらない。才能を持って生まれ出で、研鑽を重ねた。それだけ考えればむしろ敬意を払うべきだともいえる。命令に忠実なのも、傭兵としてはあるべき姿だ。
事実、肩書のしがらみを持たない弟の光葉はと言えば、一度命を狙われたにも関わらず今では友人の一人だ。流石に危機感が足りな過ぎてはいないかと、太陽は我が弟ながら肝を冷やしてはいるのだが、渦中の弟はというと知らぬ風だ。
「あのガキは今ここにいないから仕方ねえよ」
「輸送車の護衛だろ? まあ確かに、敵を抑える手段が寝返ったらそれこそ最悪の事態だもんな」
アムンセンの能力を用いて、大仏の足元をスケートリンクのように変化させる。初めて南極点に到達した男、アムンセン。彼が守護神となって手に入れたのは、氷を操る能力だった。警察内により強力な氷雪を操る能力者はいるため、その者の下位互換になってはしまうが、それでも彼自身貴重な戦力の一人だ。
足を氷に奪われ、体勢を崩した大仏はそのまま転倒した。金属製の胴体がまた地面を砕き、地響きが周囲に伝播した。小さな地震のような感覚がしたと同時に、太陽がアイザックの能力を行使する。重力を見つけた男、ニュートンが転生した守護神は、対象にかかる重力を操作する。見えない糸で縫い付けられたかのように、身動きが取れないまま地面の上にその仏様は磔にされた。
「ま、たまには」
「雑兵の力も見せてやるか、ってことよ」
大仏の肩に捕まっている、泣いてばかりのかぐや姫の従者は、空いている腕で抱きかかえるように御鉢を持ったままだ。本来の十倍の重力がかかっているはずなのに、操っている大仏はその影響下にあるというのに、その本体はさほど影響を受けているように見えない。
流石に、そう簡単には終わってくれないよな。血涙を流しつつ太陽を凝視する従者と視線をぶつけて、彼は小さく息を吐き出した。
- Re: 守護神アクセス【本編】 ( No.122 )
- 日時: 2018/12/24 22:28
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
「あな悲しや、仏様。無様にも貴方に尻餅をつかせてしまった私をお許しください。そして考えも改めましょうぞ。ネズミとて群がれば四肢をも食いつぶすのだと認めましょうぞ」
うろの様に暗く淀んだ双眸が、ふいと太陽から視線を逸らしたと同時に、号哭と共に慙愧を口にした。彼の思っていた通り、警官の群れとの交戦は終始哀の従者にとって有利に進んでいた。捜査官達は一手として反撃に転じることもできず、天変地異のように暴れ狂う巨大な銅像に抵抗の余地などありはしなかった。
しかし、反撃の糸口が全く掴めていなかった彼らも、次第に学習する。劣った地上の民と言えど、学習能力に関しては目を見張るものがある。主君であるかぐや姫から刺された釘を再認識した。初めから完成されている自分達とは違う、成長という不確定因子を侮るべきではないと。
蹂躙など容易い、児戯のようなものだと妄信していた。しかし、結果はどうだ。確かに逃げ惑う捜査官一同を一方的に追い回してはいたが、満足な結果どころか戦線離脱者さえ一人も出していない。
フェアリーテイルとの戦闘において、その危険度の高さは重々承知の捜査官達だ。まずは逃げ延び、生き延び、付け入る隙を探し出すことこそが肝要。それが定石であり、逸ってはならないと理解している。
そうとも知らない、涙の途切れぬ月の民は、飛んで火に居る夏の虫だとばかりに、辺りに散らばる捜査官達を乱雑に腕を振り回して牽制しているばかりだった。実際は飛び込んでくる虫などではなく、虎視眈々と弱みを探る犬の群れだと思わなければならなかったというのに。迎撃でなく、自ずから攻め立てねばいつまでもその手が届くことは無いのだという単純な事実にさえ、気が付くことができなかった。
「個々で見れば矮小とばかり思っておりましたが……。群れるという特性がこれほどまでに恐ろしいとは」
己の不甲斐なさに彼は震えていた。主より与えられた使命を、行く手を阻む捜査官の殲滅という大義を為し遂げられない非力さが、悲しくて堪らなかった。この能力を、御仏の加護を与えられたというのに。かぐや姫はその手腕を信用して派遣したというのに。
怒りは無い。目の前の彼らとて生存に必死なだけだ。ただ天命の為すがままに命を散らす生命などありはしない。足掻き、苦しみもがいて奮闘した挙句、命運が尽きたその時にようやく生命は覚めない無窮の眠りにつく。ならばこそ、こうして自分に歯向かってくることに何の不満も持つまい。または、楽の感情を賜った同胞のように、高揚するようなこともない。
ただ哀れに思ってしまう。そのか細い命の無為な抵抗が、あまりに可哀想で悲しくて。涙が出るのを抑えられなくなる。どうして、死ぬと分かっているだろうに。散ってしまうと悟っているだろうに、こうして一丸となって前進できるのだろうか。それとも、理解できていないのだろうか。これだけ兵力に差があろうとも、たった一騎のかぐや姫の従者を取り押さえることができない事実に。
もしそうだとすれば、その無知と無謀とが嘆かわしい。知性が追いつかぬというのはどうしてこうも無様であるのだろうか。降り注ぐ重力の力場など歯牙にかけることもなく、ただただ赤黒く淀んだ血涙を、哀の従者は流していた。ぽたりぽたりと地面に落ちては、落ちたところから消えていく。人間であればその赤は見苦しく広がってしまうところが、彼は人ではない。滲んでしまうよりも早く、星屑のごとく瞬きながら消えていく。
操作する仏様は、確かに大地に固定されたかのごとく身動きを奪われている。されど、それは出力の問題だ。好機とばかりに群がる人々の顔には、希望を見つけた光が灯っていた。馬鹿馬鹿しい。彼らに希望など何一つ残っていはしないというのに。
その、無数の灯火を一息に消し飛ばしてしまう己の無残な所業を思えば、涙の堰はもはや、作ろうにも作れない。これ以上、溢れ出る藍色の感情を身の内に留めたままにしておくことなど不可能だ。元来、彼も他の雑兵同様に心など持っていなかった。仏の御石の鉢を賜ったあの日、初めて与えられた喜怒哀楽の一つ、“悲哀”。端から必要の無かった心のダム、それはもはや新たに彼の中に建設する事など不可能だった。それゆえ、とめどなく湧き出でる激流の如き感情を、涙腺から垂れ流すことしかできない。
悲しいのはそれだけではない。彼から見た同胞の様子は、それもまた悲劇的に映っていた。龍化の宝珠を授けられた、憤怒に囚われた戦士においては、その激情が精神と肉体を蝕んでいるとしか思えない。あんな烈火と変わらないものを賜った事実が、同情を禁じ得なかった。あれは、これ以上と無い毒だ。悲しみ知らずして怒りと付随する憎悪のみを知覚している以上、それを嘆くことはできない。怒れば怒る程、薄汚れた感情に毒された己への耐え切れない劣等感がまた沸き立つだけだ。それを悲劇だと嘆くこともできない彼は、苛立っている事実にまた一層の苛立ちを募らせるのだ。
それをわざわざ破壊衝動へと転換させようというのだから、かぐや姫の発想は人が悪いという外無い。最適、ともいえる。古今東西において激怒以上に、衝動的な感情などありはしないのだから。
「誰しもが知り得ぬその悲しみを、私が感じてあげましょう。ならばこその御仏の力。であれば、このような蟻の群れに、かかずらっている訳にはいきません」
鉢から放たれる玉虫色の光がより一層に強くなる。木漏れ日が差し込むのと同じように、光の線が幾筋も走っていた。警戒を強め、突撃をやめて跳び退いた警官一同であったが、その光を浴びても別段体に異変は無い。こけおどし、あるいはただの威嚇だろうか。そう思っていた時のことだ。
太陽が止めていたはずの大仏が体をもたげた。ぴくりとも動いていなかったはずの指先が、次第に動き始める。光が筋となっているような姿から、ようやく察した。この光は糸だ。浄瑠璃の人形がごとく、あるいは傀儡のごとく仏の玉体を操作している。
「おい今重力十倍だぞ……」
「そうでございましょうそうでございましょう。しかし我々が普段住まう地にかかる重力は本来地球の六分の一。しかし、この地上においても変わらず行動が可能です。ええ、我々は元来住んでいる大地の百倍まで耐えられるように設計されているのです」
というのは、月から地上へ進行する可能性だけではなく、地球外の、より強い重力を持つ星の上でも戦えるようにという前提ありきだからだ。かぐや姫、およびその契約者は牛車に乗って宇宙にまで進むことができる。そのために従者である民草には、働き蟻として不足の無いように、完璧な設計が為されている。
そのため、地球のおよそ十六倍の重力までは委細無く体を動かせられる。
「まあ、実際人間ありきの能力ですので地球外に向かうことなどありはしないのですがね。折角の性能を持て余すというのも、また実に悲しいことです」
「はっ、そうかよ」
太陽は反駁する。確かに大きな力を持っているというのはそれだけで胸を張れる事実だ。しかし、その大きな力を、振るう機会が無い世界こそ、自分たちが求めてやまないものだ。
「今、俺たちは、戦争やめるために争ってんだよ。馬鹿馬鹿しいだろ?」
「そうとも取れます。しかし致し方ありません。君主の命は我々従属にとって至上の命題。それに勝り、優先する事物など何一つ存在しませぬ、名も知らぬ警官」
「太陽だっつってんだろ。てめえらの住んでる場所とは正反対だ」
なるほど、そう言われると覚えやすい。悲しみが一旦薄らいだのか、御鉢を抱き続ける従者の男はというと、流す涙を一度止めてみせた。これからはきちんと名前でお呼びしましょうと続ける。ただし、条件を一つ添えて。
「貴方が鬼籍に入るまでの間ですが」
「そうかよ」
効いていないというのならただの体力の浪費、それゆえ太陽は一旦能力を解除した。より強い重力をかけてしまえばいいように思えたが、単純に今から強めたところでアイザックのスタミナが持たない。効果的なタイミングで足元に一点集中して負荷を増やし、動きを止めた方がよほど効果的だ。
加重の倍率をあげるほど、効果範囲を広げる程、消耗が大きくなるのがアイザックの強くなりきれない部分だ。アマデウスはアクセス中、無尽蔵に能力を使えるのとは対照的、どちらかと言えば魔力を借りてそれをエネルギーに転じているメルリヌスの方が近い。
急に体重が軽くなり、羽のようになってしまった大仏の身体がまた揺らいだ。体勢は崩れ、今度は前向きに躓いてしまいそうになる。
「今だ、かかれ!」
後方で誰かが指揮した。それに従って隊列を作った警官達が契約している守護神の能力を一斉に行使した。前に猛進しなかったのは、決して警戒を保っていたためではない。下手に近寄れば、体勢の崩れた銅像の下敷きになると判断したためだ。むしろ、油断しきっていた。本気を出したように見せて、太陽の機転にまんまと嵌まったように見えたせいだ。
暗がりを裂く雷鳴が、空気を砕くような氷の槍が、戦場を彩る炎が、一目散に標的へと降り注ぐ。今にもまた頭から地面に叩きつけられそうな御仏、その巨大な体躯を支える足に、太い血管が浮き出る程に力が込められた。
踏みしめた大地から、再びアスファルトの砕けた粉塵が舞う。灰色の煙が太陽たちの視界を奪うように広がったかと思えば、次々と火炎や雷撃の能力に打ち消されて燃え尽きていく。ただ、倒れ伏してしまうかと思っていた青銅の体躯は地に膝つくようなこともなく、空間を両断するかの如く、大きく腕を横に薙いだ。
弧を描くように並んだ警官が、円の中心を穿つように放った極彩色の能力の断片。それら一切が一息の間に、引き千切られ、掻き消える。ただ腕を一薙ぎした、それだけだ。しかし巨大な質量というのはそれだけで恐ろしい。吹き荒れる突風に、立っているのもおぼつかなくなる。千年生きた大樹のような腕が、天狗の葉団扇を思い起こすような嵐を起こす。先ほどから粉々に砕かれている道路の残骸は、礫となって捜査官一同に襲い掛かった。
「腕振るだけでこれかよ」
太陽は咄嗟に能力を再使用し、降り注ぐ礫を地面に叩きつけた。いち早く反応していた別の警官達も、各々能力で壁を展開したところだ。かすり傷、軽い打ち身程度は負ってしまったようだが、それでも致命傷はまだ負っていない。
「どうしました? 活力が失われたようですが」
「いやいや、冗談きついぜ」
「ご安心ください。既に本気です。これ以上は強くなりませんとも。これ以上の成長が見込めないというのは、嘆くべきことなのでしょうが……此度はあまり影響しないようでございましょう」
なぜなら、蹂躙できるだけの目途は立ったためだ。
「今の奇襲で仕留めきれない。その時点で勝負は決したも同然でしょう。ええ、ここから先は私の苦手な消化試合に他なりません。なぜなら、あなた方の決死の抵抗は、見ているだけで私の胸を打つ。死んでたまるか、負けてなるものか。そんな無情な宣言も、奪わないでくれとの号哭も、命乞いも全てまとめて洗い流してしまう。暴力という名の濁流に任せるがままに」
もしもこの場に居るのが奏白 音也だったならば。相性は最悪だっただろうと仮定していた。大仏は確かに、素早く動くことができる。しかし、それは音速には到底届かない。それ以上の速度で飛び回る奏白 音也には敵うことなく、すぐさま天子より授けられた御石の鉢を砕かれ、無力化されていたことだろう。
そしてその速度は、今述べた通り奏白には愚か、もう一人の要注意捜査官、真凜にさえ届かない。単純に速度で追いつけても先読みまで考慮すると、どうにも捉えられたものではない。それらを上空に拘束できたのは僥倖という外無い。あの両者さえ存在せし得ぬ局面であれば、この御仏の重量だけで無双するに事足りる。
もう一人、残る喜びを授けられた従者は目的の地点へと向かっている。そのための大きな要石を、自分含む三人で構成している。奏白両名のあしどめを為し、見ただけで派手なこの仏の御石の鉢を以て、残る捜査官の多くを釘付けにし、残った一人が王子 光葉を隠密裏に暗殺する。
今までの戦闘を参照するに、フェアリーテイルの治癒を行えるのは人魚姫ともう一人、素性の知れぬ気弱な少年の守護神のみ。少年の方は白雪姫に苦戦していたことなどから、その正体はほとんど割れている。ならば、かぐや姫にその少年は能力を発揮できない。シンデレラに対しても同様だ。
この最後の戦は不平等だと、かぐや姫と『五人の』従者は理解していた。人魚姫の契約者を殺してしまうだけで、もうかぐや姫もシンデレラも止められない。特にシンデレラには、タイムリミットが設けられている。その火薬を用いる必要があるか無いかはまだ分からない。しかし、相手が正義の味方であるからこそ、最終目標が琴割 月光に泥を塗るということから、その時限爆弾は何よりも強い作用を示す。そしてそれを取り除けるのが、王子 光葉ただ一人。
その一人さえ手にかけてしまえば、もはやその時点で、撤退するだけで構わない。
その役目を担っているのが火鼠の衣を与えられた歓喜に打ち震える眷属であるのは、敵方の視点に立てば不愉快なことであろう。唯一勝利を喜ぶことができる兵士こそが、この戦の終止符を打つことになるのだから。
悲しい。捨て石のように自分が使われていることが、ではない。ここで死に物狂いの形相で抵抗している彼らが、まさしく無駄でしかないという事実が、だ。この太陽と名乗った男は、数少ない火鼠の衣を看破できる能力を持っている。最高クラスの防護能力、それこそが火鼠の衣が有している月上文明の恩寵。あの衣を引き裂くことができるのは、それこそ日本一の剣豪でも無ければ不可能だ。
悲しい、その空虚な思いを紛らわすことができる唯一の手段を、仏を手足のように扱うその男は持ち合わせていた。それこそが、一方的な蹂躙と虐殺。彼らが抵抗した意味というのは、死に抗うためという理由によって裏付けることができる。そのためには、ここで自分が彼らの命を散らしてやらねばならない。
「無駄な抵抗でない、無残な玉砕を授けましょう。決してその抗戦を、無意味に等させません」
「まぁた何か言ってら」
それは、王子のすぐ傍に暗殺者が忍び寄る、数分前のことであった。
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