複雑・ファジー小説

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守護神アクセス【Epilogue-2・中編】
日時: 2022/05/19 21:16
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: m3Hl5NzI)

2020年、夏の小説大会で金賞もらっていたらしいです。
投票してくださった方々、ありがとうございました。

___

本編の完結とエピローグについて >>173





目次です。

▽メインストーリー
 File1:知君 泰良 >>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6
 File2:王子 光葉 >>9 >>10 >>11 >>12-13 >>14
 File3:奏白 真凜 >>16 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 >>24 >>25 >>26
 File4:セイラ   >>27 >>28 >>29 >>30 >>31
 File5:奏白 音也 >>32 >>33 >>34 >>35 >>36-37 >>38
 File6:クーニャン >>39 >>40 >>41 >>42-43
 File7:交差する軌跡  >>44 >>45-46 >>47-48 >>49
 File8:例えこの身が朽ちようと    >>50-51 >>52 >>53 >>54 >>55-56 >>57 >>58
 File9:それは僕が生まれた理由(前編)    >>59 >>60-61 >>63-64
 File0:ネロルキウス  >>65 >>66 >>67 >>68 >>69 >>72 >>73 >>74 >>75 >>76 >>77 >>78 >>79 >>80 >>81
 File9:それは僕が生まれた理由(後編パート) >>82
 File10:共に歩むという事   >>83 >>84 >>85 >>86 >>87 >>88 >>89 >>90-92 >>93-95 >>96-97 >>98 >>99
 FILE11:人魚姫は水面に消ゆる夢を見るか >>100 >>101 >>102-103 >>104 >>105 >>106 >>107 >>108-109 >>110 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 >>117 >>118-119 >>121 >>122 >>123 >>124-125 >>126-127 >>128-129 >>130-131 >>132 >>133 >>134 >>135 >>136 >>137 >>138 >>139 >>140-141 >>142 >>143 >>144
 Last File:12時の鐘が鳴る前に >>145 >>146 >>147 >>148 >>149 >>150 >>151 >>152 >>155-156 >>157 >>158-159 >>160 >>161 >>162-163 >>164-166 >>167 >>168 >>169 >>170 >>171-172

 Epilogue-1 【守】王子 光葉 >>174-175
Epilogue-2 【護】知君 泰良 >>176-177

-▽寄り道
 春が訪れて >>23
 白銀の鳥  >>70-71
 クリスマス >>120

▽用語集
 >>8 File1分
 >>15 File2分
 >>62 File8まで諸々。それと、他作品とクロスオーバーしたイラストを頂いたのでそちらのURLも

▽ゲスト
 日向様(>>7にイラストをくれました、感謝。What A Traitor!作者)
 友桃様(Enjoy Clubの作者様。自分にとって小説の師匠や先生みたいな感じの方)




気軽にコメントとかもらえたら嬉しいです。
僕も私も異能アクション書いてるの!って子は宣伝目的で来てくれても構いません(参考にする気しかない)

Re: 守護神アクセス ( No.163 )
日時: 2020/05/14 02:14
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)


「何やっでんだよ、ちぎみは……」

 攻め手を持たないどころか、どんどん表情が険しくなり、焦りで動作が鈍くなっている知君を見て王子は奥歯を噛み締めた。これまでどんな敵でも優位に立ち続けてきた彼が、後手に回り処理に追われているのが歯痒くて仕方なかった。
 叱咤の声を上げようにも大声は出せず、何とか独り言の形で搾りだしても、直後に刺すような痛みで大きく咳こんでしまう。その咳の勢いでまた、喉が裂けるような痛みに悶絶する堂々巡りが始まる。

「王子くん! 無茶は駄目ですよ」
「せやぞ王子。幸いお前が死ぬことはない。ただ、できることももうあらへん。黙って見とけ。知君が出張った以上、もう誰も死なへん。……あの小娘が、責任を取る以外にはな」
「だがら、それじゃダメって話だっで……」

 声はかすれ、また喉に激痛は走る。二言三言、囁くように口にしただけでこの程度だ。この状況で気を揉んで、不安を口にできる彼も、痛みへの抵抗という観点では大した精神力だと断りも認める。英雄願望に囚われた、無謀が売りの餓鬼。そんなイメージばかりだったのに、いくつも死線を超え、度胸ばかり強くなったのだろう。
 初めて彼と人魚姫の存在が発覚した時は、扱いに困ったものだが、知君の熱弁によって無理やり現場に登用した。理由は単純だ、知君が対応できない傾城の守護神に彼ならば対応できた。その有用性と、本人の度胸強さと、実際に二人羽織りでフェアリーテイルを複数体討伐した実績を鑑みた結果だ。
 誰よりも幼稚な人間性をしていた。叶うはずもない知君へ対抗心を向けていた。そんな長納屋を危うさとして抱えていたはずの彼が、いつしかこれだけ変わっていた。そして知君を変えた理由となった一人ともなった。知君 泰良が自分の心が欲するところを伝えるようになった立役者は確かに真凜だが、王子のように確固たる夢を持った友がいたことも大きいだろう。

「いいじゃないか……。私だって同じだよ。生きている理由が、ぽっかりと無くなってしまったんだよ。朱鷺子と同じところに行く。その前にやり残したことが、私達にとってお前への復讐だったんだ」

 嘆願するように話に割って入ったのはソフィアの父であり、マネージャーでもある男だった。どうせ死ぬのだから、その復讐に手段は選ばない。それが彼らの共通認識だった。琴割を苦しめたいなら、社会的に苦しめたいのならば、この世界が矛盾をはらんでいると暴かなければならないと判断した。

「私達は復讐の手段を、つまりは勝ち筋をシンプルに一つに絞った。お前という人間に能力を使わせる。米国大統領のラックハッカーという協力者がいる以上、国際組織がお前の守護神利用を許可することはいくらでも拒める。その状態で、ELEVEN相当の守護神が居ない限り鎮圧できない暴動、テロを引き起こす。それが目的であり、手段となった」
「手段、だっで?」
「ああ。私達自体も戦力となるためだ。ソフィアの契約相手はフェアリーガーデンに居た。だからフェアリーガーデンの守護神を、こちらの世界という勝負の土俵に引きずり上げることにした。……娘の契約相手がまさか最強のシンデレラだったのは思わぬ僥倖だった」
「てめえ、自分の娘も武器みたいに……」
「落ち着け、人魚姫のつがいの少年。それを望んだのはソフィアだ」

 そもそも娘が死ぬ必要などありはしなかった。父の私と違い、娘は世界から求められた逸材だと彼は語る。それに関しては否定する理由もない。未だにあらゆる大陸の人間が彼女という若き才能の帰還を待っている。
 だからソフィアだけでも幸せになってくれても構わないと思っていた。むしろそう願ったつもりだった。だが、こんな世の中で生き続けられるほど自分は強くないと彼女は力強く答えたのだ。その決意を、否定する訳にはいかなかった。

「ラックハッカーに改造phone渡したんはお前らか」
「そうだ。ラックハッカーの部下や政府関係者は漏れなくお前の能力で、ELEVENへのphone提供を拒絶されている。だが、私達は警戒されていない。ソフィアの地位が役に立ったよ。ソフィアの復帰公演は今各地で行われているが、アメリカでは通常公演に加えてホワイトハウスでの姿を全世界に中継すると決めた。現地の人間と打ち合わせをする中で、警戒を薄れさせて大統領と密会の機会を得るために」
「自分達に協力することと引き換えに、ラックハッカーは自由に能力を使えるようになった訳やな」
「ああ」

 ただし条件は付けていた。二人が為し遂げたかった復讐は、琴割に現実を突きつける事だ。琴割が定めた制度で『苦しんだ人もいた』と見せつけること。誰よりも厳格なこの男に、やむを得ない事態だからと『ELEVENの無断使用禁止』の国際規約を違反させる。己の定めた制度に絶対の自信を持つ琴割は、自分自身で『琴割 月光と彼が定めた制度』を批判するに至る。その波紋は国内外に広がるのも間違いない。

「ラックハッカーに伝えることはできなかったが、私達は知君少年のことを知っていた」
「まあ、お前の妻には卵母細胞の形で遺伝子提供を依頼したからな」
「ああ。その提供事実を誰かに漏らすことを拒まれていたため、協力者にさえ教えることはできなかったが、ネロルキウスの存在は前提としていた。そしてネロルキウスは琴割、お前の代わりに有事に対応する存在であることも」

 世間的に、世界的に隠ぺいしているネロルキウス。それを暴動の対応に当てることに関しては、破っても仕方のないルール違反だと琴割はみなしている。

「だから、お前自身に能力を使わせる必要があった。そのためのジョーカーが、シンデレラたち傾城の存在だ」

 ネロルキウスで対処できない存在。ただし、生半可なお伽噺の姫君ならば、他の捜査官に屈することだろう。鉢かづき姫のように知名度の薄れつつある存在など、おそらくアマデウスの足止めにもならない。
 そして条件を満たす最高の守護神、シンデレラがソフィアを契約主としていたことは思わず転がり込んだ幸運と呼ぶほかなかった。ソフィアが戦力となるだけではなく、最も想いの強い彼女こそ、最後に琴割へ引導を渡す役目に相応しくなる。長い時間をかけて計画を練った。牙を研いできた、現世でできる努力はこの一年でやりつくした。

「だから、逝かせてはくれないか。もうソフィアは助からない。どう転んでも朱鷺子のところへ行く。その中で、私だけのうのうと生き延びる訳にいかないんだ。妻も娘も失って、私一人でなど……」

 ソフィアの父は自殺を図ったが、あえなくそれは邪魔された。知君が、その場にいた人間の生殺与奪の権利を奪い取ってのことだ。要するに自殺の権利を奪い取った以上、彼は自死することを許されなくなった。おそらく今は、死んで逃げることを琴割の能力で拒まれている。
 このままでは、娘がそこで犬死するのをたった独りで眺めるだけの男になってしまう。どんな罰を受けることになっても構わない。地獄に落ちようが知ったことではない。何せ今生きているこの世界で、愛する家族を全て失って生き永らえる以上の苦行など、ありはしないのだから。

「いや、駄目だ」

 その懇願を否定したのは琴割ではなかった。琴割は無回答を貫くつもりであった。肯定しても否定しても、憎き怨敵の発した言葉というだけで男が顔をしかめると理解していたからだ。それゆえ、沈黙こそが唯一贈ってやれるものだと思っていたのだが、その場にいたのは二人だけではない。
 短い言葉で否定したのは、長々と思いの丈を言語化できない程、負傷を負った王子だった。

「その理屈で言うなら、絶対にお前たちは死なせない。特にあの女だ、ソフィアだけは殺させる訳にはいかない」
「何を言う。助ける手段はありはしないんだ。聞き分けたまえ、それに関しては君が一番よく分かっているようなものだろう」
「いや、あるよ。ない訳がない。実らない努力なんてあってたまるか」

 これまでの人生で、才能がないことに絶望し続けてきた王子だ。誰よりも、しつこく理想を追うことに関しては精通していると言ってもいい。一見不可能に思える星羅 ソフィアの救出劇。しかしそれにもどこか、抜け道があるはずだ。
 それが何かはまだ王子には思い至れていない。根本的に、解決を阻んでいるのは世界のルールであり、言い換えれば自然の摂理だ。誰かの思惑ではなく、そう在るべき者と定められている前提条件。
 ネロルキウスという王を基にした守護神では、国の主をもたぶらかす傾城の守護神へ能力を適用できない。そのため、一晩で王子の心を掴んだシンデレラの契約者であるソフィアから、精神汚染の瘴気を奪い取ることはできないのだ。
 これまでの経験から、他捜査官の能力でドルフコースト由来の毒ガスを除去できないことは分かっている。ソフィアを解毒してやるには、セイラの能力が必要なのだ。ただ、セイラは今、能力を使うことができない。王子の喉が潰されたせいだった。セイラの回復能力はあくまで、歌を、声を媒介としている。だから能力の行使権を持っている王子の声が枯れてしまえば、癒しの能力は使えない。
 一体どうすればいいのか。まだ十数年しか抱えていないこれまでの人生からも、打開策はないかと考える。小学校からずっと捜査官を目指していた事、中学校時代に耐えがたい絶望と直面したこと、セイラと出会って乗り越えられた事。全部思い出しても、それが解決につなげられるとは思えなかった。
 これまでの戦いの歴史を振り返る。二度にわたる桃太郎との交戦に、茨姫などのフェアリーテイルを自分の力で解放してやった記憶。桃太郎に大敗したこと、奏白 真凜に救われたこと。知君と喧嘩したこと、打ち解けたこと、そして目の前で、知君が壊れてしまったこと。
 セイラと出会って変わることができた。自分勝手に誰かを助けることで満足感を得ようとしていた自分から、真に他人を助けられる人間へと。変わることができたのは、彼女と出会えたからに間違いはない。目指すべき英雄像を明らかにしてくれたのは知君だったに違いない。
 セイラと出会ってからの三か月間を反芻していた。自分は守護神アクセスと縁がないものと思っていたのが嘘のように、充実した三か月だった。夢見がちな子供から、本当のヒーローになれた日々。その全てが、自分にとって誇らしく、愛しい日々だった。

「なあ、俺の夢ってなんだったっけ」

 ヒーローになることだ。その意思はきっと、未来永劫変わることはない。
 後悔するような選択はしたくない。自分が理想像として描いたヒーローは、どんな姿だっただろうか。自分の夢を裏切らないために自分にできることは何だろうか。
 王子はもう、その答えに辿り着いていた。

「うん、思いついた」

 隣に並び立つ人魚姫の方へ顔を向ける。その手立ては、彼女の許可をも必要としているからだ。王子が振り返ったその時にはもう、セイラは彼の顔をじっと見つめていた。おそらく、王子が思い至ったアイデアに、彼女も先回りして気が付いていたのだろう。
 きっと、君なら、それを選択すると信じていた。彼女の穏やかな笑顔が王子への、愛しい人への信頼を明瞭に物語っていた。

「私も、同じことを考えていました」
「そっか」
「それに、決断も迫られていたことですしね」
「うん」

 腹は据えた。覚悟は決まった。だからこそ、次に立ちはだかる大きな障壁は予測できた。

「知君にそれを伝えよう」

 戦いに割って入ることは今更できない。そのため、知君のもとへメッセージを的確に届けられる人間のところへ向かう必要があると判断した。奏白の位置を目視で確認する。おそらくは知君とソフィアを追ってこちらへ戻っていたのだろう、それほど遠いとも言えない位置だった。
 行こうと言うまでもなく、二人は歩き出した。傍にいた琴割が止める様子はなかった。何か王子に考えがあるとは、ソフィアの父も察したようだった。それでも何をしようとしているのかは理解に及ばなかったらしく、無言でその背中を見送った。
 たった一つだけ、救えないはずのシンデレラを救うことができる方法がある。そしてそれを実行させられるのは、王子だけだ。
 決断を胸に、王子とセイラは奏白へと向かって一直線に駆け出す。喉の負傷も全身の疲労も関係ない。ただ自分が、後から振り返った時に恥じずにいられる自分でいられるために進むのだ。
 日付が変わる、その瞬間まで、残すところ十五分を切ろうとしていた。

Re: 守護神アクセス ( No.164 )
日時: 2020/04/25 23:17
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 ずっと探していた、償うその時を。自分が我儘だって自覚できていなかった時、俺はあいつをこっぴどく傷つけた。そいつが恵まれてるなんて思っちまった。周りから認めてもらえないのも孤高の証で、英雄に相応しい扱いだと。
 でも、自分に置き換えてみれば心が痛んだ。そりゃあ良い気なんてしないさ。どんだけ頑張っても、親父も兄貴も褒めても認めてもくれず、家では針の筵。そんな日々になるのだろう。それを羨んだ、強い力を持っているだけで、それ以外何も持っていない知君のことを、俺は羨んでいたんだ。
 満たされていたのはむしろ、俺の方だったんだ。いつだって心配してくれる家族に、軽口を叩き合いながらも仲良くできる級友たち。昔から、何不自由なく、遊びたいときには遊べるような人生も、何もかも持っていたんだ。それなのに俺は、自分が唯一持っていないものを持っているというだけで、ずっと辛い目に遭ってきた知君を、あろうことか嫉妬で傷つけたんだ。
 あいつは、一度たりともそんな事しなかったってのに。
 だが俺は、ただでさえ身体が不安定だったあの時に、その精神を追い詰めるようなことをした。ただ言葉で謝っただけで許されていいことじゃない。それでも知君は簡単に許してしまえるのだろう。ただ、俺の気がそれじゃ収まらないんだ。これから先、胸を張って友達だと自称するためには、けじめをつける必要がある。
 以前、妹の方の奏白さんが知君に伝えていた言葉。今日という日に報われるために知君は生まれてきたのだというメッセージを思い返す。いや、まだだ。あの日だけじゃない。何かが欲しいと願った知君は初めてだった。サンタクロースにも、両親にもねだった経験のない知君が、唯一残った自分という人間の血縁、姉だけは助けたいと願っている。
 これまでずっと頑張ってきたはずだ。強敵だけじゃない、琴割のプレッシャーに、大きすぎる責任感に、そして何よりもネロルキウスに対して立ち向かってきた。その、幼い頃からずっと続いた死に物狂いの日々が報われるのは、あの日一日だけで足りる訳が無い。
 これから先の知君と、喜びを共有する家族の存在は間違いなく必要だ。ソフィアには絶対に償わせないといけない。沢山の人を不幸にした分、親不孝さえしようとしている分、半分とはいえ血のつながった弟の知君だけは、絶対に幸せにさせなくてはならない。
 これは決してソフィアのためなどではない。知君のためだ。セイラと出会えるように背中を押してくれた。いつだってピンチの時は救ってくれた。そんな戦友にできるせめてもの恩返し、姉さんの一命をとりとめさせてやること。
 それはきっと『俺が伝えなくては絶対に成し得ることはできない』筈だ。だから、知君とソフィアが縦横無尽に争っている戦場を駆けてでも辿り着かなくてはならない。幸い、ソフィアは最早俺に興味を持っていない。彼女の気まぐれで俺が傷つけられる心配は、きっと無い。
 息も絶え絶えになってようやく音也さんたちがいるところへ辿り着く。いくら空気を吸っても肺の中が満たされないような息苦しさ。唾液がばしゃばしゃと蛇口をひねったみたいにあふれでてきて、喉はもはや千切れてしまいそうな程に悲鳴を上げていた。一言でも声を張れば、胸一帯からして灼けそうな程だったが、泣き言を口にしている場合ではない。

「おい、何やってんだよ。お前もう、戦えるような身体じゃないだろ」

 自分も限界なのだろう、ふらつく足取りで俺を出迎えた音也さんは俺の両肩に手を置いて、今にも倒れそうな俺を支えるようにして出迎えてくれた。その声には叱咤のような棘はなく、あくまでも心配で声が震えていた。

「人魚姫、あんたもだ。何で引き留めなかった。そこが今、どんだけ危ないか見て分かんないのか」
「分かっています。ですが、止めませんでした。私達は貴方に頼みごとをしなくてはならないのですから」
「はあ? それは今必要なことかよ」
「そうなんだ、絶対に今じゃなきゃ、駄目なんだ」

 この頼み事だけは俺の口から伝えねばならない。それはこの決断をした時から、既に分かっていた。そうでなくてはきっと、誰もがこの手段を躊躇することだろう。踏ん切りがつかないことだろう。だからこそ、俺が自ら動かなくてはならない。

「あの女を助ける方法がある。でも俺は今、声がろくに出ない。だから、届けてほしい」

 アマデウスの能力で、俺の声を知君まで。

「そしたら絶対、あいつなら何とかしてくれるから、だから……」
「そうしてやりたいのはやまやまだけど、数秒がいいところだぞ」
「大丈夫。それだけあれば充分」

 後は音也さんの気分次第だ。理屈で説得する時間はない。できるという確信を表現する以外に手はない。もう時間が惜しい。早くしないと、救えるものも救えなくなる。
 判断の時間が惜しいことは音也さんも分かっているようで、即座に判断を終えたようだった。真剣な表情で俺とセイラとに目線を寄越し、二人の間を往復させる。音也さんの瞳に映る自分と、セイラの姿が見えた。満身創痍で、目に見えないようなところにも傷を負っているというのに、どうにも決心の固い表情をしていた。俺はいつから、こんな顔ができたものだったろうか。
 そして俺は一つ、大きな安堵を得た。セイラも覚悟が決まっていることだ。さっきからずっと、セイラの顔を見ることができなかった。本当に、同じことを考えていたからと言って、その決心までも共有している自信はなかった。
 けど、俺たちはもう、大丈夫だ。

「準備はいいか、ほんとに数秒だぞ」
「はい」
「良し。アクセスナンバーは649、来いよアマデウス、最後の仕事だぜ」

 弱弱しくphoneから翡翠色のオーラが溢れ出て、音也さんと俺とを包みこむ。この状態で後は、知君に一言告げるだけでいい。俺は細く少しだけ息を吸って、知君への言葉を切り出した。

「知君、時間もないし一度しか言わないから聞き逃すなよ」

 これが本当の総力戦だ。それをあの独りよがりな姉貴に教えてやれ。
 誰より優れたお前ならそれができるはずだ。
 そうして俺は、胸に秘めた打開策も、想いも、何もかもを知君に託すことにした。

Re: 守護神アクセス ( No.165 )
日時: 2020/04/25 23:14
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

◇  ◆  ◇


「知君、時間もないし一度しか言わないから聞き逃すなよ」

 周りに自分達二人以外誰もいないのに、突然男の声がした。幻聴、あるいは空耳の類だろうか。どうしたらソフィアを救えるか考えてばかりだったせいか、知君の判断能力は鈍っていた。誰の声かと聞き分けようとしても、しわがれて潰れてしまった声ではその主も誰か判然としない。
 悠長に考え事などしているからそんなものが聞こえるのだと、ソフィアへと向き直る。先ほどから、焦りばかりで頭も体もから回っており、押され気味の彼だった。これ以上気を散らす訳にはいかない。そう思っていたのだが、再び声は聞こえてきた。聞き馴染みのないガラガラ声ではあるが、耳や脳の異常ではないと理解した。これは何処からか交信しているものだ。
 鋭い三連の蹴りが見舞われる。上段中段下段と、新選組の隊士がごとく神速の三連撃を放つ。常人の眼にも止まらぬ早業であったが、知君にとってただいなすだけなら造作もない。顔を逸らして避け、二発目は腕で軌道を逸らし、三発目は足を突き出されるより先に懐に潜り込んだ。
 その胴体に突進し、正面から羽交い絞めにする。次の瞬間、周囲の人間から脚力を借り受ける形で足腰の身体能力を活性化させた知君は、電車道を作ってソフィアを無理やり押し戻していく。なすすべなくタックルの勢いで、ソフィアは一層琴割から遠ざけられた。

「離し……なさい!」

 何とか足を体に引き付けるようにして自分の身体と知君の身体の間に割って入らせ、屈伸する力で知君を蹴り飛ばした。お互いに後方へと突き飛ばされて距離を取る。その攻防の間にも王子からの交信が届いていた。

「声は枯れてるけど王子だ。今、音也さんの力で伝えて貰ってる」

 成程、視界の隅で淡い光ではあるが、アマデウスのエメラルドグリーンのオーラが観測できた。その能力で、声のほとんどを奪われた王子の声を戦場の中心まで届けているらしい。一体、この切迫した状況で王子は何を伝えるつもりなのか、理解に悩む。
 それに耳を傾けようにも、ソフィアが止まらなければその余裕は生まれない。どうしたものかと手をこまねいていた時のことだった。おあつらえ向きにソフィアの脚が止まったのは。

「うっ……」

 唐突に、頭を抱えて蹲る。それも当然だ、あそこまで意識を保てている事の方が異常だとは、もう何度も感じていることだった。守護神の思考さえも染め上げ、壊してしまうほどの強力な精神毒だ。生身の人間であるソフィアはその瘴気に晒されて死ぬ間際のところまで来ている。それでなおあれだけはっきりとした思考と意識とが成立しているというのがおかしな話だ。それほどまでに強い、覚悟と良しとを秘めているということだろう。
 しかしそれも気合や根性だけでは限界がくるというもの。一旦知君と距離を置いたからこそ、張り詰めた緊張の糸が緩んでしまった。その檻に、これまで溜め込んできたダメージがどっと来たのだ。喘鳴を上げながら、膝をつき、何とか自分を保とうとしている。
 そんなになってまで、どうして。問いかけたくもあるが、今は王子の方が先決だった。

「説明する余裕はないから、直接俺の心の中で、考えていることを情報として奪い取れ。それが、そこにいるお前の姉ちゃんを正気に戻す方法だ」

 心情というのは、誰もが胸の内に秘めている情報だと言い換えられる。その機密を奪うという形で、ネロルキウスは他人の心を読むことも可能だ。それを実行しろということなのだろう。だが、それは他人の考えていること、隠し事をも全て筒抜けにするという行為だ。不可抗力でならまだしも、自発的に行うには抵抗がある。
 その葛藤を元から見抜いていたのだろう、王子の方からはいいからしろとの指示がさらに飛んでくる。

「もうすぐアマデウスも限界らしいんだ。どうせ同じ男子同士だろ、何知られても困るもんはねーから、早く」

 それを最後に、連絡は途絶えた。言いたいことは全部伝えたという意味なのだろうか。それとも単純に奏白の方に限界が来たのだろうか。それはこの場からは分からない。ただ、この絶好の隙に王子の心を盗み見るしかないことは明らかだった。
 自分にはもはや、ソフィアを救う手立ては思いつきそうにない。守護神の相性の概念のせいで、八方塞がりもいいところだった。ネロルキウスの能力を応用しても、今の王子から喉の負傷を奪い取ることはできない。彼は、ELEVENとして超耐性を有していた時のシェヘラザードから、明日の朝まで怪我が治らないと運命づけられた。そのため、絶対に今夜のうちに王子を治療することは叶わない。
 何か自分に思いついていない案があるのだったら、それに縋るしかない。最後の、一片だけ残った希望をつかみ取るため、言われた通りに知君は王子の心を覗いた。一体、王子はどのような手法を考えたのだろうか。あまり期待を抱かないまま、彼の考えとやらを詮索する。
 頭が理解するのと、叫んだのは同時だった。ふざけるなと怒鳴りつけるような勢いで、少し離れた位置にいる王子の方へと身体ごと向き直り、知君は叫んだ。先ほどまでソフィアと向き合う緊迫感に身を晒していたというのに、その表情は王子の策を見たその瞬間に、泣き出しそうに歪んでしまった。

「それだけは駄目です! 自分が何を言っているか分かってるんですか!」

 全力で拒絶するとは、王子も分かっていた。だからこそ、言葉だけではなく最初から自分の感情ごと読み取らせようとしたつもりだった。あまりに反応が速かった。それはつまり、たった一瞬で知君は、打開策を噛み砕いて理解できたという訳だ。
 策を知り、それを理解するまでのタイムラグが無かったというのはきっと、知君自身もこの考えに既に居たってはいたのだろう。間違いないと、王子は溜め息を漏らした。自分などが思いつくような手段だ、より知恵の回る知君が思いついていないはずがない。そして、その方法があると分かっていながら、それは不可能だと決めつけていた訳だ。
 だから、説得の言葉を胸の中に投じ続ける。そうすることでしか会話ができないと分かり切っているため、知君は王子の声を拾い続けた。

『問題ないさ、この方法なら誰も死なない』

 だとしてもだ。たとえ誰かを殺すようなことはしないと言っても、それは一人の人生を踏み躙ることに他ならない。他の誰が許したところで、知君本人がそのやり方を認められなかった。殺すことと死に至ることは、必ずしもイコールで結ぶことはできない。
 時として、生きながらに人は死んでしまうことがあるのだ。

「それだけはできません。すみません、折角考えてくれたのに」

 この期に及んで何を言っているのか。その躊躇の時間こそが、無駄であると同時に失策だとどうして分からないのか。起死回生の、唯一残された手立てを受け入れようとしない知君に、王子は拳を震わせた。今は我儘を言っている場合ではないことは、知君が一番分かっているだろうに。
 今の自分の本心を余すところなく伝えたはずだ。きっと、王子がどれだけ強い意志でその決断を下したか、知君も見聞きしたはずだ。しかし、その上で知君はどうしてもそれはできないと首を横に振り続ける。
 王子には知る由もないことだが、知君が王子の心を読む際、知り得た情報は何も今現在、この瞬間の彼の覚悟だけではない。これまで王子が積み重ねてきた日々、後ろ向きに歩いてきた数年間、それさえも見ている。極めつけには、王子が知君に対し罪悪感を覚えていることや、決断の裏に秘めた寂しさも、全て含めて。そんなものまで見てしまったら、知君は王子が提案する最後の策を実行することなど到底できそうになかった。
 いつまでもうじうじと、二の足を踏みやがって。このままでは埒が明かない。もどかしさが体の中でふつふつと沸き立ち、どうにも身体が衝き動かされる。もし割って入れるものなら、あの分からず屋の横っ面を引っ叩いているところだ。
 もう我慢ならない。現状、知君は王子の声などもはや聴いていないかもしれない。その身勝手な優しさに腹が立った。慇懃無礼という言葉もあるが、気遣いは度が過ぎるとむしろ毒なのだ。
 もうとっくに、現実は割り切った後なんだよ。王子は、そうしようと判断するよりも早く、まともな声など出せもしないのに既に口を開いていた。

「ふざげんな!」

Re: 守護神アクセス ( No.166 )
日時: 2020/05/14 00:55
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

「ふざげんな!」

 言葉こそ荒々しいものだが、そこに怒気はなかった。知君の背中を押すための言葉だった。無理だと決めつけて、下ばかり向いている彼を焚きつけるためには、強い言葉を意図して使わなければならない。
 今晩を限りに、喋れなくなっても構わない。喉がそのまま失われても知ったことか。今この場で、彼に伝えなくてはならないことがある。自分の覚悟を言語化する必要がある。
 寂しいかと問われれば、確かに王子も寂しいと答えるだろう。だが、辛いかと問われてもそれだけは否定できる自信があった。辛抱ばかりの人生だった。でも、その甲斐あって既に夢は叶ったのだ。
 だから次は、約束を果たさなくてはならない。セイラと交わした約束を守るためには、知君の力を頼りにするしかない。何故なら自分一人の力では、できないこともあるのだから。

「勝手に俺のごと決めづけて、躊躇してんじゃねえ! お前どうせ胸んながで、俺のごとを可哀想だとか思ってんだろ!」
「まさか……そんな訳ないだろ!」

 可哀想だなどと、侮辱するようなこと、当然知君は考えていない。ただ、それに等しい振舞いをしているという自覚がないだけだ。知君が躊躇している理由は、同情などではない。言うなれば甘さで、優しさだった。今後の王子のことを考えて、視野と選択肢を狭めているだけのことだ。
 王子の立場なら本来は彼に感謝こそすれども、憤る必要はない。だが、その優しさが今は不要なものであり、むしろ彼のことを傷つけるナイフに他ならない。自分の存在が足かせになっていることが耐えられない。今までずっと周りに心配をかけてきた。こんな時にまで、自分を慮る誰かの重荷になりたくなかった。

「今まで散々言ってきたから、もう知っでんだろ! 俺が小さい頃夢見てたのは、ヒーローになることだっで!」
「そうだよ、だからできないんじゃないか!」
「そうじゃない!」

 そうじゃないんだよと、弱弱しく嗚咽を漏らす。知君だけではない、同じ答えに辿り着いた人間は誰しも『王子のために避けてきた』一つの答えに気が付いている。だが、それは間違っていた。王子の夢、その本意に沿うためにはむしろ、避けてきたはずの手段であっても非情に実行しなくてはならない。
 不用意な優しさと、気遣いこそが、彼を真に傷つける心無い態度となるのだから。途端に王子の声が弱くなったため、再び知君は王子の心の声を聞くことにした。王子の傍では、ぽつりぽつりと漏らす言葉を、セイラたちが噛み締めている。
 恵まれた人生とはいえ、彼の人生が順風満帆ではなかったことは確かだ。その痛みはセイラの存在でずっと見ないふりをし続けられたが、助けられてばかりの現実と理想とのギャップで、別の苦しさも感じていた。
 周りの人にずっと心配と迷惑ばかりかけたせいで、嬉しかった思い出と同じくらい、後悔の多い日々だった。そう、彼は続ける。

「助けたいって言っておきながら、俺はずっと自分が救世主になりたいって思っていたんだ。助けた人に感謝してもらいたかったんだよ、俺は。でも、色んな人と知り合うことができて、そんな価値観が変わったんだ。お前とセイラと出会えて、変われたんだよ」

 知君が捜査官に混じって活動していると聞いた時から、王子の中で理想のヒーロー像に知君が重なっていた。自分と真凜の二人をまとめて屈服させたクーニャンに、颯爽と現れて完勝したあの日も。自分が一番傷ついているのに、身の上話をしていた時も。ネロルキウスと対峙し、赤ずきんを難なく倒した時も。そしてさっき、ELEVENさえ倒して見せた時も。

「ずっとずっと、眩しくて仕方なかった。最初はさ、知君がずば抜けて強いからだと思ってたんだよ。俺、馬鹿だからさ、本当のところに気が付けてなかったんだ」

 知君がヒーローらしく映っていたのは、もっと別な理由があったというのに。幼稚な考えに囚われていたせいで、自分も強くなりたいと焦り、がむしゃらになっていた。その焦りに何度も付け込まれた。それでも、知君のような出鱈目な強さを追い求めてしまった。
 だが、一度喧嘩して、和解したあの日から、少しずつ王子は理解した。知君が誰よりも強いのは、能力故ではない。きっと立場が逆だったら、知君のようにネロルキウスと心を通わすことなどできなかった。自分ならば、欲に飲み込まれてそのまま体を明け渡していたことだろう。
 知君の背中がいつだって大きく見えるのは、その考え方に依るものだ。彼は、助けた後の利益ではなく、人助けそのものを目的としている。ありがとうの言葉どころか、助かったという一言でさえ幸福を感じられる。感謝してくれる人間が、その内一割もいれば充分だろう。
 誰かのために戦うというのはそういうことだ。博愛主義とも言えるだろうか。周囲にいる人を等しく愛し、護るために戦う。正義感という無償の愛が余程強くなければできないことだ。
 王子が夢に描いていたのは、あくまでも自分の姿だ。だからこそ誰かに認めて欲しかったし、救う人間は誰彼かまわずという訳でもない。その極端なバイアスを、セイラと出会うことで自覚できた。自分という人間は、人々のためなんて大それた野望なんて持てない。唯一持つことができるとしたら、手が届く範囲の大切な人だけだ。

「俺は、セイラと契約する時約束したんだ。ハッピーエンドを迎えさせたいって。そのためには、シンデレラを取り戻さなきゃダメなんだよ。赤ずきんたちと一緒で、セイラには大事な奴なんだ。取り戻せるのはもう、お前だけなんだ、頼むよ……」

 セイラと出会って王子は、自分を差し置いてでも幸せにしたい誰かができた。もちろん、セイラの幸福の先には王子の幸福も存在している。境遇が近い自分と彼女を重ねて、セイラを幸せにすることで、自分の幸福の証明としたいと最初に考えた。
 とはいえ、自分が不利益を受けてでも先に助けてやりたい、笑顔にさせたいと願える人ができたのは大きな変化だった。この感情と同じものを知君は沢山の人に適用させている。だから、ちょっとだけでもいい、僅かな共通点だけで構わないから、その背中を負いたいと思うのなら、王子にできることと言えば彼女のために戦うことだけだった。

「俺の夢ってのはそういうことなんだよ。何も、俺が颯爽と敵を倒すことでも、沢山の人の期待を受けることでもないんだ。セイラと、お前の二人だけでいい。俺は、俺の持ってる全部で、大事な人だけでも助けたいんだ」

 嘘はない。それほどまでにぶれない答えを王子は手にしていた。虚飾ではない、彼がなりたいと信じる、真の英雄像に近づくための答えを。

「………………分かった」

 喉からひねり出すような返答をした。きっと、言葉では聞き届けられなかっただろう。だから、王子にも見えるように、大きく一度だけ頷いた。きっとそれが通じたのだろう、柔らかく、王子の笑っている様子が目にできた。

「お友達と通話だなんて、随分と余裕ね……」

 尋常ではない痛みを堪え、何とかソフィアは自我を取り戻したようだ。脳みそが散り散りになり、人間性ごと霧散しそうな激痛の狭間で、復讐への執着だけが原動力として残っている。その姿があまりに痛ましく、一刻も早く終わらせなくてはならないと再確認する。
 いいんだってさ。それで、僕の用意はもういいかい。知君は小さく首を横に振る。その間も、ソフィアが紡ぐ言葉は止まらない。

「もう、後十分といったところかしら。時間が無いの」
「そうだね、早く、助けなくちゃ」

 これは冷徹な決断では断じてない。事態を収束させるために、小を切り捨てている訳では断じてない。あくまでも、『彼』が望んだことだ。これは今できる最大の努力をするだけのことだ。自分が選ぶことのできる最良の一手というのは、必ずしも自分を満足させられる訳ではない。そういう現実は分かっていても受け入れがたい。特に、己の矜持に反する時は。
 ただ、そのための強さがどうにも湧いてこない。王子は覚悟を決めたというのに、自分の覚悟が足りていない。どうすれば、強くなれるのだろう。どうすれば、非情な決断を、他人の想いを背負う覚悟を以て下せるのだろう。

「まだそんな事言っているの、タイラ。お友達と何か話していたみたいだけど、無理よ。貴方に選べるのは、道を開けるか、意地悪を続けるか。お願いよ、タイラ。ネロルキウスじゃどうにもならないの」


 ねえネロルキウス、お願いがあるんだ。知君は脳裏で相棒の守護神へ問いかける。
 僕はかつて、君に対抗するために君の真似事をした。君という過激な個性に対抗するためには、自分もそれに相応しい高慢な態度で接することで、何とか張り合っていた。自分にとって、誰よりも強い意志を持った存在は、ネロルキウスそのものだったから、自分も同じように強くなりたいと思って、その振舞いをなぞることにした。
 だがそれは、和解すると同時にする必要がなくなった。ネロルキウスが契約相手の人間を認め、力を貸すと決めたからだ。そのため、肉体を巡る意識の綱引きが無くなり、知君らしい人格のまま能力を行使できるようになった。
 だが、その成長を一度ここで手放したい。昔のように、『強い自分』を作り出して演じる必要がある。自分にはまだ、何かを切り捨てられる強さを持っていないから。


「お願いします、ネロルキウス。誰かの夢を踏み躙ってでも、前に進むだけの強さを、今だけでいいから僕にください」

 どんな冷徹な決断も己の裁量として認めた。だからこそ暴君として彼は当世にも伝えられている。たとえ詰られても、ぶれることのない確固たる決意。
 鎧をまとうように、知君はその人間性の皮を被った。あの頃の感覚を取り戻す。我こそが、傍若無人の皇帝になったような、あまりに強すぎる語気を携え、声高々に能力を解放した。

「ネロルキウスの能力を行使する!」

 その力強い宣誓に、見つめていた全ての者が面食らう。今更何を。動揺が伝播していく。ネロルキウスの詳細をよく知らない捜査官にも、知君の能力がシンデレラに通じないことは伝えられていた。だからこそ、彼女を相手どることを知君は苦手としていた上に、もう充分長い時間向き合っているのに、決着はついていない。
 凡百の守護神ならば、瞬時に鎮圧できるネロルキウスとはいえ、相性の不利は覆せない。それは世界が定めたルールだからだ。

「焦りで気でもふれたのかしら? 無理よ。王をたぶらかす傾城に、暴君の力は通じない!」

 白雪姫の時と同じだ。どれだけ知君が粘ろうと、略奪の能力を直接白雪姫に行使することはできなかった。だからこそ苦戦し、知君の意識が乗っ取られるところまで事態が悪化したのだ。それを忘れる彼ではあるまい、何をするつもりなのかとソフィアは軽蔑したように弟を見つめていた。
 だが、その軽蔑をも嘲笑うように、高圧的な様相を呈した知君は、その浅はかな考えを否定した。

「お前じゃない」
「何ですって」

 この能力の対象は、あくまでもソフィアではない。仕方がない、たった一晩の逢瀬でお城の王子様の心を射止めるような守護神に、能力は使えない。
 知君の判断は自棄でも何でもない。ソフィアに能力が通じないなら、通じる者に対して能力を使えばいい。ネロルキウスの能力が通じないのは、あくまで傾城に対してのみの話だ。


 そして奇しくも、“彼女”は傾城でも何でもなかった。
 王子様に、見つけてさえ貰えなかった。


 シンデレラに能力が通じないならば、通じる形を用意してやればいい。知君では白雪姫を鎮圧できなかった。しかし、ネロルキウスが現れると瞬時に白雪姫を圧倒してみせた。
 世界のルールがネロルキウスの能力を規制するというのならば、別の守護神の能力を使えばいい。知君は、毒に侵された彼女を癒すことのできる、たった一人の守護神を指し示した。戦場の片隅を目掛けて、一直線に指を向ける。
 ソフィアの視線が誘導され、その先にあるものを捉えた。その先に居る者を目にした。たちまち、何かに気が付いたように目を見張った。まさか、あり得ないと、最も大きな動揺を浮かべる。それも当然だ。
 その決断だけは、彼という優しい少年だけには、実行できないものだと断定していたからだ。事実、それは正しかった。彼はその手法に気が付いていながら目を背けていた。気を配りすぎる彼の性格では、決して選ぶことのできなかった手段。それは、王子 光葉(こうよう)本人が背中を押すことで、ようやく大きな一歩を踏み出すことができた。
 そう、彼が指し示した先にいた人間というのは、他ならぬ王子 光葉その人だった。

「対象は、王子 光葉。奪い取るのは……」



 この世界には、絶対に損なわれないルールがいくつも存在している。それは守護神の存在を証明し、円滑にシステムを回すために重要な自然法則であり、何人たりとも反することはできない。法律などとは違う、化学的な定義と等しいと言ってもいい。死んだ人を生き返らせることができないのと同じ、手を加えることのできない絶対の摂理。
 ELEVENに逆らうことはできない。制御装置として守護神同士に相性を設けることとする。出生時に契約相手の守護神は決まっており、ガーディアン配列という特定の遺伝子配列で暗号化されている、などのものだ。
 その絶対の摂理の中の一つに、ひどく状況が限定されているものがある。人が死ぬとき、守護神はその契約から解放される。基本的には契約破棄は、死によってのみ行われる。死した後に生き返ることはないため、契約が絶対に無効となるのは自明の理だ。
 その結果破棄された契約の取り扱いについても、厳格なルールが存在している。そのルールは、例えELEVENのジャンヌダルクであったとしても拒む事のできない不変のもの。何故なら世界そのものは、守護神の更に上に立つ概念だからだ。







「奪い取るのは、その守護神の人魚姫!」



 ネロルキウスは、他人の守護神アクセスの契約に介入し、能力の行使権を無理やり略奪することを可能にしている。そのため、死以外の方法で唯一、契約破棄を行うことができる存在である。そんな彼であっても、この摂理だけは覆すことができない。
 その摂理こそが『一度破棄された契約は、いかなる理由があろうとも、二度と結ぶことはできない』というものである。『契約者の人間は死んだに違いないため、もう永遠に、死ぬまで守護神アクセスを行えない』、と。
 ヒーローを夢見ていた。いつか格好よく誰かを助けたいと願っていた。けれども、最早、この瞬間から、王子 光葉は守護神アクセスができない身となった。




 それは当然、永遠に。

Re: 守護神アクセス ( No.167 )
日時: 2020/05/04 22:45
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)


 それは、知君にとって酷な決断だった。王子は覚悟を決めた。自分がそうするべきだと納得しているからこそ、その結果も受け入れられる。金輪際、自分に守護神アクセスは叶わない。それまで抱いていた絶望感とは違う、晴れやかな諦めがそこにはあった。
 だが、知君は違う。彼は王子の軌跡を知っている。それどころか今、王子の心を盗み見た際にもまざまざと目にし、耳にすることとなった。そうするべきではないと分かっていても、いなくても、セイラとの決別を告げる時だから、想起せずにはいられない。
 ずっとずっと、ヒーローになりたいと描いた夢。それを追った日々、心を折った瞬間。無残にも帆の折れた夢の船が、難破しないように走り続けた日々。念願かなって、とうとう自分の守護神と出会えた日のこと。二人で歩んできた日々、積み重ねてきた絆。
 それを断ち切る仕事を、一介の友人に過ぎない彼に託したのだ。たとえ当人が割り切っていたとしても、それを踏み躙る役目を与えられた人間の呵責はなくならない。
 ネロルキウスの力で王子の思考を読み取った際に得た想い出たち。そこから想像せずにはいられない、あったかもしれない未来の日々。この先も何十年と、セイラと二人で多くの人を救えたかもしれないのに、その可能性を自ら王子は手放した。
 その決断はどれだけ重たいものだったろうか。潔く諦めるためには、どれだけ強い精神を必要とするのだろうか。知君のような、自己犠牲の精神が強い性質の人間ならまだしも、英雄願望の強い王子にとっては、この決断は苦渋の決断となる筈だ。それなのに、躊躇なく手放すことに決めた。どうやら、人魚姫も同じ心持らしい。
 二人の思い切りがいいからこそ、心が痛むというものだ。それに甘んじて、輝かしい未来の芽を摘み取ってしまう自分自身が。その状況を作り出したソフィアも、その目標を達成させてしまった自分たちの甘さも、全てが度し難い。
 だがそれでも、迷う訳にはいかなかった。王子が考えていることが分かるからこそ、拒めなかった。ここで、我が身可愛さにその選択ができなかった時、二度と彼は自分に自信が持てなくなる。其処に守護神の有無は関係ない。たとえ隣にセイラがいたとしても、王子がヒーローを名乗ることは永遠にできなくなる。
 一組の戦士として、そこに居続けることよりも優先して、王子は選択したのだ。ここで友人のために、相棒である人魚姫のために、シンデレラとソフィアを助けるという選択を。
 だから一先ず、迷いと甘さと、弱さは置いていく。自分だって、いつもの気弱な自分のままではいられない。歯を食いしばって、正面を睨みつける。


 運命の相手との邂逅時、うれし涙でぐしゃぐしゃに破顔した王子の姿を振り切れ。

 無我夢中で、必死になって英雄街道を盲目的に突き進もうとした焦る日々も踏み躙れ。

 かぐや姫を倒して再確認した、二人の間にある確かで強固な絆さえも断ち切れ。

 それらに、痛む事のない強靭な胆力を持て、傷つくのは決して自分ではないのだから。



「お前は許さない。王子にこの選択を強いたお前だけは、決して死という安易な逃げ道を選ばせてはやらない。俺は俺の弱さも許すつもりはないが、それ以上に罪深きはお前だ」
「あらタイラ、強がってるの? 似合ってないわよ」
「その余裕は、もう続かない」

 その綽綽とした態度も今この瞬間に磨り潰す。強化した肉体で、すぐ足元に転がっていた人の頭ほどある瓦礫を蹴り上げた。まるでサッカー選手が球を蹴り上げるように軽やかに、膝の辺りまで浮かせた岩の塊を、そのまま足の甲で撃ち放った。
 砲撃のように高速で迫る瓦礫に面食らったソフィアは、慌てて目の前に炎の壁を展開する。ネックレスの中央のルビーが輝いたかと思えば、放射売る光がそのまま紅蓮の業火へと変わり、行く手を阻んだのだ。劫火の壁に呑まれた礫は勢いを失い、ソフィアの蹴りで充分砕けるものとなった。ガラスの靴で小突いて撃ち砕き、何とかやり過ごす。
 だが、その炎の壁は知君には通用しない。人影が、焔の向こうから迫っていることに気づく猶予はなかった。紅蓮の障壁を突き破り、少年の姿が現れる。息を呑み、咄嗟に動いた体が知君の拳を何とか受け止めた。不意打ちをやり過ごし、得意げな笑みを口元に浮かべた時のことだった。

「何を笑っているんだ」

 ふと、両手で押さえこんでいた知君の腕が消えたように感じた。急に支えを失ったような感覚で、よろめき姿勢が崩れた。地を蹴る音は聞こえても、姿が目で追えない。

「傾城、だったか。たかが優男一人落とした経験だけで何を得意げに」

 まだしばし、人魚姫が知君の下へ来るまで時間がある。その間に、予めソフィアの心を折ることに決めた。完膚なきまでに打ち負かし、自分に復讐を為し遂げるだけの力量などなかったと分からせる。例えネロルキウスに対する抑止力となろうとも、覆せない差があると知らしめてやらねばならない。
 復讐の実行力の全否定。それこそが、彼女に対してできる一番の罰だと言えた。徹底的に打ち負かす。もはや、先ほどまでの悩みは無い。悩みで精彩を欠いていた先ほどでさえほとんど五分だった対峙だ。
 今の知君に、遅れを取る理由など一つもない。

「誰の御前だと思っている!」

 声の方向に気が付くも、防御など間に合わない。左肩を蹴り抜かれ、その衝撃で体が宙に浮いた。突き抜ける衝撃に痛みはない。興奮して脳内の麻薬が過剰に分泌しているせいで痛みに鈍くなっていた。
 受け身を取らなければ。接地前にそう判断したソフィアだが、その判断は無為に終わる。地面を転がるより先に、落ちるべき地点に知君が現れた。目を見張り、何とか軌道をずらそうと能力を起動しようとするも、知君はその一歩先を行く。
 今度は上空へ打ち上げる。追いかけ、空中に投げ出されたソフィアをさらに蹴り上げ、自分もまた上空へ跳躍する。空気から流動性を奪うことで空中に足場を作ることのできる知君にとって宙で跳躍することなど造作もない。

「高みから落ちる気分はどうだ、灰被りの鼠めが」

 ソフィアを打ち上げたよりも少し高い位置に空気の天井を作る。天井を蹴り、上空から勢いをつけて連撃の最後を飾った。隕石のごとく、シンデレラを纏ったソフィアの身体は、今度は下方へ向かって加速する。重力と二人分の体重が上乗せされた一打である。致命傷にも重傷にも至らないだろうが、ノーダメージとは決していかない。
 落下した衝撃で、砂煙が舞い上がる。流石の耐久力とはいっても、ソフィアからは苦しそうな喘ぎ声が上がる。自慢のドレスも、とうとう砂利に塗れて汚れてしまった。

「汚れたドレスの方が名前に似合うんじゃないか」
「……そう、簡単に……。調子に、乗るんじゃなっ……うぅ……」

 震える脚で何とか立ち上がったソフィアだったが、減らず口を叩く間に不意に崩れ落ちる。後は到着した人魚姫の能力で片付くだろう。しかし、そう決めつけたのは油断のたまものだった。

「ああああぁあああぁああぁあ!」

 何も驚くことはない。ソフィアの精神に限界が来た。それだけのことだ。胆力だけで毒ガスによって催されていた破壊衝動を押さえ込めていたことが異常なことで、少しの意志の揺らぎだけで紅の情動に支配される。
 前後も見境もなくなった彼女は、最早復讐も冷静な理性も全て無くして、一つの災厄と化していた。ただ、それはむしろ良かったかもしれない。今この場に彼女の道を阻んでいるのは知君しかいない。
 すなわち、獣のように目の前の獲物だけに集中していられる今、ソフィアが他人に危害を加えることはない。後はその行き場のない感情を全て、自分が受け止めればいいだけの話だ。

「パウロのような死を許すつもりはない。お前の信じている道は、絶対に否定しなくてはならない」

 故に、生きている内に考えを改めさせる必要がある。殉教した者の意志は、生きている者へと引き継がれる。過ちを過ちと認めるためには、生き続けなくてはならない。これだけ大きな間違いを犯した以上、それ以上の貢献をもたらさない限り彼女の魂を楽にはさせられない。
 人魚姫と王子との別れが終わったようだった。少し時間を要したが、それについて彼が苦言を呈することはない。むしろ、僅かな時間しか与えられなかったことが心苦しいほどだ。
 だが既に実行してしまった以上、後戻りはできない。隣に降り立った人魚姫はその決心が一分としてぶれている様子はない。きっと、パートナーの少年もそれは同じだろう。ならばもう、しつこく確認することも、誤る必要も無いだろう。
 その想いに応えたいと思うなら、すべきことはたった一つだ。この犠牲を無駄にしないこと。何が何でもシンデレラもソフィアも取り戻すこと。そうしなくては、二人のきずなも浮かばれないというものだ。
 彼女に向かって、知君は拳を突き出した。それは、手を繋ぐ意志が存在しないという主張だった。その手を取るに相応しい人間は、一人しかいないと言外に物語る仕草であり、その意図を容易にくみ取った人魚姫も、突き合わせるように拳を当てた。フェアリーガーデンの守護神との守護神アクセス時には、身体の一部を触れ合わせる必要がある。
 強い信頼こそあるものの、単なる共闘仲間としてはこれで充分。むしろどの面を下げて、彼女の手を握ろうと言うのだろうか。

「人魚姫、俺は決してお前の名前を呼ばない」

 その名前も同じだ。王子以外の人間が『セイラ』と呼びかけることなど許されはしない。そう呼びかけるのは、彼にだけ許された特権だ。他の誰にも侵すことのできない、唯一無二の信頼関係だ。
 実際、今日という日まで、実際に彼女をセイラと呼んだのは王子だけだった。

「行くぞ、これが俺たちの総力戦だ」
「もう、同じこと言って……。貴方達も大概仲良しですよ、知君くん」

 これから先も、ずっと王子の隣にいられる知君に、人魚姫も嫉妬する。だが、この別れは元々決めていたことだった。
 戦うより先に、琴割から刺されていた釘。このフェアリーテイル事件が終わった暁には、フェアリーガーデンから人間界への出入りを永遠に拒絶する。セイラがもしこの世界に留まる場合、永遠にガーデンへ帰れなくなる。
 王子との日々はとても貴重で、簡単には捨てられない日々だった。しかし、それでも、別れというものはいつか訪れる。今別れても、百年先に別れてもそれは同じで、守護神として悠久の時を生きるセイラにとって、王子亡きあとこの世界に留まり続けるのは不可能なことだった。
 もし王子が許してくれるのであれば、取り戻した赤ずきん……カレットや、白雪姫のノイト、およびシンデレラのアシュリーと共に、故郷へ帰りたいと思っていた。
 だから受け入れられた、この別れも。永遠に守護神アクセスさえ許されない関係になることも。そしてきっと、その未来を自分が選ぶと王子も薄々察していたのだろう。だから彼も、ようやくつかんだ夢を手放すことができた。
 いや、そうではない。王子は既に夢を叶えたのだ。王子の傍から離れる際に、奏白が少年へと告げていた言葉。それこそが、彼が長年求めて止まなかったものだ。
 あの時の誓いを、ようやく果たすことができた。初めて彼が手を取ってくれた時に、自分が告げた言葉を。


「今度は、貴女の夢が叶う番ですよ」


 一つだけ悔しいとすれば、その事だろう。彼の夢が叶った瞬間、その隣に私はいなかった。私との別れが、彼の積年の願いを叶えたのだ。たった一人、孤独に、後ろから背中を見守ってくれる人たちから喝采を受けて、彼はようやくヒーローになった。
 そしてもう一つ、寂しいことがある。生まれてから、私という概念が忘れられるまで、長すぎる歳月が流れることだろう。そんな中でふと生まれた、瞬きのような日々。契約者のいる日々、寄り添う人間がいた閃光のような時間。
 その締めくくりを、王子と共有できなかったことが、悔しくて仕方ない。けれど、悔やむことはなかった。
 もう、背中は押してもらったから。後はまっすぐ、前を見るだけだ。

「もう時間はない。……行くぞ」
「ええ、絶対に取り返しましょうね。私達にとって大切な人を」

 合図は要らない。言うべき言葉は決まっているのだから。
 きっと、彼女がその言葉を口にするのは最後だろう。今後彼女に契約者ができたとしても、もう人間の前に姿を現すことはないのだから。
 十二時の迫る夜更けの空に、二人の声が染み入っていく。この一夜の間に限り、両者の間に契約が交わされる。守護神の能力、その行使権を人間へと譲渡し、守護神は実体を失った状態で憑依する。
 異世界とこの世とを繋ぐバイパスであり、世界を隔てた壁を通貫する唯一の方法。人は、守護神は、その契約をこう呼んでいる。


「守護神アクセス」


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